クボタ の歴史

創業

1890年

創業者

久保田権四郎

創業地

大阪市

直近売上高(2025/12)

30,188億円

長期業績と転換点(1996/3〜2025/12)
売上高(億円純利益率(%)
Q なぜ1900年前後のクボタは、大企業も失敗した鋳鉄管の国産化を町工場の身で成し遂げられたのか
A 水道インフラに欠かせない鋳鉄管は需要が確実でありながら、当時は輸入に依存して国産の量産技術が空白だった。技術の粋を集めた日本鋳鉄合資会社さえ国産化に挑んで破綻し、世間が不可能と見限ったその空白地帯に、久保田権四郎氏は逆に商機を見た。零細な鋳物屋ゆえに失う設備も小さく、寝食を忘れる試作を長く続けられたことが、1900年の丸吹堅込法による量産技術の確立につながった。これにより、1910年代には国内シェア6割を握る独占的な地位を築いた。
Q なぜ1972年にクボタは、国内で農機トップに立ちながら米国市場の開拓へ動いたのか
A 国内の農機需要は1961年の農業基本法を機に急拡大したが、1971年から本格化した減反政策で頭打ちとなり、買い替え中心の成熟段階に入った。国内に依存し続ければ成長は止まると見たクボタは、稲作で磨いた小型・軽量のトラクタを武器に海外へ向かう。米国で主に生産されていた60〜100馬力の大型機ではなく25〜30馬力の小型・中型機で1972年に北米へ参入し、ジョンディアら米国大手との正面対決を避けて足場を築いた
Q なぜ2024年前後にクボタは、量の追求から資本効率重視へと経営の方針を転換したのか
A 北米のコンパクトトラクタ市場でパンデミック期の特需を「量ありき」で取り込んだ結果、資本効率を悪化させたという反省が社内にあった北尾裕一社長はすべての市場や製品でシェアを追う運営を改め、メリハリをつけた重点指向と、ROICを経営指標として全社に徹底する方針へ転換する。あわせて2019年からは長年立ち遅れていた基幹システムの刷新に着手し、世界で競合と対等に戦うための経営基盤を整え直した。

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1890年〜 鋳物屋が興した鋳鉄管の国産化と、機械への拡張

  1. 1890年 久保田鉄工所を創業
  2. 1893年 水道用鋳鉄管の製造を開始
  3. 1917年 工作機械に参入・鋳鉄管生産を尼崎と恩加島に移管
  4. 1919年 実用自動車製造を設立・自動車に参入
  5. 1922年 発動機(農工用小型エンジン)の製造を開始
  6. 1927年 隅田川精鉄所を買収

水道用の鋳鉄管に的を絞った創業期

1890年2月、久保田権四郎氏は大阪市南区御蔵跡町で久保田鉄工所を興し[1]、各種鋳物の製造・販売を始めた[2]。個人経営の町工場からの出発で、権四郎氏は創立者であると同時に初代社長[3]を務めている。三年後の1893年7月には水道用鋳鉄管の製造に着手[4]した。創業期に手がけたのは、水道用および瓦斯用の鋳鉄管を主体とする各種鋳物[5]である。もっとも鋳鉄管の鋳造は容易ではなく、量産に足る技法の確立までには着手からさらに七年[6]を要した。

  • クボタ 有価証券報告書 第135期(2024年12月期)【沿革】
    • [1]1890年2月 久保田権四郎氏が大阪市南区御蔵跡町で久保田鉄工所を創業
    • [2]創業時の事業は各種鋳物の製造・販売
    • [4]1893年7月 水道用鋳鉄管の製造を開始
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [3]久保田権四郎氏は創立者かつ初代社長
    • [5]創業期の製品は水道用及び瓦斯用鋳鉄管を主体とする各種鋳物
    • [6]1900年 丸吹立込鋳造法の考案(1893年の着手から7年)

量産の壁を破ったのは鋳造法の工夫で、1900年に丸吹立込鋳造法を考案[7]して実地に移している。翌1901年には船山町工場を建設し[8]、鋳鉄管と諸機械の製造販売を始めた[9]。1908年にはさらに鋳鉄管の廻転式鋳造法を考案して特許を獲得[10]し、鋳造の技法を自前で組み立てて特許で囲う型を固めている。工場と技法の両方を握ったことで、鋳鉄管は久保田鉄工所の柱として据わった[11]

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [7]1900年 丸吹立込鋳造法を考案して実施
    • [8]1901年 船山町工場を建設し鋳鉄管・諸機械の製造販売を開始
    • [9]船山町工場で鋳鉄管と諸機械の製造販売を開始
    • [10]1908年 鋳鉄管の廻転式鋳造法を考案し特許を獲得
    • [11]鋳鉄管事業が同社事業の大宗となった
  • クボタ 有価証券報告書 第135期(2024年12月期)【沿革】
    • [1]1890年2月 久保田権四郎氏が大阪市南区御蔵跡町で久保田鉄工所を創業
    • [2]創業時の事業は各種鋳物の製造・販売
    • [4]1893年7月 水道用鋳鉄管の製造を開始
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [3]久保田権四郎氏は創立者かつ初代社長
    • [5]創業期の製品は水道用及び瓦斯用鋳鉄管を主体とする各種鋳物
    • [6]1900年 丸吹立込鋳造法の考案(1893年の着手から7年)
    • [7]1900年 丸吹立込鋳造法を考案して実施
    • [8]1901年 船山町工場を建設し鋳鉄管・諸機械の製造販売を開始
    • [9]船山町工場で鋳鉄管と諸機械の製造販売を開始
    • [10]1908年 鋳鉄管の廻転式鋳造法を考案し特許を獲得
    • [11]鋳鉄管事業が同社事業の大宗となった

鋳物から機械へ品目を広げた大正期

鋳物事業が伸びると、権四郎氏はその機械加工に目を向け、1914年に船出町工場へ機械工場を新設[12]してスチームエンジンなどの舶用機械の製造を始めた[13]。1916年には工作機械・節炭機・給炭機・制水弁・一般機械へ[14]、1918年には鋳型へと品目を広げている[15]。鋳物を売るだけでなく、鋳物を使う機械までを自社で作る構え[16]で、鋳鉄管という単一の柱に機械という二本目を継ぎ足す作業が大正期を通じて進んだ。

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [12]1914年 鋳物事業の発展にともない機械加工に着目し船出町工場に機械工場を新設
    • [13]船出町工場の機械工場でスチームエンジンなど舶用機械の製造を開始
    • [14]1916年 工作機械・節炭機・給炭機・制水弁・一般機械の製造を開始
    • [15]1918年 鋳型の製造を開始
    • [16]鋳物事業の発展に伴いその機械加工に着目した

鋳鉄管と鋳物の需要が増すと生産の場そのものを買い足し、1917年には関西鉄工所を買収して尼崎工場とし[17]、船出町工場の鋳鉄管製造部門をここへ移している。あわせて異形管の工場として恩加島工場を、排水管・異形管・一般鋳物の工場として市岡工場を新設[18]した。1922年2月には農工用小型エンジンである発動機の製造に着手[19]し、同じ年に耐熱・耐酸・耐アルカリの鋳物、砲金、軽合金の鋳物も手がけている[20]。のちに農業機械へ育つ発動機は、この年に始まった[21]。なお1919年11月には実用自動車製造を設立して三輪車・四輪車の生産にも手を出しているが、こちらは市場を得られずに退いた。

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [17]1917年 関西鉄工所を買収して尼崎工場とし船出町工場の鋳鉄管製造部門を移設
    • [18]異形管工場として恩加島工場、排水管・異形管・一般鋳物の工場として市岡工場を新設
    • [20]1922年 耐熱・耐酸・耐アルカリの鋳物、砲金、軽合金等の各種鋳物の製造を開始
    • [21]発動機は農業機械部門の起点となった
  • クボタ 有価証券報告書 第135期(2024年12月期)【沿革】
    • [19]1922年2月 発動機(農工用小型エンジン)の製造を開始
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [12]1914年 鋳物事業の発展にともない機械加工に着目し船出町工場に機械工場を新設
    • [13]船出町工場の機械工場でスチームエンジンなど舶用機械の製造を開始
    • [14]1916年 工作機械・節炭機・給炭機・制水弁・一般機械の製造を開始
    • [15]1918年 鋳型の製造を開始
    • [16]鋳物事業の発展に伴いその機械加工に着目した
    • [17]1917年 関西鉄工所を買収して尼崎工場とし船出町工場の鋳鉄管製造部門を移設
    • [18]異形管工場として恩加島工場、排水管・異形管・一般鋳物の工場として市岡工場を新設
    • [20]1922年 耐熱・耐酸・耐アルカリの鋳物、砲金、軽合金等の各種鋳物の製造を開始
    • [21]発動機は農業機械部門の起点となった
  • クボタ 有価証券報告書 第135期(2024年12月期)【沿革】
    • [19]1922年2月 発動機(農工用小型エンジン)の製造を開始

