歴史概要 — 現在に至るあゆみ 主要な意思決定と帰結のまとめ
創業1971年8月、機械メーカーの営業だった西川清氏が、東京都内で株式会社ニシカワ商会を興した。駐禁看板は重量物で運送費がかさみ、数を売っても伸びない。転機は日本信号の無人ロック装置パークロックの販売権で、ツテのない相手に通い詰めて獲得した。患者用の駐車場が無料ゆえ不法駐車で埋まる病院に着眼し、聖路加国際病院から、不法駐車の解消と駐車場収入を同時に渡す提案で主要病院へ広げ、設立3年目で年商1.3億円。物を売る商売から、現場を預かって料金を取る商売へ移った。
決断安定収益に慢心した西川清氏は約20年を中小企業のまま過ごし、1988年の売上は15.8億円だった。1991年、50歳で「やれるのはこれが最後」と、12月に上野でタイムズ1号を始める。機器を売る代理店から、駐車場を運営する事業者へ転換した。バブル崩壊で土地を抱え固定資産税に追われる地主が、臨時収入に駐車場を選び、無人時間貸しの店舗網は短期で広がった。1995年に1万台、5年で売上を10倍化し、稼働率がそのまま収益になる稼ぎ方を確立した。
歴史詳細 - 3つの時代区分で読み解く
1971年〜1990年 ニシカワ商会期 ── 駐禁看板からパークロック販売、病院駐車場代行へ
西川清氏が脱サラで興したニシカワ商会と祖業の駐禁看板
1971年8月、工業用ファスナーメーカーで営業マンを務めていた西川清氏が、勤務先の方針と折り合わず独立して株式会社ニシカワ商会を東京都内に設立した。当初は事業内容を決め切れずに始まったが、街中で目にした「駐車禁止」の張り紙からニーズを感じ取り、駐禁看板の製造販売を祖業に据えた。ただし看板はコンクリート土台を伴う重量物で運送コストが高く単価も低かったため、事業を拡大する手段としては限界があった[1][2][3]。
その限界を解いたのが、代官山の料理屋で偶然目にした日本信号製の無人駐車場ロック装置「パークロック」である。日本信号にはツテがなかったが、西川清氏は通い詰めて販売権を獲得した。日本信号は別の商社にパークロックの販売を任せていたが販売実績が伸びず、ベンチャー企業のニシカワ商会へ販路を委ねた。1971年11月に日本信号との販売代理店契約を締結し、駐車場機器を仕入れて販売する事業の足場を構えた[4]。
聖路加国際病院から東京都内の主要病院へ拡張
西川清氏は、当時の病院駐車場が無料で運用されていながら不法駐車で患者が利用できない状況に着眼し、聖路加国際病院(東京・築地)への納入を皮切りにパークロックを売り込んだ。病院側は不法駐車問題の解消と駐車場収入の獲得を同時に得られる契約を歓迎し、東京都内の主要な病院(私立系・国立系の両方)でパークロックの販売と無人駐車場の管理代行の受注が広がった。設立3年目(1973年頃)に年商1.3億円を確保し、東京都心部の主要病院との取引で安定収益を抱える中小企業の体裁が整った[5][6]。
ところが、この安定収益を得た西川清氏は事業を伸ばすより私生活を優先する時期に入り、ニシカワ商会は1990年頃までの約20年間、東京都内の病院駐車場運営を主力とする中小企業にとどまった。西川清氏自身が後年、「30歳そこそこで会社を作って、それが当たってしまった。なんだ世の中、金稼ぐのは簡単だ。そう慢心してしまったんです。それから約20年間は悪くなるとがむしゃらにやって、よくなると怠ける。そんな繰り返しでした」(商工ジャーナル 2000/3)と振り返っている。1988年7月期のニシカワ商会は、東京都の西五反田に本社を構え、売上高15.8億円・利益0.3億円・従業員数36名の中小企業であった[7]。
パーク二四株式会社の設立と1990年の日本信号との販売代理店契約継続
1985年8月、駐車場の保守及び運営管理を目的としてパーク二四株式会社が東京都品川区西五反田一丁目に資本金10百万円で設立された。社名「パーク二四」は24時間営業の駐車場ビジネスを志向する事業構想を反映していた[11]。設立から数年は鉄道高架下や民間遊休地を借り受けて駐車場として運営する仲介モデルと、駐車場機器の販売・保守を組み合わせた事業構造で、月極駐車場の運営代行が中心の小規模事業であった[8][9][10]。
1990年11月に日本信号株式会社との販売代理店契約を締結し、駐車場機器(ロック装置・料金徴収機)の調達ルートを整えた。機械装置販売モデルでは設置主体が個別オーナーに分散するため、規模拡大の手段としては不十分であった点が、次の業態転換を促す課題となった[12]。
