1969年〜 大阪発の独立系SIerが金融ITに食い込んだ40年
NSDの業績推移:単体
- 1969年 日本システムディベロップメントとして設立
- 1970年 営業所を開設
- 1977年 営業所を開設
- 1984年 営業所を開設
- 1988年 大阪証券取引所市場第二部に上場
- 1998年 大阪証券取引所市場第一部銘柄に指定
- 2001年 地域計算センター・福島総合計算センター(現・FSK)の子会社化と運用受託部門の分社 「純粋なソフト開発」を掲げてきた独立系SIerは、なぜ時間貸しを退けた計算センターを買ったか
メーカー系でも金融系でもない出自としての日本システムディベロップメント
1969年4月、大阪市東区(現中央区)に株式会社日本[1]システムディベロップメントが設立された。1969年は富士通・日立・NEC等のコンピュータメーカーがメインフレーム機の販売を急拡大していた時期で、メーカーの子会社(メーカー系SIer)や銀行・証券の電算子会社(金融系SIer)が国内ソフトウェア業界の主流を形成しつつあった。日本システムディベロップメントは特定のメーカーやユーザー企業の系列に属さない独立系企業として大阪で発足し[2]、設立時はソフトウエア開発・コンピュータ室運営管理・データエントリー業務を手がけた。[3]出資元の系列に縛られない中立さが営業上の差別化となる構造で、後に関西の金融機関・産業企業のシステム開発で実績を積み上げた。
- NSD 有価証券報告書【沿革】
- [1]1969年4月、大阪市東区(現・中央区)に株式会社日本システムディベロップメント設立
- [2]独立系(メーカー系・金融系の系列に属さない)企業として大阪で発足
- [3]設立時事業=ソフトウエア開発・コンピュータ室運営管理・データエントリー業務
設立翌年の1970年4月には早くも東京営業所を[4]、1977年8月に名古屋[5]、1984年2月に福岡へと営業所を設置し[6]、大阪本社のまま全国営業網を整備した。同社が拠点を順次広げた1970年代から1980年代前半は、金融機関の第二次オンライン(営業店業務のオンライン化)と第三次オンライン(情報系の充実)が連続して進んだ時期で、銀行・証券・保険のシステム投資が継続的に拡大していた。受託案件の規模と本数が急増するなかで、関西を超えて関東・中部・九州の金融機関と直接取引するために、各地に営業拠点を構える必要が出てきた。大阪発でありながら東京の金融機関とも対等に取引する体制は、この時期の拠点展開でほぼ完成した。
- NSD 有価証券報告書【沿革】
- [4]1970年4月 東京営業所設置
- [5]1977年8月 名古屋営業所設置
- [6]1984年2月 福岡営業所設置
1988年11月、大阪証券取引所市場第二部に株式を上場[7]した。設立から19年での上場で[8]、ソフトウェア業界が独立した産業として認知される時期と重なる。バブル期の金融機関のシステム投資が拡大するなかで、独立系SIerとしての日本システムディベロップメントは、メーカー系のように特定機種に縛られず、ユーザー系のように親会社の業務に閉じない柔軟性を武器に受注を伸ばした。1998年9月に大証第一部へ指定替え[9]、翌1999年11月には東京証券取引所市場第一部にも上場した。[10]本社を大阪に置いたまま、二大市場の第一部上場会社という体裁を1990年代末までに整えた。
- NSD 有価証券報告書【沿革】
- [7]1988年11月 大阪証券取引所市場第二部に上場
- [8]設立(1969)から上場(1988)まで19年
- [9]1998年9月 大証第一部へ指定替え
- [10]1999年11月 東京証券取引所市場第一部に上場
- NSD 有価証券報告書【沿革】
- [1]1969年4月、大阪市東区(現・中央区)に株式会社日本システムディベロップメント設立
- [2]独立系(メーカー系・金融系の系列に属さない)企業として大阪で発足
- [3]設立時事業=ソフトウエア開発・コンピュータ室運営管理・データエントリー業務
- [4]1970年4月 東京営業所設置
- [5]1977年8月 名古屋営業所設置
- [6]1984年2月 福岡営業所設置
- [7]1988年11月 大阪証券取引所市場第二部に上場
- [8]設立(1969)から上場(1988)まで19年
- [9]1998年9月 大証第一部へ指定替え
- [10]1999年11月 東京証券取引所市場第一部に上場
2001年FSK子会社化と「冲中塾」── 元請け化と人材投資へのシフト
2001年5月、システムインテグレーションとアウトソーシングを手がける株式会社FSKを子会社化した[11]。日本システムディベロップメントは創業以来、顧客企業ごとの受託開発(カスタムSI)を主力とした会社だったが、FSKの子会社化で運用保守やアウトソーシングのストック型収益を抱えるグループ会社を初めて持った。受託開発は案件単位で売上が動く一過性収入が中心の構造で、月次の運用契約を積み上げるFSKの収益基盤は、グループ全体の収益安定化に効く性格を持っていた。グループ連結という観点で、単体の受託SI会社から複数事業会社を束ねる体制への転換が、ここで始まった。