特許で囲った鋳造技術と、隅田川精鉄所の買収

鋳造技術の蓄積は大正末に二つの特許となって表れ、1923年に自動製芯機[22]、翌1924年に自動成型機の発明特許[23]をそれぞれ獲得している。手作業に頼っていた工程を機械へ置き換えるもので、鋳鉄管の量産はこの二件で一段階を進めた[24]。1924年には度量衡法の改正にあわせ、船出町工場で衡機の製造も始めている[25]。鋳造の技法から、それを支える機械までを自社で握る構えがここで揃った[26]

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [22]1923年 自動製芯機の発明特許を獲得
    • [23]1924年 自動成型機の発明特許を獲得
    • [24]自動製芯機・自動成型機の特許が鋳鉄管事業の発展に一段階を画した
    • [25]1924年 度量衡法の改正とともに船出町工場で衡機の製造を開始
    • [26]鋳造技術と製造機械の双方を自社で獲得した

設備の買い足しも続き、1927年2月には株式会社隅田川精鉄所を買収して鋳鉄管事業を拡張[27]している。同じ1927年には自動給炭機、ディーゼルエンジン、小形舶用発動機の製造にも着手[28]した。創業から四十年に満たない間に、久保田鉄工所は鋳鉄管・鋳物・機械・発動機という四つの製品群[29]を抱える規模へ達している。個人経営の町工場のままでは[30]、この広がりをもはや収めきれなくなっていた。

  • クボタ 有価証券報告書 第135期(2024年12月期)【沿革】
    • [27]1927年2月 株式会社隅田川精鉄所を買収し鋳鉄管事業を拡張
    • [30]1930年12月に株式会社として法人格を得るまで個人経営であった
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [28]1927年 自動給炭機・ディーゼルエンジン・小形舶用発動機の製造を開始
    • [29]鋳鉄管・鋳物・機械・発動機の各製品群を擁するに至った
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [22]1923年 自動製芯機の発明特許を獲得
    • [23]1924年 自動成型機の発明特許を獲得
    • [24]自動製芯機・自動成型機の特許が鋳鉄管事業の発展に一段階を画した
    • [25]1924年 度量衡法の改正とともに船出町工場で衡機の製造を開始
    • [26]鋳造技術と製造機械の双方を自社で獲得した
    • [28]1927年 自動給炭機・ディーゼルエンジン・小形舶用発動機の製造を開始
    • [29]鋳鉄管・鋳物・機械・発動機の各製品群を擁するに至った
  • クボタ 有価証券報告書 第135期(2024年12月期)【沿革】
    • [27]1927年2月 株式会社隅田川精鉄所を買収し鋳鉄管事業を拡張
    • [30]1930年12月に株式会社として法人格を得るまで個人経営であった

1930年〜 二社に分けた法人化と、戦後に芽を出した耕うん機

  1. 1930年 久保田鉄工所を設立
  2. 1937年 農工用発動機の大量生産を開始
  3. 1947年 耕うん機の製造開始・農機に参入
  4. 1949年 東京証券取引所に株式上場
  5. 1950年 小田原大造氏が社長就任
  6. 1953年 社名を久保田鉄工に変更
  7. 1954年 合成樹脂管の製造を開始

鋳物と機械を二つの会社に分けた法人化

1930年12月、久保田鉄工所は二つの株式会社に分かれて法人格を得ている[31]。水道瓦斯鋳鉄管および各種鋳物の製造を主とする資本金450万円の株式会社久保田鉄工所[32]と、内燃機・陸舶用機械・製鉄製鋼用機械・制水弁・衡機・工作機械などを製造する資本金250万円の株式会社久保田鉄工所機械部[33]である。鋳物と機械という二つの系統をそのまま二つの会社に分けた形で、同じ1930年には社章も改め、1925年に制定した円と鋳鉄管の意匠[34]から円を歯車へ置き換えた[35]。鋳物の久保田から、鋳物と機械の久保田へ[36]という看板の書き換えである。

  • クボタ 有価証券報告書 第135期(2024年12月期)【沿革】
    • [31]1930年12月 株式会社久保田鉄工所及び株式会社久保田鉄工所機械部を設立
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [32]株式会社久保田鉄工所は資本金450万円、水道瓦斯鋳鉄管及び各種鋳物製造が主
    • [33]株式会社久保田鉄工所機械部は資本金250万円、内燃機・陸舶用機械・製鉄製鋼用機械・制水弁・衡機・工作機械等を製造
    • [34]1925年制定の社章は円の中に鋳鉄管を組み合わせて「久」を配し鋳物の久保田を象徴した
    • [35]1930年 産業機械部門への進出から円を歯車に変えて鋳物と機械の久保田を表徴
    • [36]社章の変更は鋳物の久保田から鋳物と機械の久保田への転換を表した

二社に分けた体制は七年で畳まれ、1937年3月に株式会社久保田鉄工所機械部を株式会社久保田鉄工所へ合併[37]している。同年9月には大同鉄工所を買収して鋳鋼工場とし[38]、11月には堺工場を新設して農工用発動機の大量生産に着手[39]した。堺工場には欧米各国から新型機械を輸入して据えている[40]。翌1938年8月には隅田川精鉄所を合併して隅田川工場とし[41]、1927年の買収から十一年を経て組織のうえでも取り込んだ。

  • クボタ 有価証券報告書 第135期(2024年12月期)【沿革】
    • [37]1937年3月 株式会社久保田鉄工所機械部を株式会社久保田鉄工所に合併
    • [39]1937年11月 堺工場を新設し農工用発動機の大量生産に着手
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [38]1937年9月 大同鉄工所を買収して鋳鋼工場とした
    • [40]堺工場は欧米各国の新型機械を輸入して新設
    • [41]1938年8月 株式会社隅田川精鉄所を合併して隅田川工場とした

生産の場は戦時へ向けてなお広がり、1940年10月には武庫川工場を新設して産業機械事業を拡張[42]し、その翌年10月から遠心力鋳鉄管の鋳造を始めている[43]。1943年3月には神崎工場を設け[44]、同じ月に特殊鋳鋼品および高硅素鋳鉄鋳物の鋳造にも入った[45]。1945年7月には布施工場[46]を加えている。このうち兵庫県尼崎市の神崎工場は、六十年余りのちに石綿被害の舞台[47]として同社の経営を揺らす場所となった。

  • クボタ 有価証券報告書 第135期(2024年12月期)【沿革】
    • [42]1940年10月 武庫川工場を新設し産業機械事業を拡張
    • [43]武庫川工場新設の翌年10月から遠心力鋳鉄管の鋳造を開始
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [44]1943年3月 神崎工場を新設
    • [45]1943年3月 特殊鋳鋼品及び高硅素鋳鉄鋳物の鋳造を開始
    • [46]1945年7月 布施工場を新設
  • クボタ ニュースリリース 2006年4月17日「旧神崎工場周辺の石綿疾病患者並びにご家族の皆様に対する救済金支払い規程の骨子について」
    • [47]旧神崎工場は兵庫県尼崎市にあり2005年に石綿疾病の公表対象となった
  • クボタ 有価証券報告書 第135期(2024年12月期)【沿革】
    • [31]1930年12月 株式会社久保田鉄工所及び株式会社久保田鉄工所機械部を設立
    • [37]1937年3月 株式会社久保田鉄工所機械部を株式会社久保田鉄工所に合併
    • [39]1937年11月 堺工場を新設し農工用発動機の大量生産に着手
    • [42]1940年10月 武庫川工場を新設し産業機械事業を拡張
    • [43]武庫川工場新設の翌年10月から遠心力鋳鉄管の鋳造を開始
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [32]株式会社久保田鉄工所は資本金450万円、水道瓦斯鋳鉄管及び各種鋳物製造が主
    • [33]株式会社久保田鉄工所機械部は資本金250万円、内燃機・陸舶用機械・製鉄製鋼用機械・制水弁・衡機・工作機械等を製造
    • [34]1925年制定の社章は円の中に鋳鉄管を組み合わせて「久」を配し鋳物の久保田を象徴した
    • [35]1930年 産業機械部門への進出から円を歯車に変えて鋳物と機械の久保田を表徴
    • [36]社章の変更は鋳物の久保田から鋳物と機械の久保田への転換を表した
    • [38]1937年9月 大同鉄工所を買収して鋳鋼工場とした
    • [40]堺工場は欧米各国の新型機械を輸入して新設
    • [41]1938年8月 株式会社隅田川精鉄所を合併して隅田川工場とした
    • [44]1943年3月 神崎工場を新設
    • [45]1943年3月 特殊鋳鋼品及び高硅素鋳鉄鋳物の鋳造を開始
    • [46]1945年7月 布施工場を新設
  • クボタ ニュースリリース 2006年4月17日「旧神崎工場周辺の石綿疾病患者並びにご家族の皆様に対する救済金支払い規程の骨子について」
    • [47]旧神崎工場は兵庫県尼崎市にあり2005年に石綿疾病の公表対象となった

