オムロン の歴史

創業

1933年

創業者

立石一真

創業地

大阪市都島区

直近売上高(2026/3)

7,674億円

長期業績と転換点(1997/3〜2026/3)
売上高(億円純利益率(%)
Q なぜ立石一真氏は1955年、日本にまだなかったオートメーション市場へ賭けたのか
A レントゲン撮影用タイマーで最初の市場をつかみ損ね、保護継電器という単品への依存と、戦災で社員が33人まで減る谷を経験したことが下敷きにある。立石一真氏は、他社が追随する前に独占できる市場を求めた。1952年に能率学の権威・上野陽一氏から米国の無人工場の話を聞き、日本にまだ言葉すらなかったオートメーションを将来有望なマーケットと見定める。1955年、すでに55歳、社員110人・年商2億4000万円の会社を率いて、制御に使う機能部品を自前で開発する市場開拓に乗り出した。新商品の研究開発を優先する方針が、この賭けを支えた。
Q なぜ立石電機は1963年、医学界の権威セリエ博士を招いて健康工学に乗り出したのか
A 社憲「よりよい社会をつくりましょう」を事業の形にする道として、立石電機は制御と計測の技術を人の健康へ応用しようとした。1963年、ストレス学説の世界的権威ハンス・セリエ博士を一私企業の身で招き、カナダのモントリオール大学実験医学研究所と共同研究契約を結ぶ。東洋医学の経絡や脈診を電子的に測る研究から簡易血圧計の開発へ進み、1973年の血圧計1号機、のちの電子血圧計や電子体温計「けんおんくん」につながった。FAと社会システムに続く第三の柱は、この医学との接点から芽吹いている。
Q なぜオムロンは2010年代以降、育てた車載・ATM事業を次々と手放したのか
A 2009年3月期にリーマン・ショックで純損失291億円を計上し、FA、すなわち制御機器に収益が偏っていた弱さが表面化したことが効いている。オムロンは規模の拡大より事業選択の明確さを優先する方針へ転じた。2019年に車載電装部品事業をニデックへ、2021年には日立と組んだATM事業を日立製作所へ譲渡し、制御機器に集中したうえでロボティクスへ買収で参入する。山田義仁社長はこれを単なる切り離しではなく「選択と分散」と呼び、残した事業の内側でサプライチェーンとリスクを分けて持つ考え方として位置付けた

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1933年〜 立石一真氏と世界初を連発した京都の発明会社

  1. 1933年立石一真が大阪で立石電機製作所を創業
  2. 1945年工場を移転
  3. 1948年株式会社に改組
  4. 1955年プロデューサ・システム(分権型生産子会社方式)を創案
  5. 1960年世界初の無接点近接スイッチを開発
  6. 1962年京都・大阪証券取引所市場第二部に上場
  7. 1967年世界初の無人駅システムが阪急北千里駅で稼動

オムロンの業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)

出所:有価証券報告書等

九尺二間から京都へ ── 創業・戦災・33人の谷

1933年5月10日、立石一真氏は33歳で大阪市都島区東野田に立石電機製作所を創業した。社員は工員と徒弟の各1人、長屋の2階に住み込んで階下を土間とし、作業台に万力を据えただけの零細な町工場だった。最初の製品は自ら開発したレントゲン写真撮影用タイマである。しかしレントゲンの市場は小さく、早々に電力用保護継電器の専門工場と銘打って電力業界へマーケットを切り替えた。立石電機製作所はわが国最初で唯一の継電器専門工場と称された。この転換が当たり、1936年には大阪市西淀川区野里町へ工場を新設移転し、1945年には社員250人を擁する規模へと伸びた。 [1][2][3][4]

