1943年、トヨタ自動車工業と川崎航空機の共同出資で資本金5,000万円の東海飛行機株式会社が設立された。戦時下の航空機部品製造を本業とする会社で、太平洋戦争末期の軍需生産の一翼を担う位置づけだった。1968年刊の概略書は、翌1944年3月に工場が完成し、終戦時まで航空発動機の生産に従事したと記している。終戦後の航空機製造の禁止と軍需生産の停止により、東海飛行機は本業を失った。1947年から1948年にかけて、ミシン・自動車部品製造への事業転換が進み、1949年6月の企業再建整備法に基づき、資本金15百万円で愛知工業株式会社として新生再発足した。トヨタ系部品メーカーの源流が、戦時航空機メーカーの再建を通じて1949年に確立された。
1952年7月、愛知工業は名古屋証券取引所に新規上場し、地方市場での資本市場アクセスを得た。愛知工業は戦後、自動車の補給部品生産とミシンの二本立てで再出発し、1953年にダイカスト部門を加えて三本柱の経営となった。1953年6月にはダイカスト製品の製造を開始し、後年の基幹技術の一つとなるダイカスト事業へ参入した。1960年3月、新川工業から鋳造部門を分離して高丘工業(現アイシン高丘)を設立し、鋳造機能の専業子会社化を行った。1961年8月、愛知工業は自動変速機の製造を開始し、これが後の主力事業AT(オートマチックトランスミッション)に発展した。同社はこの間に自動変速装置トヨグライド、自動模様編機APK、高級ジグザグミシンを開発している。同年10月には名古屋証券取引所市場第一部に上場し、地方市場での主要区分への昇格を完了した。
東新航空機株式会社は、トヨタ自動車工業の豊田喜一郎の発意を受けて、1945年2月に東海飛行機の刈谷工場の中で設立された。アイシンのもう一方の源流である新川工業の出発点は、この戦時下の航空機会社にある。本業は東海飛行機から工作機械部品の製造を請け負う協力工場だったが、終戦で航空機工業が禁じられたため同年9月に民需へ切り替え、所在地の地名を取って新川産業株式会社と改称した。戦後は自動車部品の製造販売を企業目標とし、トヨタ自動車工業直系の部品メーカーとしてクラッチを主力に育て、1957年に自動クラッチ、1959年にダイヤフラム式クラッチの開発へそれぞれ着手した。生産面では1958年に高岡町(現豊田市)へ新豊工場用地を取得し、1959年4月には刈谷工場を開設して自動車・自動二輪部品の生産体制を広げた。
1965年8月、愛知工業が新川工業を吸収合併し、社名をアイシン精機株式会社に変更した。合併構想は1961年2月、トヨタ自動車工業副社長の豊田英二が両社首脳に提案したのが始まりで、約4年の検討を経て1964年末に合意し、1965年2月23日に正式発表された。同じ分野の機能部品をつくるほぼ同規模の2社を一体化して企業体質を強め、トヨタグループの中核部品メーカーに育てる狙いがあった。両社はともに豊田喜一郎の事業を源流とする兄弟会社で、愛知工業はトランスミッション・ブレーキなど駆動・制動部品、新川工業はクラッチと車体部品を得意としていた。新川工場・新豊工場を引継ぎ、合併後の資本金は2,856百万円となった。トヨタ自工のあっ旋で合併が実現し、自動車部品メーカーの大同団結として当時注目された。社名のアイシンは、愛知工業の"アイ"と新川工業の"シン"を組み合わせたもので、現在の社名アイシンの源流である。
アイシン精機の主力に育ったAT(オートマチックトランスミッション)には、特許上の制約があった。トヨタのトヨグライドなどが採用したワーナー方式が米国ボーグ・ワーナー社の基本特許に抵触し(周辺特許はGM・フォードが保有)、独自展開が難しかったためである。トヨタ自動車工業との協議を経て、アイシン精機は1966年8月からボーグ・ワーナー社と合弁交渉を進め、1969年5月、折半出資でアイシン・ワーナー株式会社(後のアイシン・エィ・ダブリュ)を設立した。資本金21億6,000万円、本社は刈谷市、初代社長には豊田稔が就任した。1988年3月にアイシン・エィ・ダブリュへ社名変更し、ATの世界市場で上位シェアを占める主力事業会社となった。1970年5月には東京証券取引所第一部および大阪証券取引所第一部に上場した(2009年12月に大証一部は上場廃止)。
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| 1943〜1980年戦前の航空機部品事業から戦後愛知工業として再発足、自動変速機事業の確立 | 資本金15百万円をもって愛知工業を設立 | ★ | ||
