創業地東京市麹町区
創業年1928
上場年1962
創業者実吉雅郎
1928年〜 特許ビジネスからエンジニアリング企業へ
1928 日本揮発油株式会社を設立
1928 米UOP社と技術提携を締結
1934 エンジニアリング事業に本格参入
1938 米UOP社との技術提携を解消
1952 米UOP社との技術提携を再締結
1962 東京証券取引所第2部に株式上場

1928年10月、実吉雅郎らが東京市麹町区に日本揮発油株式会社を設立した。米ユニバーサル・オイル・プロダクツ社からダブス式熱分解プロセスの特許権を買って石油精製業を目指したが、大津の製油所建設を昭和恐慌で断念する。そこで特許の使用許可を国内石油会社へ売るプロセス・ライセンシング、すなわち自ら製油所を持たず知恵を売る商売へ計画を変え、創業期の財務を支えた。1934年に海軍燃料廠へ装置を建設するうちに図面を引く技術者が育ち、1943年には設計料収入が特許使用権収入を逆転する。戦後は1952年に米社と再提携し、1958年には旭硝子との共同出資で触媒化成工業を設立して触媒・機能材という第二の柱を得た

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1968年〜 海外受注と調達構造の抜本的な構造転換
1968 海外大型プラントPJの積極受注を開始
1972 アルジェリア製油所PJで大赤字を計上
1976 アルジェリア大型ガスプラントを受注
1981 クウェート製油所近代化工事を受注
1982 オーストラリア天然ガス液化工場を受注
1989 海外調達体制の確立と大型PJの連続受注
1968年3月期 単体
売上高 179億円
純利益 4億円
純利益率 2.3%
2000年3月期 連結
売上高 2,806億円
純利益 4億円
純利益率 0.1%

国内製油所建設の特需が一巡し、1968年から日揮は海外プロジェクトの積極受注へ方針を転じた。1972年に約250億円で受注したアルジェリア製油所は洪水や賃金高騰とランプサム契約が重なって約50億円の赤字を生み、減配と賞与カットに追い込まれる。それでも海外を捨てず、1976年に社名を日本揮発油から日揮へ改め、同じアルジェリアでガスプラント「モジュールⅠ・Ⅱ」を1,450億円で受注した。1985年のプラザ合意後の円高で1986年3月期から4期連続の営業赤字に沈むと、1988年に渡辺英二が社長に就き、海外調達比率を10〜20%から50%へ引き上げる構造転換に着手する。1989年度の受注高は前年比2.8倍の6,010億円へ伸び、1991年に営業黒字へ復した。

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2001年〜 利益率十二パーセントから千億円規模の赤字へ、ランプサム契約のリスク構造
2004 触媒化成工業㈱を100%子会社化
2008 日揮触媒化成㈱が発足
2013 アルジェリア人質事件が発生
2016 高松則雄氏が代表取締役社長(COO)に就任
2017 資源価格低迷を受け大幅営業赤字に転落
2019 持株会社体制に移行・日揮HDに商号変更
2001年3月期 連結
売上高 2,537億円
純利益 47億円
純利益率 1.9%
2019年3月期 連結
売上高 6,192億円
純利益 240億円
純利益率 3.9%

2000年代は資源価格の上昇で中東・東南アジアのLNG・石油精製案件が急増した。連結売上高は2003年3月期の3,780億円から2014年3月期に6,758億円へ拡大し、2012年3月期には営業利益率12.0%の過去最高に達する。2004年に旭硝子から触媒化成工業を完全取得し、2008年に発足させた日揮触媒化成の触媒・機能材事業が、受注変動の大きい本業を下支えする第二の柱となった。しかし2014年以降の原油急落でランプサム契約の弱点が表面化し、2017年3月期は営業損益が215億円の赤字へ転落する。この赤字を受けて日揮は2019年10月に持株会社体制へ移り、商号を日揮ホールディングスへ改めて海外エンジを日揮グローバル・国内エンジを日揮へ承継分離した

