日本電信電話公社がデータ通信本部を置いたのは1967年10月である。公社は全国に張った通信網を持ち、その上に計算機を載せて他人の業務を処理する事業を始めた。1985年11月にはデータ通信事業本部へ改組された。社会保険庁の記録を扱うシステム、全国の銀行を結ぶ新全国銀行システム、気象庁のアメダスは、いずれもこの部門が動かしていた。第一勧業銀行のキャッシュカードが富士銀行で使えるのも、都市銀行を相互に結んだBANCSによる。この部門が標榜してきたのは、公共的・技術先導的・全国的の三点だった。扱う対象は、個々の企業の業務ではなく国の制度と決済の土台だった。
この事業の受注は、競争で勝ち取ったものばかりではなかった。公社が通信事業を独占していた当時から、この部門は計算機メーカーやソフト会社と受注を競ってはいた。だが企業間や業界間をまたぐネットワークでは、参加企業ごとに資本系列が違い、使いたい計算機メーカーも割れる。複数のメーカーから機器を買って組み上げる必要があり、どこにも属さない公社の部門が取りまとめ役に担ぎ出された。あるメーカーの担当者は、劣勢の案件を自社の営業で取り戻したのに、事業本部は技術力で取ったと考えていたと証言した。中立であることが受注の理由になる構造では、営業力と技術力のどちらが効いたのかを社内で測れない。
収入の形も、競争を必要としなかった。主たる収益源はシステムの一括受注と、通信回線を使った情報サービスの二つである。銀行や信用金庫をオンラインで結んで為替決済を処理する全国銀行データ通信システムが、その代表だった。巨大システムは一度構築してしまえば、以後は使用料として毎年継続的に入ってくる。公社には営業ノルマという制度がなく、自力で食べていくという切実さが生まれにくい収入構造だった。1987年度の売上高は2400億円、従業員は6800人。親会社の売上高5兆6000億円に対して4.2%にすぎないが、情報関連業のなかでは断然の最大手である。市場別の売上構成は公共・金融・一般産業がほぼ5対4対1で、官庁向けと金融向けが収益の大半を稼いだ。
1985年4月に日本電信電話が発足すると、データ通信部門の切り出しが動き出した。民営化を推進した真藤恒氏が、この事業は成長が見込めるため早く独立させたほうがよいと判断したという。エヌ・ティ・ティ・データ通信は1988年5月に資本金100億円で設立された。7月に日本電信電話からデータ通信事業本部の営業を譲り受け、営業を開始する。事業本部の社員は出向ではなく、ほぼ全員が新会社へ転籍した。子会社へは出向で社員を送るのが通例だったNTTにあって異例であり、親会社との人事交流も最小限に抑えられた。掲げた看板は、企業戦略の立案という川上からシステムの開発・運用まで一貫して請け負うプロフェッショナル・サービスだった。
独立して最初に突きつけられたのは、顧客からの評価だった。ある情報システム担当者は、NTTから派遣された担当者について『夕方5時になると決まって帰り支度をする。これでは一緒に仕事がしにくいことこの上ない』と語っている。職制意識が強く責任者でなければ対応できない、顧客固有の業務の理解に時間がかかる、とも並べた。事業本部時代の自己認識は誇り高き技術集団であり、良いものさえ作れば文句はないという意識も残っていた。CIMを担当していた米野和則氏は自社を官庁体質と呼び、雑事に若手を使うなと課長級に言い続けた。営業を学ばせる場として選ばれたのは、NTTと日本IBMの合弁である日本情報通信だった。社員600人のうち450人がNTT出身で、その65%が旧事業本部からの出向者。数年のローテーションで戻ってくる彼らが、IBMの営業の型を持ち帰る道筋だった。
藤田氏は、社員の9割方はSEであり、その全員が営業も兼ね備える人材だと位置づけた。製造部門を持たない会社にとって、原価は人の時間そのものである。1990年4月、全社員の作業時間を集計する仕組みが導入された。11月には社員約7400人のうち約6500人に、カシオ計算機製の電子手帳が配られた。約400の作業項目から選ぶだけで、誰がどの作業を何時間したか、残業がどれだけかが記録される。集計はプロジェクト単位にとどめ、個人別には管理せず人事考課にも使わないという原則が置かれた。基本設計にSEを寄せ、プログラムを書く作業は社内で持つより安い外注へ出す方針が、ここから引かれた。人月を測る装置を、まず自社に据えたことになる。