  • オムロン 有価証券報告書 第88期(2025年3月期)【沿革】
    • [1]1933年5月10日、立石一真が33歳で大阪市都島区東野田に立石電機製作所を創業(最初の製品はレントゲン写真撮影用タイマ)
    • [4]1936年に大阪市西淀川区野里町へ工場を新設移転、1945年時点で社員250人規模
  • 創る育てる:立石電機55年のあゆみ(立石電機, 1988)
    • [2]レントゲン市場の小ささから電力用保護継電器の専門工場へ事業を転換
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [3]立石電機製作所はわが国最初で唯一の継電器(保護継電器)専門工場と位置づけられた

だが1945年5月、大阪の工場は終戦を待たず空襲で全焼する。前年から京都・御室にあった映画撮影所を譲り受けて疎開工場の改修を進めていたため、立石電機はここへ本拠を移した。今日オムロンが京都に本社を置く直接の経緯であり、後に制定する商標「OMRON」も御室の地名に由来する。終戦で継電器の需要は消え、1948年5月に資本金200万円で立石電機株式会社へ改組したものの再建は進まず、1950年には社員がわずか33人まで落ち込んだ。電力用機器の需要回復を待って、ここから本格的な再建が始まる。 [5][6][7][8]

  • オムロン 有価証券報告書 第88期(2025年3月期)【沿革】
    • [5]1945年5月に大阪工場が空襲で全焼、前年に譲り受けた京都・御室の疎開工場へ本拠を移転
    • [6]商標「OMRON」は本社所在地・御室の地名に由来
    • [7]1948年5月、資本金200万円で立石電機株式会社へ改組
  • わがベンチャー経営(立石一真著, ダイヤモンド・タイム社, 1974)
    • [8]1950年(昭和25年)に社員が33人まで減少
  • オムロン 有価証券報告書 第88期(2025年3月期)【沿革】
    • [1]1933年5月10日、立石一真が33歳で大阪市都島区東野田に立石電機製作所を創業(最初の製品はレントゲン写真撮影用タイマ)
    • [4]1936年に大阪市西淀川区野里町へ工場を新設移転、1945年時点で社員250人規模
    • [5]1945年5月に大阪工場が空襲で全焼、前年に譲り受けた京都・御室の疎開工場へ本拠を移転
    • [6]商標「OMRON」は本社所在地・御室の地名に由来
    • [7]1948年5月、資本金200万円で立石電機株式会社へ改組
  • 創る育てる:立石電機55年のあゆみ(立石電機, 1988)
    • [2]レントゲン市場の小ささから電力用保護継電器の専門工場へ事業を転換
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [3]立石電機製作所はわが国最初で唯一の継電器(保護継電器)専門工場と位置づけられた
  • わがベンチャー経営(立石一真著, ダイヤモンド・タイム社, 1974)
    • [8]1950年(昭和25年)に社員が33人まで減少

オートメーションへの賭けと分権制経営

再建の途上にあった1952年、立石一真氏は能率学の権威・上野陽一氏から、米国に作業員のいない自動工場が現れたという話を聞く。日本にオートメーションという言葉すら知られていなかった時期である。立石氏はこれを将来有望なマーケットと見定め、1955年、すでに55歳で社員110人・年商2億4000万円の会社を率いながら、まだ存在しない市場の開拓に乗り出した。マイクロスイッチやリレーなど制御に使う機能部品を自前で開発する道であり、新商品の研究開発を最優先する「経営基本五原則」とともに、後年オムロンを支えるR&D先行の経営はこの決断から始まる。 [9][10][11]

  • わがベンチャー経営(立石一真著, ダイヤモンド・タイム社, 1974)
    • [9]1952年、立石一真が能率学の権威・上野陽一から米国の無人工場(オートメーション)の話を聞く
    • [11]新商品の研究開発を最優先する「経営基本五原則」
  • 創る育てる:立石電機55年のあゆみ(立石電機, 1988)
    • [10]1955年、社員110人・年商2億4000万円でオートメーション市場の開拓に着手(立石一真55歳)

