日本オラクル の歴史

創業

1985年

創業者

※米Oracle子会社

創業地

東京都港区

直近売上高(2025/5)

2,635億円

長期業績と転換点(2000/5〜2026/5)
売上高(億円純利益率(%)
Q なぜ1985年に米Oracleは製品を自前で持たない販売拠点として日本オラクルを設立したのか
A 米Oracleが日本に開発機能を置かなかったのは、本社のリレーショナルデータベース製品をそのまま国内へ供給する販売窓口を求めたからである。1985年10月、米Oracle Corporationが全額出資し、東京都新宿区に資本金1,000千円で日本オラクルを設立した。日本IBM・富士通・NECが基幹データベースで競う市場へ、リレーショナルデータベースの優位を頼りに参入し、1990年10月から本格的な事業活動を開始した。製品を自前で持たず、本社ソフトの導入を支える供給拠点として出発した。
Q なぜ1999年に米本社が約74%を握ったまま日本で株式を上場したのか
A 100%子会社のまま上場したのは、全国営業網とエンタープライズ顧客への信頼を、資本市場での情報開示によって固めるためである。佐野力社長は「日本オラクルは日本の社会に根づいた、日本のために頑張る会社なんだ、ということを表明したかった」と述べ、資金繰りに苦しんでいた米本社との出会いのなかで自ら資金調達を持ちかけ、創業者ラリー・エリソン会長に説き続けて上場を実現させた。1985年の設立から大阪・名古屋・福岡・札幌・金沢まで10年かけて営業網を整え、エンタープライズデータベース市場でシェアを築いた素地のうえで、1999年2月にJASDAQ、2000年4月に東証一部へ上場した。米本社は約74%を握って残り26%だけを市場に開き、議決権を保ったまま外資系では珍しい上場した日本子会社の立場を得た
Q なぜ2020年に外部から三澤智光氏を呼び戻し、データベース販売子会社をクラウドへ転換したのか
A 出戻りの経営者を据えたのは、買い切りデータベースのライセンス販売を、月額課金のクラウドへ転換する実務を全国営業網に担わせるためである。2020年12月、1995年入社で執行役副社長まで務めた後に日本IBMへ移り再入社した三澤智光氏が代表執行役社長に就任した。三澤社長の体制で、日本オラクルはOCIとFusion Applicationsを柱とする統合クラウドの拡販を進め、2025年5月期にはクラウド&ライセンス区分が売上の85%を占めるに至った。買い切りソフトを売ってきた営業網を、クラウドの現場へ切り替えている。

API for AI Agents — 認証不要、URLをGETするだけで機械可読なJSONをトークン消費を抑えつつ取得できます。

1985年〜 米Oracle Corp.の日本子会社として設立

  1. 1985年 日本オラクルを設立
  2. 1990年 本格的な事業活動を開始
  3. 1992年 西日本事業所を開設
  4. 1994年 本社を移転
  5. 1997年 株式の額面金額を50,000円から50円に変更するため形式上の存続会社と合併

外資DBベンダーが選んだ日本拠点の全国営業網整備

1985年10月、日本市場におけるリレーショナルデータベース管理システム「Oracle」をはじめとするソフトウェアプロダクトの販売およびサービス提供を目的として、東京都新宿区に日本オラクル株式会社を資本金1,000千円で設立した。米国Oracle Corporation(現Oracle Corporation)の100%日本子会社として、データベース市場の急成長を受けて日本拠点を確立する目的だった。1980年代後半は日本企業のIT化が本格化した時期で、日本IBM、富士通、NEC等の国内大手と米系ベンダーが基幹DBMS市場で競合する構造のなかで、Oracleはリレーショナルデータベース技術の優位性を武器に市場参入を果たした。 [1][2]

  • 有価証券報告書
    • [1]1985年10月 東京都新宿区に日本オラクル株式会社を設立(RDBMS「Oracle」等の販売・サービス提供目的)
    • [2]米国Oracle Corporationの100%日本子会社

