重要な意思決定
19737月

米国テキサスに塩ビ製造子会社シンテックを設立

背景

国内塩ビ市場の成熟と海外展開の必要性

信越化学は1957年に国内で13番目という最後発で塩化ビニル事業に参入した。直江津工場に食塩電解設備と塩ビ製造設備を建設し、自社のカーバイド技術と組み合わせてアセチレン法による塩ビ製造を開始した。1970年には茨城県鹿島町にエチレン法による塩ビ工場を新設し、年産能力を拡大した。しかし、1970年代に入ると国内塩ビ市場は供給過剰に陥っていた。

国内には十数社の塩ビメーカーがひしめき、価格競争が激化していた。信越化学は独自のノンスケール技術(重合器内壁への付着物を防ぐ技術)を世界に先駆けて完成させ、重合器の大型化によるコスト競争力を確保していたが、国内市場だけでは成長に限界があった。一方、米国では塩ビパイプがインフラ・住宅建設に広く使われており、安定した需要拡大が見込まれていた。しかも、テキサス州やルイジアナ州には岩塩と天然ガスという塩ビの主原料が豊富に存在し、原料コストは日本の数分の一であった。

1970年代初頭、信越化学の金川千尋(当時常務)は、米国での塩ビ現地生産の企画立案を進めていた。金川は三井物産出身で国際ビジネスの経験を持ち、米国市場の成長ポテンシャルと原料コストの優位性を見抜いていた。

決断

ロビンテック社との合弁でシンテックを設立

1973年七月、信越化学は米国の塩ビパイプメーカー、ロビンテック社との折半出資でシンテック社(Shintech Inc.)をテキサス州ヒューストンに設立した。信越化学が塩ビ製造技術を、ロビンテックが販売網と市場知識を提供するという役割分担であった。翌1974年十月、テキサス州フリーポートに年産能力10万トンの工場が完成し、操業を開始した。

当時の米国塩ビ業界には21社がひしめいており、シンテックは13位からの出発であった。年産10万トンという規模は上位メーカーの数分の一にすぎず、新参者の地位は脆弱であった。しかし信越化学は、国内で培ったノンスケール技術を投入し、重合器の稼働率と製品品質で差別化を図った。ノンスケール技術により重合器の洗浄頻度が大幅に減少し、連続運転時間が延びることで、少ない設備投資で高い生産効率を実現できた。

金川は設立当初から「フル生産、全量販売」を基本方針とした。景気変動に関わらず工場の稼働率を最大に保ち、生産した塩ビはすべて売り切る。不況時にも在庫調整のための減産は行わない。この方針を支えたのは、米国のインフラ・住宅建設という底堅い需要と、テキサスの安い原料コストによる価格競争力であった。

結果

50年で年産10万トンから364万トン、世界最大の塩ビメーカーへ

シンテックは設立後、段階的に生産能力を拡大していった。1976年にはロビンテックが経営不振に陥り、信越化学が全株式を取得して100%子会社化した。以降、金川はシンテック社長として投資判断を一手に担い、6回の設備増強を実行した。1990年には年産90万トンで米国内シェア約20%のトップに立ち、2001年には200万トンを突破して世界最大の塩ビメーカーとなった。

シンテックの収益性は際立っていた。1992年の日経ビジネスの記事は、「自己資本比率は80%を超え、借入金もほとんどない。これまで6回の設備増強費用は、分厚い内部留保ですべて賄ってきた」と報じている。シンテックの売上高は信越化学本体の5分の1にすぎなかったが、利益では本体に匹敵し、時に上回った。2020年12月期のシンテック純利益は609億円に達している。

2024年末にはルイジアナ州プラケマインの新工場が稼働し、年産能力は364万トンに到達した。原料からの完全一貫生産体制(岩塩→電解→塩ビモノマー→塩ビ樹脂、2020年からはエチレンも自社製造)を構築し、外部市況への依存を最小化している。テキサスの小さな合弁工場から出発した事業は、50年をかけて売上高数千億円規模の世界最大手に成長した。