事業の急拡大に対し、立石氏は1955年1月、独自の組織論「プロデューサ・システム」を創案した。販売と研究を別会社として分離し、生産を品目別の独立専門工場へ分社する分権型の運営方式で、生産子会社は最終的に9社に及んだ。立石氏はこれを単なる分社ではなく、人間が個性を発揮する場をつくる経営思想として位置付けている。システムが軌道に乗った5年間で売上はおよそ10倍に伸び、1959年には御室に由来する商標「OMRON」を制定、1962年4月には京都・大阪証券取引所市場第二部へ上場して、開発投資と資金調達を両輪で回す体制を整えた。 [12][13][14][15]

  • オムロン 有価証券報告書 第88期(2025年3月期)【沿革】
    • [12]1955年1月、分権型の生産運営方式「プロデューサ・システム」を創案。生産子会社は最終的に9社
    • [14]1959年に商標「OMRON」を制定
    • [15]1962年4月、京都・大阪証券取引所市場第二部に上場
  • わがベンチャー経営(立石一真著, ダイヤモンド・タイム社, 1974)
    • [13]プロデューサ・システム導入後の約5年間で売上は約10倍に拡大
  • わがベンチャー経営(立石一真著, ダイヤモンド・タイム社, 1974)
    • [9]1952年、立石一真が能率学の権威・上野陽一から米国の無人工場(オートメーション)の話を聞く
    • [11]新商品の研究開発を最優先する「経営基本五原則」
    • [13]プロデューサ・システム導入後の約5年間で売上は約10倍に拡大
  • 創る育てる:立石電機55年のあゆみ(立石電機, 1988)
    • [10]1955年、社員110人・年商2億4000万円でオートメーション市場の開拓に着手(立石一真55歳)
  • オムロン 有価証券報告書 第88期(2025年3月期)【沿革】
    • [12]1955年1月、分権型の生産運営方式「プロデューサ・システム」を創案。生産子会社は最終的に9社
    • [14]1959年に商標「OMRON」を制定
    • [15]1962年4月、京都・大阪証券取引所市場第二部に上場

「世界初」の連発と健康工学・社会貢献の源流

オートメーション用の機能部品で築いた制御技術は、1960年代に応用製品の「世界初」を次々に生み出した。1960年に世界初の無接点近接スイッチ、1964年に世界初の電子式自動感応式信号機を開発し、制御技術を交通インフラの領域へ広げる。1967年3月には阪急電鉄北千里駅で世界初の無人駅システムが稼動し、自動改札機と券売機を組み合わせたこの仕組みは日本の鉄道自動化の原型となった。1965年7月にはクレジットカードによる自動販売システムを開発し、その技術を世界最大の自動販売機メーカーである米キャンティーン社へ輸出している。工場の自動化を担うFAと、社会インフラを担う社会システムという、現在まで続く二つの事業の柱がこの時期に形を取った。 [16][17][18]

  • オムロン 有価証券報告書 第88期(2025年3月期)【沿革】
    • [16]1960年に世界初の無接点近接スイッチ、1964年に世界初の電子式自動感応式信号機を開発
    • [17]1967年3月、阪急北千里駅で世界初の無人駅システム(自動改札機・券売機)が稼動
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [18]1965年7月、クレジットカードによる自動販売システムを開発し、世界最大の自動販売機メーカー・米キャンティーン社へその技術を輸出

三つ目の柱となるヘルスケアの源流は、1963年のハンス・セリエ博士の招聘にさかのぼる。ストレス学説の世界的権威を一私企業が招いて健康工学を共同研究する試みは医学界の反響を呼び、立石電機はカナダのモントリオール大学実験医学研究所と共同研究契約を結んだ。東洋医学の経絡や脈診を電子的に測る研究から簡易血圧計の開発へと進み、1973年の血圧計1号機、そして電子血圧計や電子体温計「けんおんくん」へとつながった。健康機器への参入は、立石氏が掲げた社憲「よりよい社会をつくりましょう」の具現化と位置付けられた。 [19][20][21]

