1952〜2023
売上高: 億円
■単体 | ■連結
10187億円
2023.3 | 売上高
売上高_当期純利益率: %
○単体 | ○連結
-176億円
2023.3 | 当期純利益
1918
会社設立

帝国人絹(帝人)を設立

大手商社だった鈴木商店が、化学繊維を事業化するために子会社として「帝国人絹(帝人)」を設立。ところが鈴木商店は第一次世界大戦後の不況で経営破綻したため、帝人は独立企業となった。

1915年
鈴木商店が繊維工場跡を買収
1918年
帝国人絹を設立
1921年
広島工場の新設(レーヨン量産)
1926年02月
岩国工場の新設(レーヨン量産)
1934年10月
三原工場の新設(レーヨン量産)
1951年12月
名古屋工場の新設(アセテート量産)
1955年11月
松山工場の新設(アセテート量産)
1927

大株主の変更(親会社倒産)

帝人は鈴木商店の子会社として経営されたが、1927年に鈴木商店が倒産。帝人はレーヨンの需要増大により成長が期待されたため、帝人は一部株主の支援を受けて、以後、独立企業として運営される

1933 10月
株式上場

東京証券取引所に株式上場

まとめ
総合商社の鈴木商店が化学繊維の事業化のために帝人を設立
1915〜1933
売上不明
■単体 | ■連結
利益率不明
○単体 | ○連結
1945

大屋晋三が帝人の社長に就任

終戦直後の1945年に大屋晋三が帝人の社長に就任した。以後、1980年に逝去するまで社長を歴任

1955
新規事業

ポリエステル繊維に新規参入(合成繊維)

競合の東レがナイロンで躍進

1951年に東レは合成繊維「ナイロン」に新規参入し、レーヨンに変わる繊維として急成長を達成。帝人は旧来のレーヨン・アセテートに注力しており、東レに劣後しつつあった。

ICIと技術提携。ポリエステル繊維に新規参入

帝人は合成繊維での遅れを挽回するため、英ICI社と提携して「ポリエステル繊維」への新規参入を決定した。なお、ICIからの技術導入は東レと共同で行った。

合成繊維メーカとして業績をV字回復

ポリエステル繊維の市場拡大によって帝人は業績を改善。1961年頃にには売上高純利益率5%前後となりV字回復を成し遂げた。

1957年01月
ICI社と技術提携を締結
1958年06月
松山工場で量産開始(ポリエステル)
1962年07月
アライドケミカル社と技術提携を締結(ナイロン6)
1962年11月
商号を帝人株式会社に変更
1963年11月
三原工場で量産開始(ナイロン)
1968年04月
徳山工場で量産開始(ポリエステル)
1971年08月
岐阜工場を新設(ポリエステルフィルム)
大屋晋三(帝人・社長)
調べて行ったら、英国のICIが特許を持っていることがわかったので、1954年にICIに交渉してみた。ところで、この時も田代君(東洋レーヨン会長)の偉さに感服したんだ。1954年にICIに行って色々交渉をし始めたときに、田代君はすでにICIに4、5本手紙を出して、テリレンの技術を譲る意志があるかどうかと交渉をやっているんです。最初私はそんなことは何も知らずに、テリレンのエクスクルーシブのライセンスをくれないかというと、ミスター大屋、実はあなたの国のミスター田代のところからもう申し込みが来ているということなのです。なるほど、田代君はナイロンの経験から早くもこの繊維の優秀さを見抜いている。さすがに偉いなと思って、改めて見直した。結局、東洋レーヨンと共同で仲良くやるということになったのです。
まとめ
レーヨンからポリエステルに投資。合成繊維メーカーに転換して業容を拡大
1934〜1967
売上高: 億円
■単体 | ■連結
1514億円
1967.3 | 売上高
売上高_当期純利益率: %
○単体 | ○連結
40.8億円
1967.3 | 当期純利益
1968

