1973年7月、28歳の永守重信氏は京都市西京区で資本金200万円の日本電産株式会社を設立した[1]。ティアックと山科精機で計6年勤め、当初は35歳での独立を計画していた[2]が、列島改造ブームの混乱を変動期の好機と読み替え、独立を7年前倒した[3]。精密小型モータを国内の大手電機メーカーへ売り込むと、製品は良いが若すぎて信用がないとして取引を拒まれた[4]。創業初期は売上の95%が輸出で、米国での採用実績を国内の信用へ逆流させる営業の型[5]が創業の年に固まった。
1974年、オムロン創業者の立石一真氏が主宰する京都エンタープライズ・デベロップメントから500万円の出資を受けた[6]。この出資で日本電産は一気に信用を得て、金融機関は積極融資に転じた[7]。出資を含む資金は1975年2月に開設した京都府亀岡市の亀岡工場[8]へ投じられ、1976年4月には米国セントポール市に米国日本電産を設立し[9]て輸出の受け皿を現地へ置いた。8インチのハードディスク駆動装置向けスピンドルモータの開発に着手したのは1979年で、以後の主力となる製品分野へ入った。
1984年、滋賀県愛知郡愛知川町に滋賀工場を開設して[10]国内生産の中核を置いた。翌1985年には不況下で45億円を投じて滋賀に第3工場を新設し[11]、大手ユーザーの需要を根拠に増産へ踏み切った。1988年3月期の売上高は258億円、経常利益は26億円[12]で、輸出比率は60〜70%に達していた[13]。当時の主力であるハードディスク装置用スピンドルモータの世界シェアは約70〜75%を占めた[14]。1988年11月、京都証券取引所と大阪証券取引所市場第二部へ株式を上場し[15]、創業から15年で資金調達の基盤を得た[16]。
1989年、HDD用スピンドルモータの世界シェアは72.2%、生産台数は1400万台に達し、16.5%の信濃特機を引き離した[17]。同年3月、その信濃特機を[18]ティアックから買収し、合併後のシェアは約88.7%へ上がった[19]。従業員の雇用を維持する確約が独占禁止法上の認可の決め手[20]となった。1990年8月のタイ日本電産[21]を皮切りに、1992年2月には中国・大連[22]、同年10月には台湾[23]、1993年4月にはドイツ[24]、同年10月には香港へ拠点を開設し[25]、生産と販売の網を海外へ広げた。創業期の生産を担った亀岡工場は1993年12月に閉鎖した[26]。
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|---|---|---|---|---|
| 1973〜1993年米国経由の信用と精密小型モータによるHDD市場の独占 | 永守重信 | 資本金200万円からの出発と、米国経由の信用を足がかりにした世界シェアの獲得 精密小型モータの需要を捉えた28歳の技術者が、変動期を好機と読んで安定した勤めを辞して独立し、国内大手に拒まれた信用を米国市場経由で獲得した創業 詳細を読む | ★★★ | |
| 永守重信 | 直流ブラシレスモータの生産開始 | ★ | ||
| 永守重信 | 米国日本電産を設立 | ★ | ||
| 永守重信 | HDD向けスピンドルモータの開発に着手 | ★★ | ||
| 永守重信 | トリン社の軸流ファン部門を買収 | ★ | ||
| 永守重信 | 滋賀工場を新設 | ★ | ||
| 永守重信 | 京都証券取引所・大阪証券取引所市場第二部に株式を上場 | ★ | ||
| 永守重信 | 信濃特機を買収(HDD向けモータ) | ★ | ||
| 永守重信 | 現地生産を本格化 | ★ | ||
| 永守重信 | 日本電産(大連)有限公司(現 ニデックモータ(大連)有限公司)を設立 | ★ | ||
| 1994〜2005年HDD依存の露呈と企業買収による多角化への転換 | 永守重信 | スピンドルモータ一本への絞り込みと、従来主力への依存からの脱却 日本電産は1979年に始めたHDD用スピンドルモータへ集中投資を続け、1980年代末に世界シェア約7割を占めて世界首位に立った。しかしその集中は、パソコン需要の変動が業績をそのまま揺らす脆さを併せ持っていた。永守重信社長は、主力で世界一を取りながら、その主力への依存を自ら断つ方針を掲げ、製品構成を車載・家電・産業機器へと広げていった経営判断である。 詳細を読む | ★★★ | |
| 永守重信 | 最終赤字に転落。HDD向け需要が一時的に減少 | ★★ | ||
| 永守重信 | 企業買収による成長モデルの確立 自社開発の限界を越えるため、ムダを抱えて収支が均衡する会社を選んで買収し、雇用を保ったまま規律改善で高収益化する再建型M&Aを成長の主軸に据えた判断 詳細を読む | ★★★ | ||
| 永守重信 | コパルとコパル電子に資本参加 | ★ | ||
| 永守重信 | ニューヨーク証券取引所に上場(2016年5月まで) | ★ | ||
