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      "title": "保護継電器メーカーから制御機器メーカーへの業態転換と世界初の無接点近接スイッチ",
      "subtitle": "まだ日本になかったオートメーション市場に、立石一真氏はなぜ55歳で賭けたのか",
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          "label": "概要",
          "text": "1953年、立石電機の立石一真社長が、創業商品である電力用保護継電器の単品メーカーから、日本にまだ存在しなかったオートメーション（自動制御）用の機能部品市場へ賭け、1960年に世界初の無接点近接スイッチを開発して制御機器メーカーへ事業を再定義した経営判断。"
        },
        {
          "label": "背景",
          "text": "創業以来の保護継電器は終戦で需要が消え、1950年に社員が33人まで落ち込んだ。単品への依存から抜け出す次の市場を探していた1952年、立石社長は能率学の権威・上野陽一氏から米国の無人工場（オートメーション）の話を聞いた。"
        },
        {
          "label": "内容",
          "text": "1953年に機能部品（マイクロスイッチ・リレー・タイマ）の本格開発へ着手し、1958年には研究部へ5年の期限で無接点スイッチの開発を指令した。1960年春、金属が近づくだけで開閉する無接点近接スイッチを完成させ、米GE・ウェスチングハウスに1〜2年先行した。"
        },
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          "text": "既存市場での競争ではなく市場そのものを自らつくる先取り経営の原型となり、制御機器（FA）を事業の柱に据えた。プロデューサ・システムによる分権生産と合わせて売上を5年で約10倍に伸ばし、後発の松下電工の参入がこの市場の有望性を裏づけた。"
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            "note": "電力用保護継電器の専門メーカー。終戦後の谷を経て、京都でオートメーション用機能部品の開発に乗り出しつつあった中小企業"
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        "summary": "オートメーションという未知の技術潮流を先取りし、保護継電器の単品依存から制御機器メーカーへ事業を再定義した技術先行の転換"
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          "title": "オートメーション用機能部品の本格的な研究開発に着手"
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          "title": "プロデューサ・システムを創案し分権型の生産体制へ"
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          "title": "世界初の無接点近接スイッチを開発、中央研究所を竣工",
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          "title": "大阪・京都の証券取引所市場第二部に上場"
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              "sub_title": "保護継電器という単品への依存",
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                {
                  "text": "立石電機は1933年、立石一真氏が大阪で立石電機製作所として創業した。自ら開発したレントゲン写真撮影用タイマを最初の製品としたが、市場が小さく、早々に電力用保護継電器の専門工場へマーケットを切り替えた。わが国最初で唯一の継電器専門工場と称された会社は、1936年に大阪・野里へ工場を移し、1945年には社員約250人を擁するまでに伸びた。事業は創業商品である保護継電器の一本で立っていた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "レントゲン用タイマの市場が小さく電力用保護継電器の専門工場へ転換、1945年に社員約250人規模へ成長",
                      "原文": "しかし、レントゲンのマーケットは意外に小さかったので、早々に「電力用保護継電器の専門工場」と銘打って、電力業界にマーケットを転換した。（中略）大阪野里に新工場を建設、昭和20年には社員数250人を擁するまでに成長した",
                      "source": "創る育てる：立石電機55年のあゆみ（立石電機, 1988）",
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                {
                  "text": "だが単品への依存は谷も深かった。1945年5月に大阪工場が空襲で全焼し、京都・御室の疎開工場へ本拠を移す。終戦で継電器のような生産資材の需要は消え、1948年に立石電機株式会社へ改組しても再建は進まず、1950年には社員が33人まで落ち込んだ。電力用機器の需要回復を待って再建に入ったものの、創業商品の保護継電器だけでは大きな飛躍は望みにくく、立石氏は次の有望なマーケットを探していた。",
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                      "fact": "終戦で継電器の需要が消え、1950年に社員33人まで減少。保護継電器だけでは飛躍が望めず次の市場を模索していた",
                      "原文": "終戦までに日本産業は壊滅していたので、継電器のような生産資材の売れようはずがない。（中略）昭和二五年には社員の残党わずかに三三人になってしまった。",
                      "source": "わがベンチャー経営（立石一真著, ダイヤモンド・タイム社, 1974）",
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                    {
                      "fact": "扱う商品は創業商品の保護継電器のままで、それだけでは飛躍が望めないとして次の有望市場を模索していた",
                      "原文": "扱っている商品は相変わらず創業商品の保護継電器だった。それだけでは大きな飛躍は望めそうもない。私は次の有望マーケットを模索していた",
                      "source": "日経ビジネス 1990年5月21日号「立石一真が語る“飛躍の条件”」",
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            {
              "sub_title": "オートメーションという未知の言葉",
              "paragraphs": [
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                  "text": "転機は1952年に訪れた。能率学の権威・上野陽一氏を囲む京阪神の経営者の集まり「落穂会」で、立石氏は、米国に作業員のいない自動工場が現れ、原材料を入れると製品となって出てくるという話を聞いた。日本にオートメーションという言葉すら知られていない時期である。立石氏はこの技術に強く引かれ、長く頭の中で温めた末に、これを将来有望なマーケットになるとみなした。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1952年、上野陽一を囲む落穂会で米国のオートメーション工場（無人工場）の話を聞き、将来有望な新市場とみなした",
