KDDI の歴史

創業

2000年

創業者

創業地

東京都千代田区

直近売上高(2025/3)

59,179億円

長期業績と転換点(1997/3〜2026/3)
売上高(億円純利益率(%)
Q なぜ2000年、長距離のDDI・国際のKDD・携帯のIDOという事業の違う3社は1つの会社に合併したのか
A KDDIは2000年10月、長距離電話の第二電電(DDI)、国際通信のKDD、関東甲信と東海の携帯電話会社である日本移動通信(IDO)が合併して発足した。促したのは免許の数である。2001年開始の次世代携帯電話で郵政省は3グループにしか免許を与えず、1枠はNTTドコモ、1枠は日本テレコム陣営とみられていた。残る1枠を得るには、営業区域の分かれたIDOとDDI系セルラーが一体になるほかない。DDIは有利子負債1兆円超、IDOは385億円の最終赤字を抱え、携帯を持たないKDDの売上高はIDOにも及ばなかった
Q なぜ2000年に三社合併で生まれたKDDIは、2002年に通信規格をCDMAへ一本化したのか
A 長距離のDDI・国際のKDD・携帯のIDOが2000年10月に合併して生まれたKDDIは、DDI系のPDCとIDO系のCDMAという二規格の併存を抱え、保守と設備投資が二重になる非効率に直面していた。合併が生む負のシナジーを能動的に潰すため、2002年3月にCDMAへ一本化し、PDC設備を順次除却した。除却に伴う特別損失は本社ビルの証券化など財務の工夫で支え、規格統一で生んだ投資余力を高速データ通信へ向け、同年末の「着うた」や2004年のドコモ追撃の土台とした
Q なぜ2024年、通信会社のKDDIはローソンをTOBで取り込み小売事業へ参入したのか
A コンテンツも金融も外部パートナーに任せる黒子型の経営を40年続けた結果、KDDIは自前で握る物理的な顧客接点を欠き、成熟した通信インフラが生む潤沢なキャッシュの再投資先という課題も抱えていた。そこで2024年、三菱商事と組んでローソンへTOBを実施し、株式を非公開化したうえで折半出資の共同経営に移し、持分法適用関連会社とした。全国に約1万4000店という規模で広がるローソンのリアル接点を、通信・金融・保険・エネルギーを売り込む売場として、また顧客データを束ねる場として再定義する選択である

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2000年〜 三社合併で発足したKDDIと、寄合いの経営体制

長距離・国際・携帯を1社に束ねた2000年10月

2000年10月1日、第二電電(DDI)を存続会社としてKDDと日本移動通信(IDO)が合併し、KDDIが発足した。1985年の通信自由化で生まれた新電電各社は、1999年2月にNTTドコモがiモードを投入したころには規模と投資余力の差で引き離されており、非NTT陣営の再編がここで決着した。長距離電話のDDI、国際通信のKDD、関東甲信と東海の携帯電話のIDOという事業も出自も異なる3社が合流し、単純合算で連結売上高2兆630億円、従業員9700人とNTTに次ぐ国内2位の通信会社となった。移動体通信のブランドは、同年7月にIDOとDDI系セルラーが統一した「au」を引き継ぎ、若年層の獲得を事業の中心に置いた。合併新会社の商号は株式会社ディーディーアイで、KDDIは営業上の名称として発足時から使われた。 [1][2][3]

  • KDDI 有価証券報告書【沿革】
    • [1]2000年10月1日、DDIを存続会社としてKDD・IDOが合併しKDDIが発足した
  • 日経ビジネス 2000年1月3日号「打倒NTTへ DDI、KDD、IDO合併が長期化した本当の事情」
    • [2]3社の単純合算で連結売上高2兆630億円・従業員9700人となり、NTT(9兆7297億円)に次ぐ国内2位となった
  • 週刊東洋経済 2000年1月22日号「特別レポート モバイル進出がKDDを救う 西本正KDD社長「通信3社大合併」を語る」
    • [3]合併新会社の商号は株式会社ディーディーアイで、KDDIは営業上の名称として使われた

