1960年、松下通信工業を離れた内山康が29歳で東京目黒区に東京ITV研究所を設立したのが、レーザーテックの出発点である。工場を持たずに研究開発へ経営資源を集中させるファブライト経営を、創業当初から貫いた点に同社の特徴があった。1976年にはフォトマスク欠陥検査装置を世界で初めて開発し、半導体検査装置メーカーとしての地歩を築いた。創業者の急逝後も技術者経営の内部承継という独特の形を取り続け、5代にわたる社長交代を経ながら世の中にないものをつくるという行動原則を一貫して体現してきた稀有な企業である。小規模な研究所が独占企業へと変貌を遂げた特異な道筋である。
2009年には液晶パネル関連事業を大きく縮小して半導体検査装置への集中を決断し、2017年には極端紫外線リソグラフィ用のマスク検査装置を世界で初めて実用化した。EUVマスク検査の世界市場では実質的に世界シェア100%を獲得し、台湾積体電路製造、サムスン電子、インテルといった世界最大級の半導体メーカーにとって代替不可能なサプライヤーとしての地位を確立している。2024年度の売上高は約2500億円、営業利益率は48%という突出した水準に達し、1960年代の小さな研究所が半世紀余を経て世界の半導体産業の屋台骨を支える存在へと姿を変えた。中堅から独占的グローバル企業への変貌は、産業史上でも際立った成功例である。【以上、筆者所感】
歴史概略
1960年〜1992年工場を持たずに研究開発で生き抜いた創業と独立の時代
ファブライト経営と自社製品100%化への道筋
1960年7月、内山康は松下通信工業を離れ、東京都目黒区に有限会社東京ITV研究所を設立した。大企業では開発に2年かかる案件でも中堅企業なら半年で仕上げにかかれるという確信こそが、独立に踏み切る最大の動機だった。工場を持たずに研究開発へ経営資源を集中させる体制を最初から選択し、製品の製造は協力会社に委託する道を選んだ。このファブライト経営は、創業時の乏しい資金制約から生まれた消極的な選択のようにも見えるが、結果として65年後の現在まで同社の競争優位の基盤となる経営モデルの原型を、この時期に早くも形成していた。独自の経営スタイルは、創業当初から極めて明確な形で打ち出されていた。
創業初期の事業はX線テレビや工業用カメラの受注に依存する下請け的なものが中心だったが、内山は開発テーマを「選ぶ力」こそが経営者に最も必要な能力だと常々考えていた。1975年2月、この「選ぶ力」が最初に結実する瞬間が訪れる。同社は大規模集積回路用フォトマスクの欠陥検査装置を世界で初めて開発し、半導体業界への本格参入を果たした。翌1976年にはさらに高精度の「ワンエムディーワン」を完成させ、十大新製品賞、科学技術庁長官賞、大河内記念技術賞を相次いで受賞した。1980年には自社製品100%を達成し、大手メーカーの下請けから脱却した。技術者経営の原点が、この時期に確かな形として結実した。
- 技術と経済 1981年5月号
- 日興フロッギー 2024年4月17日
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走査型カラーレーザー顕微鏡の世界初開発と社名変更
1985年には走査型カラーレーザー顕微鏡を世界で初めて開発し、翌1986年には社名を東京ITV研究所から「レーザーテック」に変更した。以後はレーザー技術を軸として製品群を段階的に広げる。1990年12月には株式を店頭公開し、独立した上場企業としての一歩を踏み出した。半導体検査装置に加え、液晶関連の検査・修正装置にも事業領域を広げ、事業の2本柱を構築しつつあった時期である。レーザー応用技術を自社の中核に据えて成長を目指すという戦略的な方向性が、この頃から鮮明な形で打ち出された。独立系中堅メーカーとしての誇りが、製品と社名の双方に体現されていた。
創業当時の苦しい資金繰りから脱し、独自の技術で世界初の製品を次々と世に送り出す姿は、戦後日本の中堅技術系企業の理想的な成長曲線を絵に描いたようだった。下請け仕事からの完全脱却、自社製品100%体制の確立、そしてレーザーという当時の先端技術を看板事業として押し出す姿勢は、小規模ながらも技術志向を徹底する独立系メーカーの一つの完成形を示していた。創業者の一貫した経営哲学が、着実な形で技術開発と事業展開の双方に反映されていた時期だったと言ってよい。継続的な研究開発投資が、後年の独占企業への道筋を準備していた。独立した技術系企業の一つの理想像がここにあった。独自の技術路線を粘り強く守り続ける姿勢が、後年の独占的地位への道筋を静かに準備していた。
