2025/12 売上高30,189億円YoY+0.1%
2025/12 営業利益2,655億円YoY▲15.9%
FY25 単体平均給与861万円前年度比+36万円
創業1890久保田権四郎(創業者)
創業地大阪市
上場-

筆者所感 1890年に19歳の久保田権四郎が大阪で鋳物屋「大手鋳物」を個人創業したのがクボタの源流であり、外国技術書も海外指導者も存在しない状況から7年の試行錯誤を経て鋳鉄管の独自製造技術を独力で確立した企業である。1897年に「合わせ型斜吹鋳造法」を開発し、1900年代には国内シェア60%規模の鋳鉄管メーカーとしての地位を確立し、戦前の水道インフラ整備を牽引した。1919年には実用自動車製造を設立して自動車参入を試みたが三輪車・四輪車ともに成功に至らず撤退を余儀なくされた。戦後の1947年には発動機生産設備を活用して耕うん機の製造を開始することで農機分野に本格参入し、1961年の農業基本法公布による農業機械化の進展を追い風に国内農機市場での確固たる地位を築き上げていった。

1972年以降は廣慶太郎社長の判断で北米と欧州への小型農機輸出を本格化させ、M5クラスのコンパクトトラクタで米国市場に独自の地歩を築き、2006年にインドに現地法人を設立してから段階的に拡大していた農機市場でも2022年のEscorts買収により本格的な拡大局面を迎えた。1999年の水道鉄管ヤミカルテル事件と2005年のアスベスト問題という二度の重大な経営危機を経験して事業再編と経営トップ交代を繰り返しつつ、基幹システムの抜本的な刷新を含む経営基盤の再構築に2026年までの期間をかけて取り組むなかで、2025年には北米トラクタ市場の縮小と米国相互関税の本格的な影響という新しい試練に直面することとなり、量の拡大ではなくROICと資本効率を重視する経営モデルへの大胆な転換を決断する局面を迎えている。

クボタ:売上高の内訳と営業利益率(PL 分解 × 営業利益率)
営業利益(億円)その他費用(億円)販管費(億円)売上原価(億円)営業利益率(%)
歴代社長
FY01
FY02
FY03
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FY05
FY06
FY07
FY08
FY09
FY10
FY11
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FY18
FY19
FY20
FY21
FY22
FY23
FY24
FY25
FY26
FY27
FY28
FY29
FY30
幡掛大輔
代表取締役社長
益本康男
代表取締..
代表取締役会長..
木股昌俊
代..
代表取締役社長
北尾裕一
代表取締役社長
花田晋吾
代..
歴代社長
FY05
FY06
FY07
FY08
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FY21
FY22
FY23
FY24
FY25
幡掛大輔
代表取締役社長
益本康男
代表取締役社長
益本康男
代表取締役会長兼社長
木股昌俊
代表取締役
木股昌俊
代表取締役社長
北尾裕一
代表取締役社長
花田晋吾
代表取締役社長CEO
クボタ:投資CF(M&A・設備投資ほか/事業施策と紐付き)
投資CF(億円)
インドEscortsを買収2022
基幹システムの刷新開始2019
ノルウェーKverneland ASAを買収2012
立ち入り調査が相次ぐ2007
アスベストが社会問題化2005

歴史概略

1890年〜1971鋳鉄管の国産化と戦後の農機参入による事業転換

鋳鉄管の国産化で独占市場を築いた創業の挑戦

1890年に19歳の久保田権四郎が大阪で鋳物屋「大手鋳物」を個人創業し、ほどなくして久保田鉄工所へと整備された創業期のクボタは、外国の技術書も海外の技術指導者も存在しない状況から鋳鉄管の国産製造という困難な課題に独力で挑戦した。鋳鉄管は明治期の急速な都市化のなかで水道インフラ整備に不可欠な部材であったが国内需要は輸入品に依存しており、権四郎は7年の試行錯誤を経て1897年に独自の「合わせ型斜吹鋳造法」を開発することに成功し、国産鋳鉄管の量産技術を日本で初めて確立した。1900年代に入るとクボタは官公庁向けの水道管メーカーとしての評価を高めていき、国内シェア60%規模の圧倒的な地位を占める独占的な鋳鉄管メーカーへと成長していった。

