【筆者所感】 1878年に設立免許を受けた東京・大阪の株式取引所は、戦時統制や戦後の会員組織への再編、株式会社化を経て、135年後の2013年に同じ持株会社へ束ねられた。日本取引所グループの誕生は、東証1部・2部・マザーズ・ジャスダックに分かれていた日本株市場の設計を書き直す出発点だった。同時に、現物市場を東京証券取引所、デリバティブ市場を大阪取引所へ集約する機能分担の入口でもあった。証券取引所は売買インフラの中立性が信用の源泉であり、再編の評価は数年単位で外部から検証される。統合の真価は、その後の市場区分や清算機能の再編が積み上がってはじめて確かめられる。
2022年4月、東京証券取引所は1961年以来の1部・2部制度を廃止し、プライム・スタンダード・グロースの3区分へ再編した。流動性とガバナンス基準を満たす企業だけが上位市場に残る仕組みを導入し、上場維持基準の整備によって旧1部の量的膨張を問い直す改革に踏み切った。2025年3月発表の中期経営計画2027は、最終年度の財務目標としてROE18%以上のみを掲げ、売上や利益の数値目標を設定しない異例の構成となった。上場社数や売買代金といった量的指標を経営目標から外し、量より質の取引所を制度として明示している。第3代CEO山道裕己のもとで、市場改革のフォローアップが経営の最大テーマに据えられた。
歴史概略
1878年〜2000年1878年の免許から電子取引所への転換まで
2つの取引所が並行して走った120年
1878年5月、東京株式取引所が設立免許を取得し、翌6月に大阪株式取引所も同じく免許を受けた。両取引所は近代日本の資本市場の出発点として別々に歩み、戦時中の証券市場統制を経たのち、1949年4月に会員組織の東京証券取引所・大阪証券取引所として再設立された。同年5月に株券売買が再開され、1956年4月に債券市場、1961年10月に市場第二部制度を導入した。続いて1966年10月に国債市場、1970年5月に転換社債市場、1973年12月に外国株市場を東京証券取引所が立ち上げた。株券にとどまらない取扱商品が、戦後復興期から高度成長期にかけて整った。証券取引所は売買インフラの中立性が信用の源泉となる業態であり、商品の幅が広がるほど運営の安定性と資金調達機能の厚みは増す。発行体と投資家の双方を国内取引所のなかにつなぎ留める基盤が、東京と大阪の並走によって築かれた時期である。
1969年7月、東京証券取引所株価指数(TOPIX)の算出・公表が始まり、日本株市場を代表する指数として国内外の投資家に定着した。1985年10月、東京証券取引所が国債先物市場を開設、1988年9月には東京・大阪両取引所がそれぞれ株価指数先物市場を開設した。翌1989年、大阪証券取引所が日経225オプション市場を、10月に東京証券取引所が株価指数オプション市場を開いた。1990年5月には東京証券取引所が国債先物オプション市場を立ち上げた。現物・債券・デリバティブが同じ資本市場インフラに並ぶ構造を、両取引所が10年弱で整えた。デリバティブ市場の整備は機関投資家のリスクヘッジ需要に応じた動きで、海外勢を東京・大阪の市場へ呼び込む下地ともなった。とりわけ大阪は日経225オプションの先行で派生商品の存在感を高めていた。
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立会場閉鎖と東西で分かれた新興市場の競争
1990年代後半、情報システムの処理性能向上と通信回線の高度化により、取引所は物理的な立会場から電子プラットフォームへ姿を変えた。1997年11月、東京証券取引所が株券・転換社債券にかかる立会外取引制度を導入した。1998年7月には適時開示情報伝達システムTDnetを稼働させ、1999年4月に株券売買立会場を閉場、同年7月には大阪証券取引所も立会場を廃止した。売買を支える物理空間としての取引所は、ここで約1世紀の歴史を閉じた。東京・大阪のいずれもが、電子取引のインフラとシステム運用を中核に据える組織へ性格を切り替えた。仲立人の身ぶりや声を媒介とする市場から、注文と約定をすべて電子データとして処理する市場への移行であり、取引所自身の主要なコストもシステム投資の側へ寄せられた。
1999年11月、東京証券取引所は新興企業向け市場「マザーズ」を開設し、新興企業の直接的な資金調達の場を国内取引所の内部にはじめて設けた。翌2000年5月に大阪証券取引所がナスダック・ジャパン市場を開設し(2002年12月にヘラクレスへ改称)、米ナスダックとの連携を軸とする新興市場の競争が国内で始まった。2000年3月に東京証券取引所が広島・新潟両証券取引所と合併、2001年3月には大阪証券取引所が京都証券取引所と合併し、地方取引所の統合も並行して進んだ。新興市場の受け皿と地方拠点の集約をめぐる東西の対抗関係が、組織再編の主題として輪郭を現した。新興市場と地方拠点の取り合いは、のちの統合交渉の前史として残る論点となった。
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2001年〜2014年東証・大証統合で日本取引所グループが誕生
取引所が上場企業になるまでの組織変更
