1985年〜 米Oracle Corp.の日本子会社として設立
- 1985年 日本オラクルを設立
- 1990年 本格的な事業活動を開始
- 1992年 西日本事業所を開設
- 1994年 本社を移転
- 1997年 株式の額面金額を50,000円から50円に変更するため形式上の存続会社と合併
外資DBベンダーが選んだ日本拠点の全国営業網整備
1985年10月、日本市場におけるリレーショナルデータベース管理システム「Oracle」をはじめとするソフトウェアプロダクトの販売およびサービス提供を目的として、東京都新宿区に日本オラクル株式会社を資本金1,000千円で設立した。米国Oracle Corporation(現Oracle Corporation)の100%日本子会社として、データベース市場の急成長を受けて日本拠点を確立する目的だった。1980年代後半は日本企業のIT化が本格化した時期で、日本IBM、富士通、NEC等の国内大手と米系ベンダーが基幹DBMS市場で競合する構造のなかで、Oracleはリレーショナルデータベース技術の優位性を武器に市場参入を果たした。 [1][2]
- 有価証券報告書
- [1]1985年10月 東京都新宿区に日本オラクル株式会社を設立(RDBMS「Oracle」等の販売・サービス提供目的)
- [2]米国Oracle Corporationの100%日本子会社
1990年10月、本格的な事業活動を開始した。設立から5年の準備期間を経た商業展開の始動は、日本市場での実質的な事業スタートを意味した。1992年6月に大阪市西区に西日本事業所(現関西オフィス)、1993年7月に名古屋市中区に中部事業所(現東海オフィス)を開設し、地方拠点の整備を行った。1994年6月、東京都千代田区に本社を移転して事業拡大に伴う本社機能拡張を実施し、同時に福岡市中央区に西部事業所(現九州オフィス)を開設した。1996年8月に札幌、1997年2月に金沢の北海道・北陸地区拠点を立ち上げ、エンタープライズDB市場攻略の全国体制を整えた。組織はまだ小さく、日本IBM出身で後に社長となる新宅正明が1991年に日本オラクル入りした際は62番目の社員だったといい、全国拠点網はこの程度の陣容から築き上げられた。 [3][4][5][6][7][8][9][10]
- 有価証券報告書
- [3]1990年10月 本格的な事業活動を開始
- [5]1992年6月 大阪市西区に西日本事業所(現関西オフィス)を開設
- [6]1993年7月 名古屋市中区に中部事業所(現東海オフィス)を開設
- [7]1994年6月 東京都千代田区に本社を移転
- [8]1994年6月 福岡市中央区に西部事業所(現九州オフィス)を開設
- [9]1996年8月 札幌(北海道支社)を開設
- [10]1997年2月 金沢(中部支社北陸営業所)を開設
- 週刊東洋経済(2000年10月7日号)
- [4]1991年、新宅正明(後の社長)が日本オラクルの62番目の社員として入社
- 有価証券報告書
- [1]1985年10月 東京都新宿区に日本オラクル株式会社を設立(RDBMS「Oracle」等の販売・サービス提供目的)
- [2]米国Oracle Corporationの100%日本子会社
- [3]1990年10月 本格的な事業活動を開始
- [5]1992年6月 大阪市西区に西日本事業所(現関西オフィス)を開設
- [6]1993年7月 名古屋市中区に中部事業所(現東海オフィス)を開設
- [7]1994年6月 東京都千代田区に本社を移転
- [8]1994年6月 福岡市中央区に西部事業所(現九州オフィス)を開設
- [9]1996年8月 札幌(北海道支社)を開設
- [10]1997年2月 金沢(中部支社北陸営業所)を開設
- 週刊東洋経済(2000年10月7日号)
- [4]1991年、新宅正明(後の社長)が日本オラクルの62番目の社員として入社
100%子会社のまま日本上場を選ぶ準備段階
1997年6月、株式の額面金額を1株50,000円から1株50円に変更するため、形式上の存続会社日本オラクル株式会社(旧社名:オーアールエーシーエルイーアクイジッション株式会社)と合併した。これは株式上場準備のための形式合併であり、後の上場手続きを円滑にするための法的整備だった。 [11][12]
- 有価証券報告書
- [11]1997年6月 額面金額を1株50,000円から1株50円に変更するため形式上の存続会社(旧社名オーアールエーシーエルイーアクイジッション株式会社)と合併
- [12]株式上場準備のための形式合併
1985年の設立から12年を経て、米Oracle Corporationの100%子会社という資本構造を維持したまま日本市場で株式公開する独自モデルへの移行準備が、この時点で具体化した。1980年代後半から1990年代前半にかけて整備した全国営業網と、エンタープライズDB市場で築いたシェアが資本市場の評価を得る素地を整えた。この上場は本社主導ではなく、90年から社長を務めた佐野力が主導して実現させた経緯を持つ。佐野は米本社が資金繰りに窮していた時期に創業者ラリー・エリソン会長と出会い、日本法人が上場して資金を調達すると申し出たことが出発点だったと後に語っており、日本での情報公開を通じて現地の株主・ユーザー・社員の信認を得るべきだと本社に説き続けた末に実現へこぎ着けた。1999年2月のJASDAQ上場、2000年4月の東証一部上場へと実際につながった。 [13][14][15]
- 有価証券報告書
- [13]1985年設立から12年(1997年)時点
- [15]1999年2月 JASDAQ上場 / 2000年4月 東証一部上場へつながった
- 週刊東洋経済(1999年3月13日号)
- [14]日本法人の株式公開は佐野力社長が創業者ラリー・エリソン会長との出会いを機に主導して実現した
- 有価証券報告書
- [11]1997年6月 額面金額を1株50,000円から1株50円に変更するため形式上の存続会社(旧社名オーアールエーシーエルイーアクイジッション株式会社)と合併
- [12]株式上場準備のための形式合併
- [13]1985年設立から12年(1997年)時点
- [15]1999年2月 JASDAQ上場 / 2000年4月 東証一部上場へつながった
- 週刊東洋経済(1999年3月13日号)
- [14]日本法人の株式公開は佐野力社長が創業者ラリー・エリソン会長との出会いを機に主導して実現した