大塚商会 の歴史

創業

1961年

創業者

大塚實

創業地

東京都千代田区

直近売上高(2025/12)

13,228億円

長期業績と転換点(1996/12〜2025/12)
売上高(億円純利益率(%)
Q なぜ1961年の創業時に大塚實氏は中小企業を主たる顧客に選んだのか
A 資金力のある大企業は競合の商社が押さえており、後発で資本も乏しい大塚商会が割って入る余地は乏しかったためである。大塚實氏は理研光学工業(現リコー)で創業社長・市村清氏への退陣要求運動を主導して敗れ退社した後、設立した理研紙工業、続いて資金を投じたルミナ閃光電球も相次いで倒産し、複写機用品販売会社・山本商会勤務を経て、1961年7月、退職金と生命保険の解約分など30万円ほどを元手に38歳で創業した。幾度もの挫折を味わったからこそ、1社あたりの取引額が小さく回収に手間がかかるため競合が敬遠した中小企業に活路を求めた。複写機を売り切ったうえでトナーや用紙を補充する接点を持ち、「サービスに勝る商法なし」を掲げて顧客と縁が切れない関係を築いた。これが後の御用聞き営業のDNAとなった
Q なぜ1999年から2006年にかけて売り切り体質を会員契約へ組み替えたのか
A 機器の販売は単発で終わり、景気や設備投資の波を受けて売上が積み上がらない弱みを抱えていたためである。大塚商会は1999年2月に会員制通信販売「たのめーる」を始めて文具やトナーの反復発注を握り、1990年4月に始めた会員制サポートを母体に「たよれーる」でIT保守の継続契約を握った。2006年8月にサービス&サポート事業を両ブランドへ集約し、消耗品の定期購入と保守契約という二つの安定収益で機器取引の一回性を補う収益基盤を整えた。
Q なぜ2010年代以降にSI事業を主力へ押し上げ「オフィスまるごと」の重ね売りへ進めたのか
A 約29万社の取引先のうち約3分の2が一つの商材しか買わない単品客で、既存顧客の深掘りに伸びしろがあると見たためである。大塚商会はWindowsのサポート終了に伴うPC・サーバ更新やGIGAスクールなどの需要をストック型サービスと組み合わせ、システムインテグレーション(SI)事業の売上を2015年12月期の3,531億円から2025年12月期の9,029億円へ約2.6倍に伸ばし、連結構成比を58%から68%へ高めた。1993年の「大戦略」でためたデータを7種類のAIで解析し、次の商材を割り出す営業へ進めた

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1961年〜 複写機商社からの脱皮──業務用パッケージ「SMILE」誕生まで

  1. 1961年 大塚商会を創業
  2. 1961年 法人組織に改め、大塚商会を設立
  3. 1970年 電算機事業に参入
  4. 1979年 自社開発の業務用パッケージソフト「SMILE」販売開始
  5. 1981年 パソコン・ワープロ専用機の販売開始
  6. 1987年 ネットワーク事業に参入
  7. 1990年 たよれーる保守サービス開始

大塚實氏が東京・千代田区で創業し、複写機商社から自社開発ソフトへ

1961年7月、大塚實氏が複写機及びサプライ商品の販売を目的として、東京都千代田区に大塚商会を創業した。同年12月に法人組織として株式会社大塚商会を設立し、複写機・印刷機・サプライ用品といったオフィス機器商社の事業構造で出発した。1962年12月、都内拠点展開の第1号店として東京都品川区に大森支店を開設、1965年3月に大阪市大淀区(現北区)に大阪支店を開設して二大都市での営業基盤を整えた。1968年7月、東京都千代田区に本社ビルが竣工し、本店所在地を移転した。 [1][2][3][4][5]

  • 有価証券報告書
    • [1]1961年7月 大塚實氏が複写機及びサプライ商品の販売を目的に東京都千代田区に大塚商会を創業
    • [2]1961年12月 法人組織に改め株式会社大塚商会を設立
    • [3]1962年12月 都内拠点展開の第1号店として東京都品川区に大森支店を開設
    • [4]1965年3月 大阪市大淀区(現北区)に大阪支店を開設
    • [5]1968年7月 東京都千代田区に本社ビル竣工、本店所在地を移転

