CF

キャッシュフローの長期推移

連結優先
営業CF
単位:億円
投資CF
単位:億円
財務CF
単位:億円
PL

売上高の長期推移

売上高・売上収益ベース(連結優先)| 単位:億円
PL

税引後利益の長期推移

税引後利益・当期純利益・当期利益ベース(連結優先)| 単位:億円
1949年12月
日本電気硝子を設立

日本電気(NEC)は、ブラウン管の製造のために「真空管ブラウン管用ガラス」について、子会社として日本電気硝子を設立した。終戦後の財閥解体を受けて日本電気(住友財閥系)から分離独立し、1949年に日本電気硝子株式会社として設立された。

従業員90名の中小企業でスタート

1949年の日本電気硝子の設立時点において従業員数は90名であり、大企業から分離独立した企業ではあったが、実態としては中小企業であった。

そこで、生産量を少しでも拡大するため、工場の24時間稼働体制(休日なし)を採用するなど、企業存続のためにあらゆる手を尽くした。

1959年4月
藤沢工場を新設
1960年3月
米オーエンズ社より技術導入(管ガラス)

硝子市場においては、建築・自動車・瓶といった領域には競合企業が存在していたため、日本電気硝子は競合が少ないニッチな市場として「管ガラス」に着眼した。主な用途は、蛍光灯であり、当時は手工業による中小企業が群雄割拠していた。そこで、日本電気硝子は米オーエンス社と技術提携を締結し、管ガラスの量産設備を導入。これによって、低価格な蛍光灯の量産体制を確立し、市場シェアを確保した。

1962年7月
魔法瓶用ガラスの製造開始

手吹ガ中心だった魔法瓶向けのガラスについて、機械を導入して量産を開始。低コストにより中小企業を中心とした競合企業を一層し、1985年度の時点で国内シェア100%を確保

1965
12月

テレビ用ブラウン管ガラスの製造開始

テレビ向けCRTに着眼

1958年に日本電気硝子はテレビの普及を受けて、ブラウン管ガラス(CRT)の製造を模索。米オーエンス社から技術導入を試みたが、多額の技術導入費用が必要であり、日本政府からの許可が6年間にわたって認可されない事態に直面した。

このため、ブラウン管製造の技術を自社で確立するために、建築用の「ガラス・ブロック」の製造を開始。いきなり技術的難易度が高いテレビではなく、建築材料としてブラウン管に近い製品を手掛けることで生産技術を高めた。

そして、1963年に日本政府は日本電気硝子に対してテレビ用のブラウン管の技術導入を許可した。国内では、旭硝子1社のみが独占していたが、テレビ需要の拡大に伴って生産拡大のために「日本電気硝子が参入することを許可する」という建前であった。

量産投資を決断

1965年からテレビ用ブラウン管ガラスの製造を開始。量産によるコストダウンを図るために、滋賀県高月に工場を新設して対応した。当時の日本電気硝子は非上場企業であり、1965年時点の資本金3億円に対して、約20億円の投資が必要であった。また、1965年3月期における業績は、売上高約38億円・利益0.4億円であり、約20億円をかけたブラウン管への参入は、社運をかけた意思決定であった。

すでに国内において旭硝子が米コーニングの特許によりブラウン管の製造に参入しており、日本電気硝子はイリノイの特許を通じて後発参入となった。ただし、国内では旭硝子の1社独占体制であったため、顧客である電機メーカーから「2社購買先」として、選ばれる余地が存在していた。

なお、テレビ向けブラウン管ガラスは、世界においてコーニングとイリノイの2社だけが特許を保持しており、他社が参入する余地は存在しなかった。このため、国内において、旭硝子と日本電気硝子の2社がシェアを掌握するに至った。

国内トップシェアを確保

1991年頃の時点で、カラーテレビ用のCRTで日本電気硝子は国内シェア1位を確保。顧客は日立を除く、ブラウン管を製造するTVメーカー5社(東芝・松下電器・ソニー・NEC・三菱電機)であり、大手企業を顧客として確保した。

なお、1981年度の時点で、日本電気硝子における売上高のうち「テレビ向けCRT」が54%を占めており、CRTが中心の部材メーカであった。

1964年
12月
滋賀高月工場を新設(ブラウン管)
総投資額 20 億円
1965年
12月
白黒テレビ用ブラウン管ガラスの製造開始
1967年
11月
カラーテレビ用ブラウン管ガラスの製造開始
1991年
12月
カラーTVブラウン管でシェア1位
国内シェア 57 %
証言
長崎準一(日本電気硝子・会長)