                      "原文": "このごろ米国にオートメーション工場というものが出来ている。無人の工場で、これに原材料を入れてやると立派な製品となって出て来るという進歩したもので、これからの商品はオートメーションを前提として設計せねばならぬということだった。私はこのオートメーションという技術に妙に心を引かれた。",
                      "source": "私の履歴書 経済人15「立石一真」（日本経済新聞社, 1981）",
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                  "text": "同じ1952年、立石氏は西式健康法の西勝造氏から、もう一つの耳新しい言葉を聞いた。米マサチューセッツ工科大学のウィーナー博士が提唱したサイバネティクス、すなわち動物と機械における制御と通信の理論である。自動制御にフィードバックを与えるとオートメーションになり、そこへ電子計算機を組み合わせるとサイバネーションになる。二つの情報が同じ年に飛び込んだことが、立石電機の進む道を左右した。",
                  "evidences": [
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                      "fact": "1952年に西勝造からサイバネティクスを聞く。自動制御にフィードバックでオートメーション、電子計算機を加えるとサイバネーションになる",
                      "原文": "二十七年という年は立石電機の未来を左右するこの二つの情報が飛び込んだのも何かの因縁であろう。（中略）順序としては自動制御技術にフィードバックの機能を与えるとオートメーションになり、それに電子計算機を組み合わせるとサイバネーションになる。",
                      "source": "私の履歴書 経済人15「立石一真」（日本経済新聞社, 1981）",
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          "label": "決断",
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              "paragraphs": [
                {
                  "text": "1953年、立石氏はオートメーションを新しいマーケットとして開発すると決めた。いずれ日本にオートメ工場ができれば必要になるのは制御用の継電器であり、マイクロスイッチやマグネットリレー、タイムリレーを本格的に開発すればよい。従来の保護継電器の技術と設備で踏み出せると読み、まだどこも手がけていない冒険と承知のうえで全社員に「ゴー」の号令をかけた。1955年、すでに55歳、社員110人・年商2億4000万円の会社を率いての船出であった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1953年にオートメーションを新市場として開発すると決め、機能部品の本格開発へ「ゴー」の号令をかけた",
                      "原文": "翌二十八年に、いよいよオートメーションを新しいマーケットとして開発することにしたのであった。（中略）まだどこもやっていないので冒険ではあるが、やりがいのある仕事であると考えて、全社員に「ゴー!」の号令をかけた。今にして思えば、これこそが「企業の決定的瞬間」だったのである。",
                      "source": "私の履歴書 経済人15「立石一真」（日本経済新聞社, 1981）",
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                    {
                      "fact": "1955年、55歳・社員110人・年商2億4000万円でオートメーション市場の開発に乗り出した",
                      "原文": "昭和30年に日本にはまだなかったオートメーション・マーケットの開発という、大変なベンチャーリングをすることにした。このとき、わたしはすでに55歳であった。当時の社員数110人、年商2億4000万円。",
                      "source": "創る育てる：立石電機55年のあゆみ（立石電機, 1988）",
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                {
                  "text": "この賭けを支えたのは、1948年の法人化時に定めた「経営基本五原則」であった。第一に新商品の研究開発を優先すること、続いて借金をせず自己資金でやりくりすること、部品はすべて外注に依存すること、大企業の系列に入らないこと、大企業と共存共栄すること。とりわけ研究開発を優先するという第一原則のもと、必要なスイッチもリレーもタイマも自前で開発する方針を貫き、立石電機はR&D先行の企業と呼ばれる素地をここに得た。",
                  "evidences": [
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                      "fact": "1948年の法人化時に定めた経営基本五原則の第一が「新商品の研究開発を優先する」で、R&D先行経営の源泉となった",
                      "原文": "それは、①経営にあたって新商品の研究開発を優先する（中略）このなかでも特に①の「新商品の研究開発を優先する」という技術企業指向の考え方は、今日までの高度成長の源泉になっている。",
                      "source": "わがベンチャー経営（立石一真著, ダイヤモンド・タイム社, 1974）",
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            {
              "sub_title": "世界初の無接点近接スイッチ",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "オートメ化が高度になるほど、スイッチの反応速度と寿命に桁違いの向上が求められた。接点を持つスイッチは開閉のたびに火花で摩耗し、当時のマイクロスイッチの寿命はせいぜい10万回程度で、その千倍が欲しいという要望に応えられない。立石氏は、いっそ接点をなくすほかないと考えた。1955年8月、ソニーのトランジスタラジオを買い求めた立石氏は、フィラメントの切れる心配がないトランジスタを使えば無接点スイッチができると気づいた。",
                  "evidences": [
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                      "fact": "接点の摩耗で寿命が限られるため接点をなくす発想に至り、1955年8月ソニーのトランジスタラジオからトランジスタ利用を着想した",
                      "原文": "三十年八月、ソニーがトランジスタ・ラジオに成功、大阪の阪急百貨店で説明販売をしたときに、これを買って帰りベッド用に楽しんでいたが、ある夜ふとトランジスタを使えば、かっこうの無接点スイッチができそうだとひらめくものがあった。",
                      "source": "私の履歴書 経済人15「立石一真」（日本経済新聞社, 1981）",
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                {