1991年度、経常利益は前期比で3割強の減益になる見通しとなった。金融・証券業界の情報化投資が冷え込んだためである。組織は顧客の業態別に金融・公共・産業の3事業本部へ分かれ、売上比率は5対3対2と金融に偏っていた。藤田氏は、金融・証券への依存では立ち行かないと認識を改めた。比率をいずれ3対3対3へ持っていきたい、と方向を示す。1988年の独立時にも、産業の比重を当時の13%から3年で30%、7年で50%へ高める計画が掲げられていた。産業部門の売上高は1985年度の120億円から300億円へ伸びてはいた。それでも3年が過ぎて2割にとどまり、計画は遅れていた。
一般産業を開拓する手として選ばれたのがICカードだった。1990年2月、全社の組織を横割りにした社長直轄のICカード事業推進本部が置かれ、藤田氏が本部長を兼ねた。横割りの組織は同社で初の試みで、社員7800人の約2割にあたる1500人がこの事業に携わった。同じ年の7月には中堅企業向けの販売を担うSIS推進本部を設けた。10月には東海・関西・中国・九州の4地域へ、販売・サービス会社を新設している。ICカードは8ビットの演算装置と8キロバイトのメモリーを1チップに収め、どこで何を買ったかという履歴まで持てる。だが普及を阻んでいたのは価格で、磁気ストライプ型が1枚60〜100円なのに対し、ICカードは2000〜5000円と10倍以上した。
1991年4月、同社は600万枚のICカードの買い入れを官報に公告する。日本での出荷枚数は1990年度で約20万枚、1991年度でも約50万枚と見られていた。市場そのものの十倍を超える発注をぶつけ、1枚1000円弱まで価格を落とす賭けだった。当初の入札は想定価格に届かず不調に終わり、8社が応札したのは同じ年の暮れである。狙いはカードを売ることではなく、『ICカードを使ったシステム全体の開発を請け負うこと』にあった。応用の一つだった島根県出雲市のカードは、1991年に65歳以上の市民約7400人へ配られた。同市は1993年11月から、市内の児童約1万6800人を対象とする発行にも踏み出している。
賭けを打てる体力があったわけではない。1993年、協力会社で同年3月期に31億5600万円の赤字を出したジャパンシステムへ、顧問の前田隆正氏を社長として送り込んだ。協力会社の系列化という批判を避けて特定の会社に肩入れしてこなかった同社には異例で、藤田氏は水中のクリを拾うと表現した。翌1994年の取材では、自社を極めて底が浅い経営と呼んでいる。普通の企業は過去の蓄積があるため単年度の赤字では構造が動かないが、自社は借金こそあれ蓄積がない、というのがその理由である。同年7月、パッケージインテグレーション事業部が新設された。オーダーメードでなければ嫌だという要求がソフトを高くしてきた、という認識に立った転換だった。
株式公開の目的は、分離のときに引き受けた借入金を減らすことにあった。1988年7月にデータ通信事業本部の営業を譲り受けた際、新会社は資産だけでなく借入金も背負っている。会社側の意向は、公募を厚くして市場から資金を調達し、その借入金を圧縮することにあった。一方の郵政省は、上場をNTT本体の株主への還元に使わせようとした。本体が持つ株の売り出しで株主作りを賄えば公募はゼロになり、子会社には資金が1円も入らない。エヌ・ティ・ティ・データ通信は1995年1月早々、本体にも内密のまま郵政省へ陳情に出向いたという。同じ上場から何を取るかが、親会社との間で割れていた。
野村証券が握っていた公開の主幹事の座を、大和証券が奪った。会社は当初から早期の上場を望んでいたが、時期を決める主導権は会社になく、日程も株数も決まらないまま2月半ばになっても株数は7万株から8万株の幅で定まらなかった。背景にあったのは大蔵省証券局の意向で、不良債権を抱える金融機関の経営を揺らさぬよう、年度末の株価を押し下げうる大型募集は避けたいとしていた。先に控えた西日本旅客鉄道の上場が阪神・淡路大震災で流れると3月上場を狙う動きも出たが、結局は4月下旬へ送られた。上場を果たしたのは1995年4月、東京証券取引所市場第二部である。
官庁が口を出せたのは、上場の要件そのものが親会社の持ち分に触れていたためである。東証の規定は、上場直後の決算期までに親会社など特定株主の保有を7割以下へ下げることを求めた。下げ方は二つあり、本体の持ち株を売り出すか、新株を公募するかである。どちらをどれだけ使うかが、そのまま資金の行き先を決めた。当時のNTTは株主165万人を抱え、大蔵省が発行済み株式の3分の2を握る会社だった。1987年に318万円を付けた株価は1990年に72万円まで下げている。1988年の分離そのものが、成長分野を切り離した株価の下げ要因と見なされてきた経緯もあった。