昭和39年、いよいよCRTの生産を始めることになった。我々は、将来、この事業は必ず巨大なものになり得ると考えた。ところが、世間はそのようには見ていなかった。当時、テレビは非常に高価であったことから、大して普及しないであろうと考えられた。CRTについて、中古品の再生利用が主で、新品の需要は少ないであろうと思われていたのである。オーエンス・イリノイ社がニュージャージーにCRTの新工場の建設を完了し、火入れ直前になって撤収してしまったようなこともあった。

このような中で、我々は、テレビというものが遠からず、大きな市場を築くであろうということに疑いを持たなかった。一貫して伸びる見込みがある事業は進出する時期に早晩を問うべきでない。しかも、やる以上は、その性格にふさわしい規模でやる必要があると考え、CRTの専用工場を建設する計画を立てた。余裕ある敷地、豊富な工業用水、交通の便そして良質の労働力、これらの条件を一つ一つ吟味した結果、湖北地方を新工場建設の地と定めた。新工場の建設にあたっては、将来に備えて生産に何ら支障をきたすことなく設備の拡張ができるようなレイアウトにすることを基本構想とした。

CRTの生産を1工場に集中するといった我々の選択は正しかったと思っている。

決算
日本電気硝子の業績
1966年3月期(単体)
売上高
35
億円
当期純利益
-1.8
億円
1971年12月
能登川工場を新設
決算
日本電気硝子の業績
1972年3月期(単体)
売上高
297
億円
当期純利益
4
億円
1972年10月
本社を東京都港区から滋賀県大津市に移転
決算
日本電気硝子の業績
1973年3月期(単体)
売上高
349
億円
当期純利益
9
億円
1973年4月
東京証券取引所第2部に株式上場
1983年
9月
東京証券取引所第1部に株式上場
決算
日本電気硝子の業績
1974年3月期(単体)
売上高
429
億円
当期純利益
10
億円
1976年10月
ガラスファイバの生産開始
決算
日本電気硝子の業績
1977年3月期(単体)
売上高
702
億円
当期純利益
35
億円
1987年10月
TFT液晶ディスプレイ用基板ガラスの生産開始
2000年1月
TFT向けでオーバーフロー法による生産開始
決算
日本電気硝子の業績
2000年3月期(連結)
売上高
3235
億円
当期純利益
137
億円
従業員数
10632
営業CF
567
億円
投資CF
-68
億円
財務CF
-287
億円
2002年11月
韓国に現地法人を新設
2023年
8月
韓国に現地法人を清算
決算
日本電気硝子の業績
2003年3月期(連結)
売上高
3288
億円
当期純利益
146
億円
従業員数
8841
営業CF
792
億円
投資CF
-183
億円
財務CF
-574
億円
2003年11月
台湾に現地法事を新設
決算
日本電気硝子の業績
2004年3月期(連結)
売上高
2973
億円
当期純利益
85
億円
従業員数
8386
営業CF
533
億円
投資CF
-324
億円
財務CF
56
億円
2013年4月
P&P技術センター大津を新設
決算
日本電気硝子の業績
2014年3月期(連結)
売上高
2525
億円
当期純利益
124
億円
従業員数
5275
営業CF
466
億円
投資CF
-338
億円
財務CF
-111
億円
2014年4月
中国に現地法人を新設
決算
日本電気硝子の業績
2014年12月期(連結)
売上高
1926
億円
当期純利益
59
億円
従業員数
5084
営業CF
388
億円
投資CF
-292
億円
財務CF
16
億円
2016年10月
PPGよりガラス繊維事業を買収
2016年
10月
PPGより欧州ガラス繊維事業を買収
2017年
9月
PPGより米国ガラス繊維事業を買収
決算
日本電気硝子の業績
2016年12月期(連結)
売上高
2394
億円
当期純利益
49
億円
従業員数
5849
営業CF
482
億円
投資CF
-361
億円
財務CF
-176
億円
2021年11月
固体ナトリウムイオン二次電池を開発
決算
日本電気硝子の業績
2021年12月期(連結)
売上高
2920
億円
当期純利益
279
億円
従業員数
6251
営業CF
698
億円
投資CF
-317
億円
財務CF
-291
億円
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