カネカ の歴史

更新:

創業 1949年
母体 鐘淵紡績からの分離独立
創業地 大阪市
創業・決断・現況・競合について
創業
1949年9月1日、鐘淵紡績の企業再建整備計画に基づき、繊維以外の全事業を引き受けて鐘淵化学工業が資本金2億円で大阪に発足した。譲り受けた中身はか性ソーダ・搾油・石鹸・洋紙・化粧品と散らばり、どれも会社の中核にはなりえない。翌10月に東京証券取引所へ上場し、1950年7月には塩素を自製するソーダ設備と戦時中の合成ゴム研究を組み合わせて、日本で初めて塩化ビニルを工業化した。月産60トンで始めた設備は1955年3月に月産400トンへ達する。1957年にはアクリル繊維カネカロンの製造を開始し、社名をカネカへ改めたのは2004年である。
決断
過半を取れる大きさの市場だけを選び、取れなくなれば素材の側へ退いてきた。1967年に塩ビモノマーの原料をカーバイド法から石油化学方式へ替えし、カーバイド法との1kgあたり20円の原価差を取り込んでいる。人工毛では世界生産の8割をカネカロンが占めながら、1985年8月に直営を含め140店を持つフォンテーヌをアデランスへ譲渡した。売り場を譲っても素材そのものの需要は増えるという判断である。500億円前後のニッチで過半を確保し、3位へ後退したら撤退するという規律が、以後の事業の出入りを決める基準になった。
現況
四つのユニットは、売上と利益率で首位が一致しない。2026年3月期の連結売上高8,116億円のうちマテリアルが3,272億円で最大だが、セグメント利益率は7.6%にとどまる。上回るのはヘルスケアの829億円・17.9%である。ニュートリション2,059億円、クオリティ・オブ・ライフ1,943億円が続き、最大と最小の売上差は4倍に収まる。1998年にカネカソーラーテックを設立して100億円超を投じした太陽電池は主力にならず、薄膜シリコンからヘテロ接合結晶シリコンへ作り替えられた。売り先も発電所ではなく、瓦一体型のVISOLAやプリウスPHEVのルーフガラスという建材・車載の部材へ絞られている。
競合
同じ塩ビで出発した各社は、規模を追うか降りるかで三方向へ分かれた。信越化学工業は米シンテックの完全子会社化とテキサス立地で垂直統合を進めて世界首位となり、東ソーは汎用のクロールアルカリと塩ビを基盤事業として磨き続けた。逆に日本ゼオンは2000年に水島での生産を打ち切り、祖業の塩ビから撤退している。カネカはいずれも選ばず、塩ビを残したまま発泡樹脂・食品用油脂・医薬中間体・医療機器へ広げた。ただしこの形は、500億円規模のニッチが存在し続けることを前提にしている。太陽電池が発電所向けから建材と車載へ移ったように、市場の側が動けば同じ規律が増設の理由にも撤退の理由にもなる。
長期業績の推移 1949〜2026年
カネカ:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
2002年3月期2026年3月期

設立ストーリー 会社設立の経緯

繊維以外の全事業を引き受けた第二会社

1949年9月1日、鐘淵紡績の企業再建整備計画の認可に基づき、繊維部門を除く全事業を引き受けて鐘淵化学工業が発足した。資本金は2億円、本社は大阪市東区本町に置いた。継承した事業はか性ソーダ、搾油、石鹸、食油、酵母、食品類、洋紙、和紙、エナメル電線、化粧品、澱粉におよぶ。化学会社の看板を掲げてはいたものの、実態は紡績会社が戦中戦後に抱え込んだ雑多な事業の受け皿であり、法的には新会社でありながら、事業そのものは鐘紡の歴史と同じだけ古かった。1949年10月には東京証券取引所などに株式を上場している。

  • カネカ 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1949年9月1日に鐘淵紡績の企業再建整備計画に基づき分離独立して設立された
    • [5]1949年10月に東京証券取引所等へ株式を上場した
  • カネカ 有価証券報告書 第82期(2006年3月期)【沿革】
    • [2]設立時の資本金は2億円
    • [4]継承事業はか性ソーダ・搾油・石鹸・食油・酵母・食品類・洋紙・和紙・エナメル電線・化粧品・澱粉
  • 会社銀行八十年史(1955年)「鐘淵化学工業」
    • [3]設立時の本社は大阪市東区本町4の27