発足時の役員は非常勤5人を含めて53人にのぼった。日本テレコムの30人、NTTドコモの28人と比べて多く、常勤48人の内訳は旧DDI25人、旧KDD14人、旧IDO9人で、執行部門はDDI出身者が長なら副にKDD出身者を置く配置となった。合併合意の際に「たすきがけ人事はしない」と決めていた取り決めは守られていない。有利子負債は2兆円あり、営業初日の2000年10月2日の株価は3万5000円安と年初来最安値まで下げた。会長に就いた牛尾治朗氏は取締役会議長の立場から「違う者同士を無理に1つにまとめるより、お互いの長所を生かすことが、この会社には得策」(日経ビジネス 2000/10/23)と述べ、DDIの効率経営、トヨタ自動車の国際展開力、KDDの技術力を組み合わせる方針を掲げた。統合を急がない構えは、寄合いをそのまま抱えて走る構えでもあった。 [4][5][6]

  • 日経ビジネス 2000年10月23日号「KDDI 打倒NTT、「稲盛・豊田」丸船出」
    • [4]発足時の役員は非常勤5人を含め53人。常勤48人の内訳は旧DDI25人・旧KDD14人・旧IDO9人で「たすきがけ人事はしない」との合意は履行されなかった
    • [5]有利子負債2兆円、営業初日2000年10月2日の株価は3万5000円安の年初来最安値
    • [6]牛尾治朗会長は互いの長所を生かすほうが得策と述べ、DDIの効率経営・トヨタの国際展開力・KDDの技術力の組み合わせを掲げた
  • KDDI 有価証券報告書【沿革】
    • [1]2000年10月1日、DDIを存続会社としてKDD・IDOが合併しKDDIが発足した
  • 日経ビジネス 2000年1月3日号「打倒NTTへ DDI、KDD、IDO合併が長期化した本当の事情」
    • [2]3社の単純合算で連結売上高2兆630億円・従業員9700人となり、NTT(9兆7297億円)に次ぐ国内2位となった
  • 週刊東洋経済 2000年1月22日号「特別レポート モバイル進出がKDDを救う 西本正KDD社長「通信3社大合併」を語る」
    • [3]合併新会社の商号は株式会社ディーディーアイで、KDDIは営業上の名称として使われた
  • 日経ビジネス 2000年10月23日号「KDDI 打倒NTT、「稲盛・豊田」丸船出」
    • [4]発足時の役員は非常勤5人を含め53人。常勤48人の内訳は旧DDI25人・旧KDD14人・旧IDO9人で「たすきがけ人事はしない」との合意は履行されなかった
    • [5]有利子負債2兆円、営業初日2000年10月2日の株価は3万5000円安の年初来最安値
    • [6]牛尾治朗会長は互いの長所を生かすほうが得策と述べ、DDIの効率経営・トヨタの国際展開力・KDDの技術力の組み合わせを掲げた

商号をKDDIに改めるまでの1年

会社の形は発足から1年かけて整えられた。2001年3月、セルラー電話会社7社を統合した株式会社エーユーを株式交換で完全子会社とし、地域ごとに分かれていた携帯電話の運営を1社にまとめる。翌4月には商号を株式会社ディーディーアイからKDDI株式会社へ改め、本店を東京都新宿区へ移した。一方で東名阪を営業区域とするツーカー3社の扱いは決まらず、移動体を担当する小野寺正副社長は「次世代サービスまでのつなぎ役として活用したい」(日経ビジネス 2000/10/23)と説明するにとどまる。そのツーカーの設備投資は2000年度だけで1000億円を超えており、auとの二重のブランドを抱えたまま次の投資期を迎えた。 [7][8][9]

  • KDDI 有価証券報告書【沿革】
    • [7]2001年3月にセルラー電話会社7社を統合した株式会社エーユーを株式交換で完全子会社化した
    • [8]2001年4月に商号をKDDI株式会社へ改め、本店を東京都新宿区へ移転した
  • 日経ビジネス 2000年10月23日号「KDDI 打倒NTT、「稲盛・豊田」丸船出」
    • [9]ツーカーは「次世代サービスまでのつなぎ役」とされたが2000年度だけで設備投資が1000億円を超えていた

経営体制も1年で組み替えられた。2001年6月、KDDIは執行役員制を導入して50人を超えていた役員を12〜15人に絞り、社長の上に5人いた取締役も3人へ減らす。社長は69歳の奥山雄材氏から53歳の小野寺正副社長へ交代し、稲盛和夫氏と豊田章一郎氏は取締役名誉会長から最高顧問に退いた。合併契約で副社長として処遇すると決まっていた元郵政事務次官の五十嵐三津雄氏が副社長に就いている。京セラにとって小野寺社長の昇格はDDI主導の運営を示す人事となり、トヨタ自動車は有利子負債2兆円の会社に社長を出す負担を避けた。旧DDI系のPDCと旧IDO系のCDMAという二つの規格が併存する問題は、この体制のもとで2002年3月の一本化へ持ち越された。 [10][11][12]

