1954〜2022
売上高: 億円
■単体 | ■連結
15510億円
2022.12 | 売上高
売上高_当期純利益率: %
○単体 | ○連結
860億円
2022.12 | (親)当期利益
1887 06月
創業

長瀬富郎商店を創業

明治20年(1887年)に長瀬富郎氏が「長瀬富郎商店」を東京日本橋の馬喰町にて創業したことが、花王の創業である。祖業は日用雑貨を扱う小売店であり「石けん・輸入文具」を主に販売していた。当時の石鹸は西洋からの輸入品であり、創業時の花王はメーカーではなく流通業であった。

長瀬富郎氏の実家は、岐阜県中津川で酒蔵を営んでおり、開業資金に恵まれていたと推察される。

1890 10月
新規事業

花王石鹸を発売。日用品に参入

創業者の長瀬富郎氏が石鹸の国産化に成功。花王石鹸というブランドで高級品として製造販売し、花王はメーカーに転身した

1890年10月
花王石鹸を発売。日用品に参入
1922年11月
東京工場を新設
1925年05月
花王石鹸株式会社を設立
まとめ
1887〜1948
売上不明
■単体 | ■連結
利益率不明
○単体 | ○連結
1949 05月
株式上場

東京証券取引所に株式上場

1949 05月

潤滑油(化学事業)を花王傘下に吸収

戦前の航空機向け潤滑油を製造した傘下企業を吸収。有機化学に強みを持つ研究開発型の化学メーカーに転身。いち早く合成洗剤の知見を蓄積

1935年05月
大日本油脂を会社設立
1940年05月
日本有機を会社設立
1949年05月
日本有機の商号を花王石鹸に変更
1949年12月
大日本油脂と花王が合併(花王油脂の発足)
1954年08月
花王石鹸が花王油脂を吸収合併
1957 12月

和歌山工場内に合成洗剤工場を新設

電気洗濯機の普及に合わせて合成洗剤「花王ワンダフル」の量産投資。設備面で競合の石鹸メーカーを圧倒

1950年
合成洗剤の研究開発を開始
1951年
合成洗剤「ワンダフル(花王粉せんたく)」を発売
1957年12月
合成洗剤工場を新設
7.5億円
1963年03月
川崎工場を新設
まとめ
1949〜1963
売上高: 億円
■単体 | ■連結
211億円
1963.3 | 売上高
売上高_当期純利益率: %
○単体 | ○連結
10.9億円
1963.3 | 当期純利益
1978 03月

設備投資計画(1200億円/3年)

品質向上と研究開発力の向上を目論み原料の垂直統合に巨額投資。P&Gと対抗するための設備を拡充

1977年
ピリナス花王を設立(ヤシ油原料調達)
1980年
鹿島工場を新設(脂肪酸等の製造)
丸田芳郎(花王・当時社長)
技術は一朝一夕にはなりませんからね。しかも、今後はいぜnより大きな成果が期待できます。今年度500億円の投資を決めたのも、他社のマネできない'シーズ'(種)が出始めているからです。特に今年度から3年間が大変な時期で、この間、1200億円から1300億円の投融資を計画しています。その償却は特別償却、有税償却含めて3年間で600億円に達します。しかし、その償却が済めば、キャッシュフローからいって、非常に強い体質ができる。そこで、いよいよ欧米市場での計画実行に乗り出す。順序としては、このように考えているわけです。
1979/8/13 日経ビジネス「編集長インタビュー・丸田芳郎」
まとめ
1964〜1979
売上高: 億円
■単体 | ■連結
2142億円
1979.3 | 売上高
売上高_当期純利益率: %
○単体 | ○連結
33億円
1979.3 | 当期純利益
1983

紙おむつ「メリーズ」を発売

紙おむつに後発参入。P&Gおよびユニチャームとの熾烈な競争を展開

1975年12月
栃木工場を新設
1978年02月
栃木研究所を新設(栃木工場内)
1978年
生理用品「ロリエ」を発売
1983年
紙おむつ「メリーズ」を発売
まとめ
1980〜1984
売上高: 億円
■単体 | ■連結
3306億円
1984.3 | 売上高
売上高_当期純利益率: %
○単体 | ○連結
62.6億円
1984.3 | 当期純利益
1985
新規事業
事業損失

フロッピーディスクに新規参入(失敗)

界面活性技術と応用してフロッピーディスク(FD)に参入。合理化で余剰になった社員の雇用維持の狙いもあり。一時は急成長するが、競争激化により巨額損失を出した末に撤退へ

1980年01月
基礎研究の拡大方針を策定
1985年
FDを発売
1988年
カナダ・ダイダック社を買収
1990年03月
FD事業で売上高200億円を突破
1999年03月
FD事業で売上高800億円を突破
1999年
FDから撤退
後藤卓也(花王・当時社長)
確かに売上高で800億円にも達する事業をいきなりやめていいのかという見方はあるでしょう。10年近く全社をあげてと言っていいぐらい力を入れてきたわけですから。しかし現実の市場は非常に変化が早かった。花王の情報事業はフロッピーディスクなどのメディアだけで、ハードもソフトもおっていないわけです。とにかく変化に振り回されるだけで終わってしまった。(略) これだけ大きな仕事をしたうえでの撤退は、見通しが甘かったトップ経営層の責任です。社員の中には情報事業にかけてきた人もいるわけです。あるいは、「花王は情報事業をやっているから」と入社してきた社員に対しても迷惑をかけました。幸いなことに赤字決算にはならなかったので、株主への配当と言った面での迷惑はかけていません。しかし、やはりけじめはつけるべきじゃないかということで、一部の役員を降格させ、賞与をカットしました。
1999/6/14 日経ビジネス「編集長インタビュー・後藤卓也氏」
1985 10月

商号を花王株式会社に変更

花王石鹸から花王に変更。多角化路線を本格化

1986

原価低減に注力

1985年
川崎ロジスティクスセンターを稼働
1986年
TCR活動を推進
null年
九州工場を閉鎖
null年
酒田工場で洗剤生産を停止(紙製品に注力)
2000年03月
フロッピーディスク撤退により連続増収の記録に終止符
まとめ
1985〜1994
売上高: 億円
■単体 | ■連結
7738億円
1994.3 | 売上高
売上高_当期純利益率: %
○単体 | ○連結
221億円
1994.3 | 当期純利益
まとめ
1995〜2005
売上高: 億円
■単体 | ■連結
9368億円
2005.3 | 売上高
売上高_当期純利益率: %
○単体 | ○連結
721億円
2005.3 | 当期純利益