広島県呉の海軍工廠に勤務していた関家三男が、地元広島県で工業用砥石の生産を開始。広島県には呉を中心に軍需工場が集積していたため、主に海軍向けの砥石生産に従事したものの、後発参入だったため受注に苦戦したと言われている。

広島県呉の海軍工廠に勤務していた関家三男が、地元広島県で工業用砥石の生産を開始。広島県には呉を中心に軍需工場が集積していたため、主に海軍向けの砥石生産に従事したものの、後発参入だったため受注に苦戦したと言われている。
大手万年筆メーカーの依頼を受けて、0.14mmのレジノイド砥石を開発。この結果、万年筆向けで業容を拡大する
半導体生産の前工程ではシリコンウエハーを切断する工程が存在しており、当時はレーザーで焼き切る方式が主流であった。これに対して、ディスコは万年筆向けの砥石の技術を生かして、シリコンウエハーを切断する技術を開発。レーザーが熱によって半導体を傷つけやすいという問題を克服し、ディスコとの砥石による切断方式がデファクトスタンダードとなる。そして、ディスコは切断機械(装置)と砥石(消耗品)を手掛けることで、高収益を確保するビジネスモデルを確立する。
1970年代を通じてIC(集積回路)が普及し、シリコンウエハーを切断する「半導体切断機」の需要が増加。ディスコはダイシングソーを、TI(テキサスインスツルメンツ)、モトローラ、フェアチャイルドなどの世界的な半導体メーカーへの納入に成功する。
ディスコの創業者である関家三男が社長を退任。後任に関家憲一が代表取締役社長、関家臣二が代表取締役副社長に就任し、同族経営を継続した。
新規事業として推し進めていた「半導体拡散炉」から撤退し、50億円の損失を確定。加えて、半導体向けの需要が低迷したことから、ディスコは最終赤字に転落した。この結果、賃金カット、残業規制、早期退職制度の導入など、経費節減の施策を打ち出すなど苦しい状況に置かれた。
ディスコは社内における意思統一と、事業への投資領域を明確化するために「ディスコバリューズ」を制定。事業領域を「切る・削る・磨く」という分野に絞ることを決め、それ以外の新規事業への投資をストップした。加えて、経常利益に応じて社員が使える経費をコントロールする制度を導入し、ディスコの社員一人一人が利益を意識する仕組みづくりに邁進する。
1980年代から一貫してダイシングソーで高シェアを確保。売り上げの主力は、台湾・韓国・中国などのアジア地区であり、半導体産業の生産遷移の対応にも成功した
半導体の需要増加により、2018年3月期に売上高1673億円、純利益371億円を計上。過去最高益を更新した