  • 日経ビジネス 2001年4月23日号「KDDI、意表つく旧DDI小野寺氏の社長昇格 五十嵐・元郵政次官は副社長に、京セラ主導をトヨタ静観」
    • [10]2001年6月に執行役員制を導入して役員を12〜15人に絞り、社長の上の取締役5人を3人に削減、奥山雄材社長から小野寺正副社長へ交代した
    • [11]稲盛和夫氏と豊田章一郎氏は取締役名誉会長から最高顧問へ退き、五十嵐三津雄・元郵政事務次官が副社長に就いた
    • [12]京セラには小野寺氏の昇格がDDI主導を示す人事となり、トヨタは有利子負債2兆円の会社に社長を出すリスクを避けた
  • KDDI 有価証券報告書【沿革】
    • [7]2001年3月にセルラー電話会社7社を統合した株式会社エーユーを株式交換で完全子会社化した
    • [8]2001年4月に商号をKDDI株式会社へ改め、本店を東京都新宿区へ移転した
  • 日経ビジネス 2000年10月23日号「KDDI 打倒NTT、「稲盛・豊田」丸船出」
    • [9]ツーカーは「次世代サービスまでのつなぎ役」とされたが2000年度だけで設備投資が1000億円を超えていた
  • 日経ビジネス 2001年4月23日号「KDDI、意表つく旧DDI小野寺氏の社長昇格 五十嵐・元郵政次官は副社長に、京セラ主導をトヨタ静観」
    • [10]2001年6月に執行役員制を導入して役員を12〜15人に絞り、社長の上の取締役5人を3人に削減、奥山雄材社長から小野寺正副社長へ交代した
    • [11]稲盛和夫氏と豊田章一郎氏は取締役名誉会長から最高顧問へ退き、五十嵐三津雄・元郵政事務次官が副社長に就いた
    • [12]京セラには小野寺氏の昇格がDDI主導を示す人事となり、トヨタは有利子負債2兆円の会社に社長を出すリスクを避けた

2002年〜 CDMA一本化と着うたによるドコモ追撃、au経済圏構想の発芽

KDDIの業績推移:連結

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 2002年 CDMA方式にサービスを一本化・PDC設備を除却
  2. 2002年 音楽ダウンロードサービス「着うた」を開始
  3. 2004年 auの年間契約純増数で国内1位(シェア+2%)
  4. 2004年 ディーディーアイポケットのPHS事業を譲渡
  5. 2005年 ツーカーセルラー3社と合併
  6. 2006年 パワードコムと合併
  7. 2010年 JCOMへ資本参加

規格統一の断行が追撃余力を生んだ構造転換

合併直後のKDDIが直面した最大の経営課題は、DDI系のPDC方式とIDO系のCDMA方式という二つの通信規格が併存する非効率だった。2002年3月、KDDIはCDMA方式への一本化を決め、既存のPDC設備を順次除却して新規の設備投資をCDMAへ集中させる選択に踏み切った。規格の統一は保守コストの削減と投資効率の向上をもたらし、合併企業が抱えがちな規格併存の採算上の負担を短期間で軽減する経営上の転換点となった。インフラ投資の原資確保のため本社ビルの証券化など財務面の工夫も並行させ、設備除却に伴う特別損失の計上を資本政策で支えて経営の連続性を保つ手立てを講じた判断でもあり、合併直後の経営余力を守る設計でもあった。 [13][14][15]

  • KDDI 有価証券報告書【沿革】
    • [13]合併直後のKDDIはDDI系PDC方式とIDO系CDMA方式の二規格併存という非効率を抱えた
    • [14]2002年3月 CDMA方式への一本化を決め、PDC設備を順次除却
    • [15]インフラ投資の原資確保のため本社ビルの証券化など財務面の工夫を並行

CDMAへの一本化は国内市場での高速データ通信とマルチメディアサービスの展開余地を広げ、後年のauブランドが携帯電話市場で差別化を図るための技術基盤となった。ドコモのiモードが切り開いた携帯電話インターネットの領域で、KDDIはCDMA2000 1xという第三世代規格を早期に導入して差別化の突破口を探り、通信速度と音声品質の両面で顧客価値を訴求する方向を示した。PDC設備の除却は特別損失の計上を伴ったが、規格を統一することで保守と設備投資の重複を解消した。合併から生じうる負のシナジーを能動的に潰す経営判断は、合併三年目のKDDIにとって重要な構造転換となった。 [16][17]

