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歴史概要 — 現在に至るあゆみ 主要な意思決定と帰結のまとめ

創業地東京都
創業年1983
上場年2007
創業者逸見愛親
現代表-
従業員数5,252

専属下請け・発注元依存の出自ニッチ・大手の手薄を突く知恵・設計を売る軽量モデル1983年3月、大手電機メーカーの下請けが支配的だったソフトウェア産業の黎明期に、逸見愛親氏が東京でヘンミエンジニアリングを設立した。汎用の開発を幅広く請け負うのでなく、組込み・通信という狭い領域に絞って技術者を育てた。1996年からは携帯電話のソフトウェア開発へ入り、通信規格が2Gから3Gへ世代交代するたびに端末ソフトを作り直す受託をキャリアと端末メーカーに納めた。

大型M&A・経営統合多角化・事業拡張事業構造を変えたのは2010年4月のカテナ合併である。組込み・通信に強い旧システムプロへエンタープライズSIの顧客基盤が重なり、決算期統一後のFY10期売上は前期比およそ10倍に膨らんだ。同年7月に株式会社システナへ社名を改め、専門会社から総合プレーヤーへ転じた。これと対をなすのが2002年の上場時に掲げた配当性向40%の約束で、絶対額でなく利益への比率で置いたため、利益が桁違いに動いても20年連続の非減配を守れた。

2010年:システナの発足経緯 組込み・通信SI特化の旧システムプロとエンタープライズSI大手カテナが合流し発足
1967 1983 1984 1985 1991 2002 2010 2026 ヘンミエンジニアリング 1983年設立 システムプロ 1984年改称 システムプロ 2002年NASDAQ上場 カテナビジネスサービス 1967年設立 カテナ 1985年改称 カテナ 1991年東証二部上場 システナ 2010年合併・改称 受託キーパンチ事業 組込み・通信SIに特化 合併で一時シスプロカテナ3か月後にシステナへ改称
2010年:システナの発足経緯 組込み・通信SI特化の旧システムプロとエンタープライズSI大手カテナが合流し発足
1967 1983 1984 1985 1991 2002 2010 2026 ヘンミエンジニアリング 1983年設立 システムプロ 1984年改称 システムプロ 2002年NASDAQ上場 カテナビジネスサービス 1967年設立 カテナ 1985年改称 カテナ 1991年東証二部上場 システナ 2010年合併・改称 受託キーパンチ事業 組込み・通信SIに特化 合併で一時シスプロカテナ3か月後にシステナへ改称
システナ:売上高の内訳と営業利益率(PL 分解 × 営業利益率)
営業利益(億円)販管費(億円)売上原価(億円)営業利益率(%)
システナ:投資CF(M&A・設備投資ほか/事業施策と紐付き)
投資CF(億円)

API for AI Agents — 静的アセットのJSONで取得可能。API実行の認証不要

Method Path 概要 システナ(証券コード2317)のURL API仕様書
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歴史詳細 - 3つの時代区分で読み解く

1983年〜2001年 ヘンミエンジニアリング創業と通信系ソフトウェア開発への特化

売上高と利益率の推移
売上高(億円

逸見愛親氏の独立とヘンミエンジニアリング創業

システナの源流は、創業者・逸見愛親氏の独立にさかのぼる[2]。逸見氏は1979年に大学を卒業してコンピュータ・ソフトウェア会社へ就職したが、本来は貿易会社に入りバイヤーになることを志していた[1]。オイルショック後の不況で就職口が限られ、やむなく入った会社だった。その勤め先も、技術者を名古屋などの取引先へ次々に出向させる人材派遣に近い実態で、逸見氏は2年で退社した[3]。在職中から、普及し始めたマイクロコンピュータ(マイコン)に強く引かれていた。「ジェット機は一人で整備できませんが、セスナならできる。それと同じことが大型コンピュータとマイコンにも言えます」——大型機の世界ではなく、一人でも扱えるマイコンのソフト開発に、逸見氏は自らの活路を見ていた。

退職前から少しずつマイコンソフトの仕事を個人で受注し、逸見氏は24歳でフリーのプログラマーとして独立した[4]。すでに結婚していたが不安はなく、「紙と鉛筆さえあればできる仕事」と本人が語るほど身軽な出発で、設計だけを自宅で行い、実装は顧客先へ出張してこなした。1年ほどして夫人の弟と二人で組み、取引先から振込口座の開設には法人格が要ると求められたのを機に、1983年3月、横浜・上大岡にある義弟のアパートにヘンミエンジニアリング株式会社を設立した[5]。資本金は200万円、机を二つ置いただけの事務所だった[6]。半年ほどで横浜駅近くのワンルームマンションへ移り、1984年2月には「コンピュータシステムのプロフェッショナル」を意味する株式会社システムプロへ商号を改めた[7]

