1983年〜 ヘンミエンジニアリング創業と通信系ソフトウェア開発への特化
- 1983年 ヘンミエンジニアリングを設立
- 1984年 システムプロに商号変更
- 1988年 対戦型オンラインゲーム「麻雀クラブ」を開発
- 1990年 パソコン、ワークステーションの業務用アプリケーションソフト受託開発を開始
- 1996年 移動体通信端末ソフトの受託開発を開始
- 1997年 インターネット上のオンラインゲームサイトを構築
- 1997年 オンラインゲームのサービスを開始
逸見愛親氏の独立とヘンミエンジニアリング創業
システナの源流は、創業者・逸見愛親氏の独立にさかのぼる。逸見氏は1979年に大学を卒業してコンピュータ・ソフトウェア会社へ就職したが、本来は貿易会社に入りバイヤーになることを志していた。オイルショック後の不況で就職口が限られ、やむなく入った会社だった。その勤め先も、技術者を名古屋などの取引先へ次々に出向させる人材派遣に近い実態で、逸見氏は2年で退社した。在職中から、普及し始めたマイクロコンピュータ(マイコン)に強く引かれていた。「ジェット機は一人で整備できませんが、セスナならできる。それと同じことが大型コンピュータとマイコンにも言えます」——大型機の世界ではなく、一人でも扱えるマイコンのソフト開発に、逸見氏は自らの活路を見ていた。 [1][2][3]
- 『小さな会社はニュービジネスで儲けろ』(集団トプラ編, エール出版社, 1992年)
- [1]逸見愛親氏は1979年に大学を卒業しコンピュータ・ソフトウェア会社へ就職した
- [3]最初の勤め先で技術者を名古屋などの取引先へ出向させ逸見氏は約2年で退社した
- システナ 有価証券報告書【沿革】
- [2]創業者は逸見愛親氏である
退職前から少しずつマイコンソフトの仕事を個人で受注し、逸見氏は24歳でフリーのプログラマーとして独立した。すでに結婚していたが不安はなく、「紙と鉛筆さえあればできる仕事」と本人が語るほど身軽な出発で、設計だけを自宅で行い、実装は顧客先へ出張してこなした。1年ほどして夫人の弟と二人で組み、取引先から振込口座の開設には法人格が要ると求められたのを機に、1983年3月、横浜・上大岡にある義弟のアパートにヘンミエンジニアリング株式会社を設立した。資本金は200万円、机を二つ置いただけの事務所だった。半年ほどで横浜駅近くのワンルームマンションへ移り、1984年2月には「コンピュータシステムのプロフェッショナル」を意味する株式会社システムプロへ商号を改めた。 [4][5][6][7]
- 『小さな会社はニュービジネスで儲けろ』(集団トプラ編, エール出版社, 1992年)
- [4]逸見氏は24歳でフリーのプログラマーとして独立した
- [6]設立時の資本金は200万円だった
- システナ 有価証券報告書【沿革】
- [5]1983年3月に横浜・上大岡(義弟のアパート)でヘンミエンジニアリング株式会社を設立した
- システナ公式 沿革ページ
- [7]1984年2月に株式会社システムプロへ商号変更した
創業当時の日本のソフトウェア産業は、NEC・富士通・日立といったメインフレームベンダの下請け構造が支配的で、その周辺に専門領域へ特化した小規模な技術者集団が次々に生まれていた。世はオイルショック後の不況下にあったが、省力化・人減らしを背景に工業用ロボットなどの自動化が進み、組込み・通信のマイコンソフトはむしろ仕事に事欠かなかった。システムプロにも、営業をまったくしなくても注文が集まった。人手不足のソフト業界にあって、逸見氏は舞い込む受注の7割を断りながら、引き受ける仕事を自ら選べる立場にいた。
- 『小さな会社はニュービジネスで儲けろ』(集団トプラ編, エール出版社, 1992年)
- [1]逸見愛親氏は1979年に大学を卒業しコンピュータ・ソフトウェア会社へ就職した
- [3]最初の勤め先で技術者を名古屋などの取引先へ出向させ逸見氏は約2年で退社した
- [4]逸見氏は24歳でフリーのプログラマーとして独立した
- [6]設立時の資本金は200万円だった
- システナ 有価証券報告書【沿革】
- [2]創業者は逸見愛親氏である
- [5]1983年3月に横浜・上大岡(義弟のアパート)でヘンミエンジニアリング株式会社を設立した
- システナ公式 沿革ページ
- [7]1984年2月に株式会社システムプロへ商号変更した
小人数経営と自社製品「雀ネット」の開発
受注が殺到するなかで、逸見氏は会社の進路をめぐる選択を迫られた。社員を増やして舞い込む仕事をこなし規模を追えば会社は拡大できるが、それでは技術者を出向させるだけの前職と変わらなくなる。逸見氏は社員を増やさず、外注スタッフと二人で「やりたい仕事だけ」を選ぶ小人数経営をとった。ただし目標まで小さくしたわけではなく、「三十歳になるまでに、自分のやり方で売上げ1億円を達成してみせる」と掲げていた。「今日は波がいいからサーフィンに行く」と急に休む外注に泣かされながら受託で稼ぐ一方、逸見氏は「大衆に認知されるソフト」を自社で生み出すことへ資源を振り向けた。