耕うん機から始まった戦後の農業機械

敗戦の翌年、1946年3月に製材機と鉱山用諸機械の製造を始め[48]、1947年には耕うん機を手がけた[49]。のちに売上の四割を占める農業機械部門[50]は、この耕うん機から始まっている。1922年に始めた農工用発動機を動力源として[51]、農家が使う機械そのものを作る側へ回った。1949年5月には東京証券取引所と大阪証券取引所へ上場[52]し、1950年8月には製品別の事業部制を採用[53]して、製品ごとに損益を締める仕組みを入れた。

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [48]1946年3月 製材機・鉱山用諸機械の製造を開始
    • [49]1947年 耕うん機の製造を開始
  • 証券アナリストジャーナル 1964年第2巻第5号「久保田鉄工の近況について」(広慶太郎)
    • [50]1963年10月期の農業機械部門は総売上高の40.4%を占めた
  • クボタ 有価証券報告書 第135期(2024年12月期)【沿革】
    • [51]1922年2月 発動機(農工用小型エンジン)の製造を開始
    • [52]1949年5月 東京証券取引所・大阪証券取引所に上場
    • [53]1950年8月 製品別事業部制を採用

戦後の製品群は鋳鉄管の周辺でも厚みを増し、1950年7月に金型遠心力鋳鉄管[54]、1951年にクローム鋳鉄管とセメントライニング管、土木建設各種プラント[55]、1952年に鋳鋼管とポンプの製造へ入っている[56]。1952年12月には武庫川機械工場でポンプの製造を始めた[57]。上水道の管を作る会社から、水を送る装置までを扱う会社へ、製品の範囲が広がっている[58]

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [54]1950年7月 金型遠心力鋳鉄管の製造を開始
    • [55]1951年 クローム鋳鉄管・セメントライニング管・土木建設各種プラントの製造を開始
    • [56]1952年 鋳鋼管・ポンプの製造を開始
    • [58]パイプ部門に加えポンプ・バルブ等の産業機械を擁するに至った
  • クボタ 有価証券報告書 第135期(2024年12月期)【沿革】
    • [57]1952年12月 武庫川機械工場でポンプの製造を開始
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [48]1946年3月 製材機・鉱山用諸機械の製造を開始
    • [49]1947年 耕うん機の製造を開始
    • [54]1950年7月 金型遠心力鋳鉄管の製造を開始
    • [55]1951年 クローム鋳鉄管・セメントライニング管・土木建設各種プラントの製造を開始
    • [56]1952年 鋳鋼管・ポンプの製造を開始
    • [58]パイプ部門に加えポンプ・バルブ等の産業機械を擁するに至った
  • 証券アナリストジャーナル 1964年第2巻第5号「久保田鉄工の近況について」(広慶太郎)
    • [50]1963年10月期の農業機械部門は総売上高の40.4%を占めた
  • クボタ 有価証券報告書 第135期(2024年12月期)【沿革】
    • [51]1922年2月 発動機(農工用小型エンジン)の製造を開始
    • [52]1949年5月 東京証券取引所・大阪証券取引所に上場
    • [53]1950年8月 製品別事業部制を採用
    • [57]1952年12月 武庫川機械工場でポンプの製造を開始

社名の変更と、石綿パイプの製造開始

1953年6月、社名を久保田鉄工株式会社へ改めている[59]。翌1954年には石綿パイプとビニルパイプの製造を始め[60]、同年4月にはビニルパイプ工場を新設して合成樹脂管の本格的な製造に入った[61]。石綿を含む水道用パイプは当時の配管材として広く使われた製品で、この1954年から、のちに旧神崎工場周辺の被害として問われる石綿の取り扱いが始まっている[62]

  • クボタ 有価証券報告書 第135期(2024年12月期)【沿革】
    • [59]1953年6月 社名を久保田鉄工株式会社に変更
    • [61]1954年4月 ビニルパイプ工場を新設し合成樹脂管の本格的製造に着手
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [60]1954年 石綿パイプ・ビニルパイプの製造を開始
  • クボタ ニュースリリース 2006年4月17日「旧神崎工場周辺の石綿疾病患者並びにご家族の皆様に対する救済金支払い規程の骨子について」
    • [62]救済金の対象基準は1954年から1995年までの間に旧神崎工場の近隣に居住していたこと

1950年代の後半には製品の幅がさらに住宅と鋼管へ伸び、1956年4月にモビルクレーンと運搬用諸機械[63]、1957年11月には久保田建材工業株式会社を設立して住宅建材事業へ進出[64]している。1959年12月にはスパイラル鋼管の製造を始め[65]、同じ月に大浜工場を新設した[66]。鋳鉄管・農業機械・一般機械・鋳物という四部門[67]の骨格は、この時期にほぼ出来上がっている。次の十年で主役に躍り出るのは、四部門のうち農業機械[68]であった。

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [63]1956年4月 モビルクレーン・運搬用諸機械の製造を開始
    • [65]1959年12月 スパイラル鋼管の製造を開始
    • [66]1959年12月 大浜工場を新設
  • クボタ 有価証券報告書 第135期(2024年12月期)【沿革】
    • [64]1957年11月 久保田建材工業株式会社を設立し住宅建材事業に進出
  • 証券アナリストジャーナル 1964年第2巻第5号「久保田鉄工の近況について」(広慶太郎)
    • [67]1963年10月期の部門構成は農業機械40.4%・パイプ31.8%・一般機械14.7%・鋳物13.1%
    • [68]1963年10月期に農業機械が総売上高の40.4%で最大部門となった
  • クボタ 有価証券報告書 第135期(2024年12月期)【沿革】
    • [59]1953年6月 社名を久保田鉄工株式会社に変更
    • [61]1954年4月 ビニルパイプ工場を新設し合成樹脂管の本格的製造に着手
    • [64]1957年11月 久保田建材工業株式会社を設立し住宅建材事業に進出
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [60]1954年 石綿パイプ・ビニルパイプの製造を開始
    • [63]1956年4月 モビルクレーン・運搬用諸機械の製造を開始
    • [65]1959年12月 スパイラル鋼管の製造を開始
    • [66]1959年12月 大浜工場を新設
  • クボタ ニュースリリース 2006年4月17日「旧神崎工場周辺の石綿疾病患者並びにご家族の皆様に対する救済金支払い規程の骨子について」
    • [62]救済金の対象基準は1954年から1995年までの間に旧神崎工場の近隣に居住していたこと
  • 証券アナリストジャーナル 1964年第2巻第5号「久保田鉄工の近況について」(広慶太郎)
    • [67]1963年10月期の部門構成は農業機械40.4%・パイプ31.8%・一般機械14.7%・鋳物13.1%
    • [68]1963年10月期に農業機械が総売上高の40.4%で最大部門となった

1960年〜 農業機械を主力へ組み替え、北米へ持ち出した二十年

クボタの業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1960年 純国産トラクタT15形の発売と、耕うん機から完成機体系への農業機械の組み替え 発動機の延長で足りるのか、完成機へ移すのか——農業基本法が開いた機械化需要への応え方
  2. 1961年 環境事業に参入
  3. 1962年 産業機械・鋳鋼製品の量産体制を確立
  4. 1967年 住宅建材事業に本格参入
  5. 1969年 田植機・バインダーの量産体制を確立
  6. 1972年 欧米向けトラクタの量産を開始
  7. 1972年 クボタトラクターCorp.の設立と、水田向け小型トラクタによる北米・欧州市場への進出 減反で縮む国内をどう埋めるか——廣慶太郎社長が「既存路線を捨てる」と語った先の市場

耕うん機の延長から完成機の体系へ

1960年、久保田鉄工は15馬力の純国産トラクタT15形[69]を世に出している。それまでの農業機械は農用発動機と耕うん機の延長にあり[70]、動力を売る事業の域を出ていなかった。T15形は乗用トラクタという完成機を体系の中心に据える転換[71]である。追い風もあり、1961年の農業基本法とそれに続く構造改善事業[72]が、圃場整備と高性能農業機械の導入を一体で進めた。一方の耕うん機は1963年に全国の普及台数が200万台へ達し、600万戸弱の農家に3戸あたり1台[73]まで行き渡って、普及の一巡が見え始めていた。

  • ダイヤモンド 1960年12月5日号「発展期を迎えた農機具業界」
    • [69]1960年 15馬力の純国産トラクタT15形を発売
    • [70]農業機械事業は農用発動機と耕うん機の延長にあった
    • [71]T15形の発売で乗用トラクタ・バインダー・田植機という完成機の体系へ組み替えた
  • 証券アナリストジャーナル 1968年第6巻第3号「久保田鉄工の現状と将来」(広慶太郎)
    • [72]1961年の農業基本法と構造改善事業が圃場整備と高性能農業機械の導入を一体で進めた
  • 証券アナリストジャーナル 1964年第2巻第5号「久保田鉄工の近況について」(広慶太郎)
    • [73]耕うん機は1963年に全国の普及台数が200万台に達し600万戸弱の農家に3戸あたり1台まで普及