  • KDDI 有価証券報告書【沿革】
    • [16]KDDIはCDMA2000 1xという第三世代規格を早期に導入して差別化を図った
    • [17]PDC設備の除却は特別損失の計上を伴ったが、規格統一で保守・設備投資の重複を解消
  • KDDI 有価証券報告書【沿革】
    • [13]合併直後のKDDIはDDI系PDC方式とIDO系CDMA方式の二規格併存という非効率を抱えた
    • [14]2002年3月 CDMA方式への一本化を決め、PDC設備を順次除却
    • [15]インフラ投資の原資確保のため本社ビルの証券化など財務面の工夫を並行
    • [16]KDDIはCDMA2000 1xという第三世代規格を早期に導入して差別化を図った
    • [17]PDC設備の除却は特別損失の計上を伴ったが、規格統一で保守・設備投資の重複を解消

着うた投入が契約純増首位の奪取を呼び込んだ経緯

2002年12月、KDDIは携帯電話向け音楽配信サービス「着うた」を市場に投入した。3Gインフラの整備でデータ通信速度が向上したことを受けて、従来の簡易な着信メロディとは異なり原曲の一部を端末上でそのまま着信音として再生する新しい音楽体験の提案だった。レコード会社6社と権利処理の枠組みを共同で設計し、KDDIは通信料収入を安定的に得る黒子の立場に徹しつつ、コンテンツホルダーが舞台で活躍できる仕組みを組み上げた。サービス開始後、着うたは累計700万ダウンロードに到達するヒット商品となり、「音楽が聴けるau」というブランドイメージが若年層を中心に浸透した。 [18][19][20]

  • KDDI 有価証券報告書【沿革】
    • [18]2002年12月 携帯電話向け音楽配信サービス「着うた」を投入
    • [19]レコード会社6社と権利処理の枠組みを共同で設計(6社均等出資の座組み)
    • [20]着うたは累計700万ダウンロードに到達(2003年8月時点でDL数700万件)

2004年3月期にはauの純増契約数が年間でドコモを上回り、KDDIは携帯電話の年間契約純増数で首位を獲得した。合併直後の市場シェアで劣後していたauが、規格統一とサービス差別化の二本柱でわずか数年のうちに追撃の流れを作り出した経営史的な転換点だった。当時の社長は小野寺正である。スマートフォン時代が到来してiTunesやSpotifyといった世界的プラットフォームが主導権を握ると、着うたの枠組みは無効化された。ただし通信インフラを土台にコンテンツホルダーと共に舞台を設計する黒子型の事業モデルがKDDIの方法論として定着し、後年のサテライトグロース戦略へつながった。 [21]

  • KDDI 有価証券報告書【沿革】
    • [21]2004年3月期(2003年度)auの年間契約純増数でドコモを上回り国内首位を獲得
  • KDDI 有価証券報告書【沿革】
    • [18]2002年12月 携帯電話向け音楽配信サービス「着うた」を投入
    • [19]レコード会社6社と権利処理の枠組みを共同で設計(6社均等出資の座組み)
    • [20]着うたは累計700万ダウンロードに到達(2003年8月時点でDL数700万件)
    • [21]2004年3月期(2003年度)auの年間契約純増数でドコモを上回り国内首位を獲得

2016年〜 au経済圏の拡大とローソンTOBによる生活基盤企業への転換

KDDIの業績推移:連結

売上高(億円)純利益率(%)
  1. 2016年 ジュピターショップチャンネルを子会社化
  2. 2016年 au経済圏の最大化を戦略目標に設定
  3. 2018年 ビッグローブと英会話イーオンHDを完全子会社化
  4. 2019年 金融事業を本格展開
  5. 2019年 au損保・ライフネット生命・カブドットコム証券をauフィナンシャルHDに集約
  6. 2020年 UQコミュニケーションズのUQ mobile事業を承継
  7. 2022年 東京証券取引所プライム市場に移行

通信料金下落圧力がau経済圏構想を生んだ転換

スマートフォンの普及と総務省からの通信料金値下げ圧力が強まるなか、KDDIは2016年4月に「au経済圏の最大化」を経営の中核戦略として掲げた。当時およそ5000万の携帯電話契約者という顧客基盤を金融・保険・電力・映像配信といった通信周辺領域へ送客する発想であり、通信料収入の純減局面に入りつつあった事業環境を乗り越えるための収益モデルの提示だった。通信インフラという固定費の重い事業を土台に、変動費的な形で事業領域を広げるこの方法論は、長年培ってきた黒子経営との親和性が高く、KDDIの経営思想の延長線上にある戦略方向だった。2016年12月のビッグローブ買収について日経新聞は、ネット接続会員を取り込んでauブランドによる経済圏づくりを急ぐKDDIの思惑として報じた。 [22][23]