1970年8月、電算機事業を開始した。これは複写機・印刷機を中心とするオフィス機器商社から、コンピュータ商社への業態転換の出発点となった。1979年10月、自社開発の業務用パッケージソフト「SMILE」の販売を開始した。SMILE シリーズは中小企業向けの会計・販売管理・給与計算等のパッケージソフトで、当時の業界では商社が販売する完成品ソフトは少なく、同社が自社開発に乗り出した点は業態転換上の節目だった。後に1984年7月設立の大塚システムエンジニアリング株式会社(現株式会社OSK)が SMILE の開発・保守機能を担い、ハード商社からソフト+ハードのトータルベンダーへの転換を行った。 [6][7][8][9]

  • 有価証券報告書
    • [6]1970年8月 電算機事業を開始
    • [7]1979年10月 自社開発の業務用パッケージソフト「SMILE」販売開始
    • [8]SMILEは中小企業向けの会計・販売管理・給与計算等のパッケージソフト
    • [9]1984年7月 大塚システムエンジニアリング株式会社(現株式会社OSK)を設立

1981年7月、パソコン及びワープロ専用機の販売を開始した。1980年代の日本のPC市場黎明期から商材として PC を扱い、1982年5月には「OAセンター」の地区展開及び教育ビジネスを開始した。OA センターはオフィスオートメーション機器を地域単位で実機展示・教育付きで販売する仕組みで、PC・複写機・ワープロを「業務改善ツール」として位置付ける提案型の販売手法を採用した。1984年2月の CAD システム事業開始、1985年2月のホテル事業開始、1987年7月のネットワーク事業開始など、80年代後半までに事業領域はオフィス機器全般、業務ソフト、CAD、ネットワーク、ホテルへと多角化した。1990年4月、企業向け会員制サポート「トータルαサービス」(現「たよれーる」保守サービス)を開始。後にストック型サブスクリプション収益の柱となる「たよれーる」の原型が立ち上がった。 [10][11][12][13][14][15]

  • 有価証券報告書
    • [10]1981年7月 パソコン及びワープロ専用機の販売を開始
    • [11]1982年5月 「OAセンター」の地区展開及び教育ビジネスを開始
    • [12]1984年2月 CADシステム事業を開始
    • [13]1985年2月 ホテル事業を開始
    • [14]1987年7月 ネットワーク事業を開始
    • [15]1990年4月 企業向けの会員制サポート「トータルαサービス」(現たよれーる保守サービス)を開始
  • 有価証券報告書
    • [1]1961年7月 大塚實氏が複写機及びサプライ商品の販売を目的に東京都千代田区に大塚商会を創業
    • [2]1961年12月 法人組織に改め株式会社大塚商会を設立
    • [3]1962年12月 都内拠点展開の第1号店として東京都品川区に大森支店を開設
    • [4]1965年3月 大阪市大淀区(現北区)に大阪支店を開設
    • [5]1968年7月 東京都千代田区に本社ビル竣工、本店所在地を移転
    • [6]1970年8月 電算機事業を開始
    • [7]1979年10月 自社開発の業務用パッケージソフト「SMILE」販売開始
    • [8]SMILEは中小企業向けの会計・販売管理・給与計算等のパッケージソフト
    • [9]1984年7月 大塚システムエンジニアリング株式会社(現株式会社OSK)を設立
    • [10]1981年7月 パソコン及びワープロ専用機の販売を開始
    • [11]1982年5月 「OAセンター」の地区展開及び教育ビジネスを開始
    • [12]1984年2月 CADシステム事業を開始
    • [13]1985年2月 ホテル事業を開始
    • [14]1987年7月 ネットワーク事業を開始
    • [15]1990年4月 企業向けの会員制サポート「トータルαサービス」(現たよれーる保守サービス)を開始

中小企業を面で押さえる、新聞配達店並みの密度の支店網

創業者の大塚實氏は1922年10月、栃木県益子町の焼き物屋の家に生まれた。真岡中学を経て中央大学に進学し、1943年の学徒出陣でビルマ戦線に送られ、九死に一生を得て1947年に復員した。郷里で紹介された理研光学工業(現リコー)の創業社長・市村清氏に一目惚れして入社し、トップセールスとして頭角を現したが、市村体制への反発から社長排斥運動を主導し、闘争に敗れてリコーを去った。その後設立した理研紙工業、続いて資金を投じたルミナ閃光電球もいずれも大手メーカーの参入で倒産し、複写機用品販売会社・山本商会に勤務した後、生命保険を解約した30万円を元手に、1961年7月、38歳で大塚商会を創業した。 [16][17][18]

