1947年〜 日本窒素肥料系プラスチック専業からの出発と高度成長期の住宅事業参入
積水化学工業の業績推移:単体
- 1947年 積水産業として発足
- 1948年 プラスチック自動射出成型事業に参入
- 1948年 奈良工場を新設
- 1963年 北米進出「第三の紙」の栄光と挫折 ── 成長会社セキスイの転落(1962〜1965) 日本企業に先駆けて北米で現地生産に挑んだ上野次郎男社長は、なぜ成長会社の座を明け渡したのか
- 1963年 1965年に赤字計上と社長更迭
- 1971年 鉄骨系ユニット住宅「セキスイハイム」による住宅事業への参入 設計図を引ける社員が一人もいない「素人集団」に、なぜ社運をかけたのか
- 1971年 住宅事業に参入
引揚者救済から出発したプラスチック専業の原料一貫体制
積水化学工業の源流は、1947年3月に日本窒素肥料株式会社(現・チッソ)の一部従業員がプラスチックの総合事業化を計画して積水産業株式会社を発足させた点にある。敗戦により朝鮮半島の工場を失った日本窒素は、国内工場で吸収しきれない余剰人員を別会社に収容して引揚者を救済する道を選び、その受け皿の一つとして積水産業が生まれた。当初資本金は10万円にすぎず、設立と同時に化学工業技術の研究機関として京都化学研究所も置いた。設立翌年の1948年1月には日本窒素から奈良工場を譲り受け、わが国最初の自動射出成型によるプラスチック成型事業を開始すると同時に、積水化学工業株式会社へ商号変更した。同年8月には大阪工場を設けた。総合化学会社の多くが石油化学から多角化する中で、原料を持たないプラスチック加工の専業として出発した出自は、その後の事業構造を方向づけた。 [1][2][3][4][5][6]
- 積水化学工業 有価証券報告書 第103期(2025年3月期)【沿革】
- [1]1947年3月 日本窒素肥料(現・チッソ)の一部従業員がプラスチック総合事業化を計画し積水産業株式会社を発足
- [4]1948年1月 奈良工場を(日本窒素から譲り受けて)新設し積水化学工業株式会社へ商号変更
- [5]奈良工場でわが国最初の自動射出成型によるプラスチック成型事業を開始
- 積水化学の歴史/上野次郎男
- [2]敗戦で朝鮮半島の工場を失った日本窒素が余剰人員を収容する別会社の一つとして積水化学を設立した
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
- [3]設立当初の資本金は10万円で、同時に研究機関として京都化学研究所を設置した
- [6]1948年8月 大阪工場を設置(沿革には記載なし。概略書による)
事業の基礎を固めたのは1949年暮れごろから売れ始めたプラスチックテープで、ヒットして社業が軌道に乗った。1951年9月に上野次郎男氏が社長に就任すると、積極的な拡大策のもとで急成長を遂げた。1952年に完成させた京都工場では硬質塩化ビニル管の製造に進み、金属パイプを置き換えてパイプ市場で地歩を築いた。1953年3月に大阪証券取引所、1954年4月に東京証券取引所へ上場し、東京工場新設(1953年9月)と中央研究所(現・開発研究所、1956年6月)で全国展開と研究開発体制を整えた。さらに1960年の滋賀栗東工場(塩化ビニルパイプ・建材)、滋賀水口工場(ポリビニルブチラール・合わせガラス用中間膜)、1962年の武蔵工場(プラスチックテープ・塩化ビニルテープ)と品種を広げ、1964年1月には徳山積水工業を設立して塩化ビニル樹脂の製造を始め、原料から成型品まで一貫して手がける事業基盤を整えた。 [7][8][9][10][11][12][13][14][15][16][17]
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
- [7]1949年暮れごろから売れ始めたプラスチックテープがヒットし社業の基礎が固まった
- [8]1951年9月 上野次郎男が社長に就任し積極拡大策で高度成長を遂げた
- 積水化学の歴史/上野次郎男
- [9]1952年 京都工場を完成させ硬質塩化ビニル管の製造に進み金属パイプを置き換えた
- 積水化学工業 有価証券報告書 第103期(2025年3月期)【沿革】
- [10]1953年3月 大阪証券取引所に上場
- [11]1954年4月 東京証券取引所に上場
- [12]1953年9月 東京工場を新設
- [13]1956年6月 中央研究所(現・開発研究所)を新設
- [14]1960年8月 滋賀栗東工場で塩化ビニルパイプ・塩化ビニル建材製品の製造を開始
- [15]1960年11月 滋賀水口工場でポリビニルブチラール・合わせガラス用中間膜の製造を開始
- [16]1962年7月 武蔵工場でプラスチックテープ・塩化ビニルテープの製造を開始
- [17]1964年1月 徳山積水工業を設立し塩化ビニル樹脂の製造を開始
高度成長期の積水化学は、たびたび増資を重ねて資本金を85.5億円まで膨らませ、売上高は創業から15年で実に58倍に伸びた。1964年には、戦後の急成長企業としてソニー・本田技研と並び「ソニー、ホンダ、セキスイ」と称されるほど勢いがあった。しかし、主力の塩ビパイプや波板に他社が相次いで参入して過剰生産と値下がりを招き、北米へ進出した「第三の紙」発泡ポリスチレンペーパー事業もダウやモンサントなど現地の大手化学会社の追い上げに遭った。在庫を抱え込んだ積水化学は1965年に赤字を計上して成長企業の座から転げ落ち、上野次郎男社長は代表権のない会長へと退いた。1967年3月、旧日本窒素グループの旭化成から小幡謙三氏が再建のために送り込まれ、不採算部門の整理売却を進めるとともに、同年7月には資本金を半分に減らす半額減資という荒療治を断行して、わずか二年で大きな負債を消却し復配にこぎ着けた。 [18][19][20][21][22]
