三和銀行を中心としたグループ企業60社の出資により、資本金6億円で東洋情報システムを設立。高額だった大型コンピューターの利用を、三和グループで共同で行うことを意図して設立された。この経緯から、三和銀行系のJCBなどとの取引もあり、クレジットカード・信販会社向けのシステム構築に特色があった

三和銀行を中心としたグループ企業60社の出資により、資本金6億円で東洋情報システムを設立。高額だった大型コンピューターの利用を、三和グループで共同で行うことを意図して設立された。この経緯から、三和銀行系のJCBなどとの取引もあり、クレジットカード・信販会社向けのシステム構築に特色があった
シンクタンク(調査業務)の事業がメインであったが、オイルショックによる経費削減の流れで需要が縮小。事務計算サービスを提供する東洋コンピューターサービスを合併し、景気に左右されないビジネスを志向
首都圏に進出
1990年代以降、大企業向けのシステム構築は「内製化」から「SAP」などのERPが主流となった。加えて大企業向けのシステム内製化の需要が一巡し、TISは大企業のシステム内製化支援の市場で苦戦。1990年代後半にERPのカスタマイズに活路を見出すまで業績低迷が続いた。
2004年に代表取締役に就任した岡本社長は、2010年までにTISの売上高5000億円を目標に据えた。達成のために、大型買収に視野に入れていることも明かした。
2008年にTISはインテックとの経営統合を決断し、ITホールディングス(TIS)を発足した。統合の背景としては、システムの案件規模が増大する中で、独立系SIerの2社が協力することで「受注拡大」「重複業務の効率化」を狙うとともに、大手SIerとして売上を拡大する狙いがあった。なお、JCB案件の炎上について、当時の岡本社長(TIS)によれば「全く関係がない」(2007/12/13日経XTECH)と発言したが、規模拡大により炎上による財務リスクを抑える狙いもあったと推察される。
IT HDの100%子会社である「TIS(大阪吹田本社)・ソラン(東京港区三田本社)・ユーフィット(名古屋市西区本社)」の3社について合併を決定。重複業務の解消を狙った合併と推察される。
1976年に東洋情報システムに入社した生え抜き出身。1989年から1995年まで、信販会社(大阪本社の某企業)のシステム構築を担当し、炎上(担当役員3人交代)からの再建を経験。2004年からJCB向けプロジェクトに従事し、巨額損失を含む炎上(受注損失引当金51億円を計上)を経て、2008年11月にサービスイン。2008年4月には専務として金融・カード事業を管掌するなど、JCBプロジェクトのキーマンだったと推定される。2021年までの10年にわたってTISの社長を歴任した
旧TISにおける人員削減(400名)を決定。「オフィス移転(西新宿への拠点集約)」や「特別転身プログラム」により、FY2011に特別損失78.5億円(構造改革に係る一過性の費用)を計上した。
上場子会社であったアグレックスについて、TOBを通じて株式を追加取得(50.6%→93.3%)した。TIS社内のBPOの業務をアグレックスに集約する狙いがあった
ソフトウェア開発・企業買収などの予算枠として最大800億円の投資を計画。KPIとして高単価案件である「戦略比率」の向上を重視
TISが参画した三菱食品向けの基幹システムの刷新案件において、プロジェクトが頓挫。三菱食品はインテックに対して127億円の賠償請求を行った。2022年時点においても、三菱食品とTISは係争中
1985年東洋情報システムに入社した生え抜き出身。社長交代により、桑野元社長は代表権のない取締役会長に就任した
中央システムはTISの完全子会社だったが、中小企業向けのシステム(勤怠システム「レコル」など)に集中しており、大企業向けの開発業務は行なっていなかった。そこで、TISは選択と集中のため、中央システムを投資ファンド「ベーシック・キャピタル・マネジメント」に売却することを決定。TISは売却に伴う特別利益として60億円を計上した。