  • KDDI 有価証券報告書【沿革】
    • [22]2016年4月「au経済圏の最大化」を経営の中核戦略に設定
  • 日本経済新聞(2016年12月6日)
    • [23]2016年12月のビッグローブ買収を日経新聞が「auブランドによる経済圏づくりを急ぐ」と報道(日本経済新聞 2016/12/06)

具体的な動きとしては2010年のJCOMへの資本参加による映像・放送事業の取込、2014年のミャンマーMPTとの協業による海外展開、au PAYやauじぶん銀行・auカブコム証券などを通じた金融サービス領域の拡充を重ねた。通信キャリアがコンテンツと金融機能を同時に握る方向性はドコモやソフトバンクとも共通するが、KDDIは特に中核の通信契約者基盤から周辺サービスへと送客する「サテライトグロース戦略」を磨き、グループ会社の収益貢献を軸に非通信領域の事業ポートフォリオを広げた。ただし各子会社への関心の度合いは事業ごとに偏りがあり、後の不祥事発覚時に松田CEO自身が語る「知見と関心の欠如」という構造的な弱点をあわせ持つ形にもなった。 [24][25][26]

  • KDDI 有価証券報告書【沿革】
    • [24]2010年 JCOMへの資本参加による映像・放送事業の取込
    • [25]2014年 ミャンマーMPTとの協業による海外展開
  • KDDI特別調査委員会調査結果説明会(2026年3月31日)
    • [26]後の不祥事発覚時に松田CEOが語った「知見と関心の欠如」という構造的弱点
  • KDDI 有価証券報告書【沿革】
    • [22]2016年4月「au経済圏の最大化」を経営の中核戦略に設定
    • [24]2010年 JCOMへの資本参加による映像・放送事業の取込
    • [25]2014年 ミャンマーMPTとの協業による海外展開
  • 日本経済新聞(2016年12月6日)
    • [23]2016年12月のビッグローブ買収を日経新聞が「auブランドによる経済圏づくりを急ぐ」と報道(日本経済新聞 2016/12/06)
  • KDDI特別調査委員会調査結果説明会(2026年3月31日)
    • [26]後の不祥事発覚時に松田CEOが語った「知見と関心の欠如」という構造的弱点

成熟インフラの収益使途がローソンTOBへ向かう帰結

2024年4月、KDDIはローソンへのTOBを実施し、三菱商事との共同経営という枠組みのもとで小売事業への参入を決めた。通信キャリアがコンビニエンスストアチェーンを直接傘下に収めるという日本経営史上でも異例の転換であり、通信インフラから生活基盤企業への軸足移動を示す経営判断だった。背景にあったのは通信インフラ事業の成熟で潤沢に生まれ続けるキャッシュフローの再投下先という問いであり、コンテンツも金融も外部パートナーに預けてきた黒子の立場では、自前で保有すべき物理的な顧客接点を持たないという構造的な空白が年月とともに浮かび上がっていた。高橋誠社長は利益を投資に回して世界一のネットワークを構築する方針を掲げ、成長投資の優先順位を明示した。 [27][28]

  • KDDI 有価証券報告書【沿革】
    • [27]2024年(公開買付けは2024年3月28日開始)KDDIがローソンへTOBを実施・三菱商事との共同経営で小売参入
    • [28]高橋誠社長が利益を投資に回して世界一のネットワークを構築する方針を表明(ITmedia Mobile 2025/03/07)。高橋は2018/4〜2025/3が社長で、ローソンTOB(2024年)時点の社長と一致

ローソンの約1万4000店舗という物理的な顧客接点は、au経済圏の送客先にとどまらず、コンビニを通じた通信・金融・エネルギー・保険の接点拡大という文脈で再定義された。松田浩路社長は「つなぐチカラ」を異次元の水準へ引き上げる方針を語り、通信インフラを単なるインフラで終わらせずに付加価値まで含めて提供するAI時代の次世代インフラへの変革を掲げた。2023年時点のKDDIは、自らの40年の黒子経営史が生んだキャッシュの使途という問いにローソン買収という一つの回答を出した。ただし、その回答が本当に戦略的必然性に裏打ちされたものなのかという問いは依然として残っている。 [29]

