1957年〜 野村證券の社屋管理会社から「プラウド」ブランドの不動産デベロッパーへ
- 1957年 野村不動産を設立
- 1961年 デベロッパーとして宅地開発業務を開始
- 1963年 マンション分譲事業に参入
- 1963年 分譲マンション「コープ竹の丸」を着工
- 1970年 野村證券の不動産部門を二社に分け、野村住宅産業(現・野村不動産)を設立 親会社の社屋を預かる管理会社にとどまるか、外部市場で用地を仕入れる開発会社へ出るか
- 2002年 住宅統一ブランド「PROUD(プラウド)」を発表
- 2004年 野村不動産HDを設立
親会社の社屋を持つために生まれた会社
1957年4月、野村不動産株式会社が東京都中央区に設立[1]された。資本金は1,000万円、目的は親会社である野村證券株式会社の本社ビルの所有・管理である[2]。証券会社が社屋の運用と維持管理を切り出すために生まれた会社で、当初の事業範囲は親会社1社の不動産需要に閉じていた。1950年代後半は野村證券が個人投資家向けの営業網を全国に広げる時期で、本社・支店の店舗網拡張がそのまま新会社の事業量を決める関係にあった。証券業の親会社1社に発注を依存する構造から出発した点では、後のホールディングス時代まで尾を引く与件が、設立時から組み込まれていた。
- 野村不動産ホールディングス 公式IR沿革ページ
- [1]1957年4月 野村不動産株式会社を東京都中央区に設立
- 野村不動産ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
- [2]設立目的は親会社・野村證券株式会社の本社ビルの所有・管理
1970年1月、野村證券は社屋・社宅・寮の賃貸管理機能を野村土地建物株式会社へ集約し、それ以外の不動産事業を承継するために野村住宅産業株式会社(現・野村不動産株式会社)を設立した[3]。野村證券の不動産部門は、賃貸ビル管理と分譲・開発という二つの機能に分かれ、後者を担う事業会社として野村住宅産業が立ち上がった。会社分割の意図は、親会社からの発注に閉じた管理会社ではなく、外部市場でも事業を取れる開発会社への転換にあった。1957年設立の旧・野村不動産は野村土地建物に統合され、新会社が現在の野村不動産の祖となった。
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- [3]1970年1月 野村住宅産業株式会社(現・野村不動産株式会社)を設立
1977年4月にはビル管理業務を担う野村ビル総合管理株式会社[4]、1989年3月にはフィットネスクラブを運営する株式会社エヌ・エフ・クリエイト(後のメガロス[5]、現・野村不動産ライフ&スポーツ)、1990年1月にビル清掃を担う株式会社アメニティサービス[6]と、賃貸管理・サービス系の子会社を順次設立した。1991年7月にはマンション管理の野村住宅管理株式会社も設立した[7]。賃貸ビルと住宅分譲の二本柱に加えて、運営管理サービスの自前化を1970年代後半から1990年代にかけて積み上げ、後年「住宅・賃貸・運営管理・仲介CRE・資産運用」の事業群を内製で持つ前提とした時期に当たる。
- 野村不動産ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
- [4]1977年4月 野村ビル総合管理株式会社を設立
- [5]1989年3月 株式会社エヌ・エフ・クリエイト(現・野村不動産ライフ&スポーツ)を設立
- [6]1990年1月 株式会社アメニティサービスを設立
- [7]1991年7月 野村住宅管理株式会社を設立
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- [1]1957年4月 野村不動産株式会社を東京都中央区に設立
- [3]1970年1月 野村住宅産業株式会社(現・野村不動産株式会社)を設立
- 野村不動産ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
- [2]設立目的は親会社・野村證券株式会社の本社ビルの所有・管理
- [4]1977年4月 野村ビル総合管理株式会社を設立
- [5]1989年3月 株式会社エヌ・エフ・クリエイト(現・野村不動産ライフ&スポーツ)を設立
- [6]1990年1月 株式会社アメニティサービスを設立
- [7]1991年7月 野村住宅管理株式会社を設立