1991年〜2017年 タイムズ業態の発明と3段階上場、モビリティ事業参入
1991年12月の上野「タイムズ」1号運用と1995年7月の1万台突破
1991年、50歳を迎えた西川清氏は「事業家としてやれるのは年齢からもこれが最後だ」(商工ジャーナル 2000/3)と判断し、5年後の売上目標を150億円(当時の10倍以上)、同時に株式公開を目指す事業計画を組み直した。タイムズ展開に先立って、福岡県のパーク24所有地(自社ビル建設予定地)で当時主流の「月極駐車場」相場と新しい「無人時間貸し駐車場」の料金設定の目安を探るテストマーケティングを行い、相場感を確かめたうえで本格展開に移った[13][14]。
1991年12月、東京都台東区上野にロック付無人駐車料金徴収装置による24時間無人時間貸駐車場「タイムズ」1号物件の運用を開始した。駐車台数は5〜6台が標準的で、地主と駐車場を共同経営する名目のもとで、駐車場の管理代行業を始めた。これがパーク24の事業を転換した一手で、駐車場機器の販売代理店から駐車場運営事業者への業態転換を意味した。1992年5月にタイムズ二四株式会社を設立して集金業務を子会社化し、1993年6月に駐車場管理部門、同年8月に保守部門をタイムズ二四へ譲渡することで、本体は事業開発と機器調達、タイムズ二四が運営オペレーションを担う分業体制を組み立てた。1993年8月にはパーク24がニシカワ商会の事業を譲り受け、創業者の事業母体を統合した[15][16][17]。
バブル崩壊で開発中止地が増え、固定資産税負担を抱えた地主が駐車場経営を臨時収入源として選好する需要を取り込み、無人時間貸し駐車場の店舗網は短期間で広がった。1995年7月にタイムズのパーキング台数が1万台を突破、FY96の連結売上150億円達成によって、5年前に掲げた目標を期日通り達成した。
1997年JASDAQ、1999年東証二部、2000年東証一部の3段階上場
1997年3月、日本証券業協会へ株式を店頭登録(後のJASDAQ)し、初の株式公開を果たした。1998年5月に広島市中区にタイムズ広島を設立、同年11月には東京都品川区にタイムズサービスを設立して不正駐車の追跡調査関連業務を開始するなど、運営子会社の地域展開と周辺サービス事業化を並行して行った[18][19][20]。
1999年4月に東京証券取引所市場第二部に上場し、わずか1年後の2000年4月に東証一部へ昇格した。JASDAQ → 東証二部 → 東証一部の3段階上場を3年で達成した点に、タイムズ業態の収益性と成長性に対する資本市場の評価が現れている[21][22]。
2009年マツダレンタカー取得と2017年英国NCP買収によるグローバル化
2000年4月の東証一部上場直後から、パーク24は駐車場運営の周辺領域への事業多角化を模索した。2000年1月にドライバーズネット株式会社を設立して自動車関連サービスの提供を開始し、2003年11月にタイムズ広島・タイムズサービスをグループ内で吸収合併・再編した。2004年1月、創業者の西川清氏の長男にあたる西川光一氏が代表取締役社長に就任し、同族経営の構図を維持しつつ事業多角化を担う体制となった。2006年3月に韓国でGS PARK24 CO., LTD.を設立、同年4月に台湾台北市に支店を開設し、海外展開の準備に入った。2007年10月に本社を東京都千代田区有楽町二丁目へ移転、グループ運営体制の中央集権化を行った[23][24][25][26]。
2009年3月、株式会社マツダレンタカーの株式を取得して連結子会社化し、「モビリティ事業」を開始した。マツダレンタカーは後にタイムズモビリティに改称し、「タイムズカー レンタル」(レンタカー)と「タイムズカー プラス」(カーシェア)の2ブランドで国内モビリティ事業を担う基盤になった。2010年4月にタイムズサポートを取得、2011年3月にレスキューネットワークを取得してロードサービスへ参入、2011年5月の分社型会社分割でタイムズ24(駐車場運営)・タイムズサービス・タイムズモビリティ(旧マツダレンタカー)を分割承継会社とする事業会社別運営体制を組み上げた[27][28][29][30][31]。
