終戦により陸軍から戻った飯塚毅は、地元の栃木県鹿沼にて「飯塚毅会計事務」を開設した。当初は顧問先の企業は少なかったが、空き時間で海外の会計事務所の状況を本を読んで調査するなど、業界の行く末を考えていた。1社目の顧客は、店の看板を見て依頼をしに来た木工所で、開業から1年が経過した1947年のことだった。
その後は徐々に顧客を獲得。書籍を通じて欧米の事例から学んだ、1ヶ月に1回顧問先の財務をチェックする「巡回監査」を導入するなど、その仕事ぶりが評価されて北関東地域で顧問先企業を拡大した。1965年には従業員10名を抱え、顧問先は150社に及んだという。
事業展開は北関東が中心ではあったものの、TKCの意思決定は「欧米の先進事例を参考にする」という点で一貫しており、地方の会計事務所としては異例であった。