会社銀行八十年史(東洋経済新報社, 1955年)「大阪屋証券」の項
- [1]1872年 初代野村徳七氏が両替店「野村徳七商店」を創業
- [2]初代の扱いは銭両替・古金銀が主で株式・公社債の扱高はわずか
- [3]初代の安全第一主義により有価証券の扱高は少額
- [4]1904年初頭 二代野村徳七氏が家業を継承
- [5]両替業を廃棄し資金二万円で証券業者として新発足
- [6]経営方針は積極的かつ近代的で数年で大阪第一の実力者へ
- [7]1906年4月 人事機構整備と調査部設置、「大阪野村商報」発刊
- [12]日露戦争後の株式ブームで活躍し反動期を「売りの野村」として躍進
- [15]1910年 現物団を結成し株式・公債の引受に活躍
- [17]1917年12月 野村徳七商店を株式組織に改組し資本金500万円の野村商店として新発足
- [18]野村商店は野村家の中心事業として活躍
- [19]大阪屋商店は野村證券の母体ではなく別系統
- [20]1923年7月 野村商店が大阪屋商店へ改称
- [21]1930年12月 金融恐慌で50万円へ減資し野村家との資本的連携を解消
- [22]減資後は当時の役員・従業員が全株式を所有
私の証券昭和史(瀬川美能留著, 日本経済新聞社, 1986年)
- [8]商報は前日の市況・経済情勢の分析を掲載
- [9]商報百号記念号「自己の利益よりお客の利益を優先する」
- [10]商報百号記念号が掲げた調査の責務
- [13]第一次大戦時は積極方針へ転換して巨額の富を蓄積
- [14]強弱の転換を支えたのは調査部の情報
- [16]二代徳七氏は海外視察で新知識を吸収し調査部拡充・外国取引・公社債引受へ進出
- [24]1918年 二代野村徳七氏が大阪野村銀行を設立
- [25]「株屋あがり」の野村の銀行業進出を世間は冷やかに見た
- [26]一般銀行業務のほか証券金融・引受業務・中小企業金融に注力する方針
- [27]日本興業銀行貸付課長の片岡音吾氏を招聘
- [28]片岡音吾氏はのちの野村證券初代社長
- [29]1920年 東京・大阪の両株式取引所に国債市場が開設
- [30]国債・地方債・社債の取り引きが株式から分離
- [31]大阪野村銀行が国債仲買人の資格を取得
- [32]銀行内に公社債専門の証券部を新設
- [33]証券部は当初から独立採算制でいつでも独立できる体制
- [34]1922年 第四回大同電力社債・広島電気社債の募集に成功
- [41]創立時は社員35名・見習30名・女子事務員13名で総勢84名
- [42]八係と調査部・検査課の構成
- [43]重役以下が若く独立の意気に燃えていた
- [44]社名を「野村ボンド・ハウス」とする案が有力なほど公社債専業の方針は明確
- [45]片岡社長は公社債市場に将来の証券会社の姿を求めた
- [47]外貨債売買の膨張でニューヨーク出張所は開設三年で利益計上
- [49]資本逃避防止法・外国為替管理法により1936年末に閉鎖
- [50]1937年 公社債募集取扱高・売買高が創業以来最悪
- [51]日華事変を契機とするインフレ進展で株式は活況、公社債は極度の沈滞
- [52]若手社員を中心に株式業務進出を求める声が強まった
- [53]片岡音吾社長「私は株式をやって悪いとはいっていないよ」
- [54]公社債に使命感をもつ社長の発言が社内の空気を動かした
- [55]1937年8月 本社証券部に株式課を設置
- [56]株式課の陣容は高橋要次長・奥村綱雄氏・北裏喜一郎氏・瀬川美能留氏
- [57]奥村綱雄氏・北裏喜一郎氏・瀬川美能留氏はいずれも後年の社長
- [59]清算取引ではなく実物取引に限定し、ノーストック主義を採用
- [60]後発の劣位を示す社内の言葉「せめてなりたや玉塚様」
- [62]飯田清三専務が大蔵省で投資信託の諮問を受けた
- [63]大蔵省の諮問内容(株価下落と購買力吸収)
- [64]調査部がイギリスのユニット・トラストを研究していた
- [65]当初元本一口500円、損失の二割を証券会社が補償し利益の一割を受け取る
- [66]野村合名会社の理事会で十人中八人が反対し否決
- [67]銀行・保険・信託を抱える財閥として取付けの懸念があった
- [68]投信は企業判断より国家的要請によって実施が促進された
- [71]投信は資金吸収と株価安定を兼ねる一石二鳥の策と見なされた
- [74]1945年9月期 創業以来初の赤字決算
- [75]満州野村・京城支店など在外資産を全喪失
- [76]全店舗の半分以上が焼失
- [77]宝くじの街頭販売の経験が証券民主化運動と配電株営業へつながった
- [82]GHQの覚書で市場再開が無期延期となり店頭取引が自然発生的に広がった
- [86]証券民主化運動の標語
- [87]公社債から出発し現物株を重視、投信を先行させた社風が民主化に合致
- [88]支店網は戦災で焼失し人手も不足していた
