日揮ホールディングス の歴史

創業

1928年

創業者

実吉雅郎

創業地

東京市麹町区

直近売上高(2026/3)

7,453億円

長期業績と転換点(1997/3〜2026/3)
売上高(億円純利益率(%)
Q なぜ1928年創業の日本揮発油は製油所を持たず特許を売る会社になったのか
A 製油所を建てる資本を欠いた以上、設備の代わりに技術と設計だけを売る道しか残されていなかった。実吉雅郎氏らが1928年10月に東京市麹町区へ設立した日本揮発油は、大津に予定した製油所が昭和恐慌の資金難で頓挫した。そこで設立翌月に米国ユニバーサル・オイル・プロダクツ社から得た石油精製特許の使用権を、日本石油など国内石油会社へ販売する「知恵を売る商売」へ転じた。設備を持たない身軽さが、投資余力を欠く石油会社の不足と自社の資本不足を同時に埋め、創業期の財務を支えた。
Q なぜ1988年就任の渡辺英二社長は海外調達比率を50%へ引き上げたのか
A ドル建て受注に対し資材を国内調達に偏らせていた構造が、円高では原価を膨らませると見たためである。1985年のプラザ合意後の円高で1986年3月期から4期連続の営業赤字に陥り、社内には赤字受注をやむなしとする空気まで広がっていた。1988年6月に就任した渡辺英二社長は、従来10〜20%だった海外調達比率を50%へ引き上げる方針を示した。原価の出どころを国内調達網から現地調達網へ移したこの判断が、1989年度の受注高を前年比2.8倍の6,010億円へ押し上げ、1990年代以降の競合との収益差を生んだ
Q なぜ2019年に持株会社へ移行し脱炭素と半導体へ広げたのか
A 大型ランプサム案件で繰り返した巨額損失を、事業ごとに切り分けて管理する必要があったためである。2017年3月期に営業損益マイナス215億円へ転落した反省から、2019年10月に持株会社へ移行し海外EPCを日揮グローバル、国内を日揮、機能材を日揮触媒化成へ分け、事業会社ごとに損益を独立管理した。受注変動の大きいEPCに依存しない収益源を求め、半導体製造装置向け材料の日揮触媒化成を第二の柱に据え、本業のEPCはSAF・水素・アンモニアの脱炭素案件と、独Exyteとの合弁Nixyteによる半導体施設へ受注先を広げた

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1928年〜 製油所を持てないまま特許を売り、設計する会社へ移った創業期

  1. 1928年 日本揮発油を設立
  2. 1928年 UOP社と業務提携を締結
  3. 1934年 UOP社と技術提携を締結
  4. 1938年 UOP社との業務提携を解消
  5. 1942年 UOP社との技術提携を解消
  6. 1952年 UOP社との技術提携を再締結
  7. 1952年 日揮化学を設立

製油所の建設を断念し、特許の使用許可を売る商売へ

1928年10月25日、実吉雅郎氏らが[1]資本金250万円で日本揮発油株式会社を創立[2]し、本店を東京市麹町区内幸町に置いた[3]。翌11月には米国ユニバーサル・オイル・プロダクツ社と熱分解蒸留法装置の日本における特許の譲受けおよび建設に関する協約を締結[4]している。もともとはダブス式熱分解プロセスの特許権を買いとって石油精製業を営む計画[5]だったが、諸般の事情により計画を変更し、特許権の使用許可すなわちプロセス・ライセンシングを主業務とした[6]。社名に「揮発油」を掲げたのは、当初石油事業を始めようとしたため[7]で、石油事業を断念したあともその社名は48年にわたって残った。

  • 日経ビジネス 1980年8月25日号「リスクも、実績と信用づくりで回避」
    • [1]創業者は実吉雅郎
  • 日揮ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [2]1928年10月25日 資本金250万円で日本揮発油株式会社を創立
    • [3]本店 東京市麹町区内幸町
    • [4]1928年11月 米UOP社と熱分解蒸留法装置の日本における特許の譲受けおよび建設に関する協約を締結
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [5]ダブス式熱分解プロセスの特許権を買いとり石油精製業を目的に創立
    • [6]計画を変更しプロセス・ライセンシングを主業務化
  • 証券アナリストジャーナル 1966年1月号「日本揮発油の現状と将来」
    • [7]社名は当初石油事業を始めようとしたことに由来

設立から5年後の1933年1月、本店を大阪市東区高麗橋へ移した[8]。同じ年にダブス・プロセスの第一号基を満鉄へ納入[9]し、買いとった特許を装置として据える最初の実績を得ている。その後はイソオクタン製造法を旧陸海軍や石油会社に使用許可し、あわせて装置の設計と触媒の開発にも手を広げた[10]。1938年8月にはUOP社とイソオクタン製造法の特許の実施および建設に関する追加の暫定的諒解覚書を交換[11]したものの、戦争によりUOP社との諸協約は解消された[12]。技術の供給源を失ったまま、1942年12月には新潟県新津に触媒製造工場を設けた[13]

  • 日揮ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [8]1933年1月 本店を大阪市東区高麗橋へ移転
    • [11]1938年8月 UOP社とイソオクタン製造法の特許について追加の暫定的諒解覚書を交換
    • [12]戦争によりUOP社との諸協約が解消
    • [13]1942年12月 新潟県新津に触媒製造工場を設置
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [9]1933年 ダブス・プロセスの第一号基を満鉄へ納入
    • [10]イソオクタン製造法を旧陸海軍や石油会社へ使用許可し装置の設計と触媒の開発にも展開
  • 日経ビジネス 1980年8月25日号「リスクも、実績と信用づくりで回避」
    • [1]創業者は実吉雅郎
  • 日揮ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [2]1928年10月25日 資本金250万円で日本揮発油株式会社を創立
    • [3]本店 東京市麹町区内幸町
    • [4]1928年11月 米UOP社と熱分解蒸留法装置の日本における特許の譲受けおよび建設に関する協約を締結
    • [8]1933年1月 本店を大阪市東区高麗橋へ移転
    • [11]1938年8月 UOP社とイソオクタン製造法の特許について追加の暫定的諒解覚書を交換
    • [12]戦争によりUOP社との諸協約が解消
    • [13]1942年12月 新潟県新津に触媒製造工場を設置
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [5]ダブス式熱分解プロセスの特許権を買いとり石油精製業を目的に創立
    • [6]計画を変更しプロセス・ライセンシングを主業務化
    • [9]1933年 ダブス・プロセスの第一号基を満鉄へ納入
    • [10]イソオクタン製造法を旧陸海軍や石油会社へ使用許可し装置の設計と触媒の開発にも展開
  • 証券アナリストジャーナル 1966年1月号「日本揮発油の現状と将来」
    • [7]社名は当初石油事業を始めようとしたことに由来

特許を売る商売から、設計を売る商売へ

1928年に導入した技術は、満洲の撫順で始まったオイルシェール事業に使われ[14]、戦争中は陸海軍が使用した航空機用ガソリンの製造にも及んだ[15]。それでも戦前の主な仕事は特許権を売ることだった[16]。1941年から42年にかけて自社に設計事務所を設け、触媒工場を建設し、研究所を置いた[17]のは、特許の使用許可を売るだけの体制から、図面を引き装置を組む機能を社内へ抱える体制に移す動きだった。もっとも終戦後しばらくは日本の産業が順調に伸びず、同社は不振の状態を続けた[18]。1948年8月には再建整備法により資本金を250万円から225万円へ減らし[19]、1949年1月に本店を東京都中央区日本橋室町へ移している[20]

  • 証券アナリストジャーナル 1966年1月号「日本揮発油の現状と将来」
    • [14]導入技術が満洲撫順のオイルシェール事業に使用
    • [15]戦争中は陸海軍が使用した航空機用ガソリンの製造にも技術が使用
    • [16]戦前の主業務は特許権の販売
    • [17]1941〜42年 自社の設計事務所・触媒工場・研究所を設置
    • [18]終戦後しばらく不振が続いた
  • 証券 1962年7月号「新規上場会社紹介 日本揮発油株式会社」
    • [19]1948年8月 再建整備法により資本金250万円から225万円へ減資
  • 日揮ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [20]1949年1月 本店を東京都中央区日本橋室町へ移転

