KDDI の歴史

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創業 2000年
創業者 —
創業地 東京都千代田区
創業 2000年10月1日、長距離電話の第二電電(DDI)を存続会社として国際通信のK
2000年10月1日、長距離電話の第二電電(DDI)を存続会社として国際通信のKDDと、関東甲信・東海で携帯電話を営む日本移動通信(IDO)が合併し、KDDIが発足した。単純合算の連結売上高は2兆630億円、従業員は9,700人で、NTTに次ぐ国内2位の通信会社となる。携帯電話のブランドは、同年7月にIDOとDDI系セルラーが統一した「au」を引き継いだ。2001年3月にはセルラー電話会社7社を統合したエーユーを株式交換で完全子会社とし、4月に商号をディーディーアイからKDDI株式会社へ改めている。ただし発足時の役員は53人にのぼり、常勤48人の内訳は旧DDI25人・旧KDD14人・旧IDO9人と出身別に配られた。発足時の有利子負債は2兆円にのぼり、三社の寄合いのまま経営を始めた。
決断 自前で作るより、外から持ち込んで自社の契約者へつなぐことを選んできた。2002年
自前で作るより、外から持ち込んで自社の契約者へつなぐことを選んできた。2002年3月、旧IDO系のPDCと旧DDI系のCDMAという二規格の併存を解いてCDMAへ一本化し、PDC設備を一括で除却した。同年12月にはレコード会社6社と権利処理の枠組みを共同で設計して「着うた」を投入し、2004年3月期にはauの年間契約純増数がNTTドコモを上回る。2016年に「au経済圏の最大化」を掲げると、約5,000万の契約者を金融・保険・電力・映像配信へ送る構想へ広げ、2024年には三菱商事との共同出資でローソンを公開買付けで非公開化し、折半出資の共同経営へ移した。規格も音楽も店舗も自社で一から作らなかったことが、通信料の外側に収益を持つ事業構成を生んだ。
現況 現在の成長は、個人向けの通信ではなく法人向けのDXが担っている。2026年3月期
現在の成長は、個人向けの通信ではなく法人向けのDXが担っている。2026年3月期の売上高は6兆719億円で、セグメント別の売上高はパーソナルが4兆8,127億円、ビジネスが1兆5,279億円である。営業利益1兆991億円の内訳では、パーソナルが8,283億円と前期の8,771億円から減った一方、ビジネスは2,330億円から2,639億円へ13%伸びた。個人向けは通信料の値下げと販売コストを抱え、伸びしろは金融・電力・映像といった非通信へ移っている。2026年3月には、連結子会社ビッグローブが7年にわたる架空循環取引で連結売上高を累計2,461億円過大計上していたと公表し、広告代理事業を廃止した。稼ぐ場所を個人から法人へ移すことと、広げたグループ会社を統制することが、同時に問われている。
競合 携帯3社の競争は、回線の数ではなく1契約あたりに売る商材の数で起きている。国内の
携帯3社の競争は、回線の数ではなく1契約あたりに売る商材の数で起きている。国内の携帯契約数ではNTTドコモに次ぐ2位を保つが、3社とも決済・金融・ポイントを抱え、同じ顧客へ複数の商材を並べる形に収れんした。KDDIはau PAY・auじぶん銀行・auでんきを揃え、2024年に取り込んだローソンの店舗網を売場に加えている。低価格帯ではソフトバンクのワイモバイルと自社のUQモバイルが並び、2020年に本格参入した楽天モバイルが料金の下限を押し下げた。通信料の単価が制度と競争の両方から下がるなか、KDDIが差をつけられるのは回線の外に置いた商材の厚みだけになった。
長期業績の推移 1993〜2026年
KDDI:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円)純利益率(%)
2006年3月期〜2026年3月期

第1章 2000年〜 三社合併で発足したKDDIと、寄合いの経営体制

筆者考察y.sugiura, author

3社が1つになった2000年10月の時点で、この統合が何を買えるかはおおむね決まっていた。1996年1月の携帯電話870万台のうちNTTドコモは420万台、DDI系セルラーとIDOは合わせて280万台で、差は3分の2にとどまっていた。それが2年11カ月後には3,900万台のうちドコモ2,200万台、両社820万台と3分の1強まで開く。稲盛和夫氏が合併直後の会見で2年前に合併できていればと述べたのは、統合を測る物差しが、追い越せるかどうかから、どこまで離されずに済むかへ変わっていたからだろう。遅れを認めた者どうしの合併は、規模は買えても速さは買えない。

その遅れは、役員53人という形で会社の内側にも現れた。日本テレコム30人、NTTドコモ28人に対する数の多さは、たすきがけをしないという合意を守れなかった結果であり、旧DDI25人・旧KDD14人・旧IDO9人という配り方は、どの出身母体も削られなかったことを意味する。牛尾治朗氏が無理に1つへまとめるより長所を生かすと言ったのは調停として正しいが、調停に要る時間はドコモとの差が開く時間でもあった。役員を12〜15人へ絞るまでに発足から8カ月かかっている。合併で得た規模を動かすには、まず寄合いを解く必要があった。

2000年〜長距離・国際・携帯を1社に束ねた統合

2000年10月1日、第二電電(DDI)を存続会社としてKDDと日本移動通信(IDO)が合併し、KDDIが発足した。1985年の通信自由化で生まれた新電電各社は、1999年2月にNTTドコモがiモードを投入したころには規模と投資余力の差で引き離されており、非NTT陣営の再編がここで決着した。長距離電話のDDI、国際通信のKDD、関東甲信と東海の携帯電話のIDOという事業も出自も異なる3社が合流し、単純合算で連結売上高2兆630億円、従業員9700人とNTTに次ぐ国内2位の通信会社となった。移動体通信のブランドは、同年7月にIDOとDDI系セルラーが統一した"au"を引き継ぎ、若年層の獲得を事業の中心に置いた。

  • KDDI 有価証券報告書【沿革】
    • [1]2000年10月1日、DDIを存続会社としてKDD・IDOが合併しKDDIが発足した
  • 日経ビジネス 2000年1月3日号
    • [2]3社の単純合算で連結売上高2兆630億円・従業員9700人となり、NTT(9兆7297億円)に次ぐ国内2位となった

