1946年〜 飯塚事件と計算センター創業による職域防衛
- 1966年 会計事務所共同の計算センター構想によるTKC創業 会計事務所の職域は誰が守るのか——国税当局との係争のさなかに飯塚毅氏が選んだ会社設立
- 1971年 TKC東京計算センターを開設
- 1972年 テイケイシイ大阪計算センターを設立
- 1972年 テイケイシイに商号変更
- 1975年 東京ラインプリンタ印刷を設立
- 1978年 TKCシステム開発研究所を新設
- 1984年 TKC税務研究所を新設
鹿沼の会計事務所から始まった原点
TKCの源流は、1946年に栃木県鹿沼で初代社長の飯塚毅氏が開設した「飯塚毅会計事務所」にさかのぼる。終戦により陸軍から戻った飯塚氏は、地元で会計事務所を開業したが、開業当初は顧問先がほとんどなく、空き時間で海外の会計事務所の状況を書籍で調査した。最初の顧客は、店の看板を見て訪れた木工所で、開業から1年経った1947年のことだった。飯塚氏は欧米の事例を研究し、月次で顧問先の財務をチェックする「巡回監査」を導入した。地方の会計事務所としては異例の方法論であり、その仕事ぶりが北関東で評価された結果、1965年には従業員10名、顧問先150社を擁する事務所に育った。 [1][2][3][4]
- TKC公式 創業の経緯と経営の基本方針
- [1]1946年 飯塚毅が栃木県鹿沼で飯塚毅会計事務所を開設
- [2]初代社長は飯塚毅。終戦で陸軍から復員後に会計事務所を開業
- [3]最初の顧客獲得は1947年(開業から1年)
- [4]1965年に従業員10名・顧問先150社
1962年、関東甲信越国税局が飯塚氏の顧問先36社に脱税指導があったとして更正決定を通達し、事務所の数名が逮捕される事態に発展した。飯塚氏は脱税指導の事実を否認して行政訴訟に踏み切り、1970年11月に逮捕者全員の無罪が確定するまで8年にわたる係争が続いた。この間、飯塚氏はマスコミから「国賊」とのバッシングを受け、当時の国会でも「飯塚事件」として取り上げられ社会問題となった。会計事務所の独立性と職域をめぐる国税当局との対立は、後にTKC創業の動機を直接形作る経験となった。1962年の更正決定から1970年の無罪確定まで、飯塚氏は税理士業務と並行して会計事務所の制度的な保護を考え続ける立場に置かれた。 [5][6]
- TKC公式 創業の経緯と経営の基本方針
- [5]1962年 国税当局が顧問先36社に脱税指導ありとして更正決定
- [6]1970年11月に無罪確定(係争8年)
1962年の米国視察で飯塚氏はコンピュータ革命を目の当たりにした。当時の米国では銀行などの金融機関が会計事務所の業務領域に参入しており、飯塚氏は同様の動きが日本でも起きると判断した。手作業の会計処理が時代遅れになるという危機感のもと、コンピュータを活用した会計サービスの集中処理を会計事務所共同で運営する構想を温めた。シャープの電卓がデスクサイズで実用化されつつあった時期で、コンピュータを中小企業が活用する事例はほぼ皆無であった。1966年10月、飯塚事件の係争中にもかかわらず、飯塚氏は宇都宮市に株式会社栃木県計算センター(後のTKC)を設立した。定款第2条第1号には「会計事務所の職域防衛と運命打開のため受託する計算センターの経営」を、第2号には「地方公共団体の行政効率向上のため受託する計算センターの経営」を掲げ、創業時から会計事務所事業と地方公共団体事業の二本柱を明示した。 [7][8]
- TKC 有価証券報告書【沿革】
- [7]1966年10月 株式会社栃木県計算センターを宇都宮市に設立(後のTKC)
- [8]設立目的(定款)は会計事務所の職域防衛と地方公共団体の行政効率向上の二本柱
- TKC公式 創業の経緯と経営の基本方針
- [1]1946年 飯塚毅が栃木県鹿沼で飯塚毅会計事務所を開設
- [2]初代社長は飯塚毅。終戦で陸軍から復員後に会計事務所を開業
- [3]最初の顧客獲得は1947年(開業から1年)
- [4]1965年に従業員10名・顧問先150社
- [5]1962年 国税当局が顧問先36社に脱税指導ありとして更正決定
- [6]1970年11月に無罪確定(係争8年)
- TKC 有価証券報告書【沿革】
- [7]1966年10月 株式会社栃木県計算センターを宇都宮市に設立(後のTKC)
- [8]設立目的(定款)は会計事務所の職域防衛と地方公共団体の行政効率向上の二本柱
TKC全国会の創設と会員制ビジネスモデル
