ファナックの歴史

日本屈指の高収益企業。NCを軸に事業展開
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創業経緯
10年の赤字を経て黒字化。汎用品特化と修理体制の充実で高収益へ
1956
新規事業
富士通がNC装置に新規参入。稲葉清右衛門氏が社員として開発に従事
ファナックの創業経緯は複雑である。事業の開始という面では、富士通の社内新規事業として「NC(Numeric Control)」へ1956年に... 続きを読む
1965
爆速成長
参入10年目に初の黒字転換
1972
会社設立
富士通ファナック株式会社を設立。稲葉氏が実質的な経営トップに就く
1972年に富士通はNC事業を分離して「富士通ファナック株式会社」を設立した。2000年から富士通がファナックの株式売却を開始するまでは、ファナックの大株主(2000年時点の保有比率は約40%)であり続けた。
1973
新規事業
米ゲティス社とライセンス契約を締結。DCサーボモータに参入
1974
新規事業
ロボットを自社開発して参入
1974年にファナックはロボットの自社開発を行い、最終製品の領域に参入した。従来のファナック は「NC」という数値制御部分だけを手掛けていたが、ロボットという最終製品にも参入した。 工作機械は顧客と競合することから参入せず、ロボットという市場が未開拓な領域を選択することで、顧客との競合を避けたものと推察される。
稲葉清右衛門(1974)
稲葉清右衛門(1974)
1974/11計測と制御「産業用ロボットの現状と将来・稲葉清右衛門」
1975
シーメンス社と営業・技術に関する相互援助契約を締結
1976
会社設立
ドイツに現地法人を設立
1976
株式上場
東京証券取引所第2部に株式上場
1977
会社設立
米国
米国に現地法人を設立
1980
本社および工場を山梨県忍野村に移転
1982
商号をファナック株式会社に変更
1983
株式上場
東京証券取引所第1部に株式上場
1985
業績好調
NCシェアで70%を確保。売上高経常利益率(36.6%)で日本トップを達成
1980年代を通じて、日本国内の製造現場に自動化された工作機械が普及し、NCの需要も増大した。ファナックは、NCにおける数値制御というソフト... 続きを読む
資本政策
少数株主である稲葉氏が世襲人事を実施。ガバナンスの閉鎖性が課題に
1989
茨城県に筑波工場を新設
1991
鹿児島県に隼人工場を新設
1994
会社設立
中国
中国に合弁会社を設立。北京ファナック有限公司を設立
1995
稲葉清右衛門氏が代表取締役会長に就任
2000
サービス拡充
富士通がファナック株式の売却を開始(約40%→約10%)
2003
稲葉善治氏が代表取締役社長に就任
2006
名誉会長を含めた意思決定機関「経営会議」を発足。小山成昭会長が辞任
2009
業績低迷
リーマンショックの影響で大幅減益。高収益はキープ
積極投資
中国EMS(iPhone工場)向けロボドリルが業績を牽引
2011
中国
中国EMS向けロボドリルの増産を決定。年間457億円の設備投資
2010年頃からiPhoneの生産台数が増加し、中国の鴻海に対してロボドリル(iPhone向けアルミ筐体の加工機)の需要が増大することが予想... 続きを読む
2013
ロボドリルが失速
2013
キーパーソン退職
稲葉清右衛門氏が取締役を退任。取締役12名が降格
2015
業績好調
ロボドリルが好調。大幅増収へ
2016
栃木県に壬生工場を新設
2018
筑波地区にロボット工場を新設
2019
業績低迷
スマホ向けロボドリルの特需が終了。6割減益へ
2019年にそれまで好調だったiPhone向けのロボドリルの需要が減少。2019年3月期決算で、ファナックは6割減益を発表した。
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2019
山口賢治氏が代表取締役社長に就任
2020
稲葉清右衛門氏が95歳で逝去
2020年に稲葉清右衛門氏が95歳で逝去した。
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CEOの業績貢献
Report

1956 富士通がNC装置に新規参入。稲葉清右衛門氏が社員として開発に従事

新規事業

ファナックの創業経緯は複雑である。事業の開始という面では、富士通の社内新規事業として「NC(Numeric Control)」へ1956年に参入したのが始まりである。会社設立という面では、1972年に富士通からNC事業を分離する形で「富士通ファナック」を設立したのが設立年にあたる。ここでは、1956年の富士通によるNCへの新規参入を創業年として扱う。