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
- [18]増資を重ねて資本金は85.5億円、売上高は創業15年で58倍に伸長した
- [22]1967年3月 旭化成から小幡謙三が再建のために派遣され、同年7月に半額減資を断行して二年で負債を消却し復配した
- 積水化学の歴史/上野次郎男
- [19]1964年に戦後の急成長企業として「ソニー、ホンダ、セキスイ」と並称された
- [20]主力の塩ビパイプ・波板への他社参入による過剰生産・値下がりと、北米進出した発泡ポリスチレンペーパー事業のダウ・モンサント等との競合で苦境に陥った
- [21]1965年 赤字を計上して成長企業の座から脱落し、上野次郎男社長は代表権のない会長へ退いた
- 積水化学工業 有価証券報告書 第103期(2025年3月期)【沿革】
- [1]1947年3月 日本窒素肥料(現・チッソ)の一部従業員がプラスチック総合事業化を計画し積水産業株式会社を発足
- [4]1948年1月 奈良工場を(日本窒素から譲り受けて)新設し積水化学工業株式会社へ商号変更
- [5]奈良工場でわが国最初の自動射出成型によるプラスチック成型事業を開始
- [10]1953年3月 大阪証券取引所に上場
- [11]1954年4月 東京証券取引所に上場
- [12]1953年9月 東京工場を新設
- [13]1956年6月 中央研究所(現・開発研究所)を新設
- [14]1960年8月 滋賀栗東工場で塩化ビニルパイプ・塩化ビニル建材製品の製造を開始
- [15]1960年11月 滋賀水口工場でポリビニルブチラール・合わせガラス用中間膜の製造を開始
- [16]1962年7月 武蔵工場でプラスチックテープ・塩化ビニルテープの製造を開始
- [17]1964年1月 徳山積水工業を設立し塩化ビニル樹脂の製造を開始
- 積水化学の歴史/上野次郎男
- [2]敗戦で朝鮮半島の工場を失った日本窒素が余剰人員を収容する別会社の一つとして積水化学を設立した
- [9]1952年 京都工場を完成させ硬質塩化ビニル管の製造に進み金属パイプを置き換えた
- [19]1964年に戦後の急成長企業として「ソニー、ホンダ、セキスイ」と並称された
- [20]主力の塩ビパイプ・波板への他社参入による過剰生産・値下がりと、北米進出した発泡ポリスチレンペーパー事業のダウ・モンサント等との競合で苦境に陥った
- [21]1965年 赤字を計上して成長企業の座から脱落し、上野次郎男社長は代表権のない会長へ退いた
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
- [3]設立当初の資本金は10万円で、同時に研究機関として京都化学研究所を設置した
- [6]1948年8月 大阪工場を設置(沿革には記載なし。概略書による)
- [7]1949年暮れごろから売れ始めたプラスチックテープがヒットし社業の基礎が固まった
- [8]1951年9月 上野次郎男が社長に就任し積極拡大策で高度成長を遂げた
- [18]増資を重ねて資本金は85.5億円、売上高は創業15年で58倍に伸長した
- [22]1967年3月 旭化成から小幡謙三が再建のために派遣され、同年7月に半額減資を断行して二年で負債を消却し復配した
樹脂加工技術を住宅へ転用した1971年のユニット住宅参入
1971年2月、積水化学工業は鉄骨系ユニット住宅「セキスイハイム」の販売を開始し、住宅事業に進出した。塩化ビニルパイプ・建材で蓄積した樹脂加工技術と、住宅一棟を工場で箱型に組み立てる「ユニット工法」を組み合わせた発想による。建設現場での施工に依存する在来工法に対し、工場で躯体を生産して品質と工期を管理する方式は、品種ごとに量産工場を立ち上げてきた成型品メーカーにとって、既存の生産技術と工場運営の経験を住宅市場へ転用する道筋となった。プラスチック成型品から住宅という最終消費財へ事業対象を広げる転換でもあった。 [23]
- 積水化学工業 有価証券報告書 第103期(2025年3月期)【沿革】
- [23]1971年2月 鉄骨系ユニット住宅「ハイム」の販売を開始し住宅事業に進出(沿革表記は「ハイム」)
参入直後から量産体制の整備が続いた。1971年10月に奈積工業(現・セキスイハイム工業)、1972年3月にサンエスハイム製作所(現・セキスイハイム工業)を相次いで設立し、ユニット住宅の製造拠点を確保した。住宅は塩化ビニルパイプや成型品とは販売先も流通も異なる事業であり、製造業の発想で住宅を量産する試みは、のちに住宅・高機能プラスチック・環境ライフラインの3本柱へと広がる事業多角化の最初の一歩となった。化学会社が住宅を主力事業の一つに据える積水化学の事業構造は、この1971年の参入から始まった。 [24][25]
- 積水化学工業 有価証券報告書 第103期(2025年3月期)【沿革】
- [24]1971年10月 奈積工業(現・セキスイハイム工業)を設立しユニット住宅の製造を開始
- [25]1972年3月 サンエスハイム製作所(現・セキスイハイム工業)を設立しユニット住宅の製造を開始
- 積水化学工業 有価証券報告書 第103期(2025年3月期)【沿革】
- [23]1971年2月 鉄骨系ユニット住宅「ハイム」の販売を開始し住宅事業に進出(沿革表記は「ハイム」)
- [24]1971年10月 奈積工業(現・セキスイハイム工業)を設立しユニット住宅の製造を開始
- [25]1972年3月 サンエスハイム製作所(現・セキスイハイム工業)を設立しユニット住宅の製造を開始