富士銀行が日本橋興業を設立
日本政府は金融機関に対して不動産の所有を制限したため、日本を代表する都市銀行であった富士銀行(現在のみずほ銀行)は不動産事業を分離するために日本橋興業(現ヒューリック)を設立した。日本橋興業は富士銀行に対して銀行店舗を賃貸することで不動産収入を確保する。
東京都心部ビルを連続竣工。銀行支店として活用
1965年から日本橋興業は親会社の富士銀行向けの銀行支店ビルの竣工を本格化。1965年から1979年にかけて東京都心部では「新橋・新宿・銀座・東大手・青山・兜町」の各所にビルを竣工した。
みずほ銀行が発足
第一勧業銀行・富士銀行・日本興業銀行の経営統合により、みずほHD(みずほ銀行)が発足。日本橋興業はみずほ銀行系列の企業となったが、引き続き富士銀行出身者が業務に従事
自己資本比率9.4%。財務状況が悪化
みずほ銀行は、財務体質の改善のため、保有する不動産を日本橋興業に融資した上で買わせた。このため、日本橋興業の借入金が増加し、財務体質が悪化した
営業収益の67%をみずほFGに依存
営業収益の67.6%をみずほFGに依存。総資産2825億円に対して有利子負債1844億円(みずほFGからの借入が中心)であり有利子負債比率65.2%。このため、みずほFGに売上と財務リスクを依存している状況にあった。