1984年〜 寿司屋発の100円均一回転寿司モデル確立と東証2部上場
- 1984年 すし太郎を設立し1号店を出店
- 1991年 直営店主体に切り替え往復ベルトコンベア方式の第1号店を出店
- 1995年 加工場を宝塚安倉店隣接地に併設
- 1996年 兵庫県宝塚市・高司店での1皿100円均一の開始と均一価格業態への移行 寿司屋を出自とする会社が、なぜ「安かろう悪かろう」と見られていた100円寿司の側へ自ら踏み込んだか
- 1999年 同名他社と合併し事業基盤を統合
- 2000年 商号をあきんどスシローに変更し本社を移転
- 2003年 東京証券取引所市場第二部に上場
清水兄弟が始めた寿司屋業態の店舗化
1984年10月、清水義雄氏は大阪府豊中市に株式会社すし太郎を設立[1]し、店名「すし太郎」として豊中市に1号店を出店した[2]。創業者の清水義雄氏は寿司職人出身で、回転寿司業界では珍しく寿司屋にルーツを持つ事業者として出発した。第3代社長の豊崎賢一氏は後年、スシローは回転寿司チェーン[3]のなかで唯一、寿司屋にルーツを持つ会社だと述べ、職人技から始まった出自を会社のアイデンティティに据えた。先行する回転寿司チェーンが多店舗展開を進めていた市場へ後発で参入したすし太郎は、寿司の品質を差別化軸に据える必要があった。
- 有価証券報告書
- [1]1984年10月、株式会社すし太郎を大阪府豊中市に設立し1号店を出店
- [2]創業者は清水義雄氏(寿司職人出身)
- [3]第3代社長は豊崎賢一氏(スシローは回転寿司チェーンで唯一寿司屋にルーツを持つ会社と発言)
1991年10月、すし太郎は出店方針を直営店主体に切り替え、神戸市須磨区落合に往復ベルトコンベア方式の第1号店となる落合店を出店した[4]。直営店主体への切り替えで、店舗運営の品質を本社が直接管理する体制に移行した。1995年12月には宝塚安倉店隣接地に加工場を併設し[5]、店舗バックヤードに依存しない集中加工の仕組みを整えた。この加工場併設の判断は、後年の都市型店舗の展開と店舗内オペレーションの簡素化を可能にする前提条件となった。直営化と集中加工という2つの選択で、すし太郎は寿司屋出身の小規模チェーンから多店舗運営型の事業者への組織的な転換を1990年代前半に進めた。
- 有価証券報告書
- [4]1991年10月、直営店主体に切り替え、神戸市須磨区落合に往復ベルトコンベア方式の第1号店(落合店)を出店
- [5]1995年12月、宝塚安倉店隣接地に加工場を併設
- 有価証券報告書
- [1]1984年10月、株式会社すし太郎を大阪府豊中市に設立し1号店を出店
- [2]創業者は清水義雄氏(寿司職人出身)
- [4]1991年10月、直営店主体に切り替え、神戸市須磨区落合に往復ベルトコンベア方式の第1号店(落合店)を出店
- [5]1995年12月、宝塚安倉店隣接地に加工場を併設
- [3]第3代社長は豊崎賢一氏(スシローは回転寿司チェーンで唯一寿司屋にルーツを持つ会社と発言)
1皿100円均一・高司店と「あきんどスシロー」への商号変更
1996年9月、すし太郎は1皿100円均一の第1号店「高司店」を兵庫県宝塚市に出店した[6]。回転寿司業界で「安かろう悪かろう」の代名詞と見られていた100円寿司の領域に、寿司屋出身の事業者として品質を伴う形で参入する経営判断だった。豊崎賢一氏は2014年の取材で、回転寿司の評価が低く安かろう悪かろうの代名詞と見られていた当時を振り返り[7]、100円均一という価格訴求と寿司屋の職人品質を両立させる経営判断の難しさを示した。1999年8月には清水義雄氏の実弟・清水豊氏が代表取締役を務める同名のすし太郎社と合併し[8]、清水兄弟による経営を1社に統合した。
- 有価証券報告書
- [6]1996年9月、1皿100円均一の第1号店「高司店」を兵庫県宝塚市に出店
- [8]1999年8月、清水豊氏が代表を務める同名のすし太郎社と合併
- [7]豊崎賢一氏が2014年取材で「安かろう悪かろう」の代名詞と見られていた当時を振り返った