  • 日経ビジネス 1989年12月4日号(543号)
    • [16]大塚實氏は1922年10月栃木県益子町生まれ、真岡中学卒業後の受験失敗を経て中央大学進学、1943年学徒出陣でビルマ戦線に送られ1947年復員
    • [17]復員後、理研光学工業(現リコー)に入社し創業社長・市村清氏への退陣要求運動を主導、闘争に敗れてリコーを去った
    • [18]理研紙工業・ルミナ閃光電球の相次ぐ倒産、複写機用品販売会社・山本商会勤務を経て大塚商会を創業

当時のオフィス機器商社は資金力のある大企業を主たる顧客とするのが常識だったなか、幾度もの挫折を味わってきた大塚實氏はあえて中小企業に活路を見出した。1社あたりの取引額は小さく回収にも手間がかかるため、競合が敬遠しがちな層である。そこへ実機を持ち込んで現金決済で売り切る独自の手法で入り込み、台数を積み上げて顧客基盤を築いた。相次ぐ挫折の末にたどり着いた創業だったからこそ、大塚實氏は徹底して公平を期した評価制度を重視し、社訓の冒頭に「人生は勝者に楽しく、敗者には悲惨な道だ」を据えた(日経ビジネス 1993/7/26)。創業時から掲げた「サービスに勝る商法なし」(クラウドWatch 2019/12/9)の方針は、価格でなく対応の速さと密度で差をつける発想を端的に表していた。 [19]

  • 日経ビジネス 1993年7月26日号(700号)
    • [19]大塚實氏は社訓の冒頭に「人生は勝者に楽しく、敗者には悲惨な道だ」を掲げる

顧客基盤の核となったのが、地域を面で押さえる支店網である。大塚商会は新聞配達店に並ぶ密度で支店を配置し、各支店に営業と保守の人員を置いて、コピー用紙1冊でもすぐ届けられる体制を業界に先駆けて整えた(ダイヤモンド・オンライン 2021/1/22)。1978年時点で都下25・大阪9・神奈川4・埼玉2・千葉1の計41支店を構え、約4万5000軒のユーザーを1支店平均1000軒の密度で抱え、巡回サービス車を1日4便走らせる体制を敷いていた(日経ビジネス 1978/7/17)。大塚實社長はこの体制を「支店が軍隊の最小単位である分隊に相当し、支店が三つか四つ集まって小隊を形成している」(同)と説明した。複写機の消耗品を定期的に届ける接点を使い、訪問のたびにオフィスの様子を観察して最新OA商材を提案する。この消耗品配達と提案を組み合わせた営業手法が、後年の「重ね売り」の原型にあたる。 [20][21]

  • 日経ビジネス 1978年7月17日号(218号)
    • [20]1978年時点で都下25・大阪9・神奈川4・埼玉2・千葉1の計41支店、ユーザー数約4万5000軒、巡回サービス車1日4便
    • [21]大塚實社長が支店網を「支店が軍隊の最小単位である分隊に相当し、支店が三つか四つ集まって小隊を形成している」と説明
  • 日経ビジネス 1989年12月4日号(543号)
    • [16]大塚實氏は1922年10月栃木県益子町生まれ、真岡中学卒業後の受験失敗を経て中央大学進学、1943年学徒出陣でビルマ戦線に送られ1947年復員
    • [17]復員後、理研光学工業(現リコー)に入社し創業社長・市村清氏への退陣要求運動を主導、闘争に敗れてリコーを去った
    • [18]理研紙工業・ルミナ閃光電球の相次ぐ倒産、複写機用品販売会社・山本商会勤務を経て大塚商会を創業
  • 日経ビジネス 1993年7月26日号(700号)
    • [19]大塚實氏は社訓の冒頭に「人生は勝者に楽しく、敗者には悲惨な道だ」を掲げる
  • 日経ビジネス 1978年7月17日号(218号)
    • [20]1978年時点で都下25・大阪9・神奈川4・埼玉2・千葉1の計41支店、ユーザー数約4万5000軒、巡回サービス車1日4便
    • [21]大塚實社長が支店網を「支店が軍隊の最小単位である分隊に相当し、支店が三つか四つ集まって小隊を形成している」と説明

