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日本電産の歴史

創業年
-
株式上場
-
1973年
日本電産を設立
1974年
スリーエムからビデオテープ向けモーターを受注
1979年
ハードディスク向けモーターの製造開始
1985年
滋賀県に第3工場を新設
1988年
大阪証券取引所に株式上場
1989年
信濃特機に資本参加(買収)
1993年
ハードディスク向け小型モーターで世界シェア80%確保
1995年
流体動圧軸受の技術を獲得するために企業買収を本格化
2003年
三協精機製作所に資本参加
2009年
流体動圧軸受で世界シェア70%確保
永守重信(日本電産・創業者)
永守重信(日本電産・創業者)
illustration by @yusugiura
1973年

日本電産を設立

永守重信(当時27歳)は勤務していた山科精機(モーター製造会社)を退職し、日本電産を設立して起業家に転身した。本社は出身地である京都に設置し、オムロンの創業者が主宰するベンチャーキャピタル「京都エンタープライズでベロプメント(KED)」からの出資を受けた。なお、永守重信氏の母は企業に反対したが、「人の倍働けるなら成功する」と言って最後は後押ししたという。

永守重信の発言
永守重信の発言

私は27歳の時に勤めていた会社を辞めて、小型精密モーターメーカーを設立しました。1973年のことです。当時、市場には大手が何社も参入し、激しい競争を繰り広げていました。かたや私の会社は社員4人で、資金力も設備もない。そんな不利な条件を覆して勝つにはどうしたらいいのか。必死で考えたあげくに気づいたのは、時間だけは誰にも平等に与えられていることです。1日24時間をいかに有効に使うかで勝負が決まると思ったんです。大企業の社員が1日8時間働くなら、我々は16時間働けばいい。大企業の営業マンが月に50社訪問するなら、我々は100社訪問しよう。これは精神論とか根性の問題ではありませんよ。小が大に勝つための合理的な戦術なんです。

2001/7/23日経ビジネス「仕事の能力は1年で100倍に高まる・永守重信」
1974年

スリーエムからビデオテープ向けモーターを受注

米国の大企業であるスリーエムから、ビデオテープのダンピング機械に使用する小型モーターの受注に成功。スリーエムは日本電産がベンチャー企業である事を気にせず、性能と価格の良さでモーターの発注を決めた。

1979年

ハードディスク向けモーターの製造開始

コンピューターの記憶装置であるハードディスク向けのモーター(8インチ型HDD向けスピンドルモータ)の開発を開始した。だが、極めて高い精度が要求されたため、数年間の開発期間を経て、小型精密モーターの開発に成功する。以後、ハードディスク向けの小型モーターは、日本電産の主力製品の一つに育った。

永守重信の発言
永守重信の発言

ハードディスク用モーターというのは、当時は大変な代物でね。フロッピーディスク全盛時代で、ハードディスクの生産数量そのものが数ないうえに、フロッピー用の100倍の精度が必要でした(中略)本当にモーターのことをよく知っている人だったら、絶対に手を出さない。まして、ベルトを介さず、モーターでスピンドル(回転軸)を直接回す「ダイレクトドライブ方式」でやろうというわけですから。(中略)しかし意欲だけ誰にも負けない。そんな集団でしたから、「簡単にできるんじゃないか」という軽い気持ちで受けてきた。

1999/10日経ベンチャー「特集・小さな世界一企業・日本電産」
1985年

滋賀県に第3工場を新設

1985年に経済不況に陥り「日本電産は危ない」という噂が流れた。だが、永守重信は顧客である大企業からのモーターの引き合いが強いことを根拠として増産を決定。日本電産はハードディスク向けモーターを大量生産するために、45億円を投資して滋賀県に第3工場を新設した。

1988年

大阪証券取引所に株式上場

1988年3月期に日本電産は売上高258億円、経常利益26億円の高業績を達成し、大阪証券取引所に株式を上場を果たす。創業者の永守重信は日本電産の株式上場によって、時価250億円の資産家になるとともに株式売却益40億円を獲得した。これにより、永守重信は、抵当に入れた家、10億円の借金(増資のたびに借金により株を購入)、というリスクを負った生活と決別する。

永守重信の発言
永守重信の発言

上場できなかったら全てがパーになる。そう思ったら、何をするにも余裕がなくなり、希薄迫る思いで上々に漕ぎつけた。

1989/3/27日経ビジネス「猛烈集団率いてスピード上場・永守重信」
1989年

信濃特機に資本参加(買収)