1950年から51年にかけて日本で石油工場の操業が再開され、同社の事業もそこから大きく伸びた[21]。1952年5月、UOP社と石油精製および石油化学に関する特許の実施および建設の契約を締結[22]し、14年ぶりに技術の供給源を取り戻している[23]。復活した提携でUOP社が所有する全プロセスについて日本における包括的な特許再実施許可権を得て[24]、本格的にプラントの設計建設を行なうようになった。同年7月には横浜工務部を設置[25]し、8月には触媒製造工場を分離して日揮化学株式会社を設立[26]、12月には建設業者の登録も受けている[27]

  • 証券アナリストジャーナル 1966年1月号「日本揮発油の現状と将来」
    • [21]1950〜51年 日本で石油工場の操業が再開し事業が拡大
  • 日揮ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [22]1952年5月 UOP社と石油精製および石油化学に関する特許の実施および建設の契約を締結
    • [23]UOP社との提携断絶は1938年から1952年までの14年間
    • [25]1952年7月 横浜工務部を設置
    • [26]1952年8月 触媒製造工場を分離し日揮化学株式会社を設立
    • [27]1952年12月 建設業者として登録
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [24]UOP社の全プロセスについて日本における包括的な特許再実施許可権を取得
  • 証券アナリストジャーナル 1966年1月号「日本揮発油の現状と将来」
    • [14]導入技術が満洲撫順のオイルシェール事業に使用
    • [15]戦争中は陸海軍が使用した航空機用ガソリンの製造にも技術が使用
    • [16]戦前の主業務は特許権の販売
    • [17]1941〜42年 自社の設計事務所・触媒工場・研究所を設置
    • [18]終戦後しばらく不振が続いた
    • [21]1950〜51年 日本で石油工場の操業が再開し事業が拡大
  • 証券 1962年7月号「新規上場会社紹介 日本揮発油株式会社」
    • [19]1948年8月 再建整備法により資本金250万円から225万円へ減資
  • 日揮ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [20]1949年1月 本店を東京都中央区日本橋室町へ移転
    • [22]1952年5月 UOP社と石油精製および石油化学に関する特許の実施および建設の契約を締結
    • [23]UOP社との提携断絶は1938年から1952年までの14年間
    • [25]1952年7月 横浜工務部を設置
    • [26]1952年8月 触媒製造工場を分離し日揮化学株式会社を設立
    • [27]1952年12月 建設業者として登録
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [24]UOP社の全プロセスについて日本における包括的な特許再実施許可権を取得

1956年〜 国内製油所の設計を握った20年と、海外で払った50億円の授業料

日揮ホールディングスの業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1958年 触媒化成工業を設立
  2. 1962年 東京証券取引所第2部に株式上場
  3. 1968年 海外大型プラントPJの積極受注を開始
  4. 1969年 東京証券取引所第1部銘柄に指定
  5. 1972年 アルジェリア大赤字とコスト・プラス・フィー方式への転換 約50億円の失敗を、篠田治男社長はどう海外プラント事業のリスク哲学へ変えたか
  6. 1975年 衣浦研究所を新設

出光徳山の一括請負が開いた国内製油所の主導権

1956年、徳山の出光興産の製油所を一切引き受けて建設した[28]。装置を一つずつ納める仕事から製油所全体を請け負う仕事への移行であり、同社が技術的に大きく飛躍する時期にもなった[29]。以後は国内の石油精製と石油化学のプラント建設へ事業を伸ばした[30]。1958年4月には横浜工務部を横浜事業所と改称[31]し、7月には旭硝子株式会社との共同出資で触媒化成工業株式会社を設立[32]した。1959年2月に建設大臣登録の建設業者となり[33]、翌3月には本店を東京都千代田区大手町へ移した[34]。1960年2月には一級建築士事務所の登録も受けている[35]

  • 証券アナリストジャーナル 1966年1月号「日本揮発油の現状と将来」
    • [28]1956年 徳山の出光興産の製油所建設を一括で引き受け
    • [29]一つの装置から製油所全体の請負へ発展し技術的な飛躍の時期となった
    • [30]出光徳山以後は石油および石油化学のプラント建設へ伸長
  • 日揮ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [31]1958年4月 横浜工務部を横浜事業所へ改称
    • [32]1958年7月 旭硝子との共同出資で触媒化成工業を設立
    • [33]1959年2月 建設大臣登録の建設業者となる
    • [34]1959年3月 本店を東京都千代田区大手町へ移転
    • [35]1960年2月 一級建築士事務所として登録

UOP社との提携は2つの利益を生み、ひとつは特許使用料の4〜5割が同社の収入になる[36]ことで、その額は半期に4〜5億円へ達したこともある。もうひとつはUOP社のプロセスを使う設備について、原則として設計から建設まで一切を引き受けられること[37]だった。日本の製油所の中心となる装置の6〜7割は同社が手がけた仕事[38]であり、石油精製の分野では千代田化工建設と市場を二分していた[39]。当時、機械工場を持たない純然たるエンジニアリング会社は国内では同社と東洋エンジニアリングの2社にとどまり[40]、千代田化工建設は機械工場を抱えていた。

  • 証券アナリストジャーナル 1966年1月号「日本揮発油の現状と将来」
    • [36]UOP社のプロセス販売で特許使用料の4〜5割が収入となり半期4〜5億円に達したこともある
    • [37]UOP社のプロセスを使う設備は原則として設計から建設まで一括で受注
    • [38]日本の製油所の中心装置の6〜7割を手がけた
    • [39]石油精製分野では千代田化工建設と市場を二分
    • [40]機械工場を持たない純然たるエンジニアリング会社は同社と東洋エンジニアリングの2社
  • 証券アナリストジャーナル 1966年1月号「日本揮発油の現状と将来」
    • [28]1956年 徳山の出光興産の製油所建設を一括で引き受け
    • [29]一つの装置から製油所全体の請負へ発展し技術的な飛躍の時期となった
    • [30]出光徳山以後は石油および石油化学のプラント建設へ伸長
    • [36]UOP社のプロセス販売で特許使用料の4〜5割が収入となり半期4〜5億円に達したこともある
    • [37]UOP社のプロセスを使う設備は原則として設計から建設まで一括で受注
    • [38]日本の製油所の中心装置の6〜7割を手がけた
    • [39]石油精製分野では千代田化工建設と市場を二分
    • [40]機械工場を持たない純然たるエンジニアリング会社は同社と東洋エンジニアリングの2社
  • 日揮ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [31]1958年4月 横浜工務部を横浜事業所へ改称
    • [32]1958年7月 旭硝子との共同出資で触媒化成工業を設立
    • [33]1959年2月 建設大臣登録の建設業者となる
    • [34]1959年3月 本店を東京都千代田区大手町へ移転
    • [35]1960年2月 一級建築士事務所として登録

特許料が利益の半分を占めた上場時の収益構造

1962年5月17日、東京証券取引所市場第2部へ株式を上場[41]した。上場時の資本金は1億5,000万円、額面50円の上場株式数は300万株、従業員は827名[42]である。大株主の筆頭は社長の実吉雅郎氏で、205万7,440株を持っていた[43]。発行済株式の3分の2を超える持分であり、株主数は150名、うち法人は1社にすぎない[44]。取引銀行は三井銀行と大和銀行、配当率は1961年9月期まで3期続けて30%[45]だった。系列に属さず、創業者個人の持株で支えられた会社[46]として市場に登場している。

  • 日揮ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [41]1962年5月 東京証券取引所市場第2部へ上場
  • 証券 1962年7月号「新規上場会社紹介 日本揮発油株式会社」
    • [42]上場時の資本金1億5,000万円・上場株式数300万株・従業員827名
    • [43]筆頭株主は社長の実吉雅郎で205万7,440株を保有
    • [44]株主数150名・うち法人1社
    • [45]取引銀行は三井銀行と大和銀行・配当率は1961年9月期まで3期続けて30%
  • 証券アナリストジャーナル 1966年1月号「日本揮発油の現状と将来」
    • [46]創業者個人の事業として発達し資本系列に属さない

