日本取引所グループ の歴史

更新:

創業

1878年

創業者

※東京証券取引所グループ+大阪証券取引所

創業地

東京

直近売上高(2026/3)

1,991億円

長期業績と転換点(2002/3〜2026/3)
売上高(億円純利益率(%)
Q なぜ東京と大阪の取引所は、1878年から120年余り別々の組織として並走したのか
A 東京と大阪は、それぞれ地場の発行体と投資家を抱える別個の資本市場として1878年に出発したため、当初から一本化の必然がなかった。1878年5月に東京株式取引所、翌6月に大阪株式取引所がそれぞれ設立免許を取得し、戦時統制を経て1949年に会員組織で再設立された。会員の利害を映す組織形態のもとでは、東西いずれも自地域の市場の中立性と信用を守ることが優先され、債券・市場第二部・TOPIX・国債先物・株価指数先物と取扱商品を並行して広げながら、別々の運営を120年余り続けた
Q なぜ2013年に東京・大阪の取引所を統合し、市場を運営する側が自ら上場企業になったのか
A グローバルな取引所間で合従連衡が進むなか、規模を欠いたままでは海外勢と伍せず、アジアの金融センターの座も危うくなると判断したためである。2001年に両取引所は会員組織から株式会社へ組織変更し、2007年に東京証券取引所グループを設立した。2012年8月の公開買付けで大証株式の66.7%を取得、2013年1月の合併で日本取引所グループへ商号変更し、同日東証一部に上場した。1878年以来別々だった東西の取引所が135年目に一本化され、市場を運営する側が自ら上場企業の側にも立った
Q なぜ近年、相場まかせの売買手数料からデータ・情報事業へ収益の幅を広げているのか
A 収益が日々の株式・デリバティブの出来高に左右され、相場まかせの業績を正確に見通しにくいためである。山道裕己グループCEOはこの構造を踏まえ、出来高が細っても積み上がる別系統の収益を厚くする方針を採った。2022年4月にデータ・デジタル事業を集約するJPX総研を発足させ、2023年2月にはIR・議事録の書き起こしを手がけるSCRIPTS Asiaを完全子会社化した。2025年3月の中期経営計画2027では、分母のエクイティも調整できるROE18%以上を唯一の財務目標に掲げ、業績変動を資本政策で吸収する運営へ改めた

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1878年〜 1878年の免許から電子取引所への転換まで

  1. 1878年 東京株式取引所設立免許
  2. 1878年 大阪株式取引所設立免許
  3. 1949年 会員組織として東京・大阪証券取引所が設立
  4. 1949年 株券の売買を開始
  5. 1985年 東京証券取引所、国債先物市場を開設
  6. 1999年 東京証券取引所、株券売買立会場を閉場
  7. 1999年 東京証券取引所、新興企業向け市場「マザーズ」を開設

2つの取引所が並行して走った120年

1878年5月、東京株式取引所が設立免許を取得し、翌6月に大阪株式取引所も同じく免許を受けた。両取引所は近代日本の資本市場の出発点として別々に歩み、戦時中の証券市場統制を経たのち、1949年4月に会員組織の東京証券取引所・大阪証券取引所として再設立された。同年5月に株券売買が再開され、1956年4月に債券市場、1961年10月に市場第二部制度を導入した。続いて1966年10月に国債市場、1970年5月に転換社債市場、1973年12月に外国株市場を東京証券取引所が立ち上げた。株券にとどまらない取扱商品が、戦後復興期から高度成長期にかけて整った。証券取引所は売買インフラの中立性が信用の源泉となる業態であり、商品の幅が広がるほど運営の安定性と資金調達機能の厚みは増す。発行体と投資家の双方を国内取引所のなかにつなぎ留める基盤が、東京と大阪の並走によって築かれた時期である。 [1][2][3][4][5][6]