  • 創る育てる:立石電機55年のあゆみ(立石電機, 1988)
    • [19]1963年にハンス・セリエ博士を招聘して健康工学を共同研究、カナダ・モントリオール大学実験医学研究所と共同研究契約を締結
    • [21]社憲「よりよい社会をつくりましょう」
  • オムロン 有価証券報告書 第88期(2025年3月期)【沿革】
    • [20]東洋医学の経絡・脈診の電子計測研究から簡易血圧計を開発、1973年に血圧計1号機

社会への貢献を事業の形にする発想は、ほかにも現れた。1972年2月には障がい者雇用を前提とする生産子会社オムロン太陽株式会社を設立し、1960年代後半にはサリドマイド児のための電動義手を徳島大学と共同開発している。一方で1988年4月には東京支社を東京本社へ昇格させて二本社制とし、オランダ・シンガポール・米国に地域統轄会社を順次設けて、1989年にグローバル3極統轄体制を整えた。国内で世界初を重ねた京都の発明会社は、1980年代末に世界市場を見据えた制御機器メーカーへと立ち位置を移した。 [22][23][24]

  • オムロン 有価証券報告書 第88期(2025年3月期)【沿革】
    • [22]1972年2月、障がい者雇用を前提とする生産子会社オムロン太陽株式会社を設立
    • [24]1988年4月に二本社制へ移行、欧州・アジア・北米に地域統轄会社を設け1989年に3極統轄体制を完成
  • 創る育てる:立石電機55年のあゆみ(立石電機, 1988)
    • [23]1960年代後半、サリドマイド児のための電動義手を徳島大学と共同開発
  • オムロン 有価証券報告書 第88期(2025年3月期)【沿革】
    • [16]1960年に世界初の無接点近接スイッチ、1964年に世界初の電子式自動感応式信号機を開発
    • [17]1967年3月、阪急北千里駅で世界初の無人駅システム(自動改札機・券売機)が稼動
    • [20]東洋医学の経絡・脈診の電子計測研究から簡易血圧計を開発、1973年に血圧計1号機
    • [22]1972年2月、障がい者雇用を前提とする生産子会社オムロン太陽株式会社を設立
    • [24]1988年4月に二本社制へ移行、欧州・アジア・北米に地域統轄会社を設け1989年に3極統轄体制を完成
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [18]1965年7月、クレジットカードによる自動販売システムを開発し、世界最大の自動販売機メーカー・米キャンティーン社へその技術を輸出
  • 創る育てる:立石電機55年のあゆみ(立石電機, 1988)
    • [19]1963年にハンス・セリエ博士を招聘して健康工学を共同研究、カナダ・モントリオール大学実験医学研究所と共同研究契約を締結
    • [21]社憲「よりよい社会をつくりましょう」
    • [23]1960年代後半、サリドマイド児のための電動義手を徳島大学と共同開発

1990年〜 オムロン株式会社への改称と事業再編

  1. 1990年社名を「オムロン」に変更
  2. 1993年初の独資生産会社オムロン大連有限公司が稼動
  3. 1999年事業部制を廃止しカンパニー制を導入
  4. 2003年ヘルスケア事業を分社しオムロンヘルスケアを設立
  5. 2004年伊BITRONを子会社化し車載電装部品事業を拡大
  6. 2009年リーマンショックで純損失▲291億円を計上
  7. 2010年事業別分社化を推進

オムロンの業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)

出所:有価証券報告書等

立石電機からオムロンへ

1990年1月、社名を「オムロン株式会社」に正式変更した。1959年に制定された「OMRON」ブランドは国内外で浸透しており、創業家名「立石」を冠した社名との齟齬がなっていた。同時にグローバル企業としての統一ブランド化を進める意味合いもあった。1991年4月には本社を京都市下京区に移転し、2000年8月には複合機能拠点「オムロン京都センタービル」に本店を集約する。 [25][26]

  • オムロン 有価証券報告書 第88期(2025年3月期)【沿革】
    • [25]1990年1月、社名を「オムロン株式会社」に正式変更
    • [26]1991年4月、本社を京都市下京区に移転。2000年8月、複合機能拠点「オムロン京都センタービル」に本店を集約

