エスフーズの歴史

米国産ホルモンを使用した「こてっちゃん」で業容を拡大

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Author: @yusugiura
1967〜1982 - 創業経緯
レバー・ミノ・タンの輸入業で創業
1967
創業経緯
有限会社スタミナ食品を創業
森島征夫氏(スタミナ食品創業者)は、終戦直後の闇市で食べた「もつ料理」の味に衝撃を受けて、1966年に当時27歳で独立した。1967年には内... 続きを読む
1969
輸入
オーストラリアより内臓肉の輸入を開始
1969年にスタミナ食品は、オーストラリアから内臓肉(上ミノ)を輸入する体制を整えた。スタミナ食品としては肉の輸入体制を整える第一歩となり、牛肉の輸入メーカーとして台頭する転換点となった。 ただし、肉の美味しさという観点から、1972年からアメリカからの輸入を開始しており、スタミナ食品としては「アメリカ産の上ミノ」が取扱の主力となっている。
1970
会社設立
スタミナ食品株式会社に組織変更
1970
設備投資
兵庫県尼崎に本社工場を移転新設
1972
輸入
米国のカンザスビーフ社より内臓肉の輸入を開始
1972年にスタミナ食品は、米国のカンザスビーフ社から内臓肉を大量に輸入する契約を締結した。牛肉の解体の際に採取できる内臓肉は、解体後すぐに洗浄・ボイル・冷凍をしないと痛みやすく、大量処理によって製造コストを削減できるため、大量の買い付けが条件となった。 また、米国では牛の内臓肉を食べる習慣がなく、需要がなかった。そこで、スタミナ食品は、内臓肉の大量買付を前提とすることで、米国のカンザスビーフ社と契約を締結し、従来は捨てられていた内臓肉の輸入を開始した。
1977
販路開拓
販売部門を子会社分離
1977
販路開拓
九州支店を新設(福岡市中央区)
1979
販路開拓
東京支店を新設(東京都港区)
Performance > 1967〜1982
1982〜1996 - 安定成長
こてっちゃんのヒットで卸から製造に事業領域を拡大
1982
業態転換
内臓肉ブランド「こてっちゃん」を発売。食肉製造に本格進出
1980年代において牛の内臓肉(小腸・モツ・ミノ・ホルモン)は焼肉屋で消費されるのが一般的で、家庭に普及する食べ物ではなかった。そこで、1982年にスタミナ食品は、イメージアップも兼ねて内臓肉を「こてっちゃん」のブランドとして一般家庭向けに展開した。 発売直後からヒットしたため、1980年代を通じてスタミナ食品は独自の食肉ブランドを抱えるメーカーとして発展することを目論み、設備投資の全国展開に踏み切った。
森島征夫(スタミナ食品・創業者)
1984
設備投資
兵庫県西宮市に本社を新設移転
1984
販路開拓
静岡県食肉卸株式会社を買収(現ケンショク)
1984
設備投資
本社工場にて生肉加工工場を新設
1987
設備投資
千葉県に船橋工場を新設
1989
合弁設立
丸紅と合弁で米国にFREMONT BEEF COMPANY を設立
1989
株式上場
日本証券協会での承認を受けて株式を店頭登録
業績の急拡大を受けて、1989年にスタミナ食品は株式の店頭公開を実施した。1991年に日本では牛肉の輸入自由化を控えており、食肉が普及することが予想されたため、一足早く輸入肉(内臓肉はもとから輸入規制の対象外)を取り扱っていたエスフーズに注目が集まった。
1993
設備投資
船橋第二工場を新設
1994
業績低迷
値下げ圧力が強まり減収決算へ
1991年の牛肉の輸入自由化は、スタミナ食品にとっては逆風となった。安くて美味しい良い牛肉が日本国内に出回ったことで、内臓肉などの特殊な肉との競合するようになり、価格圧力に晒された。 この結果、1990年代以降のエスフーズの売上成長は鈍化した。1994年3月期にスタミナ食品は売上高493億円(前年同期515億円)の減収決算を計上し、急成長に終止符を打った。
1994
株式上場