上場直前の1961年9月期をみると、部門別の売上高比率は特許関係13.6%、工事部門61.2%、商事部門25.2%[47]だった。ところが純利益では特許関係が48.7%、工事部門が47.7%、商事部門が3.6%[48]と構成が入れ替わる。売上の1割強しか占めない特許が、利益の半分を稼いでいた[49]。特許料はUOP社と折半する取り決めで、その額は半期約4億円[50]に上る。自ら機械製作や建設部門を持たず、子会社や下請け会社に実施させる点[51]が、千代田化工建設や三菱化工機との違いだった。1969年2月には東京証券取引所市場第1部銘柄に指定されている[52]

  • 証券 1962年7月号「新規上場会社紹介 日本揮発油株式会社」
    • [47]1961年9月期の部門別売上高比率は特許関係13.6%・工事部門61.2%・商事部門25.2%
    • [48]純利益の構成比は特許関係48.7%・工事部門47.7%・商事部門3.6%
    • [49]売上比13.6%の特許部門が純利益の48.7%を占めた
    • [50]特許料はUOP社と折半で半期約4億円
    • [51]機械製作や建設部門を持たず子会社・下請けに実施させる点が千代田化工建設・三菱化工機と異なる
  • 日揮ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [52]1969年2月 東京証券取引所市場第1部銘柄に指定
  • 日揮ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [41]1962年5月 東京証券取引所市場第2部へ上場
    • [52]1969年2月 東京証券取引所市場第1部銘柄に指定
  • 証券 1962年7月号「新規上場会社紹介 日本揮発油株式会社」
    • [42]上場時の資本金1億5,000万円・上場株式数300万株・従業員827名
    • [43]筆頭株主は社長の実吉雅郎で205万7,440株を保有
    • [44]株主数150名・うち法人1社
    • [45]取引銀行は三井銀行と大和銀行・配当率は1961年9月期まで3期続けて30%
    • [47]1961年9月期の部門別売上高比率は特許関係13.6%・工事部門61.2%・商事部門25.2%
    • [48]純利益の構成比は特許関係48.7%・工事部門47.7%・商事部門3.6%
    • [49]売上比13.6%の特許部門が純利益の48.7%を占めた
    • [50]特許料はUOP社と折半で半期約4億円
    • [51]機械製作や建設部門を持たず子会社・下請けに実施させる点が千代田化工建設・三菱化工機と異なる
  • 証券アナリストジャーナル 1966年1月号「日本揮発油の現状と将来」
    • [46]創業者個人の事業として発達し資本系列に属さない

海外へ出た代償としてのアルジェリア製油所

1965年、ペルー・ベネズエラ・アルゼンチンの3カ国で合計100億円を受注[53]した。最大のペルー案件は約50億円で、丸紅飯田と組んで臨んだ国際入札では米国のケロッグ社やマッキー社と競い[54]、延払いベースの価格で競り勝っている。韓国やサウジアラビアとクウェートの中間地帯でも石油工場の建設[55]を進めていた。この間に社内の規模は急に膨らみ、従業員は10年前の130人、5年前の500人を経て1,300人に、年間売上高は4億円、50億円を経て157億円へ増えている[56]。1966年5月、商工省と通産省重工業局長、日本輸出入銀行理事を経て1961年5月に副社長として入社した鈴木義雄氏が社長に就いた[57]

  • 証券アナリストジャーナル 1966年1月号「日本揮発油の現状と将来」
    • [53]1965年 ペルー・ベネズエラ・アルゼンチンで合計100億円を受注
    • [54]ペルー案件は約50億円で丸紅飯田と組み国際入札でケロッグ社・マッキー社と競合
    • [55]韓国およびサウジアラビアとクウェートの中間地帯で石油工場を建設
    • [56]従業員は10年前130人・5年前500人・1965年時点1,300人/年間売上高は4億円・50億円・157億円
  • 日経ビジネス 1980年8月25日号「リスクも、実績と信用づくりで回避」
    • [57]鈴木義雄は商工省・通産省重工業局長・日本輸出入銀行理事を経て1961年5月に副社長として入社し1966年5月に社長就任

ペルー、ベネズエラ、アルゼンチン、クウェート、韓国などへ石油精製プラント一式を建設したこの時期の同社は、日本のプラント輸出の先鞭をつけた存在[58]でもある。石油精製以外への広がりも1960年代に始まり、1966年には核燃料再処理プラントの設計をフランスのサンゴバン社と組んで受注[59]して原子力分野へ入った。翌1967年には重油脱硫装置を出光興産千葉製油所へ世界で初めて建設した[60]。1968年の時点で日本の石油精製設備の約60%、石油化学設備の約40%を手がけ[61]、従業員1,491名のうち技術者が約1,000名を占めている[62]。特許料収入は年間20億円前後、年間売上高は約400億円[63]に達した。1975年4月には技術開発体制を強めるため、愛知県半田市に衣浦研究所を設置している[64]

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [58]ペルー・ベネズエラ・アルゼンチン・クウェート・韓国等へ石油精製プラント一式を建設しプラント輸出の先鞭をつけた
    • [59]1966年 核燃料再処理プラントの設計を仏サンゴバン社と組んで受注し原子力分野へ参入
    • [60]1967年 重油脱硫装置を出光興産千葉製油所へ世界で初めて建設
    • [61]1968年時点で日本の石油精製設備の約60%・石油化学設備の約40%を手がける
    • [62]従業員1,491名のうち技術者が約1,000名
    • [63]特許料収入は年間20億円前後・年間売上高は約400億円
  • 日揮ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [64]1975年4月 愛知県半田市に衣浦研究所を設置

国内製油所建設の特需が一巡すると成長の場は海外に移り、1972年ごろには約250億円で受注したアルジェリアの製油所建設で約50億円の赤字を計上[65]し、減配と賞与カットに追い込まれている[66]。篠田治男社長[67]は原因を、設計と資材の調達までは収支が均衡していたものの、洪水に見舞われた不運に加え、現地の労働者の質を高く評価しすぎたうえ工期中に賃金が3倍へ上がったこと、そしてそれをカバーするすべのない一括請負のランプサム契約をとっていたこと[68]にあると分析した。機材輸送の事故で労働者1,000人を1カ月あそばせる事態[69]も重なっている。この反省から、実費に報酬を加算するコスト・プラス・フィー方式の契約を積極的に採り入れるようになった[70]

  • 日経ビジネス 1982年8月23日号「日揮 花形企業の“利益なき繁忙”いつまで」
    • [65]1972年ごろ 約250億円で受注したアルジェリア製油所建設で約50億円の赤字
    • [66]アルジェリア案件の赤字で減配と賞与カットに追い込まれた
    • [67]篠田治男は1982年時点の社長
    • [68]赤字の原因は洪水・現地労働者の質の過大評価・工期中の賃金3倍化・カバーできないランプサム契約
    • [69]機材輸送の事故で労働者1,000人を1カ月遊ばせた
    • [70]反省からコスト・プラス・フィー(実費・報酬加算)方式の契約を積極採用
  • 証券アナリストジャーナル 1966年1月号「日本揮発油の現状と将来」
    • [53]1965年 ペルー・ベネズエラ・アルゼンチンで合計100億円を受注
    • [54]ペルー案件は約50億円で丸紅飯田と組み国際入札でケロッグ社・マッキー社と競合
    • [55]韓国およびサウジアラビアとクウェートの中間地帯で石油工場を建設
    • [56]従業員は10年前130人・5年前500人・1965年時点1,300人/年間売上高は4億円・50億円・157億円
  • 日経ビジネス 1980年8月25日号「リスクも、実績と信用づくりで回避」
    • [57]鈴木義雄は商工省・通産省重工業局長・日本輸出入銀行理事を経て1961年5月に副社長として入社し1966年5月に社長就任
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [58]ペルー・ベネズエラ・アルゼンチン・クウェート・韓国等へ石油精製プラント一式を建設しプラント輸出の先鞭をつけた
    • [59]1966年 核燃料再処理プラントの設計を仏サンゴバン社と組んで受注し原子力分野へ参入
    • [60]1967年 重油脱硫装置を出光興産千葉製油所へ世界で初めて建設
    • [61]1968年時点で日本の石油精製設備の約60%・石油化学設備の約40%を手がける
    • [62]従業員1,491名のうち技術者が約1,000名
    • [63]特許料収入は年間20億円前後・年間売上高は約400億円
  • 日揮ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [64]1975年4月 愛知県半田市に衣浦研究所を設置
  • 日経ビジネス 1982年8月23日号「日揮 花形企業の“利益なき繁忙”いつまで」
    • [65]1972年ごろ 約250億円で受注したアルジェリア製油所建設で約50億円の赤字
    • [66]アルジェリア案件の赤字で減配と賞与カットに追い込まれた
    • [67]篠田治男は1982年時点の社長
    • [68]赤字の原因は洪水・現地労働者の質の過大評価・工期中の賃金3倍化・カバーできないランプサム契約
    • [69]機材輸送の事故で労働者1,000人を1カ月遊ばせた
    • [70]反省からコスト・プラス・フィー(実費・報酬加算)方式の契約を積極採用

