目黒蒲田電鉄の設立
関西における阪急電鉄による「鉄道が乗客を創造する」という成功を受けて、鉄道関係者であった五島慶太は起業を決意。関東では誰もチャレンジしていたなかった郊外電鉄に着目し、目黒蒲田電鉄(東急)を起業する
東急目蒲線の全通
目黒〜田園調布〜蒲田に至る鉄道路線を開業させ、東京における郊外電鉄事業に参入した。なお、開通直後に関東大震災が勃発し、郊外における移住がブームになったことから沿線人口が増加し、創業当初から好業績を達成した。
東急東横線の全通
渋谷〜田園調布〜横浜〜桜木町に至る東横線を全通させ、東京と横浜における基幹輸送を達成する。最後に開業したのが桜木町駅であり、当時、横浜最大の繁華街であった伊勢佐木までのアクセスが容易となり、東急の業績は飛躍的に向上する。