合併の話は、1998年12月にIDOの塚田健雄社長が稲盛和夫氏を訪ねたところから動いた。1996年1月に870万台だった携帯電話の総加入台数は、NTTドコモ420万台に対しDDI系のセルラー各社170万台、IDO110万台で、二つを合わせればドコモの3分の2に届いていた。それが1998年12月には総数3,900万台のうちドコモが2,200万台を占め、セルラー500万台・IDO320万台と3分の1強まで開いた。IDOは営業区域が首都圏と中部圏に限られたまま設備投資がかさみ、1997年3月期に59億円、1998年3月期に385億円の最終赤字を出していた。2001年に始まる次世代携帯電話に郵政省が3グループしか免許を与えない方針を示しており、残る1枠を争える時間は長くなかった。それでも合併が正式に決まるまでには、そこから1年を要した。

  • 日経ビジネス 2000年10月23日号
    • [3]1998年12月、IDOの塚田健雄社長がDDIの稲盛和夫名誉会長を訪ね、合併を申し入れた
    • [4]1996年1月の携帯電話の総加入台数は870万台で、内訳はNTTドコモ420万台・DDI系セルラー170万台・IDO110万台
    • [5]1998年12月の携帯電話の総加入台数は3,900万台で、内訳はNTTドコモ2,200万台・DDI系セルラー500万台・IDO320万台
    • [6]IDOはサービス地域が首都圏と中部圏に限られ設備投資がかさみ、1997年3月期に最終赤字59億円、1998年3月期に同385億円を出した
    • [7]2001年から始まる次世代携帯電話について、郵政省は3グループにしか免許を与えない方針を示していた
  • 日経ビジネス 2000年1月3日号
    • [8]3社の合併交渉は長期化し、正式に決まったのは1999年12月だった

発足時の役員は非常勤5人を含めて53人にのぼった。日本テレコムの30人、NTTドコモの28人と比べて多く、常勤48人の内訳は旧DDI25人、旧KDD14人、旧IDO9人で、執行部門はDDI出身者が長なら副にKDD出身者を置く配置となった。合併合意の際に『たすきがけ人事はしない』と決めていた取り決めは守られていない。有利子負債は2兆円あり、営業初日の2000年10月2日の株価は3万5000円安と年初来最安値まで下げた。新会社はDDIの効率経営、トヨタ自動車の国際展開力、KDDの技術力を組み合わせる方針を掲げた『違う者同士を無理に1つにまとめるより、お互いの長所を生かすことが、この会社には得策』(日経ビジネス 2000/10/23)——会長に就任した牛尾治朗が取締役会議長の立場から示した方針である。統合を急がない構えは、寄合いをそのまま抱えて走る構えでもあった。

  • 日経ビジネス 2000年10月23日号
    • [9]発足時の役員は非常勤5人を含め53人。常勤48人の内訳は旧DDI25人・旧KDD14人・旧IDO9人で「たすきがけ人事はしない」との合意は履行されなかった
    • [10]有利子負債2兆円、営業初日2000年10月2日の株価は3万5000円安の年初来最安値
    • [11]牛尾治朗会長は互いの長所を生かすほうが得策と述べ、DDIの効率経営・トヨタの国際展開力・KDDの技術力の組み合わせを掲げた
参考文献[1]-[11]
  • KDDI 有価証券報告書【沿革】
    • [1]2000年10月1日、DDIを存続会社としてKDD・IDOが合併しKDDIが発足した
  • 日経ビジネス 2000年1月3日号
    • [2]3社の単純合算で連結売上高2兆630億円・従業員9700人となり、NTT(9兆7297億円)に次ぐ国内2位となった
    • [8]3社の合併交渉は長期化し、正式に決まったのは1999年12月だった
  • 日経ビジネス 2000年10月23日号
    • [3]1998年12月、IDOの塚田健雄社長がDDIの稲盛和夫名誉会長を訪ね、合併を申し入れた
    • [4]1996年1月の携帯電話の総加入台数は870万台で、内訳はNTTドコモ420万台・DDI系セルラー170万台・IDO110万台
    • [5]1998年12月の携帯電話の総加入台数は3,900万台で、内訳はNTTドコモ2,200万台・DDI系セルラー500万台・IDO320万台
    • [6]IDOはサービス地域が首都圏と中部圏に限られ設備投資がかさみ、1997年3月期に最終赤字59億円、1998年3月期に同385億円を出した
    • [7]2001年から始まる次世代携帯電話について、郵政省は3グループにしか免許を与えない方針を示していた
    • [9]発足時の役員は非常勤5人を含め53人。常勤48人の内訳は旧DDI25人・旧KDD14人・旧IDO9人で「たすきがけ人事はしない」との合意は履行されなかった
    • [10]有利子負債2兆円、営業初日2000年10月2日の株価は3万5000円安の年初来最安値
    • [11]牛尾治朗会長は互いの長所を生かすほうが得策と述べ、DDIの効率経営・トヨタの国際展開力・KDDの技術力の組み合わせを掲げた

2000年〜純増と解約率で開いた差と、北米方式cdma2000の選択

発足直後のKDDIは、旧IDO・DDI系セルラー・ツーカーという3つの携帯電話会社を抱えていた。2000年1月から9月までの携帯電話の純増数は、5月を除くすべての月でJ-フォンがKDDI系を上回っている。解約率も、NTTドコモの2000年3月期1.6%に対してauは同年7月時点で3%を超えていた。優位の根拠として残ったのは通信方式の選び方で、KDDIは次世代に北米方式のcdma2000を採り、すでにauブランドで提供していたcdmaOneを改良する道を選んだ。設備を一から積み直す日欧方式の1兆円に対し、投資は6,000億円で済む見込みだった。もっともこの選択は一度ぐらついており、DDIで次世代の責任者だった小野寺正氏が日欧方式への切り替えを決めた際には、IDO側が稲盛和夫氏へ直訴して方針が戻されている。

