創業1980年、ベイシアグループ創業者・土屋嘉雄氏が、関西で人気の作業着小売店の存在を有望市場と判断し、「いせや」(後のベイシア)の1店舗として「ワークマン」業態を群馬県に開いた。1982年8月にフランチャイズ専業で本格展開するため株式会社ワークマンを設立、もう一つの目的はベイシアグループの経営者育成である。創業時から「しない経営」と徹底したマニュアル化・標準化を志向し、「FCを誰がやっても儲かる仕組み」を作り込んだ。職人の指名買いが多く、競合の作業着チェーンがいない市場特性が、この組織文化を実装可能にした条件である。
決断1997年9月の店頭登録時、ワークマンはFC193+直営103(うち業務委託90)、作業着市場700億円のうち全国展開は1社のみだった。2012年に最高情報責任者として就いた土屋哲雄氏(創業者の甥、三井物産デジタル元社長)は、市場を取り尽くす見通しのなかExcelを共通言語にしたデータ経営を導入、商品開発を属人型からデータ駆動型に切り替えた。2018年のWorkman Plusは高機能・低価格の空白市場4,000億円を狙う業態で、3ヶ月で利益KPIを達成、コロナ禍のアウトドアブームと重なり一般消費者へ顧客層を広げた。
課題FY24(2025年3月期)単体売上高997億円・経常利益249億円・純利益169億円、営業利益率24.5%と小売業として突出した収益性を維持している。2020年10月「#ワークマン女子」、2023年9月「Workman Colors」と業態を増やし、同年9月に1,000店舗を達成、1,500店舗体制と海外トライアルを次の主題に据えている。2021年時点で土屋家関係の株式保有が70%超に達し、機関投資家にとっての投資対象になりにくく、企業価値の算出が難しい資本構造が続いている。
API for AI Agents— 静的アセットのJSONで取得可能。API実行の認証不要
| Method | Path | 概要 | ワークマン(証券コード7564)のURL | API仕様書 |
|---|---|---|---|---|
| GET | https://the-shashi.com/api/companies.json | 全社一覧 + 公開エンドポイント目録 | openapi.yaml | |
| GET | https://the-shashi.com/api/{stock_code}/manifest.json | リソース目録 + プロファイル | openapi.yaml | |
| GET | https://the-shashi.com/api/{stock_code}/history.json | 歴史概略 | openapi.yaml | |
| GET | https://the-shashi.com/api/{stock_code}/timeline.json | 沿革 | openapi.yaml | |
| GET | https://the-shashi.com/api/{stock_code}/executives.json | 役員 | openapi.yaml | |
| GET | https://the-shashi.com/api/{stock_code}/shareholders.json | 大株主 | openapi.yaml | |
| GET | https://the-shashi.com/api/{stock_code}/financials.json | 財務三表 | openapi.yaml | |
| GET | https://the-shashi.com/api/{stock_code}/financials-longterm.json | 長期業績 | openapi.yaml | |
| GET | https://the-shashi.com/api/{stock_code}/workforce.json | 従業員 | openapi.yaml |
歴史概略
1982年〜2010年ベイシア祖業としての作業服専門小売創業と全国網構築
いせやの1店舗としての業態開発と1982年の法人化
1980年、いせや(後のベイシア)の創業者・土屋嘉雄氏は、関西で人気を集める作業着小売店の存在を有望な市場と判断し、いせやの1店舗として「ワークマン」業態を群馬県に開いた。職人・建設従事者向けの作業着というニッチ市場への参入で、競合チェーンがおらず職人の指名買いが多いという市場特性が、業態の経済性を成立させる条件だった。1982年8月、ワークマンをフランチャイズで本格展開するために株式会社ワークマンを設立した。設立目的のもう片方はベイシアグループにおける経営者の育成で、子会社として独立させることで人材を育てる設計でもあった。創業時から「しない経営」を志向し、徹底したマニュアル化・標準化で「FCを誰がやっても儲かる仕組み」を作り込んだ点が独特である。設立翌月の1982年9月には流通センターを群馬県高崎市に開設、創業直後から物流インフラに着手した。
実は法人格上の出発はやや複雑である。1979年11月設立の「株式会社蘭豆」(旧社名あっぷるでーと、1987年12月商号変更)が形式上の存続会社で、群馬県伊勢崎市の同地で先行設立されていた。事業実体としてのワークマン創業は1982年8月で、1994年4月に株式会社蘭豆を形式上の存続会社として合併し商号を株式会社ワークマンへ変更することで、法人格を実質と一致させる組織再編を完了した。創業者・土屋嘉雄氏は初代代表取締役社長を山根定美氏に委ね、自らは取締役会長としてグループ全体を統括する所有と経営の分離体制を最初期から敷いた点が特徴的である。
フランチャイズ専業モデルと100号店・500号店達成──全国網の構築
1988年3月、山形県酒田市に100号店「酒田バイパス店」を開店した。創業6年で3桁店舗達成は、フランチャイズ専業の運営モデルがスケールメリットを発揮した結果で、加盟店募集にあたってラジオ・テレビCMで認知度向上を図った。本社直接運営でなくFC加盟店主に店舗運営を委ねる構造は、本社の少数精鋭で店舗網を拡大できる利点を持つ反面、商品供給とFC支援の本部機能の充実が要求される。同年1月の東京本部開設・新潟・長野・栃木の地区本部新設、翌1989年の茨城・南東北地区本部新設で、群馬ドミナントから東日本へ展開を本格化した。1996年6月の岐阜地区本部開設で東海地区に踏み込み、2003年5月の大阪地区本部開設で西日本展開を本格化、2011年5月の福岡地区本部開設で九州に達した。創業から約20年を経て全国出店をほぼ完了する経緯である。
2000年11月には奈良県大和郡山市で500号店を開店、西日本展開の節目を迎えた。1997年9月の日本証券業協会店頭登録(公開市場入り)時点で、ワークマンの体制はFC193店舗・直営103店舗(うち業務委託90店舗)、作業着の国内市場規模700億円に対して全国展開を行うのはワークマン1社のみだった。山根定美代表取締役社長は「13年後の2010年までに全国に1,300店舗を展開しナショナルチェーンとしての体制を目指したい」(証券アナリストジャーナル 1997/11)と方針を公表した。2004年12月のジャスダック証券取引所上場、2010年4月の大阪証券取引所JASDAQ上場(JASDAQ証券取引所と大阪証券取引所の合併に伴う)、2011年7月の東京証券取引所JASDAQ上場(東京・大阪証券取引所統合に伴う)と、上場市場の変遷を経た。ただし上場後も筆頭株主はベイシア系の「ベイシア興業」で、上位株主はベイシアの創業家・土屋家が占め、資本面ではグループの祖業としての位置を維持したままの公開だった。
以降は執筆中