  • 日本取引所グループ 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1878年5月 東京株式取引所が設立免許を取得(東京証券取引所の前身)
    • [2]1878年6月 大阪株式取引所が設立免許を取得(大阪証券取引所の前身)
    • [3]1949年4月 会員組織として東京証券取引所・大阪証券取引所が設立
    • [4]1949年5月 株券の売買を開始
    • [5]1956年4月 債券市場を開設(東京・大阪両取引所)/1961年10月 市場第二部制度を導入
    • [6]1966年10月 東証 国債市場開設/1970年5月 東証 転換社債市場開設/1973年12月 東証 外国株市場開設

1969年7月、東京証券取引所株価指数(TOPIX)の算出・公表が始まり、日本株市場を代表する指数として国内外の投資家に定着した。大阪証券取引所は1980年代前半、上場基準を緩和した新2部市場を設け、銀行借り入れや時価発行増資で大企業に劣後していた中堅・中小企業に株式市場への道を開いた。当時の理事長・山内宏は、投資家保護と自己責任の意識がまだ追いつかない段階で米ナスダックのような市場をいきなり作るのは時期尚早と判断し、中小企業の資金調達を支えるという現実的な役割に新2部の狙いを絞り込んだ。1985年10月、東京証券取引所が国債先物市場を開設、1988年9月には東京・大阪両取引所がそれぞれ株価指数先物市場を開設した。 [7][8][9][10]

  • 日本取引所グループ 有価証券報告書【沿革】
    • [7]1969年7月 東証株価指数(TOPIX)の算出・公表開始
    • [10]1988年9月 東京・大阪両取引所が株価指数先物市場を開設
  • 日経ビジネス(1986年11月17日号)
    • [8]大阪証券取引所は1980年代前半、上場基準を緩和した新2部市場を設置(中堅・中小企業の株式市場参加を支援)
    • [9]当時の大証理事長・山内宏がナスダック型市場を時期尚早と判断し、新2部の狙いを中小企業の資金調達支援に絞った

大証が導入した日経平均株価先物は開設半年足らずで1日平均売買金額が現物市場の5、6倍に達し、東証のTOPIX先物をも上回る規模に育ち、山内は「大証の存在意義は新しい試みへの挑戦の場であり続けることにある」との考えで先物・オプションへの傾斜を進めた。翌1989年、大阪証券取引所が日経225オプション市場を、10月に東京証券取引所が株価指数オプション市場を開いた。1990年5月には東京証券取引所が国債先物オプション市場を立ち上げた。現物・債券・デリバティブが同じ資本市場インフラに並ぶ構造を、両取引所が10年弱で整えた。デリバティブ市場の整備は機関投資家のリスクヘッジ需要に応じた動きで、海外勢を東京・大阪の市場へ呼び込む下地ともなった。とりわけ大阪は日経225オプションの先行で派生商品の存在感を高めていた。 [11][12][13]

  • 日経ビジネス(1989年2月27日号)
    • [11]大証の日経平均株価先物は開設半年足らずで1日平均売買金額が現物市場の5〜6倍に達し、東証TOPIX先物を上回る規模に育った
  • 日本取引所グループ 有価証券報告書【沿革】
    • [12]1989年6月 大証が日経225オプション(株価指数オプション)市場を開設/同年10月 東証が株価指数オプション市場を開設
    • [13]1990年5月 東証 国債先物オプション市場を開設
  • 日本取引所グループ 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1878年5月 東京株式取引所が設立免許を取得(東京証券取引所の前身)
    • [2]1878年6月 大阪株式取引所が設立免許を取得(大阪証券取引所の前身)
    • [3]1949年4月 会員組織として東京証券取引所・大阪証券取引所が設立
    • [4]1949年5月 株券の売買を開始
    • [5]1956年4月 債券市場を開設(東京・大阪両取引所)/1961年10月 市場第二部制度を導入
    • [6]1966年10月 東証 国債市場開設/1970年5月 東証 転換社債市場開設/1973年12月 東証 外国株市場開設
    • [7]1969年7月 東証株価指数(TOPIX)の算出・公表開始
    • [10]1988年9月 東京・大阪両取引所が株価指数先物市場を開設
    • [12]1989年6月 大証が日経225オプション(株価指数オプション)市場を開設/同年10月 東証が株価指数オプション市場を開設
    • [13]1990年5月 東証 国債先物オプション市場を開設
  • 日経ビジネス(1986年11月17日号)
    • [8]大阪証券取引所は1980年代前半、上場基準を緩和した新2部市場を設置(中堅・中小企業の株式市場参加を支援)
    • [9]当時の大証理事長・山内宏がナスダック型市場を時期尚早と判断し、新2部の狙いを中小企業の資金調達支援に絞った
  • 日経ビジネス(1989年2月27日号)
    • [11]大証の日経平均株価先物は開設半年足らずで1日平均売買金額が現物市場の5〜6倍に達し、東証TOPIX先物を上回る規模に育った