1990年10月、本格的な事業活動を開始した。設立から5年の準備期間を経た商業展開の始動は、日本市場での実質的な事業スタートを意味した。1992年6月に大阪市西区に西日本事業所(現関西オフィス)、1993年7月に名古屋市中区に中部事業所(現東海オフィス)を開設し、地方拠点の整備を行った。1994年6月、東京都千代田区に本社を移転して事業拡大に伴う本社機能拡張を実施し、同時に福岡市中央区に西部事業所(現九州オフィス)を開設した。1996年8月に札幌、1997年2月に金沢の北海道・北陸地区拠点を立ち上げ、エンタープライズDB市場攻略の全国体制を整えた。組織はまだ小さく、日本IBM出身で後に社長となる新宅正明が1991年に日本オラクル入りした際は62番目の社員だったといい、全国拠点網はこの程度の陣容から築き上げられた。 [3][4][5][6][7][8][9][10]

  • 有価証券報告書
    • [3]1990年10月 本格的な事業活動を開始
    • [5]1992年6月 大阪市西区に西日本事業所(現関西オフィス)を開設
    • [6]1993年7月 名古屋市中区に中部事業所(現東海オフィス)を開設
    • [7]1994年6月 東京都千代田区に本社を移転
    • [8]1994年6月 福岡市中央区に西部事業所(現九州オフィス)を開設
    • [9]1996年8月 札幌(北海道支社)を開設
    • [10]1997年2月 金沢(中部支社北陸営業所)を開設
  • 週刊東洋経済(2000年10月7日号)
    • [4]1991年、新宅正明(後の社長)が日本オラクルの62番目の社員として入社
  • 有価証券報告書
    • [1]1985年10月 東京都新宿区に日本オラクル株式会社を設立(RDBMS「Oracle」等の販売・サービス提供目的)
    • [2]米国Oracle Corporationの100%日本子会社
    • [3]1990年10月 本格的な事業活動を開始
    • [5]1992年6月 大阪市西区に西日本事業所(現関西オフィス)を開設
    • [6]1993年7月 名古屋市中区に中部事業所(現東海オフィス)を開設
    • [7]1994年6月 東京都千代田区に本社を移転
    • [8]1994年6月 福岡市中央区に西部事業所(現九州オフィス)を開設
    • [9]1996年8月 札幌(北海道支社)を開設
    • [10]1997年2月 金沢(中部支社北陸営業所)を開設
  • 週刊東洋経済(2000年10月7日号)
    • [4]1991年、新宅正明(後の社長)が日本オラクルの62番目の社員として入社

100%子会社のまま日本上場を選ぶ準備段階

1997年6月、株式の額面金額を1株50,000円から1株50円に変更するため、形式上の存続会社日本オラクル株式会社(旧社名:オーアールエーシーエルイーアクイジッション株式会社)と合併した。これは株式上場準備のための形式合併であり、後の上場手続きを円滑にするための法的整備だった。 [11][12]

  • 有価証券報告書
    • [11]1997年6月 額面金額を1株50,000円から1株50円に変更するため形式上の存続会社(旧社名オーアールエーシーエルイーアクイジッション株式会社)と合併
    • [12]株式上場準備のための形式合併

1985年の設立から12年を経て、米Oracle Corporationの100%子会社という資本構造を維持したまま日本市場で株式公開する独自モデルへの移行準備が、この時点で具体化した。1980年代後半から1990年代前半にかけて整備した全国営業網と、エンタープライズDB市場で築いたシェアが資本市場の評価を得る素地を整えた。この上場は本社主導ではなく、90年から社長を務めた佐野力が主導して実現させた経緯を持つ。佐野は米本社が資金繰りに窮していた時期に創業者ラリー・エリソン会長と出会い、日本法人が上場して資金を調達すると申し出たことが出発点だったと後に語っており、日本での情報公開を通じて現地の株主・ユーザー・社員の信認を得るべきだと本社に説き続けた末に実現へこぎ着けた。1999年2月のJASDAQ上場、2000年4月の東証一部上場へと実際につながった。 [13][14][15]

  • 有価証券報告書
    • [13]1985年設立から12年(1997年)時点
    • [15]1999年2月 JASDAQ上場 / 2000年4月 東証一部上場へつながった
  • 週刊東洋経済(1999年3月13日号)
    • [14]日本法人の株式公開は佐野力社長が創業者ラリー・エリソン会長との出会いを機に主導して実現した
  • 有価証券報告書
    • [11]1997年6月 額面金額を1株50,000円から1株50円に変更するため形式上の存続会社(旧社名オーアールエーシーエルイーアクイジッション株式会社)と合併
    • [12]株式上場準備のための形式合併
    • [13]1985年設立から12年(1997年)時点
    • [15]1999年2月 JASDAQ上場 / 2000年4月 東証一部上場へつながった
  • 週刊東洋経済(1999年3月13日号)
    • [14]日本法人の株式公開は佐野力社長が創業者ラリー・エリソン会長との出会いを機に主導して実現した