創業当時の日本のソフトウェア産業は、NEC・富士通・日立といったメインフレームベンダの下請け構造が支配的で、その周辺に専門領域へ特化した小規模な技術者集団が次々に生まれていた。世はオイルショック後の不況下にあったが、省力化・人減らしを背景に工業用ロボットなどの自動化が進み、組込み・通信のマイコンソフトはむしろ仕事に事欠かなかった。システムプロにも、営業をまったくしなくても注文が集まった。人手不足のソフト業界にあって、逸見氏は舞い込む受注の七割を断りながら、引き受ける仕事を自ら選べる立場にいた。

小人数経営と自社製品「雀ネット」の開発

受注が殺到するなかで、逸見氏は会社の進路をめぐる選択を迫られた。社員を増やして舞い込む仕事をこなし規模を追えば会社は拡大できるが、それでは技術者を出向させるだけの前職と変わらなくなる。逸見氏は社員を増やさず、外注スタッフと二人で「やりたい仕事だけ」を選ぶ小人数経営をとった。ただし目標まで小さくしたわけではなく、「三十歳になるまでに、自分のやり方で売上げ一億円を達成してみせる」と掲げていた。「今日は波がいいからサーフィンに行く」と急に休む外注に泣かされながら受託で稼ぐ一方、逸見氏は「大衆に認知されるソフト」を自社で生み出すことへ資源を振り向けた。

最初に手がけた自社製品は、小学生向けの算数ドリルだった。計算の反復練習をコンピュータで行うソフトで、完成させて新聞発表まで漕ぎ着けながら、事情があって発売には届かなかった。続いて1987年、システムプロは電話回線を介して対戦できるオンライン麻雀「雀ネット」を発表した(同社の公式沿革は、日本初の対戦型オンラインゲームの開発を1988年と記している)[8][9]。対戦を望む会員が四人そろえば自宅にいながらすぐ対局でき、人数が足りなければホストコンピュータが一人分を代わって打つ。パソコン通信の草創期にあって、雀ネットはコンピュータ通信で参加できる麻雀ゲームとして注目を集めた。

開発の最大の難所は、通信に明治時代の発明である電話線を使う点にあった。音声さえ伝わればよい電話回線は精度が低く、対局の途中で回線が途切れたり混線したりすれば、その後の勝負が続かない。キャッチホンにしていれば、外からの着信信号まで割り込んでくる。四人で囲む麻雀でこれらを乗り越えるため、システムプロは対局者の一人が脱落してもコンピュータが代わって入り、ゲームを止めずに続けられる仕組みを実装した。途切れやすい回線の上でリアルタイム処理を成立させる技術陣という同社の輪郭は、受託だけでなくこうした自社製品の開発を通じて形づくられていった。

拡大路線への転換と携帯電話ソフト・上場準備

小人数の理想で会社を率いた逸見氏も、30歳を二年過ぎた時点で方針を改めた。売上げは目標の一億円に遠く及ばない3,500万円で、成長はしていても理想とは距離があった[10]。逸見氏はスタッフを増やす拡大路線へ転じ、資本金1,000万円・売上げ1億円に届くまでは規模の拡大を優先すると決めた[11]。結果は早く訪れ、1991年度の売上げは1億3,500万円と、五年で五倍以上に伸びた[12]。受託で得た余裕を自社開発部門の人員と資金へ振り向ける余力に変え、ISDNが家庭へ普及した先の通信式ゲームを見据えた技術投資の素地を整えていった。

1990年代に入ると、システムプロは雀ネットなどで培った通信技術を移動体分野へ広げた。まずPHS向けソフトウェアで実績を積み、1996年には携帯電話のソフトウェア開発へ参入した[13]。NTTドコモ・KDDI・ジェイフォン(後のソフトバンク)などのキャリアと端末メーカーが市場を主導し、2G・3Gと世代が変わるたびに端末ソフトを丸ごと作り直す需要が生まれていた。技術者集団のシステムプロはこの世代交代ごとの再開発案件を重ね、社内には移動体通信のコア技術が蓄積された。四半世紀後に次世代モビリティ事業へ転用される技術基盤は、この時期に形づくられた。

