2025/3 売上高29,224億円YoY+18.1%
2025/3 経常利益3,677億円
FY24 単体平均給与1,351万円前年度比+47万円
創業1924中央三井信託銀行が株式移転により設立(創業者)
創業地東京都千代田区
上場1949-

筆者所感 わが国最初の信託会社として1924年に発足した三井信託と、翌25年開業の住友信託は、戦後にGHQ方針で銀行業務兼営を認められ、1952年の貸付信託法施行で長期金融機関の位置を得た。集めた資金は電力・鉄鋼などの基幹産業に流れ、戦後復興と高度成長を長期資金で支える役割を担った。高度成長期には証券代行・年金・土地信託へと業務を広げ、不動産業への貸出も伸びた。戦前の信託会社7社が戦後信託銀行業界の骨格を作り、なかでも2大財閥系の三井・住友信託が受託財産の中心を占めた。信託兼営体制は戦後の信託銀行に固有の業態として定着し、銀行と並ぶ産業金融の担い手として機能した。

バブル崩壊で両行とも不動産融資が巨額不良債権に転じ、1994年度の三井信託は2000億円を償却した。2001年度には経常損失3300億円という巨額赤字を記録し、専業信託銀行は再編なしには存続が許されない経営環境に追い込まれた。2011年に中央三井トラストHDと住友信託銀行が経営統合し、三井住友トラストHDが発足する。国内最大の専業信託グループの誕生だった。マイナス金利下で長らく抑え込まれた収益は、2020年就任の高倉透が掲げた政策保有株式ゼロ方針とプロダクト与信シフトで動き出し、2024年度に経常利益3676億円まで戻した。メガバンクに属さない国内最大の専業信託として、金融自由化・マイナス金利・金利正常化の3つの環境変化を経て、独自モデルが姿を見せはじめた。

三井住友トラストグループ:売上高の内訳と営業利益率(PL 分解 × 営業利益率)
経常収益(億円)
歴代社長
FY01
FY02
FY03
FY04
FY05
FY06
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FY08
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FY10
FY11
FY12
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FY21
FY22
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FY24
FY25
FY26
FY27
FY28
FY29
FY30
田辺和夫
取締役社長
北村邦太郎
取締役社長
大久保哲夫
取締役執行役社長
高倉透
取締役執行役社長
歴代社長
FY05
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FY24
田辺和夫
取締役社長
北村邦太郎
取締役社長
大久保哲夫
取締役執行役社長
高倉透
取締役執行役社長
三井住友トラストグループ:投資CF(M&A・設備投資ほか/事業施策と紐付き)
投資CF(億円)
三井住友トラストL&Fの持分85%をコンコルディアFGに売却し共同事業化2024
中央三井トラスト・ホールディングスと住友信託銀行が経営統合、三井住友トラスト・ホールディングス発足2011

歴史概略

1924年〜1951信託業法の公布から戦後の銀行業務兼営まで

米山梅吉が関東大震災を越えて設立した「最初の信託会社」

1922年4月の信託業法公布を受け、三井銀行常務でアメリカの信託事情に通じていた米山梅吉は、基礎の固い信託会社を立ち上げる構想を進めた。三井合名理事長・團琢磨の支持を得て準備したが、翌年の関東大震災で計画は難航した。米山は計画を押し通し、1924年3月25日に三井信託株式会社が成立した。わが国で最初の信託会社である。米国で信託業務を調査した米山が、その経験をもとに日本の信託業の基礎を据えた人物となる。三井財閥の信用を後ろ盾に開業した同社は、その後の全国信託会社の先行事例として機能し、戦前の信託業全体の骨格を作る原点となった。関東大震災直後の混乱期に踏み切った開業でもあった。

開業から4年後の1928年11月末、同社の受託財産残高は全国信託会社37社合計の約30%を占めた。受託財産の内訳は金銭信託80%、有価証券信託19%で、金銭信託は主に貸付金で運用された。日本興業銀行が一手に引き受けていた長期資金供給の一翼を担う形で、貸出先は電力・私鉄を中心とした基幹産業に広がった。1929年6月には新築の三井本館に本店を移した。受託財産で全国シェア3割を占める三井信託は、戦前日本の長期資金供給システムの中核に位置を占めた。金銭信託を主力とし、日本興業銀行と並ぶ長期資金の担い手として電力・私鉄への資金供給を支えた時期である。戦前の信託会社で三井信託だけが突出した規模を持っていた。