当時の農業機械は伸びる市場であると同時に苛烈な市場でもあり、1964年の時点で業界の競争は激甚を極め[74]、この二、三年は業績がさえず無配に転落するメーカーが多く、なかには廃業や倒産に至る例[75]も出ている。久保田鉄工の1963年10月期の部門構成は農業機械40.4%、パイプ31.8%、一般機械14.7%、鋳物13.1%[76]で、農業機械が最大の部門であった。1964年4月期の売上高は345億円[77]で、前期比7%増を見込んでいる。専務取締役の広慶太郎氏は、将来はパイプと鋳物の比重が高まり、農業機械と一般機械が下がる[78]との見方を示していた。

  • 証券アナリストジャーナル 1964年第2巻第5号「久保田鉄工の近況について」(広慶太郎)
    • [74]1964年時点で農業機械業界の競争は激甚を極めた
    • [75]2〜3年は業績がさえず無配に転落するメーカーが多く廃業・倒産する例もあった
    • [76]1963年10月期の部門構成は農業機械40.4%・パイプ31.8%・一般機械14.7%・鋳物13.1%
    • [77]1964年4月期の売上高は345億円、前期比7%増の見込み
    • [78]広慶太郎氏は将来パイプ・鋳物の比重が高まり農業機械・一般機械が低下するとの見方を示した

製品の体系は稲作の全工程へ広がり、1966年秋に自動結束式三条刈バインダーHC75形[79]を、1968年には「ばらまき育苗」方式の土付苗田植機SP形[80]を送り出している。1969年5月には宇都宮工場を新設し[81]、田植機とバインダーを量産する体制へ移している。売った後の面倒を見る体制も敷いており、全国約2,000軒の特約店の技術者へ技術講習を課している[82]。動力源だけを供給していた会社が、耕起から収穫までの機械とその修理までを抱える会社[83]へ変わった。農業機械が祖業を追い越したのもこの時期で、1965年下期には全社出荷高の34.2%を占め、パイプ部門の32.9%を初めて上回っている。出荷高はその後も伸び、1969年度には700億円を超えた。

  • 証券アナリストジャーナル 1968年第6巻第3号「久保田鉄工の現状と将来」(広慶太郎)
    • [79]1966年秋 自動結束式三条刈バインダーHC75形を発売
    • [80]1968年 「ばらまき育苗」方式の土付苗田植機SP形を発売
    • [82]全国約2,000軒の特約店の技術者に技術講習を課した
    • [83]売った後の修理まで抱える体制を敷いた
  • クボタ 有価証券報告書 第135期(2024年12月期)【沿革】
    • [81]1969年5月 宇都宮工場を新設し田植機・バインダーの量産体制を確立
  • ダイヤモンド 1960年12月5日号「発展期を迎えた農機具業界」
    • [69]1960年 15馬力の純国産トラクタT15形を発売
    • [70]農業機械事業は農用発動機と耕うん機の延長にあった
    • [71]T15形の発売で乗用トラクタ・バインダー・田植機という完成機の体系へ組み替えた
  • 証券アナリストジャーナル 1968年第6巻第3号「久保田鉄工の現状と将来」(広慶太郎)
    • [72]1961年の農業基本法と構造改善事業が圃場整備と高性能農業機械の導入を一体で進めた
    • [79]1966年秋 自動結束式三条刈バインダーHC75形を発売
    • [80]1968年 「ばらまき育苗」方式の土付苗田植機SP形を発売
    • [82]全国約2,000軒の特約店の技術者に技術講習を課した
    • [83]売った後の修理まで抱える体制を敷いた
  • 証券アナリストジャーナル 1964年第2巻第5号「久保田鉄工の近況について」(広慶太郎)
    • [73]耕うん機は1963年に全国の普及台数が200万台に達し600万戸弱の農家に3戸あたり1台まで普及
    • [74]1964年時点で農業機械業界の競争は激甚を極めた
    • [75]2〜3年は業績がさえず無配に転落するメーカーが多く廃業・倒産する例もあった
    • [76]1963年10月期の部門構成は農業機械40.4%・パイプ31.8%・一般機械14.7%・鋳物13.1%
    • [77]1964年4月期の売上高は345億円、前期比7%増の見込み
    • [78]広慶太郎氏は将来パイプ・鋳物の比重が高まり農業機械・一般機械が低下するとの見方を示した
  • クボタ 有価証券報告書 第135期(2024年12月期)【沿革】
    • [81]1969年5月 宇都宮工場を新設し田植機・バインダーの量産体制を確立

1,000億円の到達と、減反という逆風

1967年度には年間売上高が初めて1,000億円を超えている[84]。1967年4月期の475億円と同年10月期の549億円[85]を合わせた額である。部門別の構成はパイプが37%、農業機械が28%、鋳物と一般機械がそれぞれ17〜18%[86]で、パイプと農業機械の二部門だけで65%を占めた。広慶太郎氏は、同社の業績はこの二部門の動向で決まるといって過言ではない[87]と述べている。鋳鉄管は年間需要53〜55万トンのうち65%[88]を握り、上水道の普及率が70%と欧米諸国の90%に届かない[89]ことが、この部門の伸びしろであった。1968年4月期の全社売上高は632億円[90]、資本金は293億2,000万円、従業員は13,698名[91]を数え、国税庁が公表する申告所得の上位50社の常連として、1967年には105億3,900万円で31位[92]に並んでいる。

  • 証券アナリストジャーナル 1968年第6巻第3号「久保田鉄工の現状と将来」(広慶太郎)
    • [84]1967年4月期475億円・同年10月期549億円で年間売上高が初めて1,000億円を突破
    • [85]1967年4月期の売上高475億円、同年10月期549億円
    • [86]部門構成はパイプ37%・農業機械28%・鋳物17〜8%・一般機械17〜8%、二部門で65%
    • [87]広慶太郎氏は業績がパイプ部門と農業機械部門の動向で決定されるといっても過言ではないと述べた
    • [88]鋳鉄管の年間需要53〜55万トンに対し同社のマーケットシェアは65%
    • [89]わが国の上水道普及率は70%で欧米諸国の90%と比べ低い
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [90]1968年4月期の売上高実績は632億円
    • [91]1968年時点の資本金293億2,000万円・従業員13,698名
    • [92]国税庁の申告所得ベスト50の常連で1967年は105億3,900万円で31位

伸び続けた農業機械は1970年代に入って逆風を受け、米の過剰在庫を背景に1971年度から本格化した生産調整が農機需要を縮ませ[93]た。脱農機という言葉が業界に出るほどの不振[94]で、あるメーカーは倒産に至っている[95]。米の生産量は1965年を100として1969年の116を頂点に減り、1971年は前年比5%、前々年比7.1%[96]の落ち込みをみせている。農業の総産出額も1971年は前年比約5%減、農業生産所得は約7.5%減[97]であった。

  • 証券アナリストジャーナル 1972年第10巻第10号「久保田鉄工」(廣慶太郎)
    • [93]1971年度から本格化した生産調整で農機需要が縮んだ
    • [94]脱農機という言葉まで生み出す不振となった
    • [95]あるメーカーが倒産する事態が発生した
    • [96]米の生産量は1965年を100として1969年116を頂点に減少、1971年は前年比5%減・前々年比7.1%減
    • [97]1971年の農業総産出額は前年比約5%減、農業生産所得は約7.5%減

廣慶太郎氏は脱農機を考えず、成長産業としての在り方を考える[98]と述べている。支えとみたのは農家の購買力[99]であった。農業生産が減る一方で農家の所得は増えており[100]、1971年度の農家所得は1戸当り151万3,000円、うち農業所得46万6,000円に対し農外所得が104万7,000円[101]を占めている。兼業農家は約90%に達し[102]、出稼ぎによる賃金収入が機械の購買を支えた。加えて農業就業人口は1965年度の878万人・総就業人口の17.4%から1971年度に16%程度[103]へ下がり、省力機械の必要はむしろ強まっている。

  • 証券アナリストジャーナル 1972年第10巻第10号「久保田鉄工」(廣慶太郎)
    • [98]廣慶太郎氏は「当社は、脱農機を考えず、むしろ成長産業としての在り方を考えている」と述べた
    • [99]農業機械の需要を高めていたのは農家の所得増加であった
    • [100]農業生産は減っているが農外所得の増加により農家の所得は増えていた
    • [101]1971年度の農家所得は1戸当り151万3,000円、うち農業所得46万6,000円・農外所得104万7,000円
    • [102]兼業農家が約90%を占め出稼ぎによる賃金収入が増えていた
    • [103]農業就業人口は1965年度878万人・総就業人口の17.4%から1971年度に16%程度へ低下
  • 証券アナリストジャーナル 1968年第6巻第3号「久保田鉄工の現状と将来」(広慶太郎)
    • [84]1967年4月期475億円・同年10月期549億円で年間売上高が初めて1,000億円を突破
    • [85]1967年4月期の売上高475億円、同年10月期549億円
    • [86]部門構成はパイプ37%・農業機械28%・鋳物17〜8%・一般機械17〜8%、二部門で65%
    • [87]広慶太郎氏は業績がパイプ部門と農業機械部門の動向で決定されるといっても過言ではないと述べた
    • [88]鋳鉄管の年間需要53〜55万トンに対し同社のマーケットシェアは65%
    • [89]わが国の上水道普及率は70%で欧米諸国の90%と比べ低い
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [90]1968年4月期の売上高実績は632億円
    • [91]1968年時点の資本金293億2,000万円・従業員13,698名
    • [92]国税庁の申告所得ベスト50の常連で1967年は105億3,900万円で31位
  • 証券アナリストジャーナル 1972年第10巻第10号「久保田鉄工」(廣慶太郎)
    • [93]1971年度から本格化した生産調整で農機需要が縮んだ
    • [94]脱農機という言葉まで生み出す不振となった
    • [95]あるメーカーが倒産する事態が発生した
    • [96]米の生産量は1965年を100として1969年116を頂点に減少、1971年は前年比5%減・前々年比7.1%減
    • [97]1971年の農業総産出額は前年比約5%減、農業生産所得は約7.5%減
    • [98]廣慶太郎氏は「当社は、脱農機を考えず、むしろ成長産業としての在り方を考えている」と述べた
    • [99]農業機械の需要を高めていたのは農家の所得増加であった
    • [100]農業生産は減っているが農外所得の増加により農家の所得は増えていた
    • [101]1971年度の農家所得は1戸当り151万3,000円、うち農業所得46万6,000円・農外所得104万7,000円
    • [102]兼業農家が約90%を占め出稼ぎによる賃金収入が増えていた
    • [103]農業就業人口は1965年度878万人・総就業人口の17.4%から1971年度に16%程度へ低下