| 永守重信 | 経営不振に陥った精密機器メーカーを傘下に収めての立て直し 2003年10月、日本電産はHDD用の流体動圧軸受モータで競合していた三協精機製作所の第三者割当増資を引き受け、57,800,000株を発行価額216円で取得して筆頭株主となった。1946年6月に諏訪市で創立した精密機器メーカーは、3期続けて経常損失を計上し、2004年3月期には287億17百万円の当期純損失に沈んでいた。 2004年1月にはグループ5社を加えた2回目の割当30,000,000株を引き受けて子会社とし、永守重信氏は同年3月に代表取締役会長(CEO)へ就任した。2005年10月、商号は日本電産サンキョーへ改まった。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 2006〜2022年中核事業を車載へ移す転換と世界規模の企業買収 | 永守重信 | Valeo S.A.のモータ&アクチュエータ事業を買収 | ★★ | |
| 永守重信 | 日本サーボに資本参加 | ★ | ||
| 永守重信 | 流体動圧軸受で世界シェア70%確保 | ★ | ||
| 永守重信 | Emerson Electric Co.のモータ・コントロール事業を買収 | ★★ | ||
| 永守重信 | ホンダエレシスを買収 | ★ | ||
| 永守重信 | グループ会社のコーポレートブランドロゴをNidecに統一 | ★ | ||
| 吉本浩之 | 吉本浩之氏が代表取締役社長執行役員最高執行責任者に就任、永守重信氏は代表取締役会長最高経営責任者へ | ★★★ | ||
| 吉本浩之 | エンブラコ社を買収 | ★ | ||
| 関潤 | 関潤氏が社長執行役員兼COOに就任、永守重信氏は代表取締役会長最高経営責任者を継続 | ★★★ | ||
| 関潤 | 三菱重工工作機械を譲受け、日本電産マシンツールを設立 | ★ | ||
| 小部博志 | 小部博志氏が代表取締役社長執行役員兼COOに就任、最高経営責任者は永守重信代表取締役会長が務める | ★★★ | ||
| 2023〜2026年同意なき買収、事業承継、そして会計不正の発覚 | 小部博志 | ニデックに商号変更、国内連結子会社もニデックを冠した商号に変更 | ★ | |
| 小部博志 | 初のTOBによる完全子会社化と、買収を成長手段に据えた転換 2023年11月20日、ニデックは金融商品取引法に定める公開買付けにより、金属工作機械メーカーTAKISAWA(旧滝澤鉄工所)の普通株式86.14%を14,306百万円で取得した。公開買付けの開始は2023年9月で、対話の結果TAKISAWAが同意したうえでの開始だった。2024年2月2日の株式併合によりTAKISAWAは完全子会社となった。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 小部博志 | 社外から迎えた経営者への交代と、集団指導体制への移行 2024年2月14日に社長交代を公表し、4月1日付で副社長執行役員の岸田光哉氏を代表取締役社長執行役員(最高経営責任者)に据えた。新社長は指名委員会の審議を経て取締役会が決議している。 創業者の永守重信氏は代表権を残す取締役グローバルグループ代表へ移り、6月からは取締役会議長を兼ねた。社長だった小部博志氏は代表権のない取締役会長へ就任した。監査等委員でない取締役と執行役員の任期はいずれも1年である。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 岸田光哉 | 岸田光哉氏が社長執行役員最高経営責任者に就任、小部博志氏は取締役会長へ | ★★★ | ||
| 岸田光哉 | 同意なき買収提案という手段の選択と、実現に至らぬままの取り下げ 2024年12月27日、工作機械大手の牧野フライス製作所へ、事前の協議を経ないまま買収提案が届いた。牧野は翌2025年1月10日に特別委員会を設置し、提案内容の評価と代替案の模索を始めた。公開買付けは成立せず、牧野は同年6月3日、別の買い手であるMMホールディングスによる非公開化を前提とした公開買付けへ賛同を表明した。 ニデックが2025年3月末に保有する牧野株は100株で、目的は株主名簿の閲覧請求など株主としての権利行使の可能性を確保することにある。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 岸田光哉 | 第三者委員会の設置と、目標必達を優先した業績管理がもたらした経営の破綻 2025年7月22日、子会社ニデックテクノモータから監査等委員会へ、その中国子会社で購買一時金1,000万元に関する不適切な会計処理が行われた疑いがあるとの報告が上がった。社内調査の過程で、資産性にリスクのある資産について評価減の時期を恣意的に検討しているとも解釈しうる資料が他の拠点でも複数見つかり、9月3日に第三者委員会が設置された。 2025年3月期の有価証券報告書は同年9月26日に提出されたが、連結財務諸表・内部統制報告書ともに監査意見は表明されなかった。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 岸田光哉 | 永守重信氏が代表取締役グローバルグループ代表・取締役を辞任、非常勤の名誉会長へ | ★★★ | ||
| 岸田光哉 | アクティビスト・ガバナンス改善要求 会計不正で株価が急落し統治不信が広がるなかで、香港のアクティビストが株式6.74%を取得して割安是正と取締役会改革・創業者の責任追及を要求し、会社側が指名委員会の独立化と取締役会刷新で応じた株主圧力への対応(本稿の時点で未決着) 詳細を読む | ★★★ |
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事実根拠:出所(ニデック)