  • 日経ビジネス 2000年10月23日号
    • [12]KDDIは旧IDOとDDI系セルラー、さらにツーカーと3つの携帯電話会社を抱えていた
    • [13]2000年1月から9月までの携帯電話の純増数は、5月を除くすべての月でJ-フォンがKDDIを上回った
    • [14]NTTドコモの2000年3月期の解約率は1.6%、auは2000年7月時点で3%を超えていた(首都圏と中部圏を除く)
    • [15]KDDIは次世代に北米方式(cdma2000)を採用し、auブランドで提供していたcdmaOneを改良する方針を採った
    • [16]cdmaOneの改良による設備投資は6,000億円の見込みで、設備を一から構築する日欧方式は1兆円規模とみられた
  • 日経ビジネス 2001年4月23日号
    • [17]DDIで次世代携帯電話の責任者だった小野寺正氏が日欧方式への切り替えを決めたが、IDO首脳が稲盛和夫氏に直訴し、北米方式へ再度方針転換した

有利子負債2兆円の圧縮は、発足時から投資家が最も問うた点だった。日本テレコムの連結有利子負債が2000年3月期で1,800億円だったのに比べ、KDDIの水準は際立って高かった。会社が示した道筋は、DDI系のセルラー電話会社を合併し、旧IDOの部門を統合したうえで移動体事業を株式公開し、その公開益で負債を圧縮するというものだった。経理を担当した森田敏行取締役は、NTTドコモの時価総額30兆円の10分の1と見ても3兆円の企業価値になると見込んでいた。ただし次世代サービスの設備投資は毎期5,000億円を超える見通しで、負債の圧縮が始まるのは3年後とされた。合併で得た規模は、返済の原資になる前に投資の担保として使われた。

  • 日経ビジネス 2000年10月23日号
    • [18]合併直後の株価低迷の要因として、経営体制への不透明感・多額の有利子負債・移動体通信事業の不振の3点が挙げられた
    • [19]KDDIの有利子負債は2兆円。日本テレコムの連結有利子負債は2000年3月期で1,800億円だった
    • [20]DDI系セルラー電話会社の合併と旧IDO部門の統合を経て移動体事業を株式公開し、公開益で有利子負債を圧縮する計画だった
    • [21]森田敏行取締役は、NTTドコモの時価総額30兆円の10分の1と見ても3兆円の企業価値になると見込んだ
    • [22]次世代サービスの設備投資は毎期5,000億円を超える見通しで、有利子負債の圧縮が始まるのは3年後とされた
参考文献[12]-[22]
  • 日経ビジネス 2000年10月23日号
    • [12]KDDIは旧IDOとDDI系セルラー、さらにツーカーと3つの携帯電話会社を抱えていた
    • [13]2000年1月から9月までの携帯電話の純増数は、5月を除くすべての月でJ-フォンがKDDIを上回った
    • [14]NTTドコモの2000年3月期の解約率は1.6%、auは2000年7月時点で3%を超えていた(首都圏と中部圏を除く)
    • [15]KDDIは次世代に北米方式(cdma2000)を採用し、auブランドで提供していたcdmaOneを改良する方針を採った
    • [16]cdmaOneの改良による設備投資は6,000億円の見込みで、設備を一から構築する日欧方式は1兆円規模とみられた
    • [18]合併直後の株価低迷の要因として、経営体制への不透明感・多額の有利子負債・移動体通信事業の不振の3点が挙げられた
    • [19]KDDIの有利子負債は2兆円。日本テレコムの連結有利子負債は2000年3月期で1,800億円だった
    • [20]DDI系セルラー電話会社の合併と旧IDO部門の統合を経て移動体事業を株式公開し、公開益で有利子負債を圧縮する計画だった
    • [21]森田敏行取締役は、NTTドコモの時価総額30兆円の10分の1と見ても3兆円の企業価値になると見込んだ
    • [22]次世代サービスの設備投資は毎期5,000億円を超える見通しで、有利子負債の圧縮が始まるのは3年後とされた
  • 日経ビジネス 2001年4月23日号
    • [17]DDIで次世代携帯電話の責任者だった小野寺正氏が日欧方式への切り替えを決めたが、IDO首脳が稲盛和夫氏に直訴し、北米方式へ再度方針転換した

2001年〜商号をKDDIに改めるまでの1年

会社の形は発足から1年かけて整えられた。2001年3月、セルラー電話会社7社を統合した株式会社エーユーを株式交換で完全子会社とし、地域ごとに分かれていた携帯電話の運営を1社にまとめる。翌4月には商号を株式会社ディーディーアイからKDDI株式会社へ改め、本店を東京都新宿区へ移した。一方で東名阪を営業区域とするツーカー3社の扱いは決まらず、移動体を担当する小野寺正副社長も、新しい世代の方式が立ち上がるまでの暫定的な受け皿と見るにとどまった。そのツーカーの設備投資は2000年度だけで1000億円を超えており、auとの二重のブランドを抱えたまま次の投資期を迎えた。

  • KDDI 有価証券報告書【沿革】
    • [23]2001年3月にセルラー電話会社7社を統合した株式会社エーユーを株式交換で完全子会社化した
    • [24]2001年4月に商号をKDDI株式会社へ改め、本店を東京都新宿区へ移転した
  • 日経ビジネス 2000年10月23日号
    • [25]ツーカーは「次世代サービスまでのつなぎ役」とされたが2000年度だけで設備投資が1000億円を超えていた

経営体制も1年で組み替えられた。2001年6月、KDDIは執行役員制を導入して50人を超えていた役員を12〜15人に絞り、社長の上に5人いた取締役も3人へ減らす。社長は69歳の奥山雄材氏から53歳の小野寺正副社長へ交代し、稲盛和夫氏と豊田章一郎氏は取締役名誉会長から最高顧問に退任した。合併契約で副社長として処遇すると決まっていた元郵政事務次官の五十嵐三津雄氏が副社長に就任している。京セラにとって小野寺正社長の昇格はDDI主導の運営を示す人事となり、トヨタ自動車は有利子負債2兆円の会社に社長を出す負担を避けた。旧DDI系のPDCと旧IDO系のCDMAという二つの規格が併存する問題は、この体制のもとで2002年3月の一本化へ持ち越された。

  • 日経ビジネス 2001年4月23日号
    • [26]2001年6月に執行役員制を導入して役員を12〜15人に絞り、社長の上の取締役5人を3人に削減、奥山雄材社長から小野寺正副社長へ交代した
    • [27]稲盛和夫氏と豊田章一郎氏は取締役名誉会長から最高顧問へ退き、五十嵐三津雄・元郵政事務次官が副社長に就いた
    • [28]京セラには小野寺氏の昇格がDDI主導を示す人事となり、トヨタは有利子負債2兆円の会社に社長を出すリスクを避けた