参考文献
  • 日本会社史総覧 1995/11/1

住友財閥資本の参入と戦時統制下の7社存続

1925年7月に住友信託が住友吉左衛門ら住友関係者の資本を中心に創立され、9月に開業した。金銭信託を資金源に長期設備資金の貸付・社債投資を行い、1932年には国債引受シンジケート団に加入して起債市場にも足場を築いた。担保付社債信託の受託と債券引受の双方で高いシェアを取り、三井・住友の2大財閥系信託が戦前の信託業を牽引した。住友信託は関西経済を地盤とする財閥系信託として、関東を地盤とする三井信託と並ぶ戦前の信託業界の2大勢力となる。後発ながら住友財閥の資本力で規模を伸ばし、三井信託と肩を並べる位置まで成長した。両行を通じた戦前期に、長期金融機関としての地位が固まった。

1927年の金融恐慌では、信託会社は金銭信託の期間が最短2年という制限が幸いし、取り付け騒ぎの圏外にあった。1934〜36年には戦前信託会社の絶頂期が訪れる。1937年の日中戦争以降、戦時統制下のインフレで金銭信託は不振に転じた。1943年の兼営法施行で地方信託の多くは親銀行に吸収されたが、三井・住友をはじめ財閥系大信託は独立を守り、終戦時に7社が存続した。この7社が戦後信託銀行業界の骨格を作る。地方信託が親銀行に吸収されるなかで財閥系大信託が独立を守り抜いた構図は、戦後の信託銀行業界にそのまま引き継がれた。戦前の7社体制が戦後の信託銀行7行体制の原型となり、うち三井と住友が後に統合して最大グループを形成する経路をたどる。

参考文献
  • 日本会社史総覧 1995/11/1

GHQ提案による銀行兼営への転換

敗戦で金銭信託の基盤だった大口資産家が没落し、両行は開業以来の苦境に陥った。1948年、大蔵当局が信託会社の銀行業務兼営を認めると、同年7月に三井信託は財閥色払拭のため東京信託銀行と改称し、8月に普通銀行業務の兼営を始めた。住友信託も同8月に富士信託銀行と改称し、旧資本金2000万円を減資して新資本金5000万円で銀行業務に踏み出した。GHQの財閥解体方針のもとで財閥商号の使用が禁じられ、信託会社は戦前の姿から制度的にいったん切り離された。信託会社から銀行兼営への移行は、戦後の業態の出発点となった。戦前に大口資産家を主な顧客としていた信託会社が、戦後は預金口座を持つ兼営銀行として再出発する形だった。

銀行業務の導入で収益構造が変わった。それまで信託勘定の貸出代わり金は他行の預金口座に振り込まれていたが、自行の預金口座に振り込まれるようになり、低コスト資金の滞留が収益の源泉に転じた。1949年5月、両行ともに東京・大阪両証券取引所へ株式を上場した。信託会社は、信託業法に基づく文字どおりの信託会社から、兼営法のもとで信託業務を兼営する銀行へと業態を切り替えた。銀行業務と信託業務の併営は、後に日本の信託銀行業の基本形として定着する。金銭信託から貸付信託へと主力商品も移り、戦後信託銀行の姿が輪郭を見せ始めた。信託会社から信託銀行への名称変更と業態転換は、ほぼ同時並行で進んだ。

