創業1946年、終戦で陸軍から戻った飯塚毅が栃木県鹿沼で会計事務所を開いた。欧米の事例を独学し、顧問先を毎月訪ねて財務を点検する巡回監査を地方で導入する。1962年、国税当局が顧問先への脱税指導を問うて所員を逮捕、飯塚は争い1970年に無罪が確定した。同じ時期の米国視察で、銀行が会計事務所の業務に入り込む動きと電算化を目撃し、係争の最中の1966年、会計事務所の職域を守る計算センターを宇都宮に設けた。
決断計算受託は当初赤字が続き、処理能力を生かすには大量の顧問先が要った。飯塚毅は1971年、コンピュータで監査を行いたい会計事務所を集めてTKC全国会を結成し、税理士の集まりをそのまま顧客基盤に変えた。1987年の東証2部上場の際、2代目の飯塚真玄は「うちは多角化はしません」と公言する。資金を得ても異業種には出ず、会計事務所と地方公共団体の二事業に絞り、システム開発から印刷まで自前で抱える深耕に投資を集めた。
- 歴史詳細 3章・5,396字
メインコンテンツ。一次資料をベースに歴史を紐解く
- 沿革年表 43件
主要な出来事を重要度別に時系列で整理
- 長期業績 2005〜2025年(21カ年)
有価証券報告書などの公開データに基づく長期データ
- 直近の業績
業績推移と経営体制
- セグメント情報 2005〜2025年(21カ年)
各事業の売上・営業利益・利益率の推移
- 歴代社長
代表取締役社長・CEO の在任期間・経歴・在任中の施策
- 取締役一覧 2019〜2025年(7カ年)
取締役の構成バランスと社外独立性
- 大株主・株主構成 2005〜2024年(20カ年)
上位10名の入れ替わりと所有者区分7区分の推移
- 組織と給料 2005〜2025年(21カ年)
連結/単体の年次変化と業界他社の平均給与比較
決断の理由 — クリティカルな歴史の転換点を読み解く
- Q なぜ飯塚毅氏は、自らが裁かれる飯塚事件の係争中だった1966年に計算センターを設けたのか
- A 銀行など金融機関が会計事務所の仕事へ入り込めば、税理士は職を失いかねない。飯塚毅氏は、自らへの脱税指導の嫌疑と争う最中にこの危機を見据え、会計事務所が共同で使える計算受託の場を自前で囲い込むことを急いだ。1962年の米国視察で電算化と金融機関の参入を目撃し、無罪確定前の1966年10月、宇都宮市に株式会社栃木県計算センター(後のTKC)を設立した。定款は「会計事務所の職域防衛と運命打開」を第1の目的に掲げ、当局と争いながら同時に職域を守る器を築いた行動である。
- Q なぜTKCは、計算受託が赤字続きだった1971年に税理士の任意団体「TKC全国会」をつくったのか
- A コンピュータは固定費が重く、処理能力を埋めるには会計事務所をまとめて顧客に変える必要があった。1分1,000円の計算利用料に1社あたり36分を要し起業初期の赤字が累積したため、飯塚毅氏は1971年、コンピュータで監査を行いたい会計事務所を集めて非営利団体「TKC全国会」を結成し、税理士の集まりをそのまま需要の束へ変えた。1987年の東証2部上場でも2代目の飯塚真玄氏は「うちは多角化はしません」と宣言し、得た資金を異業種ではなく会計事務所事業と地方公共団体事業の二本柱の深耕へ振り向けた。会員という顧客基盤を抱えたことが、専門特化を可能にした。
- Q なぜ2025年に、会員へ株を無償で配ってきたTKCが、市場の株主への現金還元へ転じたのか
- A 創業家が保有株を会員税理士へ無償で渡す独自の資本構造は株主と顧客の利害を重ねる一方、市場の株主への現金還元を後回しにしてきた。プライム市場移行と東証の資本効率改善要請が、飯塚真規氏に是正を迫った。2022年4月にプライム市場へ移り、自己資本利益率(ROE)11.0%以上を経営指標に掲げて資本コストと株価を意識した経営へ踏み込んだ。2025年12月に株主還元方針を定め、直近通期で3,301百万円の自己株式取得と2,832百万円の消却を実施し、配当は11期連続増配となった。事業の専門特化は保ったまま、現金の配分を株主側へ寄せた判断である。
歴史詳細 - 3つの時代区分で読み解く
1946年〜1986年 飯塚事件と計算センター創業による職域防衛
鹿沼の会計事務所から始まった原点
