信越化学工業の決断社史:経営の意思決定を振り返る

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決断

不況期にこそ増設し、稼働率を落とさない方針を50年続けてきた。1973年にテキサスへ設立した塩ビ子会社シンテックは、米国21社中13位の後発だった。1976年、社長の小田切新太郎氏は取締役会の反対を押し切って優先交渉権を行使してシンテックを完全子会社化した。合弁相手の同意が要らなくなり、景気後退期の増設を単独で決められるようになる。1990年8月に就任した金川千尋氏は、シンテックで12年検証した減産せず高稼働のまま増設する手法を塩ビ・半導体シリコン・シリコーンの全事業へ展開する。投資は五年分のキャッシュフローを目安に自己資金で賄い、借入を持たなかった。2016年にはシンテック社長を5年半務めた斉藤恭彦氏へ社長職を移譲している。

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