1991年〜 ISP・たのめーる・東証1部上場・たよれーる──ストック型ビジネスの確立期

大塚商会の業績推移:連結

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1993年 経営刷新構想「大戦略」の策定と、支店ごとに分かれていた顧客情報の全社一元化 人海戦術で伸びてきた商社は、売上高と社員数の連動をどこで断ち切ったか
  2. 1995年 商用インターネット接続サービスα-Web開始
  3. 1997年 震旦大塚股份有限公司を設立
  4. 1999年 会員制通信販売「たのメール」販売開始
  5. 2000年 東京証券取引所市場第一部に株式上場
  6. 2000年 大塚インターネットデータセンター開設
  7. 2001年 創業者・大塚實から長男・大塚裕司への社長交代と、データで判断する営業への移行 40年の創業社長を継いだ2代目は、勘と足で稼ぐ営業をどう組み替えようとしたか

インターネット時代の到来とサブスク2大ブランドの定着

1990年代に入り、同社はインターネット時代の到来に合わせて事業構造を組み替えた。1995年6月、商用インターネット接続サービス「α-Web」を開始し、ISP事業に参入。1996年9月、インターネットを利用した EC ショップを開始した。1997年8月、台湾に震旦大塚股份有限公司(現大塚資訊科技股份有限公司)を設立し、中華圏拠点を確保。1997年10月には顧客の仕様に基づいたコンピュータの受注仕様組立を目的に東京 CTO センターを開設、PC の受注組立による法人向けカスタマイズ供給体制を整えた。 [22][23][24][25]

  • 有価証券報告書
    • [22]1995年6月 商用インターネット接続サービス「α-Web」を開始しISP事業に参入
    • [23]1996年9月 インターネットを利用したECショップを開始
    • [24]1997年8月 台湾に震旦大塚股份有限公司(現大塚資訊科技股份有限公司)を設立
    • [25]1997年10月 受注仕様組立を目的に東京CTOセンターを開設

1999年2月、会員制通信販売「たのメール」(現「たのめーる」)の販売を開始した。たのめーるはオフィス用品のカタログ通販事業で、文具・トナー・コピー用紙といった企業の消費財をカタログ・Webから定期発注できる仕組みである。BtoB のサブスクリプション的な反復購入を獲得することで、機器販売の一回性収益と異なる安定収益源を整えた。同年11月、ASP事業としてのホスティングサービス「α-MAIL」販売開始、ドキュメント・ソリューション「ODS2000」(現 ODS)も同月開始した。 [26][27][28]

  • 有価証券報告書
    • [26]1999年2月 会員制通信販売「たのメール」(現たのめーる)の販売を開始
    • [27]たのめーるはオフィス用品のカタログ通販事業
    • [28]1999年11月 ASP事業としてのホスティングサービス「α-MAIL」販売開始、ドキュメント・ソリューション「ODS2000」(現ODS)も同月開始

2000年7月、東京証券取引所市場第一部に株式を上場した。創業から39年を経ての本則市場上場である。同月、大塚インターネットデータセンターを開設し、ISP事業から DC 事業へと領域を拡張した。2003年2月、東京都千代田区に本社ビルが竣工し、本店所在地を移転。2006年4月、欧智卡信息系統商貿(上海)有限公司を設立し、中国本土拠点を開設。2006年8月、サービス&サポート事業を「たのめーる」と「たよれーる」の2大ブランドに集約し、ストック型サブスクの2軸を経営の柱として明確化した。 [29][30][31][32][33][34]

