サイゼリヤ の歴史

創業者・正垣泰彦氏と本八幡の1号店

更新:

創業

1967年

創業者

正垣泰彦

創業地

千葉県市川市

直近売上高(2025/8)

2,567億円

長期業績と転換点(1997/8〜2026/8)
売上高(億円純利益率(%)
Q なぜ1975年頃、物理学出身の正垣泰彦氏は料理の改良ではなく全メニューの値下げで集客を立て直したのか
A 客が来ない原因を物理学の発想で原因と結果に切り分けると、立地と料理人の腕という二つの変数は動かせず、残る変数は価格だけだった。ゆえに味の改良ではなく値下げが唯一の打ち手になる。開業から約5年、青果店2階の店は1日の売上高が3万円前後にとどまり給与もほぼ出なかった。正垣泰彦氏は1975年頃に全メニューを6〜7割引へ下げ、スパゲティが400〜600円の時代に「ミラノ風ドリア」を304円で出して繁盛店へ転じた。味の8〜9割は素材で決まり調理技術の寄与は1割程度にすぎないという仮説のもと、素材で勝てるイタリア料理を選んだことが、この値下げを採算割れさせない裏づけになった
Q なぜ1990年代、サイゼリヤは駅前の一等地ではなく賃料の安い悪立地を選んで全国へ店を増やしたのか
A 一等地の賃料を払うより、賃料の安い場所に出して浮いた資金を食材原価へ回すほうが、低価格でも投資効率が高くなる。正垣泰彦氏は出店の可否を投下資本に対し20%以上の利益が出るかで判断し、その基準を満たすのは誰も手をつけたがらない悪立地のほうだった。自己資本の3倍を借入で調達して全額を出店に投じ、経常利益率20%を確保すれば売上高は年率130〜150%で増える計算で、この数理が悪立地への連続出店を正当化した。1991年に愛知県、翌年に北海道・富山県へ広げ、1992年に50店、1994年に神奈川県藤沢市で100店を突破して、首都圏発のチェーンが関西まで面で広がった
Q なぜ2020年代、国内の価格を据え置いたまま海外の店舗数を伸ばす方針へ転じたのか
A 創業期の強みだった海外からの食材直接輸入は、円安が進むと逆に原価を押し上げる重荷へ反転する。一方で海外店は同じ円安が円換算の利益を膨らませ、シンガポールではミラノ風ドリアを450円前後と国内の300円より高く売れるため、成長と利益は海外に厚みがある松谷秀治社長は2024年に純利益が前年同期比4.3倍へ伸びたなかでも「値上げしない」と述べ、給料が増えない国内の客数を守るために日本の価格を据え置いた。国内市場の成熟もあり、2025年11月公表の年次報告書では1万店ビジョンを掲げ、増分の大半を海外へ置く構想を明文化した

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1967年〜 物理学出身者の実験と6〜7割引という賭け

本八幡の火災と「レストラン・サイゼリヤ」からの再出発

1967年7月、東京理科大学物理学科出身の正垣泰彦は千葉県市川市本八幡で個人店舗「レストラン・サイゼリヤ」を開いた。研究者の道を断念し、ゼロから自力で事業を興すなら食べ物屋が最も適しているという判断による選択だった。当初は和洋折衷の飲食店として街場に紛れ、料理の腕も知名度も乏しいまま開業した。ところが翌年、店内で暴力団同士の喧嘩が突発的に起き、そのさなかに投げ込まれた石油ストーブで店舗は全焼した。焼失した跡地を前に正垣は事業の継続を諦めず、1968年5月、同じ本八幡でイタリア料理店「サイゼリヤ」1号店を出した。火災が和洋折衷の飲食店からイタリア料理専門店へ業態を切り替える転機となった面がある。 [1]

  • 株式会社サイゼリヤ 有価証券報告書 第53期(2025年8月期)【沿革】
    • [1]1967年7月 正垣泰彦が個人店舗「レストラン サイゼリヤ」を開業

正垣がイタリア料理を選んだ根拠は、美味しさの80〜90%は素材で決まり、調理技術の寄与は5〜10%程度にすぎないという物理学出身者らしい定量的な仮説だった。素材さえ良ければコックの腕前に左右されにくいイタリア料理は、チェーン展開と構造的に相性が良いという読みである。1970年代の日本は1ドル300円台の円安水準にあった。チーズ・オリーブオイル・パスタといった核となる輸入食材の単価は割高だったが、裏を返せば円安が潜在的な競合の出現を抑える参入障壁として働く。正垣は為替環境という外部要因と素材依存型業態という仮説を組み合わせ、長期的に競合が出にくい市場ポジションを選び取ったと読める。