- [89]1947年 各社が過剰人員に悩む時期に大学・専門学校・高校卒を大量採用
- [90]百貨店の売り場内に自社コーナーを開設
- [93]投資相談所は全国19カ所
- [94]婦人貯蓄投資講座の受講者は延べ1万人以上
- [95]投資信託サービス・ステーションは全国620カ所
- [96]「百万両貯金箱」は宣伝部長の遠藤健一氏が考案
- [97]1953年5月の初回配布は934個
- [98]1955年9月に10万個、1958年11月に20万5000個・総集金額110億円
- [99]1962年の配布完了時点で100万個超
- [100]調査重視の社風が株式討論会に表れた
- [101]1955年1月 第1回株式討論会を開催
- [102]調査部と株式部が研究成果を一般公開する場として実施
- [103]第1回討論会の予測「上期横這い、下期より好転」
- [104]日銀ニューヨーク駐在員事務所の松本重雄氏らの助言
- [105]提携より独自出店を選択
- [106]1953年3月13日 ニューヨーク支店を開設
- [107]戦前のニューヨーク出張所閉鎖から16年ぶりの再進出
- [110]1959年12月 三和・神戸両銀行と東洋信託銀行を共同設立
- [111]1960年5月 奥村綱雄会長が米国証券投資視察団18名を招請
- [112]川島章司取締役がスミス・バーニー社の外国部長へ質問
- [113]シュワーゼンバック氏の返答
- [114]その企業がソニーで、瀬川美能留氏が推進を決めた
- [115]1961年6月 ソニーADR第1号が米国市場に登場
- [116]1ADR=原株10株、公募価格17ドル50セント、引受31社、発行総額350万ドル
- [117]SEC提出の連結財務諸表作成は初めてで米国の専門家を招いた
- [118]盛田昭夫氏「この半年間は、本当に死ぬ思いであった」
- [121]公開ブームの反動と投信の運用不振で市況が崩れた
- [122]1965年 山陽特殊製鋼が負債総額460億円で事実上倒産
- [123]東証ダウ平均は1965年3月8日に1190円98銭、4月3日に1115円
- [124]山一證券は自己売買益依存・買い支え・借入金最多で行き詰まった
- [125]大蔵省と主力新聞社の報道自粛協定を西日本新聞が破りスクープ
- [126]来店客は5月24日1万7000人、5月28日に2万人超、解約総額280億円
- [127]日銀法第25条にもとづく事実上無担保無制限の特別融資
- [128]日銀特融の融資額240億円、一民間企業への実施は初
- [129]大井證券にも日銀特融が実施され危機を回避
- [130]株価は7月に1000円台すれすれまで下げ、国債発行方針の決定を好感して四カ月で半値戻し
- [131]手数料収入は1961年9月期192億円、1965年9月期198億円
- [132]ディーラー部門の収益が有価証券評価損を下回らず、金利負担も減少
- [133]野村は四〇年不況下でも利益を計上し赤字を免れた
- [134]引受審査委員会の審査を通らない案件は落とす方針
- [135]日本共同証券と保有組合による株式肩代わりは総額2327億円
- [136]保有組合は1969年1月11日に解散、計上利益は税込490億円
- [137]剰余金の半分で資本市場振興財団を設立
- [142]1975年度は公共債の大増発が始まった年
- [143]1975年度の国債市中公募額は4兆5100億円(前年度1兆7900億円の2.5倍強)
- [144]1975年末 国債特別委員会を発足
- [145]個人消化のキャッチフレーズ「国債で特優生かす貯め上手」
- [146]1976年度 証券会社引受高に占める野村のシェアが40%台
- [147]公社債店頭取引高は1970年8兆8154億円から1975年55兆6986億円へ約6.3倍
- [148]金融機関が債券を「保有するもの」から「運用するもの」へ扱いを転換
企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
- [11]創立当初からの調査重視が「調査の野村」の伝統を培った
- [48]1931年12月の金輸出再禁止から1934年の低金利時代に外債取引で公債市場の王座を占めた
- [92]GHQの要請を受けて戦後第1回の投資信託募集を開始
- [108]1953年 資本金を10億円へ増資し5月に本店を東京・日本橋一ノ一へ移転、会計機を輸入
- [109]1959年2月 米国市場の戦後初ドル建て国債発行で日本の証券会社として初めて引受団に参加
会社銀行八十年史(東洋経済新報社, 1955年)「野村証券」の項
- [23]野村證券は大阪野村銀行の証券部から生まれた
- [35]独立前に米国の証券業務の実態を調査研究した
- [38]資本金500万円・払込250万円
- [39]初代社長は大阪野村銀行取締役証券部長の片岡音吾氏