1976年〜 社名から「揮発油」を外し、円高で4期連続赤字を抱えた25年

日揮ホールディングスの業績推移

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 1976年 アルジェリア大型ガスプラントを受注
  2. 1976年 海外プラント受注拡大への傾斜と「日揮」への社名変更 拡大するリスクを、鈴木義雄社長(のち会長)は実績と信用づくりでどう受け止めようとしたか
  3. 1981年 クウェート製油所近代化工事を受注
  4. 1982年 オーストラリア天然ガス液化工場を受注
  5. 1986年 プラザ合意後の円高で4期連続営業赤字に転落
  6. 1989年 海外調達50%への構造転換と円高危機からの再建 4期連続営業赤字の「赤字肯定体質」を、渡辺英二社長はどう作り替えたか
  7. 1998年 2期連続最終赤字に転落

「揮発油」を外した社名変更と、アルジェリアへの再挑戦

1976年10月の社名変更で、日本揮発油株式会社は日揮株式会社となり、英文名もJGC CORPORATIONへ改まった[71]。同じ年にアルジェリアのガスプラント「モジュールⅠ・Ⅱ」を受注総額1,450億円で獲得[72]している。サハラ砂漠で産出する天然ガスとLPGを分離するプラント[73]で、初めのプロジェクトは1,500億円規模、その1年後にもう1,500億円が加わって3,000億円の仕事になった[74]。同社の売上の約半分を1国の案件が占める状態は、追加受注の結果としてやむを得ず生じたもの[75]である。

  • 日揮ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [71]1976年10月 社名を日本揮発油から日揮へ変更・英文名JGC CORPORATION
    • [72]1976年 アルジェリアのガスプラント「モジュールⅠ・Ⅱ」を受注総額1,450億円で獲得
  • 日経ビジネス 1980年8月25日号「リスクも、実績と信用づくりで回避」
    • [73]サハラ砂漠の天然ガスとLPGを分離するプラント
    • [74]初回1,500億円規模に1年後さらに1,500億円が加わり3,000億円規模へ
    • [75]アルジェリア案件が売上の約半分を占め追加受注の結果として生じた

鈴木義雄会長は「海外の仕事にリスクはつきもの。それをカバーするのが得意先への実績、信用づくり」と述べ、自社のキャパシティーとの見合いで大きな仕事を1カ所に集中させない方針[77]を掲げた。この時期の同社は売上の75%を輸出が占め、海外14カ所に支店と営業所を構えている[78]。取り逃した案件もあり、イランでは石油関係で二度ほど受注活動を行ったがいずれも競争相手にとられ[79]、三井の石油化学プロジェクトでも同社のプロセスが採用されず、三井と関係の深い東洋エンジニアリングが受注を望んだことで手を引いている[80]。業績は1975年度の売上996億円から1981年度の3,089億円へ、6年間で3倍強に伸びた[81]。1980年6月、14年間社長を務めた鈴木氏は代表取締役会長へ退いている[82][76]

  • 日経ビジネス 1980年8月25日号「リスクも、実績と信用づくりで回避」
    • [76]鈴木義雄の発言 海外の仕事にリスクはつきもの・カバーするのは得意先への実績と信用づくり
    • [77]自社のキャパシティーとの見合いで大きな仕事を1カ所に集中させない方針
    • [78]売上の75%が輸出・海外14カ所に支店と営業所
    • [79]イランで石油関係の受注活動を二度行ったが競争相手に取られた
    • [80]三井の石油化学プロジェクトは日揮のプロセスが採用されず東洋エンジニアリングの意向で撤退
    • [82]1980年6月 鈴木義雄が14年間の社長在任を経て代表取締役会長へ就任
  • 日経ビジネス 1982年8月23日号「日揮 花形企業の“利益なき繁忙”いつまで」
    • [81]1975年度の売上996億円から1981年度3,089億円へ6年間で3倍強
  • 日揮ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [71]1976年10月 社名を日本揮発油から日揮へ変更・英文名JGC CORPORATION
    • [72]1976年 アルジェリアのガスプラント「モジュールⅠ・Ⅱ」を受注総額1,450億円で獲得
  • 日経ビジネス 1980年8月25日号「リスクも、実績と信用づくりで回避」
    • [73]サハラ砂漠の天然ガスとLPGを分離するプラント
    • [74]初回1,500億円規模に1年後さらに1,500億円が加わり3,000億円規模へ
    • [75]アルジェリア案件が売上の約半分を占め追加受注の結果として生じた
    • [76]鈴木義雄の発言 海外の仕事にリスクはつきもの・カバーするのは得意先への実績と信用づくり
    • [77]自社のキャパシティーとの見合いで大きな仕事を1カ所に集中させない方針
    • [78]売上の75%が輸出・海外14カ所に支店と営業所
    • [79]イランで石油関係の受注活動を二度行ったが競争相手に取られた
    • [80]三井の石油化学プロジェクトは日揮のプロセスが採用されず東洋エンジニアリングの意向で撤退
    • [82]1980年6月 鈴木義雄が14年間の社長在任を経て代表取締役会長へ就任
  • 日経ビジネス 1982年8月23日号「日揮 花形企業の“利益なき繁忙”いつまで」
    • [81]1975年度の売上996億円から1981年度3,089億円へ6年間で3倍強

「利益なき繁忙」とカントリーリスクの分散

1981年12月、クウェートから10億ドルに上る製油所近代化工事を追加受注[83]した。国際入札ではなく特命による受注で、第1期の脱硫装置の建設に取り組む真剣さと技術力が評価された[84]ものである。篠田治男社長は現地へ4回足を運び、商談そのものは10カ月という異例の短さでまとまった[85]。翌1982年6月には、オーストラリアから5,000億円という天然ガス処理・液化工場を、米国ケロッグ社と現地のレイモンド・エンジニアーズとのコンソーシアムで獲得[86]している。世界第2位のエンジニアリング会社である米国フルア社との一騎打ちの末に得た案件[87]だった。

  • 日経ビジネス 1982年8月23日号「日揮 花形企業の“利益なき繁忙”いつまで」
    • [83]1981年12月 クウェートから10億ドルの製油所近代化工事を追加受注
    • [84]国際入札でなく特命受注・第1期の脱硫装置への取り組みと技術力が評価
    • [85]篠田治男社長が現地へ4回訪問し商談は10カ月でまとまった
    • [86]1982年6月 オーストラリアの天然ガス処理・液化工場5,000億円を米ケロッグ・豪レイモンドとのコンソーシアムで獲得
    • [87]オーストラリア案件は世界第2位のエンジニアリング会社である米フルア社との一騎打ちで獲得

受注は伸びたが利益は伴わず、1979年度に3.4%あった売上高営業利益率は1981年度に0.4%まで落ち込んでいる[88]。年間150件以上のプロジェクトのなかに赤字案件がまじった[89]うえ、造船や重機のメーカーが繁忙となって安値で応札しなくなり、資材の調達コストが上がった[90]ことも重なった。同社は米国のヒューストンと欧州のパリを拠点に資材の海外調達へ乗り出し、クウェート案件では金額ベースで30〜35%を海外から調達する計画[91]を立てたが、この時点の海外調達比率はまだ10〜20%にとどまっている[92]。篠田治男社長は「同じ国に仕事を集中するな、分散しろ[93]」と指示し、東南アジアから中近東へ受注先を広げた。