  • 有価証券報告書
    • [29]2000年7月 東京証券取引所市場第一部に株式を上場
    • [30]創業(1961年)から上場(2000年)まで39年
    • [31]2000年7月 大塚インターネットデータセンターを開設
    • [32]2003年2月 東京都千代田区に本社ビル竣工、本店所在地を移転
    • [33]2006年4月 欧智卡信息系統商貿(上海)有限公司を設立し中国本土拠点を開設
    • [34]2006年8月 サービス&サポート事業を「たのめーる」と「たよれーる」の2大ブランドに集約
  • 有価証券報告書
    • [22]1995年6月 商用インターネット接続サービス「α-Web」を開始しISP事業に参入
    • [23]1996年9月 インターネットを利用したECショップを開始
    • [24]1997年8月 台湾に震旦大塚股份有限公司(現大塚資訊科技股份有限公司)を設立
    • [25]1997年10月 受注仕様組立を目的に東京CTOセンターを開設
    • [26]1999年2月 会員制通信販売「たのメール」(現たのめーる)の販売を開始
    • [27]たのめーるはオフィス用品のカタログ通販事業
    • [28]1999年11月 ASP事業としてのホスティングサービス「α-MAIL」販売開始、ドキュメント・ソリューション「ODS2000」(現ODS)も同月開始
    • [29]2000年7月 東京証券取引所市場第一部に株式を上場
    • [30]創業(1961年)から上場(2000年)まで39年
    • [31]2000年7月 大塚インターネットデータセンターを開設
    • [32]2003年2月 東京都千代田区に本社ビル竣工、本店所在地を移転
    • [33]2006年4月 欧智卡信息系統商貿(上海)有限公司を設立し中国本土拠点を開設
    • [34]2006年8月 サービス&サポート事業を「たのめーる」と「たよれーる」の2大ブランドに集約

借入金膨張への危機感から生まれた「大戦略」と科学的営業 SPR

ストック型ブランドの整備と並んで進んだのが、社内の情報基盤の作り替えである。創業者の長男で横浜銀行を経て1981年に入社した大塚裕司氏は、借入金の膨張に強い危機感を抱き、1993年に経営の刷新構想「大戦略」を策定した。基幹系と情報系を PC-LAN 上で統合し、営業・会計・サポートにまたがる顧客情報を一本のマスターに集約する仕組みである。同じ1993年、社長だった創業者の大塚實氏も、オフコンからパソコンへの急速なダウンサイジングに直面し、「昨日の専門家ではダメだ」と人事評価制度の刷新で組織改革に乗り出していた(日経ビジネス 1993/7/26)。大塚裕司氏は後年、「93年には、基幹系と情報系をつないで、全部PC-LAN上で動かし、基本のマスターが1本という構想ができあがっていました」(週刊BCN+ 2021/10/20)と振り返り、これを現在の DX の原点と位置付けている。 [35][36]

  • 有価証券報告書
    • [35]大塚裕司氏は創業者の長男で横浜銀行を経て1981年に入社(有報役員欄: 1976年4月横浜銀行入行、1981年11月当社入社)
  • 日経ビジネス 1993年7月26日号(700号)
    • [36]同じ1993年、社長だった大塚實氏がオフコンからパソコンへのダウンサイジングに対応し人事評価制度の刷新で組織改革に着手

「大戦略」が目指したのは、勘と足で稼ぐ営業を、蓄積データに基づく提案へ置き換えることだった。2001年には顧客管理と営業支援を統合した SPR(セールス・プロセス・リエンジニアリング)を立ち上げ、どの顧客に何をいつ提案すべきかをデータで判断する科学的な営業手法へ進めた。地域密着の支店網が集める膨大な接点情報を一元化し、訪問のたびに次の商材を当てる「重ね売り」を仕組みとして回す土台となった。借入金圧縮の動機から始まった社内改革が、結果として競合との差を生む営業力の源泉へ転化した点に、この時期の構造転換の本質がある。商材ごとには競合がいても、オフィス需要を横断して丸ごと押さえる事業者は限られており、ここに後年の差別化の芽があった。

経営体制では、2001年8月に創業者の大塚實名誉会長から大塚裕司氏へ社長を交代し、創業同族が経営を継承した。大塚裕司社長は経営者の責務について「経営者が一番やっちゃいけないことって何だと思いますか。それは、会社を潰すことです」(週刊BCN+ 2021/10/20)と語っている。借入金への危機感を出発点に基盤を作り替えた経営者らしい言葉である。安定収益を生むストック型ブランドと、データで回す営業基盤という2つの仕掛けが、2000年代後半以降の連続増収を支える両輪となった。 [37]

  • 有価証券報告書
    • [37]2001年8月 創業者の大塚實名誉会長から大塚裕司氏へ社長を交代
  • 有価証券報告書
    • [35]大塚裕司氏は創業者の長男で横浜銀行を経て1981年に入社(有報役員欄: 1976年4月横浜銀行入行、1981年11月当社入社)
    • [37]2001年8月 創業者の大塚實名誉会長から大塚裕司氏へ社長を交代
  • 日経ビジネス 1993年7月26日号(700号)
    • [36]同じ1993年、社長だった大塚實氏がオフコンからパソコンへのダウンサイジングに対応し人事評価制度の刷新で組織改革に着手