鋳鉄管という参入障壁の高い製品分野で独占的な地位を確立したクボタは、1919年に実用自動車製造という別会社を設立する形で自動車事業への参入を試みるという大きな挑戦に踏み出した。三輪車「ゴルハム式三輪車」を船出町工場で製造し販売を開始したが、カーブでの横転事故が相次いで発生する深刻な品質問題で商業的な拡大は実現できず、1923年に四輪車「リラー号」で再挑戦を試みたものの市場での成功は得られず、最終的に自動車事業からの完全撤退を余儀なくされた。この失敗を通じてクボタは自社の強みが鋳造技術と素材加工にあるという事業アイデンティティを改めて確認することとなり、以後の多角化は自社技術の延長線上での慎重な製品開拓という形で進められていった。

参考文献
  • 有価証券報告書 沿革
  • クボタ125年史
  • 日本鋳造技術史

戦後の発動機転用が生んだ農機事業の本格参入

1947年に戦時中に蓄積されていた発動機生産設備を戦後の民需転換用途として活用する形で耕うん機の製造を開始し、クボタは戦後復興期の事業機会として農機分野への本格参入を決断した。軍需向け発動機を量産するために整備されてきた生産設備と技術蓄積を耕うん機に転用する選択は戦後日本の機械メーカーが採った事業転換の典型例であったが、クボタの場合は鋳鉄管の祖業で培われた鋳造技術と機械加工技術が農機製造の基盤として機能したことで初期から高い品質水準を市場に訴求することができた。1957年には刈取機、1960年には中型トラクタの製造を開始して製品ラインナップを拡充し、1961年の農業基本法公布による国内農業の機械化の進展を追い風として最大限に活用していった。

国内農機市場の急拡大のなかで、クボタは全国の農協ネットワークを活用した販路の構築に力を入れ、地方の稲作農家に対する緊密な営業体制を整備することで農機メーカーとしての地位を国内で確固たるものとしていった。一方で鋳鉄管事業も戦後の水道インフラ整備の需要増加を背景として安定した収益を生み続けており、クボタは「鋳鉄管と農機の二本柱」という独自の事業構造を長期にわたって維持する企業へと成長していった。農機事業の立ち上がりと並行して、カルテル問題という祖業側の構造的な暗部が水面下で醸成されていくことになるが、この時期のクボタはまだそれが表面化する前の安定成長期を享受しており、1970年前後までに国内市場での地位を一段と高めていった。

参考文献
  • 有価証券報告書 沿革
  • クボタ125年史
  • 日本鋳造技術史

1972年〜2011海外農機市場の開拓と度重なる経営危機の連鎖

廣慶太郎が決断した北米・欧州への農機輸出転換

国内の稲作機械化がほぼ完了したと判断した廣慶太郎社長は、「遅くとも5年先には代替需要の時期がくる」との強い危機感を経営会議で繰り返し表明し、国内市場への依存から脱却して海外市場の開拓へ事業の軸足を大きく移す戦略的な決断を下した。1972年に米国へクボタトラクターCorp.を正式に設立して米国市場への進出を開始し、1974年には日本式の小型トラクタで北米のコンパクトトラクタ分野に参入する独自の市場ポジションを築く戦略を採用した。米国で主流であった大型農業向けトラクタとは明確に差別化した40〜100馬力帯の中型トラクタ及び20〜40馬力帯のコンパクトトラクタを狙い、農業市場ではなく家庭農園やヴィンヤード向けという独自ニッチから参入し、ジョンディアなど米国大手との正面対決を避けつつ市場を切り拓いた。

欧州市場への本格進出も1970年代から段階的に進められ、フランス・ドイツ・イタリアといった主要国でコンパクトトラクタの販売を伸ばし、米国で築いた「日本式の小型トラクタ」というブランドイメージを欧州でも活用する戦略が一定の成功を収めていった。海外市場開拓の成功は国内依存から脱却する企業体質の転換を実現し、クボタは1980年代から1990年代にかけて売上規模を着実に拡大させていった。一方で鋳鉄管事業は国内水道インフラ整備の一段落のなかで成長性を失いつつあり、長年続けられてきた業界内の価格カルテル構造が水面下で維持される構造的な問題を抱え込んだまま、公正取引委員会による本格的な調査という運命の日を静かに待つ状態となっていた。