- [40]本社は大阪市東区安土町、銀行支店証券部四カ所を出張所へ改編
- [69]1944年8月までの野村の投信設定額2億5000万円
- [70]業界全設定額5億2850万円
- [72]1943〜1944年 第一証券・久保田証券を吸収合併
- [73]1944年8月 資本金1200万円となり清算取引業務を開始
- [78]1945年11月 制限会社に指定
- [79]1947年1月 公職追放令による指定会社となる
- [80]1947年8月 飯田社長以下四役員が退任
- [81]1948年4月の奥村綱雄氏就任まで約九カ月間社長席が空席
野村ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
- [36]1925年12月 大阪野村銀行の証券部を分離して野村證券を設立
- [37]1926年1月 公社債専門業者として営業開始(本店:大阪府大阪市)
- [46]1927年3月 ニューヨーク駐在員事務所を設立
- [58]1938年6月 株式業務の認可を取得
- [61]1941年11月 わが国最初の投資信託業務の認可を取得
- [83]1946年12月 本店を東京都へ移転
- [84]1948年11月 証券取引法に基づく証券業者として登録
- [85]1949年4月 東京証券取引所正会員となる
- [91]1951年6月 証券投資信託法に基づく委託会社の免許を取得
- [119]1961年10月 東京・大阪・名古屋の3取引所に株式を上場
- [120]1964年3月 ロンドン駐在員事務所を設立
- [138]1968年4月 改正証券取引法に基づく総合証券会社の免許を取得
- [139]1965年4月 調査部を分離独立させて野村総合研究所を設立
- [140]1966年1月 電子計算部を分離して野村電子計算センターを設立
- [141]1967年3月 ホンコン・インターナショナル・セキュリティーズの株式51%を取得
- [149]1981年3月 イギリス・ロンドン市でノムラ・インターナショナルを証券業現地法人として設立
- [150]1981年7月 ノムラ・セキュリティーズ・インターナショナルがニューヨーク証券取引所会員となる
- [151]1989年4月 アメリカ・ニューヨーク市に米州持株会社ノムラ・ホールディング・アメリカを設立
- [152]1990年2月 オランダ・アムステルダム市にアジア持株会社ノムラ・アジア・ホールディングN.V.を設立
- [153]日米欧それぞれに統括会社を置く体制が整った
- [160]1993年8月 野村信託銀行を設立
- [168]1998年3月 イギリス・ロンドン市に欧州持株会社ノムラ・ヨーロッパ・ホールディングズを設立
- [169]2000年3月 野村アセット・マネジメント投信を連結子会社化
- [170]2001年10月 会社分割により持株会社体制へ移行し野村ホールディングスへ社名変更
- [171]2001年12月 ニューヨーク証券取引所に上場
- [172]2003年6月 国内子会社14社とともに指名委員会等設置会社へ移行
- [183]2007年2月 インスティネット社を連結子会社化
- [192]2008年10月 リーマンのアジア・パシフィックおよび欧州・中東地域部門の雇用等を承継
- [203]2009年11月 野村證券がジョインベスト証券を吸収合併
- [204]2011年5月 野村土地建物を連結子会社化
- [211]2024年4月 営業部門をウェルス・マネジメント部門に改称
- [217]2021年4月 アセット・マネジメント部門とマーチャント・バンキング部門を廃止しインベストメント・マネジメント部門を設立
- [218]2025年4月 バンキング部門を新設
日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
- [154]1989年末の日経平均ピークは38,915円
- [155]1991年に大口顧客への損失補填が表面化し野村が震源となった
- [156]田淵義久社長と田淵節也会長が引責辞任
- [158]1991年 証券取引法改正で事後の損失補填を禁止
日経ビジネス 1992年4月20日号「信頼回復へ新しい営業模索『ノー』と言える証券会社に」
金融庁 証券取引等監視委員会「証券取引等監視委員会」(https://www.fsa.go.jp/sesc/aboutsesc/pamphlet.pdf)
- [159]1992年7月 証券取引等監視委員会が発足
週刊東洋経済 1997年8月23日号「特集 山一・野村・一勧事件 総会屋事件が広げる証券危機の構図」
- [161]1991年の損失補填から六年後に再び不祥事を起こした
- [162]1997年3月25日 東京地検と証券取引等監視委員会が合同で強制調査
- [163]代表取締役社長を含む四名の関与、総会屋への現金3億2000万円の供与
