1989年〜 鹿児島発・独立系ITコンサルとして起業した黎明期
- 1989年 独立系ITコンサルとしての創業と「業務とITの一体設計」 系列の下請けに連なるか、業務とシステムを一体で設計する独立系を貫くか——金丸恭文氏が1989年の起業に込めた選択
- 1997年 Future Architectを設立
- 1999年 日本証券業協会に株式店頭登録
- 2000年 本社(東京オフィス)移転
神戸大工学部卒の35歳が「経営革新としてのIT」を旗印に独立
1989年11月、当時35歳だった金丸恭文氏は鹿児島県鹿児島市にフューチャーシステムコンサルティング株式会社を設立した。金丸氏は神戸大学工学部計測工学科を卒業後、TKC、ロジック・システムズ・インターナショナルを経てシステム開発の実務経験を積み、「業務とITを一体で設計する」アプローチを掲げて事業を立ち上げた。設立当時の日本のSI業界は、メインフレーム時代に形成されたコンピュータメーカー系列の系列下請け構造が支配的で、業務知識と技術を併せ持つ独立系コンサルは数少なかった。同社はこの空白に立ち位置を取り、業務改革とシステム再設計を同じプロジェクトのなかで担うモデルで事業を進めた。 [1][2][3]
- フューチャー 有価証券報告書 第37期(2025年12月期)【沿革】
- [1]1989年11月 鹿児島県鹿児島市にフューチャーシステムコンサルティング株式会社を設立
- [2]金丸恭文は1954年生まれで、1989年11月の設立時は35歳
- [3]金丸恭文は神戸大学工学部計測工学科卒業後、TKC・ロジック・システムズ・インターナショナルを経て独立
1997年1月には、米国カリフォルニア州サンタクルーズに現地法人 Future Architect, Inc. を設立した。同社は早期から「ITコンサル + システム実装」を一気通貫で担うモデルを採用し、上流の業務設計から下流の保守運用まで自社グループ内で完結させる体制を志向した。 [4]
- フューチャー 有価証券報告書 第37期(2025年12月期)【沿革】
- [4]1997年1月 米国カリフォルニア州サンタクルーズに米国現地法人 Future Architect, Inc. を設立
1999年6月、日本証券業協会に株式を店頭登録し、創業から10年で公開市場に到達した。独立系IT専業コンサルとしては早期の上場到達となった。2000年2月には本社(東京オフィス)を東京都渋谷区に移し、鹿児島発の小規模スタートアップから首都圏のコンサル企業へと組織形態を移行した。 [5][6]
- フューチャー 有価証券報告書 第37期(2025年12月期)【沿革】
- [5]1999年6月 日本証券業協会に株式を店頭登録
- [6]2000年2月 本社(東京オフィス)を東京都渋谷区へ移転
- フューチャー 有価証券報告書 第37期(2025年12月期)【沿革】
- [1]1989年11月 鹿児島県鹿児島市にフューチャーシステムコンサルティング株式会社を設立
- [4]1997年1月 米国カリフォルニア州サンタクルーズに米国現地法人 Future Architect, Inc. を設立
- [5]1999年6月 日本証券業協会に株式を店頭登録
- [6]2000年2月 本社(東京オフィス)を東京都渋谷区へ移転
- [2]金丸恭文は1954年生まれで、1989年11月の設立時は35歳
- [3]金丸恭文は神戸大学工学部計測工学科卒業後、TKC・ロジック・システムズ・インターナショナルを経て独立
「業務とITの一体設計」を独立系で貫いたビジネスモデルの原型
金丸恭文氏は1954年に大阪で生まれ、鹿児島で育った。神戸大学工学部計測工学科を卒業後、会計システムのTKC、ロジック・システムズ・インターナショナルを経て、システム開発の実務経験を積んだうえで1989年に独立した。当時の日本のシステム開発は、業務要件を考える人とプログラムを書く人が分かれ、ユーザー企業の現場とベンダーの開発部隊が分断されていた。金丸社長は、この分断こそが日本のIT投資が成果につながりにくい原因だと捉え、業務改革とシステム実装を同じチームが一気通貫で担う体制を創業時の原型に据えた。 [7][8][9]
- [7]金丸恭文は1954年大阪生まれ・鹿児島育ち
- [8]金丸恭文は神戸大学工学部計測工学科卒業後、TKC・ロジック・システムズ・インターナショナルを経て1989年に独立
- フューチャー 有価証券報告書 第37期(2025年12月期)【沿革】
- [9]1989年に独立しフューチャーシステムコンサルティングを創業
独立系であることは、特定のメーカーやパッケージに縛られず顧客に最適な技術を選べる強みになった一方、系列の後ろ盾を持たない以上、提案の質と成果でしか案件を勝ち取れない制約にもなった。同社は流通・金融・公共といった基幹システムの刷新需要が大きい領域に的を絞り、上流のグランドデザインから下流の運用までを自社グループで完結させることで、外注に依存しない高い付加価値を確保した。技術者を抱え込む内製モデルは固定費を重くする一方、案件ごとに蓄積したノウハウを次の顧客に転用できる資産となった。
創業から店頭登録までの10年間で、同社は単なる受託開発ではなく、顧客の経営課題を起点にシステムを再設計するコンサルティング会社として立ち位置を固めた。後年の多角化や持株会社化も、この「業務とITを分けない」という創業思想を土台にしている。金丸社長が一貫して掲げてきたのは、技術を目的化せず経営の成果に結びつける姿勢であり、独立系コンサルという業態の希少性が、メーカー系SIerとの差別化を支えた。 [10]
- フューチャー 有価証券報告書 第37期(2025年12月期)【沿革】
- [10]1989年11月の創業から1999年6月の店頭登録まで約10年
- [7]金丸恭文は1954年大阪生まれ・鹿児島育ち
- [8]金丸恭文は神戸大学工学部計測工学科卒業後、TKC・ロジック・システムズ・インターナショナルを経て1989年に独立
- フューチャー 有価証券報告書 第37期(2025年12月期)【沿革】
- [9]1989年に独立しフューチャーシステムコンサルティングを創業
- [10]1989年11月の創業から1999年6月の店頭登録まで約10年