1923年〜 観光私鉄として開業し戦時統合で消えた小田急の名
- 1923年 小田原急行鉄道を設立
- 1927年 小田原線(新宿〜小田原間)開通
- 1940年 帝都電鉄を合併
- 1941年 鬼怒川水力電気と合併し小田急電鉄に商号変更
- 1942年 東京横浜電鉄・京浜電気鉄道と合併し東京急行電鉄に商号変更
- 1948年 東京急行電鉄から分離し小田急電鉄を再設立
- 1949年 箱根登山鉄道・神奈川中央乗合自動車の株式取得と西武との「箱根山戦争」 独占か共存か——箱根の観光需要をめぐる西武との攻防は、1968年の決着から半世紀を経てどう形を変えたか
無人の原野に82.5kmを通した観光私鉄
1923年5月に利光鶴松らが小田原急行鉄道を資本金1350万円で設立した直後、関東大震災が建設計画を直撃した。それでも1927年4月に新宿から小田原までの82.5kmを全線一挙に開業し、当時の日本最長の電気鉄道となった。発起人の利光鶴松は起業目論見書で「最近、小田原・箱根〜東京の輸送はますます頻繁となり、国鉄がいかに輸送力を増強したとしても、この混雑を緩和するのは難しい」(起業目論見書 1923/02)と述べ、東海道本線の混雑緩和と所要時間短縮を訴えた。1929年4月には相模大野から片瀬江ノ島までの江ノ島線を開通させ、湘南海岸への行楽輸送に乗り出した。発起時の構想は箱根・湘南観光と東京近郊輸送の両取りにあった。 [1][2][3][4][5]
- 小田急電鉄 有価証券報告書【沿革】
- [1]1923年5月 利光鶴松らが小田原急行鉄道を資本金1,350万円で設立
- [2]設立時資本金は1,350万円
- [3]1927年4月 小田原線(新宿〜小田原)82.5kmを全線一挙開業・当時の日本最長の電気鉄道
- [5]1929年4月 江ノ島線(相模大野〜片瀬江ノ島)開通
- 起業目論見書(1923年2月)
- [4]利光鶴松の起業目論見書(1923/02)の引用
しかし沿線の多くは未開発の原野で、観光私鉄としての離陸は容易ではなかった。1926年6月のダイヤモンド誌は新宿から登戸までを除けば「大部分は無人の原野である」(ダイヤモンド 1926/06)と書き、阪急電鉄が1割2分の配当に達するまで20年を要した経過と引き比べた。実際1929年4月の読売新聞は「江ノ島線の開業によって資本金が増加したにも関わらず、収入は増加せず、いよいよ経営難に陥った」(読売新聞 1929/04/12)と報じ、5分の配当も土地評価益でかろうじて捻出していた状況を伝えた。鉄道省への補助金追加申請と、世論の反発で頓挫した2割の運賃値上げ計画は、創業期の小田急が観光私鉄として描いた構想を、需要不足が押し戻した姿である。 [6][7]
- [6]1926年6月ダイヤモンド誌『大部分は無人の原野である』の引用
- 読売新聞(1929年4月12日)
- [7]1929年4月12日読売新聞『江ノ島線の開業…いよいよ経営難に陥った』の引用
- 小田急電鉄 有価証券報告書【沿革】
- [1]1923年5月 利光鶴松らが小田原急行鉄道を資本金1,350万円で設立
- [2]設立時資本金は1,350万円
- [3]1927年4月 小田原線(新宿〜小田原)82.5kmを全線一挙開業・当時の日本最長の電気鉄道
- [5]1929年4月 江ノ島線(相模大野〜片瀬江ノ島)開通
- 起業目論見書(1923年2月)
- [4]利光鶴松の起業目論見書(1923/02)の引用
- [6]1926年6月ダイヤモンド誌『大部分は無人の原野である』の引用
- 読売新聞(1929年4月12日)
- [7]1929年4月12日読売新聞『江ノ島線の開業…いよいよ経営難に陥った』の引用