2001年4月に大阪証券取引所、同年11月に東京証券取引所が、それぞれ会員組織から株式会社へ組織変更した。取引所自身が上場企業と同じ株主ガバナンスの枠組みに置かれる節目であり、日本における証券取引所の近代化を進める転換だった。2001年7月にETF市場、9月にREIT市場を東京・大阪両取引所が開設し、新しい上場商品も組織再編と並行して追加された。2002年7月には東京証券取引所が日本証券クリアリング機構を設立して清算機能を独立法人化した。2007年8月、単独株式移転で東京証券取引所グループを設立し、自らの上場へ向けた持株会社体制を整えた。会員組合員の利害から距離を置き、株主と外部投資家の声を取り込む経営判断ができる骨格を、東京・大阪が並行して整えた数年間である。
2008年12月、大阪証券取引所はジャスダック証券取引所株式の76.1%を取得して同社を子会社化し、2010年4月に合併で新JASDAQ市場を開設した。新興市場の再編で先行した大阪に対し、東京証券取引所は2010年1月に超高速現物取引システム「arrowhead」を稼働させた。注文応答時間をミリ秒単位で短縮し、海外の主要取引所と競争しうる処理速度を確保する投資である。地方取引所の統合は、2000年3月の東京・広島・新潟証取の合併、2001年3月の大阪・京都証取の合併で進み、東京と大阪を頂点とする二極構造が国内市場に現れた。新興市場・現物システム・地方統合という3軸が、統合前夜の競争のかたちを規定した。海外勢からみれば東京と大阪のどちらに資金を流すべきかが分かりにくい構造でもあった。
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2013年、135年目の東証・大証経営統合
2012年8月、東京証券取引所グループは公開買付けで大阪証券取引所株式の66.7%を取得した。続く2013年1月、両者は合併して株式会社日本取引所グループへ商号変更し、同日、新会社は東証一部に上場した。取引所自身が日本の上場企業の仲間入りを果たした瞬間である。法的な存続会社は大阪証券取引所であり、1878年以来それぞれ別の組織として存在した東京・大阪の取引所が、135年目にしてはじめて同じ持株会社のもとに束ねられた。初代グループCEOには、産業再生機構の前社長である斉藤惇が就任し、東京と大阪の機能再編を主導する役割を担った。海外取引所と伍する規模を備える国内市場の運営者を一本化する判断は、官民の双方から後押しを受けた。
同年7月、大証の現物市場・清算機能・自主規制機能を東証・日本証券クリアリング機構・東証自主規制法人に統合した。2014年3月には東証のデリバティブ市場を大阪へ集約し、大証は「大阪取引所」へ商号変更した。現物は東証、デリバティブは大阪取引所という機能分担が完成した。2014年1月にはROEなどを重視したJPX日経インデックス400の算出・公表を開始し、コーポレートガバナンス改革を指数の側からも後押しする仕組みが入った。同年12月にはヤンゴン証券取引所設立のための合弁契約をミャンマー経済銀行・大和総研と締結(出資比率18.75%)し、2015年5月にはシンガポール支店を開設した。
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2015年〜2024年新市場区分への再編とROE18%目標を掲げる取引所
清田瞭が掲げた「株主が鍛える」企業統治改革
2015年6月、清田瞭が第2代グループCEOに就任した。前職は大和証券グループ本社会長で、これ以降の8年にわたり日本市場のコーポレートガバナンス改革を牽引した。清田は「企業統治、株主が鍛える」(日経ビジネス 2021/05/28)と語り、上場会社の規律づけを取引所運営の主軸に据える方針を外部へ繰り返し示した。コーポレートガバナンス・コードとスチュワードシップ・コードという制度の両輪を、上場の維持要件と組み合わせて運用する基盤づくりが進んだ時期にあたる。売上収益は2016年3月期の1,148億円から2022年3月期の1,354億円へ拡大し、親会社所有者帰属当期利益は同期間に449億円から500億円へ伸びた。統合後の取引所グループが収益面でも安定軌道に入ったことを、数字の側からも示した期間である。
2019年10月、日本取引所グループは公開買付けで東京商品取引所株式の97.15%を取得し、同年11月に完全子会社化した。翌2020年7月、東京商品取引所の貴金属先物などを大阪取引所へ移管し、日本証券クリアリング機構と日本商品清算機構もあわせて合併させ、清算機能をグループ内へ集約した。証券・デリバティブ・コモディティが同じプラットフォームに並ぶ総合取引所化が、2013年の統合から7年で実質的なかたちへ近づいた。並行して2018年5月に国債決済期間のT+1化、2019年7月に株式等決済期間のT+2化が進んだ。決済インフラの国際標準対応により、市場運営と決済の両面で国際的接続性が高まった。
- 有価証券報告書
- 日経ビジネス 2021/5/28
- 東洋経済オンライン 2025/6/21
- 決算説明会 FY24-2Q
旧東証1部の量的膨張を解体する3区分への再編
