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ポーラオルビスHDの歴史

ポーラレディによる化粧品の訪問販売で発展。鈴木家の同族会社だったが2010年に株式を上場。ただし、創業者の莫大な遺産を巡り親族内で訴訟合戦へ
ポーラオルビスHDの長期業績
1967〜2021

■ 推定売上高: 億円※

■単体 | ■連結

■ 推定売上高_申告所得率: %※

※連単は売上に同じ
Ref: 日経ビジネス(1976/8/2), etc..Get From API
※年毎に科目・連単・会計基準・期間が違う場合あり。参考値
1929 09月
*1
鈴木忍氏が訪問販売業を個人創業
創業

鈴木忍氏が静岡県で化粧品の訪問販売業(のちのポーラ化粧品本舗)を創業した。当時、化粧品は店舗販売が主流であったが、ポーラでは訪問販売をチャネルとしていち早く採用した。この理由について、創業者が「自分で作ったものは自分で売る。そうすればいかに苦労して作った商品であるかを顧客に理解してもらえる」(1976/8/2日経ビジネス)と考えたからであったという。

鈴木常司(ポーラ化粧品本舗・2代目社長)
出所 : 1979-11-15日経ビジネス
1940 12月
*2
株式会社ポーラ化粧品本舗を設立
会社設立

化粧品の訪問販売の業容を拡大を受けて、ポーラ化粧品本舗として株式会社化。ポーラという名称の由来は謎とされており、現在に至るまでポーラの創業家を含めて誰も知らない。ブランド名の由来が不詳という珍しい状態に

1946 07月
*3
製造と販売部門を分離。ポーラ商事株式会社を設立
会社設立

製造は旧ポーラ化粧品本舗(ポーラ化成)が担当し、販売はポーラ商事が担当。いずれも創業者の鈴木忍氏が支配株主と推察され、法人ではなく鈴木忍氏という個人が、ポーラのグループ企業を形成。(この決定がポーラの資本政策を複雑怪奇にし、2000年代の遺産相続問題の布石になったと推察される)

1954 10月
*4
静岡工場を新設
1954
*5
鈴木忍氏が逝去。鈴木常司氏が社長就任

創業者の鈴木忍氏が急逝。創業者の長男である鈴木常司(当時25歳)がポーラの2代目社長に就任。1996年まで約42年にわたって社長を歴任した。就任直後は工場における労働組合の対処に苦慮

鈴木常司(ポーラ化粧品本舗・2代目社長)
出所 : 1988-07近代中小企業
Performance
1929〜1959
高級化粧品の訪問販売業を創業。在宅の専業主婦をターゲットに据えた

■ この間の売上は不明です※

■単体 | ■連結

■ この間の利益率は不明です※

※連単は売上に同じ
Ref: , etc..Get From API
※年毎に科目・連単・会計基準・期間が違う場合あり。参考値
1960
*6
ポーラレディが2870名を突破
業績好調
1961 12月
*7
横浜工場を新設(横浜市戸塚区)
1963
*8
鈴木常司氏が競合のエイボンの工場を視察

外資系の化粧品メーカーで日本で訪問販売を行うエイボンに対して、ポーラ化粧品本舗の鈴木常司氏が工場を視察。エイボンはポーラを中小企業と判断し、この時点で競合とは認識していなかった。

鈴木常司(ポーラ化粧品本舗・当時社長)
出所 : 1979-11-15日経ビジネス
1964 06月
*9
横浜研究所を新設
1970 12月
*10
売上高600億円を突破。ポーラレディ5万人体制
業績好調

この頃にはポーラレディが注目を集める存在に。ただし、販売員には過酷なノルマが課されており、1日に30〜40件を飛び込み営業することも珍しくなかったという。結果として、好成績を残せるポーラレディーが離職せずに残るという組織であった。

熊谷富美子氏(ポーラ化粧品本舗・当時社員)
出所 : 1968「セーするマンの栄光」
Performance
1960〜1972
ポーラレディー7万人による販売活動により急成長。資生堂とカネボウを猛追

■ 推定売上高: 億円※

■単体 | ■連結

■ 推定売上高_申告所得率: %※

※連単は売上に同じ
Ref: 日経ビジネス(1976/8/2), etc..Get From API
※年毎に科目・連単・会計基準・期間が違う場合あり。参考値
1973 12月
*11
ポーラレディ7万人体制
1973 04月
*12
待遇改善を求めてポーラ化粧品争議が発生