                  "text": "立石氏は1958年5月の創業25周年記念式で、研究部に5年の期限を切って無接点スイッチの開発を指令した。2年後の1960年春、金属が近づくだけで開閉する無接点近接スイッチが完成する。米国に先立つこと2年、国内他社にも先んじた画期であった。立石氏はこれを「夢のスイッチ」と名づけて国際見本市へ出品し、大きな反響を呼んだ。米ウェスチングハウス社もGEも、1〜2年遅れて同種の開発に到達したという。保護継電器の単品メーカーから制御機器メーカーへ事業を再定義する核が、ここに据わった。",
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                    {
                      "fact": "1960年春に無接点近接スイッチを完成、米国に先立つこと2年・国内他社にも先がけて生産を始めた",
                      "原文": "昭和35年2月には、米国に先立つこと2年、国内他社にも先がけて、無接点近接スイッチの生産を始めた。",
                      "source": "立石電機の30年（立石電機株式会社社史編纂委員会編, 1963）",
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                    {
                      "fact": "1958年5月の創業25周年記念式で5年期限の開発を指令、1960年春に成功。夢のスイッチと名づけ、GE・ウェスチングハウスに1〜2年先行した",
                      "原文": "私は昭和三十三年五月の二十五周年創業記念式にあたり、研究部に対して五年の期限で無接点スイッチを研究開発するよう指令を出した。（中略）私はこれを“夢のスイッチ”と名づけて（中略）米国でもこの種の開発を進めていたようだが、ウェスチングハウス社もGEも私どもより一、二年遅れで成功したようだ。",
                      "source": "私の履歴書 経済人15「立石一真」（日本経済新聞社, 1981）",
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          "label": "結果",
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              "sub_title": "市場の独占と急成長、R&D体制の確立",
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                {
                  "text": "立石電機は、開拓したオートメ用機能部品の市場を数年間ほぼ独占した。プロデューサ・システムによる分権型の少種多量生産と合わせて、1954年度に約1億3000万円だった売上は1959年に約13億円へ、5年で約10倍に伸びた。1960年10月には約2億8000万円を投じて京都府長岡町に中央研究所を竣工し、資本金の4倍を研究開発の拠点に振り向けた。世界初を連発する技術の土台がここに整った。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "プロデューサ・システム導入後の約5年間で売上は約10倍（1954年度1.3億円→1959年約13億円）に拡大した",
                      "原文": "このシステムがスタートする前年の昭和二九年度の売上高は一億三〇〇〇万円であったが、それが、三四年には約一三億円に伸びた。五年間に一〇倍も伸びたことになる。",
                      "source": "わがベンチャー経営（立石一真著, ダイヤモンド・タイム社, 1974）",
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                    {
                      "fact": "1960年10月、約2億8000万円を投じ京都府長岡町に中央研究所を竣工した",
                      "原文": "約一億円の研究所建設に計画を変更、京都府下長岡町（現長岡京市）に土地を取得して着工、三十五年十月完成した。（中略）結局二億八千万円もかかった。",
                      "source": "私の履歴書 経済人15「立石一真」（日本経済新聞社, 1981）",
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                {
                  "text": "数字の裏づけも整っていった。会社年鑑によれば、1961年3月期の単体売上は約8億円、純利益は約2億4000万円であり、1962年には大阪・京都の証券取引所市場第二部へ上場して資金調達の道を開いた。後発の動きも、この選択の正しさを映した。立石電機が手をつけて6年後の1959年、松下電工がマイクロスイッチの生産を始める。立石氏は、開発した市場が有望であることを天下の松下電工が裏書きしたものと受け止めた。",
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                      "fact": "1961年3月期の単体売上は約8.2億円・純利益約2.4億円、1962年に大阪・京都市場第二部へ上場した",
                      "原文": "1961年3月期の売上高8.2億円、純利益2.4億円（単体・会社年鑑）。1962年4月に大阪証券取引所第二市場および京都証券取引所へ上場。",
                      "source": "立石電機 会社年鑑（単体業績）",
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                    {
                      "fact": "立石電機の参入から6年後の1959年に松下電工がマイクロスイッチ生産を始めたことを、市場の有望性の裏づけと受け止めた",
                      "原文": "たしか三十四年に、後発メーカー第一号として松下電工がマイクロ・スイッチの生産を始めた。私どもが手をつけてから六年後のことである。（中略）これで私が二十八年からめざしたオートメーション市場が有望市場であることを天下の松下電工に裏書きしてもらったことになるからである。",
                      "source": "私の履歴書 経済人15「立石一真」（日本経済新聞社, 1981）",
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                {
                  "text": "この判断の核心は、既存の市場で競うのではなく、市場そのものが存在しない領域へ先に踏み込んだ点にある。立石社長が保護継電器の単品依存から抜けるために選んだのは、他社の後を追う多角化ではなく、日本にまだ言葉すらないオートメーションという需要を自ら定義することであった。制御に使う機能部品を片端から自前で開発し、無接点近接スイッチで世界の大手に先んじた選択は、技術で市場を先取りする経営の型を早い時期に定めたものとみることができる。"
                },
                {
                  "text": "もっとも、市場を切り開いた先行者が、そのまま果実を取り切れるとは限らない。無接点スイッチも、後発の大手が数年遅れで追随した。それでも、保護継電器という一本足から制御機器メーカーへ立ち位置を移したこの決断は、その後のオムロンがFA・社会システム・ヘルスケアへ事業を広げる母体となった。市場を追うのではなく市場を先につくるという問いを、創業者が55歳で事業の中心に据えた点は、今日から見ても示唆に富む。"
                }
              ]
            }
          ]
        }
      ],
      "references": [
        "私の履歴書 経済人15「立石一真」（日本経済新聞社, 1981）",
        "わがベンチャー経営（立石一真著, ダイヤモンド・タイム社, 1974）",
