東京タングステン株式会社に勤務して「ステンレス・ブロンズの焼結理論」を研究していた大村進氏が独立を決めて、焼結金属工業株式会社(現在のSMC)を設立。空気圧機器向けに綺麗な空気を送り込むためのフィルター(焼結濾過体)の製造を開始した。
大阪営業所の新設を手始めに営業網を強化。1963年4月には名古屋営業所(管轄中部・東海・北陸地区)、1977年には広島営業所(管轄は中国・四国地方)を新設し、全国をカバー。1988年時点で、全国5営業所・38出張所・97の代理店を組織することで販売網を形成し、代理店経由の販売の場合も「営業所のパートナー」という位置付けで直接販売と変わらない体制をとった。このため、代理店の在庫保有は禁止している。
空気圧機器の製造に参入し、祖業のフィルターから最終製品へと進出。空気圧機器は「コンプレッサーによる空気の圧縮」「ドライヤーによる圧縮空気の乾燥」「圧縮空気の送り込み(空気圧補助機器)から構成されており、SMCは空気圧の補助機器「エアフィルター(ホコリ除去)・レギュレーター(減圧)・ルブリケータ(方向制御機器への空気の送り込み)」に参入
空気圧制御機器の基本システムは、まずコンプレッサーで圧縮空気をつくり、これを圧縮空気浄化機器へ送り込んで除湿、次いで空気圧補助機器に送って必要な圧力に調整すると同時にゴミを取り除き、次は方向制御機器で空気の流れる方向に適時切り替え、それがシリンダーに送り込まれて仕事をする、という仕組みになっている。このうちコンプレッサーを除く4つ、特に空気圧補助機器、方向制御機器、シリンダーの3つが当社の主力製品だ
業種別に多品種な空気圧制御機器の生産を効率化するために新工場を新設。5,000種類の基本形をベースに、中間在庫として工場に保管することで、在庫リスクを背負いつつ納期という付加価値を高めることを狙った。なお、競合は設備投資に出遅れたため、SMCが高シェアを確保する上で鍵を握る設備投資となった。
私は、なにか事をなす時には、前もって準備しておかなければ、それはできかねると思っているんですがね、会社の仕組みも同じで、いくら売れるだろうと予想が立てば、その製品をつくる能力を備えておくために、前もって投資をする、ということです。実際にそのようにしてきましたが、そのへんは成功してきたと思います。私どもでは競合相手に比べて設備投資が先行していた。その面では非常に有利だったですね。その予測も、科学的に行こうという方向を取ったのが良かったんだと思います。うちには、そういうことを管理している部署がありましてね。4、5人いるんですが、みな数学専攻のもので、数理統計学などを使って、予測を確かなものにしていくわけです。非常に的確に予測しましてね。ですから、その予測をもとに確信を持つ準備ができました。
旧社名である焼結金属工業の英語表記「SINTERED METAL COMPANY」の略称として、SMCを商号に採用
シェアの順位は「1位SMC(42%)・2位某社(21%)」であり、SMCが優位
1989年の社長就任から1999年(退任時93歳)に至るまで代表取締役(社長・会長)を歴任。約30年超にわたりトップダウンでSMCの経営に従事
円高ドル安の進行を受けて、SMCは海外生産比率の向上を急いだ。10%の目標を設定し、米国・中国における現地法人を通じた工場増設を決定
北京で6万坪の用地を確保。合弁会社SMC北京製造を通じて、中国における空気圧制御機器の製造を本格化
中国の北京工場への設備投資を行うためにSMC北京製造を完全子会社化
リーマンショックを経て設備投資を本格化。2013年度にSMCは国内および海外での設備投資に225億円を投資。うち海外は151億円で、中国・米国・ブラジル・東南アジアにおける工場増設ないし新設であり、グローバル展開を加速