  • 日経ビジネス 1982年8月23日号「日揮 花形企業の“利益なき繁忙”いつまで」
    • [88]売上高営業利益率は1979年度3.4%から1981年度0.4%へ低下
    • [89]年間150件以上のプロジェクトに赤字案件が含まれた
    • [90]造船・重機メーカーの繁忙で安値応札が減り資材の調達コストが上昇
    • [91]米ヒューストン・欧州パリを拠点に資材の海外調達に着手・クウェート案件は金額ベース30〜35%を海外調達する計画
    • [92]1982年時点の海外調達比率は10〜20%
    • [93]篠田治男の指示 同じ国に仕事を集中せず分散する・東南アジアから中近東へ展開

石油精製に偏らない技術分野の開拓も同時に進み、放射性廃棄物の処理を手がけていたのは当時の日本で同社だけで、米国のベクテル社も扱ったことのない領域[94]である。鈴木義雄会長の決断による参入で、1982年の時点で原子力関連はすでに800億円の受注残[95]を抱えていた。1984年7月には原子力の技術開発体制を強めるため、茨城県大洗町に大洗原子力技術開発センターを設置している[96]。技術研究本部は約250人を抱え、年間30億円ほどの研究開発費[97]を投じていた。病院や工場団地といった社会開発型のプロジェクトにも本格的に参入し、1981年末には米沢市で8億円の病院工事を受注した[98]

  • 日経ビジネス 1982年8月23日号「日揮 花形企業の“利益なき繁忙”いつまで」
    • [94]放射性廃棄物の処理を手がけていたのは日本で同社のみ・米ベクテル社も未経験の分野
    • [95]鈴木義雄の決断による原子力参入・1982年時点で原子力関連の受注残800億円
    • [97]技術研究本部は約250人・年間30億円ほどの研究開発費
    • [98]1981年末 米沢市で8億円の病院工事を受注
  • 日揮ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [96]1984年7月 茨城県大洗町に大洗原子力技術開発センターを設置
  • 日経ビジネス 1982年8月23日号「日揮 花形企業の“利益なき繁忙”いつまで」
    • [83]1981年12月 クウェートから10億ドルの製油所近代化工事を追加受注
    • [84]国際入札でなく特命受注・第1期の脱硫装置への取り組みと技術力が評価
    • [85]篠田治男社長が現地へ4回訪問し商談は10カ月でまとまった
    • [86]1982年6月 オーストラリアの天然ガス処理・液化工場5,000億円を米ケロッグ・豪レイモンドとのコンソーシアムで獲得
    • [87]オーストラリア案件は世界第2位のエンジニアリング会社である米フルア社との一騎打ちで獲得
    • [88]売上高営業利益率は1979年度3.4%から1981年度0.4%へ低下
    • [89]年間150件以上のプロジェクトに赤字案件が含まれた
    • [90]造船・重機メーカーの繁忙で安値応札が減り資材の調達コストが上昇
    • [91]米ヒューストン・欧州パリを拠点に資材の海外調達に着手・クウェート案件は金額ベース30〜35%を海外調達する計画
    • [92]1982年時点の海外調達比率は10〜20%
    • [93]篠田治男の指示 同じ国に仕事を集中せず分散する・東南アジアから中近東へ展開
    • [94]放射性廃棄物の処理を手がけていたのは日本で同社のみ・米ベクテル社も未経験の分野
    • [95]鈴木義雄の決断による原子力参入・1982年時点で原子力関連の受注残800億円
    • [97]技術研究本部は約250人・年間30億円ほどの研究開発費
    • [98]1981年末 米沢市で8億円の病院工事を受注
  • 日揮ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [96]1984年7月 茨城県大洗町に大洗原子力技術開発センターを設置

円高で4期連続赤字、海外調達50%への組み替え

1985年9月のプラザ合意以降の急激な円高で、1988年1月までにドルの価値は半減[99]した。売上高の約70%を占める中東や東南アジアなど海外でのプラント事業が軒並み採算割れ[100]に陥り、1986年3月期から1989年3月期まで4期連続の営業赤字[101]となっている。資材調達が国内に偏っており、円高では海外プロジェクトの建設費が膨らむ構造[102]だった。社内には赤字受注もやむを得ない、赤字案件は赤字のまま完工して当然だという空気[103]まで広がっていた。海外依存度は74%と高いまま[104]で、1988年6月に国際事業本部長を務めた渡辺英二氏が社長へ就いた[105]

  • 日経ビジネス 1990年10月22日号「提案を売り物に非エネルギー部門育てる」
    • [99]1985年9月のプラザ合意以降の円高で1988年1月までにドルの価値が半減
    • [100]売上高の約70%を占める中東・東南アジアのプラント事業が採算割れ
    • [101]1986年3月期から1989年3月期まで4期連続の営業赤字
    • [104]海外依存度74%
  • 日経ビジネス 1993年7月19日号「日揮 海外からの機材調達拡大 情報通信網も威力発揮」
    • [102]資材調達が国内に偏り円高で海外案件の建設費が膨張する構造
    • [103]社内に赤字受注や赤字完工を当然とする空気が広がった
  • 日揮ホールディングス 有価証券報告書(役員の状況)
    • [105]1988年6月 国際事業本部長出身の渡辺英二が社長に就任

渡辺英二社長が示したのは、海外調達比率を従来の10〜20%から50%へ引き上げる方針[106]だった。円高をしのぐ手段ではなく国際競争力を高める手段として調達の構造そのものを組み替える判断で、現地サプライヤーの発掘、技術供与、調達先データベースの構築、海外拠点の拡充を並行して進めている[107]。1989年度には海外調達額が340億円へ拡大[108]し、イランのアラク製油所を1,145億円、インドネシアの輸出用製油所を2,223億円で受注[109]した。1990年3月期の受注額は前期の約3倍にあたる6,010億円に達し[110]、営業損益は5年ぶりに6億7,700万円の黒字を計上、受注残高は7,800億円を超えた[111]。1993年3月期には連結売上高4,406億円、経常利益174億円を計上[112]している。

  • 日経ビジネス 1993年7月19日号「日揮 海外からの機材調達拡大 情報通信網も威力発揮」
    • [106]海外調達比率を従来の10〜20%から50%へ引き上げる方針
    • [107]現地サプライヤーの発掘・技術供与・調達先データベース構築・海外拠点拡充を並行実施
    • [108]1989年度の海外調達額340億円
  • 日経ビジネス 1990年10月22日号「提案を売り物に非エネルギー部門育てる」
    • [109]1989年度 イランのアラク製油所1,145億円・インドネシアの輸出用製油所2,223億円を受注
    • [110]1990年3月期の受注額は前期の約3倍の6,010億円
    • [111]1990年3月期に営業損益が5年ぶりに6億7,700万円の黒字・受注残高7,800億円超
  • 日揮ホールディングス 有価証券報告書(連結財務諸表)
    • [112]1993年3月期の連結売上高4,406億円・経常利益174億円

本業の変動を埋める事業も並行して育て、1990年3月期には病院や工場のエンジニアリングなど新規事業の売上高が368億6,200万円と全売上高の20%に達し[113]た。同年7月にはオランダのエンジニアリング会社ドルチェ・エンジニアリングを買収[114]し、欧州の駐在事務所を統括する現地法人も設立している。1996年6月に重久吉弘氏が社長へ就任[115]し、翌1997年6月には横浜市西区の新社屋へ横浜事業所のプロジェクト遂行機能と東京本社の一部機能を移して横浜本社を設置した[116]。それでも受注の振れは収まらず、1997年3月期と1998年3月期は2期連続の最終赤字[117]となっている。1999年3月期の最終利益はかろうじて6,700万円で、受注高2,625億円を確保[118]した同社に対し、千代田化工建設は3期連続赤字で120億円、東洋エンジニアリングは2期連続で155億円の最終損失を計上している[119]。1999年9月、重久吉弘社長は東洋エンジニアリングの広瀬俊彦社長と会談した[120]