立会場閉鎖と大証の電子取引システム構想

1990年代後半、情報システムの処理性能向上と通信回線の高度化により、取引所は物理的な立会場から電子プラットフォームへ移行した。1997年11月、東京証券取引所が株券・転換社債券にかかる立会外取引制度を導入した。1998年7月には適時開示情報伝達システムTDnetを稼働させ、同年12月には大阪証券取引所が電子取引システム「J-NET」を構築し、国内の取引所間競争にとどまらずグローバル競争に耐える市場、海外のどこからでもアクセスできる体制づくりを進めた。大証専務理事の野口卓夫は、大口注文の情報が取引完了前に市場へ流れて先回り取引を招く問題に対応するため、価格・数量の組み合わせを細かく設定してマッチングする非公開型電子取引「オプティマーク」市場の2000年春導入もあわせて構想した。 [14][15][16][17]

  • 日本取引所グループ 有価証券報告書【沿革】
    • [14]1997年11月 東証が株券・転換社債券に係る立会外取引制度を導入
    • [15]1998年7月 東証 TDnet(適時開示情報伝達システム)を稼働
  • 週刊東洋経済(1998年10月31日号)
    • [16]1998年12月 大証が電子取引システム「J-NET」を構築
    • [17]大証専務理事・野口卓夫が非公開型電子取引「オプティマーク」市場の2000年春導入を構想

野口はあわせて、経常赤字でも上場できる新市場の創設も検討していた。1999年4月に東京証券取引所が株券売買立会場を閉場、同年7月には大阪証券取引所も立会場を廃止し、売買の現場を支えてきた物理空間としての立会場は、開設以来続いた約1世紀の歴史をここで閉じた。東京・大阪のいずれもが、電子取引のインフラとシステム運用を中核に据える組織へ性格を切り替えた。仲立人の身ぶりや声を媒介とする市場から、注文と約定をすべて電子データとして処理する市場への移行であり、取引所自身の主要なコストもシステム投資の側へ寄せられた。 [18][19]

  • 週刊東洋経済(1998年10月31日号)
    • [18]野口卓夫は経常赤字でも上場できる新市場の創設もあわせて検討していた
  • 日本取引所グループ 有価証券報告書【沿革】
    • [19]1999年4月 東証が株券売買立会場を閉場/同年7月 大証が立会場を廃止
  • 日本取引所グループ 有価証券報告書【沿革】
    • [14]1997年11月 東証が株券・転換社債券に係る立会外取引制度を導入
    • [15]1998年7月 東証 TDnet(適時開示情報伝達システム)を稼働
    • [19]1999年4月 東証が株券売買立会場を閉場/同年7月 大証が立会場を廃止
  • 週刊東洋経済(1998年10月31日号)
    • [16]1998年12月 大証が電子取引システム「J-NET」を構築
    • [17]大証専務理事・野口卓夫が非公開型電子取引「オプティマーク」市場の2000年春導入を構想
    • [18]野口卓夫は経常赤字でも上場できる新市場の創設もあわせて検討していた