1997年6月、システムプロは本社を東京都内へ移し、エンジニア組織の拡大に合わせて体制を整えた[14]。1990年代後半のソフトウェア業界はITバブル前夜の人月単価上昇のなかにあり、とりわけ組込み・通信領域では人材不足が慢性化していた。同社は汎用のシステムインテグレータをめざすのではなく、移動体通信に特化した技術者集団を組織的に育てる道を選んだ。これが「ITにまつわるほとんど全てのサービスをワンストップで提供」する後年の事業像の、最初の形でもあった。2000年9月の社内体制再編、2001年2月の経営体制整備を経て上場準備を進め、技術系成長企業の主要な上場の場だったナスダックジャパンへ、2002年8月に株式を上場した[15][16][17]。これがシステナの株式市場での出発点である。

2002年〜2015年 上場と東証移行、社名変更で固めた中堅IT企業の輪郭

売上高と利益率の推移
売上高(億円

ナスダック上場から東証一部昇格へ

2002年8月、システムプロ(当時)はナスダックジャパンに株式を上場した。創業から19年で法人としての体裁を公開企業として整え、エンジニアの新規採用と研究開発投資の両方で資金調達手段を持つ立場に立った[18]。ナスダックジャパン市場は上場銘柄数の伸び悩みから2005年に大証ヘラクレスへの統合が決まる流れにあり、同社はより流動性の高い市場への移行を選択した。2004年11月に東証二部上場、翌2005年10月に東証一部へ昇格する2段階の移行を1年で完了し、IT中堅として東証一部の上場銘柄となった[19][20]

上場直後の2002〜2008年は、携帯電話の2G→3G移行期と重なり、端末ソフトウェアの再開発案件が業界全体で多発した時期である。同社は2002〜2008年の世代交代期に売上を年率2桁で拡大させ、FY03期売上24.6億円から、FY06期売上59.2億円・FY07期売上79.3億円・FY08期売上96.0億円と急成長軌道に乗った[21]。リーマンショック直後のFY09期に売上36.4億円と一時減速したが、これは決算期変更による短期決算の影響で、決算期統一後のFY10期売上391.8億円は前期比約10倍規模に拡大している[22][23]

この急成長を牽引したのは、特定の携帯端末メーカーとキャリア向けソフトウェア開発だった。有価証券報告書の主要販売先には、総販売実績の10%以上を占める相手先が毎期2社前後並んでいる。第23期(2005年10月期)は日本電気が13.2%、ボーダフォンが11.7%を占め、続く時期はau端末を扱う株式会社KDDIテクノロジー(第25期17.3%)と、シャープ系のシャープビジネスコンピュータソフトウェア株式会社が上位に並んだ[24][25]。とりわけ後者への集中は深く、第26期22.6%・第27期23.7%・変則5か月決算の第28期27.5%と、売上の四分の一前後を1社に頼る状態が続いた[26]。携帯電話ソフト開発に偏った顧客構成は、2010年のカテナ合併で初めて崩れ、第29期(2011年3月期)には10%以上を占める相手先が一社も無くなった[27]

2010年カテナ合併と「システナ」への社名変更

2010年4月、同社はカテナ株式会社を合併した[28]。カテナはシステムインテグレータ大手の一角を担っていた企業で、合併によってシステムプロ社の組込み・通信領域の強みに、カテナのエンタープライズSI領域の強みが加わる構造になった。この合併は同社にとって最大級の組織再編で、技術者数・売上規模・取引顧客基盤を一挙に拡大する転換点となった。合併期日の同年4月1日には会社名を一旦「シスプロカテナ株式会社」へ改めたうえで、3か月後の7月に株式会社システナへ再度社名変更し、組込み・通信系の専門会社から、ITソリューションの総合プレーヤーへとブランドを刷新した[29]

合併後の同社は、ITサービス事業・ソリューション営業・ソリューションデザイン事業・フレームワークデザイン事業・クラウド事業・コンシューマサービス事業・海外事業の6〜7事業セグメントを束ねる構造へと整理された。FY14期の事業別売上では、ソリューション営業が約151億円で最大、ソリューションデザイン事業が117億円、ITサービス事業が50億円、フレームワークデザイン事業が42億円という構成で、エンタープライズ向けSI(旧カテナ系)と通信・組込み開発(旧システムプロ系)の二大領域に、クラウド・コンシューマサービス等の新規領域を加える形が出来上がった[30]

配当性向40%約束の継承と20年連続非減配

ナスダック上場時に創業者の逸見愛親氏は、配当性向40%を株主との約束として掲げた[31]。この約束は2010年代の事業拡大期も2010年代後半の利益急伸期も維持され、20年連続非減配という株主還元実績を築いた[32]。上場時の創業者の約束を、合併・社名変更・社長交代を経ても守り続けた点は、IT中堅企業の中でも例外的に保守的・株主重視の経営文化として評価された。