最初に手がけた自社製品は、小学生向けの算数ドリルだった。計算の反復練習をコンピュータで行うソフトで、完成させて新聞発表まで漕ぎ着けながら、事情があって発売には届かなかった。続いて1987年、システムプロは電話回線を介して対戦できるオンライン麻雀「雀ネット」を発表した(同社の公式沿革は、日本初の対戦型オンラインゲームの開発を1988年と記している)。対戦を望む会員が四人そろえば自宅にいながらすぐ対局でき、人数が足りなければホストコンピュータが一人分を代わって打つ。パソコン通信の草創期にあって、雀ネットはコンピュータ通信で参加できる麻雀ゲームとして注目を集めた。 [8][9]
- 『小さな会社はニュービジネスで儲けろ』(集団トプラ編, エール出版社, 1992年)
- [8]1987年にシステムプロがオンライン麻雀「雀ネット」を発表した
- システナ公式 沿革ページ
- [9]公式沿革は日本初の対戦型オンラインゲーム開発を1988年と記している
開発の最大の難所は、通信に明治時代の発明である電話線を使う点にあった。音声さえ伝わればよい電話回線は精度が低く、対局の途中で回線が途切れたり混線したりすれば、その後の勝負が続かない。キャッチホンにしていれば、外からの着信信号まで割り込んでくる。四人で囲む麻雀でこれらを乗り越えるため、システムプロは対局者の一人が脱落してもコンピュータが代わって入り、ゲームを止めずに続けられる仕組みを実装した。途切れやすい回線の上でリアルタイム処理を成立させる技術陣という同社の輪郭は、受託だけでなくこうした自社製品の開発を通じて形づくられた。
- 『小さな会社はニュービジネスで儲けろ』(集団トプラ編, エール出版社, 1992年)
- [8]1987年にシステムプロがオンライン麻雀「雀ネット」を発表した
- システナ公式 沿革ページ
- [9]公式沿革は日本初の対戦型オンラインゲーム開発を1988年と記している
拡大路線への転換と携帯電話ソフト・上場準備
小人数の理想で会社を率いた逸見氏も、30歳を二年過ぎた時点で方針を改めた。売上げは目標の1億円に遠く及ばない3,500万円で、成長はしていても理想とは距離があった。逸見氏はスタッフを増やす拡大路線へ転じ、資本金1,000万円・売上げ1億円に届くまでは規模の拡大を優先すると決めた。結果は早く訪れ、1991年度の売上げは1億3,500万円と、五年で五倍以上に伸びた。受託で得た余裕を自社開発部門の人員と資金へ振り向ける余力に変え、ISDNが家庭へ普及した先の通信式ゲームを見据えた技術投資の素地を整えた。 [10][11][12]
- 『小さな会社はニュービジネスで儲けろ』(集団トプラ編, エール出版社, 1992年)
- [10]軌道修正期の売上は目標1億円に届かない3,500万円だった
- [11]資本金1,000万円・売上1億円に届くまで規模拡大を優先すると決めた
- [12]1991年度の売上は1億3,500万円で5年で5倍以上に伸びた
1990年代に入ると、システムプロは雀ネットなどで培った通信技術を移動体分野へ広げた。まずPHS向けソフトウェアで実績を積み、1996年には携帯電話のソフトウェア開発へ参入した。NTTドコモ・KDDI・ジェイフォン(後のソフトバンク)などのキャリアと端末メーカーが市場を主導し、2G・3Gと世代が変わるたびに端末ソフトを丸ごと作り直す需要が生まれていた。技術者集団のシステムプロはこの世代交代ごとの再開発案件を重ね、社内には移動体通信のコア技術が蓄積された。四半世紀後に次世代モビリティ事業へ転用される技術基盤は、この時期に形づくられた。 [13]
- システナ公式 沿革ページ
- [13]1996年に携帯電話のソフトウェア開発へ参入した
1997年11月、システムプロは本社を横浜市神奈川区新浦島町へ移し、エンジニア組織の拡大に合わせて体制を整えた。1990年代後半のソフトウェア業界はITバブル前夜の人月単価上昇のなかにあり、とりわけ組込み・通信領域では人材不足が慢性化していた。同社は汎用のシステムインテグレータをめざすのではなく、移動体通信に特化した技術者集団を組織的に育てる道を選んだ。これが「ITにまつわるほとんど全てのサービスをワンストップで提供」する後年の事業像の、最初の形でもあった。2000年9月の社内体制再編、2001年2月の経営体制整備を経て上場準備を進め、技術系成長企業の主要な上場の場だったナスダックジャパンへ、2002年8月に株式を上場した。これがシステナの株式市場での出発点である。 [14][15][16][17]
- システナ 有価証券報告書【沿革】
- [14]1997年11月にシステムプロは本社を横浜市神奈川区新浦島町へ移した
- [15]2000年9月に社内体制再編を行った
- [16]2001年2月に経営体制整備を行った
- [17]2002年8月にナスダックジャパンへ株式を上場した
- 『小さな会社はニュービジネスで儲けろ』(集団トプラ編, エール出版社, 1992年)
- [10]軌道修正期の売上は目標1億円に届かない3,500万円だった
- [11]資本金1,000万円・売上1億円に届くまで規模拡大を優先すると決めた
- [12]1991年度の売上は1億3,500万円で5年で5倍以上に伸びた
- システナ公式 沿革ページ
- [13]1996年に携帯電話のソフトウェア開発へ参入した
- システナ 有価証券報告書【沿革】
- [14]1997年11月にシステムプロは本社を横浜市神奈川区新浦島町へ移した
- [15]2000年9月に社内体制再編を行った
- [16]2001年2月に経営体制整備を行った
- [17]2002年8月にナスダックジャパンへ株式を上場した