小野寺正氏がKDDIの社長に就いたのは、2001年6月である。1948年2月に仙台で生まれ、1970年に東北大学工学部電気工学科を出て日本電信電話公社に入り、無線開発を手掛けた。1984年11月にDDIへ移り、1989年に取締役、1995年に常務、1997年に副社長と携帯電話の技術陣を率いてきた。社内には消去法の人事と評する役員もおり、次の社長候補が見当たらないことを露呈した人事でもあった。衛星携帯電話で資本提携していた米イリジウムが会社更生法を申請したときには、投資家への説明を財務担当者に任せず自ら相手先へ出向いている。引き受けたのは、約2兆円の有利子負債と携帯電話事業の再編だった。合併で寄り合った3社を1つの会社へ作り替える仕事は、ここから始まった。

  • 日経ビジネス 2001年10月29日号
    • [29]小野寺正氏は2001年6月にKDDI社長へ就任した
    • [30]1948年2月宮城県仙台市生まれ。1970年3月東北大学工学部電気工学科卒業、4月日本電信電話公社入社。無線開発を手掛けた
    • [31]1984年11月DDI入社、1989年6月取締役、1995年6月常務、1997年6月副社長、2000年10月KDDI副社長。DDIの携帯電話の技術陣のリーダー的存在だった
    • [33]資本提携していた米イリジウムが会社更生法を申請した際、小野寺氏は投資家への説明を財務担当者に任せず自ら相手先へ出向いた
    • [34]就任時のKDDIは約2兆円の有利子負債の削減と携帯電話事業の再編を課題として抱えていた
  • 日経ビジネス 2001年4月23日号
    • [32]KDDIの役員は小野寺氏の昇格を「消去法の人事」と評し、次の社長候補の不在が指摘された
参考文献[23]-[34]
  • KDDI 有価証券報告書【沿革】
    • [23]2001年3月にセルラー電話会社7社を統合した株式会社エーユーを株式交換で完全子会社化した
    • [24]2001年4月に商号をKDDI株式会社へ改め、本店を東京都新宿区へ移転した
  • 日経ビジネス 2000年10月23日号
    • [25]ツーカーは「次世代サービスまでのつなぎ役」とされたが2000年度だけで設備投資が1000億円を超えていた
  • 日経ビジネス 2001年4月23日号
    • [26]2001年6月に執行役員制を導入して役員を12〜15人に絞り、社長の上の取締役5人を3人に削減、奥山雄材社長から小野寺正副社長へ交代した
    • [27]稲盛和夫氏と豊田章一郎氏は取締役名誉会長から最高顧問へ退き、五十嵐三津雄・元郵政事務次官が副社長に就いた
    • [28]京セラには小野寺氏の昇格がDDI主導を示す人事となり、トヨタは有利子負債2兆円の会社に社長を出すリスクを避けた
    • [32]KDDIの役員は小野寺氏の昇格を「消去法の人事」と評し、次の社長候補の不在が指摘された
  • 日経ビジネス 2001年10月29日号
    • [29]小野寺正氏は2001年6月にKDDI社長へ就任した
    • [30]1948年2月宮城県仙台市生まれ。1970年3月東北大学工学部電気工学科卒業、4月日本電信電話公社入社。無線開発を手掛けた
    • [31]1984年11月DDI入社、1989年6月取締役、1995年6月常務、1997年6月副社長、2000年10月KDDI副社長。DDIの携帯電話の技術陣のリーダー的存在だった
    • [33]資本提携していた米イリジウムが会社更生法を申請した際、小野寺氏は投資家への説明を財務担当者に任せず自ら相手先へ出向いた
    • [34]就任時のKDDIは約2兆円の有利子負債の削減と携帯電話事業の再編を課題として抱えていた

第2章 2002年〜 重複事業の整理と顧客基盤の取得PDC除却からJ:COM327万世帯の取得へ

筆者考察y.sugiura, author

2002年以降のKDDIが速く動けたのは、自分で持つ範囲を狭めたからである。稼働中のPDC設備1,283億円を一期で落としてCDMAへ寄せ、音楽配信ではコンテンツを自社で作らず、事業者が作りたくなる料金と権利管理の条件だけを整えた。固定通信では自社網を敷き足す代わりに、パワードコムと東京電力の光ネットワーク事業を引き受けている。どれも抱える資産と工程を減らす判断であり、減らした分だけ次の一手までの距離は短くなった。2003年度に純増シェア49%で初めてNTTドコモを上回ったとき、KDDIが持っていたのは他社より優れた技術ではなく、捨てる順番の決まった資産だったと思われる。

もっとも、自前をやめて縮められたのは時間であって、順位ではなかった。純増で首位に立った2004年の時点でも累積の契約数シェアは約2ポイントしか動いておらず、小野寺正氏自身が追撃は容易でないと認めている。2010年にジュピターテレコムへ3,616億円を投じたのは、自社で光を敷いて327万世帯へ届くのに要る年数を、金額へ置き換えたからだろう。しかも取得したのはJ:COM株そのものではなく米国LLC3社の持分で、議決権は30.9%にとどまった。支配を取らずに入り、3年待って住友商事と組み直し、2013年4月に連結子会社とした。急ぐために自前をやめた会社が、最後は待つことで基盤を取っている。

連結営業収益 2006年3月期〜2015年3月期(億円)

30,608 06.3 34,975 09.3 35,720 12.3 36,622 13.3 43,336 14.3 42,700 15.3
  • 連結・日本基準。2015年3月期のみ表示科目が売上高。出所は有価証券報告書【主要な経営指標等の推移】。
  • 2014年3月期の増加には、2013年4月にジュピターテレコムを連結子会社としたことが含まれる。

2002年〜PDC設備の一括除却と、着うたによるコンテンツ収入の開拓

2002年3月、KDDIはauの通信方式をCDMAへ一本化し、旧方式のPDCの携帯電話設備をすべて除却した。同月に公表した中期経営計画2002は、事業構造改革の第一にこの除却を置いていた。対象となった基地局やネットワークの設備1,283億円は、2002年3月期の特別損失に落とされる。端末の廃棄及び評価損268億円と合わせ、au事業の構造改革費用は1,551億円、全社では1,854億円にのぼった。稼働している設備を帳簿から外す代わりに、以後の減価償却費と通信設備使用料を断ち切る組み替えである。原資には新宿本社ビルなど4棟の証券化で得た売却益1,437億円を充てた。同期の連結当期純利益は130億円まで落ちている。

