歴史概要 — 現在に至るあゆみ 主要な意思決定と帰結のまとめ
創業1937年5月、坂口機械製作所として大阪で設立された。資本金30万円で産業用の鍛造機械・搬送機械をつくる小規模な独立系工場だった。1939年に新設した御幣島工場は今の大阪本社の所在地にあたる。1941年5月に総合商社の兼松商店(現兼松)が経営に参加して兼松機工となり、商社資本のもとで組織化が進んだ。1947年8月には大福機工へ商号を改め、戦時下に各地へ広げた工場を整理して本社御幣島への生産集約を1950年代後半に進めた。
決断国内では1969年の東阪名3市場一部上場、1975年の滋賀事業所新設と、生産集約の方針を保ったまま規模を広げた。だが空港・EC物流・半導体クリーンルームの搬送は自前の現地法人設立では組めず、外から買って取り込んだ。2007年の米Webb(空港)、2011年の英Logan Teleflex(欧州空港)、2013年の米Wynright(EC物流)、2014年のBCS(オセアニア空港)と、7年で4件のM&Aを重ね、日立プラントから半導体搬送も譲り受けた。
API for AI Agents — 静的アセットのJSONで取得可能。API実行の認証不要
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歴史詳細 - 1つの時代区分で読み解く
1937年〜1973年 坂口機械製作所からの再出発と兼松資本下の搬送機械事業
1937年坂口機械製作所と1941年の兼松経営参加
1937年5月、坂口機械製作所として大阪で設立された。資本金30万円[1]の小規模出発で、産業用の鍛造機械・搬送機械の製造を主軸とした。1939年7月には御幣島工場(現大阪本社所在地)を新設し[2]、戦時下の機械需要に応じる主力工場を整えた。1941年5月には、当時の総合商社・兼松商店(現兼松)が経営に参加し[3]、商社系資本下での経営体制ができ上がった。1944年3月には商号を兼松機工と改め、東京営業所も設置して[4]関東への営業基盤を広げた。創業7年で、独立系の小規模機械工場から兼松資本下の組織的な機械メーカーへの転身が進んだ。
戦中の1945年3月、京都府福知山市に福知山工場を新設し[5]、空襲を避けた地方分散型の生産体制を組んだ。終戦直後の1947年8月には商号を大福機工へと改めた[6]。「大福」の名は経営参加した兼松商店との縁から、商売繁盛と長寿の縁起を込めた商号として選ばれたと記録されている。1953年10月には福知山工場を分離して福知山大福機工として独立させ[7]、1957年4月にこれを売却した[8]。戦時下に整備した地方工場を整理し、本社御幣島工場への生産集約を進める姿勢が、1950年代後半に固まった。生産機能の本社集約と地方工場の整理という現在まで続く運営方針の原型が、創業20年前後に形成された。
1961年10月、大阪証券取引所市場第二部に上場し[9]、創業24年で資本市場経由の成長基盤を整えた。翌1962年7月には東京証券取引所市場第二部にも上場し[10]、東阪両市場での公開企業となった。1963年1月には愛知県小牧市に小牧工場を新設し[11]、東海地域の機械需要に応じる生産能力を整えた。1968年10月には名古屋証券取引所市場第二部にも上場し[12]、東阪名の3市場での流通体制を整えた。1969年8月に東京・大阪・名古屋の各証券取引所市場第一部に同時指定され[13]、創業32年で大企業ステージへの格上げを果たした。
1975年滋賀事業所と1983年Daifuku U.S.A.設立
1975年4月、京都府八幡市にコンテック(電子機器子会社)を設立すると同時に、日野工場(現滋賀事業所)を新設した[14]。鉄道・自動車・電子機器・半導体の各産業向けに搬送機械の市場が広がるなか、滋賀事業所は東阪の中間地点にある主力生産拠点として整備された。1984年5月には商号を株式会社ダイフクへ変更し[15]、それまでの「大福機工」「兼松機工」から、グローバル展開を視野に入れた英語表記との一体化を図った商号統一を行った。1985年5月にはカナダにDaifuku Canada[16]、1986年1月にはシンガポールにDaifuku Mechatronicsを設立し[17]、北米・東南アジアへの初進出を相次いで行った。
1983年2月の米国Daifuku U.S.A.(現Daifuku Automotive America)設立は、北米市場初進出の起点で[18]、自動車工場向けAGV(無人搬送車)・コンベアシステムの北米需要に応じる拠点として設立された。1991年5月にはタイにDaifuku Thailandを設立[19]、1993年1月には台湾に台灣大富客(現台灣大福高科技設備)を設立し[20]、東アジア展開を加速させた。1994年6月にはマレーシアにDaifuku Malaysiaを設立、同年新たに滋賀事業所に展示館を開設するなど[21]、東南アジア展開と国内展示拠点の整備を並走させた。1995年4月には韓国Clean Factomationとインドネシア現地法人を同時に設立し[22]、東アジア網を4年で5拠点増やした。
1996年12月にはダイフクマジックテクノ(現ダイフクプラスモア)を設立し[23]、機械式駐車場・物流機器の周辺事業を子会社化した。1999年2月のダイフクビジネスサービス設立[24]、1999年3月の大阪工場生産設備の滋賀事業所への集約[25]、2000年3月のダイフクマジックテクノとユニックスの統合(ダイフクユニックス)[26]と、1990年代を通じて子会社の設立・統合・本体機能の集約が並走した。創業期から続いた独立系機械メーカーの構造から、滋賀事業所を中核とする生産集約型のグローバル企業への移行が、1990年代に進んだ。
以降は執筆中