1993年4月、中国で初めての独資生産会社オムロン大連有限公司が稼動を開始し、以降中国を主要製造拠点として位置付けた。1994年5月には中国地域統轄会社を設立し、2002年4月には中国本社に格上げした。2006年6月には制御機器システムのグローバル中核拠点としてオムロン上海有限公司が稼動を開始する。2000年代を通じて、同社の制御機器事業は組立・基板実装の中国集中を実行した。 [27][28][29]

  • オムロン 有価証券報告書 第88期(2025年3月期)【沿革】
    • [27]1993年4月、中国で初の独資生産会社オムロン大連有限公司が稼動を開始
    • [28]1994年5月に中国地域統轄会社を設立、2002年4月に中国本社へ格上げ
    • [29]2006年6月、制御機器システムのグローバル中核拠点オムロン上海有限公司が稼動を開始
  • オムロン 有価証券報告書 第88期(2025年3月期)【沿革】
    • [25]1990年1月、社名を「オムロン株式会社」に正式変更
    • [26]1991年4月、本社を京都市下京区に移転。2000年8月、複合機能拠点「オムロン京都センタービル」に本店を集約
    • [27]1993年4月、中国で初の独資生産会社オムロン大連有限公司が稼動を開始
    • [28]1994年5月に中国地域統轄会社を設立、2002年4月に中国本社へ格上げ
    • [29]2006年6月、制御機器システムのグローバル中核拠点オムロン上海有限公司が稼動を開始

カンパニー制と事業ポートフォリオの整理

1999年4月、事業部制を廃止してカンパニー制を導入した。1955年のプロデューサ・システムから45年ぶりとなる組織論の再定義であり、各カンパニーが独立した事業責任を持つ体制に切り替えた。2003年7月にはヘルスケア事業を分社しオムロンヘルスケア株式会社を設立し、血圧計事業の独立運営体制を確立する。同月には京都府相楽郡(現木津川市)に京阪奈イノベーションセンタを開設した。 [30][31]

  • オムロン 有価証券報告書 第88期(2025年3月期)【沿革】
    • [30]1999年4月、事業部制を廃止しカンパニー制を導入
    • [31]2003年7月、ヘルスケア事業を分社しオムロンヘルスケア株式会社を設立

2004年10月、オムロンは伊BITRON INDUSTRIE S.P.A.を子会社化して車載電装部品事業を拡大すると同時に、ATM等の情報機器事業を共同新設分割で日立オムロンターミナルソリューションズ株式会社へ承継した。事業を買う側と切り離す側の判断を同じ月に下している点に、同社のポートフォリオ運営スタンスが表れている。2005〜2008年にかけてはコーリンメディカルテクノロジー・パイオニア精密・野洲セミコンダクターなどのM&Aを重ね、医療・バックライト・半導体領域を補強した。 [32][33][34]

  • オムロン 有価証券報告書 第88期(2025年3月期)【沿革】
    • [32]2004年10月、伊BITRON INDUSTRIE S.P.A.を子会社化(車載電装部品事業拡大)
    • [33]2004年10月、共同新設分割でATM等の情報機器事業を日立オムロンターミナルソリューションズへ承継
    • [34]2005〜2008年にコーリンメディカルテクノロジー・パイオニア精密・野洲セミコンダクター等のM&Aを実施
  • オムロン 有価証券報告書 第88期(2025年3月期)【沿革】
    • [30]1999年4月、事業部制を廃止しカンパニー制を導入
    • [31]2003年7月、ヘルスケア事業を分社しオムロンヘルスケア株式会社を設立
    • [32]2004年10月、伊BITRON INDUSTRIE S.P.A.を子会社化(車載電装部品事業拡大)
    • [33]2004年10月、共同新設分割でATM等の情報機器事業を日立オムロンターミナルソリューションズへ承継
    • [34]2005〜2008年にコーリンメディカルテクノロジー・パイオニア精密・野洲セミコンダクター等のM&Aを実施