東西で分かれた新興市場をめぐる競争

1999年11月、東京証券取引所は新興企業向け市場「マザーズ」を開設し、新興企業の直接的な資金調達の場を国内取引所の内部にはじめて設けた。翌2000年5月に大阪証券取引所がナスダック・ジャパン市場を開設し(2002年12月にヘラクレスへ改称)、米ナスダックとの連携を軸とする新興市場の競争が国内で始まった。開設に至る交渉は難航し、同年3月には大蔵省出身の副理事長が理事会の承認を経ずに関連会社12社を設立して資金を流用していた問題が表面化、地場証券出身の理事会メンバーの突き上げで理事長・副理事長が退任に追い込まれた。 [20][21][22]

  • 日本取引所グループ 有価証券報告書【沿革】
    • [20]1999年11月 東証が新興企業向け市場「マザーズ」を開設
    • [21]2000年5月 大証がナスダック・ジャパン市場を開設/2002年12月にヘラクレスへ改称
  • 日経ビジネス(2000年10月16日号)
    • [22]2000年3月 大蔵省出身副理事長の関連会社無断設立・資金流用問題が表面化し、大証理事長・副理事長が退任

同年6月、民間出身では23年ぶりとなる巽悟朗が後任理事長に就任し、決裂寸前だった交渉の場で「電卓を置け」と一喝して合意をまとめさせた経緯が、この新興市場開設の裏にあった。2000年3月に東京証券取引所が広島・新潟両証券取引所と合併、2001年3月には大阪証券取引所が京都証券取引所と合併し、地方取引所の統合も並行して進んだ。新興市場の受け皿と地方拠点の集約をめぐる東西の対抗関係が、組織再編の論点として輪郭を現した。新興市場と地方拠点の取り合いは、のちの統合交渉の前史として残る論点となった。 [23][24][25]

  • 日経ビジネス(2000年10月16日号)
    • [23]2000年6月 巽悟朗が民間出身では23年ぶりとなる大証理事長に就任、ナスダック・ジャパン交渉で合意をまとめた
  • 日本取引所グループ 有価証券報告書【沿革】
    • [24]2000年3月 東証が広島・新潟両証券取引所と合併
    • [25]2001年3月 大証が京都証券取引所と合併
  • 日本取引所グループ 有価証券報告書【沿革】
    • [20]1999年11月 東証が新興企業向け市場「マザーズ」を開設
    • [21]2000年5月 大証がナスダック・ジャパン市場を開設/2002年12月にヘラクレスへ改称
    • [24]2000年3月 東証が広島・新潟両証券取引所と合併
    • [25]2001年3月 大証が京都証券取引所と合併
  • 日経ビジネス(2000年10月16日号)
    • [22]2000年3月 大蔵省出身副理事長の関連会社無断設立・資金流用問題が表面化し、大証理事長・副理事長が退任
    • [23]2000年6月 巽悟朗が民間出身では23年ぶりとなる大証理事長に就任、ナスダック・ジャパン交渉で合意をまとめた

2001年〜 東証・大証統合で日本取引所グループが誕生

日本取引所グループの業績推移

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 2001年 大阪証券取引所、会員組織からに組織変更
  2. 2001年 東京証券取引所、会員組織からに組織変更
  3. 2007年 東京証券取引所グループ設立
  4. 2008年 ジャスダック証券取引所の公開買付けによる子会社化と新興市場の統合 東証主導の再編に先んじて、大阪証券取引所は新興市場の主導権をどう握ろうとしたか
  5. 2010年 東京証券取引所、現物取引システム「arrowhead」稼働
  6. 2010年 大阪証券取引所とジャスダック証券取引所が合併
  7. 2013年 東京証券取引所グループと大阪証券取引所の経営統合による日本取引所グループの発足 133年別々に歩んだ東西の取引所を、なぜ一つの持株会社へ束ねる決断に至ったか