- NSD 有価証券報告書【沿革】
- [11]2001年5月 株式会社FSKを子会社化
2006年に新日鉄系IT出身の冲中一郎が社長に就任し[12]、顧客の社内で同社が下請けに甘んじず元請けとして直接受注できるよう、営業の自立化を社内に求めた。具体策の一つが、幹部候補生を集めた研修プログラム「冲中塾」で、社長自らが講師を務めて経営判断と顧客折衝の実践を伝える場として運用された。[13]受託SI業界の中堅・中小企業は大手SIerやメーカーの2次・3次下請けに位置し、利益率も人材への還元も限定的だった。直接受注比率(元請け率)を上げ、人材育成に経営資源を集中する方針は、後年のNSDの利益率の高さ(営業利益率15%超)を支える経営文化の土台となった。元請け化と人材投資の両輪は、冲中が2009年に会長へ退くまでの約3年の社長在任期間に基本骨格が固まった。[14]
- NSD 有価証券報告書【役員の状況】
- [12]2006年 冲中一郎が新日鉄系IT出身として社長就任(外部招聘)
- [14]冲中の社長在任は2006年就任〜2009年会長就任の約3年
- [13]幹部候補研修プログラム『冲中塾』を社長自ら講師として運用
2007年8月には、既存子会社を株式会社シェアホルダーズ・リレーションサービスへ改称し、上場企業向けの株主優待・IR支援サービスへ展開[15]した。SI本業から派生する形で、受託開発を入り口に顧客の社内システムを運用するアウトソーシング型サービスへ事業領域を広げる構造が、この時期に芽生えた。FSK買収から始まったグループ化とサービス事業の拡張は、日本システムディベロップメントを「カスタム受託開発の単体会社」から「IT サービスを束ねるグループ持株型企業」へと作り変える土台に当たる。この間に本社機能の東京一元化も進み、全国の上場会社向けにサービスを供給する立場へと事業の輪郭は拡がった。
- NSD 有価証券報告書【沿革】
- [15]2007年8月 既存子会社を株式会社シェアホルダーズ・リレーションサービスへ改称し株主優待・IR支援サービスへ展開
- NSD 有価証券報告書【沿革】
- [11]2001年5月 株式会社FSKを子会社化
- [15]2007年8月 既存子会社を株式会社シェアホルダーズ・リレーションサービスへ改称し株主優待・IR支援サービスへ展開
- NSD 有価証券報告書【役員の状況】
- [12]2006年 冲中一郎が新日鉄系IT出身として社長就任(外部招聘)
- [14]冲中の社長在任は2006年就任〜2009年会長就任の約3年
- [13]幹部候補研修プログラム『冲中塾』を社長自ら講師として運用
金融ITが収益主柱に育つまでの経路
1990年代から2000年代を通じて、日本システムディベロップメントの売上構成のなかで存在感を高めたのが金融機関向けシステムだった。みずほ・三井住友・三菱UFJの3メガバンク発足(1999〜2005年)と地方銀行の勘定系刷新が連続したこの時期、銀行・証券・保険の基幹系・情報系システムは数百億円規模のリプレース案件が連発し、独立系SIerにとっても元請け案件の獲得余地が広がった。同社は1970年代から関西の金融機関と取引を積み重ねており、業務知識と技術者の蓄積を武器に、メガバンク統合に伴うシステム統合案件や、地銀の情報系システム刷新案件で受注を伸ばした。同業の独立系SIerが汎用受託開発で人月工数を売る構造を続けるなかで、金融業務知識を深めた技術者を抱える独立系として、利益率の高い案件を選別する位置取りを固めた。
2000年代を通じて、金融機関向けシステムは産業系・公共系・通信系と並ぶ収益の柱の一つへと育った。金融案件の特徴は、開発フェーズの後に長期の運用保守契約が続く構造で、一度受注した顧客との取引が10年単位で続く性格を持つ。受託開発で完了する案件と異なり、保守運用が積み上がる金融IT案件は、同社の収益の下支えに効いた。同業者が個社の業務に依存する単発受注に追われるなかで、金融機関の業務深耕で長期顧客を抱え込む構造を作った点が、後年に「金融IT首位の独立系SIer」を自称できる位置取りの基盤となった。
この時期に並行して進んだのは、データセンター運用やプライバシーマーク(2002年10月取得)[16]等の品質基盤の整備である。金融機関は預金者の個人情報や取引データを扱うため、システム開発の品質と情報管理体制が取引選別の前提条件となる。プライバシーマーク取得や品質マネジメントの社内整備は、金融機関向け受注の入札参加資格を満たすための実務投資であり、同時に他業界の顧客に対する信頼性の証明としても役割を果たした。金融機関を入口として、その後の事業拡大に転用できる品質基盤を2000年代に整えた点は、2010年代以降の事業多角化の前提条件となる重要な準備期間だった。
- NSD 有価証券報告書【沿革】
- [16]プライバシーマークを2002年10月に取得
- NSD 有価証券報告書【沿革】
- [16]プライバシーマークを2002年10月に取得