TKCの源流は、1946年に栃木県鹿沼で初代社長の飯塚毅氏が開設した「飯塚毅会計事務所」にさかのぼる。終戦により陸軍から戻った飯塚氏は、地元で会計事務所を開業したが、開業当初は顧問先がほとんどなく、空き時間で海外の会計事務所の状況を書籍で調査した。最初の顧客は、店の看板を見て訪れた木工所で、開業から1年経った1947年のことだった。飯塚氏は欧米の事例を研究し、月次で顧問先の財務をチェックする「巡回監査」を導入した。地方の会計事務所としては異例の方法論であり、その仕事ぶりが北関東で評価された結果、1965年には従業員10名、顧問先150社を擁する事務所に育った[1][2][3][4]。
1962年、関東甲信越国税局が飯塚氏の顧問先36社に脱税指導があったとして更正決定を通達し、事務所の数名が逮捕される事態に発展した。飯塚氏は脱税指導の事実を否認して行政訴訟に踏み切り、1970年11月に逮捕者全員の無罪が確定するまで8年にわたる係争が続いた。この間、飯塚氏はマスコミから「国賊」とのバッシングを受け、当時の国会でも「飯塚事件」として取り上げられ社会問題となった。会計事務所の独立性と職域をめぐる国税当局との対立は、後にTKC創業の動機を直接形作る経験となった。1962年の更正決定から1970年の無罪確定まで、飯塚氏は税理士業務と並行して会計事務所の制度的な保護を考え続ける立場に置かれた[5][6]。
1962年の米国視察で飯塚氏はコンピュータ革命を目の当たりにした。当時の米国では銀行などの金融機関が会計事務所の業務領域に参入しており、飯塚氏は同様の動きが日本でも起きると判断した。手作業の会計処理が時代遅れになるという危機感のもと、コンピュータを活用した会計サービスの集中処理を会計事務所共同で運営する構想を温めた。シャープの電卓がデスクサイズで実用化されつつあった時期で、コンピュータを中小企業が活用する事例はほぼ皆無であった。1966年10月、飯塚事件の係争中にもかかわらず、飯塚氏は宇都宮市に株式会社栃木県計算センター(後のTKC)を設立した[7]。定款第2条第1号には「会計事務所の職域防衛と運命打開のため受託する計算センターの経営」を、第2号には「地方公共団体の行政効率向上のため受託する計算センターの経営」を掲げ、創業時から会計事務所事業と地方公共団体事業の二本柱を明示した[8]。
TKC全国会の創設と会員制ビジネスモデル
1968年から富士通から時間単位でコンピュータを賃借し、会計処理事業を開始した[9]。当時のコンピュータ計算利用料は1分1,000円、1社の計算に36分かかり、起業初期は赤字が累積した[10]。コンピュータの処理能力を活かすには大量の顧客が必要であり、1971年、TKCは「TKC全国会」を結成した[11]。コンピュータを活用して監査業務を行いたい会計事務所による非営利団体で、TKCの提供するサービスを軸に巡回監査などの仕組みを共同利用する形をとった。飯塚事件直後で評判が芳しくなかったため、講演会を開催するためにDMを1,000件送っても来場者が1名だけということも少なくなく、初期の集客には苦戦した。それでも講演会を継続して開催することで会員数は増え、TKCの顧客基盤を恒常的に支えるネットワークとして定着した。
1971年8月にはTKC東京計算センターを開設し、東京を皮切りに全国展開を開始した[12]。1972年9月から1976年2月にかけて東京・大阪・岡山・東北・名古屋・九州・埼玉の各地に計算センター子会社を設立し、北海道から沖縄まで地方ごとに計算サービス拠点を設けた[13]。1972年11月には商号を株式会社テイケイシイ(カタカナ表記)に変更、1986年12月にはさらに株式会社TKCへと商号を改めた[14][15]。1987年6月、計算センターの名称を「情報センター」に改称し、コンピュータ活用の主軸が単純な計算受託から会計・税務情報の統合管理へとシフトしたことを社名でも明示した[16]。1987年7月、TKCは東京証券取引所市場第2部に上場、創業から21年で資本市場への接続を果たした[17]。
上場時に2代目社長の飯塚真玄氏が示した方針は「うちは多角化はしません」(1987年、東証2部上場時、TKC社内資料に基づく)というものだった[18]。会計事務所事業と地方公共団体事業の二本柱に専門特化する路線を堅持する宣言であり、上場による資金調達があっても異業種参入や周辺領域への拡張を行わないという制約を経営方針として明文化した。多角化を行わない代わりに、既存ドメインの深耕と垂直統合(システム開発・情報センター運営・印刷・会員サポート)に投資を集中する方針が確立し、その後40年弱のTKCの経営方針の柱となった。1990年3月にはTKC東京・新宿南・池袋の情報センターを統合してTKC東京統合情報センターを開設し、地方分散型の計算センター網を統合情報センターへ集約する物理的な再編にも着手した[19]。
