その遅れは、役員53人という形で会社の内側にも現れた。日本テレコム30人、NTTドコモ28人に対する数の多さは、たすきがけをしないという合意を守れなかった結果であり、旧DDI25人・旧KDD14人・旧IDO9人という配り方は、どの出身母体も削られなかったことを意味する。牛尾治朗氏が無理に1つへまとめるより長所を生かすと言ったのは調停として正しいが、調停に要る時間はドコモとの差が開く時間でもあった。役員を12〜15人へ絞るまでに発足から8カ月かかっている。合併で得た規模を動かすには、まず寄合いを解く必要があった。
2000年10月1日、第二電電(DDI)を存続会社としてKDDと日本移動通信(IDO)が合併し、KDDIが発足した。1985年の通信自由化で生まれた新電電各社は、1999年2月にNTTドコモがiモードを投入したころには規模と投資余力の差で引き離されており、非NTT陣営の再編がここで決着した。長距離電話のDDI、国際通信のKDD、関東甲信と東海の携帯電話のIDOという事業も出自も異なる3社が合流し、単純合算で連結売上高2兆630億円、従業員9700人とNTTに次ぐ国内2位の通信会社となった。移動体通信のブランドは、同年7月にIDOとDDI系セルラーが統一した"au"を引き継ぎ、若年層の獲得を事業の中心に置いた。
合併の話は、1998年12月にIDOの塚田健雄社長が稲盛和夫氏を訪ねたところから動いた。1996年1月に870万台だった携帯電話の総加入台数は、NTTドコモ420万台に対しDDI系のセルラー各社170万台、IDO110万台で、二つを合わせればドコモの3分の2に届いていた。それが1998年12月には総数3,900万台のうちドコモが2,200万台を占め、セルラー500万台・IDO320万台と3分の1強まで開いた。IDOは営業区域が首都圏と中部圏に限られたまま設備投資がかさみ、1997年3月期に59億円、1998年3月期に385億円の最終赤字を出していた。2001年に始まる次世代携帯電話に郵政省が3グループしか免許を与えない方針を示しており、残る1枠を争える時間は長くなかった。それでも合併が正式に決まるまでには、そこから1年を要した。
発足時の役員は非常勤5人を含めて53人にのぼった。日本テレコムの30人、NTTドコモの28人と比べて多く、常勤48人の内訳は旧DDI25人、旧KDD14人、旧IDO9人で、執行部門はDDI出身者が長なら副にKDD出身者を置く配置となった。合併合意の際に『たすきがけ人事はしない』と決めていた取り決めは守られていない。有利子負債は2兆円あり、営業初日の2000年10月2日の株価は3万5000円安と年初来最安値まで下げた。新会社はDDIの効率経営、トヨタ自動車の国際展開力、KDDの技術力を組み合わせる方針を掲げた『違う者同士を無理に1つにまとめるより、お互いの長所を生かすことが、この会社には得策』(日経ビジネス 2000/10/23)——会長に就任した牛尾治朗が取締役会議長の立場から示した方針である。統合を急がない構えは、寄合いをそのまま抱えて走る構えでもあった。
発足直後のKDDIは、旧IDO・DDI系セルラー・ツーカーという3つの携帯電話会社を抱えていた。2000年1月から9月までの携帯電話の純増数は、5月を除くすべての月でJ-フォンがKDDI系を上回っている。解約率も、NTTドコモの2000年3月期1.6%に対してauは同年7月時点で3%を超えていた。優位の根拠として残ったのは通信方式の選び方で、KDDIは次世代に北米方式のcdma2000を採り、すでにauブランドで提供していたcdmaOneを改良する道を選んだ。設備を一から積み直す日欧方式の1兆円に対し、投資は6,000億円で済む見込みだった。もっともこの選択は一度ぐらついており、DDIで次世代の責任者だった小野寺正氏が日欧方式への切り替えを決めた際には、IDO側が稲盛和夫氏へ直訴して方針が戻されている。