発足後の10年は、引き受けた事業を減らす作業に費やされた。アミノ酸は1952年6月に製造を中止し、澱粉は1953年3月、洋紙は同年7月にそれぞれ譲渡、和紙も1954年8月に整理している。整理を免れたのはか性ソーダ、食油、酵母の3つで、それ以外は順次たたんだ。1967年になると、鐘紡から引き継いだ事業で残っていたのは苛性ソーダと石鹸だけになっている。同時に既設設備の改善増強と新規事業の立ち上げを進めており、引き算と足し算を同じ時期に行っている。石鹸、電解苛性ソーダ、BHCの設備を増強し、自家発電設備を整えて動かしたのもこの時期である。1951年8月には資本金を4億円へ増やし、1954年度の総売上高は61億円に達した。

  • 会社銀行八十年史(1955年)「鐘淵化学工業」
    • [6]アミノ酸は1952年6月に製造中止、澱粉は1953年3月、洋紙は1953年7月に譲渡、和紙は1954年8月に整理
    • [8]整理したのはアミノ酸・澱粉・洋紙・和紙で、石鹸・電解苛性ソーダ・BHCの設備増強と自家発電設備の整備稼働を並行して実施した
    • [9]1951年8月に資本金を4億円とし、1954年度の総売上高は61億円
  • 証券アナリストジャーナル 1967年8月号(大澤孝)
    • [7]その後、か性ソーダ・食油・酵母以外の事業を順次整理し、1967年時点で鐘紡から引き継いで続いていたのは苛性ソーダと石鹸だけであった

会社の輪郭が定まらない時期は長く続き、無配の期を何度も重ねている。設立から18年たった1967年になっても、鐘淵化学工業は世間から鐘紡の一部門と見られていた。同社の常務取締役だった大澤孝氏は、証券アナリスト協会の講演でその状況を率直に語っている。資本金は43億8,000万円に増え、1967年の年初からその年の夏までに約2,000万株が一般株主から金融機関へ移り、従来分と合わせて発行株式の50%近くが安定株主の手に渡った。独立した会社としての体裁は、株主構成の面から先に整った。

  • 証券アナリストジャーナル 1967年8月号(大澤孝)
    • [10]1967年時点の常務取締役は大澤孝
    • [11]1967年時点の資本金は43億8,000万円で、約2,000万株が一般株主から金融機関へ移り安定株主が50%近くになった
  • カネカ 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1949年9月1日に鐘淵紡績の企業再建整備計画に基づき分離独立して設立された
    • [5]1949年10月に東京証券取引所等へ株式を上場した
  • カネカ 有価証券報告書 第82期(2006年3月期)【沿革】
    • [2]設立時の資本金は2億円
    • [4]継承事業はか性ソーダ・搾油・石鹸・食油・酵母・食品類・洋紙・和紙・エナメル電線・化粧品・澱粉
  • 会社銀行八十年史(1955年)「鐘淵化学工業」
    • [3]設立時の本社は大阪市東区本町4の27
    • [6]アミノ酸は1952年6月に製造中止、澱粉は1953年3月、洋紙は1953年7月に譲渡、和紙は1954年8月に整理
    • [8]整理したのはアミノ酸・澱粉・洋紙・和紙で、石鹸・電解苛性ソーダ・BHCの設備増強と自家発電設備の整備稼働を並行して実施した
    • [9]1951年8月に資本金を4億円とし、1954年度の総売上高は61億円
  • 証券アナリストジャーナル 1967年8月号(大澤孝)
    • [7]その後、か性ソーダ・食油・酵母以外の事業を順次整理し、1967年時点で鐘紡から引き継いで続いていたのは苛性ソーダと石鹸だけであった
    • [10]1967年時点の常務取締役は大澤孝
    • [11]1967年時点の資本金は43億8,000万円で、約2,000万株が一般株主から金融機関へ移り安定株主が50%近くになった