        "創る育てる：立石電機55年のあゆみ（立石電機, 1988）",
        "立石電機の30年（立石電機株式会社社史編纂委員会編, 1963）",
        "日経ビジネス 1990年5月21日号「立石一真が語る“飛躍の条件”」",
        "立石電機 会社年鑑（単体業績）"
      ],
      "authored": "2026-07",
      "last_updated": "2026-07-16"
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      "slug": "social-systems-1967",
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      "title": "制御技術を社会インフラへ広げる社会システム事業と世界初の無人駅システム",
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          "label": "概要",
          "text": "1967年3月、立石電機がオートメーション用機能部品で培った制御技術と電子計算機を組み合わせ、阪急電鉄北千里駅で世界初の大規模な無人駅システムを稼動させた経営判断。工場の自動化にとどまらず、駅務・交通・金融という社会インフラの自動化を新たな事業の柱に据えた。"
        },
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          "label": "背景",
          "text": "1963年、京都大丸から硬貨の真偽を見分けてつり銭も出す自動券売機を依頼された立石電機は、コインのパターン認識と電子計算機を組み合わせ、自動制御に計算機を加えたサイバネーションの技術を自前で手に入れた。この技術が駅務や交通の自動化へ道を開いた。"
        },
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          "label": "内容",
          "text": "1966年に近鉄との共同開発で自動改札機を形にし、翌1967年、これと自動券売機を結んで阪急北千里駅に世界初の無人駅システムを稼動させた。並行して車両検知器から自動感応式電子交通信号機を開発し、線・面の交通管制へ広げた。社憲「よりよい社会をつくりましょう」を事業の形にする道と位置づけた。"
        },
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          "text": "制御技術を製造ラインの内側に閉じ込めず、社会の仕組みそのものを自動化する対象に選んだ点に事業の性格がある。現金自動機やキャッシュレスへも連なり、社会システムはFAに続く柱となったが、世界初のオンライン式現金自動機は後発の富士通・日立に主導権を譲るなど、技術の先行が優位に直結しない構図も早くから現れた。"
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                  "text": "オートメーション用の機能部品で制御技術を確立した立石電機は、1960年代に入るとその技術を応用製品へ広げていった。転機となったのは、1963年に京都大丸から地階の飲食コーナーへ据える自動券売機を依頼されたことである。7種類の食券を100円・50円・10円の硬貨で買え、真偽を見分け、つり銭まで出す。当時としては高度な機械で、コインのパターン認識と、3桁の加算・減算ができる電子計算機の二つの技術開発を要した。",
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                      "fact": "1963年、京都大丸から硬貨の真偽判別とつり銭に対応する自動券売機を依頼され、パターン認識と電子計算機の技術開発を要した",
                      "原文": "昭和三十八年に京都大丸から地階の飲食コーナーに自動券売機を据え付けたいから作ってくれといってきた。（中略）これを成功させるには二つの技術開発を必要とした。コインの真偽を見分けるパターン認識と、少なくとも三ケタの加算と減算のできる電子計算機である。",
                      "source": "私の履歴書 経済人15「立石一真」（日本経済新聞社, 1981）",
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                  "text": "この開発で立石氏が得たものは、券売機そのものより大きかった。自動制御技術に電子計算機を組み合わせるサイバネーション、すなわち当時最新の技術を自前で開拓できた点にある。硬貨の真偽判別には、ニセ千円札が横行した1962年のチ37号事件で科学警察研究所の求めに応じ8日間で作ったニセ札発見機の技術を転用した。券売機の注文はその後途絶えたが、システム開発の下地はここに築かれた。",
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                      "原文": "それは私どもの自動制御技術に電子計算機を組み合わせて、サイバネーションという最新の技術を自主的に開拓できたからである。そしてそれがわが社のシステム開発の支えになって、次の発展を約束してくれた。",
                      "source": "私の履歴書 経済人15「立石一真」（日本経済新聞社, 1981）",
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                  "text": "やがて国鉄や私鉄から、より精巧な乗車券自動販売機の要望が寄せられた。それまでは硬貨を入れると入場券が出る簡単な機械しかなかったが、立石電機は食券自動販売機を乗車券販売機へ作り替え、駅務の無人化に使われるようになった。券売機はのちに印刷機や金銭登録機を内蔵して進化し、複数台を連動させる群管理システムも実用化されて、出札にかかる人手を大きく省いた。",
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                      "原文": "というのもそのうちに国鉄、私鉄あたりから乗車券自動販売機の要望が出てきたのだ。（中略）そこで私どもの開発した食券自動販売機を乗車券自動販売機に模様がえ、駅務の無人化用に使ってもらえるようになった。",
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                  "text": "制御技術を交通の領域へ広げる試みも並行して進んだ。ニセ札事件が縁で警察から車両検知器の開発を求められた立石氏は、無接点近接スイッチの理論を応用できるとみて、感応コイルを路面へ埋め込む方式を2カ月ほどで完成させる。1964年春には、この検知器で交通量を測り最適な信号を選ぶ自動感応式電子交通信号機の第一号機を、京都・河原町三条の交差点で成功させた。従来の定周期式にない仕組みで、世界初の電子式自動感応式信号機となった。",
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                      "原文": "これは無接点近接スイッチの理論を使えばできると、すぐ見当がついた（中略）第一号機の実験は三十九年春、京都府警の協力を得て、京都一の交通の難所、河原町三条のT字路交差点で行い成功した。（中略）この機械の名称は「自動感応系統式電子交通信号機」である。",
                      "source": "私の履歴書 経済人15「立石一真」（日本経済新聞社, 1981）",
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                      "原文": "1960年に世界初の無接点近接スイッチ、1964年に世界初の電子式自動感応式信号機を開発し、制御技術を交通インフラの領域へ広げる。",
                      "source": "オムロン 有価証券報告書 第88期（2025年3月期）【沿革】",