取引所が上場企業になるまでの組織変更

2001年4月に大阪証券取引所、同年11月に東京証券取引所が、それぞれ会員組織から株式会社へ組織変更した。取引所自身が上場企業と同じ株主ガバナンスの枠組みに置かれる節目であり、日本における証券取引所の近代化を進める転換だった。2001年7月にETF市場、9月にREIT市場を東京・大阪両取引所が開設し、新しい上場商品も組織再編と並行して追加された。2002年7月には東京証券取引所が日本証券クリアリング機構を設立して清算機能を独立法人化した。2007年8月、単独株式移転で東京証券取引所グループを設立し、自らの上場へ向けた持株会社体制を整えた。会員組合員の利害から距離を置き、株主と外部投資家の声を取り込む経営判断ができる骨格を、東京・大阪が並行して整えた数年間である。 [26][27][28][29][30]

  • 日本取引所グループ 有価証券報告書【沿革】
    • [26]2001年4月 大証が会員組織から株式会社へ組織変更
    • [27]2001年11月 東証が会員組織(証券会員制法人)から株式会社へ組織変更
    • [28]2001年7月 東京・大阪両取引所がETF市場を開設/同年9月 東証がREIT市場を開設
    • [29]2002年7月 東証が日本証券クリアリング機構を設立(清算機能の独立法人化)
    • [30]2007年8月 単独株式移転で東京証券取引所グループを設立(持株会社体制)

2008年12月、大阪証券取引所はジャスダック証券取引所株式の76.1%を取得して同社を子会社化し、2010年4月に合併で新JASDAQ市場を開設した。新興市場の再編で先行した大阪に対し、東京証券取引所は2010年1月に超高速現物取引システム「arrowhead」を稼働させた。注文応答時間をミリ秒単位で短縮し、海外の主要取引所と競争しうる処理速度を確保する投資である。地方取引所の統合は、2000年3月の東京・広島・新潟証取の合併、2001年3月の大阪・京都証取の合併で進み、東京と大阪を軸とする二極構造が国内市場に現れた。新興市場・現物システム・地方統合という3軸が、統合前夜の競争のかたちを規定した。海外勢からみれば東京と大阪のどちらに資金を流すべきかが分かりにくい構造でもあった。 [31][32][33][34]

  • 日本取引所グループ 有価証券報告書【沿革】
    • [31]2008年12月 大証がジャスダック証券取引所株式の76.1%を取得して子会社化
    • [32]2010年4月 大証とジャスダック証券取引所が合併(新JASDAQ市場開設は2010年10月)
    • [33]2010年1月 東証が現物取引システム「arrowhead」を稼働
    • [34]2000年3月 東京・広島・新潟証取の合併/2001年3月 大阪・京都証取の合併(地方取引所統合)
  • 日本取引所グループ 有価証券報告書【沿革】
    • [26]2001年4月 大証が会員組織から株式会社へ組織変更
    • [27]2001年11月 東証が会員組織(証券会員制法人)から株式会社へ組織変更
    • [28]2001年7月 東京・大阪両取引所がETF市場を開設/同年9月 東証がREIT市場を開設
    • [29]2002年7月 東証が日本証券クリアリング機構を設立(清算機能の独立法人化)
    • [30]2007年8月 単独株式移転で東京証券取引所グループを設立(持株会社体制)
    • [31]2008年12月 大証がジャスダック証券取引所株式の76.1%を取得して子会社化
    • [32]2010年4月 大証とジャスダック証券取引所が合併(新JASDAQ市場開設は2010年10月)
    • [33]2010年1月 東証が現物取引システム「arrowhead」を稼働
    • [34]2000年3月 東京・広島・新潟証取の合併/2001年3月 大阪・京都証取の合併(地方取引所統合)

2013年、135年目の東証・大証経営統合

2012年8月、東京証券取引所グループは公開買付けで大阪証券取引所株式の66.7%を取得した。続く2013年1月、両者は合併して株式会社日本取引所グループへ商号変更し、同日、新会社は東証一部に上場した。取引所自身が日本の上場企業の仲間入りを果たした瞬間である。法的な存続会社は大阪証券取引所であり、1878年以来それぞれ別の組織として存在した東京・大阪の取引所が、135年目にしてはじめて同じ持株会社のもとに束ねられた。初代グループCEOには、産業再生機構の前社長である斉藤惇が就任し、東京と大阪の機能再編を主導する役割を担った。海外取引所と伍する規模を備える国内市場の運営者を一本化する判断は、官民の双方から後押しを受けた。 [35][36][37][38]

