2000年〜 三社合併で発足したKDDIと、寄合いの経営体制
- 2000年 DDI・KDD・IDOの三社合併——長距離・国際・携帯を1社に束ねたKDDIの発足 存続会社は第二電電、残した名前はKDD——京セラとトヨタが3年かけて詰めた距離
- 2001年 エーユーを株式交換により完全子会社化
- 2001年 商号をKDDIに改める
長距離・国際・携帯を1社に束ねた2000年10月
2000年10月1日、第二電電(DDI)を存続会社としてKDDと日本移動通信(IDO)が合併し、KDDIが発足した。1985年の通信自由化で生まれた新電電各社は、1999年2月にNTTドコモがiモードを投入したころには規模と投資余力の差で引き離されており、非NTT陣営の再編がここで決着した。長距離電話のDDI、国際通信のKDD、関東甲信と東海の携帯電話のIDOという事業も出自も異なる3社が合流し、単純合算で連結売上高2兆630億円、従業員9700人とNTTに次ぐ国内2位の通信会社となった。移動体通信のブランドは、同年7月にIDOとDDI系セルラーが統一した「au」を引き継ぎ、若年層の獲得を事業の中心に置いた。合併新会社の商号は株式会社ディーディーアイで、KDDIは営業上の名称として発足時から使われた。 [1][2][3]
- KDDI 有価証券報告書【沿革】
- [1]2000年10月1日、DDIを存続会社としてKDD・IDOが合併しKDDIが発足した
- 日経ビジネス 2000年1月3日号「打倒NTTへ DDI、KDD、IDO合併が長期化した本当の事情」
- [2]3社の単純合算で連結売上高2兆630億円・従業員9700人となり、NTT(9兆7297億円)に次ぐ国内2位となった
- 週刊東洋経済 2000年1月22日号「特別レポート モバイル進出がKDDを救う 西本正KDD社長「通信3社大合併」を語る」
- [3]合併新会社の商号は株式会社ディーディーアイで、KDDIは営業上の名称として使われた
発足時の役員は非常勤5人を含めて53人にのぼった。日本テレコムの30人、NTTドコモの28人と比べて多く、常勤48人の内訳は旧DDI25人、旧KDD14人、旧IDO9人で、執行部門はDDI出身者が長なら副にKDD出身者を置く配置となった。合併合意の際に「たすきがけ人事はしない」と決めていた取り決めは守られていない。有利子負債は2兆円あり、営業初日の2000年10月2日の株価は3万5000円安と年初来最安値まで下げた。会長に就いた牛尾治朗氏は取締役会議長の立場から「違う者同士を無理に1つにまとめるより、お互いの長所を生かすことが、この会社には得策」(日経ビジネス 2000/10/23)と述べ、DDIの効率経営、トヨタ自動車の国際展開力、KDDの技術力を組み合わせる方針を掲げた。統合を急がない構えは、寄合いをそのまま抱えて走る構えでもあった。 [4][5][6]
- 日経ビジネス 2000年10月23日号「KDDI 打倒NTT、「稲盛・豊田」丸船出」
- [4]発足時の役員は非常勤5人を含め53人。常勤48人の内訳は旧DDI25人・旧KDD14人・旧IDO9人で「たすきがけ人事はしない」との合意は履行されなかった
- [5]有利子負債2兆円、営業初日2000年10月2日の株価は3万5000円安の年初来最安値
- [6]牛尾治朗会長は互いの長所を生かすほうが得策と述べ、DDIの効率経営・トヨタの国際展開力・KDDの技術力の組み合わせを掲げた
- KDDI 有価証券報告書【沿革】
- [1]2000年10月1日、DDIを存続会社としてKDD・IDOが合併しKDDIが発足した
- 日経ビジネス 2000年1月3日号「打倒NTTへ DDI、KDD、IDO合併が長期化した本当の事情」
- [2]3社の単純合算で連結売上高2兆630億円・従業員9700人となり、NTT(9兆7297億円)に次ぐ国内2位となった
- 週刊東洋経済 2000年1月22日号「特別レポート モバイル進出がKDDを救う 西本正KDD社長「通信3社大合併」を語る」
- [3]合併新会社の商号は株式会社ディーディーアイで、KDDIは営業上の名称として使われた
- 日経ビジネス 2000年10月23日号「KDDI 打倒NTT、「稲盛・豊田」丸船出」
