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東京エレクトロンの歴史

1963年
創業経緯

TBSからの出資を受けて東京エレクトロンを設立

東京エレクトロンの歴史は1963年に始まる。

創業者の久保徳雄と小高敏夫は、それまで勤務していた総合商社の日商岩井(総合商社)で接待や通訳といった、間接業務に従事することに疑問を抱いており、たまたま取り扱っていた半導体という新しい商材を自分の手で動かしたいという考えにかられて東京エレクトロンを創業した。

東京エレクトロンの設立時に出資した投資家は、TBS(東京放送)であった。当時のTBSの今道潤三社長は東京エレクトロンの創業に資金を出すものの「金は出すが、口は出さない」という方針のもとで経営を見守ったと言われている。

創業期の東京エレクトロンに対して、TBSの本社がある赤坂のオフィスを貸し出したり、TBSの社員を応援要員として東京エレクトロンに送り込むなど、惜しみない支援を行なっている。現在はTBSと東京エレクトロンの関係性は薄いが、両社共に東京赤坂に拠点を置いており関係性が現在も残っている。

なお、TBSは現在も東京エレクトロンの株式の一部(4.31%)を保有しており、TBSはコーポレートベンチャーキャピタルとして東京エレクトロンへの投資で成功を収めたとも言える(2020年4月時点の東京エレクトロンの時価総額は約3兆円=TBSは1200億円相当の東京エレクトロン株式を保有)。

小高敏夫
小高敏夫
(東京エレクトロン共同創業者)
(注:TBSの社長だった)今道さんは「金は出すが、口は出さない」という姿勢を貫かれ、自由に仕事をやらさしてくれましたから。今道さんがおられなかったとしても出資は受けられたでしょうが、何かとTBSから制限を受け、事業がやりにくかったということは考えられます
1984/4/16日経ビジネス
1965年
意思決定

フェアチャイルドと代理店契約を締結し、半導体製造装置メーカーとして台頭

1965年には米国の半導体メーカーであるフェアチャイルドとの代理店契約を締結し、半導体製造に必要となるICテスターの輸入販売権を獲得した。当時は、ICが最先端の半導体として普及する途上にあり、東京エレクトロンが半導体製造装置ビジネスで技術力を蓄積するためにも重要な契約となった。

その後、東京エレクトロンは半導体関連装置の販売と、アフターサービスを行うことで従来の商社にはないエンジニアリングサービスを提供して付加価値をつけ、半導体装置メーカーという独自の業態を突き進む。

1973年
業績悪化

不採算の電子機器輸出から撤退。半導体製造装置に集中投資

創業から10年間の東京エレクトロンはカーラジオ、電卓、カーステレオのOEMを手がける電機商社として業容を拡大したが、1973年のオイルショックによって、これらの在庫が積み上がり業績が悪化した。

そこで、東京エレクトロンの創業者は事業の主力を、当時成長しつつあった半導体製造装置に特化する代わりに、家電などの不採算部門からの撤退を決めて事業の選択と集中を遂行した。

だが、撤退部門は東京エレクトロンの売上高の60%を占める主力事業であったため、東京エレクトロは段階的な撤退作戦を行い、社内の士気を下げないように撤退部門にはエース社員を投入するなどの配慮をしている。この結果、1973年以降の東京エレクトロンは半導体製造装置に投資を集中した。

小高敏夫
小高敏夫
(東京エレクトロン共同創業者)

当時のウチのような中小企業じゃリスクが余りに大きい。むしろほかに、商売がないなら、いくらリスクが大きくてもやるのも手だったかも知れない。だけど、もう一方に、十分利益を出し、また今後、高い成長が望める分野を持っていたんですから。なんで、そんな危険なことをやる必要があるか、と思ったわけです。...(略)...最後まで撤退に反対していた子会社が、当社のグループから独立するなど、人事・労務面ではずいぶん苦労しました。

1982/5/31日経ビジネス「小高敏夫氏
1980年代
業績好調

日本の半導体トップメーカーを顧客にして成長

1980年代に日本の半導体産業が飛躍的な成長を遂げ、日本電気、三菱電機、日立製作所、東芝の各社がDRAMの製造競争を繰り広げていた。このため、世界の半導体製造のトップ企業が日本に集積する形となり、東京エレクトロンはこれらの半導体メーカーに半導体製造装置を納入しつつ、メーカーから装置開発の以降を汲み取ることで、半導体製造装置の世界的なメーカーへと飛躍する。

1980年には株式上場を果たすなど、東京エレクトロンは当時の経済メディアからベンチャー企業のシンデレラ物語として賞賛された。

日経ビジネス
日経ビジネス

昭和38年に日商岩井をスピンアウトした久保徳雄(現会長)、小高敏夫両氏を中心にわずか数名で旗揚げ、正真正銘、ゼロからスタートしたTELは、58年9月期には売上高828億円、経常利益99億円の超優良企業に成長。...(略)...日本の半導体・IC(集積回路)産業の発展と同じ軌跡を描いたベンチャービジネスのシンデレラ物語だが、同時にTELの歴史は、商社を原初形態としつつ、限りなくメーカーに近づくという、新業態を自ら作り出していく歴史でもあった。

1984/4/16日経ビジネス
1994年
意思決定

海外で直販体制に移行し、海外のグローバル企業を顧客として開拓

1980年代後半に円高ドル安が進行し、日米貿易摩擦によって日本のDRAM輸出が政治問題に発展したため、日本の半導体メーカーの活躍が制限される形となった。

そこで、1992年の時点で東京エレクトロンの地域別売上高は「日本向けが80%」を占めていたが、1994年に東京エレクトロンは海外事業を強化する方針を決断した。東京エレクトロンは海外の半導体メーカーの要望を十分に汲み取るために、欧米などの先進国に直販体制(販売および部品供給)を敷くための現地法人を設立する。

1994年に欧州と米国に現地法人を設立し、アジア圏でも1993年に韓国、1996年に台湾にそれぞれ現地法人を設立した。1980年代までの有力な半導体メーカーはNECや日立などの日本企業であったが、1990年代以降は米国のインテルや、韓国のサムスン、台湾のTSMCなどの新興勢力が業容を拡大しており、東京エレクトロンは直販体制の充実によって半導体産業のニューフェイスとの信頼関係の構築に成功する。

東哲郎
東哲郎
(東京エレクトロン社長)
苦境を乗り越えられたのは、まず6年前から進めてきたグローバル化の成果が数字で表れてきたからです。欧米、台湾などで直接、装置を販売し、技術サポートと部品供給の体制を築いたことで、顧客の信頼を得ることができました。また最も苦しい時期にも研究開発投資を惜しみませんでした。
2000/10/9日経ビジネス「東京エレクトロン」
2019年
業績好調

半導体製造装置で世界シェア4位

2019年時点で半導体製造装置メーカーの世界シェア4位を確保し、年間1000億円にも及ぶ研究開発費用を投じた。

なお、2013年に東京エレクトロンは同業のアプライドマテリアル(米国)との経営統合を発表し、高騰し続ける半導体製造装置の開発コストを2社で賄うことを画策する。ところが、巨大な半導体製造装置メーカーの出現は、半導体メーカーにとっては価格交渉の面で不利になるため、独禁法の立場から両社の経営統合は実現することはなかった。

だが、東京エレクトロンは統合に備えて、太陽光向けの製造装置などの不採算事業からの撤退を行なっており、結果として「統合への準備」が、2015年以降の東京エレクトロンの利益率の改善に大きく寄与する形となった。

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