  • 日本取引所グループ 有価証券報告書【沿革】
    • [35]2012年8月 東証Gが公開買付けで大証株式の66.7%を取得
    • [36]2013年1月 東証Gと大証が合併し日本取引所グループへ商号変更・同日東証一部に上場(存続会社は大証)
    • [37]法的な存続会社は大阪証券取引所
  • 日本取引所グループ 有価証券報告書【役員の状況】
    • [38]初代グループCEOに斉藤惇(産業再生機構の前社長)が就任

同年7月、大証の現物市場・清算機能・自主規制機能を東証・日本証券クリアリング機構・東証自主規制法人に統合した。2014年3月には東証のデリバティブ市場を大阪へ集約し、大証は「大阪取引所」へ商号変更した。現物は東証、デリバティブは大阪取引所という機能分担が完成した。2014年1月にはROEなどを重視したJPX日経インデックス400の算出・公表を開始し、コーポレートガバナンス改革を指数の側からも後押しする仕組みが入った。同年12月にはヤンゴン証券取引所設立のための合弁契約をミャンマー経済銀行・大和総研と締結(出資比率18.75%)し、2015年5月にはシンガポール支店を開設した。 [39][40][41][42][43]

  • 日本取引所グループ 有価証券報告書【沿革】
    • [39]2013年7月 大証の現物市場・清算機能・自主規制機能を東証・JSCC・東証自主規制法人へ統合
    • [40]2014年3月 東証のデリバティブ市場を大阪へ集約し、大証は「大阪取引所」へ商号変更
    • [41]2014年1月 JPX日経インデックス400の算出・公表を開始
    • [42]2014年12月 ヤンゴン証券取引所設立の合弁契約をミャンマー経済銀行・大和総研と締結(出資比率18.75%)
    • [43]2015年5月 シンガポールに支店を開設
  • 日本取引所グループ 有価証券報告書【沿革】
    • [35]2012年8月 東証Gが公開買付けで大証株式の66.7%を取得
    • [36]2013年1月 東証Gと大証が合併し日本取引所グループへ商号変更・同日東証一部に上場(存続会社は大証)
    • [37]法的な存続会社は大阪証券取引所
    • [39]2013年7月 大証の現物市場・清算機能・自主規制機能を東証・JSCC・東証自主規制法人へ統合
    • [40]2014年3月 東証のデリバティブ市場を大阪へ集約し、大証は「大阪取引所」へ商号変更
    • [41]2014年1月 JPX日経インデックス400の算出・公表を開始
    • [42]2014年12月 ヤンゴン証券取引所設立の合弁契約をミャンマー経済銀行・大和総研と締結(出資比率18.75%)
    • [43]2015年5月 シンガポールに支店を開設
  • 日本取引所グループ 有価証券報告書【役員の状況】
    • [38]初代グループCEOに斉藤惇(産業再生機構の前社長)が就任

2015年〜 新市場区分への再編とROE18%目標を掲げる取引所

日本取引所グループの業績推移:連結

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 2015年 清田瞭がグループCEOに就任
  2. 2019年 東京商品取引所の公開買付完了
  3. 2022年 東京証券取引所の新市場区分開始
  4. 2023年 山道裕己がグループCEOに就任
  5. 2024年 東京証券取引所社員のインサイダー取引規制違反疑いで監視委調査

清田瞭が掲げた「株主が鍛える」企業統治改革

2015年6月、清田瞭が第2代グループCEOに就任した。前職は大和証券グループ本社会長で、これ以降の8年にわたり日本市場のコーポレートガバナンス改革を牽引した。清田は企業統治を株主が鍛えるという考え方を経営姿勢の中心に置き、上場会社の規律づけを取引所運営の主軸に据える方針を外部へ繰り返し示した。コーポレートガバナンス・コードとスチュワードシップ・コードという制度の両輪を、上場の維持要件と組み合わせて運用する基盤づくりが進んだ時期にあたる。売上収益は2016年3月期の1,148億円から2022年3月期の1,354億円へ拡大し、親会社所有者帰属当期利益は同期間に449億円から500億円へ伸びた。統合後の取引所グループが収益面でも安定軌道に入ったことを、数字の側からも示した期間である。 [44][45]

