野村家の商いは、1872年に初代野村徳七氏が大阪で開いた両替店"野村徳七商店"に始まる。当時の商売は銭両替や古金銀の売買にすぎず、株式や公社債もかたわら扱ってはいたが、初代の安全第一主義の方針からその扱高はわずかにとどまった。転機は1904年初頭、二代野村徳七氏が父の業を継いだときに訪れる。二代は業務の一大発展を期して両替業を廃棄し、資金2万円をもって本格的な証券業者として新発足した。祖業を捨てて証券に絞る判断であり、その経営方針は積極的かつ近代的で、わずか数年の間に大阪における第一の実力者となった。
のちに"調査の野村"と呼ばれる社風の原型は、1906年の時点ですでにできあがっていた。二代がまず整えたのは相場を張る腕ではなく相場を読む仕組みで、同年4月に人事の機構を整備するとともに調査部を置き、"大阪野村商報"を創刊して業界に先駆けている。商報は前日の相場の動きや経済の情勢を分析して顧客に届けるもので、百号を記念した号では『自己の利益よりお客の利益を優先する』という主義を掲げた。そのうえで、個々の株式会社の組織や営業の成績、先行きの伸びを研究し、国の財政や海外の経済事情まで漏れなく調べて読者に伝える責務を果たしている、と自らの立ち位置を書き記している。
調査に裏づけられた読みが試されたのは日露戦争の前後で、戦後の株式ブームに活躍し、続く反動期には売りに回って"売りの野村"として業績を躍進させている。第一次大戦のときは逆に積極方針へ転換して、巨額の富を蓄積している。強気と弱気を相場ごとに切り替えたこの動き方を支えたのは、調査部が集めた情報だった。1910年には現物団を結成して株式や公債の引受にも活躍し、二代自身も海外視察で新知識を吸収して、調査部の拡充、外国との取り引き、公社債の引受業務への進出と、量だけでなく質の面でも商いを充実させた。
事業の拡大は会社組織の作り替えを求め、1917年12月、野村徳七商店は株式組織に改組されて資本金500万円の野村商店として新発足した。個人商店から会社組織への移行であり、以後この商店は野村家の中心事業として活躍している。もっともこの会社は、のちの野村證券の直接の母体ではない。野村商店は1923年7月に大阪屋商店と改称し、1930年12月には金融恐慌のため50万円へ減資したうえで野村家との資本的連携を断ち、当時の役員と従業員が全株式を所有する会社として野村家から離れた。証券業の本流は、二代が並行して興したもう一つの会社から生まれている。
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|---|---|---|---|---|
| 1872〜1917年両替商から「売りの野村」へ——調査を売り物にした証券業者の出発 | 初代野村徳七が大阪・農人橋詰町で両替商を開業 | ★ | ||
| 1918〜1944年大阪野村銀行から野村證券の設立、公社債専門から日本初の投資信託へ | 大阪野村銀行を設立 | ★ | ||
| 野村證券を設立 | ★ | |||
| 公社債専門業者として営業開始 | ★ | |||
| 株式業務の認可を取得 | ★ | |||
| わが国最初の投資信託業務の認可を取得 | ★★ | |||
| 1945〜1964年財閥指定と東京移転、戦後投信の再開とニューヨーク支店、株式上場 | 財閥指定による制限会社に | ★ | ||
| 本店を大阪から東京へ移転 | ★ | |||
| 配電株(電力株)公募で業界最大の成果 | ★ | |||
| 東京証券取引所正会員に | ★ | |||
| 戦後再開第1回投資信託を募集 | ★ | |||
| ニューヨーク支店を開設 | ★ | |||
| 日本証券会社初の海外引受団参加 | ★ | |||
| 東洋信託銀行を三和・神戸両銀行と共同設立 | ★ | |||
| 投信委託業務を営業譲渡 | ★ | |||
| 東京・大阪・名古屋証券取引所に株式上場 | ★ | |||
| 1965〜1990年野村総合研究所の設立と総合証券免許、ニューヨーク・ロンドンでの会員権取得 | 野村総合研究所を設立 | ★ | ||
