カネカ の歴史

創業

1949年

創業者

※鐘淵紡績からの分離独立

創業地

大阪市

直近売上高(2025/3)

8,072億円

長期業績と転換点(1996/3〜2025/3)
売上高(億円純利益率(%)
Q なぜ1949年に鐘淵紡績から分かれた会社は、塩化ビニールで自立できたのか
A 引き受けたのは繊維を除く全事業で、か性ソーダから搾油、石鹸、洋紙、化粧品まで散らばり、どれも会社の中核になりえなかった。塩素を自前で作るソーダ設備と、戦時中に軍の要請で進めた合成ゴム研究の蓄積が残っていたことが重なり、遊休設備の上に塩化ビニールを組み立てられた。1949年9月1日に鐘淵紡績の企業再建整備計画に基づき資本金2億円で大阪に発足した鐘淵化学工業は、翌1950年7月、日本で初めて塩化ビニールの工業化に成功する。当初は月産60トンだったが、1955年3月には月産400トンに達した
Q なぜ1985年に、店舗数で勝るフォンテーヌをアデランスへ譲渡したのか
A 素材メーカーが川下の販売会社を抱えていた理由は、収益ではなく製品を試す場を確保することにあった。人工毛の世界生産の8割を占めるカネカロンという地位は素材の側にあり、売り場を手放しても失われない。むしろ売る力で勝る相手に渡したほうが、素材そのものの需要が増える。1985年8月、鐘淵化学工業は直営店を含め140店を持つフォンテーヌの株式を、創業17年で97店舗のアデランスへ譲渡した。店舗網では譲る側が勝っていた。
Q なぜ3位に落ちたら撤退を掲げる会社が、1998年に太陽電池へ100億円を投じたのか
A 500億円前後のニッチ市場で過半のシェアを取り、3位に落ちたら即座に退くという規律から見れば、当時の太陽電池は条件を満たさない領域だった。それでも武田正利社長は100億円以上を投じ、事業は立ち上げ後5年が勝負だとして3年後の黒字化を掲げる。1998年10月にカネカソーラーテックを設立し、翌1999年10月に電力用太陽電池の製造を始めた。賭けた薄膜シリコンは主力にならず、後にヘテロ接合結晶シリコンへ作り替えられる。売り先も汎用の発電所ではなく、瓦一体型や車載ルーフという部材に絞られた

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1949年〜 鐘淵紡績の第二会社として発足し塩化ビニールで自立の足場を得るまで

  1. 1949年鐘淵紡績から繊維部門以外の全事業を譲り受けて設立
  2. 1949年東京証券取引所等に上場
  3. 1950年塩化ビニール樹脂の製造を開始。以後これを中核に合成樹脂事業を組み立てていく
  4. 1953年ショートニングの製造を開始
  5. 1953年食品事業に参入
  6. 1953年塩ビコンパウンドの製造を開始
  7. 1957年アクリル系合成繊維「カネカロン」の製造を開始

カネカの業績推移:単体

売上高(億円)

出所:有価証券報告書等

繊維以外の全事業を引き受けた第二会社

1949年9月1日、鐘淵紡績の企業再建整備計画の認可に基づき、繊維部門を除く全事業を引き受けて鐘淵化学工業が発足した。資本金は2億円、本社は大阪市東区本町に置いた。継承した事業はか性ソーダ、搾油、石鹸、食油、酵母、食品類、洋紙、和紙、エナメル電線、化粧品、澱粉におよぶ。化学会社の看板を掲げてはいたものの、実態は紡績会社が戦中戦後に抱え込んだ雑多な事業の受け皿であり、法的には新会社でありながら、事業そのものは鐘紡の歴史と同じだけ古かった。1949年10月には東京証券取引所などに株式を上場している。 [1][2][3][4][5]

  • カネカ 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1949年9月1日に鐘淵紡績の企業再建整備計画に基づき分離独立して設立された
    • [5]1949年10月に東京証券取引所等へ株式を上場した
  • カネカ 有価証券報告書 第82期(2006年3月期)【沿革】
    • [2]設立時の資本金は2億円
    • [4]継承事業はか性ソーダ・搾油・石鹸・食油・酵母・食品類・洋紙・和紙・エナメル電線・化粧品・澱粉
  • 会社銀行八十年史(1955年)「鐘淵化学工業」
    • [3]設立時の本社は大阪市東区本町4の27

発足後の10年は、引き受けた事業を減らす作業に費やされた。アミノ酸は1952年6月に製造を中止し、澱粉は1953年3月、洋紙は同年7月にそれぞれ譲渡、和紙も1954年8月に整理している。整理を免れたのはか性ソーダ、食油、酵母の3つで、それ以外は順次たたんだ。1967年になると、鐘紡から引き継いだ事業で残っていたのは苛性ソーダと石鹸だけになっている。同時に既設設備の改善増強と新規事業の立ち上げを進めており、引き算と足し算を同じ時期に行っている。石鹸、電解苛性ソーダ、BHCの設備を増強し、自家発電設備を整えて動かしたのもこの時期である。1951年8月には資本金を4億円へ増やし、1954年度の総売上高は61億円に達した。 [6][7][8][9]

  • 会社銀行八十年史(1955年)「鐘淵化学工業」
    • [6]アミノ酸は1952年6月に製造中止、澱粉は1953年3月、洋紙は1953年7月に譲渡、和紙は1954年8月に整理
    • [7]1951年8月に資本金を4億円とし、1954年度の総売上高は61億円
    • [9]整理したのはアミノ酸・澱粉・洋紙・和紙で、石鹸・電解苛性ソーダ・BHCの設備増強と自家発電設備の整備稼働を並行して実施した
  • 証券アナリストジャーナル 1967年8月号「鐘淵化学工業の現状と将来」(大澤孝)
    • [8]その後、か性ソーダ・食油・酵母以外の事業を順次整理し、1967年時点で鐘紡から引き継いで続いていたのは苛性ソーダと石鹸だけであった

会社の輪郭が定まらない時期は長く続き、無配の期を何度も重ねている。設立から18年たった1967年になっても、鐘淵化学工業は世間から鐘紡の一部門と見られていた。同社の常務取締役だった大澤孝氏は、証券アナリスト協会の講演でその状況を率直に語っている。資本金は43億8,000万円に増え、1967年の年初からその年の夏までに約2,000万株が一般株主から金融機関へ移り、従来分と合わせて発行株式の50%近くが安定株主の手に渡った。独立した会社としての体裁は、株主構成の面から先に整った。 [10][11]

  • 証券アナリストジャーナル 1967年8月号「鐘淵化学工業の現状と将来」(大澤孝)
    • [10]1967年時点の常務取締役は大澤孝
    • [11]1967年時点の資本金は43億8,000万円で、約2,000万株が一般株主から金融機関へ移り安定株主が50%近くになった
  • カネカ 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1949年9月1日に鐘淵紡績の企業再建整備計画に基づき分離独立して設立された
    • [5]1949年10月に東京証券取引所等へ株式を上場した
  • カネカ 有価証券報告書 第82期(2006年3月期)【沿革】
    • [2]設立時の資本金は2億円
    • [4]継承事業はか性ソーダ・搾油・石鹸・食油・酵母・食品類・洋紙・和紙・エナメル電線・化粧品・澱粉
  • 会社銀行八十年史(1955年)「鐘淵化学工業」
    • [3]設立時の本社は大阪市東区本町4の27
    • [6]アミノ酸は1952年6月に製造中止、澱粉は1953年3月、洋紙は1953年7月に譲渡、和紙は1954年8月に整理
    • [7]1951年8月に資本金を4億円とし、1954年度の総売上高は61億円
    • [9]整理したのはアミノ酸・澱粉・洋紙・和紙で、石鹸・電解苛性ソーダ・BHCの設備増強と自家発電設備の整備稼働を並行して実施した
  • 証券アナリストジャーナル 1967年8月号「鐘淵化学工業の現状と将来」(大澤孝)
    • [8]その後、か性ソーダ・食油・酵母以外の事業を順次整理し、1967年時点で鐘紡から引き継いで続いていたのは苛性ソーダと石鹸だけであった
    • [10]1967年時点の常務取締役は大澤孝
    • [11]1967年時点の資本金は43億8,000万円で、約2,000万株が一般株主から金融機関へ移り安定株主が50%近くになった