  • KDDI アニュアルレポート2002(事業構造改革)
    • [35]2002年3月、auの通信方式をCDMAへ一本化し、PDC方式の携帯電話設備をすべて除却した
    • [36]2002年3月に公表した中期経営計画2002は、事業構造改革の第一にPDC設備の除却を置いた
    • [37]除却した基地局・ネットワーク等の設備1,283億円を2002年3月期の特別損失に計上した
    • [38]au事業の構造改革費用は1,551億円(PDC設備の除却1,283億円と端末の廃棄及び評価損268億円)、全社では1,854億円
    • [39]構造改革費用の原資に、新宿本社ビル等4棟の証券化による売却益1,437億円を充てた
  • KDDI 有価証券報告書 第22期(2006年3月期)【主要な経営指標等の推移】
    • [40]2002年3月期の連結営業収益は2兆8,338億円、当期純利益は130億円

一本化の受け皿となる第三世代のCDMA2000 1xは、2002年3月11日に33都道府県477市区町村で始まった。同じ年の12月、KDDIは携帯電話向けの音楽配信サービス「着うた」を投入する。コンテンツを自社で開発する道は採らず、事業者が開発したくなる条件を整える側に回った。1xの速度なら不満なくダウンロードでき、割引を使えば1曲70〜80円で済む。データを端末の外へ持ち出せない仕組みのため、権利管理の環境も揃っていた。小野寺正社長はのちに、コンテンツの開発は『餅は餅屋』で自社ですべて開発するのは不可能に近いと述べている。着うたのダウンロードは2003年8月までに累計700万件へ達した。

  • KDDI ニュースリリース 2002年3月11日「第3世代携帯電話(CDMA2000 1x)を全国主要都市で開始」
    • [41]2002年3月11日、第3世代のCDMA2000 1xを33都道府県477市区町村で開始した
  • KDDI 有価証券報告書【沿革】
    • [42]2002年12月、携帯電話向け音楽配信サービス「着うた」を開始した
    • [45]着うたのダウンロードは2003年8月時点で累計700万件に達した
  • 日経ビジネス 2004年5月10日号
    • [43]1xの速度で不満なくダウンロードでき、割引サービスを使えば1曲当たり70〜80円程度で済んだ
    • [44]データを携帯電話の外へ持ち出せない仕組みのため、DRM(デジタル権利管理)の環境も整っていた

2003年度、auの年間契約純増数は初めてNTTドコモを上回った。純増シェアは49%に達したが、累積の契約数シェアはおよそ2ポイントしか縮まっていなかった。小野寺正社長は、1社が50%以上のシェアを持つ市場は日本と韓国くらいだと述べ、追撃が容易でないことを認めている。社内では2002年に、営業本部の下にあったカスタマーサービス本部を独立させていた。顧客の要望より自社の都合を通す対応が営業の配下で常態化しており、取扱説明書を直せば問い合わせが減るという見方に立った組み替えである。PDC関連の費用が消えた2004年3月期の連結当期純利益は1,170億円へ戻った。

  • KDDI 有価証券報告書【沿革】
    • [46]2004年3月期(2003年度)、auの年間契約純増数でNTTドコモを上回り国内首位となった
  • 日経ビジネス 2004年5月10日号
    • [47]2003年度の純増シェアは49%だが、累積シェアの差は約2ポイントしか縮まっていない
    • [48]小野寺正社長は、1社が50%以上のシェアを持つ市場は日本と韓国くらいだと述べ、追撃は容易でないとした
    • [49]2002年、営業本部の下にあったカスタマーサービス本部を独立させた
    • [50]コールセンターでは自社の都合を通す対応が常態化しており、取扱説明書そのものに問題があることが問い合わせの多さを招いていた
  • KDDI 有価証券報告書 第22期(2006年3月期)【主要な経営指標等の推移】
    • [51]2004年3月期の連結当期純利益は1,170億円
参考文献[35]-[51]
  • KDDI アニュアルレポート2002(事業構造改革)
    • [35]2002年3月、auの通信方式をCDMAへ一本化し、PDC方式の携帯電話設備をすべて除却した
    • [36]2002年3月に公表した中期経営計画2002は、事業構造改革の第一にPDC設備の除却を置いた
    • [37]除却した基地局・ネットワーク等の設備1,283億円を2002年3月期の特別損失に計上した
    • [38]au事業の構造改革費用は1,551億円(PDC設備の除却1,283億円と端末の廃棄及び評価損268億円)、全社では1,854億円
    • [39]構造改革費用の原資に、新宿本社ビル等4棟の証券化による売却益1,437億円を充てた
  • KDDI 有価証券報告書 第22期(2006年3月期)【主要な経営指標等の推移】
    • [40]2002年3月期の連結営業収益は2兆8,338億円、当期純利益は130億円
    • [51]2004年3月期の連結当期純利益は1,170億円
  • KDDI ニュースリリース 2002年3月11日「第3世代携帯電話(CDMA2000 1x)を全国主要都市で開始」
    • [41]2002年3月11日、第3世代のCDMA2000 1xを33都道府県477市区町村で開始した
  • KDDI 有価証券報告書【沿革】
    • [42]2002年12月、携帯電話向け音楽配信サービス「着うた」を開始した
    • [45]着うたのダウンロードは2003年8月時点で累計700万件に達した
    • [46]2004年3月期(2003年度)、auの年間契約純増数でNTTドコモを上回り国内首位となった
  • 日経ビジネス 2004年5月10日号
    • [43]1xの速度で不満なくダウンロードでき、割引サービスを使えば1曲当たり70〜80円程度で済んだ
    • [44]データを携帯電話の外へ持ち出せない仕組みのため、DRM(デジタル権利管理)の環境も整っていた
    • [47]2003年度の純増シェアは49%だが、累積シェアの差は約2ポイントしか縮まっていない
    • [48]小野寺正社長は、1社が50%以上のシェアを持つ市場は日本と韓国くらいだと述べ、追撃は容易でないとした
    • [49]2002年、営業本部の下にあったカスタマーサービス本部を独立させた
    • [50]コールセンターでは自社の都合を通す対応が常態化しており、取扱説明書そのものに問題があることが問い合わせの多さを招いていた