2011年〜 DX・ESG・プライム市場移行──総合 ITソリューション企業としての成熟期(2011〜現在)

大塚商会の業績推移:連結

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 2015年 OSK とアルファシステムを合併
  2. 2020年 DX 推進委員会を設置
  3. 2021年 DX 認定取得事業者として認定取得
  4. 2022年 東京証券取引所プライム市場に移行
  5. 2023年 中・長期経営方針を発表

ストック型2大ブランドを軸に、DX・ESG・市場区分対応へ

2015年10月、株式会社OSK と株式会社アルファシステムを合併し、グループ内のソフト開発機能を統合した。2017年10月の高崎支店開設、2018年9月のつくば支店開設など、地方主要都市への支店網拡張も並行して行った。2020年12月、DX 推進委員会を設置し、社内体制を強化。2021年4月、経済産業省指針に基づく「DX認定取得事業者」としての認定を取得。2021年11月、サステナビリティ委員会を設置。2022年3月、指名・報酬委員会を設置し、ガバナンス・ESG・DX 領域の整備を行った。 [38][39][40][41][42][43][44]

  • 有価証券報告書
    • [38]2015年10月 株式会社OSKと株式会社アルファシステムを合併
    • [39]2017年10月 高崎支店開設
    • [40]2018年9月 つくば支店開設
    • [41]2020年12月 DX推進委員会を設置
    • [42]2021年4月 経済産業省指針に基づく「DX認定取得事業者」としての認定を取得
    • [43]2021年11月 サステナビリティ委員会を設置
    • [44]2022年3月 指名・報酬委員会を設置

2022年4月、東京証券取引所プライム市場に移行した。2023年7月、中・長期経営方針を発表。2024年5月の「DX 注目企業2024」選定、2025年4月の「DX 注目企業2025」選定など、外部評価面でも DX 推進企業としての位置付けを確立している。連結売上高はFY12の5,158億円からFY25の1兆3,228億円へ13年で約2.6倍、当期純利益はFY12の163億円からFY25の643億円へ約4倍に拡大した。 [45][46]

  • 有価証券報告書
    • [45]2022年4月 東京証券取引所プライム市場に移行
    • [46]2023年7月 中・長期経営方針を発表

経営体制では、創業者の大塚實氏(1961〜2001)に続き、長男の大塚裕司氏(2001〜)が代表取締役社長として2001年8月から24年にわたり経営を率いている。創業同族による継承体制を維持しつつ、社外取締役には浜辺真紀子氏(外資IR・広報マーケ専門)・牧野二郎氏(弁護士)・齋藤哲男氏(東京証券取引所出身、現日本取引所グループ)など、IR・法務・市場ガバナンスの専門家を配置している。同社は複写機商社として出発したが、現在は「複写機・PC・サーバ・ネットワーク・クラウド・セキュリティ・業務ソフト」を統合的に提供するトータルソリューションプロバイダーとしての地位を築き、たのめーる・たよれーるという2大ストック型ブランドを基盤に、中堅中小企業向け IT 商社からトータルソリューションプロバイダーへの転換を完成させた。 [47][48]

  • 有価証券報告書
    • [47]創業者の大塚實氏(1961〜2001)に続き長男の大塚裕司氏(2001〜)が代表取締役社長として2001年8月から経営を率いる
    • [48]社外取締役に浜辺真紀子氏・牧野二郎氏(弁護士)・齋藤哲男氏(東京証券取引所出身、現日本取引所グループ)を配置
  • 有価証券報告書
    • [38]2015年10月 株式会社OSKと株式会社アルファシステムを合併
    • [39]2017年10月 高崎支店開設
    • [40]2018年9月 つくば支店開設
    • [41]2020年12月 DX推進委員会を設置
    • [42]2021年4月 経済産業省指針に基づく「DX認定取得事業者」としての認定を取得
    • [43]2021年11月 サステナビリティ委員会を設置
    • [44]2022年3月 指名・報酬委員会を設置
    • [45]2022年4月 東京証券取引所プライム市場に移行
    • [46]2023年7月 中・長期経営方針を発表
    • [47]創業者の大塚實氏(1961〜2001)に続き長男の大塚裕司氏(2001〜)が代表取締役社長として2001年8月から経営を率いる
    • [48]社外取締役に浜辺真紀子氏・牧野二郎氏(弁護士)・齋藤哲男氏(東京証券取引所出身、現日本取引所グループ)を配置

