フォンテーヌをアデランスへ譲渡(1985年・カネカの決断)更新:2026/07/30カネカ:業績の推移売上高(億円)経常利益率(%)データ出所女性かつら直営事業の売却と、人工毛カネカロンの素材供給への専念1985年8月、鐘淵化学工業が女性用かつら"フォンテーヌ"を販売する全額出資子会社フォンテーヌ株式会社の株式全額を、男性かつら専業のアデランスへ譲渡した経営判断。買収費用は10億円強と推定された。同社が新納眞人社長のもとで進めていた事業の入れ替えの一つである。何をなぜ決めたか:女性かつら直営事業の売却と、人工毛カネカロンの素材供給への専念概要1985年8月、鐘淵化学工業が女性用かつら"フォンテーヌ"を販売する全額出資子会社フォンテーヌ株式会社の株式全額を、男性かつら専業のアデランスへ譲渡した経営判断。買収費用は10億円強と推定された。同社が新納眞人社長のもとで進めていた事業の入れ替えの一つである。背景フォンテーヌは、アクリル系合成繊維カネカロンの用途を開拓するために設けた販売会社であった。1960年代の女性かつら市場から帝人、鐘紡、興人、コマチヘアが撤退したあとも直営で残したのは、人工毛の世界生産の8割を占める鐘淵化学工業にとって、そこが製品テストの場だったためである。内容1986年度を最終年度とする3か年の中期経営計画のもと、電子材料・特殊樹脂・バイオサイエンスの3部門に資源を配分する方針を取り、化学メーカーとしての技術力・経営力を生かしにくい事業は、採算がとれている間に売却した。フォンテーヌの1984年度は売上高24億7,000万円、経常利益1億3,000万円であった。含意譲渡時点でフォンテーヌは百貨店136か所の売り場と6か所の直営店を持ち、買い手のアデランスは創業17年で97店舗であった。売り場の数では売却する側のほうが大きかった一方、譲渡後もフォンテーヌはカネカロンを使い続け、人工毛の供給者という位置は動いていない。いつ何が起きたか7件筆者考察考察考察:テストの場が要らなくなった日フォンテーヌは、カネカロンの用途を自前で作るために置いた会社であった。年商230億円まで育った素材のうちかつら向けは1割ほどにとどまり、難燃性を生かした住宅用品やインテリアが用途の主役を引き受けた。製品テストの場という役割が薄れた時点で、鐘淵化学工業はフォンテーヌを専業メーカーへ渡した。売却したのは不振の事業ではなく、役目を終えた事業である。新納眞人社長の挙げた『技術と経営力を発揮しにくい事業分野』という基準は、この一件にそのまま当てはまる。ただ、渡した先で事業が伸びた事実は残る。フォンテーヌは1986年ごろから売上を拡大し、9年後には市場の約30%を握って店頭公開に至った。10億円強と推定される譲渡額に対し、買い手が手にしたのは140店の売り場と、そこから育った首位の座である。川下の利益は買い手へ移った。ただし、ファッション分野の人材を欠いたまま鐘淵化学工業が同じ伸びを作れたかは分からない。Yutaka Sugiura, 2026年7月参考文献参考文献参考日経ビジネス 1985年11月11日号証券アナリストジャーナル 1985年12月号(アデランス株式会社 社長 根本信男・日本証券アナリスト協会 企業分析部会 1985年11月12日)証券アナリストジャーナル 1995年1月号(フォンテーヌ株式会社 社長 山伏正明)証券アナリストジャーナル 1967年8月号(鐘淵化学工業 常務取締役 大澤孝)次に読む決断カネカの意思決定1967年カネカカネカ高砂のオキシ法塩ビモノマー工場建設塩ビ原料の石油系エチレンへの切り替えとナフサ方式の見送り1967年1998年カネカカネカカネカソーラーテック設立専業子会社の設立と、薄膜シリコンへの100億円超の投資1998年同じ問い:集中のための事業売却1985年藤沢薬品工業藤沢薬品工業ピコレットなどライオンへ譲渡トイレ用芳香剤を含む家庭用品20品目の一括での切り離し1985年1984年稲畑産業稲畑産業住友製薬へ医薬事業譲渡合弁会社への営業譲渡による、直営の医薬品事業からの撤退1984年1988年阪急阪神HD阪急阪神HD球団をオリエント・リースへ譲渡球団経営という本業外の資産の売却と、プロ野球からの全面撤退1988年1992年ディスコディスコ拡散炉事業の打ち切り半導体拡散炉事業からの撤退と開発費約50億円の損失計上1992年1993年いすゞ自動車いすゞ自動車GM説得で乗用車撤退いすゞの乗用車事業からの全面撤退と商用車・ディーゼルへの集中1993年×出所