1987年〜2008年 クラウド型業務処理基盤の確立と東証1部指定
法令・税制対応投資による参入障壁
1987年の東証2部上場以降、TKCは会計事務所事業のシステム機能を毎年の税制改正に追随させる継続投資を中核に据えた。1985年4月にTKC沖縄情報サービスセンターを開設して以降、各地に情報サービスセンターを展開、1992年1月にはTKC判例検索サービスセンターを開設し、税法判例の検索データベースを会員税理士に提供する付加サービスを整備した[20][21]。1992年11月にはTKC大阪・京都・兵庫県の情報センターをTKC関西統合情報センターに集約、1994年2月にシステム開発センターを開設、1996年3月には東京証券取引所第1部に指定された[22][23][24]。創業から30年で東証1部企業となったが、事業領域は依然として会計事務所事業・地方公共団体事業・印刷事業の3セグメントに絞り込まれていた。
1990年代後半から2000年代前半にかけて、TKCはシステム機能のグループ内垂直統合を加速した。1998年6月に新システム開発センターを開設、1999年6月には電子契約・電子帳票ソリューションの株式会社スカイコムの株式を取得、同年7月にはシステム開発部門でISO9001の認証を取得した[25][26][27]。1998年1月にTKC名古屋・静岡県・長野県の情報センターをTKC中部統合情報センターに、2001年3月にTKC九州・熊本・鹿児島をTKC九州統合情報センターに統合し、地域別情報センターの集約は2003年7月のTKC中四国統合情報センター、同年10月のTKC統合情報センター・TKC SCGサービスセンター開設で一巡した[28][29][30]。同年10月には民間企業として初めて「LGWAN(総合行政ネットワーク)-ASP接続資格審査」に合格し、地方公共団体事業の競争上の障壁となる接続要件を確保した[31]。
2003年10月にはTKCインターネット・サービスセンター(TISC)を開設、2004年4月に地方公共団体事業部門で、2005年6月に全社でプライバシーマークの使用認定を取得、個人情報保護法対応を制度的に整備した[32][33][34]。2008年12月には、ASPサービスに係る内部統制の整備状況・運用状況の有効性に関し、新日本有限責任監査法人(現EY新日本有限責任監査法人)から日本公認会計士協会監査基準委員会報告書第18号に基づく報告書を取得した[35]。会計事務所事業・地方公共団体事業の双方で、税理士・自治体職員に対して「監査済みの統合情報センター」というブランドを示せる体制が整い、後発の競合に対する制度的な参入障壁を強化した。
30期連続増収増益と外部社長への初の交代
2008年9月期は連続30期増収増益となり、2008年11月に記念配当を実施した[37]。FY08(2008年9月期)の連結売上高は547億円、営業利益70億円、経常利益72億円、最終利益36億円で、会計事務所事業が売上407億円・営業利益58億円と中核セグメントの座を確立した。地方公共団体事業は売上102億円・営業利益7億円、印刷事業は売上39億円・営業利益5億円と、3セグメントすべてが黒字を維持した[36]。リーマンショック直後の景気後退期にあっても、税制改正対応と自治体システム保守という制度依存型のストック収益が業績の安定化を支えた。
2008年10月、創業家2代目の飯塚真玄氏は社長を退き、生え抜きの高田順三氏が第3代社長に就任した[38]。飯塚家以外から社長を起用するのは創業以来初めてであり、創業家からの段階的な経営移譲の最初の局面となった。飯塚真玄氏は会長に就任して経営理念の継承と全国会との関係維持を担い、執行は高田社長以下に委ねる体制となった。2010年9月にはイノベーション&テクノロジーセンター(I&TC)を開設、2011年12月には高田社長から第4代社長の角一幸氏(同じく生え抜き)へ社長を交代した[39][40]。角社長は就任時点で、創業から30年前にレンタル方式によるストック型ビジネスへの転換を進めた経緯を踏まえ、2010年代のクラウドサービス潮流と既存事業基盤との整合性を強調する立場を取った[41]。集中処理型の事業モデルがクラウド時代の到来に先んじていたという認識が、後年のクラウド事業拡張の自信の根拠となった。