未来事業部門を発足。新規事業を50以上発足

合成繊維事業をとりまく競争環境が悪化しつつあったため、帝人は繊維以外の事業に多角化する方針を掲げて「未来事業部門」を発足した。以後、帝人はで多角化を推し進め、ナイジェリアでの石油開発、ガラス長繊維、コンピューター、化粧品、教育、医薬品、ガソリンスタンド、ブラジルでの牧場、自動車販売(帝人ボルボ)など、多種多様な事業に参入した。

1974年06月
医薬事業本部を新設
1974年
帝人ボルボを設立
1978年04月
PET樹脂を事業化
1971 10月
事業損失

祖業のレーヨン事業から撤退

1978

大規模リストラの実施

1970年代に合成繊維業界における過当競争によって、繊維メーカー各社の業績が悪化。経営の多角化によって乱発した事業も大半が行き詰まり、帝人は5000名の人員削減を決断する。

1978年10月
半年間で社員1/4を削減
2650
社員削減数
1978年
名古屋工場を閉鎖(紡績事業撤退)
日経ビジネス
では、どこでどう間違えたのだろうか。根本原因は、大屋社長のワンマン体制が年を経るに従って、時代錯誤の度をまし、ついには老害の代表に挙げられるまでになったことに尽きる。大屋型ワンマン経営は、日常業務については極めて分権的で、部下に任せきりだったと言われる。しかしことしんきじぎょうに関しては、自分でこうと思ったらどんどん推し進めなければ気が済まなかった。(略) 未来事業の展開にあたって、同社も当然のことながら、どのような種を取り上げるべきか、また捨てるならどう見切るか、きちんと検討する体制を取っていた。ところが社長が「よし、やれ」といったプロジェクトは素通りだ。これが高じて、社長の鶴の一声をかさに着て仕事を進める人間も出てきた。
1980/10/20 日経ビジネス「帝人・未来事業戦略を再構築、攻めの経営へ」
まとめ
「未来戦略」と称して50事業以上の新事業に投資。だが、医薬品とポリエステルフィルム以外の事業は死屍累々の結果に終わる
1968〜1979
売上高: 億円
■単体 | ■連結
3371億円
1979.3 | 売上高
売上高_当期純利益率: %
○単体 | ○連結
22.3億円
1979.3 | 当期純利益
1980

医薬事業への集中投資

合成技術を応用して創薬に参入。多角事業で唯一の成功へ

1978年03月
帝人医薬株式会社を設立(独ベーリンガー社と合弁)
1980年02月
重症感染症治療剤「ベニロン」の販売開始(藤沢薬品に販売委託)
1983年10月
医薬品事業が黒字化。帝人が帝人医薬を吸収合併
1983年10月
医薬品事業の売上好調
240億円
医薬品売上
1996年03月
医薬品事業の売上好調
545億円
医薬品売上
1996年10月
医薬品を自社販売に切り替え
2003年03月
医薬医療事業の売上好調
950億円
医薬品売上
徳末智夫氏(帝人・社長)
未来事業をこれからどう展開して行くかについては、方針が固まりつつある。基本的には重点主義を前提に、研究開発中心で行く考えた。5年程度はこの線に沿って展開し、成果を期待したい。また必要があれば、並行して海外の技術も導入して、自社技術との組み合わせも試みるつもりだ。 向こう5年は医療、医薬関係を中心にやっていかなければならない。医薬は研究に着手してから約10年になるが、研究開発費して膨大な資金を投じた。今後も新薬の開発や販売網の整備で、大変な負担がかかる。だから、あれもこれもというわけにはいかない。
1980/10/20 日経ビジネス「帝人・未来事業戦略を再構築、攻めの経営へ」
1981