上場後の数年で、会社は通信という名乗りを外した。1996年6月に英文表示をNTT DATA CORPORATIONへ改め、同年9月には東証市場第一部へ指定された。1998年8月、商号から通信の二文字を落としてエヌ・ティ・ティ・データとする。同じ年の11月には電気通信事業法の改正を受け、一般第二種電気通信事業者へ区分が変わった。回線を自ら持つ事業者ではなく、他人の回線を使ってシステムを売る会社という位置づけである。親会社の宮津純一郎氏はこの時期、同社を自分で顧客を取ってくる独立した通信会社と呼んでいた。公社のデータ通信部門という出自から、名実ともに離れる手続きだった。
市場の評価は、規模ではなく資本の使い方に向いた。1998年3月末の時価総額から連結の実質株主資本を引いた株主からみた企業価値は、1兆2362億円である。連結株主資本500億円以上の全国上場企業451社を並べた集計で2位に付けた。実質株主資本に対する倍率は4.68倍で、首位に立ったセブン-イレブン・ジャパンの7.94倍に次いだ。日本電信電話は企業価値の実額こそ10兆1563億円と10倍近かったが、倍率は1.35倍で39位にとどまった。子会社が親会社の3.5倍の価値を生んでいた計算になる。連結の株主資本そのものは1998年3月末で2057億9900万円にすぎない。同じ集計で451社中201社は企業価値がマイナス、つまり資本を減らす側に回っていた。
実体の規模も、分離時とは別の会社になっていた。連結売上高は1998年3月期に6765億8100万円、翌1999年3月期には7101億5200万円へ伸びた。2000年3月期は7253億4800万円である。分離直前の1987年度が2400億円だったから、十年余りで3倍に近い。従業員も1987年度の6800人から、1990年に約7400人、1992年には7800人へ増えた。公共と金融の巨大システムで積み上げた規模を、上場企業として市場に示せる規模へ育てたことになる。ただし2000年3月期は営業利益が507億3800万円へ落ち、当期は291億7700万円の損失を計上した。
社長の座は、親会社の人事で動いた。藤田史郎氏は1953年に日本電信電話公社へ入り、1985年の民営化で取締役、翌1986年に常務となった。1988年5月の設立とともに、初代社長へ就任した。1994年、NTT社長の児島仁氏は副社長を退任した神林留雄氏を後任に据えようとした。だが藤田氏が児島氏より年長であったことなどから、この交代は流れたという。民営化を推進した真藤恒氏から、この事業は君の手でと託された経緯も続投の根拠になっていた。神林氏は次期社長の含みを持ったまま、顧問という職に置かれる。交代が成ったのは1995年6月で、藤田氏は会長へ回った。
親会社の側も、自らの形を組み替える途中にあった。NTTは1999年度中に、持ち株会社と東西2つの地域会社、長距離・国際サービス会社の4つに分割されることが決まっていた。宮津氏が子会社へ繰り返し伝えていたのは、『NTTに全面的に依存するな』という一言である。NTTから独立して生きていける会社は、上場する方向で考えればよいという立場である。同じ時期、分割をさらに進める第2次分割案も論じられていた。その中身の一つが、NTT移動通信網とNTTデータ通信の完全分離だった。旧来のファミリー企業を生かすために親会社があるのではない、という整理も同時に示された。子会社の独立は、親会社が抱える競争政策上の課題でもあった。
独立の度合いは、上納金をめぐって顕在化した。神林氏はNTT持ち株会社への上納金負担の要請に異を唱えていた。宮津氏が恐れたのは、NTTデータが持ち株会社の言うことを聞かなくなることだったという。子会社に依存するなと説く一方で、指示は届かせたいという立場だった。1999年6月、NTT副社長の青木利晴氏が社長として送り込まれる。神林氏は代表権のある会長、藤田氏は相談役へ退き、神林氏の社長在任は4年で終わった。この人事で藤田氏を外せる神林氏は、大きな抵抗を見せなかったという。上場して4年が過ぎても、誰が経営するかは親会社が決めていた。