「オフィスまるごと」と重ね売り──29万社の取引深掘りという伸びしろ

成熟期の成長を牽引したのは、システムインテグレーション(SI)事業の拡大である。SI 事業の売上はFY15の3,531億円からFY25の9,029億円へ約2.6倍に伸び、連結売上に占める構成比は58%から68%へ高まった。一方のサービス&サポート事業も2,554億円から4,198億円へ拡大し、利益面ではFY25に295億円を稼ぐ収益基盤に育った。Windows のサポート終了に伴う PC・サーバの更新需要、マイナンバー対応、テレワークや GIGA スクールといった制度・環境変化のたびに更新需要を取り込み、ストック型サービスと組み合わせて重ね売りする手法が、外部環境の波を業績に変える役割を果たした。

こうした重ね売りを集約した方針が「オフィスまるごと」である。IT 機器からオフィスの備品までを一社で引き受け、中堅中小企業のオフィス需要を丸ごと取り込む構想にあたる。大塚裕司社長は取引深掘りの余地について、「今、当社の年間の取引は約29万社ですが、約3分の2のお客さまは……一つの商材だけの取引になっています」(週刊エコノミスト 2024/7/22)と述べ、既存顧客への商材横断の重ね売りに伸びしろがあると見る。同社長は潜在規模を「お客さまが年間で使っているIT機器からオフィスの備品までを考えると、当社は10兆円の売り上げが上がってもおかしくはない」(週刊エコノミスト 2024/7/22)とも語っている。

その深掘りを支えるのが、1993年の「大戦略」以来積み上げてきたデータ基盤の AI 化である。大塚裕司社長は「当社のシステム全体で7種類のAIが動いていて、それをパイプラインにしています。一部は特許を取っています」(週刊エコノミスト 2024/7/22)と説明する。蓄積した取引データを AI で解析し、次に提案すべき商材を割り出す営業の仕組みは、地域密着の支店網という創業期からの資産を、現代のデータドリブン経営へ接続した。複写機の消耗品配達から始まった「重ね売り」は、29万社の取引データを AI で解析する科学的な営業へ発展し、総合 IT ソリューション企業としての持続的な成長基盤を形づくっている。

大塚商会の沿革1961〜2023年における主な出来事を抜粋

年月社長・CEO出来事重要度
大塚商会を創業
法人組織に改め、大塚商会を設立
大阪支店を開設
電算機事業に参入★★
自社開発の業務用パッケージソフト「SMILE」販売開始★★
パソコン・ワープロ専用機の販売開始★★
OAセンターの地区展開・教育ビジネスを開始
CADシステム事業に参入
大塚システムエンジニアリングを設立
ネットワーク事業に参入★★
たよれーる保守サービス開始★★
経営刷新構想「大戦略」の策定と、支店ごとに分かれていた顧客情報の全社一元化人海戦術で伸びてきた商社は、売上高と社員数の連動をどこで断ち切ったか 詳細を読む★★★
商用インターネット接続サービスα-Web開始
震旦大塚股份有限公司を設立
会員制通信販売「たのメール」販売開始★★
東京証券取引所市場第一部に株式上場
大塚インターネットデータセンター開設
大塚裕司創業者・大塚實から長男・大塚裕司への社長交代と、データで判断する営業への移行40年の創業社長を継いだ2代目は、勘と足で稼ぐ営業をどう組み替えようとしたか 詳細を読む★★★
大塚裕司大塚實氏が会長に就任
大塚裕司サービス&サポート事業をたのめーると たよれーるの2大ブランドに集約
大塚裕司OSK とアルファシステムを合併
大塚裕司DX 推進委員会を設置
大塚裕司DX 認定取得事業者として認定取得
大塚裕司東京証券取引所プライム市場に移行
大塚裕司中・長期経営方針を発表
出典・参考
  • 有価証券報告書
  • 日経ビジネス 1989年12月4日号(543号)
  • 日経ビジネス 1993年7月26日号(700号)
  • 日経ビジネス 1978年7月17日号(218号)

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