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                  "text": "券売機と改札の技術がそろうと、立石氏はこれらを一つの駅で束ねる構想へ進んだ。1966年、近鉄との共同開発で自動改札機が形になり、翌1967年3月、これと自動券売機を組み合わせた世界初の大規模な無人駅システムが阪急電鉄北千里駅で稼動した。乗車券の販売から改札までを機械が担うこの仕組みは、のちの日本の鉄道自動化の原型となる。制御技術を、工場ではなく人が行き交う駅そのものへ持ち込んだ点に新しさがあった。",
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                      "原文": "その後四十一年には、近鉄との共同開発で自動改札ができ、四十二年にはこれと自動券売機を組み合わせて阪急・北千里駅に世界で初めての大規模な無人駅システムが出現するのである。",
                      "source": "私の履歴書 経済人15「立石一真」（日本経済新聞社, 1981）",
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                      "原文": "1967年3月には阪急電鉄北千里駅で世界初の無人駅システムが稼動し、自動改札機と券売機を組み合わせたこの仕組みは日本の鉄道自動化の原型となった。",
                      "source": "オムロン 有価証券報告書 第88期（2025年3月期）【沿革】",
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                {
                  "text": "無人駅で見せた発想は、券売機や自動販売システムにも通じていた。すでに1965年7月にはクレジットカードによる自動販売システムを開発し、その技術を世界最大の自動販売機メーカーである米キャンティーン社へ輸出している。制御技術に電子計算機を結んだ立石電機の機械は、切符や商品の売買を人手なしで完結させる方向へ、応用の幅を確かに広げていった。",
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                      "fact": "1965年7月、クレジットカードによる自動販売システムを開発し、その技術を世界最大の販売機メーカー・米キャンティーン社へ輸出した",
                      "原文": "四〇年七月クレジット・カードによる自動販売システムを開発し、世界最大の販売機メーカーキャンティーン社にその技術を輸出。",
                      "source": "企業の歴史 : 明治百年（経済春秋社編, 1968）",
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                {
                  "text": "交差点単位の信号制御は、やがて都市の面へと広がった。1965年に大阪・なにわ筋で十数カ所の交差点を系統化した「線の制御」、1966年には東京・銀座で三十数カ所をマトリックスで結ぶ「面の制御」に成功する。車両検知器で交通量を測り、電子計算機が最適なパターンを選んでゴー・ストップを出す仕組みは、やがて国家的な交通管制システムへ発展していった。",
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                      "fact": "1965年に大阪・なにわ筋で線の制御、1966年に東京・銀座で面の制御に成功し、交通管制システムへ発展した",
                      "原文": "次いで四十年に大阪・なにわ筋で十数カ所の交差点を系統化した“線の制御”、さらに四十一年には東京・銀座で三十数カ所の交差点をマトリックスにした“面の制御”にも成功した。これが数年ならずして日本のナショナル・プロジェクト、交通管制システムへと展開されていくのである。",
                      "source": "私の履歴書 経済人15「立石一真」（日本経済新聞社, 1981）",
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                },
                {
                  "text": "これら一連の展開を、立石氏は1959年に発布した社憲「よりよい社会をつくりましょう」を事業の形にする道と重ねた。工場の生産性向上に貢献するオートメーションと並べて、社会そのものの仕組みを自動化し、人手のかかる駅務や交通を機械が担う方向へ制御技術の応用先を定めていく。制御機器（FA）と社会システムという、現在まで続く二つの事業の柱が、この時期に形を取った。",
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                      "fact": "社憲「よりよい社会をつくりましょう」を1959年に発布し、社会システムをその具現化と位置づけた。制御技術の応用でFAと社会システムの二本柱が形を取った",
                      "原文": "たまたま昭和31年に企業の公器性を達観、34年にこれを分り易くまとめ、不朽の社憲「われわれの働きで われわれの生活を向上しよりよい社会をつくりましょう」を発布して（後略）",
                      "source": "創る育てる：立石電機55年のあゆみ（立石電機, 1988）",
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          "section": "outcome",
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              "sub_title": "現金自動機への展開と社会システムの柱化",
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                {
                  "text": "券売機で得たサイバネーションの技術は、金融へも広がった。1965年に米キャンティーン社向けで開発したクレジットカード式自動販売システムの自主技術を土台に、1969年10月には住友銀行向けのオフライン式自動現金支払機、1971年8月には三菱銀行向けで中央の電子計算機につないだオンライン式自動現金支払機を実現する。オンライン式は世界初であった。工場の自動化から社会インフラの自動化へ、事業の裾野は確かに広がった。会社年鑑によれば、1967年3月期の単体売上は約98億円、翌1968年3月期には約132億円へ伸びている。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1969年10月に住友銀行向けオフライン式、1971年8月に三菱銀行向けで世界初のオンライン式自動現金支払機を実現した",
                      "原文": "その後、ローン・マシンは進歩して四十四年十月、住友銀行の依頼でオフ・ラインの自動現金支払い機となり、さらに中央の電子計算機につないで（中略）オンラインの自動現金支払い機へと発展、四十六年八月、三菱銀行でスタートした。これも世界初の記憶すべき出来事である。",
                      "source": "私の履歴書 経済人15「立石一真」（日本経済新聞社, 1981）",
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                    {
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                      "原文": "1967年3月期の売上高97.6億円、1968年3月期の売上高131.5億円（単体・会社年鑑）。",