「プラウド」の登場と1990年代の住宅分譲会社への変身
1980年代後半のバブル経済期に野村不動産が手がけた住宅・賃貸ビルの開発は[8]、地価高騰の波に乗って延床ベースで年率20%超の伸びを示した。だがバブル崩壊後の1990年代前半は、土地と建物の含み損を抱えた他のデベロッパーと同様に、同社も収益面で苦しい時期を経た。2002年に住宅分譲事業を立て直す主軸として投入したのが、上質な住宅供給ブランド「プラウド」である(ブランド発表は2002年12月)。[9]2000年代に入って首都圏のマンション市場でブランド認知が広がり、「プラウドの野村不動産」という業界内での呼称が定着した[10]。プラウドは野村不動産の住宅事業の主柱として、その後20年以上にわたり同社の収益を支える基盤になった。
- 野村不動産ホールディングス 有価証券報告書
- [8]1980年代後半のバブル経済期、住宅・賃貸ビル開発は延床ベースで年率20%超の伸び
- [9]住宅供給ブランド「プラウド」は2002年12月に発表されたブランドである(第1弾プラウド久我山は2003年)
- [10]2000年代に「プラウドの野村不動産」という業界内呼称が定着
2000年11月、不動産仲介業務・販売受託業務を担う野村不動産アーバンネット株式会社[11](2021年4月に野村不動産ソリューションズに商号変更[12])を設立した。仲介機能を別会社化する方針は、住宅分譲とは異なるサービス事業として収益を立てる狙いがあり、後年の「仲介・CRE事業」セグメントの源流となった。2001年12月には私募不動産運用の野村不動産インベストメント・マネジメント[13]、2003年1月にREIT運用の野村不動産投信を設立し[14]、資産運用事業の足場も同時並行で整えた。住宅分譲・ビル賃貸という伝統的な事業に、仲介と資産運用を加えた事業ポートフォリオの原型が、2000年代初頭にできあがった。
- 野村不動産ホールディングス 公式IR沿革ページ
- [11]2000年11月 野村不動産アーバンネット株式会社を設立
- [13]2001年12月 野村不動産インベストメント・マネジメントを設立
- [14]2003年1月 野村不動産投信を設立
- [12]野村不動産アーバンネットは2021年4月1日に野村不動産ソリューションズへ商号変更
2003年から2004年にかけて、野村證券グループ内で持株会社体制への移行構想が具体化した。野村證券本体が2001年10月に金融持株会社「野村ホールディングス」へ移行する流れと並行し、不動産部門も独自の持株会社を立てる道を選んだ。当時の野村不動産の直接の親会社は野村ホールディングスではなく野村土地建物株式会社で、新設の持株会社は2004年10月に同社から野村不動産の発行済株式全部の現物出資を受ける形で業務を開始する[15]ことになる。[16]証券・不動産・資産運用の3軸を別々のホールディングスに分けることで、それぞれの事業特性に応じた経営判断と資本配分を可能にする設計だった。証券会社の社屋管理から始まった会社が、独立した上場不動産デベロッパーへと変身する直前の局面が、2004年だった。
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- [15]野村不動産の直接の親会社は野村土地建物株式会社で、持株会社は2004年10月に同社から野村不動産の発行済株式全部の現物出資を受けて業務を開始した
- [16]野村證券本体は2001年10月に金融持株会社「野村ホールディングス」へ移行
- 野村不動産ホールディングス 有価証券報告書
- [8]1980年代後半のバブル経済期、住宅・賃貸ビル開発は延床ベースで年率20%超の伸び
- [9]住宅供給ブランド「プラウド」は2002年12月に発表されたブランドである(第1弾プラウド久我山は2003年)
- [10]2000年代に「プラウドの野村不動産」という業界内呼称が定着
- 野村不動産ホールディングス 公式IR沿革ページ
- [11]2000年11月 野村不動産アーバンネット株式会社を設立
- [13]2001年12月 野村不動産インベストメント・マネジメントを設立
- [14]2003年1月 野村不動産投信を設立
- [15]野村不動産の直接の親会社は野村土地建物株式会社で、持株会社は2004年10月に同社から野村不動産の発行済株式全部の現物出資を受けて業務を開始した
- [16]野村證券本体は2001年10月に金融持株会社「野村ホールディングス」へ移行