大阪証券取引所第2部に株式上場
1996
合弁設立
三井物産と合弁で米国にSTAMINA FOODS AMERICA INC. を設立
Performance > 1982〜1996
1997〜2006 - 業績低迷
BSE問題が大打撃に。単独存続を諦めてムラチクと株式交換
1997
赤字転落
BSEの発生。11億円の最終赤字を計上
1997年3月期にスタミナ食品は11億円の最終赤字に転落した。 1990年代後半から、国内ではO-157の問題、海外の牛肉においてはBSE(狂牛病)の問題が顕在化しつつあり、食肉需要が減少したため、エスフーズの業績に影響した。
1999
株式上場
東京証券取引所第2部に株式上場
1997
業績低迷
店頭公開後初の減収決算へ
2000
撤退
米国STAMINA FOODS AMERICA INC. の営業を停止
2000
株式上場
東京証券取引所第1部に株式上場
2000
商号変更
商号をエスフーズに変更
2001
会社設立
新規事業
五愛フードサービスを設立。焼肉の外食店に参入
2002
船橋第二工場を閉鎖
2002
赤字転落
BSEの発生。22億円の最終赤字を計上
2002年3月期にエスフーズは22億円の最終赤字に転落した。船橋第2工場の閉鎖による生産体制の再編が主な要因であった。 この頃には、BSE(狂牛病)が日本国内でも確認されたことで社会問題となり、2003年から米国から牛肉の輸入が禁止されたため、エスフーズは「こてっちゃん」の販売が難しくなるなど、経営危機に陥った。
2003
「こてっちゃん」の販売休止
2004
丸紅畜産よりオーストラリア・レンジャーズバレー高原牧場の国内販売権を取得
米国からの牛肉輸入禁止を受けて、エスフーズは緊急措置としてオーストラリアからの食肉輸入を強化した。
2004
株式交換
株式交換によりムラチクを完全子会社化(エスフーズ : ムラチク = 1.733 : 1)
BSE問題によってアメリカからの牛肉輸入が禁止になると、エスフーズは単独での生き残りが難しいと判断。主に国産肉を手がけるムラチク(FY200... 続きを読む
2005
丸紅からFREMONT BEEF COMPANYの株式を取得
Performance > 1997〜2006
2006〜2022 - 業容拡大
畜産関係の企業買収で業容拡大
2006
社長交代
旧ムラチクの創業者・村上真之助氏が社長就任
2006年にエスフーズは代表取締役の異動を実施。代表取締役会長には旧スタミナ食品の森島征夫氏が就任し、代表取締役社長には旧ムラチクの村上真之助氏がそれぞれ就任した。2008年には森島征夫氏は代表権のない取締役に退いた。森島氏は1939年生まれであり、当時70歳前後であったことから経営職から退いたと思われる。 2022年の現在に至るまでエスフーズの社長は村上真之助氏が歴任しており、エスフーズ(=旧スタミナ食品)は、旧ムラチクに継承される形となった。
2007
業績好調
牛肉輸入再開が追い風となり、増収増益を達成
2006年7月27日から、条件付きではあるものの約4年ぶりに米国からの牛肉輸入が可能となり、食肉業界にとって追い風となった。エスフーズとしても、オーストラリア産の牛肉の取り扱いが軌道に乗りつつあったことや、ムラチクの強みである国産牛の取り扱いが順調であり、2007年3月期に売上高1141億円・経常利益42億円を計上して増収増益を達成した。
2008
BSE問題の終息により「こてっちゃん」の販売再開
2008
ヒョウチクの株式取得
2008
九州相模ハムの株式取得(現大阿蘇ハム)
2009
北海道中央牧場の株式取得
2011
日高食肉センターの株式取得
2012
サービス拡充
神戸牛の輸出を開始
2014
グリコハムの株式取得(現フードリエ)
2015
AURORA PACKING COMPANYの株式取得
2018
業績好調
売上高3000億円を突破
Performance > 2006〜2022
1967
Report