ポーラレディーの雇用契約は、ポーラ化粧品本舗ではなく、各地でポーラ販売を行う個人商店と取り交わされた。このため、低賃金労働を強要する個人店も出現し、末端のポーラレディーが待遇改善を求めて、雇用体系の整理を要求。1971年には雇用契約の改善を求めて「ポーラ化粧品争議」も発生した。

鈴木常司(ポーラ化粧品本舗・当時社長)
出所 : 1979-11-15日経ビジネス
1975 12月
*13
売上高1346億円を達成。ポーラレディ13万人体制へ

FY1975売上高1346億円(セールスマン販売額・ポーラレディー約13万人)、支店営業所:国内6000箇所。化粧品業界では、売上高の面で3位を確保(1位資生堂・2位カネボウ・3位ポーラ化粧品本舗)

日経ビジネス(描写)
出所 : 1976-08-02日経ビジネス
1975
*14
販売体制を個人商店から組織化

営業組織を「ポーラレディーの個人商店からポーラ化粧品の販社」へと徐々に転換。国内6000箇所の個人営業所について、有力6社をポーラ化粧品の販社とし、ポーラが2/3を出資して経営支配。販売を本社直轄とし、近代的な営業組織を整備した

鈴木常司(ポーラ化粧品本舗・当時社長)
出所 : 1976-08実業往来
1976 12月
*15
袋井工場を新設。150億円を投資

基礎化粧品の製造拠点。静岡県袋井市に新設

Performance
1973〜1980
13万人のポーラレディーの処遇問題に直面。押し売りも社会問題に

■ 推定売上高: 億円※

■単体 | ■連結

■ 推定売上高_申告所得率: %※

※連単は売上に同じ
Ref: 日経ビジネス(1976/8/2), etc..Get From API
※年毎に科目・連単・会計基準・期間が違う場合あり。参考値
1981
*16
テイショクの株式を取得。食品事業に参入
新規事業
1983
*17
女性の社会進出が向い風に。訪問販売に限界が露呈

1970年代までのポーラ化粧品は、昼間の時間帯に自宅にいる専業主婦をターゲットに業容を拡大した。ところが、1980年代から女性の社会進出が活発化すると、訪問販売における顧客接点が減少。ポーラ化粧品本舗は「女性の社会進出による訪問販売の市場停滞」という問題に直面した。

1984 04月
*18
株式会社科薬抗生物質研究所に資本参加。医薬品に参入
新規事業
1984 04月
*19
オルビス株式会社を設立。化粧品通販に本格参入
会社設立
新規事業
1985 04月
*20
実験店舗を開設。訪問販売から転換
近代中小企業(1986-01)
出所 : 1986-01近代中小企業
1985 12月
*21
売上高1700億円(前年比15%減収)
業績低迷
鈴木常司(ポーラ化粧品本舗・2代目社長)
出所 : 1988-07近代中小企業
Performance
1981〜1995
訪問販売の頭打ちを受けて多角化を志向。化粧品のカタログ通販に参入し、オルビスを別会社として設立

■ 推定売上高: 億円※

■単体 | ■連結

■ 推定売上高_申告所得率: %※

※連単は売上に同じ
Ref: , etc..Get From API
※年毎に科目・連単・会計基準・期間が違う場合あり。参考値
1996
*22
鈴木常司氏が会長就任。経営の一線から退く
1996
*23
工場を中心に正社員250名をリストラ

創業家の鈴木郷史氏がリストラを率先

2000 11月
*24
鈴木郷史氏が社長就任

創業家の鈴木常司氏(当時70歳)が逝去。常司氏は同年にマンション火災によって重症となり、その後、容態を崩して亡くなった。後任には鈴木郷史氏(当時46歳)が社長就任

2002 03月
*25
100%子会社ポーラフーズを売却

食品事業をアサヒフーズに売却

2002 03月
*26
50%子会社ヤマカツを破産申請

宝飾品販売から撤退

2003 01月
*27
鈴木郷史氏の解任動議を通知

創業者の鈴木常司氏の妻であるA氏が、相続したポーラのグループ会社の株式28.82%をもとに、親戚にあたる鈴木郷史氏に対して社長の解任動議を提出。理由は「現社長は相続権がない」「株式売却や相続税の支払いに会社の資金を使うなど会社を私物化している」(2003/1/27日経ビジネス)ことであった。解任は成立しなかったものの、一族内の不和が生じる発端となった。