  • 日経ビジネス 1990年10月22日号「提案を売り物に非エネルギー部門育てる」
    • [113]1990年3月期の新規事業売上高368億6,200万円・全売上高の20%
    • [114]1990年7月 オランダのドルチェ・エンジニアリングを買収し欧州駐在事務所を統括する現地法人を設立
  • 日揮ホールディングス 有価証券報告書(役員の状況)
    • [115]1996年6月 重久吉弘が社長に就任
  • 日揮ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [116]1997年6月 横浜市西区の新社屋に横浜本社を設置し横浜事業所のプロジェクト遂行機能と東京本社の一部機能を移管
  • 日揮ホールディングス 有価証券報告書(連結財務諸表)
    • [117]1997年3月期・1998年3月期は2期連続の最終赤字
  • 週刊東洋経済 1999年7月10日号「苦況のプラント・エンジ業界 再生に通産省動く」
    • [118]1999年3月期の最終利益6,700万円・受注高2,625億円
    • [119]1999年3月期に千代田化工建設は3期連続赤字で最終損失120億円・東洋エンジニアリングは2期連続で155億円の最終損失
  • 週刊東洋経済 2000年3月4日号「秒読み 日揮とTECが急接近 料亭密談の気になる内容」
    • [120]1999年9月 重久吉弘社長が東洋エンジニアリングの広瀬俊彦社長と会談
  • 日経ビジネス 1990年10月22日号「提案を売り物に非エネルギー部門育てる」
    • [99]1985年9月のプラザ合意以降の円高で1988年1月までにドルの価値が半減
    • [100]売上高の約70%を占める中東・東南アジアのプラント事業が採算割れ
    • [101]1986年3月期から1989年3月期まで4期連続の営業赤字
    • [104]海外依存度74%
    • [109]1989年度 イランのアラク製油所1,145億円・インドネシアの輸出用製油所2,223億円を受注
    • [110]1990年3月期の受注額は前期の約3倍の6,010億円
    • [111]1990年3月期に営業損益が5年ぶりに6億7,700万円の黒字・受注残高7,800億円超
    • [113]1990年3月期の新規事業売上高368億6,200万円・全売上高の20%
    • [114]1990年7月 オランダのドルチェ・エンジニアリングを買収し欧州駐在事務所を統括する現地法人を設立
  • 日経ビジネス 1993年7月19日号「日揮 海外からの機材調達拡大 情報通信網も威力発揮」
    • [102]資材調達が国内に偏り円高で海外案件の建設費が膨張する構造
    • [103]社内に赤字受注や赤字完工を当然とする空気が広がった
    • [106]海外調達比率を従来の10〜20%から50%へ引き上げる方針
    • [107]現地サプライヤーの発掘・技術供与・調達先データベース構築・海外拠点拡充を並行実施
    • [108]1989年度の海外調達額340億円
  • 日揮ホールディングス 有価証券報告書(役員の状況)
    • [105]1988年6月 国際事業本部長出身の渡辺英二が社長に就任
    • [115]1996年6月 重久吉弘が社長に就任
  • 日揮ホールディングス 有価証券報告書(連結財務諸表)
    • [112]1993年3月期の連結売上高4,406億円・経常利益174億円
    • [117]1997年3月期・1998年3月期は2期連続の最終赤字
  • 日揮ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [116]1997年6月 横浜市西区の新社屋に横浜本社を設置し横浜事業所のプロジェクト遂行機能と東京本社の一部機能を移管
  • 週刊東洋経済 1999年7月10日号「苦況のプラント・エンジ業界 再生に通産省動く」
    • [118]1999年3月期の最終利益6,700万円・受注高2,625億円
    • [119]1999年3月期に千代田化工建設は3期連続赤字で最終損失120億円・東洋エンジニアリングは2期連続で155億円の最終損失
  • 週刊東洋経済 2000年3月4日号「秒読み 日揮とTECが急接近 料亭密談の気になる内容」
    • [120]1999年9月 重久吉弘社長が東洋エンジニアリングの広瀬俊彦社長と会談

2001年〜 営業利益率12%から巨額損失へ、資源価格に振られた収益構造と持株会社体制

日揮ホールディングスの業績推移:連結

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 2004年 触媒化成工業を100%子会社化
  2. 2008年 日揮触媒化成が発足
  3. 2013年 アルジェリア人質事件が発生
  4. 2016年 高松則雄氏が代表取締役社長(COO)に就任
  5. 2017年 資源価格低迷を受け大幅営業赤字に転落
  6. 2019年 持株会社体制に移行・日揮HDに商号変更
  7. 2022年 イクシスLNG案件で巨額損失計上・純損失▲356億円

資源高の10年と、営業利益率12%の頂点

2000年代に入ると、主戦場としてきた中東と東南アジアでLNG・石油精製プラントの案件が増えた[121]。2003年3月期に3,780億円だった連結売上高は2014年3月期に6,758億円へ拡大[122]している。利益の伸びはそれを上回り、2009年3月期の営業利益は520億円、2012年3月期には671億円と過去最高水準に達した[123]。2012年3月期の営業利益率は12.0%[124]で、1981年度に0.4%まで落ちた同じ会社の数字[125]である。1990年代に組み替えた海外調達がプロジェクト原価を抑え、案件数の増加と重なって高い利益率を生んだ[126]

  • 週刊東洋経済 2013年11月15日号「核心リポート03 日揮と千代田化工 北米に進出するワケ」
    • [121]中東や東南アジアが主戦場
  • 日揮ホールディングス 有価証券報告書(連結財務諸表)
    • [122]連結売上高は2003年3月期3,780億円から2014年3月期6,758億円へ拡大
    • [123]営業利益は2009年3月期520億円・2012年3月期671億円
    • [124]2012年3月期の営業利益率12.0%
  • 日経ビジネス 1982年8月23日号「日揮 花形企業の“利益なき繁忙”いつまで」
    • [125]1981年度の売上高営業利益率は0.4%
  • 日経ビジネス 1993年7月19日号「日揮 海外からの機材調達拡大 情報通信網も威力発揮」
    • [126]海外調達体制がプロジェクト原価を抑え案件数の増加と重なって高利益率を実現

触媒・機能材の分野でも持分を固め、1958年に旭硝子との共同出資で設立した触媒化成工業を2004年7月に100%子会社化[127]した。2008年7月には日揮化学と合併させて日揮触媒化成株式会社へ改称[128]している。同社は石油精製用触媒に加え、フラットパネルディスプレイや半導体、化粧品に使われるナノ粒子材料、化学的機械研磨材料[129]を手がけた。受注高が資源価格に左右される総合エンジニアリング事業に対し、機能材製造セグメントの利益は2019年3月期に74億円[130]を計上している。

  • 日揮ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [127]2004年7月 触媒化成工業を100%子会社化
    • [128]2008年7月 触媒化成工業と日揮化学が合併し日揮触媒化成へ改称
  • 日揮ホールディングス 有価証券報告書(事業の内容)
    • [129]石油精製用触媒・FPDや半導体や化粧品向けナノ粒子材料・化学的機械研磨材料を製造
  • 日揮ホールディングス 有価証券報告書(セグメント情報)
    • [130]機能材製造セグメントの2019年3月期セグメント利益74億円
  • 週刊東洋経済 2013年11月15日号「核心リポート03 日揮と千代田化工 北米に進出するワケ」
    • [121]中東や東南アジアが主戦場
  • 日揮ホールディングス 有価証券報告書(連結財務諸表)
    • [122]連結売上高は2003年3月期3,780億円から2014年3月期6,758億円へ拡大
    • [123]営業利益は2009年3月期520億円・2012年3月期671億円
    • [124]2012年3月期の営業利益率12.0%
  • 日経ビジネス 1982年8月23日号「日揮 花形企業の“利益なき繁忙”いつまで」
    • [125]1981年度の売上高営業利益率は0.4%
  • 日経ビジネス 1993年7月19日号「日揮 海外からの機材調達拡大 情報通信網も威力発揮」
    • [126]海外調達体制がプロジェクト原価を抑え案件数の増加と重なって高利益率を実現
  • 日揮ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [127]2004年7月 触媒化成工業を100%子会社化
    • [128]2008年7月 触媒化成工業と日揮化学が合併し日揮触媒化成へ改称
  • 日揮ホールディングス 有価証券報告書(事業の内容)
    • [129]石油精製用触媒・FPDや半導体や化粧品向けナノ粒子材料・化学的機械研磨材料を製造
  • 日揮ホールディングス 有価証券報告書(セグメント情報)
    • [130]機能材製造セグメントの2019年3月期セグメント利益74億円