北米市場への輸出と、枝を切る経営

1972年9月、米国にクボタトラクターCorp.を設立[104]している。米国で主に生産されていたのは60〜100馬力の大型機[105]で、同社が持ち込んだのは日本の水田向けに作った25〜30馬力の小型・中型機であった[106]。大型機の市場を避け、正面からの競合を外した参入[107]である。1974年3月にはフランスにヨーロッパクボタトラクタ販売有限会社[108]を設けて西欧へ広げた。国内では注文に生産が追いつかず、1974年時点のトラクタは月産7,000台でも足りず、早急に月産1万台へ[109]引き上げねばならない状態にあった。

  • クボタ 有価証券報告書 第135期(2024年12月期)【沿革】
    • [104]1972年9月 米国にクボタトラクターCorp.を設立し北米の販売体制を強化
    • [108]1974年3月 フランスにヨーロッパクボタトラクタ販売有限会社を設立
  • 証券アナリストジャーナル 1974年第12巻第10号「久保田鉄工」(廣慶太郎)
    • [105]米国では60〜100馬力の大型トラクターが主に生産されていた
    • [106]日本の水田向けの25〜30馬力の小型・中型トラクターを輸出した
    • [107]大型機を避けて小型・中型機で参入した
    • [109]1974年時点でトラクターは月産7,000台でも足りず早急に月産1万台へ引き上げる必要があった

増える注文に応えるため、1975年8月には農業用トラクタの専門量産工場として筑波工場[110]を新設した。1976年11月にはニューヨーク証券取引所へ株式を上場[111]している。1974年10月時点の市場占拠率は鋳鉄管が65%、農業機械はトラクタが52〜53%、耕うん機が20%程度[112]で、機種平均40〜42%を占めて業界首位[113]にあった。売上高は1974年4月期の1,840億円から同年10月期に2,200億円前後、1975年4月期には2,500億円[114]を見込んでいる。海外の広げ方は相手国によって分けており、現地法人を置いたのは台湾・ブラジル・インドネシア・マレーシア・イランで、南ベトナムとビルマには技術提携、フィリピンには販売提携[115]という形を採っている。先進国には完成品を持ち込み、発展途上国では現地法人を作って労働力を吸収し[116]、部品供給から順次現地生産へ移す道筋であった。

  • クボタ 有価証券報告書 第135期(2024年12月期)【沿革】
    • [110]1975年8月 農業用トラクタの専門量産工場として筑波工場を新設
    • [111]1976年11月 ニューヨーク証券取引所に上場
  • 証券アナリストジャーナル 1974年第12巻第10号「久保田鉄工」(廣慶太郎)
    • [112]市場占拠率は鋳鉄管65%、トラクタ52〜53%、耕うん機20%程度、平均40〜42%で業界第1位
    • [113]機種平均40〜42%のシェアを占め業界第1位であった
    • [114]売上は1974年4月期1,840億円、同年10月期2,200億円前後、1975年4月期2,500億円の見込み
    • [115]現地法人は台湾・ブラジル・インドネシア・マレーシア・イラン、技術提携は南ベトナム・ビルマ、販売提携はフィリピン
    • [116]先進国には完成品、発展途上国には現地法人を作り現地の労働力を吸収して部品供給から漸次現地生産化を進める方針

事業を広げる一方で、社長の廣慶太郎氏は多角化そのものに疑問を持っていた[117]。高度成長期には何をやっても需要がついてきたが、低成長に入ればそれが重荷になる[118]と見ていたためである。「張り過ぎた枝、茂り過ぎた葉は切らなくてはならない。これを放っておくと、枝や葉だけではなく、太い幹も一緒に倒れてしまう」と述べている。そのうえで、トップの最も大事な仕事は各部門の成長性を見きわめて切る時期の判断を誤らないこと[120]だという考えを示している。同社は6つの部門を育てながら、要らないものを相当に切ってきた[121]。1980年4月に外壁材専門の鹿島工場[122]、1985年1月にエンジン専門の堺臨海工場[123]を設けたのは、伸ばす部門を絞った投資である。 [119]

  • 証券アナリストジャーナル 1974年第12巻第10号「久保田鉄工」(廣慶太郎)
    • [117]廣慶太郎氏は「私は多角経営についても疑問を持っている」と述べた
    • [118]高度成長時代は何をやっても需要はついてきたが低成長になるとそれが重荷になるとの認識
    • [119]廣慶太郎氏の発言「張り過ぎた枝、茂り過ぎた葉は切らなくてはならない。これを放っておくと、枝や葉だけではなく、太い幹も一緒に倒れてしまう」
    • [120]廣慶太郎氏はトップの最も大事な仕事を各部門の成長性の見きわめと切る時期の判断とした
    • [121]6つの部門を育成強化する中で要らないものを相当に切ってきた
  • クボタ 有価証券報告書 第135期(2024年12月期)【沿革】
    • [122]1980年4月 外壁材専門工場として鹿島工場を新設
    • [123]1985年1月 エンジン専門工場として堺製造所に堺臨海工場を新設
  • クボタ 有価証券報告書 第135期(2024年12月期)【沿革】
    • [104]1972年9月 米国にクボタトラクターCorp.を設立し北米の販売体制を強化
    • [108]1974年3月 フランスにヨーロッパクボタトラクタ販売有限会社を設立
    • [110]1975年8月 農業用トラクタの専門量産工場として筑波工場を新設
    • [111]1976年11月 ニューヨーク証券取引所に上場
    • [122]1980年4月 外壁材専門工場として鹿島工場を新設
    • [123]1985年1月 エンジン専門工場として堺製造所に堺臨海工場を新設
  • 証券アナリストジャーナル 1974年第12巻第10号「久保田鉄工」(廣慶太郎)
    • [105]米国では60〜100馬力の大型トラクターが主に生産されていた
    • [106]日本の水田向けの25〜30馬力の小型・中型トラクターを輸出した
    • [107]大型機を避けて小型・中型機で参入した
    • [109]1974年時点でトラクターは月産7,000台でも足りず早急に月産1万台へ引き上げる必要があった
    • [112]市場占拠率は鋳鉄管65%、トラクタ52〜53%、耕うん機20%程度、平均40〜42%で業界第1位
    • [113]機種平均40〜42%のシェアを占め業界第1位であった
    • [114]売上は1974年4月期1,840億円、同年10月期2,200億円前後、1975年4月期2,500億円の見込み
    • [115]現地法人は台湾・ブラジル・インドネシア・マレーシア・イラン、技術提携は南ベトナム・ビルマ、販売提携はフィリピン
    • [116]先進国には完成品、発展途上国には現地法人を作り現地の労働力を吸収して部品供給から漸次現地生産化を進める方針
    • [117]廣慶太郎氏は「私は多角経営についても疑問を持っている」と述べた
    • [118]高度成長時代は何をやっても需要はついてきたが低成長になるとそれが重荷になるとの認識
    • [119]廣慶太郎氏の発言「張り過ぎた枝、茂り過ぎた葉は切らなくてはならない。これを放っておくと、枝や葉だけではなく、太い幹も一緒に倒れてしまう」
    • [120]廣慶太郎氏はトップの最も大事な仕事を各部門の成長性の見きわめと切る時期の判断とした
    • [121]6つの部門を育成強化する中で要らないものを相当に切ってきた