有利子負債2兆円の圧縮は、発足時から投資家が最も問うた点だった。日本テレコムの連結有利子負債が2000年3月期で1,800億円だったのに比べ、KDDIの水準は際立って高かった。会社が示した道筋は、DDI系のセルラー電話会社を合併し、旧IDOの部門を統合したうえで移動体事業を株式公開し、その公開益で負債を圧縮するというものだった。経理を担当した森田敏行取締役は、NTTドコモの時価総額30兆円の10分の1と見ても3兆円の企業価値になると見込んでいた。ただし次世代サービスの設備投資は毎期5,000億円を超える見通しで、負債の圧縮が始まるのは3年後とされた。合併で得た規模は、返済の原資になる前に投資の担保として使われた。
会社の形は発足から1年かけて整えられた。2001年3月、セルラー電話会社7社を統合した株式会社エーユーを株式交換で完全子会社とし、地域ごとに分かれていた携帯電話の運営を1社にまとめる。翌4月には商号を株式会社ディーディーアイからKDDI株式会社へ改め、本店を東京都新宿区へ移した。一方で東名阪を営業区域とするツーカー3社の扱いは決まらず、移動体を担当する小野寺正副社長も、新しい世代の方式が立ち上がるまでの暫定的な受け皿と見るにとどまった。そのツーカーの設備投資は2000年度だけで1000億円を超えており、auとの二重のブランドを抱えたまま次の投資期を迎えた。
経営体制も1年で組み替えられた。2001年6月、KDDIは執行役員制を導入して50人を超えていた役員を12〜15人に絞り、社長の上に5人いた取締役も3人へ減らす。社長は69歳の奥山雄材氏から53歳の小野寺正副社長へ交代し、稲盛和夫氏と豊田章一郎氏は取締役名誉会長から最高顧問に退任した。合併契約で副社長として処遇すると決まっていた元郵政事務次官の五十嵐三津雄氏が副社長に就任している。京セラにとって小野寺正社長の昇格はDDI主導の運営を示す人事となり、トヨタ自動車は有利子負債2兆円の会社に社長を出す負担を避けた。旧DDI系のPDCと旧IDO系のCDMAという二つの規格が併存する問題は、この体制のもとで2002年3月の一本化へ持ち越された。
小野寺正氏がKDDIの社長に就いたのは、2001年6月である。1948年2月に仙台で生まれ、1970年に東北大学工学部電気工学科を出て日本電信電話公社に入り、無線開発を手掛けた。1984年11月にDDIへ移り、1989年に取締役、1995年に常務、1997年に副社長と携帯電話の技術陣を率いてきた。社内には消去法の人事と評する役員もおり、次の社長候補が見当たらないことを露呈した人事でもあった。衛星携帯電話で資本提携していた米イリジウムが会社更生法を申請したときには、投資家への説明を財務担当者に任せず自ら相手先へ出向いている。引き受けたのは、約2兆円の有利子負債と携帯電話事業の再編だった。合併で寄り合った3社を1つの会社へ作り替える仕事は、ここから始まった。
2002年以降のKDDIが速く動けたのは、自分で持つ範囲を狭めたからである。稼働中のPDC設備1,283億円を一期で落としてCDMAへ寄せ、音楽配信ではコンテンツを自社で作らず、事業者が作りたくなる料金と権利管理の条件だけを整えた。固定通信では自社網を敷き足す代わりに、パワードコムと東京電力の光ネットワーク事業を引き受けている。どれも抱える資産と工程を減らす判断であり、減らした分だけ次の一手までの距離は短くなった。2003年度に純増シェア49%で初めてNTTドコモを上回ったとき、KDDIが持っていたのは他社より優れた技術ではなく、捨てる順番の決まった資産だったと思われる。
もっとも、自前をやめて縮められたのは時間であって、順位ではなかった。純増で首位に立った2004年の時点でも累積の契約数シェアは約2ポイントしか動いておらず、小野寺正氏自身が追撃は容易でないと認めている。2010年にジュピターテレコムへ3,616億円を投じたのは、自社で光を敷いて327万世帯へ届くのに要る年数を、金額へ置き換えたからだろう。しかも取得したのはJ:COM株そのものではなく米国LLC3社の持分で、議決権は30.9%にとどまった。支配を取らずに入り、3年待って住友商事と組み直し、2013年4月に連結子会社とした。急ぐために自前をやめた会社が、最後は待つことで基盤を取っている。