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創業者の急逝と技術者経営の内部承継という独自の形
1992年8月、創業者の内山康が61歳という若さで急逝するという、組織にとっては全く予想外の出来事が起こった。32年間にわたって主要な意思決定を一人で担ってきた創業者の突然の死は、計画的な承継ではなく文字通りの断絶だった。後任には広島工業専門学校時代の同期だった粟村大吉が就任し、以後は技術者出身の内部昇格者が経営を担うという独特の体制が、次第に定着する。創業家による同族経営ではなく、技術者による技術者のための経営という、他社には見られない独自の承継形態が、この時期に形作られた。外部に頼らず内部から経営者を育てる姿勢が、この時期に固まっていった。
世の中にないものをつくるという行動原則は、創業者個人のカリスマに依存する形ではなく、製品開発の現場で繰り返し具体的に体現されることによって、組織全体の共有資産として維持された。創業者の急逝を乗り越えてなお同じ行動原則が保たれ続けた点にこそ、他の技術系中堅企業とは一線を画す同社の特徴があった。技術者出身の経営陣による内部承継という形態は、創業者不在の時代にあっても企業文化の連続性を保つ上で極めて重要な役割を果たし続けた。技術者経営の内部承継が組織の強靭さを支える最大の要因となった。組織文化としての行動原則が途切れずに継承される姿である。技術者経営の内部承継がもたらした組織の強さが、この時期に改めて試された。
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1993年〜2011年半導体集中への賭けと液晶事業からの撤退を決断した苦闘期
液晶パネル検査装置と半導体検査装置の二本柱の構築
創業者の死後、粟村、小杉、渡壁と3代にわたって社長が技術者出身の内部昇格で交代を重ね、事業基盤そのものは拡大を続けた。1994年には位相シフト量測定装置「エムピーエム100」を世界で初めて開発し、業界の標準機としての地位を確立した。2000年にはマスクブランクス欠陥検査装置「マジックス」シリーズの初代機を投入し、半導体検査装置の製品群を一段と厚みのあるものへ育てた。一方、1993年には液晶用のカラーフィルター検査装置を開発し、フラットパネルディスプレイ事業が売上の約半分を占める主力事業へ成長した。創業者依存から組織規範への移行が、目に見える成果として現れた時期である。
半導体とフラットパネルディスプレイの2本柱による事業展開は、当時の業界においては比較的穏当な成長戦略のように映っていた。2つの成長市場に分散投資することでリスクを抑制しつつ規模を拡大できるという、教科書的な経営判断に沿ったものだったからである。しかし技術の差別化余地が縮小するフラットパネルディスプレイ向け装置の領域では、価格競争の圧力が年々強まり、これが次に訪れる世界同時不況の局面で深刻な形で表面化した。2本柱の構えは、次の景気後退局面で脆さを露呈する。表面的な成長の裏に潜む脆さが、次の景気後退で顕在化する。予兆はすでにこの時期から静かに姿を現していた。
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- 日興フロッギー 2024年4月24日
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リーマン・ショック後の赤字転落と経営危機の本格化
2008年のリーマン・ショックは、この2本柱の脆弱性を露呈させた。半導体とフラットパネルディスプレイの双方の設備投資が冷え込み、2009年6月期に同社は赤字へ転落した。特にフラットパネルディスプレイ事業の主力だったカラーフィルター修正装置は、求められる技術水準が競合メーカーでも達成可能なレベルに留まり、技術で差別化できない価格競争に陥っていた。売上高は86億円まで縮小し、創業以来最大の経営危機が同社を正面から襲った。教科書的な分散戦略が万能ではないことを、同社は身をもって学んだ。技術の差別化余地を失った事業を続けることの危うさが、初めて露骨な形で突きつけられた瞬間だった。
しかしこの危機こそが、その後の同社の劇的な転換を準備する決定的な契機ともなった。技術的な差別化の余地を失った事業を続けることの危うさを身をもって体験した経営陣は、次なる戦略の抜本的な見直しに踏み切る必要性を痛切に認識した。2本柱の分散戦略が必ずしもリスク分散として機能しないこと、そしてむしろ経営資源の集中こそが中堅企業の競争力の源泉となりうるという逆説的な教訓を、この時期の深刻な業績悪化を通じて同社は学んだ。危機を経営の根本的な転換の契機として受け止めるという姿勢は、同社の組織文化そのものの強さを示すものでもあった。追い込まれた中での大胆な意思決定が、後の飛躍の土台を築く。中堅企業が危機を好機に変える稀有な事例である。
