【筆者所感】 京王の名は「東京」と「八王子」の頭文字に由来する。1910年に路面電車として出発した京王電気軌道は、建設資金の調達難から森村財閥の融資系列に入り、井上篤太郎の経営参加によって新宿から八王子への直通運転を1928年に実現した。戦時統合で東京急行電鉄に4年間吸収されたのち、1948年6月に京王帝都電鉄として再独立し、新宿発の京王線と渋谷発の井の頭線という性格の異なる二路線を基盤に沿線開発を進めた。新宿と渋谷という日本有数の二大ターミナルを抱える二路線型の構造は、戦後復興期に原型ができたものであり、現在もなお京王の経営の枠組みを規定している。郊外放射と都市内横断の組み合わせを持つ私鉄は限られ、この個性が沿線戦略の選択肢を広げてきた。
2021年3月期に新型コロナ禍で創業以来初の経常赤字180億円を計上した京王は、鉄道旅客がコロナ前比でおよそ14%減という構造変化を受け、賃貸中心だった不動産事業を販売とファンドビジネスへと舵を切り直した。2025年3月期には不動産業の営業利益が182億円とコロナ前のおよそ2倍に達し、利益構造の転換が数値の表面に現れている。2030年代には新宿駅西南口の再開発と、笹塚から仙川までの連続立体交差事業(踏切25カ所の廃止)という二大投資が控える。総資産利益率が4%を切る保有不動産はオフバランスする方針で、自己資本利益率7〜8%を投資ピーク期にも維持できるかどうかが、次の10年の経営を左右する試金石となる。
歴史概略
1910年〜1947年路面電車としての出発と大東急時代の四年間
玉南電気鉄道合併で骨格を得た新宿〜八王子
1910年9月、京王電気軌道は資本金125万円で設立された。新宿から八王子への電気鉄道を構想していたが、軌道条例に基づく路面電車として東京府の認可を受けての開業を選んだ。1913年4月に笹塚から調布までの約12キロの区間で電車営業を始め、同時に新宿から笹塚まで、そして調布から国分寺までの区間で路線バスも走らせている。鉄道とバスの併走は、沿線の交通需要がまだ乏しい時期に面的なネットワークを敷くことで広く集客を図ろうとする独自の判断であった。都心と郊外を結ぶ幹線鉄道としての地位はまだ得ておらず、開業当初は都心側の起点も新宿駅前ではなく追分にとどまる、極めて慎ましい滑り出しだった。郊外への人口移動の波を、京王はまだ一事業者として遠くから眺めていた段階にすぎない。
建設資金の調達に窮した京王電気軌道は、ほどなく森村財閥の融資系列に入った。1914年、富士瓦斯紡績の井上篤太郎が専務取締役に就任し、資金繰りを安定させながら路線延伸を進め、1928年に初代の取締役社長となった。同年5月には新宿から東八王子までの直通運転を開始した。府中から東八王子までの区間は、関連会社の玉南電気鉄道が1925年にすでに開業しており、1926年に京王が玉南を合併することで八王子方面への路線を取り込んだ。現在の京王線の骨格は、自前の路線延伸ではなく、関連会社の合併で得られたものだ。八王子方面への進出を急いだ井上の判断が、後年の路線網の土台を形づくったといえる。
- 有価証券報告書
- 京王電鉄 公式サイト「前史(1910〜1948)」
戦時統合に取り込まれた井の頭線の素地
1933年に渋谷から井ノ頭公園までの区間で帝都電鉄が開業し、1934年4月に渋谷から吉祥寺までの全線が開通した。この路線は戦時統合を経て京王帝都電鉄に承継され、京王の二大路線の一つを担う存在となっている。京王線が新宿から八王子へ向かう郊外放射路線であるのに対し、井の頭線は渋谷から吉祥寺へと、山手線南西部と中央線を短絡する横断路線の性格を持つ。性格の異なる二路線を抱える構造は、京王が戦後に再独立する以前の戦前段階から潜在的に用意されていた。郊外放射と都市内横断の二つを併せ持つ私鉄は限られており、この組み合わせがのちの沿線戦略における選択肢を広げる素地となった。鉄道史のうえでも、二つの異質な旅客流動を一社で受け持つ会社は独自の存在感を放ってきた。
1944年5月、陸上交通事業調整法により京王電気軌道は東京急行電鉄に吸収合併されている。小田急電鉄や京浜急行電鉄とともに大東急体制に組み込まれ、井上篤太郎は東急相談役の立場に退いた。戦後、旧京王の従業員を中心に分離独立の機運が高まり、1948年6月に東急から分離する形で京王帝都電鉄が資本金5千万円で設立された。京王線と井の頭線、そしてバス3営業所を引き継ぐ形での再出発である。社名に残った「帝都」の二文字は大東急時代の東京急行電鉄に由来するもので、半世紀後の1998年まで使われ続けた。戦後の小田急・京急・京王の三社独立は、日本の私鉄史のうえでも節目とされる出来事である。
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- 京王電鉄 公式サイト「前史(1910〜1948)」
1948年〜1997年新宿ターミナルの百貨店・ホテルと多摩への複々線化
新宿西口に出現した日本初の超高層ホテル