1999年〜 JASDAQ・東証一部上場と垂直統合戦略

日本オラクルの業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1999年 米本社の100%子会社を維持したままの日本単独上場 資金繰りに窮した本社をどう口説き落としたか——佐野力社長の賭け
  2. 2000年 東京証券取引所市場第一部に株式を上場
  3. 2006年 兄弟会社の日本オラクルインフォメーションシステムズ(OIS)との協業体制を強化
  4. 2008年 本社ビル「オラクル青山センター」が竣工
  5. 2008年 監査役設置会社から指名委員会等設置会社(指名委員会等設置会社)へ移行
  6. 2008年 遠藤隆雄が代表執行役社長に就任
  7. 2010年 サーバー・ストレージ等の販売と関連サービスを開始

株式上場による独自IR体制の構築

1999年2月、日本証券業協会に株式を店頭登録し、JASDAQ上場を果たした。資本金は12,164,660千円に達し、外資系子会社の日本上場という独自モデルとして当時知られた。米国本社が100%保有する子会社が日本市場で株式公開を行う事例は当時稀で、Oracleにとっては日本市場でのプレゼンス強化とブランド浸透が目的だった。2000年4月、東京証券取引所市場第一部に株式を上場した。資本金22,127,910千円。JASDAQ上場後1年強で東証一部に直接上場した。 [16][17]

  • 有価証券報告書
    • [16]1999年2月 日本証券業協会に株式を店頭登録(JASDAQ上場)
    • [17]2000年4月 東京証券取引所市場第一部に上場

2000年5月に仙台市青葉区に東北支社、同年8月に沖縄県那覇市に沖縄支社、2005年1月に広島県広島市に西日本支社広島営業所を開設し、全国営業網を完成させた。2006年6月、兄弟会社である日本オラクルインフォメーションシステムズ株式会社(OIS)との協業体制を強化し、米Oracle本社の買収により加わった製品および関連サービス等の取扱窓口を日本オラクルに一本化した。グループ内事業集約による営業効率化を果たした節目となった。 [18][19][20][21]

  • 有価証券報告書
    • [18]2000年5月 仙台市青葉区に東北支社を開設
    • [19]2000年8月 沖縄県那覇市に沖縄支社を開設
    • [20]2005年1月 広島県広島市に西日本支社広島営業所を開設
    • [21]2006年6月 兄弟会社 日本オラクルインフォメーションシステムズ(OIS)との協業体制を強化し取扱窓口を日本オラクルに一本化
  • 有価証券報告書
    • [16]1999年2月 日本証券業協会に株式を店頭登録(JASDAQ上場)
    • [17]2000年4月 東京証券取引所市場第一部に上場
    • [18]2000年5月 仙台市青葉区に東北支社を開設
    • [19]2000年8月 沖縄県那覇市に沖縄支社を開設
    • [20]2005年1月 広島県広島市に西日本支社広島営業所を開設
    • [21]2006年6月 兄弟会社 日本オラクルインフォメーションシステムズ(OIS)との協業体制を強化し取扱窓口を日本オラクルに一本化

上場の内幕と佐野からの経営体制刷新

1999年2月の店頭公開について、佐野力社長は「日本オラクルは日本の社会に根づいた、日本のために頑張る会社なんだ、ということを表明したかった」と述べている。上場に至る経緯には、資金繰りに苦しんでいた米オラクル本社との出会いのなかで佐野が自ら日本での資金調達を持ちかけ、当初は新日鉄からの8,000万ドル借り入れで代替されて一度は立ち消えになりかけた話を、創業者ラリー・エリソン会長に説き続けて実現させたといういきさつがあった。公開時点の時価総額は約4,950億円に達し、それまで店頭市場でトップだったアルゼ(パチスロ)を一気に抜き去るデビューとなった。2000年4月の東証一部への昇格上場に伴う売り出しでは、筆頭株主の米オラクル本社が保有株の一部を市場に放出し、約8,700億円のキャッシュを得る構造となった。 [22][23][24][25]