2005
*28
ポーラザビューティーの展開

従来のポーラの店舗は小規模な事務所に併設されることが多く、個人商店の延長線上にあった。そこで、駅前の一等地に面積を確保した店舗「ポーラザビューティー」の展開を開始。エステも併設。訪問販売を嫌う若い顧客層を、来店によって取り込むことを狙った。

2010 07月
*29
POLA KOREA, Inc.を清算
2010 12月
*30
ポーラザビューティーの店舗数500を突破
業績好調
2010 12月
*31
東京証券取引所第1部に株式上場
株式上場
Performance
1996〜2010
資本面では、創業家の鈴木常司氏が急逝し、鈴木一族で深刻な遺産相続問題が発生。事業面ではポーラ事業が頭打ち

■ 売上高: 億円※

■単体 | ■連結

■ 売上高_当期純利益率: %※

※連単は売上に同じ
Ref: 日経ビジネス(2003/1/27), etc..Get From API
※年毎に科目・連単・会計基準・期間が違う場合あり。参考値
2011 05月
*32
H2O PLUS HOLDINGS, LLCを買収

米イリノイ州のスキンケア企業を買収。会社設立は1989年。北米8カ所に直営店、海外22カ所に代理店を通じて展開。中国向けにブランド展開を想定

2012 12月
*33
Jurlique International Pty. Ltdを買収

オーストラリアでナチュラルスキンケアのブランドを展開するJurlique社を買収

2013
*34
ポーラブランドの展開で中国を重点国に位置づけ

2013年に中期経営計画(2014-2016)を公表。ポーラおよびオルビスブランドでも中国展開を重視する方針を発表。高価格帯化粧品のブランドイメージ向上のために、ECではなく百貨店向けのマーケティングに投資

Performance
2011〜2016
ポーラブランドの販売拡大により増収増益期長を持続。海外展開のための買収も積極化

■ 売上高: 億円※

■単体 | ■連結

■ 売上高_当期純利益率: %※

※連単は売上に同じ
Ref: 有価証券報告書, etc..Get From API
※年毎に科目・連単・会計基準・期間が違う場合あり。参考値
2018 12月
*35
ポーラブランドが好調。全社業績は9期連続で増収増益
業績好調

2010年代を通じてポーラブランドが主に国内・中国・香港・免税店で順調に成長。中国では百貨店販路の拡大が寄与。ポーラブランドは原価率が低く、利益率改善も達成。一方買収した主要ブランドによる中国展開は苦戦が続き、海外展開の明暗が分かれた

ポーラオルビスHD経営陣(質疑応答)
出所 : ポーラオルビスHD(決算説明会質疑)
2019 01月
*36
株式会社ポーラファルマを売却。医薬品から撤退
事業失敗
2019 02月
*37
JURLIQUEで減損損失113億円を計上。業績下方修正を決定
事業失敗
業績低迷

展開先だった中国において、百貨店向け販売が伸び悩み。また代理店販路では貸倒れが発生。巨額減損を決定

2021 02月
*38
トリコ(FUJIMI)を38億円で買収

トリコはサプリメント「FUJIMI」の販売(月額6400円〜)を展開する国内のベンチャー企業。2018年創業。2021年3月期に売上13億円見込み。創業者の花房香那氏が株式59%を保有。POLA ORBIS CAPITALを通じて10.56%の株式を保有したが、今回の買収で89.44%を追加取得

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2022 04月
*39
H2O PLUSブランドから撤退。累積100億円の営業赤字
事業失敗
業績低迷

買収後から11年連続の営業赤字が続いていたH2Oブランドから撤退。特別損失2億円を計上と少ないが、買収後のFY2011-FY2021における累積営業赤字は約100億円

2022 04月
*40
公式オンラインショップでクレカ情報10万件が漏洩

「THREEおよびAmplitude公式オンラインショップ」でセキュリティーコードを含むクレカ情報が流出。クレカ情報はDBで非保持。(以下推察。外部のフォームツールを利用したと思われるが、当該ツールのクライアントの内部のJavaScriptにクレカ情報を第三者にPOST/GETするコードが仕込まれたと推察)

Performance
2017〜2023
資本面では鈴木家の遺産相続問題が再燃。事業面では海外買収が相次いで失敗し、全社利益率が低迷へ

■ 売上高: 億円※

■単体 | ■連結

■ 売上高_当期純利益率: %※

※連単は売上に同じ
Ref: 有価証券報告書, etc..Get From API
※年毎に科目・連単・会計基準・期間が違う場合あり。参考値
39 References.