  • 株式会社サイゼリヤ 有価証券報告書 第53期(2025年8月期)【沿革】
    • [1]1967年7月 正垣泰彦が個人店舗「レストラン サイゼリヤ」を開業

全メニュー6〜7割引の「最後の賭け」と法人化への道筋

開業から約5年、サイゼリヤは1日の売上高が3万円前後にとどまり、正垣兄弟への実質的な給与はゼロに近かった。客足がつかない事態に直面した正垣は、大学で物理学を学んだ経歴をいかして原因と結果を切り分けて考え、立地と料理の腕という2変数は動かせず、残った変数は価格だけだという結論に達した。1975年頃、最後の賭けとして正垣は全メニューの価格を一挙に6〜7割引まで下げた。味の改善で集客を伸ばす道が断たれた以上、残る打ち手は価格しかないという判断であった。当時の相場でスパゲティ一皿400〜600円が一般的だったところ、サイゼリヤは200〜300円で打ち出し、看板の「ミラノ風ドリア」は304円(税込)で売り出した。 [2]

  • 週刊東洋経済(2017年10月28日)
    • [2]1975年頃に全メニューを6〜7割引へ下げた(最後の賭け)

1975年頃の値下げでサイゼリヤは一転して繁盛店へ転じ、この経験から経営原則が結晶化した。客が増えると多品種の料理は作れないため、喜ばれる核商品に絞り込む。商品を絞り込んだことで無駄な仕入れがなくなり、効率的なオペレーションが組み立てられ、低価格でも採算が取れる構造ができたという手応えを正垣は当時から確認していた。飲食業の常識だった立地重視の原則は退け、悪立地に出店して家賃を抑え、浮いた資金を食材原価に回す方針も同時に固まった。1973年5月には株式会社マリアーヌ商会として法人化を済ませ、資本金100万円でチェーン展開の基盤を整えた。 [3][4][5]

  • 株式会社サイゼリヤ 有価証券報告書 第53期(2025年8月期)【沿革】
    • [3]1973年5月 株式会社マリアーヌ商会として法人化
    • [4]マリアーヌ商会の資本金は100万円(有報沿革=1,000千円)
  • 週刊東洋経済(2017年10月28日)
    • [5]商品の核商品への絞り込み・効率的オペレーション・低価格採算という経営原則の結晶化
  • 週刊東洋経済(2017年10月28日)
    • [2]1975年頃に全メニューを6〜7割引へ下げた(最後の賭け)
    • [5]商品の核商品への絞り込み・効率的オペレーション・低価格採算という経営原則の結晶化
  • 株式会社サイゼリヤ 有価証券報告書 第53期(2025年8月期)【沿革】
    • [3]1973年5月 株式会社マリアーヌ商会として法人化
    • [4]マリアーヌ商会の資本金は100万円(有報沿革=1,000千円)

1977年〜 首都圏ドミナントから東証上場・中国進出へ

サイゼリヤの業績推移

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1977年 多店舗展開と同時に仕入を強化
  2. 1981年 ショッピングセンター業態に参入
  3. 1987年 駅ビル業態に参入
  4. 1987年 商号をマリアーノに変更
  5. 1987年 ハンディ端末によるオーダーエントリーシステム導入
  6. 1989年 ロードサイド業態に参入
  7. 1995年 広告宣伝に注力しない体制へ

イタリア料理特化が生んだ食材調達の競争優位

1977年12月、サイゼリヤは千葉県市川市で第3号店となる「市川北口店」を開き、本格的な多店舗展開へ移った。出店を首都圏に絞るドミナント戦略を採り、1981年4月には千葉県船橋市に「船橋ららぽーとららぐるめ店」を出してショッピングセンター型店舗の第1号、1987年3月には創業の地である本八幡に駅ビル型店舗の第1号となる「シャポー本八幡店」を出した。1987年10月には市川北口店で手書きオーダーからオーダーエントリーシステムへ切り替え、1988年までに首都圏を中心とする20店舗体制を整え、店舗オペレーションの標準化にも着手した。1983年5月に千葉県市川市市川1丁目へ本社を移し、1987年4月には商号を株式会社マリアーノへ改めた。 [6][7][8][9][10][11]