  • 週刊東洋経済(1999年3月13日号)
    • [22]佐野力社長は上場の狙いを「日本オラクルは日本の社会に根づいた、日本のために頑張る会社なんだ、ということを表明したかった」と述べた
    • [23]資金繰りに苦しんでいた米オラクル本社との出会いのなかで佐野が資金調達を持ちかけ、新日鉄からの8,000万ドル借り入れで一度は立ち消えかけたが、エリソン会長に説き続けて上場を実現させた
  • 週刊東洋経済(1999年2月6日号)
    • [24]1999年2月5日公開時の時価総額は約4,950億円で店頭市場トップ(従来首位アルゼ)を上回った
  • 週刊東洋経済(2000年4月1日号)
    • [25]東証一部昇格上場の売り出しで筆頭株主の米オラクル本社が保有株を放出し約8,700億円のキャッシュを得た

2000年4月の東証一部上場から4か月後の同年8月、佐野力社長が最高経営責任者(CEO)兼会長に退き、新宅正明常務が最高執行責任者(COO)兼社長に昇格する体制交代を発表した。新宅は1978年早大卒業後に日本IBMへ入社し、80年代半ばに福岡の西部営業本部で佐野の部下となった後、91年に佐野に請われて日本オラクルへ転じた62番目の社員で、94年取締役・96年常務を経て社長就任に至った。以後、佐野が新規事業・法務・管理を、新宅がソフトウエア・コンサルティング事業を担当する分業体制を敷いた。同じ2000年、Linuxを日本市場に広める目的で出資比率55%の子会社ミラクル・リナックスを設立し、マイクロソフトへの依存回避とプラットフォーム多様化を狙った、日本オラクル初の子会社設立だった。 [26][27][28][29][30]

  • 週刊東洋経済(2000年7月29日号)
    • [26]2000年8月 佐野力社長がCEO兼会長に、新宅正明常務がCOO兼社長にそれぞれ就任する体制交代を発表
  • 週刊東洋経済(2000年10月7日号)
    • [27]新宅正明は1978年早大卒業後に日本IBM入社、80年代半ばに佐野の部下として福岡の西部営業本部に在籍、91年に日本オラクルへ入社した62番目の社員、94年取締役・96年常務
  • 日経ビジネス(2000年10月9日号)
    • [28]新宅正明の同経歴(早大卒→日本IBM→1991年日本オラクル入社→取締役・常務を経て社長)は日経ビジネスの新社長紹介記事とも一致
    • [29]佐野がCEOとして新規事業・法務・管理を、新宅がCOOとしてソフトウエア・コンサルティング事業を担当する分業体制
  • 週刊東洋経済(2000年5月27日号)
    • [30]2000年、出資比率55%の子会社ミラクル・リナックスを設立(Linux配布事業、マイクロソフト依存回避が狙い)

2001年5月期の決算は売上高877億円(前年度比33.4%増)、当期利益183億円(同64%増)と、ネットバブル崩壊後も通信・金融セクター主導のIT投資に支えられ好調を維持した。米オラクル本社のジェフ・ヘンリー上級副社長兼最高財務責任者(CFO)は日本法人の株式上場について「日本においてより強いローカル・アイデンティティを確立できた点」を最大の利点に挙げる一方、「オラクル本社が依然として日本オラクルの75%の株式を保有しており、コントロールを失うことはない」と説明し、日本の法律上66%を下回るとコントロールが難しくなるとの認識も示した。米本社が過半を大きく上回る株式を保有し続けたまま日本法人が上場を続けるという1999年来の独自モデルは、この時点で財務トップ自身の言葉でも改めて確認された。 [31][32]

