Fujitsu Uvanceによる事業モデル再定義とDX企業への転換

祖業ハードを捨て続けた会社は、残した事業で何を売ると決めたか

更新:

時期 2021年10月
意思決定者 時田隆仁 社長
論点 SI依存からの事業モデル転換と成長軸の再設定
概要
SE出身で初めて社長に就いた時田隆仁氏が、まず管理職へジョブ型人事を導入し、2021年に「Fujitsu Uvance」を掲げて業種横断のデジタルサービス企業へ事業モデルを組み替えた転換。祖業ハードを手放し続けた富士通が、残した事業で何を売るかへ初めて答えを出した判断である。
背景
半導体・携帯・PCを切り離した後の富士通は、業種別のSI受注を積み重ねる会社にとどまり、次の成長の絵を描けずにいた。業種横断の共通課題へ標準化したサービスを届ける発想が乏しく、「何を手放したか」でしか語られない停滞が続いていた。
内容
2020年に管理職へジョブ型人事を本格導入し、Fujitsu Wayを刷新してDX企業への変革を掲げた。2021年にFujitsu Uvanceブランドを発表し、業種の枠を越えたオファリング群を成長の軸に据え、中期経営計画で数値コミットを置いた。
含意
捨てる判断ばかりが続いた富士通が、初めて残した事業で成長を目指す構えへ反転した。人事から着手して事業モデルへ及ぶ順序に特徴があり、「普通の(成長を目指す)会社」への転換はなお途上ながら、20年の停滞に一つの区切りをつけた。
筆者の見解

捨てた先の空白を、初めて埋めた判断

この転換の意味は、新しさよりも、順序と時機にある。祖業ハードを切り離す判断は20年前から続いていたのに、残した事業で何を売るかという問いは長く宙に浮いていた。時田隆仁氏がまず人事を変え、そのうえでUvanceという事業モデルを据えた順序は、器を作り替えてから中身を入れる手順であったとみることができる。捨てた先に生まれた空白を、初めて具体的な成長軸で埋めた点に、この判断の位置づけがうかがえる。

もっとも、業種横断のサービスで稼ぐという構えは、掲げることと根づかせることの間になお距離がある。Uvanceの数字は伸びているが、富士通が本当に「普通の(成長を目指す)会社」になったかは、この先の収益性が答える。技術で頂点を極め、その成功体験を捨てるのに20年を要した会社が、次は何で選ばれるのか——Uvance転換は、その問いに初めて正面から答えようとした試みといえる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

手放した後に残った、成長の絵のない会社

半導体・携帯・PCを切り離した後の富士通に残ったのは、SIとサービスを軸とする質の高い事業であった。国内の官公庁・金融・製造業に深く食い込み、保守案件と大型プロジェクトで安定した粗利を生んでいた。ただし、その基盤を活かす事業モデルは欠けたままであった。2015年に山本正已から田中達也へ、2019年に田中達也から時田隆仁へと社長が代わっても、「何を残したか」ではなく「何を手放したか」で語られる停滞が続いた[1]

停滞の根には、事業の売り方そのものがあった。富士通は官公庁・金融・製造・流通といった業種別に組織と営業を分け、業種ごとのSI案件を個別に受注してきた。時田隆仁氏は後に、富士通が業種の枠を越えるクロスインダストリーを手掛けてこなかったと振り返っている。業種横断の共通課題へ標準化したサービスを届ける発想が社内に乏しかったことが、成長軸を欠いた停滞の根にあった[2]

決断

人事から着手し、Uvanceで事業を組み替える

2019年6月にSE出身として初めて社長に就いた時田隆仁氏は、事業に手をつける前に、まず人事を変えた。2020年7月、管理職の全員を対象にジョブ型人事を本格導入し、日本企業のジョブ型転換の先行例となる。あわせてFujitsu Wayを刷新し、「DX企業への変革」を会社の方針に掲げた。ハードを切り離すだけの富士通から、残したサービス事業を主軸に自己像を組み替える宣言であった[3][4]

事業モデルの核に据えたのが、2021年に発表したFujitsu Uvanceであった。業種ごとに縦割りで受けてきたSIに対し、業種の枠を越えた共通課題へ標準化したオファリング群を横串で提供する構えである。2020年にはコンサルティング会社Ridgelinezを設け、上流の構想段階から関わる体制も整えた。翌年の中期経営計画で成長ドライバーの数値を掲げ、捨て続けた会社が残した事業で稼ぐという軸を、初めて具体的な目標に落とし込んだ[5]

結果

「普通の会社」への途上

Uvanceは、掲げた数値を追う事業へ育ってきた。中核オファリングの売上は2025年3月期に4,828億円へ達し、前年から3割超の伸びを示した。時田隆仁氏はノンコア事業の整理と政策保有株式の縮減、自己株式取得の拡大を組み合わせ、在任中に株価は約3倍へ上がった。捨てることに追われた富士通が、残した事業で稼ぎ、資本効率で報いる会社へと像を変えてきた[6]

時田隆仁氏自身は、その到達点を控えめに語っている。「ようやく普通の会社、要するに『成長を目指す会社』になったと言われれば十分」と述べ、中期経営計画の進捗については「良くも悪くもオントラック」だと語っている。20年にわたり何を手放したかで語られてきた会社が、ようやく何を売って伸ばすかを語り始めた。変革はなお途上ながら、捨て続けた時代からの反転を示している[7]

出典・参考