2022年4月、東京証券取引所は1961年以来およそ60年続いた1部・2部制度を廃止し、プライム・スタンダード・グロースの3区分へ市場を再編した。流動性・ガバナンス・時価総額の基準を満たす企業を上場維持基準のしくみで選別する新制度であり、基準未達の企業には改善計画の開示を求める経過措置を設けた。量的指標のもとで2,000社以上が集まっていた旧東証1部のあり方を、上場の維持要件の側から問い直す改革となった。海外の機関投資家に意識される基準で上場会社を絞り込む狙いも明示された。2023年6月に第3代グループCEOへ就任した山道裕己のもとで、市場区分見直しの実効性を高めるフォローアップが経営の最大テーマに据えられた。
同じ2022年4月、データ事業とデジタル事業を集約する子会社のJPX総研が業務を開始した。2023年2月にはIR・議事録書き起こしサービスを手がけるSCRIPTS Asiaを完全子会社化し、情報関連収益を新しい成長ピースに据えた。山道は新区分への移行について「上場社数が減ることについてはニュートラル(中立)。目的を持って上場している、精鋭企業の集まったマーケットにしたい」(東洋経済オンライン 2025/06/21)と語った。2024年10月、東京証券取引所社員が証券取引等監視委員会からインサイダー取引規制違反の疑いで調査を受ける事案が表面化した。山道は決算説明会で陳謝し、市場改革を主導する取引所自身のガバナンスを問い直す対応に追われた。
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- 日経ビジネス 2021/5/28
- 東洋経済オンライン 2025/6/21
- 決算説明会 FY24-2Q
直近の動向と展望
ROE18%以上という単一目標の意味
2025年3月、山道裕己体制は中期経営計画2027を発表した。最終年度(2027年度)の財務目標はROE18%以上のみで、売上や利益の数値目標は設定しなかった。山道は説明会で「ROEはご存じのように分母と分子、分子は業績ですけれども、分母はエクイティの金額を調整することによって出てくる」(中期経営計画2027説明会 2025/3)と語り、市場変動による業績ブレを資本政策で吸収する枠組みを前面に押し出した。同計画は、過去のシステム障害と2024年10月発覚の元社員インサイダー取引事案を受けて、人材とシステムへのリソース確保を非財務目標として正面から組み込んだ点も異例である。市場改革を主導する側の足もとを固める姿勢を、計画の構成から読み取れる。
配当性向はこれまでの「60%程度」から「60%以上」へ引き上げられ、2025年度は80%の水準で運用される計画にある。中期経営計画2027が掲げる3年間のキャッシュアウトは1,700億円程度で、うち自己株式取得分として600億円程度を見込む。その第1弾として2025年4月に上限200億円の自己株式取得を取締役会で決議した。山道は東洋経済オンラインのインタビューで「まだ1.5合目か2合目くらいだろう。コーポレートガバナンス改革は未来永劫続けるもの」(東洋経済オンライン 2025/06/21)と語り、市場改革を長期戦として進める姿勢を示した。資本政策と株主還元を結びつけた経営計画上の主要な数字であり、ROE目標の達成を分母調整からも支える設計になっている。
- 中期経営計画2027説明会 2025/3
- 決算説明会 FY24
- 東洋経済オンライン 2025/6/21
金利ある世界と次期デリバ売買システムへの投資負担
2025年4月発表の前期通期決算は、売上収益1,622億円(前年度比+6.1%)、営業利益901億円、当期利益610億円と2期連続の過去最高益を計上した。株式等の売買代金は5.7兆円で4年連続で過去最高水準を更新した。一方、2025年度の業績予想は売上収益1,610億円、当期利益555億円という減益見通しとなっている。米国の政策動向にまつわる不透明感と、次期デリバティブ売買システムへの投資にともなう費用計上をあらかじめ織り込んだ計画である。株式売買の好環境と過去最高益という足もとの強さに、次期システム投資の負担という先行きの重さが、取引所グループの単年度業績へ同時に映し出されている。
2024年11月、新arrowheadが稼働し、現物立会市場の取引時間延伸も同時に実施された。次期デリバティブ売買システムは当初の2026年度稼働予定から2028年度後半へ見直され、調査研究と準備費用が2025年度から計上される。政策金利0.5%という「金利ある世界」の到来を受け、IRSクリアリング・OTC国債の債務引受・預託担保の運用といった金利関連サービスが新たな収益ピースとして設計されている。取引所は株式売買手数料依存から金利・情報・データへ収益源を広げる段階に入った。フィッシング詐欺を介した不正取引の拡大も論点として浮上し、山道は株式部のリアルタイム監視と自主規制法人の特別チームによる対応を進めつつ、事前防止には証券会社側の多要素認証強化が不可欠だと説明している。
- 中期経営計画2027説明会 2025/3
- 決算説明会 FY24
- 東洋経済オンライン 2025/6/21