  • 週刊東洋経済(2001年7月28日号)
    • [31]2001年5月期決算は売上高877億円(前年度比33.4%増)、当期利益183億円(同64%増)
  • 週刊東洋経済(2001年6月16日号)
    • [32]ジェフ・ヘンリーCFOは日本上場の利点を「日本においてより強いローカル・アイデンティティを確立できた点」とし、本社が75%の株式を保有しコントロールを維持していると説明した
  • 週刊東洋経済(1999年3月13日号)
    • [22]佐野力社長は上場の狙いを「日本オラクルは日本の社会に根づいた、日本のために頑張る会社なんだ、ということを表明したかった」と述べた
    • [23]資金繰りに苦しんでいた米オラクル本社との出会いのなかで佐野が資金調達を持ちかけ、新日鉄からの8,000万ドル借り入れで一度は立ち消えかけたが、エリソン会長に説き続けて上場を実現させた
  • 週刊東洋経済(1999年2月6日号)
    • [24]1999年2月5日公開時の時価総額は約4,950億円で店頭市場トップ(従来首位アルゼ)を上回った
  • 週刊東洋経済(2000年4月1日号)
    • [25]東証一部昇格上場の売り出しで筆頭株主の米オラクル本社が保有株を放出し約8,700億円のキャッシュを得た
  • 週刊東洋経済(2000年7月29日号)
    • [26]2000年8月 佐野力社長がCEO兼会長に、新宅正明常務がCOO兼社長にそれぞれ就任する体制交代を発表
  • 週刊東洋経済(2000年10月7日号)
    • [27]新宅正明は1978年早大卒業後に日本IBM入社、80年代半ばに佐野の部下として福岡の西部営業本部に在籍、91年に日本オラクルへ入社した62番目の社員、94年取締役・96年常務
  • 日経ビジネス(2000年10月9日号)
    • [28]新宅正明の同経歴(早大卒→日本IBM→1991年日本オラクル入社→取締役・常務を経て社長)は日経ビジネスの新社長紹介記事とも一致
    • [29]佐野がCEOとして新規事業・法務・管理を、新宅がCOOとしてソフトウエア・コンサルティング事業を担当する分業体制
  • 週刊東洋経済(2000年5月27日号)
    • [30]2000年、出資比率55%の子会社ミラクル・リナックスを設立(Linux配布事業、マイクロソフト依存回避が狙い)
  • 週刊東洋経済(2001年7月28日号)
    • [31]2001年5月期決算は売上高877億円(前年度比33.4%増)、当期利益183億円(同64%増)
  • 週刊東洋経済(2001年6月16日号)
    • [32]ジェフ・ヘンリーCFOは日本上場の利点を「日本においてより強いローカル・アイデンティティを確立できた点」とし、本社が75%の株式を保有しコントロールを維持していると説明した

本社移転とSun Microsystems買収後のハードウェア事業参入

2008年7月、本社ビル「オラクル青山センター」が竣工し、同年9月に東京都港区に本店移転した。新本社ビルは日本オラクルのブランド可視化と東京港区拠点の確立を象徴した。2010年6月、ハードウェア・システムズ部門を新設し、サーバー、ストレージ製品等の販売や関連サービス等の提供を開始した。これは米Oracle本社のSun Microsystems買収(2010年1月完了)を受けた事業領域拡張であり、ソフト中心からハード+ソフト統合へ事業領域を広げる垂直統合戦略の出発点である。2013年6月には東京都港区元赤坂の赤坂センタービルディングにオフィス(赤坂オフィス)を開設したが、2023年5月にはコロナ後の縮小でクローズした。 [33][34][35][36]

  • 有価証券報告書
    • [33]2008年7月 本社ビル「オラクル青山センター」竣工
    • [34]2008年9月 東京都港区に本店移転
    • [35]2010年6月 ハードウェア・システムズ部門を新設しサーバー・ストレージ等の販売や関連サービス提供を開始
    • [36]2013年6月 東京都港区元赤坂の赤坂センタービルディングに赤坂オフィスを開設、2023年5月クローズ

歴代社長の系譜では、新宅正明(1995頃-FY06)が上場期を主導し、遠藤隆雄(FY07-FY11)が委員会設置会社への移行とアプリケーション統合シフトを推進、金子忠浩(FY12)が短期暫定、杉原博茂(FY13-FY19、日本IBM出身)がクラウドファースト戦略の本格導入を担った。 [37][38][39][40]

  • 有価証券報告書
    • [37]新宅正明はFY06(2007年5月期)まで代表取締役社長を務めた(上場期を主導)
    • [38]遠藤隆雄はFY07-FY11(2008年5月期-2012年5月期)に代表執行役社長を務めた
    • [39]金子忠浩はFY12(2013年5月期)に代表執行役として在任(短期)
    • [40]杉原博茂はFY13-FY19(2014年5月期-2020年5月期)に代表執行役社長兼CEOを務めた
  • 有価証券報告書
    • [33]2008年7月 本社ビル「オラクル青山センター」竣工
    • [34]2008年9月 東京都港区に本店移転
    • [35]2010年6月 ハードウェア・システムズ部門を新設しサーバー・ストレージ等の販売や関連サービス提供を開始
    • [36]2013年6月 東京都港区元赤坂の赤坂センタービルディングに赤坂オフィスを開設、2023年5月クローズ
    • [37]新宅正明はFY06(2007年5月期)まで代表取締役社長を務めた(上場期を主導)
    • [38]遠藤隆雄はFY07-FY11(2008年5月期-2012年5月期)に代表執行役社長を務めた
    • [39]金子忠浩はFY12(2013年5月期)に代表執行役として在任(短期)
    • [40]杉原博茂はFY13-FY19(2014年5月期-2020年5月期)に代表執行役社長兼CEOを務めた