イナメナスの事件と、北米への進出

2013年1月、アルジェリア南東部のイナメナスで、同国国営企業ソナトラックや英BPなどの合弁によるガス生産関連施設がイスラム過激派の「イスラム聖戦士血盟団」に襲撃された[131]。48人が死亡し、そのうち10人はプラント建設に参加していた日揮の現地駐在員[132]である。アルジェリアは1976年のガスプラント受注以来、同社が数十年にわたって事業を重ねてきた地域[134]だった。世界中でプラント建設を請け負ってきた同社は日本企業のなかで最も危機管理に長けた一社とみられており[135]、その同社ですら10人の命を失ったことに衝撃を受けて、リスク対策のコンサルティング会社へ相談する企業が相次いだ[136]。連結業績への直接の影響は限られ、2013年3月期の営業利益は641億円、2014年3月期は683億円と最高益を更新している[137][133]

  • 週刊東洋経済 2015年3月6日号「テロで死なないための新常識 テロに丸裸の日本企業 安全確保は社長の責任」
    • [131]2013年1月 アルジェリア南東部イナメナスでソナトラックや英BPなどの合弁によるガス生産関連施設が襲撃
    • [132]48人が死亡しうち10人が日揮の現地駐在員
    • [135]日揮は日本企業のなかで最も危機管理に長けた一社とみられていた
    • [136]事件に衝撃を受けリスク対策のコンサルティング会社へ相談する企業が相次いだ
  • 週刊東洋経済 2013年2月9日号「知の技法 出世の作法 第280回 日本人もテロの標的になるという前提」
    • [133]日揮の日本人10人を含む多くの死者が発生
  • 日経ビジネス 1980年8月25日号「リスクも、実績と信用づくりで回避」
    • [134]アルジェリアは1976年のガスプラント受注以来の主力地域
  • 日揮ホールディングス 有価証券報告書(連結財務諸表)
    • [137]2013年3月期の営業利益641億円・2014年3月期683億円

同じ2013年の10月、米国で大型エチレン製造設備のEPC契約を受注したと発表した[138]。シェブロンフィリップス・ケミカル社がテキサス州に建設する年産150万トンの設備で、新設案件としては世界最大[139]にあたる。現地のエンジニアリング会社フルア社との共同受注で、受注総額は2,000億円規模[140]に上る。北米はベクテル社とKBR社を筆頭に現地企業がひしめく市場で、それまで同社が手がけたのは100億円前後の仕事が何件か[141]にすぎなかった。安価なシェールガスを原料とするプラントの建設計画が相次いだ[142]ことで、未開拓だった市場が動いている。

  • 週刊東洋経済 2013年11月15日号「核心リポート03 日揮と千代田化工 北米に進出するワケ」
    • [138]2013年10月 米国で大型エチレン製造設備のEPC契約受注を発表
    • [139]シェブロンフィリップス・ケミカルがテキサス州に建設する年産150万トンの設備で新設として世界最大
    • [140]現地フルア社との共同受注・受注総額2,000億円規模
    • [141]北米はベクテル・KBRを筆頭に現地企業がひしめく市場で日揮の過去実績は100億円前後の案件が数件
    • [142]安価なシェールガスを原料とするプラント建設計画が相次いだ

2014年以降の原油・ガス価格が下落するなか、発注の延期や設計変更に伴う追加コストを受注者が負担するランプサム契約の弱点が働き、2017年3月期は売上高6,931億円に対して営業損益がマイナス215億円、当期純損失が220億円となり[143]、19年ぶりの赤字に転落している[144]。総合エンジニアリングセグメント単独の損失は294億円[145]だった。2017年6月に社長へ就いた石塚忠氏[146]は、社員を集めた会合で「驕り、過信がある[147]」と伝え、プロジェクトの現状が社内で正しく伝わっていない実態が一部にあったと述べている。石塚氏は1972年に入社し、副社長を務めたのち一度退社して2017年2月に復帰した経歴[148]を持つ。

  • 日揮ホールディングス 有価証券報告書(連結財務諸表)
    • [143]2017年3月期は売上高6,931億円・営業損益▲215億円・当期純損失▲220億円
  • 週刊東洋経済 2017年10月14日号「この人に聞く 日揮 社長 石塚忠 異色社長が本気で挑む 海外のインフラ事業強化」
    • [144]2017年3月期は19年ぶりの赤字
    • [146]2017年6月 石塚忠が社長に就任
    • [147]石塚忠の発言 驕りと過信がある・プロジェクトの現状が社内で正しく伝わっていない実態が一部にあった
    • [148]石塚忠は1972年入社・副社長を経て退社し2017年2月に復帰
  • 日揮ホールディングス 有価証券報告書(セグメント情報)
    • [145]2017年3月期の総合エンジニアリングセグメント損失294億円
  • 週刊東洋経済 2015年3月6日号「テロで死なないための新常識 テロに丸裸の日本企業 安全確保は社長の責任」
    • [131]2013年1月 アルジェリア南東部イナメナスでソナトラックや英BPなどの合弁によるガス生産関連施設が襲撃
    • [132]48人が死亡しうち10人が日揮の現地駐在員
    • [135]日揮は日本企業のなかで最も危機管理に長けた一社とみられていた
    • [136]事件に衝撃を受けリスク対策のコンサルティング会社へ相談する企業が相次いだ
  • 週刊東洋経済 2013年2月9日号「知の技法 出世の作法 第280回 日本人もテロの標的になるという前提」
    • [133]日揮の日本人10人を含む多くの死者が発生
  • 日経ビジネス 1980年8月25日号「リスクも、実績と信用づくりで回避」
    • [134]アルジェリアは1976年のガスプラント受注以来の主力地域
  • 日揮ホールディングス 有価証券報告書(連結財務諸表)
    • [137]2013年3月期の営業利益641億円・2014年3月期683億円
    • [143]2017年3月期は売上高6,931億円・営業損益▲215億円・当期純損失▲220億円
  • 週刊東洋経済 2013年11月15日号「核心リポート03 日揮と千代田化工 北米に進出するワケ」
    • [138]2013年10月 米国で大型エチレン製造設備のEPC契約受注を発表
    • [139]シェブロンフィリップス・ケミカルがテキサス州に建設する年産150万トンの設備で新設として世界最大
    • [140]現地フルア社との共同受注・受注総額2,000億円規模
    • [141]北米はベクテル・KBRを筆頭に現地企業がひしめく市場で日揮の過去実績は100億円前後の案件が数件
    • [142]安価なシェールガスを原料とするプラント建設計画が相次いだ
  • 週刊東洋経済 2017年10月14日号「この人に聞く 日揮 社長 石塚忠 異色社長が本気で挑む 海外のインフラ事業強化」
    • [144]2017年3月期は19年ぶりの赤字
    • [146]2017年6月 石塚忠が社長に就任
    • [147]石塚忠の発言 驕りと過信がある・プロジェクトの現状が社内で正しく伝わっていない実態が一部にあった
    • [148]石塚忠は1972年入社・副社長を経て退社し2017年2月に復帰
  • 日揮ホールディングス 有価証券報告書(セグメント情報)
    • [145]2017年3月期の総合エンジニアリングセグメント損失294億円

持株会社体制への移行と、繰り返された大型損失

2019年4月、持株会社体制へ移行するための新設承継会社として日揮グローバル株式会社を設立[149]した。同年10月に持株会社体制へ移り、商号を日揮ホールディングス株式会社へ変更[150]している。海外EPC事業を日揮グローバルへ、国内EPC事業を日揮へそれぞれ承継させ[151]、あわせて日揮プラントイノベーションが商号を日揮へ改めている。持株会社体制での初年度にあたる2020年3月期は、連結売上高4,808億円、営業利益202億円で着地している[152]。2022年4月には東京証券取引所市場第1部からプライム市場へ移り[153]、2023年4月にはグループのコーポレート機能を集約する日揮コーポレートソリューションズ株式会社を設立した[154]

  • 日揮ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [149]2019年4月 持株会社体制移行のため新設承継会社として日揮グローバルを設立
    • [150]2019年10月 持株会社体制へ移行し商号を日揮ホールディングスへ変更
    • [151]海外EPC事業を日揮グローバルへ・国内EPC事業を日揮へ承継し日揮プラントイノベーションが日揮へ商号変更
    • [153]2022年4月 東京証券取引所市場第1部からプライム市場へ移行
    • [154]2023年4月 日揮コーポレートソリューションズを設立しコーポレート機能を集約
  • 日揮ホールディングス 有価証券報告書(連結財務諸表)
    • [152]2020年3月期の連結売上高4,808億円・営業利益202億円