                      "source": "立石電機 会社年鑑（単体業績）",
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                },
                {
                  "text": "もっとも、市場を最初に切り開いても、その主導権を保つのは別の話であった。2003年、社長の作田久男氏は、オムロンの主要事業に共通する図式として、市場を切り開くのはオムロンが早くても後発の大手電機メーカーにシェアを奪われる流れを挙げている。世界で初めて製品化したオンライン式ATMも、金融機関のシステムを丸ごと請け負える富士通や日立製作所が強みを発揮し、オムロンは4位メーカーにとどまったという。それでも、駅務・決済・交通を担う社会システムは、制御機器と並ぶ事業の柱として定着した。",
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                      "fact": "世界で初めて製品化したオンライン式ATMは富士通・日立が強みを発揮し、オムロンは4位メーカーにすぎないと作田社長が語った",
                      "原文": "同社が世界で初めて製品化したオンライン式ATMは、金融機関のシステムを丸ごと請け負える富士通や日立製作所などが強みを発揮、オムロンは今や4位メーカーにすぎない",
                      "source": "週刊東洋経済 2003年11月29日号「インタビュー 作田久男」",
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                },
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                  "text": "一方で、市場を最初に切り開いても、後発の大手にシェアを譲る展開は繰り返された。世界で初めて実用化したオンライン式現金自動機は、金融機関のシステムを一括して請け負える富士通や日立製作所が地歩を占め、オムロンは主導権を保てなかった。それでも、駅務・決済・交通を束ねる社会システムは、FAに続く柱として今日まで残っている。技術の先行が事業の優位へそのまま結びつくとは限らないという問いは、この分野でも早くから立石電機に突きつけられていたとみられる。"
                }
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            }
          ]
        }
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      "references": [
        "私の履歴書 経済人15「立石一真」（日本経済新聞社, 1981）",
        "企業の歴史 : 明治百年（経済春秋社編, 1968）",
        "創る育てる：立石電機55年のあゆみ（立石電機, 1988）",
        "週刊東洋経済 2003年11月29日号「インタビュー 作田久男」",
        "オムロン 有価証券報告書 第88期（2025年3月期）【沿革】",
        "立石電機 会社年鑑（単体業績）"
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      "authored": "2026-07",
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          "text": "2024年2月26日、オムロンが構造改革プログラム「NEXT 2025」を発表し、国内外で計約2000人の人員削減に踏み切った経営判断。主力の制御機器事業が中国市場の低迷で急失速したことを受け、辻永順太社長が固定費の圧縮と事業構造の立て直しを主導した。"
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          "text": "工場の生産ラインで使うセンサーやロボットを扱う制御機器は、2022年度に連結売上高の約55％・営業利益の約85％を占める柱であった。だが2023年度は中国の景気低迷で半導体・EV関連の大口顧客からの受注が急減し、会社計画を期中に相次いで下方修正する事態に陥った。"
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          "text": "大規模な人員削減は国内で約1500人を整理した2002年以来で、創業以来2度目の希望退職募集であった。辻永社長は就任前の約2年、制御機器事業のトップとして従来路線を主導した当事者でもあり、自らが率いてきた事業の構造にメスを入れる判断となった。"
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                  "text": "オムロンといえば体温計や血圧計が知られるが、ヘルスケア関連の売上高は全体の2割弱にすぎない。稼ぎ頭は、工場の生産ラインで使うセンサーやロボットを扱う制御機器事業である。この事業は2022年度に連結売上高の約55％、営業利益の約85％を占めていた。ところが2023年度は年度の初めに掲げた計画から大きく崩れ、期中に業績見通しを相次いで下方修正する展開となった。",
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                      "原文": "工場の生産ラインで使うロボットやセンサー類が主力製品で、２２年度は連結売上高の約５５％、営業利益の約８５％を占めた。／体温計や血圧計で有名なオムロンだが、ヘルスケア関連の売上高は全体の２割弱にすぎない。",
                      "source": "週刊東洋経済 2024年3月16日号「ニュース最前線 ０２ オムロンが２０００人削減 制御機器不振で立て直しへ」",
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                {
                  "text": "数字の落差は大きかった。2023年度当初は売上高8900億円、営業利益1020億円、純利益745億円を計画していたが、最新の会社計画では売上高8100億円、営業利益240億円、純利益15億円まで下げた。営業利益は前年度比で76％減、純利益は同98％減にあたる。制御機器事業に限れば、当初880億円と見込んだ営業利益が約8割減の140億円にとどまる見通しとなり、全社の落ち込みの震源が制御機器にあることを浮き彫りにした。",
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                      "原文": "オムロンは２３年度の当初、売上高８９００億円、営業利益１０２０億円、純利益７４５億円を計画していた。ところが年度途中で相次いで業績見通しを下方修正。最新の会社計画では売上高８１００億円、営業利益２４０億円、純利益１５億円とした。／２３年度当初は、同事業の営業利益を前年度比２．５％の増益となる８８０億円と計画。だが、約８割減益の１４０億円にとどまる見込みだ。",
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              "sub_title": "中国依存という構造",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "急激な悪化の根には、制御機器事業が抱える顧客の偏りがあった。同社は半導体関連やEV向け2次電池の設備投資に関わる受注で、一部の大口顧客に依存する割合が高い。業界の最先端を走る大手にソリューションを深く売り込む戦略は、取引先が好調なときには流れに乗って数字を伸ばせる一方、需要が反転すれば直撃を受ける両刃の剣でもあった。2023年度までの直近10年の制御機器の売上成長を地域別に見ると、中国が約半分を占めていた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "制御機器は半導体・EV向け2次電池の大口顧客への依存度が高く、直近10年の売上成長は地域別で中国が約50％を占めていた",