2002年3月、KDDIはauの通信方式をCDMAへ一本化し、旧方式のPDCの携帯電話設備をすべて除却した。同月に公表した中期経営計画2002は、事業構造改革の第一にこの除却を置いていた。対象となった基地局やネットワークの設備1,283億円は、2002年3月期の特別損失に落とされる。端末の廃棄及び評価損268億円と合わせ、au事業の構造改革費用は1,551億円、全社では1,854億円にのぼった。稼働している設備を帳簿から外す代わりに、以後の減価償却費と通信設備使用料を断ち切る組み替えである。原資には新宿本社ビルなど4棟の証券化で得た売却益1,437億円を充てた。同期の連結当期純利益は130億円まで落ちている。
一本化の受け皿となる第三世代のCDMA2000 1xは、2002年3月11日に33都道府県477市区町村で始まった。同じ年の12月、KDDIは携帯電話向けの音楽配信サービス「着うた」を投入する。コンテンツを自社で開発する道は採らず、事業者が開発したくなる条件を整える側に回った。1xの速度なら不満なくダウンロードでき、割引を使えば1曲70〜80円で済む。データを端末の外へ持ち出せない仕組みのため、権利管理の環境も揃っていた。小野寺正社長はのちに、コンテンツの開発は『餅は餅屋』で自社ですべて開発するのは不可能に近いと述べている。着うたのダウンロードは2003年8月までに累計700万件へ達した。
2003年度、auの年間契約純増数は初めてNTTドコモを上回った。純増シェアは49%に達したが、累積の契約数シェアはおよそ2ポイントしか縮まっていなかった。小野寺正社長は、1社が50%以上のシェアを持つ市場は日本と韓国くらいだと述べ、追撃が容易でないことを認めている。社内では2002年に、営業本部の下にあったカスタマーサービス本部を独立させていた。顧客の要望より自社の都合を通す対応が営業の配下で常態化しており、取扱説明書を直せば問い合わせが減るという見方に立った組み替えである。PDC関連の費用が消えた2004年3月期の連結当期純利益は1,170億円へ戻った。
auと同じ市場に自社の別ブランドが並ぶ状態は、2004年から順に解かれた。2004年10月、KDDIは子会社ディーディーアイポケットのPHS事業を譲渡する。翌2005年10月にはツーカーセルラー3社と合併し、東名阪で音声通話を中心に営んできた事業を本体へ取り込んだ。小野寺正社長はその年の春、両社ともauと『棲み分けができなければ共食いになるので、持っている理由はありません』と述べ、売却も本体への吸収もあり得ると説明していた。DDIポケットの定額データ通信はパソコンや携帯情報端末への接続を想定していた。ツーカーは話せればよいという層を狙い、当面の棲み分けは成り立っていた。それでも二つのブランドを別に持つ理由は、2002年の一本化で既に薄れていた。
移動体に収益を頼りながら、固定通信は手放されなかった。2006年1月、KDDIは電力系の通信事業者パワードコムと合併し、法人向けの回線網を取り込んだ。翌2007年1月には東京電力の光ネットワーク・カンパニーの事業を承継し、関東の光ファイバー設備を引き受けている。小野寺正社長は2004年の時点で、固定と携帯の区別は客から見れば関係がなく、技術の側から見た分け方にすぎないと述べていた。切り離す考えは『そのつもりは毛頭ありません』と明言し、むしろ固定を持つことが強みになるという見立てに立っている。自社で敷き直すのではなく、電力会社が敷いた設備を買う形で固定の基盤を厚くした。
重複の整理と固定の買い足しは、連結の規模を押し上げた。2006年3月期の営業収益は3兆608億円、営業利益2,966億円、当期純利益1,905億円で、従業員は14,021人だった。2007年3月期には営業収益3兆3,352億円、営業利益3,447億円となり、従業員も14,358人へ増えている。ただし取り込んだ資産がそのまま使えたわけではない。2006年3月期には、合併で引き受けたツーカーのPDC設備等について1,142億円の減損損失を計上した。2002年に自社のPDCを1,283億円で落とした会社が、4年後に他社のPDCをもう一度落としたことになる。