2000年12月、商号を株式会社あきんどスシロー(旧)に変更し、大阪府摂津市鶴野に本社を移転、新加工場・倉庫を本社内に統合併設[9]した。「すし太郎」から「あきんどスシロー」への商号変更は、寿司屋から商人(あきんど)の名を冠する事業者への自己定義の切り替えで、100円均一を恒常的な業態として確立する意思表示にあたる。2001年9月には東京都葛飾区・福生市に出店して関東エリアに進出し、[10]2002年7月には名古屋市熱田区に出店して中部エリアに進出した。[11]創業地・関西から関東・中部への展開を2年で実現し、全国チェーンとしての店舗網を順次広げた。2003年9月には東京証券取引所市場第二部に株式を上場し、創業から19[12]年で上場企業の地位に到達した。
- 有価証券報告書
- [9]2000年12月、商号を株式会社あきんどスシローに変更し本社を摂津市鶴野へ移転(新加工場・倉庫を本社内に統合併設)
- [10]2001年9月、東京都葛飾区・福生市に出店し関東エリアへ進出
- [11]2002年7月、名古屋市熱田区に出店し中部エリアへ進出
- [12]2003年9月、東京証券取引所市場第二部に上場(創業から19年)
- 有価証券報告書
- [6]1996年9月、1皿100円均一の第1号店「高司店」を兵庫県宝塚市に出店
- [8]1999年8月、清水豊氏が代表を務める同名のすし太郎社と合併
- [9]2000年12月、商号を株式会社あきんどスシローに変更し本社を摂津市鶴野へ移転(新加工場・倉庫を本社内に統合併設)
- [10]2001年9月、東京都葛飾区・福生市に出店し関東エリアへ進出
- [11]2002年7月、名古屋市熱田区に出店し中部エリアへ進出
- [12]2003年9月、東京証券取引所市場第二部に上場(創業から19年)
- [7]豊崎賢一氏が2014年取材で「安かろう悪かろう」の代名詞と見られていた当時を振り返った
東証2部上場と摂津から吹田への本社機能集約
2003年11月、関東エリアの配送業務を外部へ委託し[13]、自社配送網を抱える発想から外部物流活用の発想へ切り替えた。翌2004年2月には本社内の加工場を全面廃止し[14]、生鮮素材の仕込みを各エリアの加工拠点に分散させた。中央集権型の加工から分散型加工への切り替えで、関東・中部・九州など出店エリアの拡大に伴って物流距離を短縮する設計に踏み込んだ。2005年2月には大阪府吹田市に本社機能を移転し、[15]2006年4月には本店登記も吹田市に移した。[16]摂津市から吹田市への本社移転で、大阪都心への近接性を確保し、人材採用と取引先対応の効率を上げた。
- 有価証券報告書
- [13]2003年11月、関東エリアの配送業務を外部へ委託
- [14]2004年2月、本社内の加工場を全面廃止
- [15]2005年2月、大阪府吹田市に本社機能を移転
- [16]2006年4月、本店登記を吹田市に移転
上場後の2003年9月期から2008年9月期にかけて、あきんどスシローは全国エリアへの店舗展開を続けた。2006年4月、創業者の清水義雄氏は社長を退任し[17]、矢三圭史氏が2代目社長に就任した。創業者から雇われ経営者への初の世代交代で、寿司職人出身の創業者から店舗運営型の経営者へ社長像が切り替わった。2003年の東証2部上場と2006年の社長交代は[18]、清水義雄氏が個人で創業した寿司屋の延長として始まった事業を、市場で資金調達しながら全国展開する企業形態へ移す過渡期にあたる。次の節目は、2008年の投資ファンドによる買収と非公開化となる。
- 有価証券報告書
- [17]2006年4月、創業者の清水義雄氏が社長を退任し矢三圭史氏が2代目社長に就任
- [18]2003年の東証2部上場と2006年の社長交代が事業形態の過渡期にあたる(上場2003年9月・社長交代2006年4月)
- 有価証券報告書
- [13]2003年11月、関東エリアの配送業務を外部へ委託
- [14]2004年2月、本社内の加工場を全面廃止
- [15]2005年2月、大阪府吹田市に本社機能を移転
- [16]2006年4月、本店登記を吹田市に移転
- [17]2006年4月、創業者の清水義雄氏が社長を退任し矢三圭史氏が2代目社長に就任
- [18]2003年の東証2部上場と2006年の社長交代が事業形態の過渡期にあたる(上場2003年9月・社長交代2006年4月)