積水化学工業 セキスイハイムで住宅参入 鉄骨系ユニット住宅を武器にした新しい主力事業の立ち上げ

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時期 1971年2月
当時の社長 小幡謙三
論点 事業多角化と新たな収益柱
何をなぜ決めたか
概要

1971年2月、積水化学工業が鉄骨系ユニット住宅"セキスイハイム"を発売し、住宅事業へ参入した経営判断。塩化ビニルパイプや成型品の加工専業だった同社が、樹脂加工で培った量産の技術と、住宅一棟を工場で箱型に組み立てる"ユニット工法"を掛け合わせ、設計図を引ける社員が一人もいない"素人集団"で新市場を開拓した。

背景

主力の塩ビ製品への他社参入と1965年の赤字転落、1967年の半額減資を経て、原料樹脂を持たない加工メーカーは次の収益源を模索していた。合理化で浮いた人員の受け皿と当時の住宅ブームが、住宅参入の契機となった。人事部長であった藤沼基利氏は、社内にはりつめた縮小均衡への危機感を語っている。

内容

東京大学の大学院生が研究していたユニット工法に着目し、工場生産の比率8割超という製造業の発想で住宅を量産した。ねらいを中間所得層に絞り、土地でなくモノで稼ぐメーカーに徹する。専門家をスカウトせず、"だまし討ち"と"一本釣り"で各部門から精鋭を集め、営業には独自の賃金体系を敷いた。

含意

参入から約10年で住宅は売上・収益の主力へ育ち、1994年3月期には全体の55.6%を占めた。化学会社が住宅を最大の収益源に据える積水化学の事業構造は、この参入から始まった。素人集団に社運を託した判断は、同社の多角化の原型といえる。

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筆者の見解
筆者の見解

弱みを武器に転じた多角化の原型

この決断の核心は、素人であることを弱みではなく武器に読み替えた点にある。設計図を引ける社員がいないという欠落が、かえって住宅を工場生産物ととらえるメーカーの発想を許し、在来工法の常識に縛られない工業化へ踏み出させた。原料を持たぬ加工メーカーが1965年の危機で味わった縮小均衡への恐れが、"毎日が残業"という無理を社内に受け入れさせ、"だまし討ち"の人事が素人集団に活力を注いだ。追い込まれた末の捨て身が、結果として後発の弱みをコスト競争力へと転じた過程には、危機が組織の常識を書き換えていく様がうかがえる。

もっとも、素人集団が切り開いた市場も、いつまでも広がり続けるわけではない。国内の人口減少で住宅市場は長期的に縮小へ向かい、最大の収益源となった住宅事業の伸びしろは細っていく。1971年に『年収の3倍で買える住宅を』と中間所得層へ差し出した価値が成熟しきった今、同社は住宅に代わる次の収益源を、医薬やモビリティ、ペロブスカイト太陽電池に探している。半世紀前に素人の発想で新市場を拓いた企業が、成熟した本業の先で次の"素人集団"をどこに見いだすのか。この参入の物語は、なお開かれた問いを残していると推察される。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

業績の推移
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参考文献
出典・参考
  • 日経ビジネス 1979年11月5日号
  • 日経ビジネス 1981年5月18日号
  • 日経ビジネス 1995年3月20日号
  • 積水化学工業 有価証券報告書【沿革】
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
  • 積水化学工業 会社年鑑(1976年版・単独業績)

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