日本で最初の塩化ビニール工業化と塩素からの連鎖

1950年7月、鐘淵化学工業は塩化ビニールの工業化に日本で初めて成功した。戦時中に軍の要請で進めていた合成ゴムの研究で得た技術と経験を、遊休設備の上で組み直したものである。当初の生産能力は月産60トンにすぎなかったが、数次の拡張を経て1955年3月には月産400トンに達した。技術導入ではなく自社技術によったこと、そして塩素の供給源であるソーダ部門を自前で持っていたことが、この事業を会社の中心に据える条件になった。その後も技術の改良と合理化を重ね、質と量の両面で国内トップメーカーの一つに数えられるまでになる。 [12][13][14]

  • カネカ 有価証券報告書【沿革】
    • [12]1950年7月に塩化ビニール樹脂の製造を開始した
  • 会社銀行八十年史(1955年)「鐘淵化学工業」
    • [13]塩化ビニールは1950年7月にわが国で初めて工業化に成功したもので、当初月産60トン、1955年3月現在で月産400トン設備
  • 証券アナリストジャーナル 1967年8月号「鐘淵化学工業の現状と将来」(大澤孝)
    • [14]戦時中から研究してきた合成ゴムの技術と経験を生かし自社技術によって塩ビを企業化した

塩化ビニールは単体の樹脂としてだけでなく、川下へ次々と枝分かれした。1950年7月には合成樹脂部門から塩ビの供給を受けて塩化ビニール電線の製造を始め、1952年1月には塩化ビニリデンと塩化ビニールの共重合ラテックスを紙に塗った塩ビ加工紙カネプルーフ・ペーパーを送り出している。防湿紙、防油紙として化学肥料や農薬の包装に回った。1953年4月には可塑剤と安定剤を加えて加工業者がそのまま成型できる塩ビコンパウンドを、1953年2月にはショートニングの製造を始め、食品にも足を伸ばした。 [15][16]

  • 会社銀行八十年史(1955年)「鐘淵化学工業」
    • [15]1950年7月から塩化ビニール電線、1952年1月から塩ビ加工紙カネプルーフ・ペーパーの製造を開始した
  • カネカ 有価証券報告書【沿革】
    • [16]1953年2月にショートニング、1953年4月に塩ビコンパウンドの製造を開始した

塩素を出発点にした事業の並べ方は、この時期に固まった。1948年から製造していたBHCは当初DDTに押されたものの、設備の拡充と品質改良によって原沫では業界1位となる。1954年7月にはジフェニールを塩素化した五塩化ジフェニール、商品名カネクロールを月産100トンの設備で製造開始した。合成電気絶縁油や熱媒可塑剤として使われるもので、日本で製造していたのは鐘淵化学工業だけである。塩素を使う工業が増えるにつれてソーダ部門も拡張し、1955年3月時点で苛性ソーダは月産1,000トン設備を持つに至った。 [17][18][19][20]

  • 会社銀行八十年史(1955年)「鐘淵化学工業」
    • [17]1954年7月にカネクロール(五塩化ジフェニール)を月産100トン設備で製造開始し、わが国では唯一のものであった
    • [19]BHCは1948年から製造を開始し、原沫で業界第一位にあった
    • [20]1955年3月末時点で苛性ソーダは月産1,000トン設備を有した
    • [18]PCBの国内製造は1954年(昭和29年)に開始され、製造したのは鐘淵化学工業と三菱モンサント化成の2社である(三菱モンサント化成の製造開始は後年)
  • カネカ 有価証券報告書【沿革】
    • [12]1950年7月に塩化ビニール樹脂の製造を開始した
    • [16]1953年2月にショートニング、1953年4月に塩ビコンパウンドの製造を開始した
  • 会社銀行八十年史(1955年)「鐘淵化学工業」
    • [13]塩化ビニールは1950年7月にわが国で初めて工業化に成功したもので、当初月産60トン、1955年3月現在で月産400トン設備
    • [15]1950年7月から塩化ビニール電線、1952年1月から塩ビ加工紙カネプルーフ・ペーパーの製造を開始した
    • [17]1954年7月にカネクロール(五塩化ジフェニール)を月産100トン設備で製造開始し、わが国では唯一のものであった
    • [19]BHCは1948年から製造を開始し、原沫で業界第一位にあった
    • [20]1955年3月末時点で苛性ソーダは月産1,000トン設備を有した
  • 証券アナリストジャーナル 1967年8月号「鐘淵化学工業の現状と将来」(大澤孝)
    • [14]戦時中から研究してきた合成ゴムの技術と経験を生かし自社技術によって塩ビを企業化した
    • [18]PCBの国内製造は1954年(昭和29年)に開始され、製造したのは鐘淵化学工業と三菱モンサント化成の2社である(三菱モンサント化成の製造開始は後年)

1960年〜 塩ビとスチレン系樹脂とカネカロンによる総合化学会社への転換

  1. 1965年発泡スチレン樹脂の製造を開始
  2. 1965年発泡樹脂事業に参入
  3. 1967年塩ビモノマーの製法をオキシクロリネーション法へ転換
  4. 1967年高砂に51億円を投じる計画を発表
  5. 1970年鹿島工場が竣工
  6. 1970年ベルギーにカネカベルギーN.V.を設立
  7. 1970年海外生産を開始

カネカの業績推移:単体

売上高(億円)

出所:有価証券報告書等

高分子化学が売上の6割を占めるまでの積み上げ

1957年7月にアクリル系合成繊維カネカロン、1964年6月にMBS樹脂カネエース、1965年7月に発泡スチレン樹脂カネパールと、主力になる製品が10年足らずの間に並んだ。いずれも自社技術による企業化である。1966年下期の売上構成を見ると、合成樹脂が34%、カネカロンが14%、電線が15%で、高分子化学部門だけで63%を占めた。設立時に引き受けた油脂や酵母は、すでに会社の中心から外れている。既存部門でも製品は増えており、1961年12月に高級製菓用油脂、1967年6月に塩ビ系特殊樹脂の製造を始めた。 [21][22][23][24]

主力の塩ビは1967年時点で公称月産能力6,600トンに達し、日本ゼオンと並ぶ国内首位のメーカーとなった。世界の生産能力で見ると11位から12位に位置する。ABS樹脂も月産900トンで国内首位を占め、宇部サイコンの750トン、東洋レーヨンの600トンを上回った。もっとも、ABSは業界全体で大幅な能力過剰にあり、鐘淵化学工業が伸びたのはSタイプではなくBタイプ、つまり塩ビと混合して透明性と耐衝撃性を与える型を持っていたからである。同じ市場で同じ製品を売って勝ったわけではない。欧米の食品衛生規格の試験に通れば容器用途で需要が一気に伸びる、というのが当時の見立てであった。 [25][26][27]

  • 証券アナリストジャーナル 1967年8月号「鐘淵化学工業の現状と将来」(大澤孝)
    • [25]1967年時点の塩ビ公称月産能力は6,600トンで、日本ゼオンと並ぶわが国トップメーカー、世界では11〜12位
    • [26]ABS樹脂の月産能力は鐘淵化学900トンで国内首位、宇部サイコン750トン、東洋レーヨン600トンが続く
    • [27]当社のABSはSタイプとBタイプがあり、Bタイプは塩ビと混合して透明性と耐衝撃性を与えるもので大きく伸びていた