| 改正証券取引法に基づく総合証券会社の免許を取得 | ★ | |||
| ノムラ・セキュリティーズ・インターナショナルを設立 | ★ | |||
| ノムラ・インターナショナルを設立 | ★ | |||
| NSIがニューヨーク証券取引所会員権を取得 | ★★ | |||
| NILがロンドン証券取引所会員資格を取得 | ★ | |||
| 米州持株会社ノムラ・HD・アメリカを設立 | ★ | |||
| 1991〜2007年証券不祥事と総会屋事件、氏家純一の再生と持株会社への移行 | 損失補填の証券不祥事を受けた「新生・野村」への機構改革 1989年末の株価ピーク後の下落下、1991年に大口顧客への損失補填を中心とする証券不祥事が明るみに出て、邦証券最大手の野村證券はその震源となった。田淵義久社長と田淵節也会長が引責辞任し、酒巻英雄社長のもとで『顧客と共に栄える』という創業理念への回帰と機構改革=『新生・野村』を掲げた経営判断。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 野村信託銀行を設立 | ★ | |||
| 再発と、氏家純一社長による二度目の企業統治改革 1991年の損失補塡を中心とする証券不祥事から6年後の1997年、野村證券が総会屋への利益供与を再び起こし、酒巻英雄社長が引責辞任、常務から昇格した氏家純一社長のもとで内部管理体制の立て直しに着手した経営判断。四大証券と第一勧業銀行を巻き込んだ総会屋事件の震源となり、業界最大手が二度目の刷新を迫られた。 詳細を読む | ★★★ | |||
| 金融研究所を設立 | ★ | |||
| 改正証券取引法に基づく総合証券会社として登録 | ★ | |||
| 持株会社体制に移行し野村HDに商号変更 | ★★ | |||
| 氏家純一が初代社長に就任 | ★ | |||
| 2008〜2026年リーマン・ブラザーズ海外部門の承継と巨額損失から国内営業モデルの転換、マッコーリー事業買収 | 古賀信行 | サブプライム問題で純損失計上 | ★ | |
| 渡部賢一 | アジア太平洋・欧州中東部門の引き受けによるグローバル投資銀行への転身 サブプライム問題で持株会社化後初の赤字を負った野村ホールディングスが、2008年9月に破綻した米リーマン・ブラザーズの日本・オーストラリアを含むアジア・パシフィック地域部門の大部分の雇用と、欧州・中東地域の株式・投資銀行部門の大部分および債券部門の一部の雇用等を、同年10月に承継した経営判断。承継したのは人員と業務上必要な特定の資産・負債で、リーマンの金融資産と金融負債は対象外とした。設備でも資本でもなく、人材に絞って手を挙げた。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 渡部賢一 | 金融危機とリーマン統合費用で巨額純損失 | ★★ | ||
| 渡部賢一 | 野村土地建物を子会社化 | ★ | ||
| 永井浩二 | 永井浩二氏が社長に就任 | ★ | ||
| 永井浩二 | 海外ホールセール不振で純損失計上 | ★★ | ||
| 永井浩二 | 対面営業モデルの転換と、ウェルス・マネジメントへの構造改革 手数料自由化とネット証券の台頭で国内リテール収益が頭打ちとなり、リーマン承継から10年で2度目の赤字を負った野村ホールディングスが、2019年4月に国内店舗の約2割削減と3年で1,400億円のコスト削減を発表し、戸別訪問や電話勧誘による押しの強い営業モデルを富裕層・資産管理型へ転換した構造改革。2024年4月には営業部門をウェルス・マネジメント部門へ改称した。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 奥田健太郎 | 奥田健太郎氏が社長に就任 | ★ | ||
| 奥田健太郎 | 子会社で決済不履行による貸倒引当を計上 | ★ | ||
| 奥田健太郎 | バンキング部門を新設 | ★ | ||
| 奥田健太郎 | マッコーリー・グループのアセットマネジメント事業を買収発表 | ★★ |
免責事項およびポリシー
事実根拠:出所(野村ホールディングス)