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決断の理由 — クリティカルな歴史の転換点を読み解く

Q なぜ1928年創業の日本揮発油は製油所を持たず特許を売る会社になったのか
A 製油所を建てる資本を欠いた以上、設備の代わりに技術と設計だけを売る道しか残されていなかった。実吉雅郎氏らが1928年10月に東京市麹町区へ設立した日本揮発油は、大津に予定した製油所が昭和恐慌の資金難で頓挫した。そこで設立翌月に米国ユニバーサル・オイル・プロダクツ社から得た石油精製特許の使用権を、日本石油など国内石油会社へ販売する「知恵を売る商売」へ転じた。設備を持たない身軽さが、投資余力を欠く石油会社の不足と自社の資本不足を同時に埋め、創業期の財務を支えた。
Q なぜ1988年就任の渡辺英二社長は海外調達比率を50%へ引き上げたのか
A ドル建て受注に対し資材を国内調達に偏らせていた構造が、円高では原価を膨らませると見たためである。1985年のプラザ合意後の円高で1986年3月期から4期連続の営業赤字に陥り、社内には赤字受注をやむなしとする空気まで広がっていた。1988年6月に就任した渡辺英二社長は、従来10〜20%だった海外調達比率を50%へ引き上げる方針を示した。原価の出どころを国内調達網から現地調達網へ移したこの判断が、1989年度の受注高を前年比2.8倍の6,010億円へ押し上げ、1990年代以降の競合との収益差を生んだ
Q なぜ2019年に持株会社へ移行し脱炭素と半導体へ広げたのか
A 大型ランプサム案件で繰り返した巨額損失を、事業ごとに切り分けて管理する必要があったためである。2017年3月期に営業損益マイナス215億円へ転落した反省から、2019年10月に持株会社へ移行し海外EPCを日揮グローバル、国内を日揮、機能材を日揮触媒化成へ分け、事業会社ごとに損益を独立管理した。受注変動の大きいEPCに依存しない収益源を求め、半導体製造装置向け材料の日揮触媒化成を第二の柱に据え、本業のEPCはSAF・水素・アンモニアの脱炭素案件と、独Exyteとの合弁Nixyteによる半導体施設へ受注先を広げた

出典・参考文献

歴史概要

  • 日揮ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [1] 1928年10月に東京市麹町区で日本揮発油株式会社を設立した
    • [3] 1943年に設計料収入が特許使用権収入を逆転した
    • [4] 1958年に旭硝子との共同出資で触媒化成工業を設立した
    • [5] 1968年頃から海外プロジェクトの積極受注に方針を転じた
    • [7] 1976年に社名を日本揮発油から日揮へ変更し、アルジェリアのガスプラント「モジュールⅠ・Ⅱ」を受注総額1,450億円で獲得した
    • [10] 2004年に触媒化成工業を完全取得し2008年に日揮触媒化成を発足させた
    • [12] 2019年10月に持株会社体制へ移行し商号を日揮ホールディングスへ変更、海外エンジを日揮グローバル・国内エンジを日揮へ承継した
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [2] 諸般の事情で計画を変更し特許の使用許可(プロセス・ライセンシング)を主業務とした
  • 日経ビジネス 1982年8月23日号
    • [6] 1972年頃に約250億円で受注したアルジェリア製油所建設で約50億円の赤字を計上した
  • 日経ビジネス 1993年7月19日号
    • [8] 1988年に渡辺英二が社長に就任し海外調達比率を10〜20%から50%へ引き上げる方針を示した
  • 日揮 有価証券報告書(連結財務諸表)
    • [9] 2003年3月期の連結売上高3,780億円が2014年3月期に6,758億円へ拡大し、2012年3月期に営業利益率12.0%の過去最高に達した
    • [11] 2017年3月期は売上高6,932億円・営業損益▲215億円だった

決断の理由

  • 日揮ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [1] 1928年10月に実吉雅郎らが東京市麹町区へ日本揮発油株式会社を設立した
    • [2] 設立翌月に米UOP社から得た石油精製特許の使用権を日本石油など国内石油会社へ販売した
    • [7] 2019年10月に持株会社へ移行し海外EPCを日揮グローバル、国内を日揮、機能材を日揮触媒化成へ分けた
  • 日経ビジネス 1993年7月19日号
    • [3] 1985年のプラザ合意後の円高で1986年3月期から4期連続の営業赤字に転落した
    • [4] 1988年6月に就任した渡辺英二社長が海外調達比率を従来の10〜20%から50%へ引き上げる方針を示した
    • [5] 1989年度の受注高は前年比2.8倍の6,010億円に達した
  • 日揮 有価証券報告書(連結財務諸表)
    • [6] 2017年3月期に営業損益マイナス215億円へ転落した
    • [8] 日揮グローバルとExyteは2023年12月の協業契約に基づき半導体・データセンター等向け新EPCブランド「Nixyte」を始動した