製品そのものと同じ重さで語られたのが販売網である。加工メーカーに対する技術指導と技術サービスを徹底し、販売と技術を分けない体制を敷いた。この売り方は塩ビ以外の樹脂を出すたびに効き、後に発泡スチレンで後発として参入したときも、販売力に不安はないと言い切る根拠になっている。製品を作る力ではなく、作った製品を使いこなさせる力を競争の軸に置いた点で、同時期の石油化学各社とは組み立てが違った。発泡スチレンでは積水スポンジと油化バディッシュに後れを取り、参入時には特許に触れると問題にされたものの、米英仏に加えて日本でも自社特許が成立したことを根拠に、解決できると見ていた。 [28][29][30]

  • 証券アナリストジャーナル 1967年8月号「鐘淵化学工業の現状と将来」(大澤孝)
    • [28]販売即技術という観点から販売先の加工メーカーへの技術指導・技術サービスを徹底していた
    • [29]発泡スチレンでは積水スポンジ・油化バディッシュに対し当社は後発で、事業開始時に特許にふれるとして問題になったが、アメリカ・イギリス・フランスで当社の特許が成立しており(日本でも成立)自信をもって解決できるとした
    • [30]発泡スチレンの販売について「塩ビと同様、合成樹脂の販売力は定評のある所であり全く問題はない」と述べた
  • カネカ 有価証券報告書【沿革】
    • [21]1957年7月にカネカロン、1964年6月にモディファイヤー(MBS樹脂)、1965年7月に発泡スチレン樹脂の製造を開始した
    • [24]1961年12月に高級製菓用油脂、1967年6月に塩ビ系特殊樹脂の製造を開始した
  • 証券アナリストジャーナル 1967年8月号「鐘淵化学工業の現状と将来」(大澤孝)
    • [22]1966年下期の売上構成は合成樹脂34%・カネカロン14%・電線15%で高分子化学部門が63%
    • [25]1967年時点の塩ビ公称月産能力は6,600トンで、日本ゼオンと並ぶわが国トップメーカー、世界では11〜12位
    • [26]ABS樹脂の月産能力は鐘淵化学900トンで国内首位、宇部サイコン750トン、東洋レーヨン600トンが続く
    • [27]当社のABSはSタイプとBタイプがあり、Bタイプは塩ビと混合して透明性と耐衝撃性を与えるもので大きく伸びていた
    • [28]販売即技術という観点から販売先の加工メーカーへの技術指導・技術サービスを徹底していた
    • [29]発泡スチレンでは積水スポンジ・油化バディッシュに対し当社は後発で、事業開始時に特許にふれるとして問題になったが、アメリカ・イギリス・フランスで当社の特許が成立しており(日本でも成立)自信をもって解決できるとした
    • [30]発泡スチレンの販売について「塩ビと同様、合成樹脂の販売力は定評のある所であり全く問題はない」と述べた
    • [23]1964年に企業化されたカネカのMBS樹脂の商品名は「カネエースB」で、技術的にはABS樹脂の製造から派生した

原料転換と鹿島 ── 石油化学の大型化への合流

1960年代後半、塩ビモノマーの原料をカーバイドから石油に切り替える議論が業界を覆った。鐘淵化学工業はナフサを原料とするウルフ法とエチレンを原料とするオキシクロリネーション法を比べ、技術者を海外に派遣して国内の原料事情を調べたうえで、1967年にオキシクロリネーション法の採用を決めた。米国ストーファー社の技術を導入し、高砂に51億円を投じて1968年10月の完成を目指す計画である。カーバイド法で1キログラムあたり58円だった金利込み工場原価は、転換後に38円まで下がる見込みだった。 [31][32][33]

  • 証券アナリストジャーナル 1967年8月号「鐘淵化学工業の現状と将来」(大澤孝)
    • [31]ウルフ法とオキシクロリネーション法を比較しオキシクロリネーション法の採用を決定、米国ストーファー社の技術を導入する計画であった
    • [32]建設資金はユーティリティー関係設備を含めて51億円を予定し、翌年10月の完成を目指していた
    • [33]カーバイド法の金利込み工場原価58円/kgに対しオキシクロリネーション法は38円/kg

この決定は一社の設備投資にとどまらない。通商産業省が想定していた塩ビモノマーセンターは徳山、千葉、水島、高岡の4か所で、そこに高砂が加わって5か所となり、さらに三菱油化の鹿島が予定されて計6か所になった。エチレンプラントの最低規模基準が1967年に年産30万トンへ引き上げられ、誘導品の設備も連動して大型化していた時期にあたる。塩化ビニール樹脂は、カーバイド方式から石油化学方式への転換と設備の大型化が進んだ結果、1970年にはポリエチレンを抜いて最大のシェアを占めるプラスチックとなった。 [34][35][36]

  • 証券アナリストジャーナル 1967年8月号「鐘淵化学工業の現状と将来」(大澤孝)
    • [34]通産省が考えていた塩ビモノマーセンターは徳山・千葉・水島・高岡の4つで、これに高砂が加わり、さらに三菱油化の鹿島が予定されていた
  • 日本産業史 第3巻(日本経済新聞社、1994年)「化学-プラントの大型化を経て成熟化」
    • [35]エチレン・プラントの最低規模基準は昭和42年(1967年)に30万トンへ引き上げられ、誘導品プラントの大型化につながった
    • [36]塩化ビニールモノマーはカーバイド方式から石油化学方式への転換と設備大型化の結果、昭和45年(1970年)にポリエチレンをしのいで最大シェアのプラスチックとなった

1970年11月に鹿島工場が竣工する。三菱油化のエチレン30万トン計画に対応して、信越化学工業、旭硝子、鐘淵化学工業、旭電化工業の4社が共同出資した鹿島塩ビモノマーが、この時期の塩ビセンターを代表している。単独で原料設備を抱えるのではなく、共同出資と輪番投資でナフサ手配と資金調達の負担を分け合う方式が、当時の石油化学では一般的だった。これらの塩ビセンターは、そのほとんどが1970年から1971年にかけて設備を完成させている。同年12月には海外子会社カネカベルギーを設立し、欧州でも生産を始めた。 [37][38][39][40]

  • カネカ 有価証券報告書【沿革】
    • [37]1970年11月に鹿島工場が竣工し、1970年12月に海外子会社カネカベルギーN.V.を設立した
  • 日本産業史 第3巻(日本経済新聞社、1994年)「化学-プラントの大型化を経て成熟化」
    • [38]三菱油化のエチレン30万トン計画に対応し信越化学工業・旭硝子・鐘淵化学工業・旭電化工業が共同出資して鹿島塩ビモノマーを設立した
    • [39]代表的な塩ビセンターはそのほとんどが昭和45〜46年(1970〜1971年)に設備を完成させた
    • [40]エチレン30万トン計画は丸善石油化学と三菱油化の単独実施を除きすべて共同出資や輪番投資の形をとり、ナフサ手配・資金調達などの負担を分け合った
  • 証券アナリストジャーナル 1967年8月号「鐘淵化学工業の現状と将来」(大澤孝)
    • [31]ウルフ法とオキシクロリネーション法を比較しオキシクロリネーション法の採用を決定、米国ストーファー社の技術を導入する計画であった
    • [32]建設資金はユーティリティー関係設備を含めて51億円を予定し、翌年10月の完成を目指していた
    • [33]カーバイド法の金利込み工場原価58円/kgに対しオキシクロリネーション法は38円/kg
    • [34]通産省が考えていた塩ビモノマーセンターは徳山・千葉・水島・高岡の4つで、これに高砂が加わり、さらに三菱油化の鹿島が予定されていた
  • 日本産業史 第3巻(日本経済新聞社、1994年)「化学-プラントの大型化を経て成熟化」
    • [35]エチレン・プラントの最低規模基準は昭和42年(1967年)に30万トンへ引き上げられ、誘導品プラントの大型化につながった
    • [36]塩化ビニールモノマーはカーバイド方式から石油化学方式への転換と設備大型化の結果、昭和45年(1970年)にポリエチレンをしのいで最大シェアのプラスチックとなった
    • [38]三菱油化のエチレン30万トン計画に対応し信越化学工業・旭硝子・鐘淵化学工業・旭電化工業が共同出資して鹿島塩ビモノマーを設立した
    • [39]代表的な塩ビセンターはそのほとんどが昭和45〜46年(1970〜1971年)に設備を完成させた
    • [40]エチレン30万トン計画は丸善石油化学と三菱油化の単独実施を除きすべて共同出資や輪番投資の形をとり、ナフサ手配・資金調達などの負担を分け合った
  • カネカ 有価証券報告書【沿革】
    • [37]1970年11月に鹿島工場が竣工し、1970年12月に海外子会社カネカベルギーN.V.を設立した