経営基盤再構築計画を遂行

大屋社長時代の負の遺産(多角事業)を整理し、全社収益の改善を目指す。1980年に社長就任した徳末知夫氏が主導

1983年
ガソリンスタンド運営から撤退
1986年
自動車販売(帝人ボルボ)から撤退
1986年
化粧品(帝人パピリオ)から撤退
まとめ
多角事業の投資を「フィルム」と「医薬品」に集中。大型新薬のヒットで帝人の営業利益の過半数を医薬事業が支える
1980〜1998
売上高: 億円
■単体 | ■連結
n/a億円
1998.3 | 売上高
売上高_当期純利益率: %
○単体 | ○連結
n/a億円
1998.3 | 当期純利益
1999 06月

東邦レーヨンに資本参加

東レに劣後していた炭素繊維に参入

2000年02月
東邦レーヨンの株式過半数を取得
2001年07月
同社の商号を東邦テナックスに変更
2006年04月
同社三島事業所で設備投資
129億円
設備投資計画額
2006年04月
同社米国拠点で設備投資
85億円
設備投資計画額
2007年08月
東邦テナックスを完全子会社化
382億円
取得原価
2013年03月
炭素繊維(のれん)を中心に減損計上
294億円
減損損失
2000 10月

アコーディス社のアラミド繊維事業を買収

オランダの繊維会社からアラミド繊維「トワロン」を取得(税務処理の意見相違をめぐり同社と訴訟発生。2006年に和解成立)。光ファイバーや自動車向けシートベルトの素材として活用を意図

2003 04月

杏林製薬の買収撤回(基本合意意を破棄)

株式統合比率で折り合いがつかず、買収を撤回へ

まとめ
企業買収を積極化。炭素繊維などの特殊領域に投資するが、用途開拓ができず減損へ
1999〜2010
売上高: 億円
■単体 | ■連結
7658億円
2010.3 | 売上高
売上高_当期純利益率: %
○単体 | ○連結
-356億円
2010.3 | 当期純利益
2011 05月

痛風・高尿酸血症治療剤「フェブリク」を発売

2009年03月
痛風・高尿酸血症治療剤「ULORIC」を米国発売
2011年05月
痛風・高尿酸血症治療剤「フェブリク」を日本発売
2013年03月
フェブリク国内売上高
55億円
FY2012
2022年03月
フェブリク国内売上高
388億円
FY2021
2015 03月
事業損失
業績低迷

特別損失の計上で最終赤字に転落

電子材料・化成品(シンガポールおよび岐阜)を中心とした減損損失と、不採算事業撤退による構造改革費用により、巨額特損を計上

まとめ
医療用医薬品「フェブリク」の開発成功により収益を確保。不振の樹脂や繊維事業の赤字を、医薬品事業の利益でカバー
2011〜2016
売上高: 億円
■単体 | ■連結
7907億円
2016.3 | 売上高
売上高_当期純利益率: %
○単体 | ○連結
310億円
2016.3 | 当期純利益
2017 01月

買収を通じて自動車向けを強化

自動車部品メーカーを買収するが、減損計上へ

2017年01月
米CSP HDを買収(ガラス繊維複合材)
850億円
取得原価
2018年08月
Brick HDを買収(内装材)
95億円
取得原価
2021年09月
自動車事業をTeijin Automotive Technologies(TAT)に集約
2023年03月
TATで減損計上
152億円
減損損失
2017 10月

ポリエステルフィルムを事業譲渡

2021 04月

武田薬品から4製品の販売権を買収

糖尿病治療薬4剤(ネシーナ錠、リオベル配合錠、イニシンク配合錠、ザファテック錠)について、武田薬品から販売権を買収。武田薬品は糖尿病領域への投資を中止した事で、売却先を探していた。帝人は主力の「フェブリク」の競争激化(後発薬)に備えて、製品拡充を目論んだ。

まとめ
自動車向け部品を強化するためにグローバルで買収を決定
2017〜2023
売上高: 億円
■単体 | ■連結
10187億円
2023.3 | 売上高
売上高_当期純利益率: %
○単体 | ○連結
-176億円
2023.3 | 当期純利益