2009年〜2025年 創業家3代目復帰と自治体システム標準化対応
株式無償譲渡による会員ネットワーク強化
第3代高田順三社長・第4代角一幸社長の体制で、TKCは会計事務所事業のクラウド化を進めた。2011年からインボイス制度・電子帳簿保存法対応に向けた継続投資が始まり、税理士事務所向けFXシリーズと中堅企業向け統合型会計のメニュー拡充が進んだ。2015年8月には簡易株式交換で株式会社スカイコムを完全子会社化(出資比率89.8%→100%)し、電子契約・電子帳票機能をグループ内に取り込んだ[42]。同年10月にはパブリッククラウドサービスにおける個人情報保護の国際規格「ISO/IEC27018:2014」を国内初で第三者認証取得、クラウド事業の保証水準を制度的に裏付けた[43]。2016年4月にはシステム・エンジニアリング・センター(SEC)ビルを開設、システム開発のキャパシティを増強した[44]。
2016年11月、創業家2代目の飯塚真玄氏は会長を退いて名誉会長に就任した[45]。2017年7月、創業者飯塚毅氏の生誕100周年を記念し、飯塚真玄名誉会長が個人保有株式100万株を5カ年計画でTKC全国会会員に無償譲渡する計画を発表した[46]。創業家の保有株式を会計事務所会員ネットワークへ移転する独自の資本構造維持策であり、創業家持株と顧客(税理士事務所)持株を同一の基盤に統合することで、株主と顧客の利害を一致させた。2017年10月、TKCカスタマーサポートサービス株式会社を設立、2018年10月には子会社の東京ラインプリンタ印刷を株式会社TLPに商号変更、2019年9月には株式会社TKC出版を完全子会社化し、3セグメントの中核子会社の所有関係を整理した[47][48]。
2019年12月、創業家3代目の飯塚真規氏が第5代社長に就任した。1975年生まれ、2代目飯塚真玄氏の長男で、就任時44歳。角一幸氏は会長に就任し、創業家からの社長交代は2008年以来11年ぶりとなった[49]。同年9月には任意の「指名・報酬諮問委員会」を設置し、ガバナンス体制を整備した[50]。飯塚真規社長は就任直後から、税理士業務の自動化悲観論に対して、保証・経営助言という業務領域に拡大余地があると主張した[51]。会計事務所が中小企業に対して提供できる役割の幅広さを次代の経営テーマに据え、税務処理代行のコモディティ化を超えた事業領域の組み直しを構想した。2020年3月には株式会社TLPを完全子会社化、印刷事業の内製化を完成させた[52]。
自治体システム標準化と連続増収増益
2022年4月、TKCは東証市場区分の見直しでプライム市場に移行した[53]。同年8月にはデジタル庁から「ペポルサービスプロバイダー」に認定され、電子インボイス対応の制度的なポジションを確保した[54]。地方公共団体事業では、政府が掲げる「自治体システム標準化」の対象団体164のうち、TKCが受託する団体の標準準拠システム移行を計画的に進めている。FY25(2025年9月期)時点で164団体中68団体の移行が完了し、地方公共団体事業の売上はFY23(2023年9月期)の204億円からFY25の276億円へ、2年間で35%拡大した[55]。会計事務所事業もFY23の487億円からFY25の528億円へ堅調に伸び、3セグメント合計の連結売上高は834億円に達した。
会計事務所事業のクラウド化と地方公共団体事業の標準化対応を並走させる構造のなかで、FY25は営業利益・経常利益が12期連続、最終利益が11期連続で最高益を更新した。配当は11期連続増配(年10円増)となり、自己株式の取得3,301百万円と消却2,832百万円を実施して資本効率改善を進めた[56][57]。統合情報センターは2022年12月の沖縄→九州移管、2024年10月の中四国→関西移管、2025年10月の東北→東京移管によって、FY26(2025年9月期)時点で全国6拠点体制に集約された[58]。データセンター運営の効率化と共に、クラウドサービス基盤の集約も並行的に進めている。飯塚真規社長は、月次決算の実施を通じてTKC会員の税理士が経営者から頼られる存在となり、結果としてTKCのシステムを導入する中小企業が増えてきたという成長プロセスを強調した[59]。創業者飯塚毅氏の「巡回監査」思想を、中小企業のデジタル経営支援サービスとして拡張する方針が次代に引き継がれている。