1990年〜 未知へ飛び込む多角化と石綿の公表、そして海外農機への傾斜

クボタの業績推移:連結

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1990年 「落下傘型」多角化で祖業依存を断つ経営刷新 農機と鋳鉄管の名門は、なぜ未経験のコンピューターへ飛び込んだか
  2. 1994年 子会社を解散
  3. 1999年 約30年来の水道管カルテルが発覚
  4. 1999年 希望退職者を募集
  5. 2005年 旧神崎工場の石綿疾病の公表と、周辺住民への見舞金・救済金の支払い 因果関係が決まる前に払うのか、決まるまで待つのか——法的責任が定まらない段階での選択
  6. 2012年 ノルウェーKverneland ASAを買収
  7. 2022年 インド農機大手エスコーツへの最大約1,406億円の出資と子会社化 自社製品で浸透を待つのか、現地大手を買うのか——14年シェアを取れなかった世界最大市場での選択

「落下傘型」という多角化への転回

1990年4月、社名を株式会社クボタへ改めている[124]。あわせて社長の三野重和氏が掲げたのが「落下傘型」の多角化[125]であった。既存事業の周辺へ広げるのではなく未経験の分野へ直接飛び込むという方針[126]で、コンピューター事業を第3の柱に育てる算段[127]である。廣慶太郎氏が伸ばす部門を絞って枝を切った[128]のに対し、三野氏は未知の領域へ降下する道を採った。背景にあったのは祖業の行き詰まりで、農業機械と水道用鋳鉄管という2本柱はいずれも成熟して大きな伸びが望みにくく[129]、「危険なことに手を出さない」という消極的な体質[130]が社内に染み付いていた。

  • クボタ 有価証券報告書 第135期(2024年12月期)【沿革】
    • [124]1990年4月 社名を株式会社クボタに変更
  • 日経ビジネス 1990年5月7日号「「落下傘型」ニュー事業で経営刷新」
    • [125]三野重和社長が未経験の分野へ飛び込む「落下傘型」の多角化を掲げた
    • [126]既存事業の周辺ではなく未経験の分野へ飛び込む方針であった
    • [127]コンピューター事業を第3の柱に育てようとした
    • [129]農業機械と水道用鋳鉄管の2本柱はいずれも成熟して大きな伸びが望みにくくなっていた
    • [130]「危険なことに手を出さない」という消極的な体質が社内に染み付いていた
  • 証券アナリストジャーナル 1974年第12巻第10号「久保田鉄工」(廣慶太郎)
    • [128]廣慶太郎氏は多角経営に疑問を持ち成長性を見きわめて切る判断を重視した

手を打つ順序は速く、1986年の米アーデント社への出資を皮切りに[131]、3次元グラフィックスワークステーションを軸として[132]コンピューター事業へ入っている。社内の組み替えも同時に進め、既存事業を1年で14社に分社化し[133]、新製品比率を課す人事評価制度によって守勢の各事業部へ事業展開を迫っている[134]。市場規模の大きいコンピューターを売上高1000億円単位の中核事業に育てるという構想[135]であった。環境事業についても、三野氏は1000億円を目指すと語っている[136]

  • 日経ビジネス 1990年5月7日号「「落下傘型」ニュー事業で経営刷新」
    • [131]1986年の米アーデント社への出資を皮切りにコンピューター事業へ進出
    • [132]3次元グラフィックスワークステーションを軸にコンピューター事業へ進出
    • [133]既存事業を1年で14社に分社化した
    • [134]新製品比率を課す人事評価制度で守勢の各事業部に事業展開を迫った
    • [135]市場規模の大きいコンピューターを売上高1000億円単位の中核事業に育てる算段であった
  • 日経ビジネス 1992年2月3日号「農機には貿易摩擦はない 環境事業で1000億円めざす」
    • [136]三野重和氏は環境事業で1000億円を目指すと述べた

降下の結末は事業ごとに分かれ[137]、コンピューター事業は提携先の合併・解散に翻弄され[138]て、スターデント社の清算で約170億円の損失を計上[139]して迷走している。一方で環境事業は継続して育てられた[140]。既存事業で上げた収益の範囲に投資をとどめ[141]、遺産を食い潰さない手堅さと未知への賭けが同居する判断である。三野氏は1993年の時点でも、安易な減量よりも踏みとどまる努力を説いていた[142]

  • 日経ビジネス 1992年8月31日号「クボタ研究 提携先が次々合併・解散 チップ迷走の電算機事業」
    • [137]コンピューター事業は迷走し環境事業は継続して育てられた
    • [138]コンピューター事業は提携先の合併・解散に翻弄された
    • [139]スターデント社の清算で約170億円の損失を計上した
  • 日経ビジネス 1994年10月17日号「未知の分野にも「落下傘降下」多角化してこそ持続的発展が可能に」
    • [140]環境事業は継続して育てられた
    • [141]既存事業で上げた収益の範囲に投資をとどめ遺産を食い潰さない手堅さがあった
  • 日経ビジネス 1993年11月15日号「三野重和[クボタ会長]安易な減量より踏みとどまる努力を」
    • [142]三野重和会長は「安易な減量より踏みとどまる努力を」と述べた
  • クボタ 有価証券報告書 第135期(2024年12月期)【沿革】
    • [124]1990年4月 社名を株式会社クボタに変更
  • 日経ビジネス 1990年5月7日号「「落下傘型」ニュー事業で経営刷新」
    • [125]三野重和社長が未経験の分野へ飛び込む「落下傘型」の多角化を掲げた
    • [126]既存事業の周辺ではなく未経験の分野へ飛び込む方針であった
    • [127]コンピューター事業を第3の柱に育てようとした
    • [129]農業機械と水道用鋳鉄管の2本柱はいずれも成熟して大きな伸びが望みにくくなっていた
    • [130]「危険なことに手を出さない」という消極的な体質が社内に染み付いていた
    • [131]1986年の米アーデント社への出資を皮切りにコンピューター事業へ進出
    • [132]3次元グラフィックスワークステーションを軸にコンピューター事業へ進出
    • [133]既存事業を1年で14社に分社化した
    • [134]新製品比率を課す人事評価制度で守勢の各事業部に事業展開を迫った
    • [135]市場規模の大きいコンピューターを売上高1000億円単位の中核事業に育てる算段であった
  • 証券アナリストジャーナル 1974年第12巻第10号「久保田鉄工」(廣慶太郎)
    • [128]廣慶太郎氏は多角経営に疑問を持ち成長性を見きわめて切る判断を重視した
  • 日経ビジネス 1992年2月3日号「農機には貿易摩擦はない 環境事業で1000億円めざす」
    • [136]三野重和氏は環境事業で1000億円を目指すと述べた
  • 日経ビジネス 1992年8月31日号「クボタ研究 提携先が次々合併・解散 チップ迷走の電算機事業」
    • [137]コンピューター事業は迷走し環境事業は継続して育てられた
    • [138]コンピューター事業は提携先の合併・解散に翻弄された
    • [139]スターデント社の清算で約170億円の損失を計上した
  • 日経ビジネス 1994年10月17日号「未知の分野にも「落下傘降下」多角化してこそ持続的発展が可能に」
    • [140]環境事業は継続して育てられた
    • [141]既存事業で上げた収益の範囲に投資をとどめ遺産を食い潰さない手堅さがあった
  • 日経ビジネス 1993年11月15日号「三野重和[クボタ会長]安易な減量より踏みとどまる努力を」
    • [142]三野重和会長は「安易な減量より踏みとどまる努力を」と述べた

鋳鉄管のカルテルと、石綿被害の公表

1999年2月、公正取引委員会は約30年にわたって続いてきた鋳鉄管業界のヤミカルテル[143]を認定し、クボタ・栗本鐵工所・日本鋳鉄管の3社を刑事告発[144]した。祖業である鋳鉄管の商いが、独占禁止法違反として問われたことになる[145]。同社の鋳鉄管は市場占拠率65%を長く保ってきた分野[146]で、その地位の作られ方そのものが処分の対象となった。

  • 公正取引委員会 審決
    • [143]1999年2月 公正取引委員会が約30年続いた鋳鉄管業界のヤミカルテルを認定
    • [144]クボタ・栗本鐵工所・日本鋳鉄管の3社が刑事告発された
    • [145]鋳鉄管業界のヤミカルテルが独占禁止法違反として問われた
  • 証券アナリストジャーナル 1974年第12巻第10号「久保田鉄工」(廣慶太郎)
    • [146]鋳鉄管の市場占拠率は65%であった

2005年6月29日、クボタは旧神崎工場で78人の社員が石綿を原因に死亡し[147]、15人が療養中であると発表している。あわせて工場の周辺住民に石綿との関連が疑われる患者がいることを明らかにし[148]、中皮腫を発症した住民3人へ1人200万円の見舞金[149]を支払うと言明した。社内で最初の石綿疾病による死亡者が出たのは1979年2月[150]で、以後は労災申請と会社独自の上積み補償で処理されてきた。旧神崎工場では石綿管の製造に従事した者の47.8%が石綿疾病を発症[151]している。周辺に患者がいるとの情報が社に入ったのは2005年4月、地元議員を通じて[152]であった。なお石綿を用いた製品そのものの製造は、公表に先立つ2001年に停止している。