参考文献
  • 有価証券報告書 沿革
  • クボタ125年史
  • 日経ビジネス
  • 公正取引委員会 審決

鉄管カルテル摘発とアスベスト問題が迫った経営刷新

1999年2月に公正取引委員会は約30年にわたって続いてきた鋳鉄管業界のヤミカルテルを認定し、クボタ・栗本鐵工所・日本鋳鉄管の3社を刑事告発するという戦後日本の産業史に残る重大な処分を断行するに至った。当時の国内鋳鉄管市場規模は約1150億円であり、そのうちクボタが63%・栗本が27%・日本鋳鉄管が9%という圧倒的なシェア構造を占めていたなかで、長年にわたる価格協定と受注調整という独占的な市場支配が認定された。祖業の鋳鉄管事業に対する社会的な信頼が大きく損なわれるという衝撃的な事態を受けて経営トップの大規模な交代が行われ、クボタはコンプライアンス体制の抜本的な再構築を迫られるという厳しい改革の時代を迎えることとなった。

さらに2005年6月にはクボタ神崎工場(兵庫県尼崎市)の周辺住民に石綿関連疾患が多発している問題が大きく報道され、クボタは2001年にアスベスト製品の製造を停止していたものの、周辺住民の被害者に対する救済金として2006年3月期に33億円を計上するという対応を余儀なくされ、石綿問題は経営の大きな負担となっていった。鉄管カルテルとアスベスト問題という二度にわたる深刻な経営危機の連続を通じて、クボタは社会的信頼を修復する長い道のりを歩むこととなり、同時に祖業の鋳鉄管事業の位置づけを相対的に縮小させて農機事業を企業の中核として明確に位置づけ直す事業構造の再編を段階的に進めていき、2011年頃までに農機事業が売上の過半を占める企業体質への転換を実現していった。

参考文献
  • 有価証券報告書 沿革
  • クボタ125年史
  • 日経ビジネス
  • 公正取引委員会 審決

2012年〜2023グローバル農機メーカーへの飛躍と経営基盤の刷新

欧州M&Aとインド市場攻略でつかんだ世界展開の足場

2012年3月にクボタはノルウェーの老舗農機インプルメントメーカーKverneland ASAを約181億円で買収し、欧州市場における製品ラインナップを一気に強化するという大きな戦略的な一手を打ち出すこととなった。1879年創業でオスロ証券取引所に上場していたKvernelandはプラウやハローといったトラクタ後部に装着するインプルメント分野に強みを持ち、クボタのトラクタ本体と組み合わせることで欧州の農業ユーザーに対してトラクタからインプルメントまでの一貫ソリューションを提供することが可能となる戦略的な組み合わせとして高く評価された。欧州農業市場では既にAGCOやCNH Industrialといった大手メーカーが主要なインプルメントも含めて取り扱っており、クボタはM&Aによる時間短縮という手法で競争環境における不利を一気に覆す経営判断を下したのである。

2008年にインドに現地法人を設立して事業を開始していたクボタは、軽量で操作性のよいコンパクトなトラクタで南部の稲作市場から浸透を図る戦略を採用していたが、インドでは伝統的にトラクタを荷物の牽引機として使用する文化が根強く、クボタの小型製品は牽引力を重視するインドのニーズに応えることが難しいという現実に直面した。この認識のもとクボタは2022年にインド大手のEscortsを買収してブランドと販売網を一括取得する戦略的な大型投資を決断し、インド市場における存在感を短期間で飛躍的に高めた。インドで進むGlobal Innovative Tractorプロジェクトは後の北米向けコンパクトトラクタの次世代プラットフォーム基盤としても構想され、新興国を先進国市場の製造拠点として活用する長期戦略が姿を現し始めた。

参考文献
  • 有価証券報告書
  • 統合報告書
  • クボタ IR 決算説明会資料

基幹システム刷新と資本効率重視への経営転換

クボタは社内の6つの事業領域それぞれで異なる基幹システムを個別に運用しているという非効率な状況に長年直面しており、社内では主要競合のコマツに対して「IT基盤で20年遅れている」との認識が広く共有されてきた。こうした認識のもとで北尾裕一社長体制は2019年12月から2026年12月までの7ヵ年という長期にわたる基幹システム刷新プロジェクト「K-RISE」を本格始動させ、全社共通のERPと業務プロセス標準化への転換という戦略的で大掛かりな投資を段階的に実行していく方針を打ち出した。基幹システムの刷新は投資額が数百億円規模に達する大きな負担であったが、クボタが世界市場で競合各社と対等に戦うための経営基盤の再構築としては避けて通れない必須の投資であると位置づけられていた。

