ビジネスパーソンに長期視点を普及する
updated:

ヤオハンの歴史

1930年

八百半熱海支店を創業

熱海の旅館向けに野菜を販売していた「八百半」から暖簾分けする形で、1930年に和田良平が「八百半熱海支店」(現在のヤオハン)を創業した。創業当初は熱海に点在する温泉旅館向けの「野菜卸」の事業を主軸としたが、収益性は低かったという。

1956年

八百半食品デパートに社名変更

日本に普及しつつあったスーパーマーケット事業に参入するため、社名を八百半食品デパートに変更した。スーパーへの業態転換によって、ヤオハンは旅館向けの野菜卸から撤退し、一般消費者向けの小売業に転身する。

1962年

和田一夫(33歳)が社長就任

ヤオハンの社長に創業家の和田一夫が就任。熱海の1店舗だけであったが、1960年代を通じて伊豆半島(熱海・三島・沼津)にスーパーを新設することで、地域密着型の店舗展開によって業容を拡大する。なお、和田一夫は熱心な信仰家(生長の家)でもあり、ヤオハンの経営にも信仰心が生かされたという。

1971年

ブラジルに進出

1970年代にスーパー業界では西友・ダイエー・ジャスコ・イトーヨーカ堂などのトップ企業が業容を拡大し、ヤオハンのようなローカル企業にとって不利な状況になった。そこで、ヤオハンの和田一夫は成長の活路を海外に求め、「流通業のソニーになる」という目標を掲げて、ブラジルに進出した。

1974年

シンガポールに進出

「流通業のソニーになる」という目標を達成するために、ヤオハンはシンガポールに進出した。

1977年

ブラジルヤオハンの倒産

1973年のオイルショックによって世界経済が不況に陥ると、ブラジルヤオハンの業績が悪化。経営支援のための送金がブラジル政府によって制限されたこともあり、ヤオハンはブラジルヤオハンを倒産させることを決めた。

1982年

名古屋証券取引所に株式上場

ブラジル事業では失敗を被ったものの、ヤオハンはシンガポール事業と、国内事業によって堅調に業容を拡大。1982年に株式上場を果たす。

1989年

流通界の国際派No.1企業

1980年代を通じてヤオハンはシンガポールやマレーシアなどの東南アジアを中心に店舗網を拡大し、日本小売業界では異例とも言える海外店舗を22店(1989年時点)を運営した。このため、ヤオハンは経済メディアから「流通界の国際派No.1」(1989/2/13日経ビジネス)として賞賛され、和田一夫の経営に注目が集まる。

和田一夫(ヤオハン・元社長)の発言
和田一夫(ヤオハン・元社長)の発言

シンガポールはこのブラジルでの教訓(筆者注:ブラジルでの倒産)を生かして成功した。1974年に第1号店を出して以来、徐々に出店を進めて最近5番目の店を開設したが、現地での無借金経営に徹し、当初の投資1.5億円は完全に回収して順調に利益を行う親孝行な子会社に成長している。現在、来春の開店をめざして第6号店の建設を進めているが、この資金もほとんど現地の自己資金でまかなえる状況だ。...(中略)...当社は将来、ソニーのような会社になりたいという夢を持っている。初めてブラジルに進出してい以来、南米、中米(コスタリカ)、東南アジア(シンガポール)、北米と海外での経験を積んだ社員が、現在活躍中の者を合わせてちょうど100人を超えるに至ったので、これを大きな財産として活用していきたい。

1983/04証券アナリストジャーナル「和田一夫」
1990年

香港進出。社債発行

ヤオハン(和田一夫・社長)は「流通業のソニーになる」という方針に沿って、中国の香港への進出を決断した。ヤオハンは中国への本格進出を目論み、1990年代前半に総額600億円の社債(年間経常利益の10倍以上に相当)を発行する。

1997年

会社更生法の適用申請により倒産

ヤオハンの中国事業の収益性は低く、投資費用を回収することが難しかった。そして、社債償還期限を迎えたヤオハンは経営危機に陥り、1997年に会社更生法の適用を申請して倒産する。

関連する企業

競合企業や同じ業種の会社など