- [166]1997年8月 株式関連業務の停止と社長ら三名の外務員登録取消の行政処分
週刊東洋経済 1997年5月24日号「野村証券首脳・緊急インタビュー 経営のジャッジはすべて私がする 氏家純一社長」
- [164]酒巻英雄氏が引責辞任し氏家純一氏が常務から社長へ昇格
日経ビジネス 1997年7月21日号「編集長インタビュー 氏家純一氏[野村証券社長]不祥事また起きたら会社潰れる」
- [165]氏家純一氏「不祥事がまた起きたら会社は潰れる」
野村ホールディングス 有価証券報告書(連結・米国会計基準)
- [167]1997年3月期 連結当期純損失2427億円
- [181]2006年3月期 収益合計1兆1456億円・親会社株主帰属当期純利益3043億円
- [184]2008年3月期 税前損益649億円の損失
- [185]2008年3月期 親会社株主帰属当期純損失678億円
- [197]2009年3月期 親会社株主帰属当期純損失7082億円
- [206]連結税引前利益は2013年3月期2377億円・2014年3月期3616億円へ回復
- [207]2019年3月期 親会社株主帰属当期純損失1004億円(承継から10年で二度目の年度赤字)
- [214]2025年3月期 親会社株主帰属当期純利益3407億円(持株会社化後の最高益を更新)
- [215]2006年3月期の3043億円を上回った
- [216]2026年3月期 親会社株主帰属当期純利益3621億円
週刊東洋経済 2010年9月11日号「会社が変わる! 企業戦略シリーズ5 第4回 野村ホールディングス リーマン買収から2年 真の国際化阻むハードル」
- [173]氏家純一氏から古賀信行氏へ社長が交代
- [182]好況はサブプライム前夜の市況に支えられていた
- [186]1997年の総退陣以来11年ぶりの首脳刷新で渡部賢一氏が3代目グループCEOに就任
- [187]氏家純一氏・古賀信行氏の時代は守りを優先して組織が硬直化していた
- [188]古賀氏が渡部氏の決断力を評価して禅譲を決めた
- [189]渡部賢一氏の就任時の抱負「変化を自ら作り出す」
- [190]2008年9月15日 リーマン・ブラザーズが破綻
- [191]9月22日にアジア・パシフィック部門、23日に欧州・中東部門の取得を発表
- [193]設備機器やIT・決済子会社の買収で数百億円、それ以外の買収価格は実質ゼロ
- [194]旧リーマンの人員8150人を継承
- [195]北米部門はバークレイズが引き取り、野村は人材に絞って手を挙げた
- [196]旧リーマンはウォール街トップ5の代表的投資銀行で欧州・アジア部門は野村の実力を大きく上回っていた
- [198]旧リーマン社員への報酬保証が損益分岐点を押し上げた
- [199]社内会議で外国人が一人でもいれば英語を使う運用
- [200]部門間異動がなく実績連動で報酬が変わるグローバル型社員を導入
- [201]経営会議は11人中10人が野村プロパー
- [202]ホールセール部門の現場ヘッドの多くが旧リーマン中心の外国人へ交代
- [205]2012年4月 リテール出身の永井浩二氏が4代目グループCEOに就任
週刊東洋経済 2004年10月30日号「特集 金融グループ大競争 野村ホールディングス 自主独立路線を貫くガリバー」
- [174]制度改革により国内での地位が揺らいだ
- [175]2004年6月 東芝が1989年以来15年ぶりのエクイティファイナンスを発表
- [176]主幹事の野村證券と並んでみずほ証券が指名された
- [177]大手三社以外の日系証券が共同主幹事に並んだ
- [178]1998年解禁の銀行窓販は五年で株式投信残高の約半分を占めた
- [179]個人の株式売買代金に占めるネット専業大手のシェアは約六割
- [180]証券取引法第65条は事実上形骸化したとの評
日本経済新聞(2019年4月4日)「野村、国内店舗を2割減 デジタル化で営業戦略転換」
- [208]2019年4月4日 全156店舗の約2割にあたる30店強を統廃合し3年で1400億円削減
- [209]猛烈と称された営業モデルを富裕層・資産管理型へ転換
週刊東洋経済 2022年12月24日号「2023年大予測 Interview 野村ホールディングスグループCEO 奥田健太郎」
- [210]2020年4月 奥田健太郎氏がグループCEOに就任
- [212]奥田健太郎氏「米国の大手金融機関と競争してすべての分野で勝てるとは思っていない」
- [213]株式デリバティブや不動産担保証券の組成・販売など得意分野へ資源を集中
野村ホールディングス ニュースリリース「マッコーリー・グループの米国資産運用会社の全株式取得で合意」(2025年4月22日)
- [219]2025年4月 マッコーリー・グループの米国・欧州パブリック運用事業を約18億ドルで買収すると発表
- [220]運用資産残高約1,800億ドルを取り込んだ