  • 週刊東洋経済 2005年7月30日号「SPECIAL REPORT 増殖するアスベスト被害 10万人死亡説でもまだ少ない! 石綿“地雷”招いた官民の大罪」
    • [147]2005年6月29日 旧神崎工場で78人が石綿を原因に死亡し15人が療養中と発表
    • [150]社内で最初の石綿疾病による死亡者が出たのは1979年2月
    • [151]旧神崎工場では石綿管の製造に従事した者の47.8%が石綿疾病を発症
  • 週刊東洋経済 2005年7月30日号「緊急インタビュー 幡掛大輔クボタ社長に聞く 言い逃れはしない、住民被害の因果関係解明に協力したい」
    • [148]工場の周辺住民に石綿との関連が疑われる患者がいることを明らかにした
    • [149]中皮腫を発症した周辺住民3人へ1人200万円の見舞金を支払うと言明
    • [152]2005年4月 地元議員を通じて工場周辺に患者がいるとの情報が初めて社に入った

見舞金には支援団体を通じていること、中皮腫の診断書、石綿を扱う職歴がないこと、1954年から1995年までの間に近隣に居住していたことという基準[153]を置いた。翌2006年4月には患者・家族・支援団体との協議を経て、最低2,500万円・最高4,600万円の救済金支払い規程[154]へ改めている。石綿健康被害救済金等として2006年3月期に33億円、2007年3月期に29億円を特別損失へ計上[155]した。周辺住民の被害で企業の責任を認めた初の判決は2012年8月[156]で、同社の支払いはこれを7年先んじている。救済金の対象は2025年12月末までに414名[157]へ達した。

  • クボタ ニュースリリース 2006年4月17日「旧神崎工場周辺の石綿疾病患者並びにご家族の皆様に対する救済金支払い規程の骨子について」
    • [153]見舞金の基準は支援団体経由・中皮腫の診断書・石綿を扱う職歴がないこと・1954年から1995年までの近隣居住
    • [154]2006年4月 最低2,500万円・最高4,600万円の救済金支払い規程へ改めた
  • クボタ 有価証券報告書(2005年3月期・連結・米国会計基準)
    • [155]石綿健康被害救済金等として2006年3月期33億円、2007年3月期29億円を特別損失に計上
  • 日本経済新聞 2012年8月7日「石綿訴訟、クボタに賠償命令 住民被害初めて認定」
    • [156]周辺住民の被害で企業の責任を認めた初の判決は2012年8月
  • クボタ「石綿問題への対応状況について」(2025年12月31日時点)
    • [157]救済金の対象は2025年12月末までに414名
  • 公正取引委員会 審決
    • [143]1999年2月 公正取引委員会が約30年続いた鋳鉄管業界のヤミカルテルを認定
    • [144]クボタ・栗本鐵工所・日本鋳鉄管の3社が刑事告発された
    • [145]鋳鉄管業界のヤミカルテルが独占禁止法違反として問われた
  • 証券アナリストジャーナル 1974年第12巻第10号「久保田鉄工」(廣慶太郎)
    • [146]鋳鉄管の市場占拠率は65%であった
  • 週刊東洋経済 2005年7月30日号「SPECIAL REPORT 増殖するアスベスト被害 10万人死亡説でもまだ少ない! 石綿“地雷”招いた官民の大罪」
    • [147]2005年6月29日 旧神崎工場で78人が石綿を原因に死亡し15人が療養中と発表
    • [150]社内で最初の石綿疾病による死亡者が出たのは1979年2月
    • [151]旧神崎工場では石綿管の製造に従事した者の47.8%が石綿疾病を発症
  • 週刊東洋経済 2005年7月30日号「緊急インタビュー 幡掛大輔クボタ社長に聞く 言い逃れはしない、住民被害の因果関係解明に協力したい」
    • [148]工場の周辺住民に石綿との関連が疑われる患者がいることを明らかにした
    • [149]中皮腫を発症した周辺住民3人へ1人200万円の見舞金を支払うと言明
    • [152]2005年4月 地元議員を通じて工場周辺に患者がいるとの情報が初めて社に入った
  • クボタ ニュースリリース 2006年4月17日「旧神崎工場周辺の石綿疾病患者並びにご家族の皆様に対する救済金支払い規程の骨子について」
    • [153]見舞金の基準は支援団体経由・中皮腫の診断書・石綿を扱う職歴がないこと・1954年から1995年までの近隣居住
    • [154]2006年4月 最低2,500万円・最高4,600万円の救済金支払い規程へ改めた
  • クボタ 有価証券報告書(2005年3月期・連結・米国会計基準)
    • [155]石綿健康被害救済金等として2006年3月期33億円、2007年3月期29億円を特別損失に計上
  • 日本経済新聞 2012年8月7日「石綿訴訟、クボタに賠償命令 住民被害初めて認定」
    • [156]周辺住民の被害で企業の責任を認めた初の判決は2012年8月
  • クボタ「石綿問題への対応状況について」(2025年12月31日時点)
    • [157]救済金の対象は2025年12月末までに414名

縦割りの是正と、海外農機への傾斜

2009年1月、42年ぶりに技術畑から益本康男氏が社長へ就いている[158]。石綿被害と公共工事の談合という二つの問題の背後に組織のあり方がある[159]とみて、「縦割り組織の弊害と反省」を公然と唱え[160]、事業ごとに分かれた基幹システムを“クボタ標準”へ集結させる改革を掲げた。就任は業績の転機とも重なり、世界不況の直撃で2009年3月期は5期ぶりの営業減益となって、営業利益は前期比23%減[161]に落ち込んだ。米国では建設機械とエンジンが打撃を受け、ドイツの建設機械工場は動きを止めている[162]

  • 週刊東洋経済 2009年4月18日号「TOP INTERVIEW クボタ社長 益本康男 個別最適の乱立に限界 “クボタ標準”への集結を」
    • [158]2009年1月 42年ぶりに技術畑から益本康男氏が社長に就任
    • [159]アスベストによる健康被害問題や公共工事の談合事件の背景にある組織の改革が必要とされた
    • [160]益本康男氏は「縦割り組織の弊害と反省」を公然と唱え改革姿勢を明確にした
    • [161]2009年3月期は5期ぶりの営業減益で営業利益は前期比23%減
    • [162]米国では建設機械とエンジンが打撃を受けドイツの建設機械工場は動いていない状況となった

不況を越えると、海外農機の品揃えを買収で埋める動きが続き、2012年3月に畑作用インプルメントメーカーであるノルウェーのクバンランドASAを買収[163]して子会社とし、買収したクバンランドは1879年創業でオスロ証券取引所に上場する老舗で、株式78.95%を合計181億円で取得している。2013年12月にはフランスへ畑作用大型トラクタの生産拠点[164]を設けている。2016年7月には米国のグレートプレーンズマニュファクチュアリングを買収[165]して子会社に加えた。狙いは長らく空いていた大型農機の穴で、1980年代後半にもスペインの農機メーカーを買収して最大170馬力のトラクターを開発[166]したが、景気悪化で買収先が倒産し、販売は200台ほど[167]にとどまっていた。

  • クボタ 有価証券報告書 第135期(2024年12月期)【沿革】
    • [163]2012年3月 ノルウェーのクバンランドASAを買収し子会社化
    • [164]2013年12月 フランスに畑作用大型トラクタの生産拠点クボタファームマシナリーヨーロッパS.A.S.を設立
    • [165]2016年7月 米国のグレートプレーンズマニュファクチュアリング,Inc.を買収し子会社化
  • 週刊東洋経済 2020年9月5日号「ニュース最前線 02 クボタが大型機投入で挑む 農機業界の巨人との戦い」
    • [166]1980年代後半にスペインの農機メーカーを買収し最大170馬力のトラクターを開発した
    • [167]景気悪化で買収先が倒産し販売は200台ほどにとどまった

2020年春、カナダの農機メーカーからOEM供給を受けて最大210馬力の「M8」を投入[168]した。同社史上で最も巨大なトラクタ[169]であった。北尾裕一社長は「このサイズになると、ジョンディアのドル箱とも競合する。ここからはいよいよガチンコ勝負になる」と語っている。1972年の進出以来、正面対決を避けて隙間の市場へ入る作戦を採ってきた[171]市場で、初めて正面から挑む選択であった。インドには2008年に販売会社を設けて参入していた[172]が、3年たっても年間販売は約500台にとどまっていた[173]。2022年4月にはインドのエスコーツを最大約1,406億円で子会社化[174]し、台数ベースで世界最大の市場を押さえている[175]。2025年12月期の売上高は3兆188億円、営業利益は2,654億円[176]であった。 [170]