1980年代を通じてハードディスク向けモータでは、日本電産がトップシェア60%、信濃特機がシェア30%となり、日本電産の優位が確定しつつあった。なお、両者は1980年代を通じてシェアを争っていたが、信濃精機は商社経由の販売により顧客対応が遅れた一方、日本電産は迅速な顧客対応によってシェア争いに勝利した。そこで、日本電産は国内シェアを確保するために、信濃特機の資本参加を決めた。だが、シェア90%のために独占禁止法に抵触する恐れがあったが、日本電産は信濃特機(長野県)の雇用を守るることを約束し、買収が認められたという経緯がある。

永守重信の発言
永守重信の発言

私は買収した会社の若手社員には3つのことしか言いません。始業時間が9時30分ならば5分前に来い。職場をきれいにしろ。会社は休むな。これだけです。始業時間ギリギリに出社してくる社員は心に余裕がないのでミスが多い。整理整頓ができていないと仕事の効率が悪くなる。会社を休めば仕事のチャンスを失ってしまう。仕事の正否なんて意外だけれど、そんな些細なレベルで決まるんですよ。

2001/7/23日経ビジネス「仕事の能力は1年で100倍に高まる・永守重信」
1993年

ハードディスク向け小型モーターで世界シェア80%確保

HDD向けスピンドルモーターの世界シェア80%を確保

1995年

流体動圧軸受の技術を獲得するために企業買収を本格化

1990年代を通じてハードディスクがコンピューターの記憶装置として定着すると、大容量かのニーズが顕著となった。このため、HDD向けモーターはさらなる高精度が要求されるようになり、従来のボールベアリング方式ではなく、流体動圧による技術方式が注目されるようになった。だが、日本電産の技術はモーターの組み立てが中心であり、流体動圧軸受に必要な部品加工技術がなかったため、企業買収による加工技術の確保を急いだ。1995年にシンポ工業と共立マシナリ、1997年にトーソクとリードエレクトロニクスと京利工業、1998年にコパルと子パル電子と芝浦電産、1999年にネミコンに資本参加し、流体動圧軸受の開発に必要な精密加工の技術を取り込んだ。

永守重信の発言
永守重信の発言

実は言うと、当社の柱である精密モーターの技術が90年代半ばから2000年にかけて一変すると予想されていたのです。モーターはそれまで、内部でシャフトとそれを包む軸受けの間に、ボールベアリングを入れるタイプのものが中心でしたが、やがてはベアリングの代わりに潤滑油を入れるFDB(流体軸受け)になると言われていたのです。(中略)ところが当社にはまだ十分な技術がなかった。そこで取り掛かったのがM&Aなのです。精密なシャフトや軸受けなどを作るために、例えばトーソクと専用の計測機器を開発し、コパルの金型技術とキョーリのプレr酢技術で、精密部品のプレス加工を可能にしていったということです。

2012/1/30日経ビジネネス「永守重信の経営教室・第4回」
2003年

三協精機製作所に資本参加

流体動圧軸受けモーターの競合であった三協精機を買収し、海外生産拠点と国内の開発拠点を強化

永守重信の発言
永守重信の発言

(筆者注:M&Aの決め手は)僕が言っているのは、時間軸です。今から直すのに一番かかるのが技術だと。買収して再建するのに10年もかけられないでしょう。しかし、人の気持ちとか心とかは、1年で変わるわけですよ。技術だけは10年かかります。だから技術力のあるところを買わなければいかんのです。経営が悪かったら、変えたらいい。1番の理想は、技術力があって、経営が悪いところね。そうした案件を実際にM&Aするには時間がかかります。三協精機も5年かかっているし、芝浦製作所(現、日本電産シバウラ)なんて10年かかっとるしね。5年から10年かかるんです。

2012/1/30日経ビジネネス「永守重信の経営教室・第4回」
2009年

流体動圧軸受で世界シェア70%確保

2002年ごろから流体動圧軸受によるHDDが普及し始め、すでに加工技術を習得していた日本電産は増産で対応。この結果、ベアリングから流体動圧という技術変化にも対応することに成功し、引き続きHDD向けの小型精密モーターで世界シェア70%(2009年時点)を確保し続けた。

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