2004年〜ツーカー・DDIポケットの整理と、電力系事業者からの固定基盤の取り込み

auと同じ市場に自社の別ブランドが並ぶ状態は、2004年から順に解かれた。2004年10月、KDDIは子会社ディーディーアイポケットのPHS事業を譲渡する。翌2005年10月にはツーカーセルラー3社と合併し、東名阪で音声通話を中心に営んできた事業を本体へ取り込んだ。小野寺正社長はその年の春、両社ともauと『棲み分けができなければ共食いになるので、持っている理由はありません』と述べ、売却も本体への吸収もあり得ると説明していた。DDIポケットの定額データ通信はパソコンや携帯情報端末への接続を想定していた。ツーカーは話せればよいという層を狙い、当面の棲み分けは成り立っていた。それでも二つのブランドを別に持つ理由は、2002年の一本化で既に薄れていた。

  • KDDI 有価証券報告書【沿革】
    • [52]2004年10月、ディーディーアイポケットのPHS事業を譲渡した
    • [53]2005年10月、ツーカーセルラー3社と合併した
  • 日経ビジネス 2004年5月10日号
    • [54]DDIポケットの定額データ通信はパソコンやPDAへの接続を想定し、auの定額制は電子メールと情報閲覧に絞っていた
    • [55]ツーカーは「話せればいい」というローエンドの利用者を狙い、音声通話を中心に事業を展開していた

移動体に収益を頼りながら、固定通信は手放されなかった。2006年1月、KDDIは電力系の通信事業者パワードコムと合併し、法人向けの回線網を取り込んだ。翌2007年1月には東京電力の光ネットワーク・カンパニーの事業を承継し、関東の光ファイバー設備を引き受けている。小野寺正社長は2004年の時点で、固定と携帯の区別は客から見れば関係がなく、技術の側から見た分け方にすぎないと述べていた。切り離す考えは『そのつもりは毛頭ありません』と明言し、むしろ固定を持つことが強みになるという見立てに立っている。自社で敷き直すのではなく、電力会社が敷いた設備を買う形で固定の基盤を厚くした。

  • KDDI 有価証券報告書【沿革】
    • [56]2006年1月、株式会社パワードコムと合併した
    • [57]2007年1月、東京電力の光ネットワーク・カンパニーの事業を承継した
  • 日経ビジネス 2004年5月10日号
    • [58]小野寺正社長は、固定と携帯の区別は顧客から見れば関係がなく技術側から見た分け方にすぎず、いずれ境界線はなくなると述べた
    • [59]固定通信を切り離す考えはなく、むしろ固定を持っていることが強みになるとした

重複の整理と固定の買い足しは、連結の規模を押し上げた。2006年3月期の営業収益は3兆608億円、営業利益2,966億円、当期純利益1,905億円で、従業員は14,021人だった。2007年3月期には営業収益3兆3,352億円、営業利益3,447億円となり、従業員も14,358人へ増えている。ただし取り込んだ資産がそのまま使えたわけではない。2006年3月期には、合併で引き受けたツーカーのPDC設備等について1,142億円の減損損失を計上した。2002年に自社のPDCを1,283億円で落とした会社が、4年後に他社のPDCをもう一度落としたことになる。

  • KDDI 有価証券報告書 第22期(2006年3月期)【主要な経営指標等の推移】
    • [60]2006年3月期の連結営業収益3兆608億円、営業利益2,966億円、当期純利益1,905億円、従業員14,021人
    • [62]2006年3月期にツーカーのPDC設備等について減損損失1,142億円を計上した
  • KDDI 有価証券報告書 第23期(2007年3月期)【主要な経営指標等の推移】
    • [61]2007年3月期の連結営業収益3兆3,352億円、営業利益3,447億円、従業員14,358人
参考文献[52]-[62]
  • KDDI 有価証券報告書【沿革】
    • [52]2004年10月、ディーディーアイポケットのPHS事業を譲渡した
    • [53]2005年10月、ツーカーセルラー3社と合併した
    • [56]2006年1月、株式会社パワードコムと合併した
    • [57]2007年1月、東京電力の光ネットワーク・カンパニーの事業を承継した
  • 日経ビジネス 2004年5月10日号
    • [54]DDIポケットの定額データ通信はパソコンやPDAへの接続を想定し、auの定額制は電子メールと情報閲覧に絞っていた
    • [55]ツーカーは「話せればいい」というローエンドの利用者を狙い、音声通話を中心に事業を展開していた
    • [58]小野寺正社長は、固定と携帯の区別は顧客から見れば関係がなく技術側から見た分け方にすぎず、いずれ境界線はなくなると述べた
    • [59]固定通信を切り離す考えはなく、むしろ固定を持っていることが強みになるとした
  • KDDI 有価証券報告書 第22期(2006年3月期)【主要な経営指標等の推移】
    • [60]2006年3月期の連結営業収益3兆608億円、営業利益2,966億円、当期純利益1,905億円、従業員14,021人
    • [62]2006年3月期にツーカーのPDC設備等について減損損失1,142億円を計上した
  • KDDI 有価証券報告書 第23期(2007年3月期)【主要な経営指標等の推移】
    • [61]2007年3月期の連結営業収益3兆3,352億円、営業利益3,447億円、従業員14,358人

2010年〜ジュピターテレコム327万世帯の取得と、住友商事との共同経営への移行

2010年1月25日、KDDIはLiberty Global, Inc.グループと譲渡契約を結び、ジュピターテレコムへの資本参加を決めた。2月19日に取得したのは、J:COMの株式そのものではなかった。LGIグループがその株式を保有する米国のLLC3社の持分の全部で、取得価額は3,616億5,500万円である。承継したJ:COM株式は2,592,511株、議決権所有割合は30.9%にとどまる。2009年12月末に327万世帯を抱える国内最大のケーブルテレビ統括運営会社が、持分法適用関連会社となった。取得資金は自己資金と借入金等で賄われ、有利子負債は1兆967億円と前期末から2,218億円増えている。自社で光を敷き足す代わりに、到達済みの世帯数を買った。