2023年までのクボタは連結売上高3兆円規模・営業利益3000億円規模という大企業として順調に成長を続けており、北米・欧州・アジアの各地域で堅実な業績を残していたが、北米コンパクトトラクタ市場でパンデミック期の特需的な需要増加を取り込む際に「量ありき」の運営を続けた結果として資本効率を悪化させた反省が社内で意識されていった。北尾社長は決算説明会でこの反省を率直に認め、全ての市場や製品でシェアを追い求めるのではなくメリハリをつけた重点指向の事業運営へと転換する方針を繰り返し表明し、ROICを経営指標として全社的に徹底する準備が進められた。2024年以降の資本効率重視への経営モデル転換は、まさにこの2023年までの反省から引き継がれていくこととなった。

参考文献
  • 有価証券報告書
  • 統合報告書
  • クボタ IR 決算説明会資料

直近の動向と展望

北米トラクタ減販と関税影響が迫った資本効率重視への転換

2025年度に入るとクボタは主力の北米トラクタ市場の縮小という想定外の逆風に直面することとなり、2025年第2四半期累計の連結売上高は1兆4549億円と前年同期比7.9%の大幅減少、営業利益は1430億円と同31%の大幅減益、純利益は925億円と同38.7%減という業績悪化を記録した。売上高減少の中心要因は北米でのトラクタ・芝刈機などの機械売上が前年同期比18%減と大幅に落ち込んだことであり、関税政策による先行き不透明感から定年退職後のホームオーナー向けレジデンシャルトラクタ市場が2025年年初から急激に低迷したことが主因として作用した。米国ディーラー在庫は2025年6月末時点で5.8カ月と通常の6カ月を下回り在庫コントロールは順調であったが、卸売の急減が業績への強い下押し圧力となる局面が続いた。

米国相互関税の影響は上半期だけで41億円、通期では350億円という規模に達する見込みであり、クボタはインセンティブの見直し・柔軟な価格施策・固定費削減という三つの対策の組み合わせで影響を吸収していく方針を打ち出した。北尾裕一社長は決算説明会で「量ありきの運営を見直し、資本効率重視の経営に大きく舵を切っていく」と方針転換を宣言し、北米ではROICを本格的に考慮した経営を段階的に進めるとともに、小売金融プログラムへの過度な依存を見直して0%ファイナンスを2025年3月から草刈機を対象に廃止する施策を開始した。量から質への経営転換は短期的には売上を押し下げる要因となるが、長期的にはクボタの持続的な収益力を強化する戦略的な選択として位置づけられている。

参考文献
  • IR 決算説明QA FY25-2Q 2025/8/5
  • クボタ 中期経営計画説明会 2025/5/28
  • クボタ プレスリリース ジョージア工場稼働 2025/6

ジョージア新工場とインドEscortsが描く次の成長戦略

2025年6月にはジョージア州に北米7番目となる最新鋭の工場がオープンし、トラクタや建機のアフター部品として需要が拡大しているインプルメント専用の生産拠点として、溶接工程の完全自動化を含む最新設備が導入された。カンザス州で既に稼働中のコンパクトトラックローダ工場と併せて北米生産体制を強化する動きであり、北尾社長が「北米事業への投資を引き続きコミットする」と明言する裏付けとなる具体的な設備投資として注目を集めた。北米市場では人口が2030年に向けても持続的に増加していくことが確実であり、現在のコロナ前水準の年間130万戸という住宅着工件数が供給不足と相まって今後5年で着実に伸びていくとの見通しが経営の基本認識として共有されている。

インドでは2025年時点でトラクタ市場が年間100万台規模に達する農機世界最大級の市場に急成長しており、2022年に買収したEscorts Kubotaを中核として新製品Promaxxシリーズの投入による市場シェア拡大に全力を注ぐ方針が打ち出されている。インドで進行中のGlobal Innovative Tractorプロジェクトは、インドの低コスト製造基盤を活用して北米コンパクトトラクタ市場向けに次世代プラットフォーム製品を開発する構想であり、新興国を先進国市場の製造拠点として活用する新しい経営モデルの具体化として位置づけられる。水環境事業では管路耐震化や空調分野の工場回帰需要の受注が順調に拡大しており、本業の農機・建機が短期的な北米逆風に直面するなかでも、水環境と海外新興国という二つの柱を軸に次期中計での成長回復を実現していく方針である。

参考文献
  • IR 決算説明QA FY25-2Q 2025/8/5
  • クボタ 中期経営計画説明会 2025/5/28
  • クボタ プレスリリース ジョージア工場稼働 2025/6