    • [29]松田浩路社長が「つなぐチカラ」を異次元の水準へ引き上げる方針を語った(財界オンライン 2025/02/27)。ただし松田の社長就任は2025年4月であり、引用時点(2025/02)および本文が起く『2023年時点』の文脈では松田はまだ社長ではない(現在は社長)
  • KDDI 有価証券報告書【沿革】
    • [27]2024年(公開買付けは2024年3月28日開始)KDDIがローソンへTOBを実施・三菱商事との共同経営で小売参入
    • [28]高橋誠社長が利益を投資に回して世界一のネットワークを構築する方針を表明(ITmedia Mobile 2025/03/07)。高橋は2018/4〜2025/3が社長で、ローソンTOB(2024年)時点の社長と一致
    • [29]松田浩路社長が「つなぐチカラ」を異次元の水準へ引き上げる方針を語った(財界オンライン 2025/02/27)。ただし松田の社長就任は2025年4月であり、引用時点(2025/02)および本文が起く『2023年時点』の文脈では松田はまだ社長ではない(現在は社長)

KDDIの沿革2000〜2026年における主な出来事を抜粋

年月社長・CEO出来事重要度
DDI・KDD・IDOの三社合併——長距離・国際・携帯を1社に束ねたKDDIの発足存続会社は第二電電、残した名前はKDD——京セラとトヨタが3年かけて詰めた距離 詳細を読む★★★
小野寺正エーユーを株式交換により完全子会社化★★
小野寺正商号をKDDIに改める
小野寺正CDMA方式にサービスを一本化・PDC設備を除却★★
小野寺正音楽ダウンロードサービス「着うた」を開始★★
小野寺正auの年間契約純増数で国内1位(シェア+2%)
小野寺正ディーディーアイポケットのPHS事業を譲渡
小野寺正ツーカーセルラー3社と合併
小野寺正パワードコムと合併★★
小野寺正東京電力の光ネットワーク・カンパニー事業を承継
田中孝司JCOMへ資本参加★★
田中孝司iPhone5の販売取扱を開始
田中孝司周波数再編・旧800MHz設備の休止
田中孝司ミャンマーにKDDI Summit Global Myanmar Co., Ltd.を設立
田中孝司ジュピターショップチャンネルを子会社化
田中孝司au経済圏の最大化を戦略目標に設定
髙橋誠ビッグローブと英会話イーオンHDを完全子会社化
髙橋誠金融事業を本格展開★★
髙橋誠au損保・ライフネット生命・カブドットコム証券をauフィナンシャルHDに集約
髙橋誠UQコミュニケーションズのUQ mobile事業を承継
髙橋誠東京証券取引所プライム市場に移行
髙橋誠エネルギー事業をauエネルギーHDに承継
髙橋誠KDDIエボルバとりらいあCを統合しアルティウスリンクを発足
髙橋誠KDDIによるローソンのTOBと三菱商事との共同経営(2024年成立)なぜ通信会社のKDDIはコンビニ大手ローソンを5000億円で買い、三菱商事と折半で共同経営する道を選んだのか? 詳細を読む
髙橋誠ローソンへのTOBと三菱商事との共同経営——通信×リアル店舗をめぐる非公開化過去最大の約5000億円を投じて小売りに踏み込むか——経営の主導権を握らない出資に何を賭けたか 詳細を読む★★★
松田浩路ラックを子会社化
松田浩路子会社ビッグローブの架空循環取引と広告代理事業の廃止ある事業の売上の99.7%が実体のない取引だった——2名の社員が7年続けた循環取引を、なぜ止められなかったか 詳細を読む★★★
出典・参考
  • KDDI 有価証券報告書【沿革】
  • 日経ビジネス 2000年1月3日号「打倒NTTへ DDI、KDD、IDO合併が長期化した本当の事情」
  • 週刊東洋経済 2000年1月22日号「特別レポート モバイル進出がKDDを救う 西本正KDD社長「通信3社大合併」を語る」
  • 日経ビジネス 2000年10月23日号「KDDI 打倒NTT、「稲盛・豊田」丸船出」
  • 日経ビジネス 2001年4月23日号「KDDI、意表つく旧DDI小野寺氏の社長昇格 五十嵐・元郵政次官は副社長に、京セラ主導をトヨタ静観」
  • 日本経済新聞(2016年12月6日)
  • KDDI特別調査委員会調査結果説明会(2026年3月31日)
  • ITmedia Mobile(2025年3月7日)
  • 財界オンライン(2025年2月27日)

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