  • KDDI 適時開示 2010年1月25日「株式会社ジュピターテレコムへの資本参加について」
    • [63]2010年1月25日、Liberty Global, Inc.グループと譲渡契約を締結し、ジュピターテレコムへの資本参加を決めた
  • KDDI 有価証券報告書 第26期(2010年3月期)【経営上の重要な契約等】
    • [64]取得対象はジュピターテレコムの株式ではなく、LGIグループがその株式を保有する米国LLC3社の持分の全部だった
    • [65]2010年2月19日に米国LLC3社の持分の全部を361,655百万円で取得した
    • [66]承継したジュピターテレコム株式は2,592,511株、議決権所有割合は30.9%
    • [67]ジュピターテレコムは1995年設立の国内最大手MSOで、2009年12月末の総加入世帯数は327万世帯。持分法適用関連会社となった
    • [68]取得資金は自己資金及び借入金等で調達し、有利子負債は1兆967億円と前期末から2,218億円増加した

議決権30.9%では、経営権までは動かなかった。承継した株式のうち458,714株は取得より前に信託銀行へ信託譲渡されており、議決権の行使に関与できない。KDDIが掲げたのは戦略的パートナーシップの構築で、固定・移動・放送を融合したサービスをケーブルテレビの顧客へ広げることだった。2011年4月には、ケーブルプラス電話の卸を使う「J:COM PHONEプラス」がJ:COMのサービスエリアで順次始まる。取得の器となった中間持株会社4社は2011年3月期に清算し、清算所得法人税491億7,700万円を未払金へ計上した。既存株主と並んで待つ3年が、ここから始まった。

  • KDDI 有価証券報告書 第26期(2010年3月期)【経営上の重要な契約等】
    • [69]承継した株式のうち458,714株は取得前に信託銀行へ信託譲渡されており、議決権の行使に関与できない
    • [70]取得の理由は戦略的パートナーシップの構築で、FMBC(固定・移動・放送の融合)のサービスをケーブルテレビの顧客へ広げることにあった
  • KDDI 有価証券報告書 第27期(2011年3月期)【主な資産及び負債の内容】
    • [71]2011年4月、ケーブルプラス電話の卸を使う「J:COM PHONEプラス」をジュピターテレコムのサービスエリアで順次開始した
    • [72]ジュピターテレコム株式を保有していた中間持株会社4社を2011年3月期に清算し、清算所得法人税49,177百万円を未払金に計上した

2012年10月24日、KDDIは住友商事と株主間契約を結び、両社でジュピターテレコム株式の公開買付けを実施することを決議した。買付けは2013年4月に終わり、J:COMは連結子会社となる。出資比率は住友商事と50対50で、入り口で支配を取らなかったことが、争った相手と組み直す余地を残した。連結の総資産は2014年3月期に4兆9,457億円へ増え、このうち8,607億円がJ:COMの連結によるものだった。営業収益は3兆6,622億円から4兆3,336億円へ、従業員は20,238人から27,073人へ増えている。2014年6月にはJ:COMとジャパンケーブルネットが合併し、ケーブルテレビ事業は1社へ集約された。

  • KDDI 有価証券報告書 第29期(2013年3月期)【経営上の重要な契約等】
    • [73]2012年10月24日、住友商事と株主間契約を締結し、両社でジュピターテレコム株式の公開買付けを実施することを決議した
    • [74]公開買付けは2013年4月に終了し、ジュピターテレコムは連結子会社となった。住友商事との出資比率は50対50
    • [77]2014年6月、ジュピターテレコムとジャパンケーブルネットが合併した
  • KDDI 有価証券報告書 第31期(2015年3月期)【主要な経営指標等の推移】
    • [75]2014年3月期の連結総資産は4兆9,457億円。ジュピターテレコムの連結により860,757百万円増加した
    • [76]連結営業収益は2013年3月期3兆6,622億円から2014年3月期4兆3,336億円へ、従業員は20,238人から27,073人へ増加した
参考文献[63]-[77]
  • KDDI 適時開示 2010年1月25日「株式会社ジュピターテレコムへの資本参加について」
    • [63]2010年1月25日、Liberty Global, Inc.グループと譲渡契約を締結し、ジュピターテレコムへの資本参加を決めた
  • KDDI 有価証券報告書 第26期(2010年3月期)【経営上の重要な契約等】
    • [64]取得対象はジュピターテレコムの株式ではなく、LGIグループがその株式を保有する米国LLC3社の持分の全部だった
    • [65]2010年2月19日に米国LLC3社の持分の全部を361,655百万円で取得した
    • [66]承継したジュピターテレコム株式は2,592,511株、議決権所有割合は30.9%
    • [67]ジュピターテレコムは1995年設立の国内最大手MSOで、2009年12月末の総加入世帯数は327万世帯。持分法適用関連会社となった
    • [68]取得資金は自己資金及び借入金等で調達し、有利子負債は1兆967億円と前期末から2,218億円増加した
    • [69]承継した株式のうち458,714株は取得前に信託銀行へ信託譲渡されており、議決権の行使に関与できない
    • [70]取得の理由は戦略的パートナーシップの構築で、FMBC(固定・移動・放送の融合)のサービスをケーブルテレビの顧客へ広げることにあった
  • KDDI 有価証券報告書 第27期(2011年3月期)【主な資産及び負債の内容】
    • [71]2011年4月、ケーブルプラス電話の卸を使う「J:COM PHONEプラス」をジュピターテレコムのサービスエリアで順次開始した
    • [72]ジュピターテレコム株式を保有していた中間持株会社4社を2011年3月期に清算し、清算所得法人税49,177百万円を未払金に計上した
  • KDDI 有価証券報告書 第29期(2013年3月期)【経営上の重要な契約等】
    • [73]2012年10月24日、住友商事と株主間契約を締結し、両社でジュピターテレコム株式の公開買付けを実施することを決議した
    • [74]公開買付けは2013年4月に終了し、ジュピターテレコムは連結子会社となった。住友商事との出資比率は50対50
    • [77]2014年6月、ジュピターテレコムとジャパンケーブルネットが合併した
  • KDDI 有価証券報告書 第31期(2015年3月期)【主要な経営指標等の推移】
    • [75]2014年3月期の連結総資産は4兆9,457億円。ジュピターテレコムの連結により860,757百万円増加した
    • [76]連結営業収益は2013年3月期3兆6,622億円から2014年3月期4兆3,336億円へ、従業員は20,238人から27,073人へ増加した