- [12]野村不動産アーバンネットは2021年4月1日に野村不動産ソリューションズへ商号変更
2004年の野村不動産HD設立と2006年東証一部上場
2004年6月、東京都新宿区に野村不動産ホールディングス株式会社[17]が設立された。同年10月に野村土地建物から野村不動産の発行済株式全部の現物出資を受けて持株会社としての業務を開始し、野村不動産・野村不動産アーバンネット・野村不動産投信などのグループ各社を傘下に置く体制が発足した。初代社長は中野淳一氏が務め、同年中に鈴木弘久氏に交代[18]した。同年12月には野村不動産株式会社の子会社管理営業を会社分割により承継し[19]、野村ビルマネジメント(現・野村不動産パートナーズ)・野村不動産アーバンネット(現・野村不動産ソリューションズ)等を直接子会社化する組織再編を完了した。HD化により、住宅分譲・ビル賃貸・仲介・資産運用・運営管理の5機能を1つの持株会社の下に並列で配置する体制が整った。
- 野村不動産ホールディングス 公式IR沿革ページ
- [17]2004年6月 野村不動産ホールディングス株式会社を東京都新宿区に設立
- [18]初代社長は中野淳一氏、同年中に鈴木弘久氏へ交代
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- [19]2004年12月 子会社管理営業を会社分割により承継し主要子会社を直接子会社化
2006年6月にはインターネット広告代理店事業を担う株式会社プライムクロスを設立し[20]、住宅分譲のマーケティング機能を内製化した。同年10月、東京証券取引所市場第一部に株式を上場した[21]。野村證券グループから資本面でも独立し、外部株主を持つ上場デベロッパーとしての歩みが始まった。創業の1957年から数えて約49年、HD設立からは約2[22]年での上場である。上場時の野村不動産HDは、住宅分譲のプラウドブランドを主柱として首都圏マンション市場で5位前後のシェアを持ち、賃貸ビル事業ではオフィスビル「PMOシリーズ」を展開する位置にあった。
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- [20]2006年6月 株式会社プライムクロスを設立
- [21]2006年10月 東京証券取引所市場第一部に株式を上場
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- [22]創業1957年から約49年、HD設立から約2年での上場
2007年7月には商業施設の企画・設計・テナントリーシング・プロパティマネジメントを担う株式会社ジオ・アカマツ(現・野村不動産コマース)の全株式を取得し[23]、商業施設機能をグループ内に取り込んだ。2008年12月にはオフィスビル・住宅・商業施設等の開発・賃貸を担う東芝不動産株式会社の株式の65%を取得し、連結子会社化[24]した(旧・NREG東芝不動産)。東芝不動産は東芝グループの社宅・寮の管理を母体とする会社で、横浜ビジネスパークなどの規模を持つ賃貸物件を保有していた。買収により、賃貸ビル事業の保有床面積が一段拡大し、デベロッパーとしての規模が増した。HD設立から2年で上場を果たし、続く2年でM&Aを実行する展開速度が、2000年代後半の同社を特徴づけた。
- 野村不動産ホールディングス 公式IR沿革ページ
- [23]2007年7月 株式会社ジオ・アカマツ(現・野村不動産コマース)の全株式を取得
- [24]2008年12月 東芝不動産株式会社の株式65%を取得し連結子会社化
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- [17]2004年6月 野村不動産ホールディングス株式会社を東京都新宿区に設立
- [20]2006年6月 株式会社プライムクロスを設立
- [21]2006年10月 東京証券取引所市場第一部に株式を上場
- [23]2007年7月 株式会社ジオ・アカマツ(現・野村不動産コマース)の全株式を取得
- [24]2008年12月 東芝不動産株式会社の株式65%を取得し連結子会社化
- [18]初代社長は中野淳一氏、同年中に鈴木弘久氏へ交代
- 野村不動産ホールディングス 有価証券報告書【沿革】
- [19]2004年12月 子会社管理営業を会社分割により承継し主要子会社を直接子会社化
- [22]創業1957年から約49年、HD設立から約2年での上場