カネカロンの用途転換と、カネクロールが招いたカネミ油症

カネカロンはアクリル系合繊で国内の先陣を切ったが、その後にエクスラン、ボンネル、カシミロンと繊維専業の大手が相次いで参入した。同じ土俵で戦っても勝ち目がないと判断した鐘淵化学工業は、専業各社が手を付けない隙間に商品を寄せる。難燃性という特性を生かしてカーテンとカーペットの室内装飾用に力を入れ、燃えない性質を寝具にも回した。さらに特殊な処理で人毛に近い性質を持たせ、かつらの材料に用いた。合繊を使ったかつらは各社が出したものの、1967年の時点で市場に残っていたのはカネカロン製だけである。 [41][42][43]

  • 証券アナリストジャーナル 1967年8月号「鐘淵化学工業の現状と将来」(大澤孝)
    • [41]カネカロンはアクリル系繊維でわが国のトップを切ったが、その後エクスラン・ボンネル・カシミロンなど専門メーカーが進出した
    • [42]難燃性を生かしカーテン・カーペットなど室内装飾用と寝具に力を入れ、特殊処理で人毛に近づけてかつらの材料に用いた
    • [43]いろいろな合繊を使ったかつらが発売されたが1967年時点で残っているのはカネカロンのかつらだけであった

同じ時期、鐘淵化学工業の製品が大規模な健康被害を引き起こした。1968年10月、西日本を中心に広域にわたって食用油による健康被害が発生する。厚生労働省の説明によれば、カネミ倉庫が製造したライスオイルに、脱臭工程の熱媒体として使われていた鐘淵化学工業製のカネクロールが混入し、ポリ塩化ビフェニールとダイオキシン類の一種であるポリ塩化ジベンゾフランなどが製品に入った。1954年に日本で唯一の製品として世に出した熱媒可塑剤が、14年後に食品の製造工程で漏れ出したことになる。被害者の届け出は1969年7月時点で1万4,627人にのぼり、同年2月にはカネミ倉庫と同社長、そして鐘淵化学工業を相手取る訴訟が起こされた。1970年11月には国を被告とする全国統一訴訟が続いている。 [44][45][46]

訴訟は長く続き、原告が国に対して地裁と高裁で勝訴したのち、鐘淵化学工業とは和解に至った。事件を単独の過失として見ると全体を取り違える。PCBによるカネミ油症事件は、阿賀野川のメチル水銀汚染、四日市の大気汚染、神通川のカドミウム汚染、水俣湾のメチル水銀汚染と並んで、重化学工業化を急いだ産業構造そのものが問われた一連の公害の一つに数えられている。1974年4月には化学物質の審査及び製造等の規制に関する法律が施行され、新しい化学物質を世に出す手続きが根本から変わった。同じ時期、塩化ビニール樹脂は相次ぐ増設で1971年春までに年産200万トンに達する一方で需要が停滞し、業界は1972年1月から不況カルテルに入っている。 [47][48][49][50][51]

  • 証券アナリストジャーナル 1967年8月号「鐘淵化学工業の現状と将来」(大澤孝)
    • [41]カネカロンはアクリル系繊維でわが国のトップを切ったが、その後エクスラン・ボンネル・カシミロンなど専門メーカーが進出した
    • [42]難燃性を生かしカーテン・カーペットなど室内装飾用と寝具に力を入れ、特殊処理で人毛に近づけてかつらの材料に用いた
    • [43]いろいろな合繊を使ったかつらが発売されたが1967年時点で残っているのはカネカロンのかつらだけであった
    • [44]1968年10月に西日本を中心に広域で発生し、カネミ倉庫社製ライスオイルに鐘淵化学工業(現カネカ)社製のカネクロールが混入した
    • [45]1969年7月における中毒の届け出者数は1万4627人、認定患者は913人であった
    • [46]カネミ倉庫らを訴えた「福岡民事訴訟」は1969年2月に提訴され、1970年11月に提訴されたのは国を相手取る「小倉民事訴訟」(別名「カネミ油症全国統一民事訴訟」)である
    • [50]1987年に原告とカネミ倉庫の間で和解が成立し、原告は約500万円の債権を強制執行しないことが確認された
  • 日本産業史 第3巻(日本経済新聞社、1994年)「化学-プラントの大型化を経て成熟化」
    • [47]PCBによるカネミ油症事件は阿賀野川のメチル水銀汚染・四日市の大気汚染・神通川のカドミウム汚染・水俣湾のメチル水銀汚染とともに公害問題として表面化した
    • [48]1974年4月から化学物質の審査及び製造等の規制に関する法律が施行された
    • [51]塩化ビニール樹脂は相次ぐ増設で昭和46年(1971年)春までに年産200万トンに達する一方で需要が停滞し、昭和46年12月に不況カルテルの結成を公正取引委員会へ申請、昭和47年(1972年)1月から実施した
    • [49]原告は地裁と高裁で国に勝訴し、鐘化とは和解した

1980年〜 ニッチ首位の規律と脱・石油化学への組み替え

  1. 1982年塩ビサッシの製造を開始
  2. 1984年超耐熱ポリイミドフィルムの製造を開始
  3. 1985年フォンテーヌの株式をアデランスへ譲渡
  4. 1986年医療機器の製造を開始
  5. 1998年子会社カネカソーラーテックを設立
  6. 1999年電力用太陽電池の製造を開始
  7. 1999年薄膜シリコン太陽電池事業に参入

カネカの業績推移:単体

売上高(億円)

出所:有価証券報告書等

医薬・電子材料・医療機器という小さな柱の束

石油化学が成熟期に入った1970年代半ばから、鐘淵化学工業は樹脂以外の柱を仕込み始める。1974年12月に医薬品バルクの製造を開始し、1977年10月にはユビデカレノン、のちにコエンザイムQ10として知られる医薬品バルクを世に出した。1983年4月には医薬品中間体が加わる。後に社長となる大西正躬氏は、関連する製造設備を持たない1970年代後半にコエンザイムQ10と抗生物質中間体の開発に立ち会い、テーマの絞り込みがしっかりしていれば開発の成功率は高いという原則をここで身につけたと語っている。 [52][53]

  • カネカ 有価証券報告書【沿革】
    • [52]1974年12月に医薬品バルク、1977年10月にユビデカレノン(コエンザイムQ10)、1983年4月に医薬品中間体の製造を開始した
  • 週刊東洋経済 2005年11月19日号「トップの履歴書 大西正躬」
    • [53]大西正躬は関連製造設備を持たない1970年代後半にコエンザイムQ10や抗生物質中間体の開発に立ち会った

材料の側でも柱が増えた。1978年10月に耐候性MMA系フィルム、1979年2月に変成シリコーンポリマー、1984年10月に超耐熱ポリイミドフィルム、1986年4月に医療機器の製造をそれぞれ開始している。1993年9月には子会社カネカメディックスを設立し、1995年7月に液晶関連製品を加えた。ひとつひとつは会社を支えるほどの規模を持たない。しかし変成シリコーンポリマーは建築用シーリング材の主要材料として、超耐熱ポリイミドフィルムは電子材料として、いずれも後年まで残る事業となった。 [54][55]