戦時統合と6年間にわたる小田急の名の空白
1939年5月のダイヤモンド誌は「運賃収入は、約180万円となり、前年同期と比べ33.3%の増収を記録した」(ダイヤモンド 1939/05)と報じ、座間付近への軍関係施設の進出を主因に挙げた。皮肉にも、創業期の経営難を脱したきっかけは沿線の軍需化だった。1940年5月に井の頭線を運営する帝都電鉄を合併し、1941年3月には鬼怒川水力電気との合併で社名を小田急電鉄に変更した。だが1942年5月、陸上交通事業調整法に基づき東京横浜電鉄・京浜電気鉄道との3社合併で東京急行電鉄に吸収された。京王・京急とともに東急の傘下に置かれた大東急体制の発足である。観光客を呼ぶための私鉄が、戦時の輸送統合のなかで首都圏西部の通勤輸送を担う巨大組織へと組み替えられ、独自経営の余地は奪われた。 [8][9][10][11]
- [8]1939年5月ダイヤモンド誌『運賃収入は約180万円…前年同期比33.3%増収』の引用
- 小田急電鉄 有価証券報告書【沿革】
- [9]1940年5月 帝都電鉄(井の頭線)を合併
- [10]1941年3月 鬼怒川水力電気と合併し社名を小田急電鉄に変更
- [11]1942年5月 陸上交通事業調整法に基づき東京横浜電鉄・京浜電気鉄道との3社合併で東京急行電鉄(大東急)に統合
1944年5月には京王電気軌道も加わり、首都圏西部の私鉄網は1社に集約された。創業から19年で小田急の名は地図から消え、復活までさらに6年を要した。終戦後、空襲で甚大な被害を受けた旧小田急の路線復旧を一企業で賄う体力は東急にはなく、旧小田急従業員のあいだから分離独立を求める声が高まった。1948年6月1日に資本金1億円で再設立された小田急電鉄は、戦前の小田原急行鉄道とは法人格の異なる新会社として発足している。京王帝都電鉄・京浜急行電鉄も同時に独立し、大東急は解体された。再独立直後の1949年2月には神奈川中央乗合自動車と箱根登山鉄道の株式を取得し、沿線バス網と箱根観光の中核を一挙に押さえた。同年5月の東京証券取引所上場と、銀座タクシー・箱根観光船・武蔵野乗合自動車・江ノ島鎌倉観光と続く出資が、戦後の小田急グループの骨格を形作った。 [12][13][14][15][16]
- 小田急電鉄 有価証券報告書【沿革】
- [12]1944年5月 京王電気軌道も大東急に合併・首都圏西部私鉄が1社に集約
- [14]1948年6月 京王帝都電鉄・京浜急行電鉄も同時に独立し大東急が解体
- [15]1949年2月 神奈川中央乗合自動車・箱根登山鉄道の株式取得
- [16]1949年5月 東京証券取引所に上場
- [13]1948年6月1日 資本金1億円で小田急電鉄を再設立・戦前の小田原急行鉄道とは別法人として発足
- [8]1939年5月ダイヤモンド誌『運賃収入は約180万円…前年同期比33.3%増収』の引用
- 小田急電鉄 有価証券報告書【沿革】
- [9]1940年5月 帝都電鉄(井の頭線)を合併
- [10]1941年3月 鬼怒川水力電気と合併し社名を小田急電鉄に変更
- [11]1942年5月 陸上交通事業調整法に基づき東京横浜電鉄・京浜電気鉄道との3社合併で東京急行電鉄(大東急)に統合
- [12]1944年5月 京王電気軌道も大東急に合併・首都圏西部私鉄が1社に集約
- [14]1948年6月 京王帝都電鉄・京浜急行電鉄も同時に独立し大東急が解体
- [15]1949年2月 神奈川中央乗合自動車・箱根登山鉄道の株式取得
- [16]1949年5月 東京証券取引所に上場
- [13]1948年6月1日 資本金1億円で小田急電鉄を再設立・戦前の小田原急行鉄道とは別法人として発足