熱海の旅館向けに野菜を販売していた「八百半」から暖簾分けする形で、1930年に和田良平が「八百半熱海支店」(現在のヤオハン)を創業した。創業当初は熱海に点在する温泉旅館向けの「野菜卸」の事業を主軸としたが、収益性は低かったという。
日本に普及しつつあったスーパーマーケット事業に参入するため、社名を八百半食品デパートに変更した。スーパーへの業態転換によって、ヤオハンは旅館向けの野菜卸から撤退し、一般消費者向けの小売業に転身する。
ヤオハンの社長に創業家の和田一夫が就任。熱海の1店舗だけであったが、1960年代を通じて伊豆半島(熱海・三島・沼津)にスーパーを新設することで、地域密着型の店舗展開によって業容を拡大する。なお、和田一夫は熱心な信仰家(生長の家)でもあり、ヤオハンの経営にも信仰心が生かされたという。
1970年代にスーパー業界では西友・ダイエー・ジャスコ・イトーヨーカ堂などのトップ企業が業容を拡大し、ヤオハンのようなローカル企業にとって不利な状況になった。そこで、ヤオハンの和田一夫は成長の活路を海外に求め、「流通業のソニーになる」という目標を掲げて、ブラジルに進出した。
1973年のオイルショックによって世界経済が不況に陥ると、ブラジルヤオハンの業績が悪化。経営支援のための送金がブラジル政府によって制限されたこともあり、ヤオハンはブラジルヤオハンを倒産させることを決めた。
1980年代を通じてヤオハンはシンガポールやマレーシアなどの東南アジアを中心に店舗網を拡大し、日本小売業界では異例とも言える海外店舗を22店(1989年時点)を運営した。このため、ヤオハンは経済メディアから「流通界の国際派No.1」(1989/2/13日経ビジネス)として賞賛され、和田一夫の経営に注目が集まる。