2010年1月25日、KDDIはLiberty Global, Inc.グループと譲渡契約を結び、ジュピターテレコムへの資本参加を決めた。2月19日に取得したのは、J:COMの株式そのものではなかった。LGIグループがその株式を保有する米国のLLC3社の持分の全部で、取得価額は3,616億5,500万円である。承継したJ:COM株式は2,592,511株、議決権所有割合は30.9%にとどまる。2009年12月末に327万世帯を抱える国内最大のケーブルテレビ統括運営会社が、持分法適用関連会社となった。取得資金は自己資金と借入金等で賄われ、有利子負債は1兆967億円と前期末から2,218億円増えている。自社で光を敷き足す代わりに、到達済みの世帯数を買った。
議決権30.9%では、経営権までは動かなかった。承継した株式のうち458,714株は取得より前に信託銀行へ信託譲渡されており、議決権の行使に関与できない。KDDIが掲げたのは戦略的パートナーシップの構築で、固定・移動・放送を融合したサービスをケーブルテレビの顧客へ広げることだった。2011年4月には、ケーブルプラス電話の卸を使う「J:COM PHONEプラス」がJ:COMのサービスエリアで順次始まる。取得の器となった中間持株会社4社は2011年3月期に清算し、清算所得法人税491億7,700万円を未払金へ計上した。既存株主と並んで待つ3年が、ここから始まった。
2012年10月24日、KDDIは住友商事と株主間契約を結び、両社でジュピターテレコム株式の公開買付けを実施することを決議した。買付けは2013年4月に終わり、J:COMは連結子会社となる。出資比率は住友商事と50対50で、入り口で支配を取らなかったことが、争った相手と組み直す余地を残した。連結の総資産は2014年3月期に4兆9,457億円へ増え、このうち8,607億円がJ:COMの連結によるものだった。営業収益は3兆6,622億円から4兆3,336億円へ、従業員は20,238人から27,073人へ増えている。2014年6月にはJ:COMとジャパンケーブルネットが合併し、ケーブルテレビ事業は1社へ集約された。
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|---|---|---|---|---|
| 2000〜2001年三社合併で発足したKDDIと、寄合いの経営体制 | 長距離・国際・携帯を1社に束ねた総合通信事業者の発足 2000年10月1日、第二電電(DDI)を存続会社としてKDDと日本移動通信(IDO)が合併し、KDDIが発足した。3社の単純合算で連結売上高2兆630億円、従業員9700人となり、NTTに次ぐ国内2位の通信会社が生まれた。長距離電話のDDI、国際通信のKDD、関東・中部の携帯電話のIDOという、事業も出自も異なる3社の統合だった。 詳細を読む | ★★★ | ||
| エーユーを株式交換により完全子会社化 | ★★ | |||
| 商号をKDDIに改める | ★ | |||
| 2002〜2015年重複事業の整理と顧客基盤の取得 | 小野寺正 | 二方式の併走を解いてCDMAへ寄せ、稼働中のPDC設備1,283億円を一期で落とした資産の入れ替え 2002年3月、KDDIはauの通信方式をCDMAへ一本化し、旧方式のPDCの携帯電話設備をすべて除却した。同月に公表した「中期経営計画2002」は事業構造改革の第一にこの除却を据え、対象となった基地局やネットワークの設備1,283億円を2002年3月期の特別損失へ落としている。 稼働している設備を帳簿から外す代わりに、以後の減価償却費と通信設備使用料の負担を断ち切る組み替えであった。 詳細を読む | ||
| 小野寺正 | CDMA方式にサービスを一本化・PDC設備を除却 | ★★ | ||
| 小野寺正 | 音楽ダウンロードサービス「着うた」を開始 | ★★ | ||