新体制の実効性は移行の直後に試され、2022年3月期にはオーストラリアのイクシスLNG案件で575億円の特別損失を計上[155]し、当期純損益が355億円の赤字となった。売上高4,284億円に対する損失[156]であり、しかも損失はそれで終わらなかった。2024年3月期はサウジアラビア案件の損失を追加計上して営業損益がマイナス190億円[157]、2025年3月期もマイナス115億円となり、2期連続の営業赤字を記録[158]している。2024年6月には佐藤雅之氏が代表取締役会長兼社長CEOに就任している[159]

  • 日揮ホールディングス 有価証券報告書(連結財務諸表)
    • [155]2022年3月期 イクシスLNG案件で特別損失575億円・当期純損失355億円
    • [156]2022年3月期の売上高4,284億円
    • [157]2024年3月期 サウジアラビア案件の損失追加計上で営業損益▲190億円
    • [158]2025年3月期の営業損益▲115億円で2期連続の営業赤字
  • 日揮ホールディングス 有価証券報告書(役員の状況)
    • [159]2024年6月 佐藤雅之が代表取締役会長兼社長CEOに就任

損失案件の消化が進んだ2026年3月期は、売上高7,453億円、営業利益354億円、当期純利益418億円で着地した[160]。受注先の広げ方も変わり、総合エンジニアリング事業は石油やガスに加え、原子力、金属製錬、バイオ、食品、医薬品、医療、物流、ITまで対象を並べ[161]た。国産の廃食用油を原料とするSAF・バイオナフサ・バイオディーゼルの製造事業[162]も子会社で手がけている。日揮グローバルは独Exyteとの協業に基づき、半導体製造施設やデータセンター向けのEPCブランド「Nixyte」[163]を立ち上げた。

  • 日揮ホールディングス 有価証券報告書(連結財務諸表)
    • [160]2026年3月期 売上高7,453億円・営業利益354億円・当期純利益418億円
  • 日揮ホールディングス 有価証券報告書(事業の内容)
    • [161]総合エンジニアリング事業の対象は石油やガスのほか原子力・金属製錬・バイオ・食品・医薬品・医療・物流・ITに及ぶ
    • [162]国産廃食用油を原料とするSAF・バイオナフサ・バイオディーゼルの製造事業を子会社で展開
    • [163]日揮グローバルが独Exyteとの協業で半導体製造施設・データセンター向けEPCブランド「Nixyte」を始動
  • 日揮ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [149]2019年4月 持株会社体制移行のため新設承継会社として日揮グローバルを設立
    • [150]2019年10月 持株会社体制へ移行し商号を日揮ホールディングスへ変更
    • [151]海外EPC事業を日揮グローバルへ・国内EPC事業を日揮へ承継し日揮プラントイノベーションが日揮へ商号変更
    • [153]2022年4月 東京証券取引所市場第1部からプライム市場へ移行
    • [154]2023年4月 日揮コーポレートソリューションズを設立しコーポレート機能を集約
  • 日揮ホールディングス 有価証券報告書(連結財務諸表)
    • [152]2020年3月期の連結売上高4,808億円・営業利益202億円
    • [155]2022年3月期 イクシスLNG案件で特別損失575億円・当期純損失355億円
    • [156]2022年3月期の売上高4,284億円
    • [157]2024年3月期 サウジアラビア案件の損失追加計上で営業損益▲190億円
    • [158]2025年3月期の営業損益▲115億円で2期連続の営業赤字
    • [160]2026年3月期 売上高7,453億円・営業利益354億円・当期純利益418億円
  • 日揮ホールディングス 有価証券報告書(役員の状況)
    • [159]2024年6月 佐藤雅之が代表取締役会長兼社長CEOに就任
  • 日揮ホールディングス 有価証券報告書(事業の内容)
    • [161]総合エンジニアリング事業の対象は石油やガスのほか原子力・金属製錬・バイオ・食品・医薬品・医療・物流・ITに及ぶ
    • [162]国産廃食用油を原料とするSAF・バイオナフサ・バイオディーゼルの製造事業を子会社で展開
    • [163]日揮グローバルが独Exyteとの協業で半導体製造施設・データセンター向けEPCブランド「Nixyte」を始動

日揮ホールディングスの沿革1928〜2025年における主な出来事を抜粋

年月社長・CEO出来事重要度
日本揮発油を設立
UOP社と業務提携を締結★★
UOP社と技術提携を締結
UOP社との業務提携を解消
UOP社との技術提携を解消
UOP社との技術提携を再締結
日揮化学を設立
触媒化成工業を設立
東京証券取引所第2部に株式上場
海外大型プラントPJの積極受注を開始★★
東京証券取引所第1部銘柄に指定
アルジェリア大赤字とコスト・プラス・フィー方式への転換約50億円の失敗を、篠田治男社長はどう海外プラント事業のリスク哲学へ変えたか 詳細を読む★★★
衣浦研究所を新設
アルジェリア大型ガスプラントを受注
海外プラント受注拡大への傾斜と「日揮」への社名変更拡大するリスクを、鈴木義雄社長(のち会長)は実績と信用づくりでどう受け止めようとしたか 詳細を読む★★★
クウェート製油所近代化工事を受注
オーストラリア天然ガス液化工場を受注
プラザ合意後の円高で4期連続営業赤字に転落★★
渡辺英二氏が代表取締役社長に就任
海外調達50%への構造転換と円高危機からの再建4期連続営業赤字の「赤字肯定体質」を、渡辺英二社長はどう作り替えたか 詳細を読む★★★
5期ぶりに営業黒字に転換
売上高が初の4,000億円台に到達
重久吉弘重久吉弘氏が代表取締役社長に就任
重久吉弘横浜本社を開設
重久吉弘2期連続最終赤字に転落★★
重久吉弘触媒化成工業を100%子会社化
竹内敬介日揮触媒化成が発足
佐藤雅之アルジェリア人質事件が発生★★
佐藤雅之高松則雄氏が代表取締役社長(COO)に就任
佐藤雅之資源価格低迷を受け大幅営業赤字に転落★★
佐藤雅之本店を横浜みなとみらいに移転
佐藤雅之持株会社体制に移行・日揮HDに商号変更★★
佐藤雅之イクシスLNG案件で巨額損失計上・純損失▲356億円★★
佐藤雅之サウジ案件損失追加計上で2期連続営業赤字
佐藤雅之佐藤雅之氏が代表取締役会長兼社長CEOに就任
佐藤雅之損失案件の消化が進み営業赤字が縮小
出典・参考
  • 日経ビジネス 1980年8月25日号「リスクも、実績と信用づくりで回避」
  • 日揮ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
  • 証券アナリストジャーナル 1966年1月号「日本揮発油の現状と将来」
  • 証券 1962年7月号「新規上場会社紹介 日本揮発油株式会社」
  • 日経ビジネス 1982年8月23日号「日揮 花形企業の“利益なき繁忙”いつまで」
  • 日経ビジネス 1990年10月22日号「提案を売り物に非エネルギー部門育てる」
  • 日経ビジネス 1993年7月19日号「日揮 海外からの機材調達拡大 情報通信網も威力発揮」
  • 日揮ホールディングス 有価証券報告書(役員の状況)
  • 日揮ホールディングス 有価証券報告書(連結財務諸表)
  • 週刊東洋経済 1999年7月10日号「苦況のプラント・エンジ業界 再生に通産省動く」
  • 週刊東洋経済 2000年3月4日号「秒読み 日揮とTECが急接近 料亭密談の気になる内容」
  • 週刊東洋経済 2013年11月15日号「核心リポート03 日揮と千代田化工 北米に進出するワケ」
  • 日揮ホールディングス 有価証券報告書(事業の内容)
  • 日揮ホールディングス 有価証券報告書(セグメント情報)
  • 週刊東洋経済 2015年3月6日号「テロで死なないための新常識 テロに丸裸の日本企業 安全確保は社長の責任」
  • 週刊東洋経済 2013年2月9日号「知の技法 出世の作法 第280回 日本人もテロの標的になるという前提」
  • 週刊東洋経済 2017年10月14日号「この人に聞く 日揮 社長 石塚忠 異色社長が本気で挑む 海外のインフラ事業強化」
  • 日揮ホールディングス ニュースリリース 2025年8月28日

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