                      "原文": "半導体関連やＥＶ（電気自動車）向け２次電池の設備投資に関わる受注で、一部の大口顧客に依存する割合が高いのだ。／２３年度までの直近１０年の売り上げ成長を地域別に見ると中国が約５０％を占めていたが、欧米での展開を強化する。",
                      "source": "週刊東洋経済 2024年3月16日号「ニュース最前線 ０２ オムロンが２０００人削減 制御機器不振で立て直しへ」",
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                },
                {
                  "text": "2023年度は中国の景気が低迷し、それに引きずられて大口顧客による設備投資の延期や縮小が相次いだ。年度後半には需要が回復するという見立ても外れた。ファクトリーオートメーションの環境悪化は同業も同じで、センサー大手のキーエンスや空圧制御機器で世界首位のSMCも減益となったが、そのなかでもオムロンの下振れは際立った。競合が「顧客層が幅広く、特定の地域や業種への依存が小さい」とされたのに対し、オムロンは中国と大口顧客への集中が裏目に出た形であった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "中国の景気低迷で大口顧客の設備投資延期・縮小が相次ぎ、年度後半の需要回復の見立ても外れた。キーエンスやSMCも減益だが、オムロンの下振れが目立った",
                      "原文": "２３年度は中国の景気が低迷。それに引きずられ、大口顧客による設備投資の延期や縮小が相次いだ。年度後半から需要が回復するだろうという見立ても外れた。／その中でもオムロンの下振れは目立つ。あるＦＡ関連企業の幹部は「キーエンスやＳＭＣは顧客層が幅広く、特定の地域や業種への依存が小さい」と指摘する。",
                      "source": "週刊東洋経済 2024年3月16日号「ニュース最前線 ０２ オムロンが２０００人削減 制御機器不振で立て直しへ」",
                      "url": null
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        },
        {
          "section": "origin",
          "label": "決断",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "構造改革「NEXT 2025」と約2000人の削減",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "2024年2月26日、オムロンは構造改革プログラム「NEXT 2025」を発表し、国内外で計約2000人の人員削減に踏み切った。グループ全体の従業員約2万8000人のおよそ7％にあたる規模である。国内では勤続3年以上かつ40歳以上の正社員・シニア社員を対象に約1000人の希望退職を募集し、退職日は同年7月20日に置いた。人員削減にともなう関連費用は特別損失として計上する方針を示した。機関投資家向けの説明会で辻永順太社長は、変化の激しい事業環境への耐性がある構造を築くと語った。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "2024年2月26日、国内外で計約2000人（グループ従業員の約7％）の削減を発表。国内は勤続3年以上・40歳以上の正社員等から約1000人の希望退職を募り、退職日は7月20日、関連費用は特別損失として計上する",
                      "原文": "制御機器大手のオムロンは２月２６日、国内外で計約２０００人の人員削減に踏み切ると発表した。グループ全体の従業員約２万８０００人のおよそ７％に当たる数だ。国内では４０歳以上の正社員やシニア社員を対象に約１０００人の希望退職を募集。関連費用は２０２４年度に特別損失として計上する。／国内での希望退職者は勤続年数３年以上かつ年齢４０歳以上の正社員およびシニア社員から１０００人程度を募る。退職日は７月２０日の予定だ",
                      "source": "週刊東洋経済 2024年3月16日号「ニュース最前線 ０２ オムロンが２０００人削減 制御機器不振で立て直しへ」",
                      "url": null
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                },
                {
                  "text": "削減の狙いは固定費の圧縮に置かれた。オムロンは2025年度に2023年度比で約300億円の固定費削減を見込み、そのうち6〜7割を人件費が占めるとした。人員だけでなく事業の中身にも手を入れ、約20万点に及ぶ製品群のうち不採算品からは撤退して開発原資を確保する方針を掲げた。制御機器事業については中国偏重を見直し、欧米での展開を強化するとともに、これまで手薄だった医療や食品の分野へ売り上げの裾野を広げる考えを示した。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "2025年度に2023年度比で約300億円の固定費削減を見込み、うち6〜7割が人件費。約20万点の製品群から不採算品を撤退させ、中国偏重を見直して欧米・医療・食品分野を強化する",
                      "原文": "２５年度には２３年度比で約３００億円の固定費削減を見込む。うち６〜７割が人件費となる。／制御機器事業については中国偏重を見直す。（中略）欧米での展開を強化する。これまで手薄だった医療や食品などの分野でも売り上げ拡大を急ぐ。／さらに約２０万点に及ぶ製品群中、不採算品からは撤退し開発原資を確保。",
                      "source": "週刊東洋経済 2024年3月16日号「ニュース最前線 ０２ オムロンが２０００人削減 制御機器不振で立て直しへ」",
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            },
            {
              "sub_title": "2002年以来の希望退職という重み",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "オムロンが大規模な人員削減に踏み切るのは、国内で約1500人を整理した2002年以来のことであった。中国向けを中心にファクトリーオートメーション機器が苦戦するなかでの決断で、日本経済新聞も「創業2度目の希望退職募集」と伝えた。黒字を確保しながらのリストラである点も特徴で、2024年3月期は売上高約8190億円、営業利益約340億円と、赤字転落は免れていた。それでも将来にわたって変動に耐えうる構造へ組み替えるために、固定費に切り込む道が選ばれた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "大規模削減は国内で約1500人を整理した2002年以来で、中国向けFA不振を背景とする創業2度目の希望退職募集だった",
                      "原文": "オムロンが国内外で約2000人を削減すると発表した。中国向けを中心にファクトリーオートメーション（FA）機器事業が苦戦しており、固定費の削減を急ぐ。創業以来2度目となる希望退職を募集する。",
                      "source": "日本経済新聞（2024年2月26日）「オムロン、国内外で2000人削減 中国向けFA不振」",
                      "url": "https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUF265W30W4A220C2000000/"
