安田財閥の創業者である安田善次郎氏は、東京における賃貸業(不動産事業)への参入を決定。1896年に東京建物株式会社を設立した。
創業1年目における土地取得は、東京において6,610坪・横浜において716坪を取得した。このうち、東京では旧本社用地として「東京日本橋呉服町18」の土地を取得した。
戦時中を通じて東京建物は中国大陸(青島・天津・奉天・大連)で不動産を保有していたが、1945年の終戦により資産を喪失。保有不動産は日本国内のみとなり、事業規模を縮小した。
明治29年に初代安田善次郎翁が創設されたもので、その後、極めて順調に発展してきたんですが、せんっぜんは中国の天津、青島、奉天、大連、それから朝鮮の京城など各地に在外資産があり、これが大半を占めるという財産を持っていました。しかし、そういうものが戦争ですっかり失われ、えらい被害と、打撃を受けて、再建のためにはずいぶん苦労が続きましたが、1950年にようやく1割2分、1割5分の配当まで漕ぎつけたわけです。
新宿駅西口の保有地において、東京建物は百貨店向けのビル建設を決定。1962年に新宿ビル(地上8階・地下3階・4.4万㎡)を新設し、小田急電鉄へ貸し出すことにより「小田急百貨店」としての営業を開始した。
東京建物としては初となる超高層ビルの建設を決定。1979年に新宿センタービル(地上54階建)を竣工した。
1986年時点で東京建物は東京都内において18棟のビルを稼働。歴史的な経緯から、1960年代に竣工した建築が中心であった。
地域別では「日本橋・八重洲・神田」に偏在していたが、収益面では新宿の超高層ビル「新宿センタービル」が年間40億円の収益を確保。新宿の一等地で大規模な床面積を稼働する新宿センタービルが、東京建物におけるビル賃貸事業の1/3を占める収益事業となっていた。
バブル経済によるリゾート需要の増加を受けて、1987年に東京建物(柴田隆三・社長)は、河口湖リゾート開発を設立。地上12階建の高層リゾートマンション「レジーナ河口湖」を新設し、分譲価格1090〜8190万円で売り出しを実施。総戸数126戸(ホテル68戸+リゾートマンション53戸)について、すぐに完売したという。
マンションのブランドを「Brillia」に統一
1979年に竣工した諏訪2丁目団地(多摩ニュータウン)について、大規模な建て替え工事を決定。2013年に東京建物は「Brillia多摩ニュータウン」を新設し、老朽化した諏訪2丁目団地の建て替えを完了。
ビル事業におえる資産の一部売却を決定。「大手町タワー」「中野セントラルパーク」について、一部の資産を売却することにより、2014年12月期に固定資産売却益1327億円を計上した。
2020年2月に東京建物は10ヵ年の「長期ビジョン」を策定。2030年度における事業利益1200億円を目標数値として設定した。
事業ポートフォリオの面では、事業利益の内訳を「賃貸」から「分譲・売却」を主体とする形への転換を計画した。ただし、2024年に事業計画の修正を経て、引き続き「賃貸」が事業利益の過半を占める形に回帰している。
1つ目の重点戦略として、都心部における大規模開発の推進を実施。都内の一等地である「東京駅前八重洲1丁目東地区市街地再開発事業(A地区・B地区)」に参画することで、都心部におけるオフィス賃貸の拡充を予定した、
また、八重洲地区以外に関しては「呉服橋プロジェクト(東京日本橋・2029年竣工予定)」および「京橋3丁目プロジェクト(東京京橋・2030年竣工予定)」を推進し、東京都心部における大規模再開発の推進を志向した。
2つ目の重点戦略として「分譲マンション」への注力を継続。都心部における大規模なマンション開発および分譲による売却益の確保を目論んだ。
大規模再開発および分譲マンション事業のほかに、東京建物は「(3)投資家向け物件売却事業」「(4)海外事業」「(5)サービス事業」「(6)新規事業の確立」の拡大を決定した。
このため、東京建物としては長期ビジョンを策定して「6つの重点戦略」を掲げたものの、6つの領域に経営資源が分散することを許容し、全方位に投資をするビジョンを策定した。