2016年12月、オーストラリア(PARK24 AUSTRALIA)・シンガポール(PARK24 SINGAPORE)・マレーシア(PARK24 MALAYSIA)にそれぞれ現地法人を設立し、2017年1月にはSECURE PARKING PTY LTD(豪)の3カ国子会社の株式を取得して、海外駐車場事業の足場を組み立てた。同年7月に英国にPARK24 UK LIMITEDを設立し、8月にはNATIONAL CAR PARKS LIMITED(英国)の持株会社であるMEIF Ⅱ CP Holdings 2 Limitedの株式を取得した。NCP買収はパーク24の海外M&Aで最大の案件で、英国の駐車場運営の最大手を取り込んだ。FY17の連結売上高は2,329億円・従業員4,577名と、FY16比で売上は約2割増、従業員数はほぼ倍増した。豪SECURE PARKINGと英国NCPの2件によって、パーク24は「日本の駐車場運営会社」から「グローバル駐車場運営事業者」へ業態が広がった[32][33][34][35]。
2018年〜2026年 コロナ禍リカバリーとプライム移行後の資本政策
コロナ禍による国内タイムズ事業・モビリティ事業の急減
2019年11月、カーシェア事業をタイムズモビリティに事業移管し、タイムズモビリティネットワークスをタイムズモビリティに商号変更した。コロナ禍直前のグループ事業再編で、駐車場運営とモビリティ事業の分業ラインを最終整備した形である。しかし2020年4月以降のコロナ禍は、駐車場利用とレンタカー需要を直撃した。緊急事態宣言下の外出自粛で都心部の時間貸駐車場の稼働率が落ち込み、レンタカー需要も観光・出張の蒸発で激減した。FY20(2020年10月期)の連結売上高は前年比約15%減の2,689億円、親会社株主に帰属する当期純損失は466億円と、創業以来初の本格的な経営危機となった[36]。
国内事業の急減と並行して、海外事業も英国・豪州・東南アジアでロックダウンの影響を受けた。特に英国NCPは2017年買収時のれん残高が高く、コロナ禍下での収益急減は減損リスクとして表面化した。2021年9月には韓国の合弁会社GS PARK24 CO., LTD.の全株式を譲渡し、韓国市場から撤退した。グローバル化を遂げた直後にパンデミックで全市場が同時に痛むという、パーク24に固有の構造的リスクが浮き彫りとなった局面である[37]。
2022年4月プライム移行と海外募集251億円調達によるリカバリー
2022年4月、東京証券取引所の市場区分の見直しによりパーク24は東証一部からプライム市場へ移行した。同月には海外募集による新株式の発行を実施し、総額251億円の資金調達を行った。コロナ禍からのリカバリー局面で財務基盤の強化と海外事業の建て直し原資を確保する一手で、プライム移行と同時の資本調達は資本市場との対話を強める姿勢を示す選択であった。2022年10月にはマレーシアのSECURE PARKING CORPORATION SDN. BHD.をTIMES24 MALAYSIA SDN. BHD.へ、シンガポールのSECURE PARKING SINGAPORE PTE. LTD.をTIMES24 SINGAPORE PTE. LTD.へ商号変更し、海外子会社をタイムズブランドへ統合する作業に着手した。2024年2月にはPARK24 UK LIMITEDをPARK24 INTERNATIONAL LIMITEDに商号変更し、英国子会社を国際統括会社の役割に据えた[38][39][40]。
2023年10月期は連結売上高3,301億円・親会社株主に帰属する当期純利益175億円まで回復し、コロナ禍前のFY19(3,174億円)水準を上回った。2024年10月期通期決算は連結売上高3,709億円とFY19を約17%上回り、本格回復を確認した[41]。同年内に西川光一社長は「代表取締役社長CEO」へ役職名を変更し、グループ統括姿勢を肩書で示した。2025年1月開催の経営近況報告会では、国内タイムズ事業の利益体質改善と海外(豪・英)駐車場事業の建て直しを中期経営計画の重要テーマに据え、「タイムズ事業 × モビリティ × 海外」の3軸での利益最大化を提示している。1971年の駐禁看板販売から始まり、1991年のタイムズ業態発明、2017年の英国NCP買収を経たパーク24は、海外事業の構造的収益化と国内モビリティ事業の黒字定着、そして20年超在任の西川光一社長CEOの後継者選定を、次代の経営課題として抱えている[42]。