2020年〜 三澤社長への交代と統合クラウドへの主軸シフト(2020〜現在)

日本オラクルの業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 2020年 三澤智光が代表執行役社長に就任
  2. 2022年 東証再編でのプライム市場の見送りとスタンダード市場への移行 親会社が握る株式の重みが、20年越しに上場区分の選択を左右した
  3. 2022年 Oracle Cloud Infrastructure(OCI)がデジタル庁のガバメントクラウドに決定

三澤社長の再入社が示す日本IT大手3社の人材回路

2020年4月、ギャレット・イルグ氏がオラクル・コーポレーションのエグゼクティブ・バイス・プレジデント兼Head of Asia Pacific & Japanに就任し、APAC地域の統括体制が変わった。同年12月、三澤智光氏が代表執行役社長に就任した。三澤社長は1995年に日本オラクルへ入社し執行役副社長を務めた後、2016年に日本IBM取締役専務執行役員へ転じ、2020年10月にシニア・バイス・プレジデントとして日本オラクルへ戻った経営者である。富士通入社後に日本オラクル、日本IBM、日本オラクルと国内IT大手3社を渡り歩いたキャリアを持つ。 [41][42][43][44][45][46][47]

  • 有価証券報告書
    • [41]2020年4月 ギャレット・イルグ氏がオラクル・コーポレーションのEVP兼Head of JAPACに就任
    • [42]2020年12月 三澤智光氏が代表執行役社長に就任
    • [43]三澤智光は1995年に日本オラクルへ入社(1995-05)
    • [44]三澤智光は執行役副社長を務めた(2014-12 副社長執行役員/2015-12 執行役副社長)
    • [45]三澤智光は2016年に日本IBM取締役専務執行役員へ転じた(2016-07)
    • [46]三澤智光は2020年10月にシニア・バイス・プレジデントとして日本オラクルへ復帰
    • [47]三澤智光は富士通入社後(1987-04)に日本オラクル→日本IBM→日本オラクルと国内IT大手3社を渡り歩いた

2022年4月、東京証券取引所のスタンダード市場へ移行した。最上位のプライム市場ではなくスタンダード市場を選んだのは、流通株式比率の制約による。米Oracle本社が約74%を保有する資本構造のもとでは、プライム市場が求める流通株式時価総額・比率の基準を満たすことが難しく、スタンダード市場が現実的な選択肢となった。米国親会社が株式の大半を握る子会社が日本市場で株式公開を続けるという1999年来の独自モデルが、東証の市場区分再編という外部の制度変更に対しても、どの市場を選ぶかという判断にそのまま表れた。 [48][49]

  • 有価証券報告書
    • [48]2022年4月 東京証券取引所スタンダード市場へ移行
    • [49]スタンダード市場選択は流通株式比率の制約による(プライム基準を満たしにくい)
  • 有価証券報告書
    • [41]2020年4月 ギャレット・イルグ氏がオラクル・コーポレーションのEVP兼Head of JAPACに就任
    • [42]2020年12月 三澤智光氏が代表執行役社長に就任
    • [43]三澤智光は1995年に日本オラクルへ入社(1995-05)
    • [44]三澤智光は執行役副社長を務めた(2014-12 副社長執行役員/2015-12 執行役副社長)
    • [45]三澤智光は2016年に日本IBM取締役専務執行役員へ転じた(2016-07)
    • [46]三澤智光は2020年10月にシニア・バイス・プレジデントとして日本オラクルへ復帰
    • [47]三澤智光は富士通入社後(1987-04)に日本オラクル→日本IBM→日本オラクルと国内IT大手3社を渡り歩いた
    • [48]2022年4月 東京証券取引所スタンダード市場へ移行
    • [49]スタンダード市場選択は流通株式比率の制約による(プライム基準を満たしにくい)