参考文献
  • 日本会社史総覧 1995/11/1

1952年〜1990貸付信託の誕生から土地信託と金融自由化までの拡大

貸付信託法が生んだ長期金融機関の定位

1952年6月、両行は財閥商号使用禁止の解除で三井信託銀行・住友信託銀行の旧名に復帰した。同月には貸付信託法が公布・施行された。貸付信託制度の創設を強く後押しした住友信託が第1号募集を実施し、三井信託も並行して募集を始めた。募集は予想以上に好調で、取扱開始から3年余りで金銭信託・銀行預金の残高をそれぞれ上回った。貸付信託制度は戦後日本の長期資金調達の中心的な仕組みとなり、信託銀行の経営基盤を決定づけた。一般大衆の貯蓄性資金を集め、戦後復興と高度成長を長期資金で下支えする制度基盤として機能する。住友信託が制度創設を強く後押しした経緯もあり、戦後の長期金融制度の設計には信託銀行業界が深く関わった。

集められた資金は電力・鉄鋼などの基幹産業へ長期安定資金として供給された。信託銀行は日本の高度成長のテイクオフを支える長期金融機関として歩み始める。1958年11月には両行とも証券代行業務に着手し、株主名簿管理・名義書換・配当計算といった受託業務が新たな収益源となった。1962年には年金信託業務も始まり、三井信託は適格年金、住友信託は適格退職年金信託第1号を受託した。戦後の信託銀行は貸付信託・証券代行・年金の3つの柱を並行して整え、長期金融機関としての地位を固めた。後の業態の基本形が1960年代前半に作られた。貸付信託と年金信託は戦後信託銀行の2大収益源として長く機能し、証券代行業務と合わせて3本柱を形成する。

参考文献
  • 日本会社史総覧 1995/11/1

不動産業界がトップ融資先に躍り出た1970年代

1960年代以降、信託銀行は不動産関連業務に本腰を入れた。三井信託は1960年頃からデベロッパーに資金・ノウハウを提供し販売協力する販売提携業務を始め、不動産仲介・鑑定も手掛けた。不動産業への貸出は伸び、1972年3月期には総貸出残高に占める不動産業の比率が電力・鉄鋼・化学などの基幹産業を抜いてトップに立った。高度成長末期の信託銀行にとって、不動産は主力融資先へと姿を変えた。基幹産業への長期資金供給から不動産業への貸出へ資金配分が動いた1970年代前半は、後のバブル期の不動産融資拡大の前段にあたる。重厚長大産業の設備投資需要が一段落したあと、信託銀行は新たな融資先として不動産業への傾斜を強めた。

1974年4月にニューヨーク支店、同年8月にロンドン支店が開設され、海外拠点網の整備が始まった。1981年6月には郵便貯金の定額貯金に対抗する収益満期受取型貸付信託「ビッグ」が発売される。貸付信託制度創設以来30年ぶりの新商品として好評を博し、1985年12月には貯蓄性と流動性を併せ持つ新型金銭信託「ヒット」が続いた。金融自由化の波を受けて両行は商品開発で対抗した。郵便貯金に対抗する個人向け長期金融商品の開発は、戦後の信託銀行にとって収益源の多様化につながり、後のファンド関連業務に展開する素地にもなる。海外拠点の整備と並行した国際化の動きでもあった。

参考文献
  • 日本会社史総覧 1995/11/1

本邦第1号の土地信託と金融自由化対応

1984年6月、住友信託は本邦第1号の土地信託を日本パイプ製造から受託した。1986年には国有財産法・地方自治法の改正で土地信託が国公有地にも適用可能となり、住友信託は熊本県から公有地土地信託第1号を受託した。土地信託は、不動産を保有したまま有効活用したい地主・公共団体のニーズに応える新業務として広がった。信託銀行は不動産を担保として取る金融機関から、不動産そのものを設計・運営する受託者へと機能を拡張し始める。戦前からの信託業のDNAに新しい広がりを加える業務だった。公有地土地信託への参入は、信託銀行が公共セクターと新しい関係を築く契機となり、国公有地の有効活用ニーズに応える窓口として機能した。

1985年6月、住友信託は資金・証券・国際部門を一体化し、信託事業・開発不動産事業・総合金融サービス事業の3本柱とする組織改革を実施した。金融・経済の国際化と証券化に対応する体制である。1989年には三井信託がロンドン・パリ両証券取引所、住友信託がロンドン証券取引所にそれぞれ株式を上場した。1988年7月に住信基礎研究所、1993年9月に住信証券と関連会社も拡充された。バブル経済の終盤、信託銀行は商品開発と事業ポートフォリオの両面で拡張に動いた。金融の国際化・証券化が、1980年代の信託銀行の業態を塗り替える流れでもあった。ロンドン・パリへの上場と海外拠点拡張が並行し、資金調達も運用も国際化が進んだ。