リーマンショックで過去最大級の赤字

2008年3月期の売上高は7,630億円と過去最高水準に達したが、リーマンショックが局面を一変させた。2009年3月期の売上高は6,272億円(前期比▲17.8%)に落ち込み、オムロン株主に帰属する当期純損失は▲291億円と過去最大級の赤字を記録した。FA需要の急減が制御機器事業を直撃した結果である。

危機からの回復局面で、オムロンは事業別の分社化をさらに行った。2010年4月にスイッチ事業を分社しオムロンスイッチアンドデバイス株式会社、5月に車載電装部品事業を分社しオムロンオートモーティブエレクトロニクス株式会社、11月に社会システム事業の子会社オムロンソーシアルソリューションズ株式会社を設立する。事業ごとに別会社として独立させる体制は、後の事業切離しの前提条件となった。2011年に山田義仁氏が代表取締役社長に就任し、長期ビジョン策定を担う次の経営体制が発足する。 [35][36]

  • オムロン 有価証券報告書 第88期(2025年3月期)【沿革】
    • [35]2010年4月にオムロンスイッチアンドデバイス、5月にオムロンオートモーティブエレクトロニクス、11月にオムロンソーシアルソリューションズを設立
  • オムロン 有価証券報告書 第88期(2025年3月期)【役員の状況】
    • [36]2011年に山田義仁が代表取締役社長に就任
  • オムロン 有価証券報告書 第88期(2025年3月期)【沿革】
    • [35]2010年4月にオムロンスイッチアンドデバイス、5月にオムロンオートモーティブエレクトロニクス、11月にオムロンソーシアルソリューションズを設立
  • オムロン 有価証券報告書 第88期(2025年3月期)【役員の状況】
    • [36]2011年に山田義仁が代表取締役社長に就任

2011年〜 山田義仁社長の集中と切離し

  1. 2011年山田義仁氏が代表取締役社長に就任
  2. 2015年米Delta Tau Data Systemsを子会社化
  3. 2015年米Adept Technologyを子会社化
  4. 2017年産業用カメラメーカーのセンテックを子会社化
  5. 2017年米Microscan Systemsを子会社化
  6. 2018年世界初のウェアラブル血圧計を発売
  7. 2019年車載電装部品事業をニデックへ譲渡

オムロンの業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)

出所:有価証券報告書等

Delta TauとAdept ── FAロボットへの本格参入

2015年9月、オムロンは米Delta Tau Data Systemsを子会社化した。モーション制御機器メーカーの買収である。翌10月には米Adept Technology Inc.を子会社化し、産業用ロボット事業に本格参入する。Adeptは自律搬送ロボット(AMR)の技術を持っており、オムロンはこれをFA事業の中核要素として位置付けた。現OMRON ROBOTICS AND SAFETY TECHNOLOGIESの原型である。 [37][38]

  • オムロン 有価証券報告書 第88期(2025年3月期)【沿革】
    • [37]2015年9月、米Delta Tau Data Systemsを子会社化(モーション制御機器メーカー)
    • [38]2015年10月、米Adept Technology Inc.を子会社化(自律搬送ロボット技術、現OMRON ROBOTICS AND SAFETY TECHNOLOGIES)

2017年にも買収を続ける。7月に産業用カメラメーカーのセンテック株式会社を子会社化してマシンビジョン領域を補強し、10月には米Microscan Systems Inc.を子会社化して産業用コードリーダー領域を取り込んだ。これら一連のM&Aは、制御機器事業(コントローラー・センサー・サーボ)に「ロボット・画像・コードリーダー」を加えて、工場自動化の上位レイヤーを丸ごと提供する戦略の具現化である。2018年2月には近未来をデザインする研究会社「オムロンサイニックエックス株式会社」を設立し、AI・ロボティクス領域の先行研究体制を整えた。 [39][40][41]