| 小野寺正 | auの年間契約純増数で国内1位(シェア+2%) | ★ | ||
| 小野寺正 | ディーディーアイポケットのPHS事業を譲渡 | ★ | ||
| 小野寺正 | ツーカーセルラー3社と合併 | ★ | ||
| 小野寺正 | パワードコムと合併 | ★★ | ||
| 小野寺正 | 東京電力の光ネットワーク・カンパニー事業を承継 | ★ | ||
| 田中孝司 | 自社網の積み増しから327万世帯の顧客基盤の持分取得への転換 2010年1月25日、KDDIがLiberty Global, Inc.(LGI)グループと譲渡契約を締結し、2月19日にLGIが持つ中間持株会社3社の持分すべてを3,616億5,500万円で取得した経営判断。承継したジュピターテレコム(J:COM)株式は2,592,511株、議決権所有割合は30.9%で、国内最大のケーブルテレビ統括運営会社が持分法適用関連会社となった。 詳細を読む | |||
| 小野寺正 | JCOMへ資本参加 | ★★ | ||
| 田中孝司 | iPhone5の販売取扱を開始 | ★ | ||
| 田中孝司 | 周波数再編・旧800MHz設備の休止 | ★ | ||
| 田中孝司 | ミャンマーにKDDI Summit Global Myanmar Co., Ltd.を設立 | ★ | ||
| 2016〜2026年au経済圏の構築と金融・エネルギー事業、ローソンへのTOBとビッグローブの架空取引 | 田中孝司 | ジュピターショップチャンネルを子会社化 | ★ | |
| 田中孝司 | au経済圏の最大化を戦略目標に設定 | ★ | ||
| 田中孝司 | ビッグローブと英会話イーオンHDを完全子会社化 | ★ | ||
| 髙橋誠 | 金融事業を本格展開 | ★★ | ||
| 髙橋誠 | au損保・ライフネット生命・カブドットコム証券をauフィナンシャルHDに集約 | ★ | ||
| 髙橋誠 | UQコミュニケーションズのUQ mobile事業を承継 | ★ | ||
| 髙橋誠 | 東京証券取引所プライム市場に移行 | ★ | ||
| 髙橋誠 | エネルギー事業をauエネルギーHDに承継 | ★ | ||
| 髙橋誠 | KDDIエボルバとりらいあCを統合しアルティウスリンクを発足 | ★ | ||
| 髙橋誠 | 三菱商事との共同経営という形をとった全国店舗網の取り込み 2024年2月6日にKDDIが三菱商事と基本契約書・株主間契約書を、3社で資本業務提携契約書を締結し、3月28日から4月25日までローソン株に公開買付けを実施した案件。決済の開始日である5月7日に議決権41.1%で持分法適用関連会社とし、同年8月のクロージングで三菱商事と各50.0%を持つ共同経営体制へ移った。9月からは三菱商事50%・KDDI50%の新経営体制が動き出し、Real×Tech Convenience、Ponta経済圏の拡大、社会課題の解決の3つを共同経営の柱に掲げた。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 髙橋誠 | ラックを子会社化 | ★ | ||
| 松田浩路 | 広告代理事業の再開断念と過年度3期の決算訂正 2026年1月14日、連結子会社ビッグローブと同社の子会社ジー・プランの広告代理事業で、社員による不適切な取引の疑いが確認された。同日付で外部の弁護士・公認会計士による特別調査委員会が設置され、3月31日に受領した調査報告書で、実体が存在しない架空循環取引が行われていたことが認められた。 計上売上の取消しは2018年3月期からの累計で2,461億円、代理店手数料として社外へ流出した資金は329億円にのぼる。KDDIは報告書の受領と同じ日に、第39期から第41期までの有価証券報告書を訂正した。 詳細を読む | ★★★ |
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事実根拠:出所(KDDI)