参考文献
  • 日本会社史総覧 1995/11/1

1991年〜2019バブル後処理から2011年の三井住友トラスト経営統合まで

2000億円の不良債権償却と不動産融資の後始末

1990年代初頭にバブルが崩壊すると、信託銀行の不動産融資は巨額不良債権に転じた。三井信託は麻布建物や第一コーポレーションなどへの不動産関連融資で大口不良債権が発生し、1994年度に2000億円を償却した。住友信託も1993年4月の金融制度改革法施行とバブル崩壊による不良資産の増加という二重の圧力に直面した。高度成長期に信託銀行を収益の柱に押し上げた不動産融資が、そのまま損失源に転じた。1990年代の長期にわたる不良債権処理は、信託銀行業界全体の経営再編を迫る決定的な要因となり、後の統合再編の引き金にもなる。高度成長期から積み上げてきた不動産融資の失敗が、個別行の問題を超えて業界構造の変化を迫った。

2001年度の連結PLでは経常損失3300億円・純損失2779億円という巨額赤字を記録した。信託銀行各社は統合による再編に進まざるを得なくなり、三井信託銀行は中央信託銀行と合併して中央三井信託銀行となり、さらに中央三井トラスト・ホールディングスの傘下に入った。住友信託銀行も独自路線を選びつつ体制整備を進めた。専業信託銀行の生き残りをかけた再編が2000年代前半に相次ぐ。長期金融機関としての地位は戦後日本の信託銀行の存在理由だったが、バブル崩壊後の経営環境は再編なしには存続を許さないまでに厳しかった。2001年度の巨額赤字は、単年の損失という枠を超え、業界構造の転換を迫る出来事として記録される。

参考文献
  • 日本会社史総覧 1995/11/1
  • 有価証券報告書

2011年統合で誕生した国内最大の専業信託グループ

2008年度にはリーマンショックの直撃を受け、経常損失1169億円・純損失920億円を計上した。バブル崩壊に続く2度目の金融危機であり、信託銀行業界の再編をさらに迫った。リーマンショック後の収益回復は限定的で、マイナス金利の到来とともに専業信託の収益力は長らく抑え込まれる。バブル・リーマンという2つの危機対応を経て、信託銀行業界は再編で規模を確保する方向に進んだ。専業信託の独立路線では収益基盤が支えきれず、規模の経済を確保する統合再編が選択肢として残された格好になる。戦後の信託銀行業界が再編に動く構造的要因が、リーマンショックを経てさらに鮮明になった時期である。

翌2009年度には経常利益834億円まで戻したが、マイナス金利環境下で専業信託銀行の収益拡大は容易ではなかった。生き残りのため、2011年4月、中央三井トラスト・ホールディングスと住友信託銀行は経営統合し、三井住友トラスト・ホールディングスが発足した。国内最大級の専業信託銀行グループの誕生である。2012年4月には中央三井信託銀行、中央三井アセット信託銀行、住友信託銀行の3行が統合されて三井住友信託銀行となった。統合後の経常収益は2011年度に1兆3232億円と統合前の約3倍に膨らみ、FY11の純利益1646億円、FY14の1596億円が統合効果を示した。FY15〜FY19は経常収益1200億〜1500億円台、純利益1200億〜1700億円台で推移し、銀行・アセットマネジメント・信託・不動産の4軸を束ねる運営が固まった。