  • カネカ 有価証券報告書【沿革】
    • [54]1978年10月に耐候性MMA系フィルム、1979年2月に変成シリコーンポリマー、1984年10月に超耐熱ポリイミドフィルム、1986年4月に医療機器の製造を開始した
    • [55]1993年9月に子会社カネカメディックスを設立し、1995年7月に液晶関連製品の製造を開始した

海外生産も同じ時期に広がった。国内で作って運ぶのではなく、需要のある土地で作る形である。1979年1月のカネカシンガポール、1982年5月のカネカテキサス、1995年8月のカネカマレーシア、1996年7月のカネカエペラン、1997年8月のカネカハイテックマテリアルズと、製品ごとに生産拠点を置いていった格好である。1970年12月のカネカベルギーを含め、欧州、米国、東南アジアの三方向に拠点が並んだ。後年に主要な海外生産基地として挙げられるアメリカ、ベルギー、マレーシアは、いずれもこの20年間に置いたものが土台になっている。 [56][57]

  • カネカ 有価証券報告書【沿革】
    • [56]1979年1月にカネカシンガポール、1982年5月にカネカテキサス、1995年8月にカネカマレーシア、1996年7月にカネカエペラン、1997年8月にカネカハイテックマテリアルズを設立した
  • 週刊東洋経済 2005年11月19日号「トップの履歴書 大西正躬」
    • [57]グローバルな生産展開の主な拠点はアメリカ・ベルギー・マレーシアである
  • カネカ 有価証券報告書【沿革】
    • [52]1974年12月に医薬品バルク、1977年10月にユビデカレノン(コエンザイムQ10)、1983年4月に医薬品中間体の製造を開始した
    • [54]1978年10月に耐候性MMA系フィルム、1979年2月に変成シリコーンポリマー、1984年10月に超耐熱ポリイミドフィルム、1986年4月に医療機器の製造を開始した
    • [55]1993年9月に子会社カネカメディックスを設立し、1995年7月に液晶関連製品の製造を開始した
    • [56]1979年1月にカネカシンガポール、1982年5月にカネカテキサス、1995年8月にカネカマレーシア、1996年7月にカネカエペラン、1997年8月にカネカハイテックマテリアルズを設立した
  • 週刊東洋経済 2005年11月19日号「トップの履歴書 大西正躬」
    • [53]大西正躬は関連製造設備を持たない1970年代後半にコエンザイムQ10や抗生物質中間体の開発に立ち会った
    • [57]グローバルな生産展開の主な拠点はアメリカ・ベルギー・マレーシアである

素材に徹する判断 ── フォンテーヌのアデランスへの譲渡

1960年代後半から1970年代前半の日本には女性かつらの市場が広がり、帝人、鐘紡、興人、コマチヘアといった大手が競った。乱売の末にいずれも撤退し、残ったのは鐘淵化学工業が直営するフォンテーヌと数社である。アデランスの根本信男社長は1985年の講演で、鐘淵化学工業がフォンテーヌを手放さなかった理由を、世界の人工毛の80%をカネカロンとして生産する同社にとって、この直営会社が製品テストの場だったからだと説明している。素材メーカーが川下の販売会社を持つ理由が、収益ではなく開発の側にあった。女性かつらは2,000億円産業とはやされた時期があり、そこから撤退が相次いだ後にあたる。 [58][59][60]

  • 証券アナリストジャーナル 1985年12月号「アデランス」(根本信男)
    • [58]女性かつらは「昭和40年代」(1965〜1974年)に2,000億円産業とはやされ、帝人・鐘紡・興人・コマチヘアなどの大メーカーが競ったが乱売合戦の結果いずれも撤退し、鐘淵化学が直営するフォンテーヌと数社が残った
    • [59]女性かつらは昭和40年代(1965〜1974年)に「2,000億円産業」とはやされた時代があった
    • [60]鐘淵化学は全世界の人工毛の80%をカネカロンとして生産しており、そのテストのためフォンテーヌを維持していた

その方針が1985年8月に変わる。鐘淵化学工業からアデランスへ、アデランスのノウハウで売ってもらう方がいいので引き受けてくれないかという申し入れがあり、フォンテーヌの株式が譲渡された。当時のフォンテーヌは直営店を含め140店を持ち、創業17年のアデランスの97店舗を上回っている。店舗網の規模で勝る側が、売る力で勝る側に渡した取引である。鐘淵化学工業は人工毛の供給者に戻り、売り場を持つことをやめた。判断の当否は、その後もカネカロンが人工毛の主要供給源であり続けたことに表れている。 [61][62]

  • 証券アナリストジャーナル 1985年12月号「アデランス」(根本信男)
    • [61]1985年8月にフォンテーヌの株式がアデランスへ譲渡され子会社となった
    • [62]フォンテーヌは直営店を含め140店、アデランスは創業17年で97店舗であった
  • 証券アナリストジャーナル 1985年12月号「アデランス」(根本信男)
    • [58]女性かつらは「昭和40年代」(1965〜1974年)に2,000億円産業とはやされ、帝人・鐘紡・興人・コマチヘアなどの大メーカーが競ったが乱売合戦の結果いずれも撤退し、鐘淵化学が直営するフォンテーヌと数社が残った
    • [59]女性かつらは昭和40年代(1965〜1974年)に「2,000億円産業」とはやされた時代があった
    • [60]鐘淵化学は全世界の人工毛の80%をカネカロンとして生産しており、そのテストのためフォンテーヌを維持していた
    • [61]1985年8月にフォンテーヌの株式がアデランスへ譲渡され子会社となった
    • [62]フォンテーヌは直営店を含め140店、アデランスは創業17年で97店舗であった

3位に落ちたら撤退という規律と太陽電池への100億円

1999年6月、カネカロンの営業一筋で歩んだ武田正利氏が社長に就いた。同氏が語った同社の姿は明快である。500億円前後のニッチ市場で過半数のシェアを確保し、3位に落ちたら即座に撤退する。この規律のもとで収益構造の脱・石油化学が進み、世界一のコスト競争力を持つ医薬中間体と、末端を見据えた製品開発で伸びた食品が大黒柱に育った。創業50周年にあたる1999年度は、独自の技術力と海外生産体制がかみ合い、10期ぶりに連結純利益が過去最高を更新する見通しとなった。関係会社の99%が利益を出し、マレーシア、米ヒューストン、ベルギーの生産基盤が整ったことが、増設を検討する際の共通の土台になっていた。 [63][64][65][66]

  • 週刊東洋経済 2000年1月29日号「トップの履歴書 武田正利」
    • [63]武田正利は1959年に鐘淵化学工業へ入社しカネカロン事業部長・専務取締役を経て1999年6月に社長就任した
    • [64]500億円前後のニッチ市場で過半数シェアを確保し3位に落ちたら即撤退する方針を貫いていた
    • [65]「創業五〇周年の今期は、独自の技術力とグローバル体制がかみ合い、一〇期ぶりに連結純益で過去最高を更新する」と2000年1月時点で報じられた
    • [66]「関係会社の九九%は稼いでいるし、マレーシア、米ヒューストン、ベルギーの生産基盤が整い、設備増設を検討する場合のすべてのベースになる」と述べた

その規律を持つ会社が、1998年10月に子会社カネカソーラーテックを設立し、1999年10月に電力用太陽電池の製造を始めた。投じたのは100億円以上である。事業は立ち上げ後5年が勝負であるとして、3年後の黒字化を掲げた。既存事業と技術のつながりは薄く、市場もまだ小さい。ニッチで過半を取るという原則から見れば、過半のシェアを取れる見込みの立つ領域ではなかった。それでも踏み込んだのは、発酵と合成を組み合わせる技術の延長にバイオや遺伝子組み換えを見据えていたのと同じく、既存の柱が尽きる前に次を仕込む必要があったためと考えられる。 [67][68]

