
ビジョナル(旧ビズリーチ)の歴史
日本におけるダイレクトリクルーティングのトップ企業。近年は多角化を志向
日本におけるダイレクトリクルーティングのトップ企業。近年は多角化を志向
楽天の社員だった南壮一郎氏(2007年当時28歳)は、米国で流行しつつあったLinkedInに着目。求職者と企業の人事部がダイレクトに繋がるプラットフォームに衝撃を受け、日本でも同様のダイレクトプラットフォームの仕組みを作れないかと考えて起業した。
2007年の時点で、ダイレクトリクルーティングという仕組みは日本国内では認知されておらず、SNSも普及途上にあったため、ビズリーチの創業は国内で先発企業にあたる。
ビズリーチにおける着眼点は、南壮一郎氏の経歴に大きく影響している。南壮一郎氏は、大学卒業後にモルガン・スタンレー証券に入社し、東京支社の投資銀行部門に年収約1000万円で配属された。その後、スポーツビジネスに携わるために2003年に退職。2004年から2007年にかけて楽天でプロ野球参入に携わるなど、転職を経験してきた。
そして、楽天退職時に、転職活動を経験する中で、様々な企業とマッチングできないという問題意識を抱いた。特に、30代のプロフェッショナル(高給)向けに特化した転職サイトがないことに気づく。そこで、転職者自らが「転職の意思表明」をした上で、ヘッドハンターや企業が直接スカウトを行うマッチング型「ダイレクトリクルティーング」に着目したという。
このため、ビズリーチでは「求人情報は年収1000万円以上」に限定し、「求職者は年収750万円以上」という範囲に限定。ヘッドハンターや利用企業から成功報酬などを徴収することに加え、求職者からも課金することで求職者の質を担保する方向性も、創業時点で決定したと推察される。
ただし、ビズリーチを創業してからの2年間、南壮一郎氏の給与は月間20万円であったという。
南壮一郎氏は、2007年にビズリーチを創業したものの、創業から2年間はプロダクトを世の中に送り出すことができなかった。南壮一郎氏はエンジニアの経験がなく、エンジニアの採用に苦戦したことが最大の原因であった。南壮一郎氏は様々なツテをたどって、エンジニアの確保に奔走するが、断られ続けたという。
そこで、南壮一郎氏はエンジニアを確保するために、2年間という期限を設けて、採用活動を本格化した。エンジニア向けの勉強会に顔を出したり、MBAの卒業祝い、誕生日会などにも顔を出し、あらゆる手を尽くしてエンジニアを探した。なお、エンジニアが見つからなければ、起業を諦めるつもりだったという。
採用に苦戦する中で、南壮一郎氏はフルタイムでエンジニアを確保することが難しいことを認識した。
そこで「草ベンチャー」「大人のインターンシップ」という謳い文句で、副業としてエンジニアを確保する方向に舵を切った。
この過程で、現在のCTOである竹内真氏も参画(契約形態は業務委託と推察)した。以後、竹内氏は非正社員ながらもビズリーチの開発におけるキーパーソンとなった。
プロダクト開発がスタートし、2ヶ月間の開発期間を経て2009年にダイレクトリクルーティングのサービスとして「ビズリーチ」をリリースした。
わずか2ヶ月の実装が可能になった背景として、既にサービスのコンセプトが固まっていたことや、エンジニアの竹内氏が業務委託としてリクナビの開発(Java)に携わった経験があったことが大きな要因だったと推察される(HR領域の抽象化された一般的なドメイン知識を豊富に持っていたと推察するのが自然であろう)