参考文献
  • 日本会社史総覧 1995/11/1
  • 有価証券報告書

直近の動向と展望

政策保有株式ゼロ方針とプロダクト与信シフト

2020年6月に社長に就任した高倉透は、PBR向上とROE10%以上の達成を中期経営計画の柱に据えた。2021年5月に政策保有株式ゼロ保有方針を公表し、国内金融機関として先行する形で削減を進めた。2023〜25年度の3年間で取得原価1500億円の削減目標を掲げたが、株価・物価上昇を活用して削減を早め、2024年度に目標を1年前倒しで達成する見通しとなった。2024年3月末の売却済・売却合意先は58%、継続対話先は39%に到達した。国内金融機関として先行して政策保有株式の削減に踏み込んだ姿勢は、機関投資家や海外投資家からのESG・ガバナンス評価を高める要因にもなった。日本の他の金融機関に先駆けた判断が、後に国内の標準的な対応を引き上げる方向に機能する。

資本効率改革はB/S構造の入替にも及んだ。コーポレート与信から利の厚いプロダクト与信へのシフトが進み、2024年度上期はコーポレート貸出残高の減少が先行してRWAが圧縮された。2024年度通期の経常利益は3676億円、親会社株主純利益は2576億円となり、マイナス金利解除後の金利上昇も取り込んで回復した。中期経営計画の主要KPIは1年前倒しで達成した。マイナス金利解除後の金利上昇と政策保有株式の売却益が同時に寄与する環境を捉え、高倉体制の中期計画は想定を上回る速度で実現に近づいた。長期にわたる停滞からの脱却が数字として示されたかたちになる。マイナス金利時代の受動的な運用から能動的なB/Sマネジメントへ、経営の姿勢そのものが切り替わる転換点でもあった。

参考文献
  • 有価証券報告書
  • 決算説明会 FY2023
  • 決算説明会 FY2024-2Q
  • 決算説明会 FY2024
  • ITmediaエグゼクティブ 2026/1/28

プライベートアセット民主化と事業ポートフォリオ入替

成長領域として、プライベートアセットの民主化とインパクトエクイティ投資が据えられた。国内総合型インフラファンドは2023年度に第1号を組成し、2024年度に第2号、2030年度までに第3号へと広げる計画である。2024年10月には個人投資家向け新型金銭信託「フューチャートラスト」の提供を開始し、元本補てん型の信託商品を通じてプライベートアセット投資の裾野を広げる取り組みに踏み出した。米Apolloグループが運営するオルタナティブアセットポートフォリオへの投資も続く。戦後の長期資金供給機関として出発した信託銀行の業態が、2020年代には個人向け運用商品の設計者としても機能する方向に広がっている。

事業ポートフォリオの入替も実行段階に入った。2024年11月、子会社の三井住友トラスト・ローン&ファイナンスの持分85%をコンコルディア・フィナンシャルグループへ売却し共同事業化、2025年4月には北米貨車リース事業の株式譲渡契約を締結した。高倉は「政策保有株式の売却益がなくなった後も、持続的な利益成長を実現するために、様々な投資を行うことを決断した」(決算説明会 FY2024)と述べ、売却益依存からの脱却を強調した。2025年就任の大山一也は「毎年物価が2%から3%上がっている状況では、預金の実質的な価値が同程度目減りしていく、ということをもっと世の中に訴えたい」(ITmediaエグゼクティブ 2026/1/28)と述べ、インフレ下の資産形成を対外発信の柱に据えた。預金中心の家計資産を運用・信託型商品へ移す長期テーマが、次期経営の基軸となる。

参考文献
  • 有価証券報告書
  • 決算説明会 FY2023
  • 決算説明会 FY2024-2Q
  • 決算説明会 FY2024
  • ITmediaエグゼクティブ 2026/1/28

歴史的証言

政策保有株式の売却益がなくなった後も、持続的な利益成長を実現するために、様々な投資を行うことを決断した

高倉透(社長)

決算説明会 FY2024

毎年物価が2%から3%上がっている状況では、預金の実質的な価値が同程度目減りしていく、ということをもっと世の中に訴えたい

大山一也(社長)

ITmediaエグゼクティブ 2026/1/28

参考文献・出所

有価証券報告書
日本会社史総覧 1995/11/1
決算説明会 FY2024
決算説明会 FY2023
決算説明会 FY2024-2Q
ITmediaエグゼクティブ 2026/1/28
日本会社史総覧
ITmediaエグゼクティブ