1949年5月に東京証券取引所に上場し、京王帝都電鉄は戦後復興期の成長軌道に本格的に乗った。1955年に不動産業の営業を始め、沿線の宅地開発にも踏み出している。1961年には京王百貨店を設立し、新宿駅直結の百貨店として流通業セグメントの中核に据えた。新宿という日本最大のターミナル立地が強みで、流通業の売上高は2010年3月期に1,704億円、営業利益47億円を計上している。戦後の鉄道会社が沿線とターミナルを一体で運営する経営モデルを、京王もまた忠実に踏襲した時期にあたり、運賃収入だけに頼らない収益基盤の準備が、地味なかたちで一歩ずつ積み重ねられていった。鉄道事業単独では稼ぎにくい時代を見越した、多角化の助走期だったといえる。
1967年に高尾線の北野から高尾山口までの区間が開通し、高尾山への観光アクセスを得た。高尾山はミシュラン・グリーンガイドで三つ星の評価を受ける観光地であり、京王にとって沿線で最大の観光資源となっている。1969年には京王プラザホテルを設立し、新宿西口に1971年6月、47階建ての日本初の超高層ホテルを開業した。新宿副都心の開発を引き寄せる役割を担い、後の高層ビル群の先陣を切った建物である。鉄道ターミナルでの百貨店とホテル、沿線での不動産と観光という事業構造は、1960年代後半に原型を持った。鉄道単独では稼ぎにくい時代を見越した多角化の柱が、ここで揃ったといってよい。
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都営新宿線直通で多摩〜都心が一本に
1978年10月、新宿から笹塚までの区間に京王新線が開通し、複々線化を実現した。新宿駅の地下に新たな路線を建設するこの大規模な工事は、都営地下鉄新宿線との相互乗り入れを見据えた先行投資の性格も併せ持っていた。1980年3月には都営新宿線との相互乗り入れが始まり、京王線の利用者は新宿から先の岩本町・馬喰横山方面へと、乗り換えなしの直通で向かえるようになった。都心への直通ルートの確保は沿線の通勤利便性を引き上げ、多摩地域からの旅客需要を支える経営の土台ともなった。京王の路線が新宿の先の山手線内まで直接つながったことで、沿線の価値は次の段階へと一段引き上げられた。多摩ニュータウンの急速な拡大と歩調を合わせる動きでもあった。
1990年3月に相模原線の南大沢から橋本までの区間が開通し、調布から橋本までの全線が通じた。多摩ニュータウンへのアクセス路線として、沿線人口の増加を支える主要な役割を担った。セグメント別にみると、2019年3月期は運輸業が売上高1,299億円・営業利益147億円、不動産業が472億円・94億円、レジャー・サービス業が762億円・70億円で、運輸業を主力としつつ不動産とレジャー・サービスがそれぞれ利益を稼ぐ多角的な収益構造に到達している。1998年7月、社名を京王帝都電鉄から京王電鉄へと改めた。大東急時代の名残である「帝都」の二文字を、ようやく半世紀ぶりに社名から外した形であり、戦時統合の最後の痕跡をようやく整理した節目でもある。
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1998年〜2020年リビタ買収とホテル全国展開で築いた三本柱
新築依存から既存ストック活用への静かな転換
2000年代以降、京王は不動産事業の拡張を継続して進めた。沿線での賃貸・分譲に加え、2012年1月にはリノベーション事業を手がけるリビタの株式を取得して子会社化している。中古住宅のリノベーション分野への参入は、新築供給が頭打ちとなるなか、沿線の既存住宅ストックを再活用しようとする戦略的な一手であった。不動産業の営業利益は2010年3月期の91億円から2019年3月期の94億円まで高い水準で推移し、利益率の高さが際立つセグメントとして京王の事業内で重要な位置を占めるようになっている。沿線の成熟化に合わせた事業の組み替えが、目立たないかたちで一歩ずつ進んでいった時期にあたり、新築一辺倒から既存ストック活用への発想の転換が、ここで具体的な事業として形を持った。
不動産事業の強みは、沿線の駅前再開発や賃貸ビルの長期保有による安定した賃料収入にあった。京王プラザホテルをはじめとする保有資産の含み益も積み上がり、貸借対照表上の評価益は企業価値評価でも無視できない規模となった。2010年代を通じて、京王の財務指標は私鉄のなかでも保守的な水準に保たれ、無理のない事業ポートフォリオを維持した。投資余力を確保しながら次の大型投資に備える経営姿勢は、複々線化や都市計画事業の経験を持つ大手私鉄に共通する性格でもある。新築住宅依存から既存ストック活用への転換が、地味なかたちで進んだ。不動産が京王の利益構造を下支えする下地は、この10年でできた。
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観光都市進出で得た第三の柱としてのホテル