  • 株式会社サイゼリヤ 有価証券報告書 第53期(2025年8月期)【沿革】
    • [6]1977年12月 千葉県市川市で第3号店「市川北口店」を開店し多店舗化に着手
    • [7]1981年4月 船橋ららぽーとららぐるめ店=ショッピングセンター第1号店
    • [8]1987年3月 創業の地・本八幡に駅ビル第1号店「シャポー本八幡店」
    • [9]1987年10月 市川北口店で手書きオーダーからオーダーエントリーシステムへ切替
    • [10]1983年5月 千葉県市川市市川1丁目へ本社移転
    • [11]1987年4月 商号を株式会社マリアーノへ変更

イタリア料理への業態特化は、チーズ・トマト・オリーブオイルといった共通の核食材をまとまった量で調達できる構造的な利点を生んだ。多品目をそろえる一般的なファミリーレストランでは食材が分散しがちだが、サイゼリヤはこのメニュー構造の違いを仕入れの競争優位に転換した。1980年代の円高の進行も追い風となり、輸入食材の調達コストは下がった。1989年9月には千葉県柏市に「柏水戸街道店」を出してロードサイド型店舗の第1号となり、1991年10月には千葉県船橋市浜町へ本社を移した。多店舗化を支える運営基盤の整備も並行して行った時期である。 [12][13]

  • 株式会社サイゼリヤ 有価証券報告書 第53期(2025年8月期)【沿革】
    • [12]1989年9月 千葉県柏市「柏水戸街道店」=ロードサイド店第1号
    • [13]1991年10月 千葉県船橋市浜町へ本社移転
  • 株式会社サイゼリヤ 有価証券報告書 第53期(2025年8月期)【沿革】
    • [6]1977年12月 千葉県市川市で第3号店「市川北口店」を開店し多店舗化に着手
    • [7]1981年4月 船橋ららぽーとららぐるめ店=ショッピングセンター第1号店
    • [8]1987年3月 創業の地・本八幡に駅ビル第1号店「シャポー本八幡店」
    • [9]1987年10月 市川北口店で手書きオーダーからオーダーエントリーシステムへ切替
    • [10]1983年5月 千葉県市川市市川1丁目へ本社移転
    • [11]1987年4月 商号を株式会社マリアーノへ変更
    • [12]1989年9月 千葉県柏市「柏水戸街道店」=ロードサイド店第1号
    • [13]1991年10月 千葉県船橋市浜町へ本社移転

投資リターン20%基準による全国展開と株式上場

1991年5月に愛知県、1992年に北海道・富山県へ進出し、1992年6月には札幌市厚別区へ50店舗目の「新札幌駅ビル店」を出した。1992年9月に商号を現行の株式会社サイゼリヤへ改め、1994年7月には神奈川県藤沢市に100店舗目「江ノ島店」を開き、1995年5月には関西の拠点として神戸市東灘区に「六甲アイランド店」を出した。創業の地である首都圏を起点に、関東以西へ面で塗り広げる出店パターンを採った。出店速度を数理的に支えたのが投資リターン20%という経営基準である。自己資本の3倍を銀行借入で調達し、得た全額を出店投資に回して経常利益率20%を確保すれば、売上高は年率130〜150%で複利成長する計算で、この基準が悪立地への出店を数理的に裏づける根拠となった。 [14][15][16][17]

  • 株式会社サイゼリヤ 有価証券報告書 第53期(2025年8月期)【沿革】
    • [14]1992年6月 札幌市厚別区に50店舗目「新札幌駅ビル店」
    • [15]1992年9月 商号を現行の株式会社サイゼリヤへ変更
    • [16]1994年7月 神奈川県藤沢市に100店舗目「江ノ島店」
    • [17]1995年5月 神戸市東灘区「六甲アイランド店」(関西の拠点)