  • 日本取引所グループ 有価証券報告書【役員の状況】
    • [44]2015年6月 清田瞭が第2代グループCEOに就任(前職は大和証券グループ本社会長)
  • 日本取引所グループ 有価証券報告書【沿革】
    • [45]清田瞭の前職は大和証券グループ本社会長

2019年10月、日本取引所グループは公開買付けで東京商品取引所株式の97.15%を取得し、同年11月に完全子会社化した。翌2020年7月、東京商品取引所の貴金属先物などを大阪取引所へ移管し、日本証券クリアリング機構と日本商品清算機構もあわせて合併させ、清算機能をグループ内へ集約した。証券・デリバティブ・コモディティが同じプラットフォームに並ぶ総合取引所化が、2013年の統合から7年で実質的なかたちへ近づいた。並行して2018年5月に国債決済期間のT+1化、2019年7月に株式等決済期間のT+2化が進んだ。決済インフラの国際標準対応により、市場運営と決済の両面で国際的接続性が高まった。 [46][47][48][49]

  • 日本取引所グループ 有価証券報告書【沿革】
    • [46]2019年10月 公開買付けで東京商品取引所株式の97.15%を取得・同年11月に完全子会社化
    • [47]2020年7月 東京商品取引所の貴金属先物などを大阪取引所へ移管・JSCCと日本商品清算機構を合併
    • [48]2018年5月 国債決済期間のT+1化
    • [49]2019年7月 株式等決済期間のT+2化
  • 日本取引所グループ 有価証券報告書【役員の状況】
    • [44]2015年6月 清田瞭が第2代グループCEOに就任(前職は大和証券グループ本社会長)
  • 日本取引所グループ 有価証券報告書【沿革】
    • [45]清田瞭の前職は大和証券グループ本社会長
    • [46]2019年10月 公開買付けで東京商品取引所株式の97.15%を取得・同年11月に完全子会社化
    • [47]2020年7月 東京商品取引所の貴金属先物などを大阪取引所へ移管・JSCCと日本商品清算機構を合併
    • [48]2018年5月 国債決済期間のT+1化
    • [49]2019年7月 株式等決済期間のT+2化

旧東証1部の量的膨張を解体する3区分への再編

2022年4月、東京証券取引所は1961年以来およそ60年続いた1部・2部制度を廃止し、プライム・スタンダード・グロースの3区分へ市場を再編した。流動性・ガバナンス・時価総額の基準を満たす企業を上場維持基準のしくみで選別する新制度であり、基準未達の企業には改善計画の開示を求める経過措置を設けた。量的指標のもとで2,000社以上が集まっていた旧東証1部のあり方を、上場の維持要件の側から問い直す改革となった。海外の機関投資家に意識される基準で上場会社を絞り込む狙いも明示された。2023年4月に第3代グループCEOへ就任した山道裕己のもとで、市場区分見直しの実効性を高めるフォローアップが経営の最大テーマに据えられた。 [50][51][52]

  • 日本取引所グループ 有価証券報告書【沿革】
    • [50]2022年4月 東証が1部・2部制度を廃止しプライム・スタンダード・グロースの3区分へ再編
    • [51]1部・2部制度は1961年以来(1961年10月 市場第二部制度を導入)
  • 日本取引所グループ 有価証券報告書【役員の状況】
    • [52]2023年4月 山道裕己が第3代グループCEOに就任

