歴史概要 — 現在に至るあゆみ 主要な意思決定と帰結のまとめ
創業2006年7月、東京大学先端科学技術研究センター教授の菅裕明氏と、日産自動車・JGSを経て創薬ビジネスに通じた窪田規一氏が、東京都千代田区でペプチドリームを共同創業した。母体は菅氏が開発した人工RNA触媒「フレキシザイム」で、特殊な環状ペプチドを高速に合成して医薬品候補を絞り込む基盤を事業化した。研究を生んだ大学人と、それを商売に変える事業家を別々の人間として組み合わせ、自社で薬をつくって売るのではなく、基盤そのものを製薬会社へ貸して稼ぐことを選んだ。
決断2010年に独自基盤「PDPS」を立ち上げ、製薬企業へのライセンス供与と共同研究で稼ぐ受託の事業構造を固めた。武田・アステラス・米BMS・スイスNovartisと内外大手との契約を次々に結び、研究開発受託料を主な収益として積み上げた。創業7年の2013年にマザーズ、9年の2015年に東証一部へ上場した。自社で在庫も工場も持たない軽い事業構造が速い成長を生んだ一方、売上は契約がいつまとまるかに左右され、年ごとに振れる性質をはじめから抱えていた。
歴史詳細 - 3つの時代区分で読み解く
2006年〜2014年 東京大学発の創薬ベンチャー設立とPDPS確立
フレキシザイム技術を母体とした起業
2006年7月、東京都千代田区において[1]、東京大学先端科学技術研究センター教授だった菅裕明氏[2]と、日産自動車・株式会社JGSを経て創薬ビジネス経験を積んだ窪田規一氏[4]の2人を共同創業者として[3]、ペプチドリーム株式会社が設立された。研究室は東京大学先端科学技術研究センター内に置かれ[5]、菅氏が開発した「フレキシザイム」と呼ばれる人工RNA触媒の技術を母体に、特殊環状ペプチドを合成・スクリーニングする創薬基盤の事業化が起業の核となった。設立後ほどなくして、同年12月に東京大学から[6]、翌2007年5月にニューヨーク州立大学から、フレキシザイム関連特許の第三者へのサブライセンス権付き独占的通常実施権を取得した[7]。創業者2人が研究と経営をそれぞれ担う典型的なアカデミア発スタートアップとして始まった。
2009年3月に本社を東京都目黒区に移し[8]、2010年4月にはラボ機能を東京大学駒場リサーチキャンパスKOL内に集約[9]。同年10月、同社独自の創薬開発プラットフォームシステム(PDPS:Peptide Discovery Platform System)の確立を公式に発表した[10]。PDPSは、フレキシザイムを用いて1,000兆種類規模のペプチドライブラリーから医薬品候補を絞り込む独自基盤で、製薬企業に対するライセンス供与と共同研究契約を主な収益源とする「研究開発受託型バイオベンチャー」というビジネスモデルを築いた時期にあたる。
マザーズ上場と単独経営の最終形
2013年6月、東京証券取引所マザーズ市場に株式を上場した[11]。創業から7年での上場で[12]、上場時の連結売上高はFY13に8.2億円。設立から上場までの7年で、武田薬品工業・アステラス製薬・Bristol Myers Squibb・Novartisなど内外大手製薬とのライセンス契約・共同研究契約を矢継ぎ早に締結しており、研究開発受託料の積み上がりが収益の柱だった。
2015年12月、東証マザーズから市場第一部へ市場変更[13]。当時の売上高はFY15で43.3億円、設立から9年での1部昇格[14]は東大発バイオベンチャーとして異例の速さだった。
2015年〜2021年 経営体制の世代交代と事業多角化
創業社長から研究者社長への交代
2016年、創業社長の窪田規一氏は代表取締役会長となり、2017年9月、CSO(チーフ・サイエンス・オフィサー)として[15]PDPSの基盤技術確立と製薬企業との研究開発プログラムを統括したリード・パトリック氏[16]が代表取締役社長に就任した。米Dartmouth Medical Schoolポスドク[17]・神戸大学医学部・米国の創薬研究組織を渡り歩いた研究者で、創業者2人とは異なる「研究現場出身の社長」という人材像である。アメリカ人の研究者を社長に据えた決断は、PDPSの国際的なライセンス展開を加速させる狙いと、創業者・窪田氏の退任を視野に入れた経営承継の意味の両方を持っていた。
2017年7月、本社を神奈川県川崎市殿町の「キングスカイフロント」内の新社屋に移転し[18]、研究施設を拡張した。同年9月、塩野義製薬・積水化学工業との合弁で特殊ペプチド原薬の研究開発・製造・販売を行うCDMO(医薬品開発製造受託機関)「ペプチスター株式会社」を設立[19]。ペプチド創薬の上流(探索)から下流(製造)まで一気通貫の事業領域を確保する戦略への転換点だった。
COVID対応合弁と決算期変更
2019年に決算期を6月から12月へ変更し[20]、移行期となるFY19は6カ月の変則決算(売上10.4億円)として処理された。世界の製薬企業との契約締結期に合わせた決算期変更で、本格的な事業契約フェーズへの移行を象徴する。
2020年4月、三菱商事との合弁で細胞培養向け培地用のペプチド開発・製造・販売会社「ペプチグロース」を設立[21]。同年11月には、富士通・みずほキャピタル・竹中工務店・キシダ化学との5社合弁で、新型コロナウイルス感染症治療薬の開発を目的とした「ペプチエイド」を設立した[22]。COVID-19パンデミック下でPDPSによる治療薬開発の社会的存在感を高める動きが続き、FY20売上は116.8億円、FY21は94.2億円に達した。
2022年〜現在年 PDRファーマ買収と放射性医薬品事業への参入(2022〜現在)
M&Aによる事業構造の刷新
2022年3月、放射性医薬品事業を実施する「PDRファーマ株式会社」の株式を取得し、連結子会社化した[23]。同年4月、東証の市場区分見直しに伴い、市場第一部からプライム市場に移行[24]。PDRファーマ買収は、ペプチド創薬の研究開発受託に偏っていた事業構造を、製造販売ライセンスを持つ放射性医薬品事業との二本柱に組み替える、創業以来最大級の戦略決断だった。FY22の連結売上高は268.5億円、FY23は287.1億円、FY24は466.8億円と急拡大し、PDRファーマの実販売が連結業績を押し上げる構図ができた。
研究開発受託型ベンチャーから、自社製品を持つ製薬企業への構造転換が進む一方で、PDRファーマ統合に伴うのれん償却・無形資産償却の負担が利益面を圧迫する局面にも入っている。FY25は売上185.2億円と、PDRファーマ統合効果のピークアウトと、ペプチド創薬契約の通期計上時期のばらつきが、業績変動をする材料である。
創業者から脱却した経営フェーズ
菅裕明氏は東京大学教授職と並行して同社の研究顧問の位置にあり、窪田規一氏も経営の第一線から退いた。経営の主導権はリード・パトリック社長と外部から登用された経営層[25](CFOの金城聖文氏[26]、COOの舛屋圭一氏[27]など)に移っており、「研究者社長+外部経営層」の組み合わせで創業期からの事業構造を作り変えるフェーズに入っている。
創業の発端だったフレキシザイム特許の独占的通常実施権という資産は[28]、PDPSと放射性医薬品の二本柱として[29]、創業時の単一プラットフォーム依存からは離れた現在の事業基盤に組み込まれている。