  • カネカ 有価証券報告書 第82期(2006年3月期)【沿革】
    • [67]1998年10月に子会社カネカソーラーテックを設立し、1999年10月に電力用太陽電池の製造を開始した
  • 週刊東洋経済 2000年1月29日号「トップの履歴書 武田正利」
    • [68]100億円以上を投入して住宅用太陽電池に進出し、事業は立ち上げ後5年が勝負として3年後の黒字化を目指した

雇用に対する構えも、この時期に言葉として残っている。古田武 前社長は在任中に、首切りはしない、弱者を抱えて走るためにも増収を維持すると語った。武田社長も利益創出と雇用維持は経営にとって同列であり、日本企業である以上リストラはしないと明言している。ただし同時に、人事体系を成果主義へ移すことは避けられないとも述べた。チャンスは平等だが結果は不平等であり、それが公平の本来の意味である、というのがその説明である。雇用を守る約束と、社内の配分を変える宣言が同じ場所で並んでいる。武田社長は入社以来カネカロンの営業一筋で歩み、現場主義を信条として理屈一本槍の議論を嫌う人物であった。 [69][70]

  • 週刊東洋経済 2000年1月29日号「トップの履歴書 武田正利」
    • [69]古田武 前社長は首切りはしない、弱者を抱えて走るためにも増収を維持すると語った
    • [70]武田正利は利益創出と雇用維持は経営にとって同列で日本企業である以上リストラはしないと述べ、同時に人事体系の成果主義移行は避けられないとした
  • 週刊東洋経済 2000年1月29日号「トップの履歴書 武田正利」
    • [63]武田正利は1959年に鐘淵化学工業へ入社しカネカロン事業部長・専務取締役を経て1999年6月に社長就任した
    • [64]500億円前後のニッチ市場で過半数シェアを確保し3位に落ちたら即撤退する方針を貫いていた
    • [65]「創業五〇周年の今期は、独自の技術力とグローバル体制がかみ合い、一〇期ぶりに連結純益で過去最高を更新する」と2000年1月時点で報じられた
    • [66]「関係会社の九九%は稼いでいるし、マレーシア、米ヒューストン、ベルギーの生産基盤が整い、設備増設を検討する場合のすべてのベースになる」と述べた
    • [68]100億円以上を投入して住宅用太陽電池に進出し、事業は立ち上げ後5年が勝負として3年後の黒字化を目指した
    • [69]古田武 前社長は首切りはしない、弱者を抱えて走るためにも増収を維持すると語った
    • [70]武田正利は利益創出と雇用維持は経営にとって同列で日本企業である以上リストラはしないと述べ、同時に人事体系の成果主義移行は避けられないとした
  • カネカ 有価証券報告書 第82期(2006年3月期)【沿革】
    • [67]1998年10月に子会社カネカソーラーテックを設立し、1999年10月に電力用太陽電池の製造を開始した

2000年〜 カネカへの改称と4つのソリューションユニットへの組み替え

  1. 2001年国内で機能性食品素材の販売を開始
  2. 2004年「鐘淵化学工業」から「カネカ」へ商号を変更
  3. 2010年ユーロジェンテックS.A.に出資し子会社化
  4. 2012年米国関係会社をカネカアメリカズHDInc.など3社体制に再編
  5. 2012年アジア統括会社として鐘化企業管理(上海)有限公司を設立
  6. 2013年食品事業部門の販売会社4社をカネカ食品に再編
  7. 2016年セメダインを公開買付けによる株式取得により子会社化

カネカの業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)

出所:有価証券報告書等

医薬品バルクの食品転用と、55年越しの社名変更

2001年4月、厚生労働省の通達によってコエンザイムQ10が食品に分類され、鐘淵化学工業は日本国内で機能性食品素材としての販売を始めた。1977年に医薬品バルクとして製造を開始した物質が、24年を経て別の市場を得たことになる。市場が動いたのは規制の側であって、製品そのものは変わっていない。長く医薬向けに磨いてきた発酵と合成の技術が、健康食品ブームという需要の急拡大にそのまま乗った形である。2004年6月には海外子会社カネカニュートリエンツを設立し、供給の受け皿を北米にも置いた。 [71][72]

  • カネカ 有価証券報告書 第82期(2006年3月期)【沿革】
    • [71]2001年4月に厚生労働省通達によりコエンザイムQ10が食品に分類され日本での機能性食品素材販売を開始した
  • カネカ 有価証券報告書【沿革】
    • [72]ユビデカレノン(コエンザイムQ10)の製造開始は1977年10月である

2004年9月、鐘淵化学工業株式会社は株式会社カネカへ商号を変更した。1967年に大澤孝常務が、大鐘紡の影に隠れて存在が明らかでないと語った状態から数えて37年、設立からは55年が経っている。鐘淵の二文字を外すという決定は、事業の中身がすでに紡績由来の遺産と無関係になっていた事実を追認するものであった。この時点で会社は、塩ビと発泡樹脂を中核に、食品、医薬品、医療機器、電子材料、合成繊維を並べる総合化学会社の体裁を整えている。商号変更に先立つ2003年9月には、中国に蘇州愛培朗緩衝塑料と青島海華繊維の2社を設立した。 [73][74]

  • カネカ 有価証券報告書 第82期(2006年3月期)【沿革】
    • [73]2004年9月に「鐘淵化学工業株式会社」から「株式会社カネカ」へ商号変更した
    • [74]合成樹脂を中核として化成品・機能性樹脂・発泡樹脂製品・食品・医薬品・医療機器・電子材料・合成繊維の各事業を擁する総合化学会社としての態勢を固めた

2005年6月に社長へ就いた大西正躬氏が引き継いだのは、16事業で年商4,700億円を稼ぐ分散型の多角経営である。同氏は技術的にも市場としても成長性のある分野として機能性材料、ライフサイエンス、エレクトロニクスの3分野を選び、新製品で攻めると同時に海外展開を強める方針を掲げた。当時、この3分野の合計と海外向けの比率はいずれも全体の35%近辺にあり、まず40%へ引き上げることを目標に置いている。2008年度に売上高6,000億円、経常利益600億円、ROE10%超という数字も併せて示した。 [75][76][77][78]

  • 週刊東洋経済 2005年11月19日号「トップの履歴書 大西正躬」
    • [75]大西正躬は1970年4月に鐘淵化学工業へ入社し、精密化学品事業部長・常務取締役・専務取締役を経て2005年6月に社長就任した
    • [76]カネカは16事業で年商4,700億円を稼ぐ多角経営であった
    • [77]機能性材料・ライフサイエンス・エレクトロニクスの3分野合計と海外向けはともに全体の35%近辺で、まず40%を目指すとした
    • [78]3年後の2008年度に売上6,000億円・経常利益600億円・ROE10%超の達成を目指すとした
  • カネカ 有価証券報告書 第82期(2006年3月期)【沿革】
    • [71]2001年4月に厚生労働省通達によりコエンザイムQ10が食品に分類され日本での機能性食品素材販売を開始した
    • [73]2004年9月に「鐘淵化学工業株式会社」から「株式会社カネカ」へ商号変更した
    • [74]合成樹脂を中核として化成品・機能性樹脂・発泡樹脂製品・食品・医薬品・医療機器・電子材料・合成繊維の各事業を擁する総合化学会社としての態勢を固めた
  • カネカ 有価証券報告書【沿革】
    • [72]ユビデカレノン(コエンザイムQ10)の製造開始は1977年10月である
  • 週刊東洋経済 2005年11月19日号「トップの履歴書 大西正躬」
    • [75]大西正躬は1970年4月に鐘淵化学工業へ入社し、精密化学品事業部長・常務取締役・専務取締役を経て2005年6月に社長就任した
    • [76]カネカは16事業で年商4,700億円を稼ぐ多角経営であった
    • [77]機能性材料・ライフサイエンス・エレクトロニクスの3分野合計と海外向けはともに全体の35%近辺で、まず40%を目指すとした
    • [78]3年後の2008年度に売上6,000億円・経常利益600億円・ROE10%超の達成を目指すとした