日本で最初の塩化ビニール工業化と塩素からの連鎖

1950年7月、鐘淵化学工業は塩化ビニールの工業化に日本で初めて成功した。戦時中に軍の要請で進めていた合成ゴムの研究で得た技術と経験を、遊休設備の上で組み直したものである。当初の生産能力は月産60トンにすぎなかったが、数次の拡張を経て1955年3月には月産400トンに達した。技術導入ではなく自社技術によったこと、そして塩素の供給源であるソーダ部門を自前で持っていたことが、この事業を会社の中心に据える条件になった。その後も技術の改良と合理化を重ね、質と量の両面で国内トップメーカーの一つに数えられるまでになる。

  • カネカ 有価証券報告書【沿革】
    • [12]1950年7月に塩化ビニール樹脂の製造を開始した
  • 証券アナリストジャーナル 1967年8月号(大澤孝)
    • [13]戦時中から研究してきた合成ゴムの技術と経験を生かし自社技術によって塩ビを企業化した
  • 会社銀行八十年史(1955年)「鐘淵化学工業」
    • [14]塩化ビニールは1950年7月にわが国で初めて工業化に成功したもので、当初月産60トン、1955年3月現在で月産400トン設備

塩化ビニールは単体の樹脂としてだけでなく、川下へ次々と枝分かれした。1950年7月には合成樹脂部門から塩ビの供給を受けて塩化ビニール電線の製造を開始し、1952年1月には塩化ビニリデンと塩化ビニールの共重合ラテックスを紙に塗った塩ビ加工紙カネプルーフ・ペーパーを送り出している。防湿紙、防油紙として化学肥料や農薬の包装に回った。1953年4月には可塑剤と安定剤を加えて加工業者がそのまま成型できる塩ビコンパウンドを、1953年2月にはショートニングの製造を始め、食品にも足を伸ばした。

  • 会社銀行八十年史(1955年)「鐘淵化学工業」
    • [15]1950年7月から塩化ビニール電線、1952年1月から塩ビ加工紙カネプルーフ・ペーパーの製造を開始した
  • カネカ 有価証券報告書【沿革】
    • [16]1953年2月にショートニング、1953年4月に塩ビコンパウンドの製造を開始した

塩素を出発点にした事業の並べ方は、この時期に固まった。1948年から製造していたBHCは当初DDTに押されたものの、設備の拡充と品質改良によって原沫では業界1位となる。1954年7月にはジフェニールを塩素化した五塩化ジフェニール、商品名カネクロールを月産100トンの設備で製造開始した。合成電気絶縁油や熱媒可塑剤として使われるもので、1955年時点で日本で製造していたのは鐘淵化学工業だけである。塩素を使う工業が増えるにつれてソーダ部門も拡張し、1955年3月時点で苛性ソーダは月産1,000トン設備を持つに至った。

  • 会社銀行八十年史(1955年)「鐘淵化学工業」
    • [17]BHCは1948年から製造を開始し、原沫で業界第一位にあった
    • [18]1954年7月にカネクロール(五塩化ジフェニール)を月産100トン設備で製造開始し、わが国では唯一のものであった
    • [20]1955年3月末時点で苛性ソーダは月産1,000トン設備を有した
    • [19]PCBの国内製造は1954年(昭和29年)に開始され、製造したのは鐘淵化学工業と三菱モンサント化成の2社である(三菱モンサント化成の製造開始は後年)
  • カネカ 有価証券報告書【沿革】
    • [12]1950年7月に塩化ビニール樹脂の製造を開始した
    • [16]1953年2月にショートニング、1953年4月に塩ビコンパウンドの製造を開始した
  • 証券アナリストジャーナル 1967年8月号(大澤孝)
    • [13]戦時中から研究してきた合成ゴムの技術と経験を生かし自社技術によって塩ビを企業化した
  • 会社銀行八十年史(1955年)「鐘淵化学工業」
    • [14]塩化ビニールは1950年7月にわが国で初めて工業化に成功したもので、当初月産60トン、1955年3月現在で月産400トン設備
    • [15]1950年7月から塩化ビニール電線、1952年1月から塩ビ加工紙カネプルーフ・ペーパーの製造を開始した
    • [17]BHCは1948年から製造を開始し、原沫で業界第一位にあった
    • [18]1954年7月にカネクロール(五塩化ジフェニール)を月産100トン設備で製造開始し、わが国では唯一のものであった
    • [20]1955年3月末時点で苛性ソーダは月産1,000トン設備を有した
    • [19]PCBの国内製造は1954年(昭和29年)に開始され、製造したのは鐘淵化学工業と三菱モンサント化成の2社である(三菱モンサント化成の製造開始は後年)