- 日興フロッギー 2024年4月17日
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岡林理体制下での半導体集中と極端紫外線技術への着手
2009年7月、岡林理が第5代社長として経営のトップに就任した。外資系企業出身で歴代社長とは全く異なるキャリアを持っていた岡林は、就任直後に売上の約半分を占めていたフラットパネルディスプレイ事業の大幅縮小という大胆な決断を下した。技術的に差別化が可能なフラットパネルディスプレイ用マスク検査装置のみを残し、それ以外の事業は思い切って畳んだ。工場を持たないファブライト構造が撤退コストを軽減し、この大胆な判断の実行を現実のものとしていた面があったことは見落とせない。外部から迎えた経営者が大胆な事業の取捨選択を断行する姿は、技術者経営を旨とする同社の中でもひときわ異例のものとして受け止められた。しかしその決断こそが次の飛躍の出発点となった。
浮いた経営資源は全て半導体関連事業に集中して投入された。2011年、同社は新エネルギー・産業技術総合開発機構の国家プロジェクトに参加し、極端紫外線光源を用いた半導体検査装置の独自開発に着手した。従業員100人程度、売上高118億円の中堅企業にとって数十億円規模の研究開発投資は極めて大きなリスクだったが、半導体集中戦略の必然的な帰結として最も困難な技術テーマへ踏み込んだ。大手装置メーカーが市場規模の不確実性から投資を見送る中で、同社の事業構造そのものがこの参入を必然のものとしていた。小規模ゆえの機動力と独占への執念が同時に発揮された局面だった。
- 日興フロッギー 2024年4月17日
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2012年〜2026年極端紫外線独占を武器にグローバル企業へ変貌した飛躍期
極端紫外線マスク検査装置の世界初開発と世界シェア100%獲得
2017年3月、同社は極端紫外線マスクブランクス欠陥検査装置「アビックスイー120」の開発に世界で初めて成功した。2019年6月には極端紫外線パターンマスク欠陥検査装置「アクティスエー150」を開発し、極端紫外線マスク検査の全工程を網羅する製品ラインナップが完成した。極端紫外線リソグラフィは最先端半導体の製造に不可欠な先端技術であり、その検査装置を独占的に供給する同社は、台湾積体電路製造、サムスン電子、インテルといった世界最大級の半導体メーカーにとって代替不可能な重要サプライヤーとしての地位を確立した。独占的な地位を築き上げた背景には、長年にわたる研究開発投資の積み重ねと、ファブライト経営ならではの身軽な意思決定の積み重ねがあった。
売上高は岡林就任時の86億円から2024年度の約2500億円へとおよそ29倍に拡大し、営業利益率は48%という驚異的な水準に達した。2022年には新たな研究開発拠点「イノパ」を約167億円で取得し、開発と生産の双方のキャパシティ拡大に本格着手している。東京証券取引所の年間売買代金でも首位を独走するなど、株式市場からの注目度も高まった時期だった。極端紫外線独占という他社には真似のできない事業構造が、中堅企業の域を超える時価総額と収益性をもたらした稀有な事例となった。独占企業ゆえの圧倒的な収益性と成長性が、中堅企業の枠組みを押し広げた。株式市場の評価も一変し、時価総額は半導体装置業界の上位に食い込んだ。
- 日興フロッギー 2024年4月17日
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- 株探 2024年6月4日
研究開発投資の継続と新世代装置への先行開発
極端紫外線検査装置での独占的地位を確立しつつも、同社は研究開発投資の手を緩めず次世代半導体の検査技術への先行開発を進めた。半導体の微細化と三次元化が同時に進行するなかで、検査対象となる欠陥の種類や寸法はますます小さく複雑になっていくと予想されており、現行装置の延長線上だけでは将来の市場を押さえ続けることは難しいという経営陣の危機感が、この継続投資の背後にあった。ファブライト経営による身軽さが、中堅規模であっても大型投資を継続する財務的余裕を生み出していた。独占企業に安住せず、常に次の世代の装置を先回りして仕込み続ける姿勢こそが、創業以来の行動原則の現代的な表現として機能していた。