1994年のテレビ放映を受けて、サイゼリヤは広告宣伝に頼らない方針を固めた。番組紹介の翌日から各店舗に長蛇の列ができたが、店舗オペレーションが追いつかずにサービス品質が崩れ、客離れを招いた経験が背景にある。以後、広告宣伝費を売上高比0.3%という低い水準に抑え、浮いた原資を食材原価に回すモデルを貫いた。日経金融新聞は2001年12月時点で営業利益率が16.3%へ達したと伝え、首都圏へのドミナント出店と食材工場活用によるコスト削減を成長持続の根拠に挙げている。1997年10月に埼玉県吉川市の吉川工場を建てて本社を移し、1998年4月に日本証券業協会へ株式を店頭登録、1999年7月に東京証券取引所市場第二部へ上場、2000年8月に市場第一部へ指定された。 [18][19][20][21][22]

  • 日経金融新聞(2001年12月18日)
    • [18]2001年12月時点で営業利益率16.3%(日経金融新聞報道)。当時の連結PLは手元資産に無く一次照合不可、日付付き二次が支持
  • 株式会社サイゼリヤ 有価証券報告書 第53期(2025年8月期)【沿革】
    • [19]1997年10月 埼玉県吉川市に吉川工場を建設し本社を移転
    • [20]1998年4月 日本証券業協会に株式を店頭登録
    • [21]1999年7月 東京証券取引所市場第二部に上場
    • [22]2000年8月 東京証券取引所市場第一部に指定
  • 株式会社サイゼリヤ 有価証券報告書 第53期(2025年8月期)【沿革】
    • [14]1992年6月 札幌市厚別区に50店舗目「新札幌駅ビル店」
    • [15]1992年9月 商号を現行の株式会社サイゼリヤへ変更
    • [16]1994年7月 神奈川県藤沢市に100店舗目「江ノ島店」
    • [17]1995年5月 神戸市東灘区「六甲アイランド店」(関西の拠点)
    • [19]1997年10月 埼玉県吉川市に吉川工場を建設し本社を移転
    • [20]1998年4月 日本証券業協会に株式を店頭登録
    • [21]1999年7月 東京証券取引所市場第二部に上場
    • [22]2000年8月 東京証券取引所市場第一部に指定
  • 日経金融新聞(2001年12月18日)
    • [18]2001年12月時点で営業利益率16.3%(日経金融新聞報道)。当時の連結PLは手元資産に無く一次照合不可、日付付き二次が支持

2003年〜 アジア海外展開と食材調達コスト構造の転換

サイゼリヤの業績推移:連結

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 2003年 兵庫工場を新設
  2. 2003年 中国・上海への進出による低価格モデルの海外移植とアジア利益柱への反転 国内で磨いた製造直販と低価格の型を、なぜ賃料も人件費も異なる華人圏へそのまま持ち込めたのか
  3. 2011年 国内1000店舗を達成
  4. 2013年 千葉工場を新設
  5. 2013年 新業態で店舗開発(のちに撤退決定)
  6. 2016年 監査等委員会設置会社へ移行
  7. 2019年 国内外店舗数1500店舗を達成

中国本土進出とアジア多拠点展開の加速

2003年6月、サイゼリヤは上海薩莉亜餐飲有限公司を設立し、中国本土市場への本格進出を果たした。参入当初は赤字が続いたが、現地のオペレーション改善を経て黒字化にこぎ着けた。海外事業はアジアを中心に広がり、2007年11月に広州薩莉亜餐飲有限公司、2008年3月に台湾薩莉亜餐飲股份有限公司、同年5月に北京薩莉亜餐飲管理有限公司、同年8月に香港、同年9月にシンガポールへと現地法人を立ち上げた。中国本土・台湾・香港・シンガポールという都市圏を線で結ぶ配置で、人口密度の高い華人圏に経営資源を集中させた。いずれも国内市場の成熟を補う成長源で、創業期からの「素材に投資する」方針を海外でも貫きながら、現地チェーンの運営を軌道に乗せた。 [23][24][25][26][27][28]

  • 株式会社サイゼリヤ 有価証券報告書 第53期(2025年8月期)【沿革】
    • [23]2003年6月 上海薩莉亜餐飲有限公司を設立し中国本土へ進出
    • [24]2007年11月 広州薩莉亜餐飲有限公司を設立
    • [25]2008年3月 台湾薩莉亜餐飲股份有限公司を設立
    • [26]2008年5月 北京薩莉亜餐飲管理有限公司(旧 北京瑪利亜諾餐飲有限公司)を設立
    • [27]2008年8月 香港に現地法人を設立
    • [28]2008年9月 シンガポールに現地法人を設立