| 愛知工業、名古屋証券取引所に新規上場 | ★ | |||
| 愛知工業、ダイカスト製品の製造開始 | ★ | |||
| 愛知工業、自動変速機の製造開始 | ★★ | |||
| 愛知工業、名古屋証券取引所市場第一部に上場 | ★ | |||
| 両社を一体化してのアイシン精機の発足 1965年8月、トヨタ系の部品メーカー愛知工業と新川工業が合併し、アイシン精機が発足した。豊田英二トヨタ自動車工業副社長の提案を機に、約4年をかけて対等の精神で集約した統合で、現在の社名アイシンの源流である。 詳細を読む | ★★★ | |||
| アイシン精機に商号変更 | ★ | |||
| AT特許の壁を折半出資の合弁会社設立で乗り越えた選択 1969年5月、アイシン精機は米ボーグ・ワーナー社と折半出資でアイシン・ワーナーを設立し、オートマチックトランスミッション(AT)の基本特許をめぐる問題を、係争ではなく合弁で決着させた。半世紀続くAT主力事業を、争わずに手にした判断である。 詳細を読む | ★★★ | |||
| 東京証券取引所第一部・大阪証券取引所第一部に上場 | ★ | |||
| アイシン・U.S.A.を設立 | ★ | |||
| 1981〜2000年北米生産の開始とアイシン・エーアイ分離などグループ会社の分立 | アイシン・U.S.A.マニュファクチャリングを設立 | ★ | ||
| 統括会社アイシン・アメリカを設立 | ★ | |||
| 城山工場を分離独立させアイシン・エーアイを設立 | ★ | |||
| アイシン・エィ・ダブリュ精密を設立 | ★ | |||
| アイシン・ワールド・コープ・オブ・アメリカが発足 | ★ | |||
| 豊田幹司郎 | アイシン・オートモーティブ・キャスティングを設立 | ★ | ||
| 豊田幹司郎 | エィ・ダブリュ・ノースカロライナを設立 | ★ | ||
| 2001〜2015年トヨタ系4社のアドヴィックス設立と北米統括会社によるブレーキ・販売の再編 | 豊田幹司郎 | アイシン・ワールド・コープ・オブ・アメリカの販売機能を子会社化 | ★ | |
| 豊田幹司郎 | 北米統括会社アイシン・HD・オブ・アメリカを設立 | ★ | ||
| 豊田幹司郎 | デンソー・住友電気工業・トヨタ自動車と共同出資でアドヴィックスを設立 | ★★ | ||
| 藤森文雄 | 刈谷工場をアドヴィックスに譲渡 | ★★ | ||
| 2016〜2026年シロキ工業の完全子会社化からアイシン・エィ・ダブリュ統合とアイシンへの改称 | 伊原保守 | シロキ工業を株式交換により完全子会社化 | ★★ | |
| 伊原保守 | アート金属工業を株式取得により子会社化 | ★ | ||
| 伊勢清貴 | 二社体制の解消と、社名を一つにそろえた事業の一本化 2019年10月31日、アイシン精機の取締役会は、連結子会社アイシン・エィ・ダブリュとの経営統合を決議し基本合意した。伊勢清貴社長のもとでの判断で、合併期日は2021年4月1日を予定とした。1年2か月後の2020年12月22日に吸収合併を決議して同日付で合併契約を締結し、予定どおり2021年4月1日を企業結合日として合併している。 アイシン精機が存続会社、アイシン・エィ・ダブリュが消滅会社となる吸収合併で、結合後の会社の商号は株式会社アイシン、資本金は45,049百万円となった。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 伊勢清貴 | アイシンに商号変更 | ★ | ||
| 吉田守孝 | 親会社から4人の社長を迎えた会社での、後継の審議の社長の手から独立社外取締役への移管 2005年6月に山内康仁氏がトヨタ自動車の専務取締役から社長へ移って以降、社長5人のうち4人がトヨタ自動車の出身者で占められてきた。生え抜きは2009年から2015年まで務めた藤森文雄氏ひとりである。2015年の伊原保守氏、2018年の伊勢清貴氏、2021年の吉田守孝氏は、いずれも親会社で役員を務めたのち刈谷へ移った。 その指名を審議する役員人事審議会は、2019年3月期の時点で議長を取締役社長の伊勢清貴氏が務めていた。2023年、この審議会は報酬審議会と統合されて役員指名報酬審議会となり、議長は独立社外取締役から選ばれることに改まった。 詳細を読む | |||
| 吉田守孝 | アイシン化工を吸収合併 | ★ |
免責事項およびポリシー
事実根拠:出所(アイシン)