  • 週刊東洋経済 2020年9月5日号「ニュース最前線 02 クボタが大型機投入で挑む 農機業界の巨人との戦い」
    • [168]2020年春に投入したM8は最大210馬力でカナダの農機メーカーからOEM供給を受けた
    • [169]M8はクボタ史上最も巨大なトラクターであった
    • [170]北尾裕一社長の発言「このサイズになると、ジョンディアのドル箱とも競合する。ここからはいよいよガチンコ勝負になる」
    • [171]1972年の米国進出時は「ジョンディアとの正面対決は避け、隙間の市場に入っていく作戦」を採った
  • クボタ「インドのトラクタメーカー Escorts Limited に対する出資比率の引き上げについて」(2021年11月18日)
    • [172]2008年にインドへ販売会社クボタインド農業機械を設立して参入
    • [173]2008年の参入から3年たっても年間販売は約500台にとどまった
    • [174]2022年4月 インドのエスコーツLtd.を最大約1,406億円で子会社化
  • 日本経済新聞 2021年11月18日「クボタ、インド農機大手を買収 1400億円で」
    • [175]インドは台数ベースで世界最大のトラクタ市場
  • クボタ 有価証券報告書(2025年12月期・連結・IFRS)
    • [176]2025年12月期の売上高3兆188億円・営業利益2,655億円
  • 週刊東洋経済 2009年4月18日号「TOP INTERVIEW クボタ社長 益本康男 個別最適の乱立に限界 “クボタ標準”への集結を」
    • [158]2009年1月 42年ぶりに技術畑から益本康男氏が社長に就任
    • [159]アスベストによる健康被害問題や公共工事の談合事件の背景にある組織の改革が必要とされた
    • [160]益本康男氏は「縦割り組織の弊害と反省」を公然と唱え改革姿勢を明確にした
    • [161]2009年3月期は5期ぶりの営業減益で営業利益は前期比23%減
    • [162]米国では建設機械とエンジンが打撃を受けドイツの建設機械工場は動いていない状況となった
  • クボタ 有価証券報告書 第135期(2024年12月期)【沿革】
    • [163]2012年3月 ノルウェーのクバンランドASAを買収し子会社化
    • [164]2013年12月 フランスに畑作用大型トラクタの生産拠点クボタファームマシナリーヨーロッパS.A.S.を設立
    • [165]2016年7月 米国のグレートプレーンズマニュファクチュアリング,Inc.を買収し子会社化
  • 週刊東洋経済 2020年9月5日号「ニュース最前線 02 クボタが大型機投入で挑む 農機業界の巨人との戦い」
    • [166]1980年代後半にスペインの農機メーカーを買収し最大170馬力のトラクターを開発した
    • [167]景気悪化で買収先が倒産し販売は200台ほどにとどまった
    • [168]2020年春に投入したM8は最大210馬力でカナダの農機メーカーからOEM供給を受けた
    • [169]M8はクボタ史上最も巨大なトラクターであった
    • [170]北尾裕一社長の発言「このサイズになると、ジョンディアのドル箱とも競合する。ここからはいよいよガチンコ勝負になる」
    • [171]1972年の米国進出時は「ジョンディアとの正面対決は避け、隙間の市場に入っていく作戦」を採った
  • クボタ「インドのトラクタメーカー Escorts Limited に対する出資比率の引き上げについて」(2021年11月18日)
    • [172]2008年にインドへ販売会社クボタインド農業機械を設立して参入
    • [173]2008年の参入から3年たっても年間販売は約500台にとどまった
    • [174]2022年4月 インドのエスコーツLtd.を最大約1,406億円で子会社化
  • 日本経済新聞 2021年11月18日「クボタ、インド農機大手を買収 1400億円で」
    • [175]インドは台数ベースで世界最大のトラクタ市場
  • クボタ 有価証券報告書(2025年12月期・連結・IFRS)
    • [176]2025年12月期の売上高3兆188億円・営業利益2,655億円

クボタの沿革1890〜2022年における主な出来事を抜粋

年月社長・CEO出来事重要度
久保田鉄工所を創業
水道用鋳鉄管の製造を開始★★
工作機械に参入・鋳鉄管生産を尼崎と恩加島に移管
実用自動車製造を設立・自動車に参入★★
発動機(農工用小型エンジン)の製造を開始★★
隅田川精鉄所を買収
久保田鉄工所を設立
農工用発動機の大量生産を開始
耕うん機の製造開始・農機に参入★★
東京証券取引所に株式上場
小田原大造小田原大造氏が社長就任
小田原大造社名を久保田鉄工に変更
小田原大造合成樹脂管の製造を開始
小田原大造住宅建材事業に参入
小田原大造創業者・久保田権四郎氏が逝去
小田原大造純国産トラクタT15形の発売と、耕うん機から完成機体系への農業機械の組み替え発動機の延長で足りるのか、完成機へ移すのか——農業基本法が開いた機械化需要への応え方 詳細を読む★★★
小田原大造環境事業に参入
小田原大造産業機械・鋳鋼製品の量産体制を確立
米田健三住宅建材事業に本格参入
米田健三田植機・バインダーの量産体制を確立
広慶太郎欧米向けトラクタの量産を開始★★
広慶太郎クボタトラクターCorp.の設立と、水田向け小型トラクタによる北米・欧州市場への進出減反で縮む国内をどう埋めるか——廣慶太郎社長が「既存路線を捨てる」と語った先の市場 詳細を読む★★★
広慶太郎ヨーロッパクボタトラクタ販売を設立
広慶太郎農業用トラクタの専門量産工場として筑波工場を新設
広慶太郎ニューヨーク証券取引所に上場。(2013年7月に同取引所上場廃止。)
広慶太郎外壁材専門工場として鹿島工場を新設
三野重和エンジン専門工場として堺製造所に堺臨海工場を新設
三野重和「落下傘型」多角化で祖業依存を断つ経営刷新農機と鋳鉄管の名門は、なぜ未経験のコンピューターへ飛び込んだか 詳細を読む★★★
三井康平子会社を解散
三井康平約30年来の水道管カルテルが発覚★★
三井康平希望退職者を募集
幡掛大輔非注力事業を分離縮小
幡掛大輔シーアイ化成との合成樹脂管事業統合によりクボタシーアイを設立
幡掛大輔旧神崎工場の石綿疾病の公表と、周辺住民への見舞金・救済金の支払い因果関係が決まる前に払うのか、決まるまで待つのか——法的責任が定まらない段階での選択 詳細を読む★★★
幡掛大輔立ち入り調査が相次ぐ
幡掛大輔サイアムクボタトラクター Co.,Ltd.を設立
益本康男ノルウェーKverneland ASAを買収★★
木股昌俊クボタファームマシナリーヨーロッパ S.A.S.を設立
木股昌俊GPを買収
北尾裕一基幹システムの刷新開始
北尾裕一インド農機大手エスコーツへの最大約1,406億円の出資と子会社化自社製品で浸透を待つのか、現地大手を買うのか——14年シェアを取れなかった世界最大市場での選択 詳細を読む★★★
北尾裕一グローバル技術研究所を新設
出典・参考
  • クボタ 有価証券報告書 第135期(2024年12月期)【沿革】
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
  • クボタ ニュースリリース 2006年4月17日「旧神崎工場周辺の石綿疾病患者並びにご家族の皆様に対する救済金支払い規程の骨子について」
  • 証券アナリストジャーナル 1964年第2巻第5号「久保田鉄工の近況について」(広慶太郎)
  • ダイヤモンド 1960年12月5日号「発展期を迎えた農機具業界」
  • 証券アナリストジャーナル 1968年第6巻第3号「久保田鉄工の現状と将来」(広慶太郎)
  • 証券アナリストジャーナル 1972年第10巻第10号「久保田鉄工」(廣慶太郎)
  • 証券アナリストジャーナル 1974年第12巻第10号「久保田鉄工」(廣慶太郎)
  • 日経ビジネス 1990年5月7日号「「落下傘型」ニュー事業で経営刷新」
  • 日経ビジネス 1992年2月3日号「農機には貿易摩擦はない 環境事業で1000億円めざす」
  • 日経ビジネス 1992年8月31日号「クボタ研究 提携先が次々合併・解散 チップ迷走の電算機事業」
  • 日経ビジネス 1994年10月17日号「未知の分野にも「落下傘降下」多角化してこそ持続的発展が可能に」
  • 日経ビジネス 1993年11月15日号「三野重和[クボタ会長]安易な減量より踏みとどまる努力を」
  • 公正取引委員会 審決
  • 週刊東洋経済 2005年7月30日号「SPECIAL REPORT 増殖するアスベスト被害 10万人死亡説でもまだ少ない! 石綿“地雷”招いた官民の大罪」
  • 週刊東洋経済 2005年7月30日号「緊急インタビュー 幡掛大輔クボタ社長に聞く 言い逃れはしない、住民被害の因果関係解明に協力したい」
  • クボタ 有価証券報告書(2005年3月期・連結・米国会計基準)
  • 日本経済新聞 2012年8月7日「石綿訴訟、クボタに賠償命令 住民被害初めて認定」
  • クボタ「石綿問題への対応状況について」(2025年12月31日時点)
  • 週刊東洋経済 2009年4月18日号「TOP INTERVIEW クボタ社長 益本康男 個別最適の乱立に限界 “クボタ標準”への集結を」
  • 週刊東洋経済 2020年9月5日号「ニュース最前線 02 クボタが大型機投入で挑む 農機業界の巨人との戦い」
  • クボタ「インドのトラクタメーカー Escorts Limited に対する出資比率の引き上げについて」(2021年11月18日)
  • 日本経済新聞 2021年11月18日「クボタ、インド農機大手を買収 1400億円で」
  • クボタ 有価証券報告書(2025年12月期・連結・IFRS)

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