第3章 2016-2026 (気が向いたら執筆します!) au経済圏の構築と金融・エネルギー事業、ローソンへのTOBとビッグローブの架空取引

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歴史年表 2000〜2026年

KDDIの沿革2000〜2026年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
2000〜2001年三社合併で発足したKDDIと、寄合いの経営体制長距離・国際・携帯を1社に束ねた総合通信事業者の発足

2000年10月1日、第二電電(DDI)を存続会社としてKDDと日本移動通信(IDO)が合併し、KDDIが発足した。3社の単純合算で連結売上高2兆630億円、従業員9700人となり、NTTに次ぐ国内2位の通信会社が生まれた。長距離電話のDDI、国際通信のKDD、関東・中部の携帯電話のIDOという、事業も出自も異なる3社の統合だった。

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★★★
エーユーを株式交換により完全子会社化★★
商号をKDDIに改める★
2002〜2015年重複事業の整理と顧客基盤の取得小野寺正二方式の併走を解いてCDMAへ寄せ、稼働中のPDC設備1,283億円を一期で落とした資産の入れ替え

2002年3月、KDDIはauの通信方式をCDMAへ一本化し、旧方式のPDCの携帯電話設備をすべて除却した。同月に公表した「中期経営計画2002」は事業構造改革の第一にこの除却を据え、対象となった基地局やネットワークの設備1,283億円を2002年3月期の特別損失へ落としている。 稼働している設備を帳簿から外す代わりに、以後の減価償却費と通信設備使用料の負担を断ち切る組み替えであった。

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小野寺正CDMA方式にサービスを一本化・PDC設備を除却★★
小野寺正音楽ダウンロードサービス「着うた」を開始★★
小野寺正auの年間契約純増数で国内1位(シェア+2%)★
小野寺正ディーディーアイポケットのPHS事業を譲渡★
小野寺正ツーカーセルラー3社と合併★
小野寺正パワードコムと合併★★
小野寺正東京電力の光ネットワーク・カンパニー事業を承継★
田中孝司自社網の積み増しから327万世帯の顧客基盤の持分取得への転換

2010年1月25日、KDDIがLiberty Global, Inc.(LGI)グループと譲渡契約を締結し、2月19日にLGIが持つ中間持株会社3社の持分すべてを3,616億5,500万円で取得した経営判断。承継したジュピターテレコム(J:COM)株式は2,592,511株、議決権所有割合は30.9%で、国内最大のケーブルテレビ統括運営会社が持分法適用関連会社となった。

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小野寺正JCOMへ資本参加★★
田中孝司iPhone5の販売取扱を開始★
田中孝司周波数再編・旧800MHz設備の休止★
田中孝司ミャンマーにKDDI Summit Global Myanmar Co., Ltd.を設立★
2016〜2026年au経済圏の構築と金融・エネルギー事業、ローソンへのTOBとビッグローブの架空取引田中孝司ジュピターショップチャンネルを子会社化★
田中孝司au経済圏の最大化を戦略目標に設定★
田中孝司ビッグローブと英会話イーオンHDを完全子会社化★
髙橋誠金融事業を本格展開★★
髙橋誠au損保・ライフネット生命・カブドットコム証券をauフィナンシャルHDに集約★
髙橋誠UQコミュニケーションズのUQ mobile事業を承継★
髙橋誠東京証券取引所プライム市場に移行★
髙橋誠エネルギー事業をauエネルギーHDに承継★
髙橋誠KDDIエボルバとりらいあCを統合しアルティウスリンクを発足★
髙橋誠三菱商事との共同経営という形をとった全国店舗網の取り込み

2024年2月6日にKDDIが三菱商事と基本契約書・株主間契約書を、3社で資本業務提携契約書を締結し、3月28日から4月25日までローソン株に公開買付けを実施した案件。決済の開始日である5月7日に議決権41.1%で持分法適用関連会社とし、同年8月のクロージングで三菱商事と各50.0%を持つ共同経営体制へ移った。9月からは三菱商事50%・KDDI50%の新経営体制が動き出し、Real×Tech Convenience、Ponta経済圏の拡大、社会課題の解決の3つを共同経営の柱に掲げた。

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★★★
髙橋誠ラックを子会社化★
松田浩路広告代理事業の再開断念と過年度3期の決算訂正

2026年1月14日、連結子会社ビッグローブと同社の子会社ジー・プランの広告代理事業で、社員による不適切な取引の疑いが確認された。同日付で外部の弁護士・公認会計士による特別調査委員会が設置され、3月31日に受領した調査報告書で、実体が存在しない架空循環取引が行われていたことが認められた。 計上売上の取消しは2018年3月期からの累計で2,461億円、代理店手数料として社外へ流出した資金は329億円にのぼる。KDDIは報告書の受領と同じ日に、第39期から第41期までの有価証券報告書を訂正した。

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★★★
出典・参考 15件
出典・参考
  • KDDI アニュアルレポート2002(事業構造改革)
  • KDDI ニュースリリース 2002年3月11日「第3世代携帯電話(CDMA2000 1x)を全国主要都市で開始」
  • KDDI 有価証券報告書 第22期(2006年3月期)【主要な経営指標等の推移】
  • KDDI 有価証券報告書 第23期(2007年3月期)【主要な経営指標等の推移】
  • KDDI 有価証券報告書 第26期(2010年3月期)【経営上の重要な契約等】
  • KDDI 有価証券報告書 第27期(2011年3月期)【主な資産及び負債の内容】
  • KDDI 有価証券報告書 第29期(2013年3月期)【経営上の重要な契約等】
  • KDDI 有価証券報告書 第31期(2015年3月期)【主要な経営指標等の推移】
  • KDDI 有価証券報告書【沿革】
  • 日経ビジネス 2000年1月3日号
  • 日経ビジネス 2000年10月23日号
  • 日経ビジネス 2001年4月23日号
  • 日経ビジネス 2001年10月29日号
  • 日経ビジネス 2004年5月10日号
  • KDDI 適時開示 2010年1月25日「株式会社ジュピターテレコムへの資本参加について」

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