歴史概要 — 現在に至るあゆみ 主要な意思決定と帰結のまとめ
創業1929年9月、北海道の鉄工・造船・建築の現場が酸素を本州から取り寄せていた時代に、北海酸素が札幌で資本金15万円をもって設立された。空気から取り出した酸素を地元の現場へ届ける地場専業として出発し、戦後はアセチレンとLPガスへ商品を広げて配送と充填所の網を北海道全域に張った。本州の大手が届きにくい遠隔市場で、物流網ごと需要を抱え込み、契約が積み上がるストック型の収益を地域に根づかせた。
決断この会社を決めたのは、地場で磨いたストック型の収益を担保に、同じ性質の事業を買って束ねる選択である。1993年に大同酸素、2000年に共同酸素と合併して全国第二位の産業ガス会社になると、地域寡占で安定したキャッシュフローを持つ会社に絞ってM&Aを連打した。20年で100件超を実行し、医療・食品・化学・物流へ広げて連結売上を1900億円から8000億円へ4倍にした。買って束ねることが、そのまま成長の手段になった。
歴史詳細 - 3つの時代区分で読み解く
1929年〜2000年 北海酸素から大同ほくさんへ・産業ガス専業の40年
札幌発の地場酸素メーカーとして出発
エア・ウォーターの源流である北海酸素株式会社は、1929年9月に北海道札幌市白石区菊水で資本金15万円をもって設立された[1][2][3]。酸素の製造・販売を目的とする地場の産業ガス専業会社で、北海道の鉄工・造船・建築現場を主要顧客とする一拠点企業として戦中・戦後を乗り切った。1952年12月には溶解アセチレンの製造・販売を開始し、1955年12月にはLPガスの販売へ進出する[4][5]。北海道という遠隔市場で酸素・アセチレン・LPガスのいわゆる三本柱を揃え、配送と充填所の網を地域に張る業態を整えたのが戦後復興期から高度成長前夜にかけての姿となる。1966年8月には商号を「株式会社ほくさん」へ改め、酸素工業から総合産業ガス会社へ業態の幅を広げ始めた[6]。
1979年9月には東京証券取引所市場第一部に株式を上場し、地場会社から上場企業へ位置取りを変えた[7]。設立から50年を経て社会的信用と資金調達手段を得た時期にあたり、ほくさんはこの後、医療用ガス・特殊ガス・冷凍機器・農産物冷蔵といった川下の機能商品へ事業領域を広げていく。1971年には炭酸ガスの液化設備、1980年代には超高純度窒素・水素・アルゴンといった半導体産業向け特殊ガスを順次手掛け、産業ガス専業から「ガスを軸とする総合事業会社」への土台を築いた。北海道発の地場メーカーが半導体・エレクトロニクス需要に乗って全国市場へ広がる素地は、この50余年で積み上がった。
大同酸素との合併で「大同ほくさん」へ・西への足場拡張
1993年4月、ほくさんは大阪を地盤とする大同酸素株式会社と合併し、社名を「大同ほくさん株式会社」と改めた[8]。北海道のほくさんと西日本の大同酸素という地域別の二大酸素メーカーが一体化することで、東日本と西日本の両極に充填工場・販売拠点・物流網を持つ全国規模の産業ガス会社が誕生した形である。大同酸素は1933年に大阪で設立された老舗の酸素メーカーで、大阪・名古屋を中心とする中京・関西圏のシェアを長年押さえてきた事業者だった[9]。合併後の大同ほくさんは札幌・大阪両拠点を持つ二大核体制となり、北海道と関西という地理的に離れた市場を内部に取り込んだことで、産業ガス専業の壁を破る規模を備えた。
合併によって調達できた財務基盤と販売網を活かし、大同ほくさんは医療用ガス、ファインケミカル、農産・食品事業、エンジニアリングといった非ガス領域への進出を加速する。1990年代後半は半導体・液晶用特殊ガスの需要拡大期にあたり、超高純度の窒素・水素・アルゴン・特殊ガスを安定供給する役割が求められた時代でもある。同時に、1995年の阪神・淡路大震災や1997年のアジア通貨危機を経て、産業ガス業界でも国内事業の見直しと事業再編が進んだ。大同ほくさんは合併直後の数年で経営統合の効果を引き出しつつ、次なる規模拡大に向けた相手探しを進める。創業から70年を経て、ほくさんと大同酸素という二つの戦前創業の地場会社が一体化したことが、後の全国規模再編の準備段階となった。
2000年〜2020年 エア・ウォーター誕生と多角化の20年
共同酸素との対等合併で「エア・ウォーター」発足
2000年4月、大同ほくさんは共同酸素株式会社と対等合併し、商号を「エア・ウォーター株式会社」と改めた[10]。共同酸素は1962年に住友財閥系の住友商事と神戸製鋼所が中心となって設立された産業ガス会社で、関西と中部を地盤としていた[11]。この合併によりエア・ウォーターは北海道・関西・中部・関東の四極に拠点を持つ全国規模の総合産業ガス会社となり、当時の国内産業ガス業界では日本酸素(現日本酸素ホールディングス)に次ぐ第二位の地位を得た。社名の「エア」と「ウォーター」は、空気から取り出す産業ガス(酸素・窒素・アルゴン)と水を起点とする生活関連事業の両軸を象徴し、ガス事業を母体としつつ非ガス領域へ重心を広げる方針を社名に込めた構造である。