研究開発拠点の拡充に加え、欧米やアジアの半導体メーカーとの共同開発案件も増え、顧客先での評価試験と新機種の開発とを同時並行で進めていく体制が一段と強化された。独占企業としての地位に安住せず、常に次の世代の装置を先回りして仕込み続ける姿勢そのものが、創業以来の世の中にないものをつくるという行動原則の現代的な表現として機能していた。独占と先行開発が表裏一体で進められる独特の経営姿勢が、同社の持続的な成長の土台を支え続けた局面である。研究開発の継続投資と顧客先との緊密な連携が表裏一体で進められていく姿勢は、同社の独自の競争力の最大の源泉となり続けている。身軽な組織ならではの強みが、この時期にも発揮され続けた。
- 日興フロッギー 2024年4月17日
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- 株探 2024年6月4日
仙洞田体制下での計画承継と独占企業ゆえの構造的課題
2024年7月、岡林理は15年間の社長在任を経て会長職に退き、仙洞田哲也が第6代社長として経営のトップに就任した。47歳のエンジニア出身で営業部門も統括してきた仙洞田のもと、6カ年の中期経営計画、すなわち2030年6月期までに売上高4000億円から5000億円規模を目指す計画が新たに掲げられた。岡林が計画的に設計した承継であり、技術とマーケットの双方を深く理解する人材が時間をかけて後継者として選ばれた点に、同社の組織運営の成熟ぶりが表れていると言える。計画的な内部承継が、創業者の急逝という遠い過去の断絶の経験を踏まえた組織的な学習の結果として実を結んだ形でもあった。技術と営業の双方に精通した後継者を時間をかけて育てた点に、経営の成熟ぶりが表れている。
しかし極端紫外線独占という華やかな現状の裏側には、決して小さくない構造的な脆弱性も潜んでいる。台湾積体電路製造、サムスン電子、インテルの3社向けの売上が全体のおよそ6割を占めており、特定の顧客の設備投資計画の変動がそのまま業績に直結してしまう構造になっている。2024年度の受注高は前期比で5割以上減少して1000億円規模に落ち込み、12年連続の増収記録が途切れる可能性が現実味を帯びつつある。世界に唯一の装置をつくる企業は、世界に唯一の顧客構成にも依存するという非対称性が、この企業の将来を規定する最も重要な論点となっている。短期的な業績変動への耐性を高めることが、これからの大きな論点となっていく。
- 日興フロッギー 2024年4月17日
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- 株探 2024年6月4日
直近の動向と展望
受注減速局面における経営計画の軌道修正と顧客分散の課題
2024年度の受注高急減は、極端紫外線独占という独特の事業構造が、半導体メーカー側の投資サイクルに直接左右されるという構造的な弱みを浮き彫りにした出来事だった。仙洞田体制のもとで掲げられた2030年6月期の売上高4000億円から5000億円という意欲的な目標は、受注の急減によって早くも軌道修正の必要性が議論される状況となりつつある。顧客分散の難しさは従来から指摘されてきた論点だったが、それが具体的な業績の形で経営陣の前に突きつけられている局面だと言ってよい。独占の強みと脆さが同時に試されている段階である。短期と中長期の両面での視野の広さが問われている局面である。顧客分散と新領域開拓という課題が改めて突きつけられている。
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次世代半導体検査技術への先行開発と創業以来の行動原則の継承
一方で同社は研究開発投資の手を緩めず、極端紫外線の次に来る次世代半導体検査技術の先行開発を進め続けている。創業以来貫かれてきた世の中にないものをつくるという行動原則を、技術者経営の伝統のもとで令和の時代にも体現し続けていく姿勢は、他の半導体装置メーカーとは一線を画すものとして業界関係者の高い評価を集めている。創業者の急逝を経てもなお、ファブライト経営と内部承継による技術者経営という独特の形を保ち続けてきたこの企業の次の10年の歩みは、日本の半導体装置産業の行方を占う上での試金石となっていく。小さな研究所から世界の半導体産業を支える存在への変貌の歩みは、今後も長く語り継がれていくに違いない。
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