データベース企業からクラウド企業への収益構造の転換

三澤社長の体制で、日本オラクルはOCI(Oracle Cloud Infrastructure)とFusion Applicationsを柱とする統合クラウド事業を国内市場で広げている。OCIはサーバーやストレージといった基盤を提供するサービス、Fusionは会計や人事などの業務アプリケーションをまとめて提供するサービスで、いずれも自社データセンターを持たない顧客が月額で利用する形をとる。1985年の設立以来の主力だったデータベースのライセンス販売から、月額課金のクラウドサービスへと収益の中心を移す転換が、業績数値にも表れている。 [50]

  • 有価証券報告書
    • [50]OCI(Oracle Cloud Infrastructure)とFusion Applicationsを柱とする統合クラウド事業

1985年の設立から40年を経た2025年現在も、日本オラクルは米Oracle Corporationの日本子会社という資本関係を保ちつつ、東証上場企業として独自のIR体制を維持している。製品戦略は米本社のクラウド方針に沿う一方、1990年代以降に整えた東京・大阪・名古屋・福岡・札幌・金沢などの国内営業網と、日本法人としての情報開示体制を併せ持つ点に、外資系子会社としては珍しい性格が残る。データベースのライセンス販売を通じて全国に積み上げてきた顧客基盤を、三澤社長の体制はOCIとFusionへの移行へ引き継ごうとしている。 [51][52][53]

  • 有価証券報告書
    • [51]1985年の設立から40年を経た2025年現在
    • [52]米Oracle Corporationの日本子会社という資本関係を保ちつつ東証上場企業として存続
    • [53]1990年代以降に整えた東京・大阪・名古屋・福岡・札幌・金沢などの国内営業網
  • 有価証券報告書
    • [50]OCI(Oracle Cloud Infrastructure)とFusion Applicationsを柱とする統合クラウド事業
    • [51]1985年の設立から40年を経た2025年現在
    • [52]米Oracle Corporationの日本子会社という資本関係を保ちつつ東証上場企業として存続
    • [53]1990年代以降に整えた東京・大阪・名古屋・福岡・札幌・金沢などの国内営業網

日本オラクルの沿革1985〜2022年における主な出来事を抜粋

年月社長・CEO出来事重要度
日本オラクルを設立
本格的な事業活動を開始
西日本事業所を開設
本社を移転
株式の額面金額を50,000円から50円に変更するため形式上の存続会社と合併
米本社の100%子会社を維持したままの日本単独上場資金繰りに窮した本社をどう口説き落としたか——佐野力社長の賭け 詳細を読む★★★
新宅正明東京証券取引所市場第一部に株式を上場★★
新宅正明兄弟会社の日本オラクルインフォメーションシステムズ(OIS)との協業体制を強化
遠藤隆雄本社ビル「オラクル青山センター」が竣工
遠藤隆雄監査役設置会社から指名委員会等設置会社(指名委員会等設置会社)へ移行
遠藤隆雄遠藤隆雄が代表執行役社長に就任
遠藤隆雄ハードウェア・システムズ部門を新設
遠藤隆雄サーバー・ストレージ等の販売と関連サービスを開始★★
杉原博茂金子忠浩が代表執行役に就任
杉原博茂杉原博茂が代表執行役社長兼CEOに就任
杉原博茂報告セグメントを改定しクラウドを独立区分として新設
三澤智光三澤智光が代表執行役社長に就任
三澤智光東証再編でのプライム市場の見送りとスタンダード市場への移行親会社が握る株式の重みが、20年越しに上場区分の選択を左右した 詳細を読む★★★
三澤智光Oracle Cloud Infrastructure(OCI)がデジタル庁のガバメントクラウドに決定★★
出典・参考
  • 有価証券報告書
  • 週刊東洋経済(2000年10月7日号)
  • 週刊東洋経済(1999年3月13日号)
  • 週刊東洋経済(1999年2月6日号)
  • 週刊東洋経済(2000年4月1日号)
  • 週刊東洋経済(2000年7月29日号)
  • 日経ビジネス(2000年10月9日号)
  • 週刊東洋経済(2000年5月27日号)
  • 週刊東洋経済(2001年7月28日号)
  • 週刊東洋経済(2001年6月16日号)

免責事項およびポリシー