1980年に土屋嘉雄氏がいせやの1店舗として群馬県に開いた「職人の店 ワークマン」が起源。
2018年に高機能・低価格の衣料を一般客へ出すWORKMAN Plusを始め、2020年には#ワークマン女子へ展開した。作業服の専門店チェーンで、2023年に営業店舗数1,000店に達した。
土屋嘉雄氏は1951年4月に藤五へ入社し、1958年12月に株式会社いせやを設立して専務取締役に就任した。いせやは衣料の専門店として出発し、1967年11月には土屋嘉雄氏が社長へ就任。当時の作業服や作業用品は衣料品の一部として扱われ、独立した商品分野になっていなかった。一方で現場で働く人にとっては毎日の仕事に欠かせない品で、需要の量も機能と品質への要求も大きな分野である。いせやは1982年にこの分野を専門店として分社独立させ、会社案内は全国に出店する同種の専門チェーンがほかに無いと記した。総合衣料の大手が品揃えの一角としか見なかった需要を、いせやは1業態として切り出せると判断したとみられる。
株式会社ワークマンは1982年8月19日、作業服と作業用品の専門小売を目的に群馬県伊勢崎市で設立された。社長には、いせや社長の土屋嘉雄氏が兼務で就任した。事業の仕組みにはフランチャイズを選び、加盟店を独立した経営者、本部と加盟店を対等な取引相手と位置づけた。資金や経験の乏しい人はまず業務委託店で迎え、年商70百万円程度に達した段階でフランチャイズ店へ移す方式も創業時から取った。法人格では、1979年11月設立のあっぷるでーとが1987年12月に蘭豆へ商号を改め、のちの合併で形式上の存続会社となった。いせやの中にとどめれば出店は自社の資金に縛られるため、店主の資金で店数を増やせる別会社を設けたと推察される。
ワークマンは設立翌月の1982年9月に群馬県高崎市で流通センターを開設し、1984年4月には前橋市へ移転した。本部は商品の調達と全国の物流体制の整備を受け持ち、加盟店は店頭の販売を担う分担を取った。1997年の説明では、本部が商品を完全に買い取る方式を商品政策の基本に据えた。1984年9月には、いせや衣料事業部でトレーニー担当のマネジャーを務めた山根定美氏が出向し、商品部長に就任した。加盟店に仕入れの負担を負わせず品揃えをそろえるには、店が増える前に配送の拠点を持つ必要があったと考えられる。
1984年12月、商品部長の山根定美氏の着任から3か月後に、東京都台東区で商品部東京事業所を開設。1985年5月にはシノヤ出身の栗山清治氏が入社し、1987年3月に商品部カジュアルデビジョンマネジャーへ就任した。栗山清治氏は1988年10月に履物・作業用品デビジョンマネジャーへ移り、商品部は品目ごとに担当者を置いた。1988年1月には同じ台東区にワークマン東京本部を開設した。1997年の売上はワーキングウエア・履物・作業用品・カジュアル・ファミリー衣料・その他の6区分で管理された。作業服のメーカーや問屋と直接取引し品目を増やすには、群馬の外にも仕入れの拠点が要ったのだろう。
1986年10月、ワークマンは伊勢崎市柴町1732番地に本部棟を竣工し、本部を移転した。同時に群馬地区本部と埼玉地区本部を伊勢崎市に設置し、店の管理を地区単位に分けた。柴町の所在地は、2011年12月末時点でも本社として使われた。土屋嘉雄氏は1984年3月にセーブオン社長、翌4月にワークマン取締役会長、1986年5月にオートアールズ社長へ就任した。1997年に社長の山根定美氏が示した方針は、スーパーバイザーを強化して加盟店へ経営情報を提供することである。地区本部は、加盟店を巡回して指導するスーパーバイザーの拠点として設けられたと推測される。
1988年3月、ワークマンは山形県酒田市に100号店の酒田バイパス店を開店した。翌4月には新潟市、長野市、栃木県矢板市へそれぞれ地区本部を設置。1989年9月に仙台市へ南東北地区本部、同年11月に茨城県茨城町へ茨城地区本部を設置し、地区本部は7か所になった。山根定美氏は1997年に、新しい地域への出店と進出済みの地域での高密度な出店を、店舗展開の基本方針に挙げた。1998年には埼玉・千葉・静岡・愛知で、地域シェア30%を目標に集中出店を進めた。新しい県へ店が出た後に地区本部を追って置き、加盟店の開拓と指導を現地へ移したとうかがえる。
1988年10月、ワークマンは流通センターを本部棟のある伊勢崎市へ移転し、伊勢崎流通センターとした。山根定美氏は1987年10月に取締役、1989年6月に物流事業部長となり、1991年8月からは商品部長と物流事業部長の兼任である。1991年1月に台東区で完成したワークマン東京本部ビルが、東京本部の新しい所在地である。山根定美氏は1997年に、1982年の創業から使い手の目線で商品の品質を突き詰めてきたと説明した。2012年の会社案内でも、伊勢崎流通センターは関東信越本部と並ぶ拠点として示された。仕入れと配送を1人の役員が統括したことで、商品部の発注と流通センターの出荷を同じ判断で動かせたと思われる。
1991年12月、ワークマンは秋田県横手市に200号店の横手赤坂店を開店し、1988年3月の100号店から3年9か月で店数を倍にした。同じ1991年7月に土屋嘉雄氏は代表取締役会長兼社長となり、1992年4月に代表取締役会長へ戻った。山根定美氏は1997年に、拡大の理由として加盟店の経営を支えるフランチャイズの仕組みと、本部のチェーン運営の仕組みを挙げた。同じ説明で示した1店舗の平均売上高は、1996年10月から1997年9月までで8,777万円であった。ワークマンは1994年4月に蘭豆を形式上の存続会社として合併し、商号をワークマンに改めた。200店までに整えた物流と地区本部の網が、次の改称と店頭登録の土台になったであろう。
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事実根拠:出所(ワークマン)