同じ2022年4月、データ事業とデジタル事業を集約する子会社のJPX総研が業務を開始した。2023年2月にはIR・議事録書き起こしサービスを手がけるSCRIPTS Asiaを完全子会社化し、情報関連収益を新しい成長ピースに据えた。山道は新区分への移行について、上場社数の減少自体は中立に捉え、目的を持って上場している精鋭企業の集まる市場を目指す方針を語った。2024年10月、東京証券取引所社員が証券取引等監視委員会からインサイダー取引規制違反の疑いで調査を受ける事案が表面化した。山道は決算説明会で陳謝し、市場改革を主導する取引所自身のガバナンスを問い直す対応に追われた。 [53][54][55]

  • 日本取引所グループ 有価証券報告書【沿革】
    • [53]2022年4月 データ・デジタル事業を集約する子会社JPX総研が業務を開始
    • [54]2023年2月 JPX総研がSCRIPTS Asia(IR・議事録書き起こしサービス)を完全子会社化
    • [55]2024年10月 東証社員が証券取引等監視委員会からインサイダー取引規制違反の疑いで調査を受ける事案が表面化
  • 日本取引所グループ 有価証券報告書【沿革】
    • [50]2022年4月 東証が1部・2部制度を廃止しプライム・スタンダード・グロースの3区分へ再編
    • [51]1部・2部制度は1961年以来(1961年10月 市場第二部制度を導入)
    • [53]2022年4月 データ・デジタル事業を集約する子会社JPX総研が業務を開始
    • [54]2023年2月 JPX総研がSCRIPTS Asia(IR・議事録書き起こしサービス)を完全子会社化
    • [55]2024年10月 東証社員が証券取引等監視委員会からインサイダー取引規制違反の疑いで調査を受ける事案が表面化
  • 日本取引所グループ 有価証券報告書【役員の状況】
    • [52]2023年4月 山道裕己が第3代グループCEOに就任

日本取引所グループの沿革1878〜2025年における主な出来事を抜粋

年月社長・CEO出来事重要度
東京株式取引所設立免許
大阪株式取引所設立免許
会員組織として東京・大阪証券取引所が設立
株券の売買を開始
債券市場を開設
市場第二部制度を導入
東京証券取引所、国債市場を開設
東京証券取引所株価指数(TOPIX)算出開始
東京証券取引所、国債先物市場を開設★★
株価指数先物市場を開設
大阪証券取引所、株価指数オプション市場を開設
東京証券取引所、TDnet稼働
東京証券取引所、株券売買立会場を閉場★★
大阪証券取引所、立会場廃止
東京証券取引所、新興企業向け市場「マザーズ」を開設★★
大阪証券取引所、ナスダック・ジャパン市場を開設
大阪証券取引所、会員組織からに組織変更
東京証券取引所、会員組織からに組織変更★★
米田道生東京証券取引所グループ設立
米田道生ジャスダック証券取引所の公開買付けによる子会社化と新興市場の統合東証主導の再編に先んじて、大阪証券取引所は新興市場の主導権をどう握ろうとしたか 詳細を読む★★★
米田道生東京証券取引所、現物取引システム「arrowhead」稼働
米田道生大阪証券取引所とジャスダック証券取引所が合併
斉藤惇東京証券取引所グループと大阪証券取引所の経営統合による日本取引所グループの発足133年別々に歩んだ東西の取引所を、なぜ一つの持株会社へ束ねる決断に至ったか 詳細を読む★★★
清田瞭清田瞭がグループCEOに就任
清田瞭東京商品取引所の公開買付完了★★
清田瞭東京証券取引所の新市場区分開始★★
山道裕己山道裕己がグループCEOに就任
山道裕己東京証券取引所社員のインサイダー取引規制違反疑いで監視委調査
山道裕己FY24(2025年3月期)当期利益610億円で2期連続過去最高
出典・参考
  • 日本取引所グループ 有価証券報告書【沿革】
  • 日経ビジネス(1986年11月17日号)
  • 日経ビジネス(1989年2月27日号)
  • 週刊東洋経済(1998年10月31日号)
  • 日経ビジネス(2000年10月16日号)
  • 日本取引所グループ 有価証券報告書【役員の状況】

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