1956年に尾見半左右(富士通・役員)はコンピュータによるNC制御(x-y-z軸による空間のモーションコントロール)が重要になると考えて、部下であった稲葉氏にNCの研究を命じた。以後、稲葉清右衛門氏が富士通のNC事業の立役者となり、富士通から分離されたファナックの創業者となった。

1959年に稲葉清右衛門は工作機械の駆動機構に用いる「電気圧パルスモーター」を発明し、特許を取得することでNCにおける日本のパイオニアとなった。顧客は牧野フライスといった、日本国内の工作機械メーカーであった。以後、現在に至るまで、ファナックの主要顧客は工作機械メーカーである。

ただし、コンピュータは高額なこともあり、富士通のNC事業は参入から約10年間は赤字が続いた。このため、この時期の経営について、ファナックの社内では「神代の時代」と呼ばれていた。

稲葉清右衛門(2014)

1956(昭和31)年でしたか、技術担当常務だった尾見さんが「稲葉君、これからは'3C'の時代が必ず来る。君にはコントロール(制御)の開発をしてもらう」とおっしゃったのです。富士通信機が従来から手がけている通信機(Communication)分野だけでなく、新しくComputerとControl 分野に進出することを初めて知らされたわけです。当時の富士通の経営陣は、その頃からすでに“3C”時代の到来を見通していたんですね。

尾見さんの号令一下、すぐにプロジェクトチームがつくられて、コンピュータ開発チームのリーダーには同期入社で数学が得意な池田敏雄君が、コントロール開発チームリーダーには私が指名されたのですが、2人ともまだ30歳を少し過ぎたばかりでした。

池田君は電気、私は機械でしたが、どちらも生来の頑固者で、仕事上の妥協は一切ない。だから、上司とはしょっちゅう衝突して、社内ではだいぶ変わり者の技術者と見られていたようでした。ただ、私も池田君も何かに直面したとき、何が何でもやり遂げるという不屈の精神と実行力では人後に落ちないという自負を持っていたので、あるいは尾見さんはそのあたりの二人の性格を見抜いていたのかもしれません。

2014/08 SME「日本の工作機械を築いた人々・稲葉清右衛門」
Report

1985 NCシェアで70%を確保。売上高経常利益率(36.6%)で日本トップを達成

業績好調

1980年代を通じて、日本国内の製造現場に自動化された工作機械が普及し、NCの需要も増大した。ファナックは、NCにおける数値制御というソフトウェアの部分と、高度な制御を可能にするためのサーボモータの技術を磨くことで対応。さらに、特注品ではなく汎用品に特化することで、量産による値下げ効果を得て「高性能で安いNC」を供給することで国内市場を掌握した。

この結果、NCにおける国内シェア70%を確保し、三菱電機などの競合他社を圧倒した。市場をほぼ独占したことによって、ファナックは汎用品の価格決定権を掌握して収益を確保した。FY1985にファナックは売上高経常利益率36.6%という日本一の水準を達成して、注目を浴びた。

ただし、ファナックのNCは汎用品に特化しており、特注品に関しては競合他社が生き残る余地があった。また、ヤマザキマザックやDMG森精機などごく一部の工作機メーカーは、1990年代を通じてファナックと三菱電機の2社購買に改めるなど、必ずしもファナックのNCが市場を完全に独占しているわけではない。

Report

2011 中国EMS向けロボドリルの増産を決定。年間457億円の設備投資

[表] ファナック・地域別売上高

2010年頃からiPhoneの生産台数が増加し、中国の鴻海に対してロボドリル(iPhone向けアルミ筐体の加工機)の需要が増大することが予想された。

そこで、2011年頃にファナックはロボドリルへの量産投資を決定した。茨城の筑波工場においてロボドリルの生産ラインを増強し、中国のEMSメーカー向けへの出荷体制を整えた。FY2011におけるファナックの設備投資額は457億円に及び、主な内訳は(1)本社工場におけるロボット工場の新設、(2)筑波工場におけるロボドリルの増産体制の構築、であった。

また、韓国のサムスンとの取引を拡大しており(FY2014にサムスン向け販売高939億円)、こちらもスマホ向けのロボドリルが主体であったと推察される。

この結果、2010年代を通じてファナックはアジア(主に中国・韓国)向けの売上高を拡大した。