食材調達の内製化も並行して進んだ。2000年7月に設立したオーストラリアの製造子会社SAIZERIYA AUSTRALIA PTY.LTD.や福島の自社農場、2001年3月の神奈川工場、2001年5月の福島精米工場、2003年4月の兵庫工場、2013年1月の千葉工場と、サプライチェーンの上流に踏み込む設備投資を続けた。2012年12月には広州薩莉亜食品有限公司を設立し、中国国内での食材製造体制も整えた。野菜は種から開発し、芯を取り除く作業の無駄を省くなど、農場・工場・店舗を一気通貫で結ぶ製造直販の仕組みに磨きをかけた。創業期に固めた「素材に投資する」方針の延長で、食材原価に経営資源を集中する構造は海外展開期にも保たれた。2011年6月に大阪市で1000店舗目を開き、2015年8月にはグループ年間客数が2億人を突破した。 [29][30][31][32][33][34][35][36]

  • 株式会社サイゼリヤ 有価証券報告書 第53期(2025年8月期)【沿革】
    • [29]2000年7月 オーストラリアに製造子会社SAIZERIYA AUSTRALIA PTY.LTD.を設立
    • [30]2001年3月 神奈川工場を建設
    • [31]2001年5月 福島精米工場を建設
    • [32]2003年4月 兵庫工場を建設
    • [33]2013年1月 千葉工場を建設
    • [34]2012年12月 広州薩莉亜食品有限公司を設立
    • [35]2011年6月 大阪市で1000店舗目を達成
    • [36]2015年8月 グループ年間客数が2億人を突破
  • 株式会社サイゼリヤ 有価証券報告書 第53期(2025年8月期)【沿革】
    • [23]2003年6月 上海薩莉亜餐飲有限公司を設立し中国本土へ進出
    • [24]2007年11月 広州薩莉亜餐飲有限公司を設立
    • [25]2008年3月 台湾薩莉亜餐飲股份有限公司を設立
    • [26]2008年5月 北京薩莉亜餐飲管理有限公司(旧 北京瑪利亜諾餐飲有限公司)を設立
    • [27]2008年8月 香港に現地法人を設立
    • [28]2008年9月 シンガポールに現地法人を設立
    • [29]2000年7月 オーストラリアに製造子会社SAIZERIYA AUSTRALIA PTY.LTD.を設立
    • [30]2001年3月 神奈川工場を建設
    • [31]2001年5月 福島精米工場を建設
    • [32]2003年4月 兵庫工場を建設
    • [33]2013年1月 千葉工場を建設
    • [34]2012年12月 広州薩莉亜食品有限公司を設立
    • [35]2011年6月 大阪市で1000店舗目を達成
    • [36]2015年8月 グループ年間客数が2億人を突破

円安が原価を逆に押し上げる構造への反転

2020年8月期、サイゼリヤはコロナ禍の影響を直接受けて最終赤字に転落した。外食産業全体が深刻な打撃を受けるなか、低価格モデルの脆弱性が一時的に露わになった時期である。コロナ禍以降の外食需要の回復に伴い、2023年8月期には売上高1832億円という過去最高を記録するところまで業績は戻った。回復の背景には、国内1053店舗という全国網の強さとアジア市場での店舗数拡大の両方があり、国内外の二本柱が同時に働いて売上を押し上げた構造である。利益面では、円安の進行による食材仕入れコストの増加が業績の下方修正を招く場面も生じており、為替環境が原価構造へ与える影響は依然として無視できない水準にある。 [37]

  • 株式会社サイゼリヤ 有価証券報告書 第53期(2025年8月期)【事業の内容】
    • [37]国内1053店舗(2025年8月末=FY25時点の国内店舗数)

サイゼリヤの競争力の源泉だった海外からの食材直接輸入は、円安局面ではコスト上昇要因に転じる構造を併せ持つ。1970年代の円安が潜在的な競合の出現を抑える参入障壁として働いた構造とは正反対に、為替環境の変化が原価を内側から圧迫する局面に入った。2022年4月には東京証券取引所の市場区分見直しで東証プライム市場へ移行、2023年11月に海外店舗数が500店舗を突破、2025年5月にはベトナム、同年6月にはオーストラリアで新会社SAIZERIYA AUSTRALIA RISTORANTE PTY LTD、同年7月には広東省と武漢、同年10月にはマレーシアと、東南アジアから南半球まで2025年だけで5か国以上に新たな拠点を開いた。海外事業の規模は創業以来の枠を超えてきている。 [38][39][40][41][42][43][44]