1968年から富士通から時間単位でコンピュータを賃借し、会計処理事業を開始した。当時のコンピュータ計算利用料は1分1,000円、1社の計算に36分かかり、起業初期は赤字が累積した。コンピュータの処理能力を活かすには大量の顧客が必要であり、1971年、TKCは「TKC全国会」を結成した。コンピュータを活用して監査業務を行いたい会計事務所による非営利団体で、TKCの提供するサービスを軸に巡回監査などの仕組みを共同利用する形をとった。飯塚事件直後で評判が芳しくなかったため、講演会を開催するためにDMを1,000件送っても来場者が1名だけということも少なくなく、初期の集客には苦戦した。それでも講演会を継続して開催することで会員数は増え、TKCの顧客基盤を恒常的に支えるネットワークとして定着した。 [9][10][11]
- TKC公式 創業の経緯と経営の基本方針
- [9]1968年から富士通のコンピュータを時間賃借し会計処理事業を開始
- [10]コンピュータ計算利用料は1分1,000円・1社の計算に36分
- TKC 有価証券報告書【沿革】
- [11]1971年 TKC全国会を結成
1971年8月にはTKC東京計算センターを開設し、東京を皮切りに全国展開を開始した。1972年9月から1976年2月にかけて東京・大阪・岡山・東北・名古屋・九州・埼玉の各地に計算センター子会社を設立し、北海道から沖縄まで地方ごとに計算サービス拠点を設けた。1972年11月には商号を株式会社テイケイシイ(カタカナ表記)に変更、1986年12月にはさらに株式会社TKCへと商号を改めた。1987年6月、計算センターの名称を「情報センター」に改称し、コンピュータ活用の主軸が単純な計算受託から会計・税務情報の統合管理へとシフトしたことを社名でも明示した。1987年7月、TKCは東京証券取引所市場第2部に上場、創業から21年で資本市場への接続を果たした。 [12][13][14][15][16][17]
- TKC 有価証券報告書【沿革】
- [12]1971年8月 TKC東京計算センターを開設(全国展開の起点)
- [13]1972年9月〜1976年2月に東京・大阪・岡山・東北・名古屋・九州・埼玉に計算センター子会社を設立
- [14]1972年11月 商号を株式会社テイケイシイに変更
- [15]1986年12月 定款上の商号を株式会社TKCに変更
- [16]1987年6月 計算センターの名称を情報センターに改称
- [17]1987年7月 東京証券取引所市場第二部に上場(創業から21年)
上場時に2代目社長の飯塚真玄氏が示した方針は「うちは多角化はしません」(1987年、東証2部上場時、TKC社内資料に基づく)というものだった。会計事務所事業と地方公共団体事業の二本柱に専門特化する路線を堅持する宣言であり、上場による資金調達があっても異業種参入や周辺領域への拡張を行わないという制約を経営方針として明文化した。多角化を行わない代わりに、既存ドメインの深耕と垂直統合(システム開発・情報センター運営・印刷・会員サポート)に投資を集中する方針が確立し、その後40年弱のTKCの経営方針の柱となった。1990年3月にはTKC東京・新宿南・池袋の情報センターを統合してTKC東京統合情報センターを開設し、地方分散型の計算センター網を統合情報センターへ集約する物理的な再編にも着手した。 [18][19]
- TKC社内資料(1987年、東証2部上場時)
- [18]2代目社長は飯塚真玄。上場時(1987年)に「うちは多角化はしません」と発言
- TKC 有価証券報告書【沿革】
- [19]1990年3月 TKC東京・新宿南・池袋の情報センターを統合しTKC東京統合情報センターを開設
- TKC公式 創業の経緯と経営の基本方針
- [9]1968年から富士通のコンピュータを時間賃借し会計処理事業を開始
- [10]コンピュータ計算利用料は1分1,000円・1社の計算に36分
- TKC 有価証券報告書【沿革】
- [11]1971年 TKC全国会を結成
- [12]1971年8月 TKC東京計算センターを開設(全国展開の起点)
- [13]1972年9月〜1976年2月に東京・大阪・岡山・東北・名古屋・九州・埼玉に計算センター子会社を設立
- [14]1972年11月 商号を株式会社テイケイシイに変更
- [15]1986年12月 定款上の商号を株式会社TKCに変更
- [16]1987年6月 計算センターの名称を情報センターに改称
- [17]1987年7月 東京証券取引所市場第二部に上場(創業から21年)
- [19]1990年3月 TKC東京・新宿南・池袋の情報センターを統合しTKC東京統合情報センターを開設
- TKC社内資料(1987年、東証2部上場時)
- [18]2代目社長は飯塚真玄。上場時(1987年)に「うちは多角化はしません」と発言