API for AI Agents — 認証不要、URLをGETするだけで機械可読なJSONをトークン消費を抑えつつ取得できます。

歴史年表 1949〜2024年

カネカの沿革1949〜2024年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1949〜1959年鐘淵紡績の第二会社として発足し塩化ビニールで自立の足場を得るまで中司清鐘淵紡績から繊維部門以外の全事業を譲り受けて設立
中司清東京証券取引所等に上場
中司清塩化ビニール樹脂の製造を開始。以後これを中核に合成樹脂事業を組み立てていく★★
中司清ショートニングの製造を開始
中司清食品事業に参入★★
中司清塩ビコンパウンドの製造を開始
中司清アクリル系合成繊維「カネカロン」の製造を開始★★
1960〜1979年塩ビとスチレン系樹脂とカネカロンによる総合化学会社への転換中司清高級製菓用油脂の製造を開始
中司清モディファイヤー(MBS樹脂)の製造を開始
中司清発泡樹脂事業に参入
中司清塩ビ系特殊樹脂の製造を開始
中司清塩ビモノマー原料のカーバイド法からオキシクロリネーション法への切り替え

1967年、鐘淵化学工業(現カネカ)が塩化ビニールモノマーの原料をカーバイドから石油に改め、エチレンを原料とするオキシクロリネーション法の採用を決めた経営判断。米国ストーファー社の技術を導入し、高砂に51億円を投じて1968年10月の完成を目指した。

詳細を読む
★★★
井上徳治ベルギーにカネカベルギーN.V.を設立
井上徳治香辛料の製造を開始
大澤孝医薬事業に参入★★
大澤孝医薬品バルク ユビデカレノン(コエンザイムQ10)の製造を開始★★
高田敞変成シリコーンポリマーの製造を開始★★
1980〜1999年ニッチ首位の規律と脱・石油化学への組み替え高田敞塩ビサッシの製造を開始
高田敞海外子会社カネカテキサスCorp.を設立
高田敞超耐熱ポリイミドフィルムの製造を開始
女性かつら直営事業の手放しと、人工毛カネカロンの素材供給への専念

1985年8月、鐘淵化学工業が女性用かつら"フォンテーヌ"を販売する全額出資子会社フォンテーヌ株式会社の株式全額を、男性かつら専業のアデランスへ譲渡した経営判断。買収費用は10億円強と推定された。同社が新納眞人社長のもとで進めていた事業の入れ替えの一つである。

詳細を読む
★★★
医療機器の製造を開始
子会社カネカメディックスを設立
液晶関連製品の製造を開始
住宅建築工事を開始
専業子会社の設立と、薄膜シリコンへの100億円超の投資

1998年10月、鐘淵化学工業(現・カネカ)が全額出資子会社カネカソーラーテック株式会社を設立し、1999年10月に電力用太陽電池の製造を開始した経営判断。住宅用太陽電池への進出に100億円以上を投じ、薄膜シリコン太陽電池事業に参入した。

詳細を読む
★★★
武田正利薄膜シリコン太陽電池事業に参入★★
2000〜2025年カネカへの改称と4つのソリューションユニットへの組み替え武田正利国内で機能性食品素材の販売を開始
武田正利海外子会社カネカニュートリエンツL.P.を設立
武田正利「鐘淵化学工業」から「カネカ」へ商号を変更
大西正躬カネカテキサスCorp.がカネカハイテックマテリアルズInc.を合併
菅原公一サンビックに追加出資し子会社化
菅原公一ユーロジェンテックS.A.に出資し子会社化
菅原公一アジア統括会社として鐘化企業管理(上海)有限公司を設立
菅原公一食品事業部門の販売会社4社をカネカ食品に再編
角倉護欧州統括会社としてカネカヨーロッパHDカンパニーN.V.を設立
角倉護セメダインを公開買付けによる株式取得により子会社化★★
田中稔プライム市場に移行
田中稔セメダインを株式交換により完全子会社化
藤井一彦北海道苫東工場を新設
藤井一彦EndoStream Medical Ltd.を子会社化
出典・参考 5件
出典・参考

免責事項およびポリシー