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "決断を下した辻永社長は、就任前の約2年間、制御機器事業のトップを務めた当事者でもあった。従来の路線を主導してきた人物が、自らの率いた事業の構造を見直す立場に立った点に、この判断の内側の緊張があった。後の東洋経済のインタビューで辻永社長は、早期退職とはいえ「今まで一緒に頑張ってきた仲間たち」であり「苦渋の決断であるのは間違いない」と振り返っている。人員整理の背後には、顧客本位の行動が薄れセクショナリズムが広がったという「本質的な課題」への危機感があったという。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "辻永社長は就任前の約2年制御機器事業のトップを務めた当事者で、2000人規模の人員整理を「苦渋の決断」と語り、顧客起点の薄れやセクショナリズムという「本質的な課題」を構造改革の背景に挙げた",
                      "原文": "早期退職なので無理に辞めさせたわけではない。（中略）今まで一緒に頑張ってきた仲間たちなので、苦渋の決断であるのは間違いない。／顧客起点のマネジメント、行動が薄れていた。（中略）セクショナリズムも蔓延し、ＤＮＡであるベンチャー精神を引き出せなくなった。ここを根本的に立て直すのが構造改革の肝だ。",
                      "source": "週刊東洋経済 2025年1月18日号「トップに直撃 オムロン 社長 辻永順太『大不振から復活への道筋 ベンチャー精神に立ち返る』」",
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            }
          ]
        },
        {
          "section": "outcome",
          "label": "結果",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "募集を上回る応募と回復への道筋",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "国内の希望退職には、募集を上回る1206人が応募した。オムロンは4月から5月末にかけて募集を行い、当初想定の約1000人を超える応募を集めた形である。人員削減にともなう費用は2025年3月期に特別損失として計上した。数の面では、固定費削減の前提となる人員の再配置がおおむね計画どおりに進んだといえる。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "国内の希望退職には募集人数を上回る1206人が応募した",
                      "原文": "オムロンが4月から5月末にかけて募集した希望退職に1206人が応募し、当初の募集人数を上回った。",
                      "source": "日本経済新聞（2024年6月4日）「オムロン、国内希望退職に1206人が応募 募集上回る」",
                      "url": "https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUF047NK0U4A600C2000000/"
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "固定費削減の効果は業績にも表れ始めた。オムロンは2024年11月、想定を上回る固定費削減を理由に2025年3月期の通期営業利益計画を490億円から520億円へ上方修正した。辻永社長は構造改革を「順調に進んでいる」とし、2025年度に営業利益700億円、2026年度に同900億円という中期の目標を掲げた。実際に営業利益は2024年3月期の350億円を底に、2025年3月期は290億円、2026年3月期は526億円へと戻し、回復の傾向を示している。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "2024年11月に通期営業利益計画を490億円から520億円へ上方修正し、2025年度700億円・2026年度900億円の営業利益目標を掲げた",
                      "原文": "今期は想定を上回る固定費削減により、２４年１１月に通期営業利益計画を５２０億円（従来計画４９０億円）に上方修正しました。／２５年度に営業利益７００億円、２６年度に同９００億円の中期的な目標は必ず達成する。",
                      "source": "週刊東洋経済 2025年1月18日号「トップに直撃 オムロン 社長 辻永順太『大不振から復活への道筋 ベンチャー精神に立ち返る』」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "営業利益は2024年3月期350億円、2025年3月期290億円、2026年3月期526億円と推移し、回復の傾向を示した",
                      "原文": "2024年3月期の連結営業利益は350億円、2025年3月期は290億円、2026年3月期は526億円（いずれも連結・米国会計基準）。",
                      "source": "オムロン 有価証券報告書（2024年3月期・2025年3月期・2026年3月期・連結）",
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            },
            {
              "sub_title": "独り負けからの立て直しをめぐって",
              "editorial": true,
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "この判断が映すのは、好調期に大口顧客と中国へ深く食い込んだことが、需要の反転とともにそのまま重荷へ転じたという構造である。業界の最先端を走る大手に複雑なソリューションを売り込む戦略は、取引先が伸びるうちは高い成長をもたらすが、景気の変動をまともに受ける弱さと表裏一体であった。同業のキーエンスやSMCも減益に沈むなかで、オムロンだけが際立って下振れした事実は、稼ぎ方の裏側にあった集中の代償を映しているとみることができる。黒字を保ちながらあえて2002年以来の希望退職に踏み切った点に、環境が変わる前提で構造を先回りして組み替えようとする判断がうかがえる。"
                },
                {
                  "text": "もっとも、固定費を約300億円削っても、それだけで失われた競争力が戻るわけではない。辻永社長自身が従来路線を率いた当事者であり、掲げる中期目標の達成は、中国偏重の見直しと欧米・非製造業分野への展開がどこまで実を結ぶかにかかっている。人員整理は構造改革の一部にすぎず、顧客本位の文化やベンチャー精神をどう取り戻すかという、数字に表れにくい課題が残されている。営業利益はいったん底を打ったものの、キーエンスとの差は開いたままで、名門の立て直しがどこまで進むかは、なお見極めがつかない。"
                }
              ]
            }
          ]
        }
      ],
      "references": [
        "週刊東洋経済 2024年3月16日号「ニュース最前線 ０２ オムロンが２０００人削減 制御機器不振で立て直しへ」",
        "週刊東洋経済 2025年1月18日号「トップに直撃 オムロン 社長 辻永順太『大不振から復活への道筋 ベンチャー精神に立ち返る』」",
        "日本経済新聞（2024年2月26日）「オムロン、国内外で2000人削減 中国向けFA不振」",
        "日本経済新聞（2024年6月4日）「オムロン、国内希望退職に1206人が応募 募集上回る」",
        "オムロン「構造改革プログラム『NEXT 2025』に関するお知らせ」（2024年2月26日）",
        "オムロン 有価証券報告書（2024年3月期・連結）"
      ],
      "authored": "2026-07",
      "last_updated": "2026-07-16"
    }
  ]
}