  • オムロン 有価証券報告書 第88期(2025年3月期)【沿革】
    • [39]2017年7月、産業用カメラメーカーのセンテック株式会社を子会社化(マシンビジョン領域)
    • [40]2017年10月、米Microscan Systems Inc.を子会社化(産業用コードリーダー領域)
    • [41]2018年2月、近未来をデザインする研究会社オムロンサイニックエックス株式会社を設立
  • オムロン 有価証券報告書 第88期(2025年3月期)【沿革】
    • [37]2015年9月、米Delta Tau Data Systemsを子会社化(モーション制御機器メーカー)
    • [38]2015年10月、米Adept Technology Inc.を子会社化(自律搬送ロボット技術、現OMRON ROBOTICS AND SAFETY TECHNOLOGIES)
    • [39]2017年7月、産業用カメラメーカーのセンテック株式会社を子会社化(マシンビジョン領域)
    • [40]2017年10月、米Microscan Systems Inc.を子会社化(産業用コードリーダー領域)
    • [41]2018年2月、近未来をデザインする研究会社オムロンサイニックエックス株式会社を設立

車載事業とATM事業の切離し

一方でオムロンは、非中核事業の切離しを同時並行で行った。2018年8月、レーザー加工装置事業のオムロンレーザーフロント株式会社全株式をTOWA株式会社へ譲渡。2019年2月、産業用電子機器の開発・製造受託事業のオムロン直方株式会社の株式80%をアドバンテック社に譲渡。そして2019年10月、車載電装部品事業を手掛けるオムロンオートモーティブエレクトロニクス株式会社の全株式をニデック株式会社に譲渡した。2004年に伊BITRONを買収して以来15年かけて育てた車載事業の完全撤退である。 [42][43][44]

  • オムロン 有価証券報告書 第88期(2025年3月期)【沿革】
    • [42]2018年8月、オムロンレーザーフロント株式会社全株式をTOWA株式会社へ譲渡
    • [43]2019年2月、オムロン直方株式会社の株式80%をアドバンテック(研華)社に譲渡
    • [44]2019年10月、オムロンオートモーティブエレクトロニクスの全株式をニデックへ譲渡(車載事業の完全撤退)

2021年3月、持分法適用会社であった日立オムロンターミナルソリューションズ株式会社の全株式を日立製作所に譲渡し、2004年に日立と共同設立したATM事業からも完全撤退した。同年10月にはMEMS事業を分社しミツミ電機に譲渡する。山田義仁社長の経営下で進められたこれらの切離しは、売上規模よりも事業選択の明確さを優先する路線の表れだった。2020年に掲げた「選択と分散」という概念は、単なる事業切離しではなく、残した事業の中でサプライチェーンとリスクを分散させるという独自の考え方として位置付けられた。 [45][46]

  • オムロン 有価証券報告書 第88期(2025年3月期)【沿革】
    • [45]2021年3月、持分法適用会社だった日立オムロンターミナルソリューションズ全株式を日立製作所に譲渡(ATM事業から完全撤退)
    • [46]2021年10月、MEMS事業を分社しミツミ電機に譲渡
  • オムロン 有価証券報告書 第88期(2025年3月期)【沿革】
    • [42]2018年8月、オムロンレーザーフロント株式会社全株式をTOWA株式会社へ譲渡
    • [43]2019年2月、オムロン直方株式会社の株式80%をアドバンテック(研華)社に譲渡
    • [44]2019年10月、オムロンオートモーティブエレクトロニクスの全株式をニデックへ譲渡(車載事業の完全撤退)
    • [45]2021年3月、持分法適用会社だった日立オムロンターミナルソリューションズ全株式を日立製作所に譲渡(ATM事業から完全撤退)
    • [46]2021年10月、MEMS事業を分社しミツミ電機に譲渡

辻永順太社長への交代とJMDC子会社化

2022年、辻永順太氏が代表取締役社長CEOに就任した。同年2月、オムロンは医療統計データサービスの株式会社JMDCと資本・業務提携を実施し、データヘルス領域への本格参入を表明する。4月には東証市場区分見直しにより一部からプライム市場へ移行し、6月には定款を一部変更して「企業理念の実践」を明文化した。2023年10月、JMDCを連結子会社化し、データヘルスプラットフォームを自社傘下に取り込んだ。 [47][48][49][50]