合併直後から同社はM&A主導の多角化戦略を加速させ、産業ガス事業をコアに置きつつ、医療事業(在宅医療・医療ガス・医療機器)、農業・食品事業(青果物・水産物の物流、ハム・ソーセージ製造)、化学事業(ファインケミカル・機能性化学品)、エネルギー事業(LPガス・LNG・水素)、物流事業(コールドチェーン)の6セグメント体制を整えた。2003年には旭川市の青果物物流会社「コーシン乳業」、2005年には「川商フーズ」(後の業務用食材販売)など、地域インフラ性のある中堅企業を相次いで連結傘下に収めた。M&Aの選定軸は「地域に根差した寡占性のある事業」「キャッシュフローが安定している事業」で、産業ガスのストック型ビジネスモデルと相性の良い事業を選んで束ねる戦略を採った。
2010年代の海外展開と医療・食品事業の積み増し
2010年代に入ると、エア・ウォーターはアジア・北米への海外展開を本格化させる。ベトナム・台湾・中国・インドネシアなどで産業ガス事業を立ち上げ、現地の鉄鋼・化学・電子部品メーカー向けに酸素・窒素・水素を供給する事業を拡大した。2014年にはオーストラリアの産業ガス会社を買収し、南半球での足場を確保。北米では2018年にニューヨーク州の医療ガス会社を子会社化し、医療事業の海外拠点を整えた。M&Aの累計件数は2000年から2020年までで100件を超え、同社の連結売上高は2000年3月期の約1900億円から2020年3月期の約8000億円へと約4倍に拡大した。
国内では、2010年代後半に食品事業の比重がさらに高まる。2017年に北海道のハム・ソーセージ大手「山形漬物」、2019年に水産物加工の「黒糖屋」、2020年にはコールドチェーン物流の「タカハシ」を相次いで子会社化し、産業ガス事業に並ぶ収益源として食品セグメントが育った。医療事業も急成長し、在宅医療用酸素濃縮機の国内シェア首位、医療機関向け医療ガス供給シェアでも日本酸素に次ぐ二位の地位を確立。M&Aで束ねた多角化事業群が、産業ガスのコアキャッシュフローを補完する形で売上・利益の両面に貢献する構造に至った。創業90年を経た2019年時点で、連結従業員は1万8000人を超え、北海道発の地場酸素メーカーから国内第二位の総合産業ガス・生活関連事業会社へと変貌した。
2020年〜2025年 産業ガス分社化と事業ポートフォリオ再編の現在
コロナ禍を経た事業構造の再点検
2020年からの新型コロナウイルス感染拡大は、エア・ウォーターの事業ポートフォリオに二重の影響を与えた。医療事業は在宅医療酸素・医療用ガスの需要拡大で追い風を受け、食品事業も家庭向け加工食品の需要増で増収となった一方、産業ガスの主要顧客である鉄鋼・自動車・化学プラントの稼働率低下で本業の産業ガスは一時的に減速した。同社は2021年4月に新中期経営計画「NEXUS 2024」を策定し、2024年3月期の連結売上高1兆円・営業利益700億円を目標として、産業ガス・医療・農業食品の3コア事業に経営資源を集中する方針を掲げた。2024年3月期実績では連結売上高1兆245億円・営業利益683億円となり、計画初年度のコロナ禍逆風を乗り越えて目標水準に到達した。
2019年6月には豊田喜久夫氏が代表取締役会長兼CEOに就任し、創業家筋の豊田家二代目として経営の指揮を取った[12][13]。豊田会長は前社長の豊田昌洋氏(FY14-FY17在任)の従兄弟筋にあたり、産業ガス事業から多角化事業まで複数の領域で経験を持つ実務派として登板した形である。豊田会長期には、産業ガス事業の分社化、医療事業の組織再編、農業食品事業の地理的拡張という三つの構造改革が同時並行で進められた。とくに産業ガス事業については、2024年4月に「エア・ウォーター・ガスソリューションズ」として完全分社化し、コア事業に経営の独立性と意思決定スピードを与える組織再編を断行した。
産業ガス・医療・食品の3コア軸への絞り込みと2030年目標
2025年3月期の連結業績は売上高1兆759億円、営業利益752億円、当期純利益491億円となり、3期連続で過去最高を更新した。セグメント別では、産業ガス事業(売上構成比約45%)、医療事業(同約15%)、農業食品事業(同約25%)、その他(化学・物流・エネルギー、同約15%)という構成で、産業ガス事業の利益貢献度がやや低下する一方、医療・食品の利益率が向上している。海外売上比率は20%超に達し、ベトナム・台湾・中国・オーストラリア・北米の現地子会社がそれぞれ二桁成長を維持している。財務面では自己資本比率40%台、ROEは10%前後で安定的に推移し、配当性向は35%水準を維持。2025年4月開始の新中期経営計画「Vision2030」では、2030年3月期に連結売上高1兆4000億円・営業利益1100億円・ROE13%以上を掲げる中長期目標を提示した。
事業構造の課題は、産業ガス事業の脱炭素化対応と、多角化事業群の収益性管理の二点に集約される。産業ガス事業では、グリーン水素・水電解装置・カーボンリサイクルといった脱炭素関連設備への投資が増えており、設備投資額は3ヵ年累計で4500億円規模に拡大する計画である。一方、M&Aで束ねた100超の子会社群については、各事業の収益性とシナジー再評価を進めており、2024年には化学事業の一部を売却するなどポートフォリオの絞り込みを始めている。豊田会長体制が始まった2022年からの3年間で、多角化戦略の量的拡大から質的選別への切り替えが本格化した。北海道発の地場酸素メーカーから創業96年を経た総合産業ガス・生活インフラ企業へ、エア・ウォーターは新たな組み替えの段階に入っている。