重要な意思決定

1890年2月

久保田鉄工所を創業

鋳鉄管の国産化は、資本金百万円を投じた企業ですら設立1年で頓挫した難題であった。久保田権四郎氏は資金も技術書も人脈もない状態から、7年をかけて量産技術を独力で確立し、1912年に国内シェア60%を確保している。この先行者利得は単なる技術優位にとどまらない。クボタが開発した鋳造法が業界標準として定着したことで、後発メーカーはクボタから技術供与を受けて参入する構造が生まれ、鋳鉄管市場における少数企業の寡占体制と協調関係の起点となった。

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1919年11月

実用自動車製造を設立・自動車に参入

鋳鉄管では外国技術なしに7年かけて量産技術を確立した久保田権四郎が、自動車では約12年を費やしても品質問題を解決できなかった。鋳鉄管は自社内で完結する鋳造技術が競争力の源泉であったのに対し、自動車は多数の部品メーカーとの連携が不可欠であり、部品サプライチェーンが未成熟な当時の日本では個社の技術力だけでは対応できなかった。クボタが手放した事業が日産自動車の源流となった点は、撤退判断と買い手の選択が産業史を規定した事例といえる。

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1927年2月

隅田川精鉄所を買収

1926年時点で4社に分散していた鋳鉄管市場は、隅田川精鉄所の買収(1927年)と釜石鉱山の撤退(1930年)を経て、クボタ69%・栗本鐵工所31%の2社寡占に固定された。自治体向け入札という販売形態のもとで2社のみのシェアが長期固定化された構造は、のちに約40年にわたるヤミカルテルの温床となった。一方、小田原大造氏による経営再建の実績は、のちに同氏が社長に就任する道筋をつけた人事面での帰結でもあった。

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1972年6月

欧米進出を本格化・トラクター量産

北米農機市場はジョン・ディアを筆頭とする大型機メーカーが支配しており、ヤンマーはOEM提携で参入したのに対し、クボタは単独進出かつ自社ブランドを選んだ。競合が手薄な家庭向け小型農機という隙間市場から参入し、大手との直接競合を構造的に回避した点がこの戦略の核心にある。国内で培った小型トラクターの技術を活かせるセグメントを選択したことで、製品開発の追加投資を抑えながら海外販路を開拓する設計であった。

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1999年3月

約30年来の水道管カルテルが発覚

鋳鉄管市場は3社寡占であったが、カルテル維持の原動力は単なる談合の慣行ではなく、クボタの鋳造技術が業界標準となり他の2社が技術供与を受ける依存関係にあった。この技術的主従関係がシェア配分を「自ずと決まる」ものとし、約40年にわたる不正を構造的に安定させた。1890年に久保田権四郎が独力で確立した鋳鉄管の量産技術は、シェア60%の獲得のみならず、一世紀後に発覚するカルテル構造の起点にもなっていた。

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2019年12月

基幹システムの刷新開始

コマツが2000年代から建機稼働率のモニタリングなどIT活用を本格化させた一方、クボタは6事業領域で異なるシステムを個別運用する状態が続いていた。370億円・7ヵ年という投資規模は、月平均400名前後の外部人員が常駐する大型プロジェクトに相当する。コマツとの「20年の遅れ」を認識したうえで、SAPとマイクロソフトを基盤に全社統合を一括で進める判断は、段階的な更新ではなく一挙に世代交代を図る設計であった。

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2022年4月

インドEscortsを買収

クボタは2008年のインド進出から14年間、自社製品による市場浸透に苦戦し、シェア2%にとどまった。インドの農家がトラクターに求めた牽引力と低価格は、クボタが得意とする軽量コンパクトな製品設計と根本的に合致せず、タイからの輸入体制ではコスト競争力も確保できなかった。最終的にEscorts社の買収で現地の製品・サプライチェーン・顧客基盤を丸ごと取得したことは、自前主義の限界を認めたうえでの市場参入手法の転換であった。

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参考文献・出所

有価証券報告書 沿革
クボタ125年史
日本鋳造技術史
日経ビジネス
公正取引委員会 審決
有価証券報告書
統合報告書
クボタ IR 決算説明会資料
IR 決算説明QA FY25-2Q 2025/8/5
クボタ 中期経営計画説明会 2025/5/28
クボタ プレスリリース ジョージア工場稼働 2025/6
IR 決算説明QA FY25-2Q
クボタ 中期経営計画説明会
クボタ プレスリリース ジョージア工場稼働