  • 株式会社サイゼリヤ 有価証券報告書 第53期(2025年8月期)【沿革】
    • [38]2022年4月 東証の市場区分見直しで東証プライム市場へ移行
    • [39]2023年11月 海外店舗数が500店舗を突破
    • [40]2025年5月 ベトナムに現地法人(VIETNAM SAIZERIYA CO.,LTD.)を設立
    • [41]2025年6月 オーストラリアに新会社SAIZERIYA AUSTRALIA RISTORANTE PTY LTDを設立
    • [42]2025年7月 広東省(広州)に広東省薩莉亜餐飲管理有限公司、武漢に武漢薩莉亜餐飲有限公司を設立
    • [43]2025年10月 マレーシアにSAIZERIYA MALAYSIA SDN.BHD.を設立
    • [44]2025年だけで5か国以上に新拠点(ベトナム/豪/広東省/武漢/マレーシア)
  • 株式会社サイゼリヤ 有価証券報告書 第53期(2025年8月期)【事業の内容】
    • [37]国内1053店舗(2025年8月末=FY25時点の国内店舗数)
  • 株式会社サイゼリヤ 有価証券報告書 第53期(2025年8月期)【沿革】
    • [38]2022年4月 東証の市場区分見直しで東証プライム市場へ移行
    • [39]2023年11月 海外店舗数が500店舗を突破
    • [40]2025年5月 ベトナムに現地法人(VIETNAM SAIZERIYA CO.,LTD.)を設立
    • [41]2025年6月 オーストラリアに新会社SAIZERIYA AUSTRALIA RISTORANTE PTY LTDを設立
    • [42]2025年7月 広東省(広州)に広東省薩莉亜餐飲管理有限公司、武漢に武漢薩莉亜餐飲有限公司を設立
    • [43]2025年10月 マレーシアにSAIZERIYA MALAYSIA SDN.BHD.を設立
    • [44]2025年だけで5か国以上に新拠点(ベトナム/豪/広東省/武漢/マレーシア)

サイゼリヤの沿革1967〜2025年における主な出来事を抜粋

年月社長・CEO出来事重要度
正垣泰彦氏が飲食店を個人開業
正垣泰彦イタリアンレストラン「サイゼリヤ」の経営を開始★★
正垣泰彦全品半額への値下げと低価格イタリア料理チェーンへの業態転換場所も料理も動かせない不振の洋食店で、正垣泰彦はなぜ残った変数を価格だけに絞ったのか 詳細を読む★★★
正垣泰彦多店舗展開と同時に仕入を強化
正垣泰彦ショッピングセンター業態に参入★★
正垣泰彦駅ビル業態に参入
正垣泰彦商号をマリアーノに変更
正垣泰彦ハンディ端末によるオーダーエントリーシステム導入
正垣泰彦ロードサイド業態に参入
正垣泰彦全国で多店舗展開を本格化
正垣泰彦サイゼリヤに商号変更
正垣泰彦広告宣伝に注力しない体制へ★★
正垣泰彦吉川工場を新設、本社を併設
正垣泰彦日本証券業協会に株式を店頭登録
正垣泰彦製造子会社SAIZERIYA AUSTRALIA PTY.LTD.を設立
正垣泰彦神奈川工場を新設
正垣泰彦兵庫工場を新設
正垣泰彦中国・上海への進出による低価格モデルの海外移植とアジア利益柱への反転国内で磨いた製造直販と低価格の型を、なぜ賃料も人件費も異なる華人圏へそのまま持ち込めたのか 詳細を読む★★★
堀埜一成国内1000店舗を達成
堀埜一成千葉工場を新設
堀埜一成新業態で店舗開発(のちに撤退決定)★★
堀埜一成監査等委員会設置会社へ移行
堀埜一成国内外店舗数1500店舗を達成
堀埜一成最終赤字に転落
松谷秀治売上高は過去最高・利益は下方修正へ
松谷秀治朝食業態「朝サイゼ」を開始
出典・参考
  • 株式会社サイゼリヤ 有価証券報告書 第53期(2025年8月期)【沿革】
  • 週刊東洋経済(2017年10月28日)
  • 日経金融新聞(2001年12月18日)
  • 株式会社サイゼリヤ 有価証券報告書 第53期(2025年8月期)【事業の内容】

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