レジャー・サービス業では京王プラザホテルを核にホテル事業を拡張した。2017年に京王プレリアホテル京都を設立し、2018年には京王プレリアホテル札幌を設立して、沿線外の観光都市へ次々と進出している。2020年には高山グリーンホテルの株式を取得し、飛騨高山という地方観光地のホテルにまで事業領域を伸ばした。レジャー・サービス業の売上高は2019年3月期に762億円、営業利益70億円となり、ホテル事業が鉄道と不動産に次ぐ第三の柱として存在感を増した時期にあたる。沿線型の鉄道会社が広域観光地のホテルに資本を投じる動きは、私鉄ホテル事業の典型的な進化形でもあり、多角化の柱をもう一段強化しようという経営の意図がそこから読み取れる動きであった。
コロナ前の京王は、運輸業・不動産業・レジャー・サービス業の三本柱で安定した収益構造を構築していた。鉄道は劇的な成長こそ望めないものの安定した収益源、不動産は利益率の高い柱として成長余地を残し、ホテルは観光需要の拡大を取り込んで売上を伸ばしている。連結の自己資本利益率は5%台を維持し、有利子負債も過度に膨張することなく、財務の安定性は保たれていた。しかし2020年からの新型コロナ感染症の流行は、こうした三本柱の構造を揺さぶる衝撃として京王を襲い、経営のあり方そのものを問い直す新しい時期へと突入した。沿線人口の自然な増加と通勤需要の継続を前提としてきた経営の前提は、ここで一度根底から揺さぶられた。
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直近の動向と展望
コロナ赤字180億円が促した不動産販売・ファンド転換
2021年3月期、新型コロナ感染症の流行により連結営業収益は3,154億円と前年比27%の減少、経常損益は▲180億円、純損失は▲275億円と、京王は創業以来初の大幅赤字を計上した。運輸業は865億円の売上に対して営業損失▲164億円、レジャー・サービス業は226億円に対して▲193億円と、鉄道とホテルが同時に赤字へと転落している。一方で不動産業は売上高453億円・営業利益104億円を確保し、コロナ禍のなかでも利益を出し続けた。決算説明会では鉄道輸送人員がコロナ前比で14%減、通勤定期で22%減にとどまり、完全な回復は見込めないとの認識が示されている。沿線型の私鉄が前提としてきた通勤需要そのものが、ここで構造的に細る道筋がはっきり見えた。
この構造変化を受けて、京王は不動産事業のポートフォリオ拡大に動いた。賃貸中心から販売業とファンドビジネスへの転換を図り、約50億円規模の一号ファンドを組成して自社資産のオフバランス化を始めた。2024年7月には商業施設運営事業を京王エスシークリエイションに承継し、事業ごとの収益管理体制も整えた。2025年3月期の不動産業は売上高882億円・営業利益182億円と、コロナ前のおよそ2倍の利益水準に到達した。「これまで賃貸が中心だったが、金利動向を踏まえると今後も固定資産を持ち続けては資本効率が悪くなってしまう」(日本経済新聞 2025/5/25)と都村智史社長が語るとおり、保有不動産は総資産利益率が4%を切ればオフバランスする方針も示している。
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- 決算説明会 FY23
- 京王電鉄 中期経営計画「HIRAKU2030」
- 日本経済新聞 2025/5/25
投資ピーク期に自己資本利益率7〜8%を維持できるか
2025年5月、京王は6カ年の中期経営計画「HIRAKU2030」を策定した。新宿駅西南口の再開発と、笹塚から仙川までのおよそ7キロにわたる連続立体交差事業(踏切25カ所の廃止)が柱で、2030年代に投資のピークを迎える計画である。新宿再開発では自社ブランドの五つ星ホテルの開業も計画されているが、「資材価格が高騰し、施工事業者を確保しづらくなっている」(日本経済新聞 2025/5/25)との社長発言があり、工期は現時点で未定にとどまっている。決算説明会では投資ピーク期に自己資本利益率7〜8%を維持することが前提条件として示され、ホテル業や不動産業の営業キャッシュフローの拡大が鍵となるとの経営認識が語られた。
鉄道事業では、保守管理のデジタル化による状態基準保全の推進と、ホームドア・定位置停止装置の整備による将来的なワンマン運転の検討が進んでいる。「鉄道事業は投資がかかる装置産業だ」(日本経済新聞 2025/5/25)と都村社長は位置づけたうえで、「鉄道会社の未来は暗くない」(日本経済新聞 2025/5/25)と強調した。鉄道需要が劇的に戻る想定は置かず、質を落とさず要員効率を高めることで生産性を引き上げ、2030年代以降の人口減少局面に備える方針である。2025年3月期の連結営業収益は4,529億円・経常利益533億円と過去最高を更新したが、有利子負債は4,469億円に達し、二大投資を支える資金調達の設計が次期中計の核心となる。
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- 決算説明会 FY23
- 京王電鉄 中期経営計画「HIRAKU2030」
- 日本経済新聞 2025/5/25