  • オムロン 有価証券報告書 第88期(2025年3月期)【役員の状況】
    • [47]2022年、辻永順太が代表取締役社長CEOに就任
  • オムロン 有価証券報告書 第88期(2025年3月期)【沿革】
    • [48]2022年2月、医療統計データの株式会社JMDCと資本・業務提携を実施
    • [49]2022年4月に東証プライム市場へ移行、6月に定款を一部変更し「企業理念の実践」を記載
    • [50]2023年10月、JMDCを連結子会社化

辻永社長就任時点での業績は好調だった。2022年3月期(山田社長時代の総決算)の売上高は7,629億円・当期利益614億円。2023年3月期には売上高8,760億円・当期利益738億円と過去最高水準に達していた。しかしこのピークの直後、オムロンは別の局面に突入する。

  • オムロン 有価証券報告書 第88期(2025年3月期)【役員の状況】
    • [47]2022年、辻永順太が代表取締役社長CEOに就任
  • オムロン 有価証券報告書 第88期(2025年3月期)【沿革】
    • [48]2022年2月、医療統計データの株式会社JMDCと資本・業務提携を実施
    • [49]2022年4月に東証プライム市場へ移行、6月に定款を一部変更し「企業理念の実践」を記載
    • [50]2023年10月、JMDCを連結子会社化

オムロンの沿革1933〜2025年における主な出来事を抜粋

年月社長・CEO出来事重要度
立石一真が大阪で立石電機製作所を創業★★★
工場を新設移転
工場を移転★★
株式会社に改組★★
プロデューサ・システム(分権型生産子会社方式)を創案★★
商標「OMRON」を制定★★
世界初の無接点近接スイッチを開発★★★
中央研究所を竣工★★
京都・大阪証券取引所市場第二部に上場★★★
世界初の電子式自動感応式信号機を開発★★
大阪証券取引所市場第一部に指定替え上場
東京証券取引所・名古屋証券取引所市場第一部に上場
世界初の無人駅システムが阪急北千里駅で稼動★★★
オムロン太陽を設立★★
オムロンの血圧計1号機を開発★★
東京支社を東京本社に昇格し二本社制に移行★★
北米地域統轄会社を設立★★
社名を「オムロン」に変更★★
本社を移転
初の独資生産会社オムロン大連有限公司が稼動★★
事業部制を廃止しカンパニー制を導入★★
作田久男ヘルスケア事業を分社しオムロンヘルスケアを設立★★
作田久男伊BITRONを子会社化し車載電装部品事業を拡大★★
作田久男リーマンショックで純損失▲291億円を計上★★
山田義仁事業別分社化を推進★★
山田義仁山田義仁氏が代表取締役社長に就任★★
山田義仁米Delta Tau Data Systemsを子会社化★★
山田義仁米Adept Technologyを子会社化★★
山田義仁産業用カメラメーカーのセンテックを子会社化★★
山田義仁米Microscan Systemsを子会社化★★
山田義仁世界初のウェアラブル血圧計を発売★★
山田義仁車載電装部品事業をニデックへ譲渡★★
山田義仁日立オムロンターミナルソリューションズ株式を日立に譲渡★★
山田義仁MEMS事業を分社しミツミ電機に譲渡★★
辻永順太辻永順太氏が代表取締役社長CEOに就任★★
辻永順太医療統計データのJMDCと資本業務提携★★
辻永順太JMDCを子会社化★★
辻永順太大幅減益★★★
辻永順太減収・低水準利益が継続★★
出典・参考
  • オムロン 有価証券報告書 第88期(2025年3月期)【沿革】
  • 創る育てる:立石電機55年のあゆみ(立石電機, 1988)
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
  • わがベンチャー経営(立石一真著, ダイヤモンド・タイム社, 1974)
  • オムロン 有価証券報告書 第88期(2025年3月期)【役員の状況】

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