有限会社スタミナ食品を創業

創業経緯

森島征夫氏(スタミナ食品創業者)は、終戦直後の闇市で食べた「もつ料理」の味に衝撃を受けて、1966年に当時27歳で独立した。1967年には内臓肉に目をつけてスタミナ食品(現エスフーズ)を創業した。1966年からは沖縄(当時は米国統治下)向けに豚足の輸出を行っていた。この過程で、従来は捨てられていた内臓肉といったマイナーな肉が「美味しい」ことに着目した。

スタミナ食品の創業時は「タン、内蔵肉(ミノ)、レバー」といった、精肉とは異なる肉を取り扱い、焼肉向けの需要を開拓していった。当時は生肉が普及途上にあったが、レバーなどの特殊な肉を取り扱う業者は珍しく、後発参入のスタミナ食品が業容を拡大できたと推察される。

なお、屋号をスタミナ食品とした理由は「エネルギッシュな会社にしよう」と森島氏が考えたからであったという。2000年に商号をエスフーズ(S FOODS)に変更しているが、(S)スタミナ(FOODS)食品をもとにしている。

森島征夫(スタミナ食品・創業者)

私は、昭和33年に出身地の静岡県磐田市から大阪に出てホテルに就職をしましたが、英語を覚えたり、仕事を覚えることに必死の時代でした。このころの給料は食べるだけで精いっぱいで世の中もハングリーな時代でした。当時の大阪駅前はまだ再開発されておらず、闇市のような場所でしたが、ホルモン屋さんが一軒有りました。そこで食べたツラミが強烈な印象でした。柔らかくておいしいツラミをたっぷり食べて飲んで給料の一日分くらいでした。これがおいしくて月に一回は行きました。

昭和41年に独立して、自分の商売として沖縄に豚の足・耳・尾を輸出し始めたころ、那覇市桜坂で煮豚料理を商売の研究を兼ねて食べました。豚足は沖縄では足テビチと呼ばれている料理ですが、その店では鮮度がいい足を柔らかくおいしく煮込んで出してくれました。

1972
Report

米国のカンザスビーフ社より内臓肉の輸入を開始

輸入

1972年にスタミナ食品は、米国のカンザスビーフ社から内臓肉を大量に輸入する契約を締結した。牛肉の解体の際に採取できる内臓肉は、解体後すぐに洗浄・ボイル・冷凍をしないと痛みやすく、大量処理によって製造コストを削減できるため、大量の買い付けが条件となった。

また、米国では牛の内臓肉を食べる習慣がなく、需要がなかった。そこで、スタミナ食品は、内臓肉の大量買付を前提とすることで、米国のカンザスビーフ社と契約を締結し、従来は捨てられていた内臓肉の輸入を開始した。

1982
Report

内臓肉ブランド「こてっちゃん」を発売。食肉製造に本格進出

業態転換

1980年代において牛の内臓肉(小腸・モツ・ミノ・ホルモン)は焼肉屋で消費されるのが一般的で、家庭に普及する食べ物ではなかった。そこで、1982年にスタミナ食品は、イメージアップも兼ねて内臓肉を「こてっちゃん」のブランドとして一般家庭向けに展開した。

発売直後からヒットしたため、1980年代を通じてスタミナ食品は独自の食肉ブランドを抱えるメーカーとして発展することを目論み、設備投資の全国展開に踏み切った。

森島征夫(スタミナ食品・創業者)

(昭和)57年、内臓肉をさらに幅広く安心して食べられる衛生的で信頼された商品を開発するため、研究していたところ、「こてっちゃん」の名前で発売した商品が爆発的な人気を博して、当社商品の中心的な存在となった。これが当社にメーカーとして事業経営をしていく自信を与えることになり、一大変革をもたらしていくのである。

関西地方で愛用されている牛の大腸を韓国語で「てっちゃん」というが、当社の商品は小腸であるので「こ」を頭につけて「こてっちゃん」とした。内臓・モツ・ホルモン等のイメージから脱皮したいという願望を込めて命名したのである。

現在では「甲子園の味」というブランドで販売しており、当社製品はモツ、ホルモンといいうイメージでは、販売していない。

2004
Report

株式交換によりムラチクを完全子会社化(エスフーズ : ムラチク = 1.733 : 1)

株式交換

BSE問題によってアメリカからの牛肉輸入が禁止になると、エスフーズは単独での生き残りが難しいと判断。主に国産肉を手がけるムラチク(FY2002売上高345億円)を完全子会社することで生き残りを図った。株式交換を伴う完全子会社化を実施し、ムラチク1株に対してエスフーズ1.733株の割合で交付された。

なお、ムラチクの株式の70%以上を保有するのが同社社長の村上氏であり、株式交換によって筆頭株主はエスフーズの森島氏(株式交換後の保有比率1.62%)ではなく、旧ムラチクの村上氏(株式交換後の保有比率24.76%)となった。

両社とも株式上場をしていたが、2005年にエスフーズがムラチクを吸収合併する形をとり、吸収されたムラチクは上場を廃止した。

2006
Report

旧ムラチクの創業者・村上真之助氏が社長就任

社長交代

2006年にエスフーズは代表取締役の異動を実施。代表取締役会長には旧スタミナ食品の森島征夫氏が就任し、代表取締役社長には旧ムラチクの村上真之助氏がそれぞれ就任した。2008年には森島征夫氏は代表権のない取締役に退いた。森島氏は1939年生まれであり、当時70歳前後であったことから経営職から退いたと思われる。

2022年の現在に至るまでエスフーズの社長は村上真之助氏が歴任しており、エスフーズ(=旧スタミナ食品)は、旧ムラチクに継承される形となった。

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