- [4]発足時の役員は非常勤5人を含め53人。常勤48人の内訳は旧DDI25人・旧KDD14人・旧IDO9人で「たすきがけ人事はしない」との合意は履行されなかった
- [5]有利子負債2兆円、営業初日2000年10月2日の株価は3万5000円安の年初来最安値
- [6]牛尾治朗会長は互いの長所を生かすほうが得策と述べ、DDIの効率経営・トヨタの国際展開力・KDDの技術力の組み合わせを掲げた
商号をKDDIに改めるまでの1年
会社の形は発足から1年かけて整えられた。2001年3月、セルラー電話会社7社を統合した株式会社エーユーを株式交換で完全子会社とし、地域ごとに分かれていた携帯電話の運営を1社にまとめる。翌4月には商号を株式会社ディーディーアイからKDDI株式会社へ改め、本店を東京都新宿区へ移した。一方で東名阪を営業区域とするツーカー3社の扱いは決まらず、移動体を担当する小野寺正副社長は「次世代サービスまでのつなぎ役として活用したい」(日経ビジネス 2000/10/23)と説明するにとどまる。そのツーカーの設備投資は2000年度だけで1000億円を超えており、auとの二重のブランドを抱えたまま次の投資期を迎えた。 [7][8][9]
- KDDI 有価証券報告書【沿革】
- [7]2001年3月にセルラー電話会社7社を統合した株式会社エーユーを株式交換で完全子会社化した
- [8]2001年4月に商号をKDDI株式会社へ改め、本店を東京都新宿区へ移転した
- 日経ビジネス 2000年10月23日号「KDDI 打倒NTT、「稲盛・豊田」丸船出」
- [9]ツーカーは「次世代サービスまでのつなぎ役」とされたが2000年度だけで設備投資が1000億円を超えていた
経営体制も1年で組み替えられた。2001年6月、KDDIは執行役員制を導入して50人を超えていた役員を12〜15人に絞り、社長の上に5人いた取締役も3人へ減らす。社長は69歳の奥山雄材氏から53歳の小野寺正副社長へ交代し、稲盛和夫氏と豊田章一郎氏は取締役名誉会長から最高顧問に退いた。合併契約で副社長として処遇すると決まっていた元郵政事務次官の五十嵐三津雄氏が副社長に就いている。京セラにとって小野寺社長の昇格はDDI主導の運営を示す人事となり、トヨタ自動車は有利子負債2兆円の会社に社長を出す負担を避けた。旧DDI系のPDCと旧IDO系のCDMAという二つの規格が併存する問題は、この体制のもとで2002年3月の一本化へ持ち越された。 [10][11][12]
- 日経ビジネス 2001年4月23日号「KDDI、意表つく旧DDI小野寺氏の社長昇格 五十嵐・元郵政次官は副社長に、京セラ主導をトヨタ静観」
- [10]2001年6月に執行役員制を導入して役員を12〜15人に絞り、社長の上の取締役5人を3人に削減、奥山雄材社長から小野寺正副社長へ交代した
- [11]稲盛和夫氏と豊田章一郎氏は取締役名誉会長から最高顧問へ退き、五十嵐三津雄・元郵政事務次官が副社長に就いた
- [12]京セラには小野寺氏の昇格がDDI主導を示す人事となり、トヨタは有利子負債2兆円の会社に社長を出すリスクを避けた
- KDDI 有価証券報告書【沿革】
- [7]2001年3月にセルラー電話会社7社を統合した株式会社エーユーを株式交換で完全子会社化した
- [8]2001年4月に商号をKDDI株式会社へ改め、本店を東京都新宿区へ移転した
- 日経ビジネス 2000年10月23日号「KDDI 打倒NTT、「稲盛・豊田」丸船出」
- [9]ツーカーは「次世代サービスまでのつなぎ役」とされたが2000年度だけで設備投資が1000億円を超えていた
- 日経ビジネス 2001年4月23日号「KDDI、意表つく旧DDI小野寺氏の社長昇格 五十嵐・元郵政次官は副社長に、京セラ主導をトヨタ静観」
- [10]2001年6月に執行役員制を導入して役員を12〜15人に絞り、社長の上の取締役5人を3人に削減、奥山雄材社長から小野寺正副社長へ交代した
- [11]稲盛和夫氏と豊田章一郎氏は取締役名誉会長から最高顧問へ退き、五十嵐三津雄・元郵政事務次官が副社長に就いた
- [12]京セラには小野寺氏の昇格がDDI主導を示す人事となり、トヨタは有利子負債2兆円の会社に社長を出すリスクを避けた