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|---|---|---|---|---|
| 1967〜1994年公社が独占した通信網の上に築いた金融・官公庁システムと、公正競争を理由とする分離独立 | 日本電信電話公社にデータ通信本部を設置 | ★ | ||
| 日本電信電話が設立 | ★ | |||
| データ通信本部からデータ通信事業本部へ改組 | ★ | |||
| 民営化直後のデータ通信事業本部の切り出しと資本金100億円での独立 1988年5月23日、日本電信電話が資本金100億円でエヌ・ティ・ティ・データ通信株式会社を設立し、同年7月1日に自社データ通信事業本部の営業を譲渡した経営判断。有価証券報告書は分離独立の理由を、効率的な事業展開と公正競争の確保の二点としている。 詳細を読む | ★★★ | |||
| 日本電信電話から同社データ通信事業本部に属する営業を譲り受け、営業を開始 | ★★ | |||
| 公共・金融・産業の各システム事業本部を設置 | ★ | |||
| 1995〜2004年東証上場をめぐる官庁の思惑と、公社から受け継いだ独占構造への批判 | 東京証券取引所市場第二部に上場 | ★ | ||
| 商号の英文表示をNTT DATA CORPORATIONに変更 | ★ | |||
| 東京証券取引所市場第一部に指定 | ★ | |||
| 商号を「エヌ・ティ・ティ・データ」に変更 | ★ | |||
| 電気通信事業法の改正により一般第二種電気通信事業者へ変更 | ★ | |||
| 国際事業推進本部を設置 | ★ | |||
| 2005〜2016年国内で頭打ちになった成長をM&Aで買い、欧米へ出た2005年からの十年余り | 浜口友一 | 執行役員制を導入 | ★ | |
| 山下徹 | 自前の海外拠点づくりを採らず、買収の連続だけで欧米へ出た十年余りの海外戦略 NTTデータが2005年に海外戦略を掲げ、独itelligence AG(2007年)、独Cirquent GmbH(2008年)、米Keane, Inc.(2010年)、伊Value Team S.p.A.(2011年)、西EVERIS(2014年)、米Dell Servicesの譲り受け(2016年)と、買収の連続だけで欧米市場へ出た一連の経営判断。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 山下徹 | 経営権取得により、BMWグループの情報システム子会社Cirquent GmbHが子会社に | ★ | ||
| 山下徹 | カンパニー制を導入 | ★ | ||
| 山下徹 | 経営権取得により、Keane International, Inc.・Keane, Inc.が子会社に | ★★ | ||
| 岩本敏男 | 経営権取得によりEVERIS PARTICIPACIONES, S.L.U.が子会社に | ★★ | ||
| 岩本敏男 | カンパニー制を廃止 | ★ | ||
| 岩本敏男 | Dell Services部門の譲り受けの98.0%以上が完了 | ★★ | ||
| 2017〜2025年海外事業を一手に引き受けた末に、37年で親会社NTTへ再統合され上場を終えるまで | 本間洋 | 直接的な親会社が日本電信電話からNTTへ変更 | ★ | |
| 本間洋 | 規模の倍増と、1兆416億円の借入金の引き受け 2022年5月9日、NTTデータは取締役会で、NTTの完全子会社であるNTT株式会社(現NTT DATA, Inc.)グループの海外事業と自社の海外事業を統合することを決議した。自社の海外事業を吸収分割でNTT, Inc.へ承継し、対価として同社の普通株式3,315株を受け取ったうえで、NTTが保有する260株を総額1,120億円で追加取得する形である。効力発生日の2022年10月1日に議決権の55%を取得し、NTT Ltd.を含むグループが連結に入った。譲渡対価の合計は5,541億円であった。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 本間洋 | 国内事業会社であるNTTデータを設立するとともに、持株会社体制へ移行 | ★★ | ||
| 佐々木裕 | 東京証券取引所プライム市場で上場廃止 | ★★ |
免責事項およびポリシー
事実根拠:出所(NTTデータグループ)