地域統括会社の三極化と4つのソリューションユニット

2012年4月、米国の関係会社が米州統括会社カネカアメリカズホールディングと事業会社2社の3社体制に再編され、同じ月にアジア統括会社として鐘化企業管理(上海)が設立された。2015年10月には欧州統括会社カネカヨーロッパホールディングカンパニーが加わり、米州、アジア、欧州の三極に統括機能が並んだ。製品ごとに海外子会社を置いてきた1970年代からの積み上げを、地域単位で束ね直した。2017年4月には国内でもカネカ北海道を地域統括会社として設けている。2013年7月には食品事業部門の販売会社4社をカネカ食品に再編し、国内の販売機能も束ね直した。 [79][80][81]

  • カネカ 有価証券報告書【沿革】
    • [79]2012年4月に米国関係会社を3社体制に再編しアジア統括会社 鐘化企業管理(上海)を設立、2015年10月に欧州統括会社カネカヨーロッパホールディングカンパニーを設立した
    • [80]2017年4月に国内地域統括会社として株式会社カネカ北海道を設立した
    • [81]2013年7月に食品事業部門の販売会社4社(カネカ食品販売・東京カネカ食品販売・東海カネカ食品販売・九州カネカ食品販売)をカネカ食品株式会社に再編した

事業の括り方も変わった。16に分かれていた事業は、Material、Quality of Life、Health Care、Nutritionの4つのソリューションユニットへ組み替えられ、長期ビジョンとしてKANEKA UNITED宣言が置かれた。2017年度から2019年度の中期経営計画では、この体制のもとで海外売上高比率を60%へ引き上げる目標が示されている。素材を作って売る会社から、解を組み立てて提供する会社へと、自社の説明の仕方そのものを変えたことになる。2020年度から始まる中期経営計画では、Change with Purpose.とGrow with Result.が掲げられた。その後2023年には中期経営計画という枠組みそのものをやめ、計画を「3年の仕掛」と呼び替えている。2025年から2027年を対象とする「仕掛25」、翌年の「仕掛26」と、呼び名は毎年置き換わる。 [82][83][84][85][86]

  • カネカレポート 2018(統合報告書)
    • [82]事業はMaterial・Quality of Life・Health Care・Nutritionの4つのSolutions Unitに括られ、長期ビジョンとしてKANEKA UNITED宣言が置かれている
  • カネカレポート 2017(統合報告書)
    • [83]「中期経営計画(2017〜2019年度)」において海外売上高比率60%を目標として掲げた
  • カネカレポート 2020(統合報告書)
    • [84]2020年度から始まった中期経営計画(2020〜2022年度)では“Change with Purpose.”“Grow with Result.”を副題とした
  • カネカレポート 2023(統合報告書)
    • [85]カネカレポート2023のトップメッセージに「中期計画をやめた」「中期計画を計画『3年の仕掛』に変える」と明記されている
  • カネカレポート 2024(統合報告書)
    • [86]計画「仕掛25」は期間3年(2025-2027年)で世間でいう中期計画にあたり、翌年版では「仕掛26」が示された

買収による柱の足し方も続いた。2016年1月に公開買付けでセメダインを連結子会社とし、2022年8月には株式交換で完全子会社にしている。2018年1月には東武化学に追加出資して子会社とし、2024年12月には医療機器のEndoStream Medicalを連結子会社に加えた。1973年のサンスパイス、1998年の太陽油脂と昭和化成工業、2010年のユーロジェンテックと、追加出資による子会社化は各年代に散っており、大型の合併で規模を作る方法をとってこなかった点は一貫している。生産設備の側では、2024年8月に北海道苫東工場を開設した。 [87][88][89][90]

  • カネカ 有価証券報告書【沿革】
    • [87]2016年1月にセメダインを公開買付けにより連結子会社化し、2022年8月に株式交換で完全子会社化した
    • [88]2018年1月に東武化学へ追加出資して子会社化し、2024年12月にEndoStream Medical Ltd.を連結子会社化した
    • [89]1973年12月にサンスパイスへ資本参加、1998年5月に太陽油脂、1998年9月に昭和化成工業、2010年7月にユーロジェンテックへ追加出資・出資して子会社化した
    • [90]2024年8月に北海道苫東工場を開設した
  • カネカ 有価証券報告書【沿革】
    • [79]2012年4月に米国関係会社を3社体制に再編しアジア統括会社 鐘化企業管理(上海)を設立、2015年10月に欧州統括会社カネカヨーロッパホールディングカンパニーを設立した
    • [80]2017年4月に国内地域統括会社として株式会社カネカ北海道を設立した
    • [81]2013年7月に食品事業部門の販売会社4社(カネカ食品販売・東京カネカ食品販売・東海カネカ食品販売・九州カネカ食品販売)をカネカ食品株式会社に再編した
    • [87]2016年1月にセメダインを公開買付けにより連結子会社化し、2022年8月に株式交換で完全子会社化した
    • [88]2018年1月に東武化学へ追加出資して子会社化し、2024年12月にEndoStream Medical Ltd.を連結子会社化した
    • [89]1973年12月にサンスパイスへ資本参加、1998年5月に太陽油脂、1998年9月に昭和化成工業、2010年7月にユーロジェンテックへ追加出資・出資して子会社化した
    • [90]2024年8月に北海道苫東工場を開設した
  • カネカレポート 2018(統合報告書)
    • [82]事業はMaterial・Quality of Life・Health Care・Nutritionの4つのSolutions Unitに括られ、長期ビジョンとしてKANEKA UNITED宣言が置かれている
  • カネカレポート 2017(統合報告書)
    • [83]「中期経営計画(2017〜2019年度)」において海外売上高比率60%を目標として掲げた
  • カネカレポート 2020(統合報告書)
    • [84]2020年度から始まった中期経営計画(2020〜2022年度)では“Change with Purpose.”“Grow with Result.”を副題とした
  • カネカレポート 2023(統合報告書)
    • [85]カネカレポート2023のトップメッセージに「中期計画をやめた」「中期計画を計画『3年の仕掛』に変える」と明記されている
  • カネカレポート 2024(統合報告書)
    • [86]計画「仕掛25」は期間3年(2025-2027年)で世間でいう中期計画にあたり、翌年版では「仕掛26」が示された

太陽電池の作り替えと、ニッチ首位戦略の現在地

1999年に薄膜シリコンで始めた太陽電池は、そのままの形では残らなかった。カネカは薄膜シリコンタンデム太陽電池で培った技術をヘテロ接合結晶シリコン太陽電池へ移し、変換効率の高い製品に作り替えている。売り先も一般的な太陽光発電所ではない。屋根と一体になる瓦一体型のVISOLA、公共・産業用のGRANSOLA、そして壁面や窓に組み込む建材一体型と、建物の部材として売る形に寄せた。壁面設置型については大成建設と共同で開発を進めている。自社の工場や倉庫にも設置しており、2021年時点で14.3メガワットが稼働していた。 [91][92][93]

  • カネカレポート 2020(統合報告書)
    • [91]薄膜シリコンタンデム太陽電池からヘテロ接合結晶シリコン太陽電池へ技術を展開した
    • [92]瓦一体型太陽電池VISOLA、公共・産業用太陽電池GRANSOLAを製品として持ち、壁面設置太陽光発電システムを大成建設と共同開発している
  • カネカレポート 2021(統合報告書)
    • [93]身近なCO2削減の取り組みとして「工場への太陽電池の設置:14.3MWがすでに稼働」と記載している