配当性向40%という制度的制約は、利益剰余金の社内留保によるM&A余地を狭める一方で、株主にとっての予見可能性を高め、長期保有株主の層を厚くする効果を生んだ。逸見愛親氏が絶対額ではなく利益に対する性向(比率)で約束を置いたことは、業態転換のたびに利益水準が10倍規模で動いた40年間を通じて、20年連続非減配を維持できた理由の一つでもある。

2016年〜2026年 三浦在任中のモビリティ事業躍進と利益率35%

売上高と利益率の推移
売上高(億円

2016年三浦賢治社長就任と経営資源の再配置

2016年3月、創業者の逸見愛親氏は会長に退き、三浦賢治氏が代表取締役社長に就任した(三浦氏は2009年1月〜2010年4月にも一時社長を務めた経験あり)[33][34]。三浦体制の中心戦略は経営資源の再配置で、6セグメントの中から成長余地の大きい領域に資源を重点配分する方針が打ち出された。三浦社長は後年、さらに伸びる技術・マーケットは何なのかを念頭に、3〜5年を見据えた投資を実行中と述べており、長期視点での選択と集中が経営の中心軸に置かれた。

業績は拡大した。FY15期売上426.9億円、FY18期売上597.4億円、FY19期売上645.5億円と、年商600億円台に到達した[35]。FY19期の営業利益は81.6億円で営業利益率は12.6%と、人月単価依存型のSI業界としては高い水準を維持した[36]。コロナ禍のFY20期はリモートワーク需要対応で売上608.7億円・営業利益80.0億円とほぼ横ばいで踏みとどまり、FY21期売上652.7億円・営業利益91.0億円、FY22期売上745.2億円・営業利益98.4億円とコロナ後の需要回復を捉えた[37]

次世代モビリティ事業の高利益率化と4領域ワンストップ提供

2020年代の同社の戦略的中心テーマは、自動車業界のCASE(コネクティッド・自動化・シェアリング・電動化)への対応である。三浦社長は自動車業界が100年に一度の変革期を迎えており、CASEのほとんどにソフトウェア提供が必要と指摘し、移動体通信で培ったコアテクノロジーを応用することで、完成車メーカーやTier1サプライヤとの直接取引を実現していると技術的優位性を強調した。一般のIT企業がCASE4領域を網羅的にカバーするのは困難で、ワンストップで提供できるプレーヤーとなると限られている状況が、同社の競争優位の根拠である。

FY24期(2025年3月期)には、売上836.2億円、営業利益120.7億円(営業利益率14.4%)、当期純利益84.8億円と、過去最高益を更新した[38]。次世代モビリティ事業に限ると2025年第3四半期時点で売上35億円・営業利益12億円・利益率35%を達成し、前年同期比200%以上の増益という高い成長率を記録した[39]。フレームワークデザイン事業も利益率22%と高水準を維持し、金融26%・公共29%・法人26%という多業種ポートフォリオで安定収益を確保している[40]

配当性向40%と20年連続非減配の遺産

三浦在任中でも、創業者・逸見愛親会長が掲げた配当性向40%の株主との約束は堅持されている。20年連続非減配という記録は2025年時点で更新中で、機関投資家・個人投資家双方からの長期保有支持の基盤を成す[41]。三浦社長は配当性向が高い一方、人への投資を重視と述べ、従業員向けの環境整備、M&A検討、自社株買い実施など複合的にキャッシュを配分しているとキャッシュ運用の方針を示した。

直近のM&A検討と自社株買いの並行実施は、利益剰余金の制度的制約のなかで成長機会を取りに行く三浦体制の独自の打ち手である。同社は1983年の創業以来、特定の技術領域(組込み・通信)に絞って技術者集団を育てる「専門特化型」のソフトウェア会社として歩んできた[42]。2010年のカテナ合併で総合プレーヤーへの転換を経たうえで、2020年代にはCASE領域という新たな専門特化テーマで再び差別化を打ち出している。3〜5年を見据えた投資を実行中という三浦社長の言葉が示すとおり、次の経営課題は次世代モビリティ事業の成長持続と、フレームワークデザイン以外の周辺事業(IT・クラウド・コンシューマサービス)の再活性化である。創業者の配当性向40%約束を守りながら、新領域への投資余力をどう確保するかが、創業期から続く同社経営の中心的な論点となる。

出典

『小さな会社はニュービジネスで儲けろ』(集団トプラ編、エール出版社、1992年刊) 1992年11月
かぶリッジ(ブリッジサロン) 2025年05月12日 https://kabu.bridge-salon.jp/interview-2317/
かぶリッジ 2025年05月12日