用途特化は車載にも及んだ。ヘテロ接合バックコンタクト型太陽電池がトヨタ自動車の新型プリウスPHEVのルーフガラス部分に採用され、2023年3月に販売が始まっている。同じ時期、東京都をはじめ新築住宅への太陽光発電設置義務化の動きが広がり、住宅向け高効率太陽電池の販売が伸び、各自治体からの問い合わせも活発になった。車載用の本格出荷は2023年3月に始まっている。次の世代としては、ヘテロ接合結晶シリコンにペロブスカイトを重ねたタンデム型の量産技術開発が、NEDOのグリーンイノベーション基金事業のもとで進んでいる。 [94][95][96]

  • カネカ 2023年3月期 決算説明資料
    • [94]ヘテロ接合バックコンタクト型太陽電池がトヨタ自動車の新型プリウスPHEVのルーフガラス部分に採用され2023年3月に販売開始した
    • [95]「住宅向け高効率太陽電池の販売が伸長」「東京都はじめ新築住宅へのPV設置義務化等の動きが拡大、各自治体からの問い合わせも活発化」と記載している
  • カネカレポート 2025(統合報告書)
    • [96]タンデム型ペロブスカイト太陽電池の量産技術開発をNEDOグリーンイノベーション基金事業のもとで進めている

連結売上高は2012年3月期の4,693億円から2025年3月期の8,072億円へ伸び、同期の営業利益は400億円、経常利益は328億円となった。1949年に引き受けた雑多な事業を減らし、塩素から樹脂へ、樹脂から医薬と電子材料へ、そして解の提供へと、看板を掛け替えながら会社は続いている。ただし500億円規模のニッチで過半を取るという規律は、その規模の市場が存在し続けることを前提にしている。太陽電池が建材と車載へ寄っていったように、市場の側が動けば、同じ規律が撤退の理由にも増設の理由にもなる。

  • カネカレポート 2020(統合報告書)
    • [91]薄膜シリコンタンデム太陽電池からヘテロ接合結晶シリコン太陽電池へ技術を展開した
    • [92]瓦一体型太陽電池VISOLA、公共・産業用太陽電池GRANSOLAを製品として持ち、壁面設置太陽光発電システムを大成建設と共同開発している
  • カネカレポート 2021(統合報告書)
    • [93]身近なCO2削減の取り組みとして「工場への太陽電池の設置:14.3MWがすでに稼働」と記載している
  • カネカ 2023年3月期 決算説明資料
    • [94]ヘテロ接合バックコンタクト型太陽電池がトヨタ自動車の新型プリウスPHEVのルーフガラス部分に採用され2023年3月に販売開始した
    • [95]「住宅向け高効率太陽電池の販売が伸長」「東京都はじめ新築住宅へのPV設置義務化等の動きが拡大、各自治体からの問い合わせも活発化」と記載している
  • カネカレポート 2025(統合報告書)
    • [96]タンデム型ペロブスカイト太陽電池の量産技術開発をNEDOグリーンイノベーション基金事業のもとで進めている

カネカの沿革1949〜2024年における主な出来事を抜粋

年月社長・CEO出来事重要度
鐘淵紡績から繊維部門以外の全事業を譲り受けて設立★★★
東京証券取引所等に上場
塩化ビニール樹脂の製造を開始。以後これを中核に合成樹脂事業を組み立てていく★★★
ショートニングの製造を開始★★★
食品事業に参入★★★
塩ビコンパウンドの製造を開始★★
アクリル系合成繊維「カネカロン」の製造を開始★★★
高級製菓用油脂の製造を開始★★
モディファイヤー(MBS樹脂)の製造を開始★★
発泡スチレン樹脂の製造を開始★★★
発泡樹脂事業に参入★★★
塩ビ系特殊樹脂の製造を開始★★
塩ビモノマーの製法をオキシクロリネーション法へ転換★★★
高砂に51億円を投じる計画を発表★★★
押出法発泡ポリスチレンボードの製造を開始★★
鹿島工場が竣工★★★
ベルギーにカネカベルギーN.V.を設立★★★
海外生産を開始★★★
発泡スチレンペーパーの製造を開始★★
ビーズ法発泡ポリオレフィンの製造を開始★★
複合磁性材料の製造を開始★★
サンスパイスを子会社化★★
香辛料の製造を開始★★
子会社栃木カネカを設立
医薬品バルクの製造を開始★★★
医薬事業に参入★★★
医薬品バルク ユビデカレノン(コエンザイムQ10)の製造を開始★★★
耐候性MMA系フィルムの製造を開始★★
海外子会社カネカシンガポールCo.(Pte) Ltd.を設立★★
変成シリコーンポリマーの製造を開始★★★
塩ビサッシの製造を開始★★
海外子会社カネカテキサスCorp.を設立★★
医薬品中間体の製造を開始★★
超耐熱ポリイミドフィルムの製造を開始★★★
フォンテーヌの株式をアデランスへ譲渡★★★
医療機器の製造を開始★★★
子会社カネカメディックスを設立★★
海外子会社カネカファーマヨーロッパN.V.を設立
液晶関連製品の製造を開始★★
海外子会社カネカマレーシアSdn.Bhd.を設立
海外子会社カネカエレクテックSdn.Bhd.を設立
海外子会社カネカエペランSdn.Bhd.を設立
日本製紙との共同出資により子会社サンポリマーを設立
旭ホームズを子会社化★★
住宅建築工事を開始★★
海外子会社カネカハイテックマテリアルズInc.を設立
武田正利太陽油脂に追加出資し子会社化
武田正利昭和化成工業に追加出資し子会社化
武田正利子会社カネカソーラーテックを設立★★★
武田正利海外子会社カネカペーストポリマーSdn.Bhd.を設立
武田正利電力用太陽電池の製造を開始★★★
武田正利薄膜シリコン太陽電池事業に参入★★★
武田正利国内で機能性食品素材の販売を開始★★★
武田正利海外子会社蘇州愛培朗緩衝塑料有限公司を設立
武田正利海外子会社青島海華繊維有限公司を設立
大西正躬海外子会社カネカニュートリエンツL.P.を設立
大西正躬「鐘淵化学工業」から「カネカ」へ商号を変更★★★
大西正躬カネカテキサスCorp.がカネカハイテックマテリアルズInc.を合併
菅原公一サンビックに追加出資し子会社化
菅原公一ユーロジェンテックS.A.に出資し子会社化★★
菅原公一海外子会社カネカイノベイティブファイバーズSdn.Bhd.を設立
菅原公一海外子会社カネカモディファイヤーズドイチュラントGmbHを設立
菅原公一カネカアピカルマレーシアSdn.Bhd.を子会社化
菅原公一米国関係会社をカネカアメリカズHDInc.など3社体制に再編★★
菅原公一アジア統括会社として鐘化企業管理(上海)有限公司を設立★★
角倉護食品事業部門の販売会社4社をカネカ食品に再編★★
角倉護海外子会社PT.カネカフーズインドネシアを設立
角倉護鐘化(佛山)化工有限公司(現鐘化(佛山)高性能材料有限公司)を子会社化
角倉護海外子会社カネカMSマレーシアSdn.Bhd.を設立
角倉護海外子会社カネカタイランドCo.,Ltd.を設立
角倉護欧州統括会社としてカネカヨーロッパHDカンパニーN.V.を設立★★
角倉護セメダインを公開買付けによる株式取得により子会社化★★★
角倉護国内地域統括会社としてカネカ北海道を設立
角倉護東武化学に追加出資し子会社化
田中稔プライム市場に移行
田中稔セメダインを株式交換により完全子会社化★★
藤井一彦北海道苫東工場を新設★★
藤井一彦EndoStream Medical Ltd.を子会社化
出典・参考

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